「むふ。じゃあ、これとこれでお願いします」
「おい待て待て、ちょっと待て。おまえそれどっちも高いやつじゃねーか。やめてくれよ……」
「あれ? 喫茶店くらいなら奢ってやるって言ったの、先輩ですよね~? 男のくせに、ドヤ顔で発した言葉を一時間もしないうちに撤回するんですか?」
くりっと小首をかしげて、さも奢られるのが当たり前であるかのように言う。
「いや、奢るって言ったよ? 言ったけど、確かに言ったけどさ、ちょっと無遠慮すぎないお前。ていうかなんでこの店? 値段みんな高い……」
学校を発ってもうすぐ一時間。いま俺たちが居るのは、京成千葉中央駅のすぐ目の前、リッタスカフェという木目調な外観の喫茶店。二月のいつぞや一色に連れ回された日に寄った、千葉には場違いとも言えるオサレなカフェだ。
自転車は学校に置いたまま、一色に袖をひっぱられて海浜バスに乗せられたときは、てっきり稲毛駅前あたりのチェーン店にでも入るのかと思っていたのだが……。どういうわけか通勤ラッシュで満員の上総一ノ宮行きに乗せられ、降りたのは千葉。そしてしばし歩いてやってきたのがこの店というわけだ。
おかしいな。おかしいよね? スタバとかでよくない?
「先輩と喫茶店に行くなら、やっぱここかなーって」
冗談めかしたように、くすりと小さく笑う。
さすが小悪魔iroha。見た目まだまだ幼さが残ってるのに、どうしてこうも蠱惑的なんだこの子は。うっかり勘違いしちゃったらどうすんのさ。
……まあ、いい。たまにはこういうのも悪くないだろう。
前向きに考えることにして、とりあえずは注文だけ済ませよう。一色がお高い商品を頼もうとしている件についてはいくらか文句も言いたいところだが。
店員のお姉さん(可愛い)に声をかける。営業スマイルがとても可愛いと思います(可愛い)。
「ラズベリーとストロベリーのクリーム・シャーロットに、プリンス・オブ・ウェールズでお願いします」
「あと、ジェラートとブレンドで」
「かしこまりました」
にっこり笑顔で一礼すると、店員のお姉さん(可愛い)が店の奥へと消えていく。
それを待って、一色が言う。
「先輩、前もそれでしたよねー」
「しゃーなしだろ。メニューの文字列見てもなにがなんだかさっぱりわかんねえんだよ」
なんなのクリーム・シャーロットって。プリンス・オブ・ウェールズは、まあネーミング的に英国のブレンド紅茶かなんかだろうが。
むしろ、そんなわけのわからん横文字からどんな食べ物が出てくるのか理解できるお前に引くな!
「つーか、なんでお前はわかんの? メニュー、写真載ってないのに」
「家でけっこう色々つくりますからねー。自然と覚えるっていうか~、そんな感じです」
「ふうん」
一色の趣味――かどうかは知らないけど――といえばお菓子作りだっけか。
実際に一色がそれなりにそつなくお菓子作りをこなせるのは、先月のお料理教室イベントでわかったことだ。
それを考えると、やっぱ一色ってかなり高スペックなのでは?
あどけなさが存分に残っているという点で庇護欲など男心をくすぐってくるし、顔立ちはかなり可愛いく、体型も綺麗に整っている。女の子としての魅力を自ら意識して磨きまくっているっぽいし、甘え上手で、そして料理もできる……と。
これだけの優良物件を振る葉山って、やっぱすげえんだな。なんかちょっとムカつく(妬み)。
「けど先輩、いくらメニュー見てもわかんないからって、前回と同じって」
ぷぷっと吹き出すと、そのままけたけた笑う。
バカにされているみたいで、なんかムカつくなぁ……。
「……つーか、なんでそんなどうでもいいこと覚えてるんだよ」
「どうでもいいことなんかじゃ、ないです」
表情を変え、じっと真剣に俺の目を見据えて言う。
亜麻色に透き通る瞳の向こうで、一色は何を考えているのだろうか。
あの日俺がどんなものを頼んだかなんて、そんなの、どうでもいいことだろ……。
「ほら、前に言いましたよね? 思い出って大事だって」
またも一色の表情が変わる。今度は、どこまでも優しげな微笑みに。
「先輩にとってはどうでもいいことかもですけど、わたしにとっては大切なことなんです。日々のひとコマひとコマっていうんですかねー。……だから、いま先輩とこうしてるのも、わたしにとってはすっごく大切な思い出になるんですよ?」
口元を手で隠して、冗談めかして言う。
ほんと、こいつは……。
それからしばらく、他愛もない会話を交わしながら時間を潰す。
会話を交わすといっても、実際に話しているのはほとんど一色で、俺は相槌を打ったり軽くツッコミを入れたりしている程度でしかないのだが。それでも、一色はにこにこと楽しそうに言葉を紡いでいる。
なにが楽しいんだかね。俺なんか相手に。
やがて紅茶の用意ができたようで、店員のお姉さん(可愛い)がお盆に紅茶とケーキを乗せてとことこっとやってくると、まずは一色のケーキセットをテーブルへ並べていく。
「こちらが、プリンス・オブ・ウェールズに、ラズベリーとストロベリーのクリーム・シャーロットでございます」
「わ、すごいですよ先輩! 期待以上です!」
一色が無邪気な子どものようにきらきらと目を輝かせる。
クリーム・シャーロットとやらだが、確かにこれはすごい。
ラズベリーやストロベリーの果汁が練り込まれているのか、ピンク色に甘く染まったムースたっぷりの丸いケーキ。その外周を、何枚もの長方形のクッキーが桶状にぐるりと囲んでいて、崩れないようにするためか可愛らしい白いレースのリボンがきゅっと巻かれている。そして、ムースの上には、ジェラートと見目鮮やかな赤い果実がふんだんに乗せられていた。
さながら、クッキーが壁で果実が屋根で、可愛いお菓子の家のよう。
「いや、マジですげえなそれ」
さすが、値段がお高いだけのことはある……。
っていうかけっこう大きいけど、これ一人で食べ切れるのん?
「こちらがブレンドと、季節のジェラート。今月は桃でございます。口の中でほのかに広がる甘い香りをお楽しみください」
一方こちらは、コーヒーとひとすくいのジェラート。以上。
いや、たぶんきっとかなり美味いジェラートだとは思うんだけどさ、一色のケーキに比べるとしょぼく感じてしまうのも仕方がないことだよね! 値段的にもすごい差があるしな。
店員のお姉さんはしずしずとお辞儀をすると、身体を反転させた。それを留めるように一色が声を上げる。
「すみません。写真、お願いしてもいいですか?」
懐から白いスマートフォンを取り出して、なにやらいじってから店員さんに渡す。
……これってもしやあれですかね。あれなんでしょうね。
「ほら、先輩せんぱい」
机の上に身を乗り出すと、ばっちりキメ顔をつくって店員さんに向かってポーズをとった。
「はやくして」
敬語どうした……。
ただでさえ酷い一色式敬語だが、すっかりどこかへ飛んでしまったらしい。
仕方がないので、思い切って一色の顔のすぐそばにまで近寄る。ふわりと鼻をくすぐるシャンプーの香りに、先月ここに来たときにあったことを鮮明に思い出した。
あの時も、一色の香りとさらさらな髪の毛、そして近い距離に、思わずドキっとしたっけか。
今回も、それは変わらない。数センチと離れていないところに一色の可憐な横顔があり、小さな息遣いもしっかりと耳に届く。それが、やたらと俺の心を揺さぶってくる。
俺と一色の関係性は、俺が思っている以上にずっと近いものなのかもしれない。
× × ×
幸せそうに頬を緩ませてのんびりケーキをつつく一色を眺めながら、これからのことについて考えていた。
葉山の件に関して、一色がいまどういう想いで居るのかはわからない。確かめてみたいとは思うが、さすがに直接本人に聞くのは憚れる。
ただ、それだけではない。
一色の想いを知ってしまうのが、触れてしまうのが、少し怖くなってきている。
今日これまでの一色の様子を見る限り、たぶん、葉山の件で深く落ち込んだり大きくショックを受けたりといったことはなさそうなのだ。それどころか、俺が喫茶店を奢ると言ってからは、心から楽しんでいるかのようにしか見えない。
――そんなはずはないと思う。一色に限って、まさか。
だが、もしもこれが俺の勘違いではなかったとしたら。自意識過剰じゃなかったとしたら。
俺の存在が、一色いろはにとって特別なものになっているのだとしたら。
馬鹿馬鹿しい。そんなことはありえない。ありえてしまっていいはずがないのだ。
ていうか、なんなんだよ。これじゃ逆に、俺が一色のことを意識しているみたいじゃねえか……。
思考を放棄し、黒々い液体に満たされたカップに唇をつける。
豆の品種や産地にも相当こだわっているらしいブレンドコーヒーを口に含むと、香ばしさや深い味わいが広がる。苦さや酸みが舌を刺激し、甘っちょろい思考からはっと目が覚めたように思えた。
こういうときは、マックスコーヒーみたいな甘ったるいものよりも苦いほうがいい。
「あ、そうだ先輩」
けれども、どうやら目の前でにこにこ笑顔を湛えているこいつは、砂糖もりもりの甘ったるいものほうがいいようで。
「はい、どうぞ」
ジェラートとムースをひとさじ削り取ると、俺の口の前へずいと近づけてきた。
俗に言う、あーんってやつである。
いや、なにしてんの。そのスプーン、間接キスになっちゃうよね……。
「……やっぱり、こういうのってお嫌いですか?」
戸惑いのせいで固まって反応しない俺に、いつぞやも問われたような言葉を投げてくる。
その瞳は不安げに揺れていて、そこから一色の求めている答えが分かった気がした。
……あのときは、なんて返したんだったか。
「まあ、嫌いじゃねぇけど」
「じゃあ、口開けてくださいよー……。ほら、さっさとあーん」
「いや、あーんとか言わなくていいから」
そんなの声に出されたら余計に変な意識しちゃうでしょ……。
しかし、あれだな。いきなり口にスプーンを突っ込まれるならばまだしも、自ら意識して口を開けるというのは照れくさいものがある。なにより、とにかく心臓に悪い。黙って口を閉じていれば諦めるだろうか、などと考えてみるも、一色は引っ込めるつもりがないらしい。
仕方がない。
観念してゆっくりと口を開くと、にんまりと目元を緩めた一色がスプーンを俺の口へと突っ込んだ。はわわっ! おくちがおかされちゃいます><
ぱくりとひとくち。
「どうですか?」
「……まあ、悪くないんじゃねえの」
「ですよねー!」
その『ですよねー』っていうのがどういう意味なのかは置いておくとして、とりあえず味なんてわからんぞバカ。甘すぎなんだよ、ほんと。
顔が熱くなるような感覚に、つい顔を逸らしてしまう。
「じゃあ先輩、こういうのはどうですか?」
次なるいたずらでも思いついたらしい。
今度はなんだよ、いいかげんにしろ、などと心のなかで悪態をつきながら、一色の顔へと視線を向けた瞬間。
何も乗っかっていないスプーンを。
つまり、俺の口から出たばかりのスプーンを。
「はむ」
と、一色が口に咥えたのだった。
「……は!?」
え、なにやってんのこいつ。
バカなの? それ、たぶん俺の唾液しかついてないよね……?
「ふふっ。先輩、どうですか?」
スプーンを口から話して、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて問うてくる。
表情だけ見ればかなりムカつくところだが、けれども、じわじわと紅く染まっていく一色の頬に気づいてしまうと、どうしてか怒る気も起きない。
「あ、もしかして意識しちゃいました? 後輩女子に下心持っちゃいました?」
俺のことをからかうように、楽しげに言う。
「べ、別に意識なんて……」
「けど先輩、顔が赤いですよ?」
それブーメランだから。お前も赤いから。
変に意識しちゃうくらいならやるなよ……。
「……まあ、なんつうの? 俺だって一応は高校生男子だし、一切意識しないっていうのは無理だろ」
「先輩、やっぱ素直じゃないなぁ……」
ぽしょっと出た声が、ひどく寂しげに感じられた。
こいつは、一体何のつもりでこんなことをしているのだろうか。
それはもう、まったくわからない疑問ではない。
盛り上がっているのだ。あるいは盛り上げようとしているのか。
きっと、一色いろはは――。
× × ×
ちなみに、「ラズベリーのシャーロット」はフランス語風に言うと「フランボワーズのシャルロット」。
英国調の喫茶店で出されるときは英語風に前者、ケーキ屋さんや洋菓子メインの喫茶店だとフランス語風に後者で呼ばれたりしますね。
もう1話だけ続きます。