翌朝、3階の階段にて。
「準備は良いか?高凪」
シャベルを頭の上で器用に回転させ、構える。そんな恵飛須沢先輩の流れるような仕草は見事なものだった。よっぽどシャベルを使い込んで無い限りはそんなこと出来ないだろう。
「……大丈夫ですよ」
一方の私に武器はない。今までは素手か消火器で戦ってきたし、これからもそうなると思う。
「2人とも、気を付けてね」
頬に手を当てながら、若狭先輩がそう言った。
「分かってるって。もし危なくなったら逃げるさ」
恵飛須沢先輩の笑みに安心したのか、若狭先輩は少しだけ強ばった顔を柔らかくした。
「せんぱいっ!まけちゃダメっすよ!」
視線を下ろすと、そこには両手でガッツポーズを作った引馬がいる。
「あぁ。負けねぇよ」
私が引馬の頭を撫でると、引馬は目を細めて気持ち良さそうにしている。
直樹は丈槍先輩の足止めをしてくれているからここには居ない。圭は……太郎丸を抱えたまま、資料室からは出ていないようだ。
「それじゃあ、行ってくる」
恵飛須沢先輩は軽く敬礼すると、階段を下りていく。私もそれを追って行った。
もし、もしも無事に戻れたなら。まずは圭に昨日の事を謝ろう。
……行ってしまった。渚を、引き留めることが出来なかった。
私と太郎丸以外この部屋には居ない。私は太郎丸を抱き締める。
「わ……わふっ」
力を込めすぎたのか、太郎丸が苦しげな表情を浮かべたので手を離すと、太郎丸はドアを開けて部屋を出ていってしまった。
「……え?」
犬が、前足で、ドアを開ける。何度か頭の中で復唱する。……そしてその事については考えないことにした。
「……渚」
その声は誰にも届かない。私の声を聞く人は居ない。
初めて会った時は、彼女の事が怖かった。静かに獲物を見定めるような視線が。でもそれは勘違いだった。彼女は、不器用なだけでいい子なんだ。私は何度も渚に助けられた。そんな彼女が私の事を名前で呼んでくれた時、少し嬉しかったんだ。嬉しさを噛み締められる状況では無かったけど。
「帰って……来てくれるよね」
そして、ちゃんと謝らなきゃ。昨日の事を。そしてゆっくりでも良いから、自分の事を大切にしてもらうようにしよう。
「行くぞっ、高凪っ!」
「はいっ、先輩!」
今日はやけにあいつらが多い。外は雨。こいつらは雨宿りでもしているつもりなのだろうか。
私はあいつらの群れの中に突っ込むと、鞭の様にしならせた回し蹴りであいつらの動きを抑える。この1発では殺しきれない。そしてあいつらの注意は私に向く。
「おらぁぁっ!」
そこに恵飛須沢先輩が、シャベルを使って各個撃破していく。私は掴みかかってくるゾンビの腕を受け流しながら、殺せそうなものは殺していく。素手でも、力を込めて頭を殴れば殺すことは出来る。……脳漿や血液が腕につくからあんまりやりたくはないが。
「結構やるじゃん」
「先輩も……シャベルの腕前、見事ですよ」
私がそう言うと、恵飛須沢先輩は嬉しそうに頭をかいた。
「マジ?そうか?」
そんなやり取りをしつつ、1階、機械室の制圧を完了した。
「へー……こんなところに、なぁ」
恵飛須沢先輩が周囲を見回しながらそう言った。地下室への入り口は、生徒手帳には書かれていない。完全に隠蔽されていた場所のようだ。
「立派なもんだな……」
シャッターや、それを操作するのであろう機械を見ながらそう呟く。これはもしかしたら、駅の避難所よりも良い設備があるかもしれない。
シャッターには机が挟まれており、閉まらないようになっている。誰かが地下に入っていったのだろうか。……もしかしたら、まだ見ぬ生存者が居たり……は、流石に無いだろう。1ヶ月も同じ建物にいたら、いつかは鉢合わせしたっておかしくない。
「よし、行くぞ」
「はい」
ピチャン、と水の音が聞こえる。もしかしたら、雨水とかが漏れているのかもしれない。
かがんでシャッターを潜り抜け、まだ見ぬエリアへ。辺りは暗くて良く見えない。だが1階から来る明かりを頼りに目を凝らすと、奥の方に人影が居るのがわかった。
「ちっ、あいつらがいるのか……?」
ふらふらとした動きはあいつらのものに違いない。だけど、そいつが何者かは良くわからなかった。辛うじてスカートのような服装から女性であることが分かる。
私達は互いに頷くと、ゆっくりと、息を殺してそのゾンビへと近づいていく。
そして、殴り掛かろうとしたその時。
「「――っ!?」」
私達の足が止まる。
『高凪さん』
そんな幻聴が聞こえる。
その髪、服、十字架のアクセサリ。
忘れやしない。私の、ただ一人の恩師。
「そんな、何で……」
先生が、ここにいるんだ。
私の思考は、目の前の光景に追い付かなかった。まるで金縛りにあっているかのように動けない。
「何でだよ……」
私じゃない声。
「何でなんだよぉっ!?」
恵飛須沢先輩は走り出す。そして『佐倉先生』を殺すために、シャベルを大上段に構えた。
その凶器が降り下ろされ、脳漿や血液が飛び散る……事は無かった。先輩の動きは止まっている。あれじゃあ、先輩まで……!
「っ!動けっ!動けよっ!」
少しずつだが、体が言うことを聞いてくれた足は震えて、立っているのが限界だ。きっと今の私は生まれたての小鹿に見えただろう。
そう、私は餌だ。私ならいくら噛まれたって構わない。もう感染することなんて無いのだから。
「先輩っ!」
先輩の腕を右腕で掴み、後ろへ投げ飛ばす。
「ぁ……」
先輩の瞳は驚愕の色に染まる。
「ギギギギギギギギ」
そして、私の左腕を噛まれる。痛みは無かった。ほら、何の影響もない。ダメージだって、受けてない。
「――」
筈だったのに。
「……っ」
私は膝から崩れ落ちる。苦しい、息が……出来ない。
「――」
周囲の音が遠くに聞こえる。先輩が、こっちに来て、私を支えて……?
ダメだ。分からない。あのときの様な何かに溶けていく感覚とは違う、純粋な苦しみ。
「――」
心配そうな恵飛須沢先輩の顔。そしてすぐに、視界がブラックアウトした。
……あれから、結構な時間が過ぎた。まだ2人は帰ってきていない。
「けいおねーちゃん。せんぱいはきっと、大丈夫っす」
理千亜ちゃんはさっきから、元気の無い私を励ましていてくれた。太郎丸も、私の足元から離れないでいてくれている。
「そう、だよね」
大丈夫。きっと、そうに決まってる。だって渚は私にとってヒーローなんだ。前に美紀と見に行った映画でも言っていた。ヒーローは負けないんだ。だから――。
ダンッ!
勢い良くドアを開く音。部室にいた学園生活部の皆は、何事かとドアへ目を向ける。
「くるみ……!?」
悠里先輩が驚愕の声をあげた。
そこにいたのは胡桃先輩と、彼女に支えられている渚。包帯の巻かれた左腕から、紅い液体が流れている。
「渚っ!?」
私は彼女に駆け寄る。彼女からの返事はない。相当弱っているのだろうか。渚は大量の汗を流していて、足元が定まらないのかフラフラしている。
「ミスった……」
胡桃先輩は苦々しげに呟いた。
お読みいただきありがとうございます。だいぶオリジナル展開が入ってきた18話です。
~次回予告~
やめて!めぐねぇのウイルスで、渚が彼らになったら、サバイバル生活で渚と仲良くなった圭の精神まで崩壊しちゃう!
お願い、死なないで渚!あんたが今ここで彼らになったら、圭との約束はどうなっちゃうの? 希望はまだ残ってる。地下の薬さえあれば、ウイルスに勝てるんだから!
次回「渚死す」。消火器スタンバイ!
次回予告の内容は真に受けないでくださいね。
……後書きって、ちょっとなら遊んで良い場所だと思うんです。
ではでは。