いろはす・あらかると   作:白猫の左手袋

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一色いろはさん、今年も誕生日おめでとうございます。


一色いろは生誕祭2018
――そんな、今年の誕生日。


 

 

 我ながら、ずいぶんと尻の軽い女だと思う。

 ついこの前……クリスマスの頃までは、わたしは毎日のように葉山先輩葉山先輩と口にして憧れのイケメンを追いかけていたくせに、今はせんぱいせんぱいと別の『先輩』を追いかけている。

 軽いかもしれないけど、大好きになったから追いかけている。

 他の誰かに奪われたくはないから、わたしは追いかけている。

 あのひとの周りには素敵な女の子たちがいるから。なんとか追いつきたくて、あの手この手で必死になって。

 けど、奪うもなにも、もともとわたしのものなんかではなくて、なんならわたしのほうが略奪者のような存在で。

 効果があるなんて思ってない。なのに、ほんの少しだけ心のどこかでなにかに期待して。ばかみたいに無駄なアピールをしてみたり、アピールのために葉山先輩や仕事をダシにしてみたり。

 ……効果があるどころか逆効果かもしれないのに、ほかにどうすればいいのかがわからなくて。

 

 誕生日だってそう。

 そんなものに何の意味があるのかわからないけど、つい気にしてもらいたくなって、つい気にしてしまう。

 いつか便乗して無駄アピールしたわたしの誕生日を、あのひとは今も覚えてくれているだろうか。

 今日、あのひとはおめでとうって言ってくれるだろうか。

 忘れ去られていないだろうか……。

 

 そうして今日も不安になって、わたしはいつものように生徒会の手伝いを依頼した。

 

 

「ねえ、先輩」

 

 二人きりの生徒会室で、暖かな陽射しに照らされた大好きな人。その横顔へ、そっと声を掛ける。

 作業の手を止め気だるそうに振り向く姿が、少し憎らしく同時に愛おしい。

 

「……おん?」

「先輩って、どうしていつもわたしのこと手伝ってくれるんですか?」

 

 なんとなく、そんなことを聞いてみる。

 別に理由はなんだっていい。嫌々だったとしても、こうして手伝ってくれて一緒の時間を過ごせることがすごく嬉しい。

 ほんのちょっとでもいいから、一緒の時間になにかを期待していてくれたらいいなって、わたしは密かに期待して。

 ――せんぱいが実際どう思っているかは関係なく。あまりに傲慢で自分勝手。

 

「どうしてって、そりゃ一色が手伝ってくれって頼むからだろ」

 

 ……あたかも、頼まれたら請けるのが当然と言わんばかりに。

 だからわたしは、茶化して問い直す。

 

「別に義務じゃないんですし嫌なら断れるじゃないですかー。けど、なんだかんだで先輩っていつも手伝ってくれますし、実は仕事が大好きだったり?」

「ばっか言え、お前俺が仕事大好き人間に見えるか? 将来の夢はあくまで専業主夫、社畜じみた人間にはならないことが目標だ」

 

 そんなふうにうそぶいて、せんぱいは再び書類整理の手を動かす。

 けれど答えは答えになってなくて、わたしは三たび投げかける。

 

「いつも頼んどいてこんなこと言うのもあれですけど、もし迷惑なのを我慢して手伝ってくれてるんだとしたら、なんか色々と申し訳ないなー……なんて」

 

 その質問に、せんぱいは質問でわたしに返した。

 

「じゃあ逆に聞くが、どうしてお前はいつも俺に仕事を依頼するんだ?」

 

 いつの頃からか自分でもわかんないけど、せんぱいのことを大好きになっていたから。

 ――なんて想いを、じっとわたしを見据えるせんぱいに向けて言葉にする勇気は、いまのわたしにはない。かつて葉山先輩に告ったときの勢いでいまも動ければいいのに、どうしてか、それができないでいる。

 

「まあ、他に依頼できそうな人いませんし」

 

 これは嘘。頼めば下心で手伝ってくれる男子はたくさんいる。

 他に依頼できそうな人がいないんじゃなくて、依頼したい人が先輩以外にいないだけ。

 

「そんなことないだろ。戸部とか便利に使えそうだし、副会長の仕事量を倍増させたって働くだろ。……それに、葉山ならお前が半泣きで頼めば確実にやる」

「確かに、それもそうかもですね。あまり戸部先輩には依頼したくないですけど」

「まあ戸部だしな」

 

 べーべー言いながら動き回る戸部先輩の姿でも想像したのか、せんぱいは苦笑を浮かべる。

 けれども、その表情はすぐに真面目なものへと変わった。

 

「なんつうんだろうな。責任、みたいな感じか」

「責任……? なにがですか?」

「いや一色、お前が言ったんだろうに。責任とってくれって」

 

 思い出すのは、せんぱいの前でみっともなく泣き顔を晒したあの日のモノレールでのできごと。

 確かにわたしは、責任とってくださいって言った。

 ……言ったけど、それがなんだというのだろうか。本物が欲しいという発言を偶然耳にして影響を受けてしまったこと、そのせいで色々とせんぱいのことが気になるようになったこと。それと手伝いは別のはず。

 

「だから一色がもう不要だと言わん限り、俺はお前から頼まれた仕事をできる限り手伝う。それが俺の……一色が俺たちに依頼した『最初の依頼』を達成できなかったことへの責任の取り方だ」

 

 せんぱいへの最初の依頼。

 ――わたしが生徒会長にならないようにしてほしい。

 いつしかすっかり忘れていて、いまでは生徒会長であることが当たり前になっていて、生徒会長としてがんばる姿を見てもらいたいとすら思っていたけど……。このひととの出会いはそれがきっかけだったのだ。

 そしてその依頼は結局、こうして達成されることがなかった。

 

「けど、依頼が達成されなかったのはわたしが取り下げたからですよね。先輩が取る責任なんてなくないですか?」

 

 生徒会長になることのメリットをせんぱいから色々と提示され、わたしはそれに乗っかった。体よく落選する依頼を取り下げて。

 

「……嫌われる覚悟で言う」

 

 ぼそりと、せんぱいはつぶやいた。

 わずかに怯えのような色を濁った瞳に映し、それでもしっかりとわたしを見据えて。

 

「本当はあのとき、俺は一色を利用するつもりだった」

「利用?」

「あの頃の奉仕部は崩壊寸前だった。原因は俺で、俺の言葉が足らないから、俺はあいつらのことがわからないしわかりあえなかった。……それでも、だとしても、俺にとってあの空間はどうしても必要なもので、どうしても守りたい大切なものだった」

 

 せんぱいが言っていることに関して、わたしは詳しいことをまったく知らない。

 ただ、はじめて奉仕部を訪れたときに感じた空気はどこか暗く寒々しいものだったし、その後に接してゆく中で危うそうな雰囲気を感じたことが度々あったのも色濃く記憶している。

 

「そんな中でお前が奉仕部を訪ねてきて、依頼の達成方法を模索するなかで雪ノ下が生徒会長に立候補してしまった。あいつが生徒会長になれば部活は存在し得なくなる。……俺は怖かったんだよ。だから一色に依頼を取り下げさせて生徒会長を押し付ければ、雪ノ下が会長になる必要もなくなって奉仕部も存続できる……。って」

「だから、生徒会長を押し付けた責任を取って手伝ってる、ってことですか?」

 

 つまりせんぱいは、わたしの手伝いを『背負った義務』としてやっていると言うのだろうか。

 だとしたら。

 ……ほんのちょっとくらい、せんぱいも何かを期待してくれていたらいいなって。そんなことを考えていたわたしが憎らしい。これでは負担をかけているだけだ。

 

「いや、そんなものよりもっと最低だな。最初はこうして責任を取るなんて考えてなかったし、選挙が終われば関わり合うこともないと思っていたし。使い捨てじゃないが……、正直悪かったと思ってる」

 

 生徒会役員選挙から数ヶ月を経て、せんぱいはあの時の裏事情を告白し頭を垂れた。

 それでも、どういう理由であれわたしは先輩を非難するつもりはないし嫌うつもりもない。だから、謝られていることが逆につらい。

 

「それ言ったら、わたしだってそうです。最初は『ちょっとムカつく先輩のことを利用してやろう』くらいに思ってましたもん」

「やっぱりな」

 

 ふっと小さくせんぱいが笑う。

 決して笑顔ではなくて、何か疲れたような苦笑を浮かべて。

 

「……けど、いまはもう違いますからね」

 

 いつの間にか止まっていた作業を再開しながら、伝えたいことをせんぱいに。

 全てを伝える勇気はやっぱりないけど。ちょっとだけ、ちょっとづつ。

 

「先輩に依頼したいって思ってるから、わたしは先輩に依頼してるんです」

 

 この意味が届くだろうか。

 女の子が誕生日に、仕事にかこつけて二人きりの時間を強引に作った意味が、せんぱいには届くだろうか。届けばうれしい。

 届かなければ、いまはまだそれでもいい。

 

「そうかい」

 

 いつもと変わらぬ気だるな声でそれだけ呟いて、せんぱいは黙々と作業に戻る。

 届いたかどうかなんてわからない。定かじゃない。

 けど、いまはまたそれでもよかった。

 

 

     *

 

 

 最終下校時間も既に回り、わたしたちは学校を後にする。

 うす暗くなりつつある団地の通りを、駅に向けてゆっくりと歩いた。

 

「今日も助かりましたー。いつもありがとです」

「おう」

「やっぱあれですね、先輩がいると一人力って感じです」

 

 ――なんて、一色いろはらしい甘ったれた声音で冗談めかして感謝の気持ちを伝えてみれば、せんぱいも比企谷八幡らしい捻くれた声音でぼそぼそと返してくれる。

 

「いや待て、百人力じゃないのかよ。っていうか一人になっちゃってるし」

「けど、先輩って一人のほうがお好きですよねー?」

「まあな」

 

 何が嬉しいのか、一人が好きという言葉にドヤ顔。

 ちょっと滑稽で、どこかちょっと憎らしくて、それでもやっぱりせんぱいのことは憎めない。

 こんなやりとりがいつまでもできればいいのに……なんて、考えることはそんなことばかり。

 

「けどまあ、一色にこき使われるのも案外悪くはない」

「なんですかそれ」

 

 こき使うって……。さすがにそこまで悪い扱いはしてないよね?

 え、してる? してるかも。やっぱり申し訳なくて、内心でせんぱいに頭を下げる。

 

「なんですかって、ほれ。さっきのことだよ」

 

 せんぱいはわたしの視線から顔を逸らすように、陽光で朱く染まったマリピの建物を見上げてぼそぼそと小さな声で続ける。

 

「……俺も、一色だから手伝ってる。今はもう責任とかそういうんじゃなくてな」

「それって……」

「なんも不安に思ったり遠慮したりする必要はねえよ。頼みたいことがあったら俺に頼めばいいし、連れ回したい用事があるなら連れ回しゃいい。正式な生徒会の仕事でもプライベートな買い物の荷物持ちでもなんでも、一色の思う存分働いてやる」

 

 どうしてそこまで言ってくれるのか、わたしにはわからない。

 せんぱいもわたしのことを想ってくれているのだとしたら――なんていうのは都合良すぎるわたしの身勝手な解釈で、けれどそれ以外の理由なんて想像もつかなくて、しかしそんな都合のいいことがあっていいはずがなくて。

 

「だから、まぁ。今後も一色が俺に頼みたいって思うんなら、これからも俺に好きなだけ頼め。本来なら小町にしか行使させないところだが、特別に一色にも権利をやるよ」

 

 照れくさそうに「誕生日だしな」と付け加えて。

 今度こそ、わたしはその意味を自分の都合がいいように解釈して、大好きなせんぱいからのプレゼントとして受け取って。

 

 これからも、一緒に並んで歩ければいいなと思った。

 ――そんな、今年の誕生日。

 

 




いろはすもお年頃の女の子ですもの。
色々なことが不安になったり、色々なことに期待してみたり、ちょっとしたことで嬉しくなったり落ち込んだり。そんなことがあるものです。
きっと。たぶん。知らんけど。

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