いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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続きです。



葉山隼人に彼女ができたらしい。という噂。(2)

 カツカツカツ……と、白いチョークが黒板に叩きつつけられる音。しんと静まった教室にはそれだけが響く。

 午後の授業も既に三コマ目、七限も半ばに差し掛かっているが、あまり勉強に身が入らない。

 それもどれも、昼休みに由比ヶ浜が放った言葉のせいだ。

 

 ――いろはちゃんの好きな人って、たぶん隼人くんじゃなくて……。

 

 こういう言い方は悪いが、由比ヶ浜はいわゆるキョロ充タイプだ。自分の意見を強く主張するのではなく、常に人の顔色を伺い、意見や立場を相手に合わせることで居場所や人間関係を保っている。これは本人も認めているところだ。

 だからこそ、他人の細かな感情に気がつくことも多いだろう。由比ヶ浜の予想もまちがいだと否定することはできない。

 よくよく考えれば、一色が葉山に告白をしたのは十二月の半ば、もう三ヶ月も前のことになる。先月の時点で葉山へチョコを渡そうと動いていたことも考えると、それから三週間か……。

 一色とてリア充JKなんだから、三週間もあれば他の誰かに心変わりしてしまうことだってあるかもしれない。一度振られた相手を永遠に思い続けなければならない謂れなんてないのだから。

 一色の本命が葉山ではなく別にいる可能性、一応頭の片隅に置いておいたほうがいいのかもしれない。

 

 しかし。

 だとすれば、気にあることがある。

 

 もし仮に由比ヶ浜の予想が当たっていて、一色の想い人が葉山ではなかったとして、じゃあ一色の本命って誰なんだ?

 一色の交友関係なんて俺は知らないし、なんなら俺の前で見せるあざとく狡猾な姿以外の“一色いろは”を一切知らないほどだ。葉山以外の男なんて、想像すらつかない。

 普通に考えれば、普段から一色の周囲にいて、かつ一色とそれなりに親しい(?)男子なんだろうが……。

 戸部? いや、ねえわ。それは絶対ない。

 本牧……もないよな。あの副会長、ついこの前も書記ちゃんといちゃつきながら歩いてるの見たし。ムカつくよななんか。爆発しろ。

 会計の稲村もないだろう。稲村が書記ちゃんスキーなのは一色も知っているし、関係性も同じ生徒会役員っていうだけで特に親しくしているわけではなさげ。

 なら、サッカー部員の誰かか? いや、これもないだろう。一色は寒いからとかいう理由でサッカー部をサボりまくっているが、もしサッカー部に好きな男子がいるならサボらずに出ているは……ず……?

 おい。あいつってマジで葉山以外が本命なの?

 葉山のことが好きで、三浦というライバルがいるなら、三浦の目がないサッカー部で葉山との距離を縮めようとして然るべき。なのに、あいつ生徒会がないときは奉仕部へ遊びに来てばっかりでサッカー部全然行ってねえし……。

 ……奉仕部?

 いや、まさかな。それはさすがにありえんだろ。

 

 

               ×   ×   ×

 

 

 結局、まともに授業を頭に入れないまま七限が終わり、放課後。

 一色の本命は葉山なのかそれとも別の誰なのか、そこらへんの疑問については一度置いておいて、一応念のため一色の様子を見てやろうと、普通教室棟二階は生徒玄関近くの廊下へとやってきた。

 3mと離れていない場所に、生徒会室の扉がある……んだが、なんというか入りにくい。

 えーっと、なんて言って入ればいいんだ? 葉山の件で心配したから様子を見に来た、なんて恥ずかしくて言えないし、そんな下手に出るようなことを言ったら一色の奴つけあがるに決まってる。

 そういうわけで、しばしうろうろ。通りかかる生徒たちの視線が痛い。通報される前になんとかしなきゃ!

 つか、難しく考えすぎなんだよなぁ。こんなもん、なんてことない。

 来週月曜はホワイトデーとかいうリア充向けイベント日だが、同時に総武高卒業式が執り行われる日でもある。生徒会はその準備に追われているはずだから、その様子を見に来たと言えばいいわけだ。これでいこう。

 よし。

 気を引き締めて生徒会室の扉の前に立つ。 

 トントンと木製のドアを叩く――前に、扉上部にある四角い小窓からちらっと中を覗いてみる。一応あれだ、もし一色がいなかったらあれだし。

 ガラスの向こう側、室内中央付近に置かれた長机に、ひとり何やら作業をしている華奢な後ろ姿がある。その存在を確認してからノックすると、かったるそうな様子で一色がこちらへと振り向く。

 めんどくせーと言わんばかりの表情だったが、俺と目が合った瞬間、亜麻色の髪を揺らしながら飛び上がるように席から立ち上がり、慌ただしくどたばたと扉へ駆け寄って、勢い良く開け放った。

 

「せんぱーい、どうしたんですか~?」

「いや、お前、怠そうなの全然隠せてないから」

 

 たるっと余った右手の萌え袖を口元にあて、にっこにこの笑顔で甘ったれた声を上げている。

 しかし、俺はばっちり見ちゃったもんね。振り向いた瞬間『は? 誰だよクソ。めんどくせーなクソ』みたいな顔してたもん。

 

「はあ……。まあ、怠いのは確かですけど」

 

 そう言って、やけにあっさり認めてしまう。

 なにかしら誤魔化すか否定すると思っていたのだが、なんか拍子抜けするな……。

 

「それはそれとしてー、先輩どうしたんですか? 今日も部活のはずですよね~?」

 

 仕切り直して、一色がきゃるっと可愛らしく問いかけてくる。

 なんというか、ひどくあざとい。本来の意味のほうではなく、俗に言うところの『あざとい女の子』的な意味で、とにかくあざとい。

 こういう態度が男子を惑わせて地獄へ落としていくわけでですね。しかもこいつの場合、それをわかっていてやっている節があるという点で、余計に質が悪い。ウェイ系巨大サークルの姫として君臨できそう。

 

「まあ今日も部活はあるけど……、もうすぐ卒業式だろ? お前、かなり忙しくしてるんじゃないかと思ってな。だから由比ヶ浜に断って様子見に来た」

「はー……。えっ!?」

 

 信じられない物でも見たかのように目を白黒させると、次の瞬間に、ずざざ、と勢い良く後ずさる。

 

「それってもしかしてあれですか? お前のこと気にしてやってるんだぜ的なアピールですか? ちょっとっていうかかなり嬉しんですけど……。え、どうしよう……」

 

 なんだか知らんが、そこまで言い切ると一色は顔をみるみる赤く染めて俯いた。

 いや、なんなんですかねその反応。いつものごめんなさいってやつはどうした……。

 

「まあ、別になにも問題ないなら部活行くけど……」

 

 そんな態度をとられてしまってはどうにも気まずい。

 一色から視線を外してなんとなく生徒会室の奥を見ると、普段とは明らかに様子が違っていることに気づく。長机を挟んだ奥側が、大量のダンボールで埋め尽くされていたのだ。

 

「……え、ていうか一色。あれ、なに?」

 

 水を向けると、一色がはっと顔を上げる。

 そして、バツが悪そうに眉をしかめた。

 

「……記念品、ですね」

「記念品って、卒業式かなんかの?」

「です。窓側にあるやつがPTAの、真ん中らへんにあるやつが同窓会ので、廊下側にあるやつが学校が用意したやつです」

「ふうん……」

 

 まあ、卒業式だもんな。そりゃ記念品のひとつやふたつ用意されていて当然か。

 思えば、俺も小学校や中学校の卒業式でなんだったか記念品を貰った覚えがある。なにを貰ったのかは覚えてないんだが、まあ覚えてないってことは大した役にも立たないもんだったんだろう。そんなもんくれるなら図書カード1,000円分とかのほうが嬉しい。

 

「で、なんでそれが生徒会室にあるわけ?」

 

 卒業式だから学校・PTA・同窓会から記念品が贈呈される ←わかる

 学校・PTA・同窓会の品が生徒会室にぼこんと置いてある ←わからん

 

 PTAならPTAの、同窓会なら同窓会の部屋に置かれているべきだろうと思うんだが。そのためにPTA用や同窓会用の小部屋が割り当てられてるんじゃないのん? 学校のものならばなおさらで、職員室か倉庫にでも一時的においておけばいい。

 

「さっき急に厚木先生が来て、記念品の在庫確認と仕分けは例年生徒会の仕事だからよろしくって。それで業者の人たちがそこに置いていきました」

 

 生徒会っていうのは生徒の自治組織なんだから、当然ながら学校組織やPTA、同窓会とは別の独立した存在のはずだ。生徒会活動の範囲外において、学校事務や教職員、PTA、同窓会といった他の団体から指示を受ける謂れはないし、下請け組織のように機能することがあってはならない。当然、これは生徒会の活動なわけがないんだが。

 もちろん、生徒会が用意した記念品なら生徒会がやって然るべきだが、これはそうじゃないんだから。

 それに例年~っつっても、本当に例年そうしているのかは疑問だな。実際には例年なんてことはなく、厚木か別の誰かは知らんが、担当の教師がめんどくさくなって生徒会へ投げた可能性だって考えられる。

 

「ていうか、他の役員は?」

 

 既にPTA記念品のものらしいダンボールがひとつ開封されていて、その中身らしきものが机の上に並べられていた。

 さっき一色が何やら作業していたのはこれなんだろう。が、なんでこいつ一人でやってるんだ? 他の役員の姿が見えないのはどういうこっちゃ。

 

「今日、定例会も臨時会もないんで招集かけてないんですよ。だから三人とももう帰っちゃってて。わたしは、生徒会備品が届く予定なので、その受領確認のために残ってたんですけど……」

「それで一人でいるところに、厚木が余計なもんもってきたってことか」

「です……」

「ちなみに、これっていつまでにやればいいんだ?」

「今日中です。もし不足があったら明日のお昼までに発注掛けないと間に合わないらしいんで」

 

 はあ? なんだそりゃ。

 なるほど。つまるところ、一色が一人でやるしかないわけだ。これ全部を。

 厚木っつうか職員室は何を考えてるんだ? 頭おかしいのかな?

 

「で、俺はどれを何すりゃいいんだ」

「……え」

 

 聞きながら、一色の横をすり抜けるようにして生徒会室へ入り、ダンボール軍団の前に立つ。

 総武高は1学年10クラスで、1クラスは40名。留年者や転編入が発生していなければ、つまり卒業生は単純計算で400名となるわけだが、それにしてはダンボールの数が多いように思える。

 一色が机の上に並べたらしきPTA記念品は、VHSテープ(死語)ほどのサイズの白い紙箱なので、どうやらそんな感じの嵩張るものがダンボールの中にたっぷり詰まってるらしい。

 

「……なにしてんのお前」

 

 なかなか返事がないので気になって振り返ると、一色が扉の前で呆けていた。

 ぽけっと突っ立ってないでさっさと終わらせて帰ろうぜ……。

 

「え、いえ……。先輩、手伝ってくれるんですか?」

「手伝うもなにも、これ一人でやるつもりか? 絶対今日中には終わらんだろ」

「けど、先輩部活は……」

 

 申し訳なさそうにおずおずと肩を落とし、表情すらも暗く落ちていく。

 なんなんだ。一色らしくもない。そんな表情似合わねえよ。

 ……いや、一色らしい・らしくない、というのは俺の身勝手な押し付けか。こいつのことは、まだまだわからんことがいっぱいあるんだから。

 

「部活行ってる場合じゃねえし、断りの連絡を入れるような時間の余裕もないだろ。とにかく今はこのダンボールの山をなんとかするぞ。何をやれば良いのか教えてくれ」

「あ……、はい!」 

 

 元気よく返事をすると、嬉しそうな笑顔を見せてこちらへとてとてと駆け寄ってくる。

 悔しいことに、その表情がとても魅力的に見えてしまった。

 ……やばいな。うっかり惚れちゃうかと。いかんいかん。

 

 

               ×  ×  ×

 

 

 かなり急いで作業をしたものの、結局すべてが片付いたのは最終下校時間を僅かばかし突破してからだった。

 最終下校時間っつうことは本来ならもう生徒が残っていちゃダメなわけで。今回は例外ということで勘弁してもらいたいものだが、念のため目立たぬようこそこそと行動する。

 当然、生徒会室を出ると校舎の中はどこもがらんとしていて、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 一色と共に職員室へ行き、ちょうど暇そうにしていた平塚先生を捕まえて作業終了の報告と鍵の返却、ついでに愚痴を伝えると、どうやら平塚先生は今回の件を知らなかったらしい。怒りを通してもはや呆れ返っていた。曰く、生徒会はPTAや同窓会の下請け組織ではないのに何を考えているのか、と俺の意見に見事一致である。そりゃそうだ。

 

 そういうわけで、ようやっと下校できる。

 二人並んで再び生徒会室の近く――つまり昇降口へやって来て、一度別れて靴を履き替えてから、なんとなくまた合流して外階段を下りてゆく。

 

「先輩、今日はありがとでした。手伝ってもらっちゃって」

 

 階段の下、ピロティの部分まで歩いたところで、殊勝にも一色が頭を垂れた。その妙に素直な姿がひっかかり、そこで俺が生徒会室を訪ねた目的を思い出す。

 俺は生徒会を手伝いにいったわけではない。葉山の件があって、一色の様子を見に行ったのだから。なんかバリバリ働いちゃってて忘れてたぞ……。

 

「……まあ、なんだ。気にすんな」

 

 こういう場合、なんと言葉を返してやればいいのかさっぱりわからん。

 悲しいかな、人から憎まれこそあれど、感謝なんてされることがほとんどないからな……って、それは別にどうでもいい。俺にはやらなきゃならないことがある。

 

「なあ、一色」

「はい?」

「よかったら、喫茶店でも行くか?」

「え……」

「お前、ここんところ仕事頑張ってるっぽいし、喫茶店ぐらいなら奢ってやるけど……」

 

 いや、待て。これはないだろ。

 なんだこれ。なんか不自然というか唐突すぎるし、なにより下手くそなデートの誘いかたみたいじゃん。もうちょっと上手くやれよ俺……。

 

「そ、それってもしかしてあれですか? デートのお誘いですか!? デートのお誘いなんですよね??」

 

 ずざざ、と後ずさりする一色。

 あれー……。なんかさっき同じような光景を見たような気がしますねぇ。

 

「いや、デートじゃないが……。嫌ならいいんだ。忘れてくれ」

「い、行きます! デートしましょう先輩!」

 

 ドン引きのような態度から一転、襲いかからんばかりの勢いでに食いついてくると、素早く俺の右隣に並んでブレザーの袖をくいっとつまんでくる。忙しいやつだなこいつ……。

 さて。どうしたもんでしょ。

 一色が内心落ち込んでいる可能性も考えられる → 女子は喫茶店とかのスイーツが好き → 喫茶店でも奢って様子を見てみる――という超単純思考から誘ってみたはいいが、どんな喫茶店につれていくかなんて考えてないぞ。マリピンのサソマノレクカフェでええのん? それともペソエ稲毛海岸のサンドッグイン兵庫屋でパン&コーヒー?

 

「あー、こっちから誘っといてアレなんだが、喫茶店行くとしたらどこがいい?」

「そんなの決まってるじゃないですか」

 

 え、決まってるって、なにが。

 女子高生御用達のお店とか、俺まったくわからんのだが。

 

「ほら、行きますよー」

 

 この奢りのチャンスを逃さないとでもいうのか、袖をくいくいと引っ張って一色はずんずんと歩きだす。馬の手綱じゃないんだけどなぁ。

 ていうか俺、自転車なんだけど……。

 

 

               ×   ×   ×

 

 

 




続きます。

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