いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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高校3年生になった八幡の新たな昼休みぃ……ですかねぇ……。



昼休み。

   昼休み。

 

 

 三年になってペースも上がったつらい授業をなんとかこなし、やってきた昼休み。俺はいつもどおりベストプレイスへ向かった。

 明けた新年度も既に一週間が過ぎ、新入生も在校生も新たなクラスで新たな友人をだいたい作り終えつつある頃だが、例によって俺は相も変わらず連日この場所のお世話になっている。俗にいう、ぼっち飯である。

 ただ、ぼっち飯といっても、誰も相手をしてくれない寂しい男というわけではない。クラスに居場所がないから独りで飯を食べているわけではないのだ。俺は冬眠から冷めたばかりの熊のように孤高な存在であり、であるからこそ自ら進んでここでぼっち飯をしているのだ。

 ……うん、本当はクラスの誰も俺を相手にはしてくれないだけなんだけどね。

 かくして、現実というものは、非常に厳しく非常に辛い。それこそ、赤ヘル軍団の新井さんがここぞのチャンスでゲッツーに倒れるのと同じくらい辛い。あまりに辛すぎてFA宣言しちゃうまである。つらいです……千葉が好きだから……。

 じゃあ、何が辛い現実なのかというと、つまりはこれである。

 

「そうそう、あれマジ無理だったよねww あのヅラ教師www」

「もう死ねよって感じwwww」

「さっきのあの発言とかキモすぎて草しか生えない」

 

 お、俺の、ベストプレイスが……。

 特別棟のピロティの影に隠れて見る、我が視線の先。

 あのさ、っていうかさ、ほんとちょっと待ってよ名も知らぬ女子たち。そこ俺のベストプレイスなんですけど? 誰の許可があってそこで飯食っとんじゃワレ! いや、誰の許可もいらないけどさ……。去年度までは俺以外誰もそこ使ってなかったでしょ……。

 ふと、女子たちの胸元を飾る制服のリボンに目が行く。総武高のリボンタイは持ち上がりの学年色で、今年度でいえば雪ノ下や由比ヶ浜たち3年が臙脂色、一色たち2年が花紺色なのだが、ギャハギャハとやかましいそこの女子たちはそのどちらでもない山吹色。先月卒業しためぐり先輩や、我が妹・小町の制服と同じである。

 なるほど、そこが俺の縄張りだということを知らない一年女子か。総武高の掟を知らん新入りには、ここいらで一度痛い目を見せてやらにゃならんようだな。フヒッ。

 ……どうしよ、飯。

 高校入学以来のベストプレイスを最終学年にして失った、どうも俺です。

 

「なるほど。新入生に取られちゃったわけですか、定位置」

「うぉっびっくりしたー……」

 

 あまりの衝撃と喪失感で立ち尽くしているさなか、突然右隣から投げかけられた女子ヴォイスに驚き振り向くと、一色いろはが至近距離で俺の顔をまじまじと覗き込んできた。近い……。

 きれいな亜麻色の睫毛やグロスで艶めいた唇、ほんの少しだけ乗せられた頬のチーク、そして香るアナスイなどに心臓がどくんと跳ね、気まずくなって視線を下へと彷徨わせ逸らす。

 見れば、いろはすの手にはいろはすとお弁当箱。共喰いならぬ共飲みかな?

 なるほどつまり、どうやらいろはすは俺に御用の赴きのようです。

 

「な、何? 顔に何かついてる?」

 

 未だじーっと向けられる視線に困って聞くと、一色は真面目そうに観察しながら言った。

 

「いえ。なんか今日の先輩、新小岩で飛び込む寸前の人みたいな顔してるなーと」

「……マジで新小岩しちゃうまである」

「いや、それ冗談になってないですから……」

 

 さすがにこれは悪い冗談としても、人間いつ何時に突然死を選ぶかわからないものである

 思えば俺のこれまで、並の人間ならとっくに崩折れてしまっていてもおかしくないレベルなのではなかろうか。ほら、小学校時代のアレとか、中学校時代のアレとか。数え切れないほどの黒歴史や嫌な思い出がある。考えるだけでも鬱になりそう。死。

 俺の思考はネガティブだとよく一色や由比ヶ浜なんかから呆れられるし、もちろん俺自身もその自覚はあるが、こう考えてみると存外実はポジティブなのかもしれないな。だって、じゃなかったらとっくに死んでいたかもしれんし。いや、マジで。

 

「で、なんで新年度早々ここにお前がいるの?」

 

 閑話休題。降って湧いた問題は次の二点である。

 一、俺のベストプレイス終了のお知らせ。飯を食べる場所がない。

 一、ここに一色いろはが出現。

 一色いろはといえば典型的リア充である。というかリア充の中のリア充たる存在で、去年の一時期は周囲の嫉妬やら何やら色々あって孤立ぎみだったようだが持ち直したらしく、2月頃からは性別学年問わず多くの生徒たちからチヤホヤされている姿を何度も見かけている。取り巻きではなく取り巻かれてる側、つまり一色いろはこそが真なるリア充JKといっても過言ではない。俺とは対極と言うか正反対のキャラクターなのだ。

 まあ、先々月に由比ヶ浜がベストプレイスの存在を一色にバラしてしまって以降、生徒会の仕事の相談や依頼絡みでちょくちょくここに来襲していた状況ではあるのだが、新学期も早々から孤高なぼっちたる八幡くんに何用だというね。クラスで昼飯食わなくていいのん? それとも新クラスではぼっちになっちゃったのん?

 っていうか今俺それどころじゃないんですけど。飯食べる場所探さなきゃいけないの……。

 

「寂しくぼっち飯の先輩と一緒に、ごはん食べてあげようかと思いまして」

 

 表情と声音をきゃるんと作って、ピンク色のハンカチに包まれた弁当箱といろはすを掲げてみせる。うん、共食いならぬ共飲みかな?

「別に寂しくはないから」

「またまたぁ、本当は寂しいくせに~」

 

 う、うぜぇ……。

 何がうざいって、そのニヤけ顔と声音がうぜえことこの上ない。調子ノリすぎてるときの小町かよお前は。

 

「……それより、そもそも見てのとおり食べる場所ないんだけど」

 

 視線で件の女子たちを指してやる。

 これは絶対に許さないノートが久々に更新されてしまう事態だ。ベストプレイスを占領する新入生を許すな!

 ところが、唯一ともいえる憩いの場を奪われた俺の気を知らない一色は、けろっととんでもないことを言ってのける。

 

「っていうか、そこで食べれなくても別の場所で食べればよくないですか」

「なん……だと……?」

「だって、あそこ以外の場所じゃごはん食べれないわけじゃないですよねー?」

 

 ……え、この子本気でそれ言ってんの? 冗談じゃなくて?

 思わず戦慄したわ。怖いよ。怖い。

 ああ、なるほど。OKOK。別にベストプレイスじゃなくてもトイレで食べればいいじゃないですかーってことか。それあるー!

 確かにぼっち飯の定番といえばトイレだもんな。個室の便座に座って独り寂しく世間や周囲への文句をぶつくさつぶやきながら弁当箱をつつく姿、惨めなぼっちにお似合いである。

 よーし俺も便所飯しちゃうぞー。

 

「……ってトイレで飯なんて食えるか!」

「は? トイレ?」

「あ、すまん何でもない。取り乱した。……で、何の話だっけ」

「だから、今日は仕方ないですし、あっちでごはん食べましょって話ですよ」

 

 心底呆れたように溜息を吐きつつ、一色はピロティの向こう、中庭を挟んだ更に先の普通棟を指差した。

 

「あっち……って、あっちに俺が飯を食べれる場所なんてないんだが」

 

 普通棟こと普通教室棟校舎には、その名のとおり普通教室(クラス教室)や職員室、校長室、昇降口などの基本的な部屋が配置されている。従って各種実験室や音楽室、家庭科室といった特別教室が中心に配置されているこちら側よりも生徒の数は圧倒的に多いし、空き教室のような場所もないから、ぼっち飯には向いていないのだ。

 一応、屋上への階段の踊り場など生徒の出入りが少ないエリアもあることはあるが、校舎の四階は一年生ゾーンだから、さっそく新入生によって占領されている可能性。騒がしいから行きたいとも思わない。

 

「ふふん。ところがですね、あるんですよいい場所が!」

 

 しかし、よほど自信があるのか大見得を切る。

 

「いい場所? そんなのあるのかよ……」

「はい。なのでせっかくですし、今日はわたしが先輩にですね、わたしによるわたしのための最高のお昼スポットを教えてあげます!」

「俺ですら知らないぼっち飯の穴場を知っているだと?」

 

 まさか一色お前、実はぼっち飯のプロか……!?

 去年末の孤立ぎみだったらしい頃に発掘した場所でもあるのだろうか。男子の視点では気付けない穴場とかも女子の視点なら見つけられるのかもしれない。

 ならばいいだろう、ついていってやんよ!

 平穏な昼ごはんタイムが約束されれば、俺としてはそれで十分だ。ここは一色にかけてみようではないか。

 

 

                    ×   ×   ×

 

 

「――で、ここは何だ?」

 

 とてとて歩いて先導する一色についてやってきた場所は、普通棟の2階、生徒昇降口すぐ近くの小部屋だった。

 さて。

 俺は見事一色に騙されてしまったのかもしれない。いや、これが俺の勘違いであればいいのだが、この部屋ってどう見てもどう考えても俺もよく知るあそこである。

 

「なにいってんですか、普通に生徒会室ですけど。いくらなんでもその歳でボケちゃったらちょっとまずいですよ……」

「仕事を押し付けようとか、実はそういう魂胆あったりして?」

「先輩、相変わらずわたしのことをなんだと……。別にそういうのないです」

 

 一色はやれやれとジェスチャーしつつ弁当箱といろはすを机に置くと、ミニ冷蔵庫から森の水だよりを取り出し、てきぱきと電気ケトルを使ってお茶の準備をはじめてしまった。

 そんな姿を半ば呆然と見てから、改めて生徒会室の中をまじまじと観察してみる。

 生徒会長に就任したばかりの頃から一色いろは流に模様替えされていった室内は、春休み中に大改良でもしたのか以前よりもずっと『女の子の部屋』感が増し増していた。

 小ぶりだが着替えなどを仕舞えそうなチェストっぽい家具然としたものもあるし、部屋隅の応接用ソファにはやはり一色が持ち込んだと思わしきパステルカラーのマシュマロクッションが複数個転がっていて、ピンク色の毛布も丸めて放っぽらかしてある。

 学校備品というシールの貼られた液晶テレビや、生徒会で使っているネット接続可能なパソコンなどもあることを考えれば、なにこれ一色にとっては天国なんじゃないの……。ここで楽しく生活できちゃうでしょ。がっこうぐらしなの? 万が一のゾンビの来襲にでも備えてるの?

「先輩、こちらへどうぞ。もうお湯湧きますよ」

 

 しゅごぉぉぉおお、というケトル内の激しい沸騰音が生徒会室に響く。奉仕部では見慣れ聞き慣れたものだが、部屋が違うとどこか新鮮にも思える。

 まあ、突っ立っていってもしょうがないし……。

 なんかこう、女子の部屋に招かれてしまった感じで落ち着かないが、ちょいちょいと手招きされたで席へとりあえず腰掛けさせてもらう。

 

「緑茶と紅茶とコーヒーがありますけど、どれ飲みます?」

「お、おお……。じゃあ、コーヒーで」

「あまいのがいいんですよね?」

 

 どうぞ、と小籠が手渡される。

 中にはミルクとガムシロがたくさん。

 

「お好みで使ってください。さすがにマックスコーヒー並みに使われると困りますけど」

「……なら何個かもらうわ。ありがとさん」

 

 続けて、小洒落たガラスのカップで淹れたてコーヒーが出された。

 一体いくつの私物を持ち込んでいるのかは知らんが、ここまで来るとなんかある意味尊敬しちゃいそう。さすが怖いもの知らずのいろはすである。

 

「じゃあ食べましょっか」

 

 さっそく俺が甘めなミルクコーヒーを作っていると、一色も自分用のコーヒーを用意してこちらへてとてとと近寄ってくる。椅子を引いて座ったのは、どういうわけか俺のお隣。

 なんで……。スペースは広く開いてるんだから、お向かいに座ればいいでしょ……。

 こっちの気をまったく気にせずハミングしながら弁当の包みを広げる一色は、ご機嫌のままに俺の弁当箱に視線を送ってくる。

 

「そいえば先輩、今日は購買のパンじゃないんですね」

 

 俺にとって昼メシといえば、昨日までは購買かコンビニのパンが常だった。基本的に親は忙しいから弁当を作ってくれる余裕はないし、当時小町が通っていた中学校は給食だったから、それでよかったのだ。

 だが、今日からは違う。総武高に入学した小町は、妙に張り切って弁当を自分で用意すると言い出したのだ。理由は単純で『みんなお弁当持ってきてたから小町自分で作るよ。朝ごはん作るついでにできるし』とのこと。

 で、作るなら一人分より二人分のほうが効率もいいからと、たっぷりと愛をこめて俺のためにも作ってくれたのだ。なにそれお兄ちゃん嬉しい小町マジ愛してる。

 

「小町のお手製愛妹弁当だ」

 

 おっと、小町の愛が嬉しすぎてつい頬が綻んでしまった。

 語尾にフヒッとかついてそうでマジやばい。……ついてないよね? いかんいかん。

 

「なんですかそのドヤ顔。っていうかその愛妹弁当って言い回しはさすがにちょっときもち……」

 

 俺の表情を見て呆れたように文句を言いかけ、しかしぴたりと動きも言葉も止める。

 これはもしやあれか、いつものアレ。

 

「はっ! もしかして口説いてますか? これから毎日俺のために愛をこめて弁当作ってくれとかそういう系ですか? 別にどうしても作って欲しいってことなら作ってきてあげてもいいですけど色々と実費がかかるのでそこらへんはちゃんと負担と将来的な関係性を確約してからにしてもらっていいですかごめんなさい!」

「いや、別に小町が作ってくれるから一色には頼まないし……」

「そうですか……」

 

 なぜか残念そうに肩を落として、じっと俺の弁当箱を見つめていた。

 

「え、なに……?」

「いえ、別になんでもないですけど」

「そう……」

 

 もしかして、弁当作りたかったの? まさか手作り弁当で俺から一稼ぎしようとか考えてないよねこの子。

 ちなみにだけど、それなり以上に料理が得意な女子高生(可愛い)が、自分用の弁当を作るついでで男子高校生(ぼっち)に手作り弁当を用意する場合、一食でいくらぐらい徴収できるものだろうか。これって余裕で千円以上いけるんじゃね?

 やだ、いろはすあざといにもほどがある!

「……まあいいです。いただきます」

 

 どうしても俺の弁当の行く先が気になるのか、しょっぱそうに唇を尖らせながら一色は自らの弁当箱を開けた。

 顔を見せたのは鶏・鮭・卵のシンプルな三色そぼろご飯に、ちょこんとケチャップがついたうっすら焦げ目色のウインナー、焼いた白身魚らしき小さな切り身、しっかり汁を切った筑前煮っぽい煮物が少し。

 

「なんか家庭的だな」

「そですか? 自分で作るお弁当ってだいたいこんなもんじゃないですかね」

「けど煮物とかけっこう大変だろ」

 

 小学校高学年の一時期ちょっとやった程度の経験しかない俺には、実際どんなもんなのかよくわからんが、こういう煮物は手間がかかるイメージがある。

 

「まあお魚も筑前煮も昨日の夜に作った残り物ですし、朝は案外それほど大変じゃないですよね。本当に時間がないときとか面倒な時は、てきとーにコンビニ寄ってますけど」

「ほーん……」

「先輩はどんな感じですか?」

 

 意外となんでも器用にこなす一色の万能さに感心する俺をよそに、一色の関心は俺の弁当に向き続けているらしい。早く蓋を開けて見せろと言わんばかりに、視線がじっと弁当箱を貫いている。

 

「そりゃお前、小町の心と愛のこもったザ・手作り弁当って感じのやつに決まってるだろ」

「はぁ……。よくわかりませんけど」

「イメージ的にはアレだ。たこさんウインナーに卵焼き、ミートボール、ふりかけご飯とか、そういう感じのやつだろ。たぶん」

 

 一色に負けず劣らずあざとい小町の性格的に、たぶんそんな感じのもんじゃなかろうかと機体をしながら、いざ、包みのハンカチを解き蓋をぱかっと御開帳。

 ――が。

 

「…………は?」

「……ぷっ。くく……ふひっ」

「え、ちょ、なに。待って。え、なにこれ……」

 

 弁当箱の左側、一面の黒。

 弁当箱の右側、ぎっしりつまった赤い球体。

 

「ふふっ、海苔弁とプチトマトっぐぐっ……。ふひひっ」

「……小町ちゃん? お兄ちゃんになんたる仕打ちなの? 新手のいじめかな?」

 

 半分泣いてます。おかしい。こんなことは許されない。

 や、手抜きとかそういうことじゃなくてね? 別に左側が海苔弁なのはいい。全然問題ない。なんなのこの右側。プチトマトプチトマトプチトマトプチトマトプチトマト!! 俺トマト嫌いなの知ってるよね小町。しかもトマトだけって……。他のおかずは? 酷くない?

「っていうか笑いすぎだから」

「だって、いくらなんでも……はひひっ」

 

 まあわかるけどね。これ他の人の弁当箱の中身がこれだったらそりゃ笑うわ俺だって。

 けど、これ俺の弁当なんだよなぁ。ちっとも笑えないんだよなぁ。

 

「っていうか、それなんですか?」

「ん?」

「そのお弁当箱の下のところ、なんか紙みたいなの」

 

 指摘されて気づく、弁当箱とハンカチの間に挟まった白い紙辺。

 引っ張り抜いて見れば、小町の字で何か書かれている。

 

『これからちゃんとお弁当作ってほしかったら、好き嫌いせずにトマト食べれるようにならなきゃだめだからね』

 

 鬼かよ。母ちゃんかよ。

 

「へー、いい妹さんじゃないですか。トマトは健康にいいですからね、『お兄ちゃん』のことをちゃんと考えてくれてるんですよ」

「考えてくれてるなら、ちゃんと普通の弁当作って欲しいわ……」

 

 いくらなんでもこれ強硬策すぎるでしょ。俺のこれから先毎日の昼飯を人質にトマトを食べろと脅してきているわけだ。ひどい、ひどすぎる小町……。

 

「で、どうしますか。トマト」

「どうするったって……」

 

 ヘタを取ってざっと水洗いしただけにしか見えないトマト軍団。

 あの喉や上顎に張り付きやがる不快な薄皮はそのままだし、中身の酸っぱくて気持ちの悪いじゅるじゅるな汁もたっぷりだろう。

 

「無理」

 

 大嫌いなものを食べるなんて、拷問じゃないんだから。食べるなんて選択肢は当然存在し得ない。トマトは放置で海苔とご飯だけ食うしかないでしょ。物足りないし味気ないけど。

 放課後、奉仕部で顔を合わせたら文句を言ってやろうと心を炎と燃やし、しぶしぶ板海苔に覆われたご飯に箸を突き入れる。いただきますという挨拶すら湧いてこない。いや、これでも弁当を食えるだけ幸せなのかもしれないけども。

 

「……はぁ。しょうがないですね」

 

 しかめっ面で海苔を突いていると、ふと一色が呆れきったように溜息を吐いた。

 なんだよこのやろ、とばかりに見やると、箸でウインナーを一つ掴んで俺の口元へと持ってくる。

 

「え、何?」

「あーんです。あーん」

 

 あ、あーん? えぇー……。なにその羞恥プレイ。

 それわざとなの? それともナチュラルにそういうことやっちゃうの?

「いや、自分で食べれるが……」

「おかずが欲しくばあーんです」

 

 ほう、つまり一色は羞恥プレイと引き換えだというのか。

 ……困る。だって恥ずかしいとかいうレベルじゃないでしょ。顔から火を吹いて死んじゃうかもしれないし。

 けれども、あーんしないとおかずをみすみす逃すことになる。

 ええい、以前だって間接キスのおまけつきで(意図せず)あーんされたんだから、今更意識することでもなかろう。でも気にしちゃうんだよなぁ……。

 

「ほらはやく、手が疲れちゃいます」

「わ、わあったよ……」

 

 疲れるなら俺の海苔弁の上に置いてどうぞ、とは言えず。

 結局恥を忍んでぎこちなくあーんする俺です。

 

「はい、どーぞ」

 

 口にえいっと突っ込まれるウインナー。唇や歯に僅かな時間だけ箸が触れる。

 あー、なんか熱くないですかねこの部屋。特に顔が熱い。なんでかな?

 ……っていうかその箸、これから君も使うんだよね? 大丈夫? 比企谷菌とかたっぷりついちゃってない? いやマジで、口内細菌的な意味で。一応ちゃんと歯は磨いてるけどさ、口内細菌をゼロにすることって不可能らしいじゃん? それ考えたらあれだな、キスとかセックスとかそういう濃厚な身体接触って互いのばい菌を交換しあってるようなもんだよな。やべえな。

 

「こういう感じの、どうですか?」

 

 おっと、うっかり思考が現実から離れてどっかに飛んじゃったわ……。

 こちらの色を伺うように不安げな表情で問いかけてくる声音に引き戻され、ようやくゆっくりと咀嚼をはじめる。

 ほどよく焼けて固くなった皮のパリポリとした食感。じんわりと広がるウインナー特有の塩気とケチャップの酸味が絡み合い、実に美味い。が、結局ただの焼いたウインナーである。

 どういう返事をしようか、ウインナーを飲み込みながら考えてみる。

 まさかウインナーを手作りしたわけでもあるまい。半分に斜め切りして焼いただけじゃないのん? ただのウインナーですねぇ。……という感想も一緒に飲み込んでおく。きっとたぶん『やりなおし』って怒られるからね!

 困った俺の答えはこれである。

 

「このウインナー、シャウエッセンか?」

「違います。やりなおし」

 

 ですよねぇ、知ってました。

 じゃあなんだろう。鎌ヶ谷にファイターズタウンがあることで千葉県民にはおなじみの日本ハムじゃないとすれば、丸大食品かな?

「先に言っときますけど、ウインナーの銘柄を当てるゲームじゃないですからね。ちなみにアルトバイエルンです」

 

 選ばれたのは伊藤ハムでした。

 いや、それは別にどうでもいいか。

 

「……まあ、いい感じに焼けてるんじゃねえの。冷めてるのにちゃんとウインナーらしい味するし、変にバサバサだったり水っぽかったりもしないし」

 

 当たり障りなさそうな言葉を選んで伝える。といっても、ただ単に他にどういった発言をすればいいのかわからんというのもあるが。

 すると一色は、やれやれといわんばかりのジェスチャーでまたも溜息を吐いてみせた。

 

「そうじゃなくてですね……。こういう場合、味の感想は普通に『ああ、美味いぞ』とかでいいんですよ。細かいことは更に聞かれたら言えばいいんです」

「そういうもんなの?」

「そういうもんです。料理評論家とか食レポとかってわけじゃないんですから、最初っからいきなり一から十まで細かく感想を言う必要はないんですよ。ただ『美味しい』って言ってもらえるだけでうれしいもんですし。……まぁソースはわたしですから、全ての人が必ずそうだとは言えませんけど」

 

 常よりもずっと真面目な様子で諭すように連ねられた言葉には、明確な根拠こそなくとも不思議と説得力がある気がした。

 確かに考えてみればそうかもしれない。自分が作った料理が美味しいと言ってもらえたら、よほど捻くれた人間でもない限り、ちょっとくらいは嬉しさを感じるものだろう。もちろん、単に『美味しい』というだけではなく、それこそ『めちゃくちゃ美味い!』とか大喜びしてくれたら一番だろうけれども。

 だから、重要なのは細かい評価じゃなくて一つの言葉だ、というのは理解できる。

 

「っていうか、それもわたしが求めてる感想とは違うんですけどね」

 

 だが、それでも未だ不満そうに一色は唇を尖らせていた。

 

「なんだそれ……」

「ほら、あれですよあれ。『かわいいかわいい後輩の美少女と密室で二人きりのお昼休み、手作り弁当をあーんしてもらう』っていうリア充的な甘々シチュエーションについて、先輩的にはどう思うか。ですかね」

 

 ……これはあれですか。いつぞやのデートの時とかバレンタインイベントの時に聞かれたようなやつですか。

 しかも自分で自分のこと『かわいいかわいい後輩の美少女』とか言っちゃってるしさ。実際かわいいし美少女だから別にいいけど。

 

「いくらなんでも難易度高すぎでしょ、その質問」

「そうですか? 思ってることを言ってくれればいいんですけど」

 

 その思ってることを口に出して言うっていうのが難易度高すぎなんだけど……。

 ただ、まあ。それでも言うなれば。

 

「……あれだな。俺には性に合わん。人種が違いすぎる」

「そですかね。普通にわたしと二人でお出かけしたりお昼休みを過ごしたりできている時点でそれほど人種も違わないというか染まってきたというか、案外こういうのもすぐに慣れちゃうかもですよ?」

「別に染まってないし、それとこれとは違……」

 

 とまで言って、ふと思う。

 染まってなくはないし、それほど違わないかもしれない。……と。

 意外と不思議なもので、気づけばいつの間にやら一色いろはという人間に慣れてしまっていたのは確かなのだ。タイプ的には真逆で、しかも常日頃から俺が最も警戒するキャラクター性の女子であるにも関わらず。

 はじめて一色を目撃したときも、はじめて一色が奉仕部を尋ねてきたときも、俺は内心で散々っぱら警戒し文句を垂れていたはずなのに。

 これまで半年関わってきた中で、それなり以上に互いのことを知ってきたからなのだろうか。……こいつ裏表めちゃくちゃ激しいくせに、けっこう本音というか裏を隠さずに見せてくるしなぁ。そういう意味では、一色のことは『わかる』部分も多分にある気がする。なんとなく程度でもわかることができれば安心もできるし、安心できればそれなり以上の近い距離で接することもできなくはないし。

 それとも、ただ単に一色が俺におどろおどろしい敵意を向けてくることがないからなのか。

 まあなんにせよ、とりあえず慣れとは恐ろしいものである。

 

「違いませんよ。だって、答えはもう出てるじゃないですか。先輩の性格的に、本当にダメならわたしのこと突き放しますよね?」

 

 核心をひと突きするかのごとく、鋭い視線が俺の瞳を捉えていた。

 しかしすぐにその視線は柔らかく変化し、一色は小さく吐息をふふっと漏らすように笑う。

 

「なので、ま、わたしってけっこう先輩から好かれてるんだなーって。嫌われてないってだけでも、全然素直にうれしいですよ」

 

 またこうやって反応に困ることを言い出すんだから、一色には手を焼かされる。

 

「……まあ、別に嫌いじゃないし嫌うつもりもないが」

「そこ、『ああ、大好きだぞ』的な感じで返すところですよ」

「いや言わないから。俺がそんな台詞言ったら気持ち悪いでしょ……」

 

 想像するだけで鳥肌が立っちゃう。気障ったらしい台詞を吐くのは葉山とかああいう連中の役目であって、俺じゃない。

 

「別に気持ち悪いなんて思いませんって。わたしもけっこう先輩のこと大好きですし」

 

 一色はさらりとそんなことを言う。恥ずかしがる素振りもなければ躊躇するように言葉を詰まらせることもなく、気持ちを伝えることがさも当たり前のことだとでもいうように。

 むしろ、面と向かってそんなことを言われた俺のほうがずっとこっ恥ずかしいし、戸惑わされる。

 いや、変な勘違いはしないけどさ。先輩後輩として大好きな関係性ってことだろうけど。この子って常に仮面かぶってるから、素になって色々とぶっちゃけられる相手なんて多くはないだろうし。ただほら、やっぱり可愛い女子から『好き』って言葉を向けられるとね。むずむずするよね。首筋とか目元あたりが。

 

「わたしだけじゃないですよ? 先輩が思っている以上に、先輩って色々な人から気に入られてると思うんですよね。結衣先輩や雪乃先輩、戸塚先輩、小町ちゃんもそうですし、三浦先輩や海老名先輩、川……川……あのちょっと怖い感じの先輩、それに戸部、葉山先輩、副会長たちもきっとそうです」

 

 一色が名前を挙げたその一人ひとりの顔が思い浮かぶ。

 実際に親しいかどうかは別としても、これだけの数の人間と関わり合ったのは事実だ。過去、高校一年の頃までの俺からしたら信じられないことだ。

 時には関係性が悪化しかけたこともあったが、それでもこの一年間継続してきた。好かれていると自信を持てるほどポジティブな思考は持ち合わせちゃないが、良かれ悪かれ多少なりとも気にしてもらっている自覚くらいなら俺にもある。

 

「気に入られてるかどうかは知らんが……。特に三浦と戸部」

 

 っていうかいろはす? いま先輩のことをナチュラルに呼び捨てたよね? 別にいいけど、戸部だし。

 

「ま、そういうことですから、結局のところ先輩って周囲から見ればもうすっかりリア充側の人間になりつつあるんじゃないかなって思うんですよね」

「リア充ねぇ……」

 

 どうなんだろうな、そこらへん。

 ただ女子の知り合いがいて、一緒に飯を食ったり、あーんされたりすることがリア充なのかと問われれば……。うん、あれだな。爆発しろ!

「というわけでリア充側の人間らしく堂々と。はい、あーん」

 

 言葉より実戦とばかりに一色は話を切り上げると、再び箸で自らの弁当箱からおかずをつまみ上げ、俺の口元へと差し出してくる。

 やっぱ、これ、やらなきゃだめ?

「ほら、あーん」

 

 口を開けずにいる俺の唇に押し付けそうな勢いで、一色はぐいっと更に近づける。

 ……あ、あーん。

 

「どうですか?」

 

 ぱくりと口にしたウインナーをもごもごと咀嚼しながら聞いた問いかけは、恐らくさっきの質問のやりなおしということだろう。

 答えかたは既に知っている。教えてもらったばかりなのだから実戦すればいい。だが、教えられた言葉をそのまま言うのも芸がない。

 

「ん。……まあ、こういうのも嫌いじゃない」

 

 言った言葉に、甘すぎだけどな……と付け足して。

 気の利いた言葉をかけてやるだけのコミュニケーション能力はないから、出てくるのはこんなもんだが。

 けれど、一色はこんなもんでも満足してくれたらしい。ふふっと愛らしく微笑んで、秘密めかしてこそこそっと言いやる。

 

「なら、これから大好きになっていきましょうね」

「……くっ! いっそ殺せ!」

「いやいや、どんだけ恥ずかしがってんですか。このくらいそこらのカップルとかなら普通ですよ普通」

 

 わっかんないかなー、この羞恥感。この男心。っていうかカップルじゃないし。

 今日これ家に帰ってから一人で冷静になったらヤバいんじゃないの俺。ベッドの上で発狂しながら転げ回る未来が見える。っていうかもう既に転げ回りたい……。

 

 

     *

 

 

 拷問のような羞恥ランチタイムをなんとか乗り越え、短いようで長かった昼休みも間もなく終わる。

 既に予鈴が鳴ったので、それぞれ教室へ戻ることと相成った。

 ……ああ、そうそう。ちなみにトマトは一色に食べてもらいました。

 

「それで、これからどうするんですか?」

 

 生徒会室から出ようすると、いきなり背後からなんのこっちゃ……。

 唐突に投げられた言葉の意味が理解できず、つい怪訝な顔を向けてしまう。

 

「お昼休みの定位置のことですよ」

「ああ、ベストプレイスか……。あれは確かに困った」

 

 憩いの場を奪われてしまった寂しさ、悲しさ。そして著しい日常生活への支障。

 このままでは昼休みを過ごす場所を完全に失ってしまいそうでまずい。かといって、あそこは俺の専有スペースではないのだから、まさか蹴散らすわけにもいかんし。

 

「明日からも生徒会室使います?」

「いいのか、それ」

「使うなら開けますけど」

 

 言って一色は生徒会室の鍵をブレザーのポケットから出すと、ちゃりちゃり振ってアピールしてみせてから扉を施錠した。

 というかこういう私用で使っちゃっていいのかしら。私物だらけにしても特に咎められてないっぽいから、問題ないのかもしれんけど。

 

「まあ、ここで食べていいっていうなら……」

 

 他にアテもないし、教室で食べるのも辛すぎる。

 奉仕部室で雪ノ下や由比ヶ浜、小町たちと食事をするのも考えようによってはアリかもしれないが、女同士水入らずの時間を邪魔するのもあれだしな。……いろはすもいないだけに水入らずってか。なにそれいじめ? 違うけど。違うよね……?

「じゃあ明日からもここ開けますねー」

 

 うんうんと頷きながら、一色が鍵をぽっけにしまう。小さく首を揺らしながら歌うハミングに、今の機嫌の良さが表われていた。

 

「それじゃ先輩、これからもよろしくです」

 

 ずるいくらいに甘ったるい声音で言い残して、俺の反応も待たずに一色はとてぱたと階段のほうへと走り去ってゆく。

 いたずらっぽい言い回しなのか、それとも素直に俺を受け入れてくれているのか、いまいち判断しかねるが。いずれにせよ、そうやって男心をくすぐって一色いろはという存在を意識させてくるあたり、憎まないけど憎たらしさもある。

 最強の後輩にして、最強のゆるふわJK。

 底なし沼のような一色のペースにすっかり巻き込まれてしまった以上、これから先もうどうあがいても這い出ることなんてできないんじゃないか、と。

 日々日々、そんなかわいい怖さを実感し魅了されつつある気がする、どうも俺でした。

 

 

 

   了。

 




SSと全然関係ないですが、12巻読みました。
いろはす登場シーンが全体に比して少なめなのは残念ですが、これあっかりは仕方がないです。あくまでサブキャラですもんね……。
しかし、その登場シーンがまた濃ゆくて濃ゆくてたっぷり萌えさせていただきました。あざとかわいいところは相変わらずめちゃくちゃ可愛いし、真剣な姿を見せるシーンはかっこいいし。10.5巻に続き、12巻もいろはすの魅力がたっぷり詰まった巻だと思います。八色もいろゆきもあるとおもいます。
まだお手に取っていない方、ぜひ12巻をお読みください。いろはす~。

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