「……さて、ここから脱出しようか」
最初に口を開いたのは網手だった。
「……なぁ、これから巡ヶ丘学院高校に行くんだよな。道わかる奴居るか?」
私は普段からこんな場所に来る訳じゃない。分かることは分かるが……それが正しい道である保証は無い。
「学校からここまでの道なら分かるよ。美紀と何回も来たんだもん」
「さすがおねーちゃんっす!」
「よし、そんなら圭に道案内をお願いするよ」
「任せて!バンバン案内しちゃうから!」
そう言って圭は得意気に胸を叩いた。
「それじゃあ、行くぞ」
私はこっそりとドアを開け、周囲を探る。相変わらず暗い廊下だ。幸いにもさっきまで居たゾンビの気配は感じない。私は懐中電灯をつけ、周囲を照らす。……反応は、無い。
「よし」
私、引馬、圭、網手の順番で廊下を進んでいく。しばらく進むと、懐中電灯は要らない程には明かりのある場所にたどり着く。1階の広場に面した部分だ。
私は懐中電灯を消す。ここから先はエスカレーターを降りて行けば良いだろう。勿論歩いて行くのだが。
当然の事だが動かないエスカレーターなんて慣れてはいない。何度も転びそうになりながら、2階まで降りてきた。
「ァァァア……」
「ガ……ギ……」
ゾンビ達の呻き声も、大きくなっていく。でも、まだ気付かれては居ないし、そのつもりも無かった。
「っ、きゃあっ!?」
圭が怪我した足でつまづき、エスカレーターを転がり落ちてくるまでは。
「っ圭!」
私の身体は考えるより先に飛び出し、圭の下敷きになっていた。幸い圭の体重はそこまで重くなかった様で、体の中から嫌な音がするだけで済んだ。
「なぎ、さっ、ごめんっ、足が……」
「気にすんな。でも……」
周囲を見渡す。あいつらの濁った視線が私達に集まるのを感じる。
「ギギギギギギギギ」
くそっ、気付かれたか……!
「引馬、走れるか?」
「う、うんっ!」
「網手っ、引馬を頼む!」
私は一番近いゾンビの頭に蹴りを入れ、吹き飛ばす。そしてすぐに圭を背負うと、1階へ向けて走り出した。
あいつらの足は速くない。転んだりしなければ引馬でも逃げ切れる筈だ。
私と圭は先にモールを出る。私は圭を車の中に座らせた。
「圭、ちょっと待っててくれよ」
「ごめんね。渚……私、足引っ張ってばっかりだよね……」
「……私はさ、お前が居るから頑張れるんだよ」
ただそれだけ言い残し、車の周辺にあいつらが居ないのを確認してから私はもう一度モールに入っていく。
「ギギギギッ」
中では、引馬と網手があいつらに囲まれていた。引馬が転んでしまったのかもしれない。彼女の手には雑誌か握られている。
私は大きく息を吸うと、ありったけの声で叫んだ。
「こっちにかかって来いよ腰抜け共ッ!!」
喉が痛い。これはしばらく痛みが続きそうだ。でも、あいつらの注意は私に向いてくれた。
ゆっくりとした動きで近づいてくるあいつらを1人ずつ潰していく。
腹を、頭を。とにかく蹴りやすい位置にあるものは蹴った。ただでさえ返り血を浴びていた私のジャージは殆んどがドス黒く染まっていた。
「大丈夫か?お前ら」
「あぁ。高凪さんのお陰でね」
「わ、わたしがころんじゃったから」
引馬は申し訳なさそうに縮こまっていた。
「大したことねーよ」
私はそういうと、引馬の手を引いて起き上がらせる。しかし。
「ガァッ!!」
あいつらの声。
しまった――。
声も出ない。うち漏らしがあったのか!?ゾンビが1人、引馬に向かって噛みついてくる。
「ッ!」
私は引馬の手を引き、私の身体を差し出す。私なら、いくら噛まれたって構わないんだ。だけど、彼女は噛まれる訳にはいかない。
「高凪さん!」
強い衝撃。私と引馬は網手に突き飛ばされていた。
「網手っ!?」
「これが、いざというときって言うのかな?」
網手がゾンビに掴まれる。この距離じゃ、助けようとしても間に合わない。
「なんで、お前――」
「逃げるんだ!高凪さんっ!」
「……悪ぃ」
私は引馬を抱え、走り出す。後ろで小さな呻き声が聞こえる。私は、振り向かなかった。
「行くぞ、圭っ」
「渚っ!?網手さんは!?」
「……私が、殺したんだ」
車の運転なんかやったことはない。けれどゲームセンターにあったレーシングゲームの記憶を頼りに運転してみる。
「渚が殺したって、どういう……」
「私があいつらを殺しそびれた。それで、あいつはうち漏らした奴に噛まれた。それだけだよ」
もっと注意しておくべきだった。しっかりと止めを刺しておくべきだった。
「渚……」
「圭、道案内してくれ。学校に行くんだろ?」
圭に言葉をかけられる前に、彼女の言葉に被せるように言う。そうしないと、気をそらさないと、私は罪悪感に押し潰されそうになる。
網手が死んだのは圭が転んだから。圭が転んだのは彼女が足を怪我していたから。彼女に怪我をさせたのは……私が作ったバリケードだ。
「……うん。次の信号を右に曲がって」
「……わかった」
引馬は何も言わず、ただ助手席で俯いていた。
少しだけ圭の指示通りに走ってきたが、モールを脱出した時点で夕方だった空はだいぶ暗くなってきた。街灯の無い暗闇の中、無免許で運転すればどうなるかは想像に難くない。私達は路肩に車を止め、一泊することにした。
「それじゃ、私は外で見張っておくよ」
そう言って車から出ようとする私の袖を、圭が掴んだ。
「……渚。無理はしないで」
「……無理なんか、してないよ」
目を会わせられない。図星だった。
私の身体は疲労感に包まれている。頭が痛くて、瞼が重い。
「嘘つき」
それでも、寝ている間に発症して2人を襲ってしまうよりは良い。私は2人を学校まで連れていかなきゃ行けないんだ。
「嘘なんてついてねーよ」
私は嘘つきだ。この腕も、本心も。私は道徳の授業が嫌いだ。だから、これからも嘘をつく。
「お前らは安心して寝てろ。明日には学校につくだろ?」
「……お願い、渚。無理しないでよ」
圭が私の肩を掴む。放したくないと言う意志の表れか、その手に込められた力は肩だけでなく心にも痛みを及ぼす。
「圭は引馬を見ててくれ。……大丈夫だよ。別に交戦しようって訳じゃない。あいつらに気付かれたらお前達を起こすだけだよ」
私はそれだけ言うと、車に近い一軒家の壁をよじ登り、ボンネットの上に座る。
「何かあったら呼んでくれ。私はここに居るから」
「……渚」
「何だよ?」
圭はムスッとした表情で私を見上げると、さも怒ってますよと言いたげに腕を組んで言った。
「明日は、私が運転するからね」
「……わかったよ。よろしく頼む」
その返事に満足したのか、圭は車の中に戻っていった。
町は暗く静まり返っている。繁華街に近い私の家周辺は深夜でもネオンの明かりが途切れなかったが、この辺りは普段どうだったのだろう。
パッと周囲を見渡してみる。あいつらはそんなに多くなかった。所々街灯のあった所で群がっている。明かりはついてないのに、どうして集まっているのだろうか。
「……酔っ払い?」
漫画とかテレビとかで見たことある気がする。よく酔っ払ったおっさんが街灯の下でダウンしている光景だ。
「……バカらしい」
過酷な状況におかれるとヒトはおかしくなるのだろう。まさかそんな使い古されたテンプレートが現実にあるわけ無い。最近のチンピラにリーゼントが少ないのと同じだ。まさかゾンビが酒を飲むわけも無いだろう。
私はボンネットの上で寝転がる。暗い空には、普段は地上の明かりに遮られて見えない星の明かりが広がっている。
私は星空へ向けてを伸ばす。星に手が届きそうな、なんて表現はよく聞くけど、今の私の心情はまさにそうだった。
試しに伸ばした手のひらを握ってみる。当然、私の手は虚空を掴む。
「……はぁ」
さっきよりも頭痛が酷い。病的な頭痛じゃなくて、徹夜した後の様な頭痛が私を襲っている。でもまだ、少なくとも明日までは寝るわけには行かない。
暗闇に目が慣れてきたのか、月や星の明かりだけで周囲がはっきりと見えるようにはなった。
「……ヒマだ」
私はそう呟いて、引馬がつまづいた雑誌を持ってきていた事に気付いた。
ゾンビから注意がそれるのは危ないけど、寝ないようにする方が大切だ。私はそう納得すると、一旦車のボンネットから降りて、引馬の手から雑誌をもらってもとの位置に戻った。
明かりがないからはっきりとは見えないが、何とか目を凝らして読んでみる。
月刊現在 ■月号。
それが雑誌のタイトルだった。有名人や大企業のスキャンダルをよくスクープしてくる雑誌だ。ニュースでもたまに見る。表紙を飾るのは大きく書かれたアイドルの熱愛報道や人気お笑いグループの解散の文字。その中で私は、とある記事に興味を持った。
『某大企業に違法薬物取引の疑いが!?』
表紙に書かれたページを開くと、そこにはとある大企業の名前が挙げられていた。その会社は、巡ヶ丘市に住む人なら誰でも知っているだろう。――ランダルコーポレーション。
「……へぇ」
ランダルコーポレーションといえばこの辺のコンビニやモール、学校までも傘下に置く大企業だ。そんな会社が、ねぇ。
記事を読み進めていく。どうやら下部組織となる研究所が勝手に取り引きをした疑いが掛けられているようだ。
そして私は、この雑誌を手に取ったことを後悔することになる。
違法薬物の取り引きをした疑いがある研究所の名前は。
「……七草生体研究所……?」
無免許での運転は犯罪です。この作品に犯罪行為を助長する意図はありません。
さて、毎回お読みいただきありがとうございます。11話です。シリアス続きだったかんせんぐらし?ですが、学校到着後はほんわかゆるゆる殺戮ライフが始まります。
また月明かりじゃ雑誌なんて読めねーよと思われるかもしれませんが、そこは小説ってことでどうにか……。
それでは次回、またお会いできれば嬉しいです。
ではでは。