分岐点 こんごうの物語   作:スカルルーキー

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話の時計は少し戻る。




65 タロア島強襲作戦1

こんごうと岡少尉がマジュロ島へ上陸した日の朝、こんごうとマオが決闘をしている頃。

戦艦三笠率いる水雷戦隊と戦艦金剛、そして榛名は現在の日本軍の最東拠点であるポンペイ島へと到着していた。

中心地であるコロニアの沖に先に到着していた戦艦比叡、霧島。

元中佐率いる給油艦2隻。そしてなぜか工作艦明石が待機していた。

戦艦比叡を起点に次々周囲へ投錨する帰還部隊。

 

投錨を終えた駆逐艦涼風の横に、直ぐに工作艦明石が横づけされた。

「意外と軽傷ね」

艦娘明石は、接舷を終え駆逐艦涼風に乗り移ると開口一番そう声を上げた。

「へへ、やっちゃいました」と照れ笑いしながら明石を迎える涼風。

涼風副長以下の幹部が整列して明石を迎えた。

明石は涼風を連れ、被弾した後部砲塔回りを見た。

「う~ん、台座のベアリングに破片が食い込んでいるのが致命傷かしら」

「はい、明石さん。直撃弾でしたけど、射角が浅かったのが幸いしたようです」

明石はじっと被弾個所を見たあとお伴に付いてきた明石工廠長妖精へ向い一言。

 

「8時間」

 

すると工廠長妖精は、

「そこは、12時間と言ってください。艦長」

明石は、両手を腰に当てて、

「この程度の修理は想定内です。砲自体は無傷なんですから」

「厳しいですね」と工廠長妖精がいうと、明石は

「あの方なら、“こんな物はつばでもつけておればよい”とかいって6時間で終わらせます!」

明石は続いて、

「今は戦時です。完璧な修理は無理でも戦闘に支障のない修理なら8時間で出来ます。明日の朝には出撃です。涼風さん達の戦闘はこれからですが、私達の戦いはこの瞬間からです! 明日早朝の出撃までに砲を使えるようにしなさい!」

「はっ! 直ちに!!」工廠長妖精は姿勢を正し敬礼すると、即座に行動に移った。

工廠長妖精の号令の下、工作艦明石より多数の工廠妖精が駆逐艦涼風に移乗し、後部砲塔の修理を開始した。

ドタバタと甲板上を動き回る明石の工廠妖精達。

それを手伝う涼風の水兵妖精達

あっという間に、明石の工廠妖精達により、後部砲塔の本体を持ち上げる作業が開始された。

明石の後部電動デリックが、ゆっくりと動き、後部砲塔へと近づく

その作業をみながら明石は

「明日の出撃までにはキッチリ修理してみせるから任せて」

その言葉を聞いた涼風はキョトンとして

「えっ、明石さん。今の出撃ってどういう事です?」

「あら、聞いてない?」

それを聞いた涼風は顔をぶんぶんと振り

「全然です」

すると明石は、近くに停泊する戦艦金剛を指さして

「涼風さん達は、金剛さんのお伴で、敵の本拠地に夜撃ちだそうよ」

それを聞いた涼風は、ニンマリとして

「夜戦か、だったら涼風の本気を見せたげる! やります!」とぐっと拳を握った。

 

その頃、戦艦金剛には、燃料の補給を受けるべく接舷された油槽艦から幾つもの給油ホースが繋がれていた。

その金剛の舷側のラッタルをゆっくりと昇る一人の男性

杖を突きながら、ラッタルを登りきった先に待っていたのは、満面の笑みを浮かべた艦娘金剛であった。

姿勢を正し、男性に向いしっかりと敬礼し

「中佐! 敵重巡艦隊! 蹴散らして来たヨ!」

元中佐も、答礼して、右手でそっと金剛の頭をなでると

「聞いたぞ、夜間の電探射撃で敵艦隊の動きを封じたそうだな」

「へへへ」と珍しくデレデレな顔をする金剛

まるで飼い主にあやされる子猫である。

元中佐は金剛の後に立つ榛名を見ると

「榛名もご苦労だったな」

「いえ、中佐。私はお姉さまについてゆくのが精一杯でした」

その榛名の横では、デレデレな金剛を見た比叡が

「ううう」と唸り声を揚げていた。

その比叡を

「どうどう!!」とあやす霧島

 

何となく明るい雰囲気ではあるが、他の海軍軍人が見れば少し怪訝な顔をしたかもしれない。

階級の上の金剛が予備役とはいえ下位の元中佐に敬礼しているからだ。

金剛は現在 第一艦隊第三戦隊を指揮する艦娘であり、階級は大佐である。

これは艦隊旗艦の艦娘や長年各分野において著しい功績のあった艦娘に与えられる階級である。

パラオ泊地で言えば、由良は旗艦であり秘書艦でもある故、大佐。

同じく長年空母艦娘の育成に貢献のあった鳳翔も大佐である。

しかし、艦娘にとって階級はあくまで飾り程度であり、艦隊の編成によっては下位の階級の艦娘の指揮下に入る事もある。

それに元々、元中佐が三戦隊の指揮を執っていた頃には既に金剛は今までの功績により大佐であったが、指揮権はなく、あくまで旗艦兼秘書艦という立ち位置であった。

これには、艦娘誕生以来の不文律があった。

「艦隊指揮の責任は、軍人が取る」である。

艦霊を宿した女性に、作戦が失敗した際の指揮の責任を取らせてしまうと、艦ごと処罰する事になる、それでは艦隊はなりゆかない。

そもそも 艦霊を宿した女性を戦場に立たせるというだけでも、軍人としては考えものである所に、責任までとれとは言えない。

彼女達の海神の使い、それ以前に守るべき存在なのである。

 

そこで大きな作戦では必ず指揮官という名目で軍人を乗艦させ作戦指揮を執っていた。

海軍内部の暗黙の了解で、作戦成功時の功績は艦娘に、失敗した時は指揮官が責任を取る事となっていた。

第三戦隊の金剛のように艦娘自身が指揮を執る運用は例外であった。

(表向きは、三笠も山本の指揮下という事であったが、実体は、逆である)

それ故に艦隊指揮をとる指揮官、泊地の提督と艦娘との信頼関係は重要な要素であった。

艦娘との結婚(カリ)とは、指揮官と艦娘の絆の強さを表す代名詞であり、そうおいそれとは出来ないのである。

 

笑顔の金剛と元中佐を囲み、会話の弾む舷門であったが、そんな雰囲気を一変させる事態が起こった。

金剛副長が慌てながら電文を持って走ってきた。

「かっ! 艦長!!!」

息を切らせ慌てながら金剛の元へ駆け寄る副長。

敬礼するのも忘れて、電文を金剛へ差し出し、

「先程、マジュロ島へ派遣された自衛隊艦隊の通信を傍受しました! こんごうさんが敵の砲撃に巻き込まれたようです」

それを聞いた瞬間、金剛は電文を副長の手から奪い取った!

両目を見開き電文を読む

そこには、“マジュロ島へ上陸したこんごうを含む数人が敵軽巡部隊の艦砲砲撃に巻き込まれた”と記載されていた。

「ウソです!」とそう言うと、咄嗟に服の中の内ポケットに入れてあったタブレット端末を取り出して、こんごうへ音声回線を開こうとしたが、中々回線がつながらない。

「どうして、繋がらないノデス!!」

焦る金剛

すると副長が

「艦長! 落ち着いてください! こんごうさん達は現在作戦行動中です! デジタル通信回線も制約されています!」

「解っているネ!!」焦る金剛

 

「金剛!!」

 

元中佐の、厳しい声甲板に響く

その声に、はっとする金剛

「Sorryネ、中佐」

金剛は少し落ち着きを取り戻したが、まだオロオロとしていた。

元中佐は、

「副長、マジュロはまだ作戦続行中なんだな」

「はい、中佐殿」

「副長、元だよ元中佐だ」

「はあ」と困り顔の副長

元中佐は、金剛を見て

「向こうの作戦を中止していないという事は、こんごう君は無事という事だ」

「でも、中佐」と金剛は不安そうな顔をしたが、

元中佐は、そっと金剛の肩を叩くと

「案じても、今ここで出来る事はない」そう強く言うと

「信じろ彼女を。お前の意志を継ぐものだぞ」

「ウン」元気なく答える金剛

「それに向こうには、ひえい君やあかし君もいる。岡少尉も一緒という事だ、大丈夫だ」

そう力強く声を掛けた。

頷く金剛

元中佐は

「そろそろ時間だ。三笠様をお待たせする訳にいかんぞ」

そう言うと、金剛達を従え、直ぐ近くに停泊する戦艦三笠へと向かった。

 

戦艦三笠の作戦士官室には、軽巡五十鈴、駆逐艦白露、時雨、五月雨、涼風。

パラオ泊地艦隊 空母瑞鳳に駆逐艦陽炎に長波、そして秋月

そして工作艦の明石が既に着席していた。

「三笠様。遅れまして申し訳ございません」

士官室に入ると 元中佐は開口一番に三笠へ声を掛けた

「いや、構わぬ。儂らも今揃ったところじゃ」

三笠は気さくに答えたが、少し目を赤くした金剛を見ると、手招きした。

そっと三笠の元へ寄る艦娘金剛

席に着いたまま、じっと金剛の顔を見る三笠

赤く腫れた目を見て、

“次元は違えど、実の孫娘じゃからの、致し方ないかの”と思いながら

「のう金剛」

「はい、三笠様」

三笠は、そっと

「心配せずともよい。あの娘子には海神の御加護がある。敵の軽巡の5インチ砲などかすりもせぬわ」

「しかし、地上で砲撃されたと」金剛はおずおずと聞いたが、

「お主はあの子の力を見ておろう。その眼を疑うか?」

「そっ、それは」答えに詰まる金剛

「それにのう金剛。もし仮に彼女に何かあれば 同じ“金剛”の艦魂“を持つお主が何も感じない訳がなかろう。お主が何も感じておらんという事は、問題ないということじゃ」

それを聞いた金剛は、

「はい」と静かに返事をして席についた。

 

金剛が席に着くと、三笠は居並ぶ皆へ向い

「さて、先般は敵仮設航空基地の破壊、そして敵重巡艦隊の撃破と大変ご苦労であった。当初の作戦をほぼ完全な形で遂行できた事大変うれしく思う」

一同頷くと三笠は続けて

「パラオ艦隊には、初戦の敵潜水艦部隊の殲滅、ヌ級軽空母艦隊の撃破、並び仮設航空基地空爆掩護と縦横無尽の活躍。深く感謝する」

パラオ泊地提督は

「いえ、三笠様。これも特務艦隊の支援あっての事。真に貢献したのは彼女達です」

「うむ」深く頷く三笠

本来なら 自衛隊艦隊の功績を称えたい所ではあるが、五十鈴達がいる手前、ある程度話を誤魔化した。

三笠は、その五十鈴達を見て

「五十鈴以下の部隊も、夜間の水雷戦ご苦労であった。成果は予想を遥かに上回る。金剛、榛名も日頃の訓練成果をいかんなく発揮して遠距離砲戦 見事であった」

「はい」返事をする榛名

しかし、金剛は少し他の事が気になるのか、頷くだけであった。

三笠は、

「涼風、船体の損傷状況は?」

それには、同席した艦娘明石が

「それは 私の方からご報告させていただきます。後部12.7cm連装砲の台座付近に敵艦の砲弾が着弾しました。幸い射角が浅かった為、艦内や砲本体への被害はありませんが、砲塔旋回可動部の一部が変形して旋回に支障をきたしております、損害判定は小破です」

すると、三笠はニコッとして

「あ奴なら、“つばでもつけておけば直る”という程度じゃな」

「はは、まあそう言う事です」明石も笑いながら答えた。

「で、どの程度で動ける」

「キッチリ8時間で仕上げます」明石はしっかりと答えた。

「他の者は?」と三笠が聞くと明石は

「はい、現在工廠妖精達が各艦へ出向き調査中ですが、戦闘に支障になる損害はありません」と明石は答えながら、一枚の紙を取り、

「え〜、まずパラオ艦隊の瑞鳳は 機関付近に雷撃を受け、浸水他 損害判定中破。陽炎、長波も敵航空攻撃により船体の上部兵装に損害多数 判定小破。次に重巡艦隊を迎撃した金剛、榛名については、砲撃戦により、至近弾多数。浸水区画ありで小破。五十鈴は敵リ級よりの砲撃により小破、白露以下の駆逐艦についても砲撃戦により損害多数。という事でよろしいですか?」

三笠は、不敵な笑みを浮かべ

「よかろう、それだけ被害が出れば、暫くは此処で動けまい」

「では、その様に聯合艦隊司令部および本土に報告いたします」

明石はそう答え席へ着いた

その話を聞いた五十鈴は

「あの、三笠様。五十鈴を始め、水雷戦隊はほぼ無傷ですが、これは一体どういう事でしょうか?」

それには、パラオ泊地提督が

「偽装工作ですか、三笠様」

「偽装工作?」五十鈴達が顔を見合わせると三笠は、

「皆は先の戦闘で、各艦損害多数、作戦行動に支障が出た為、この地にて明石により暫し修理作業にはいる。という事にしておく」

「はあ~?」一斉に白露達から声が上がった。

三笠が軽く右手をあげると、白露達も私語を止め、一斉に三笠を見た

「作戦海図を」三笠が言うと、士官室付きの水兵妖精が、大き目の海図を一枚、テーブル上に広げた。

「金剛! 説明せよ」三笠の鋭い声がかかった。

それを聞いた金剛は、静かに席を立つと、テーブル上に置いてあった指揮棒をとり、

「さて、これからが私達の本番ネ!!」と元気に声を出した。

続けて

「私達 第三戦隊と五十鈴達水雷戦隊で臨時編成の“第四遊撃隊”を編成します!」

「第四遊撃隊!!」一斉に五十鈴達から声が上がった。

金剛は元気に、指揮棒である一点を指した

「そして私達攻撃目標は此処ネ!!」

その一点を見て声を失う五十鈴達

「うそ! そこは」

唸るように五十鈴が声を出した。

 

「そう、敵の本拠地の飛行場じゃ!」

三笠が不敵に笑う

「本気ですか? 三笠様!」

五十鈴をはじめ白露達が次々声を上げたが、金剛は指揮棒でテーブルを叩くと

「本気も本気デス!! この奇襲作戦がこの戦いの勝敗の分かれ目デス!!」

そう言うと、皆をぐっと見た

「その通りじゃ」

三笠はそう言うと、皆を見ながら

「現在、敵はマジュロに人質を取り、このタロア島を中心に此方の出方を伺っておる。それが出来るのも、このタロア島にある航空基地を中心とした敵哨戒網がある為である。この奇襲作戦は、このタロア島のマロエラップ飛行場を強襲し、一時的にでも敵を混乱に陥れ、敵の哨戒網を破壊する事が主目的である」

「でも、どうやってそこまで行くのです? そもそもその手前のマジュロまで行くのも大変だったのに」

白露が以前の輸送作戦を思い出して怪訝な顔をした。

すると三笠は、

「そこは、抜かりないの」とパラオ泊地提督を見た

「はい、三笠様。すでに中間海域より東側では敵潜水艦の動きはありません。ほぼ壊滅させたと思われます」

パラオ泊地提督は、自信に満ちて答えた。

実際は、いずも艦載機を中心とした潜水艦掃海部隊が 敵航空哨戒網をかいくぐり、掃海作戦を実施していた。

「えええ! 瑞鳳さん達でじゃあの辺りの潜水艦全部狩ったのですか!」

白露達が驚くと、瑞鳳は

「エッヘン! 軽空母だってやればできるのよ」と少し小さな胸を張ったが、横に座る陽炎や長波、秋月の眼が踊っていた事には白露達も気が付かなった。

金剛は、指揮棒で、ポンペイ島からマジュロの南海域を指し示し

「私達は、このポンペイ島から一路マジュロ島の南部海域を目指します! その後マジュロ島を反時計回りに迂回して、このマロエラップ環礁のタロア島にある敵飛行場を強襲します!」

「金剛さん! ちょっとまってください!」

咄嗟に時雨が声を上げた

「そこまで行くなら 敵飛行場よりマジュロ島に強襲上陸して島民や陸軍さんを救出する方が先ではないのですか!!」

「そうです!!」白露や五月雨たちも声を上げたが、三笠がそっと右手を上げた。

その瞬間、ざわめきが止む

「これは最高位の軍機であるが、そのマジュロ島の島民と陸軍部隊は既に撤退作戦を開始しておる」

「本当ですか!」五十鈴が聞くと、三笠は

「本当である。すでに先遣部隊が上陸し、撤退の準備を開始しておる。迎えの重巡2隻と輸送艦も島の沖合で待機しておる」

「いつの間に」唸る白露達

すると金剛が胸を張って自信たっぷりに

「彼女達に任せて於けば No problemデス!」

席に座る元中佐が、静かに

「最新鋭の防空型重巡が2ハイもついている、そこは問題ない」

「そういう事だ。俺も保障するぞ」パラオ泊地提督も声を上げた。

「ですよね」と瑞鳳達パラオ組が頷いた。

 

「防空重巡?」

五十鈴は一瞬、トラックにいた摩耶と鳥海を思い出した。

いま一番近くにいる対空数値の高い重巡はこの2隻だ

しかし、自分達が出撃した時にはまだトラックにいた。

“一体 誰?”

その時 脳裏にある事を思い出した。

由良とパラオ泊地提督をトラックで迎えた時の阿武隈の一言

“パラオに最新鋭重巡が配備された、物凄い性能で正に海神の巫女の名に相応しい艦娘さんです”と興奮気味に話していた事を思い出した。

パラオ泊地提督やパラオ組の子達の自信からも確信した

“新型重巡がそこまで来ている!”

 

その時、室内に小さな声が響いた。

「よかった」

急に時雨が涙目になりながら声を上げた

「どうした時雨」三笠が声をかけるとその問いに白露が

「あの三笠様、時雨は前回の輸送作戦が失敗した事をだいぶ後悔していました。島民や陸軍さん達の安否を気にしていましたので」

白露が時雨の頭を撫でながら答えた。

「白露は 優しいデスネ」

「へへへ」金剛の問いに照れながら答える白露

 

三笠は、

「マジュロ島の撤退作戦は、明日の午前中から開始される。金剛達第四遊撃隊は、明日早朝ここを立ち、タロア島を強襲せよ」

三笠はそう言うと、一呼吸おいて

「皆、今回の奇襲は敵飛行場の破壊、それと後方のかく乱である。穴倉に潜り込む虎を追い出す危険な任務であるが、各員心して貰いたい」

大きく頷く五十鈴達や比叡達

三笠は、続けて

「パラオ艦隊は、第四遊撃隊の後方に展開し、適時航空支援を。瑞鳳出来るの?」

「はい、三笠様お任せください」

瑞鳳は元気に答えた。

パラオ泊地提督が、

「三笠様。陽炎と長波を遊撃隊に合流させますか?」と聞くと三笠は

「しかし、そうなると瑞鳳の護衛は秋月一隻になる、少し心もとない。それに奴らの艦載機が必ず追いかけてくるはずじゃ。その時はパラオ艦隊で防いでもらいたい」

「まあ、程度によりますが、善処します」とパラオ泊地提督は答えながら内心

“正規空母六隻に追いかけ回されるのは勘弁してもらいたい、追われる前にいずもさんと先制で牽制するか?”と思考を巡らし始めた。

 

三笠は、声高かに、檄を飛ばした!

「皆の者。今回は容赦無用。敵陣地へ砲弾の雨を降らせ、横面を張り倒すのじゃ!」

「はい!!」一斉に返事をする艦娘達

 

その後 作戦概要書を受け取り、追加説明を受けた後、皆明日の出撃に備え三笠を後にした。

三笠士官室には、三笠に金剛、そして元中佐、パラオ泊地提督と瑞鳳が残った。

席に着く金剛に向い三笠はそっと

「のう金剛。この艦の通信施設なら自衛隊艦隊の通信も優先度が高い」それを聞いた金剛は、ぱっと明るい表情になり

「ありがとうございます。三笠様」そう言うと、タブレット端末を取り出し、一心不乱にあちこちにメールを打ち始めた。

「金剛、慌てると間違えるぞ」元中佐が声をかけるが、

「分かっているネ」と聞き流しメールを打つ金剛

そんな金剛を他所に

「さて、明日の朝には金剛達も出撃となる。中佐、補給の方は?」

「はい、三笠様。順次行っておりますので今夜中にも終了します」

三笠は、元中佐を見ながら

「儂は、明日の朝 明石と油槽船を率いてトラックへ戻らなくてはならんが、そ奴をそのまま行かせて大丈夫かの?」

そう言うと、いずもへ向け必死にメールを打つ金剛を見た。

「そこは、きちんとわきまえますから問題ありません」

「まあ儂としては、中佐が現役に復帰して三戦隊を指揮してもらいたいと思うが」

「三笠様。自分は予備役、それも負傷除隊です。戦隊指揮など」元中佐はそう答えたが、

「三戦隊旗艦金剛の指揮官席には、其方が一番似合うと儂は考えておるが」

その問に元中佐は、暫し答えず、

「ありがたいお言葉ではありますが、ただ今は」とだけ答えた

“まだ 時期ではないという事かの”三笠は内心そう感じ取った。

深く息をして三笠は

「まあ、よかろう。その時が来ればお主に任せる」と元中佐を見た。

表情を変えない元中佐であったが、その眼はしっかりと三笠を見返した。

 

“まだ虎は、牙を抜かれてはおらぬ、今は時を待つという事じゃの”

三笠はその眼を見ながらそう心に思った。

 

時刻は午後を回っていた

時計を見たパラオ泊地提督は

「マジュロの撤退は明日の早朝と聞きましたが、こんごう君は大丈夫でしょうか」

タブレット端末をいじりメールを打っていた金剛が

「こんごうちゃんならやり遂げます!!」

「その割にはお前。さっきから慌てているな」

「うう、中佐。それは」

三笠は

「まあ、ここで四の五の言った所で始まるまい」

「撤退が成功し、この奇襲が成功すれば、あとは長官の出番ですか?」パラオ泊地提督が聞くと、

「そうじゃの、イソロクが大和と長門で敵ル級艦隊を叩く。敵ヲ級flagship空母6隻は南雲の航空戦隊が真向勝負を挑むことになるじゃろう」

「その隙に一艦の高須さんと陸軍の山下中将がタロア島を占領ですか」

「まあ、上手くサイコロがころべばそうなるが、神は気まぐれじゃからの」

三笠はそう言うと、

「さて、この戦。マーシャルへ打ち込まれた楔を米国はどう思うか。そこが一番の問題じゃ」

「我が軍がマーシャルの実行支配を取り戻したとなれば、米国は北赤道海流に沿う形で 再びアジア圏への足掛かりをつかむ事ができます」

泊地提督が答えると

「そうじゃの、スービックのニミッツ提督との約束でもある“無害通航権”を使えば再び米国はアジアへの道が開ける」

「それと同時に我々が南下し、オーストラリアを占領するのではと気が気ではないのではないでしょうか?」

元中佐が聞くと、

「なあ、中佐。そこまで考えるか? そもそもうちの海軍にはそこまでの力はないぞ」パラオ泊地提督がいうと、

「確かに俺達にはない、しかし陸はやる気満々といった感じだ。お前は外地が長くてぴんとこんかもしれんが、国内世論も名指しこそしないが、米国をはじめとする西洋批判が蔓延しつつある」

中佐はそういうと、

「陸の連中に 南進の口実を与えれば収拾がつかなくなる」

元中佐は一呼吸おき、パラオ泊地提督を見ながら

「以前 お前の所できりしまさんにぶん殴られた陸の将校がいたろ」

「ああ、確か陸軍参謀本部の将校だな」

「彼奴ら、新統帥派は今回のマ号作戦、特にマジュロ島占領にこだわるのは太平洋版の関東軍を画策しているからだよ」

「なんだと!!」パラオ泊地提督が驚いた。

元中佐は

「奴らは、海軍の支配力の強いトラックを避け、マーシャル諸島の防衛と称して新しく守備軍を組織して、諸島部の実行支配を陸軍が把握し、第二の関東軍をマーシャルで起こそうとしている」

「じゃ、陸の山下中将も一枚噛んでいるのか?」パラオ泊地提督が聞くと

「いや、それはない。新統帥派にとって山下中将は、邪魔な存在だ。多分マジュロ侵攻の際に、住民を虐殺したとかなんとかいって責任を押し付けて、息のかかった奴を現地指揮官として赴任させ、足場を固め軍政を敷く。そういう腹積もりだな」

元中佐はそう答えた

「あとは 太平洋版の満州事変か」

唸りながらパラオ泊地提督が答えた。

 

「奴らの思惑通りになどさせぬ」三笠はそう言うと

「賢明な山下殿が、イソロクと共同戦線を実施した事で、陸軍の動きに歯止めがかかった」

「しかし、三笠様。参謀本部のその太平洋版関東軍構想が本当だとして、奴らの狙いは、やはり対米戦でしょうか?」

パラオ泊地提督の問いに

「そこが解せぬの。確かに参謀本部は、当初南方資源獲得を目的に北部仏印へ援蒋ルートの遮断という名目で侵攻したが、あれとて外務省はかなり反対した案件じゃ。結局三国同盟の締結ならずという事で、南部仏印への侵攻は中止となった。米国世論を考えれば当然の結果じゃが、今はインドシナ現地政府も苦しい立場じゃ。インドシナを統治するには日本軍に依存するしかないというのは理解は出来るが、国際問題化するのは必至じゃ」

三笠はそう言うと、

「インドシナがダメなら、狙いはやはりオーストラリアかの、中佐」

「そう見るべきしょう」

中佐はそう言うと、

「ドイツ第三帝国と結託して、オーストラリアの石油、鉱石等の資源が狙いでしょう」

するとパラオ泊地提督は

「なあ、陸さんだけでそんな事が可能なのか?」

「普通に考えれば無理だな。だから陸の参謀本部は今、軍令部の抱き込みに必死なんだよ。ドイツと組めばいい事がある。米国なぞ敵ではないと囃し立てている、特に若手の将校を中心に切り崩しが始まりつつある。宮家への働きかけもあると聞いています」

三笠は渋い顔をして

「うちの軍令部は風見鶏が長だからの、心元ないの」

すると、元中佐は笑いながら

「軍令部総長は、ああ見えてもかなりの狸親父ですからね。風見鶏のごとく振る舞ってどちら付かずを装い、雌雄が決するまで外野で見物という感じでしょうな」

中佐の隣に座る金剛は、いずもや作戦海域にいるひえいにこんごうの安否確認のメールを打ち終わり、一呼吸ついていた。

落ち着きを取り戻した金剛へ向け三笠は

「金剛、儂は明日の朝。中佐と明石を連れトラックへ戻る。第四遊撃隊、そなたに預ける」

「任せてクダサイ!!」いつものように元気に答える金剛。

頷く三笠。

少し笑いながら、

「のう金剛、今夜はゆっくり中佐と“明日”の事でも話すがよいぞ」

「明日? Tomorrow?」キョトンとする金剛

「金剛さん! 将来の事ですよ」瑞鳳が横から声を掛けた。

「へっ」少し赤くなる金剛

笑い声に包まれる士官室

三笠は、静かに

「奴ら、この後どう出るか?」そう呟いた。

 

金剛達が出撃態勢を整えつつあったその頃 遥か数千キロ離れた日本の首都東京にある皇居の一角は、ただならぬ雰囲気に包まれていた。

ある会議が行われようとしていた。

その会議の名前は、

「大本営政府連絡会議」

軍部の方針決定は陸海軍統帥部と天皇が行う大本営会議で決定されていた。

しかし、それには政府、特に外交としての意見は全く反映されなかった事から、国策検討の場として、政府と大本営統帥部(陸海軍首脳部)との意見調整の場として大本営政府連絡会議が設置された。

参加できるのは内閣総理大臣、外務・大蔵・陸軍・海軍各大臣と企画院総裁、統帥部からは参謀総長・軍令部総長であった。

宮中書庫にある会議室の円卓の大テーブルに総理をはじめ主要なメンバーが着席し、壁際の席には 各省の次官級の役人や軍人が控えていた。

会議の議長は、内閣首相の近衛

近衛の表情は硬く厳しかった

それもその筈である。

ここ数年 日々頭を悩ませてきた問題をこの日議論するのである。

最初から難航などという生易しい言葉では言い表せない状況が起こる事もありうる。

各大臣や陸海軍の統帥部の発言一つで国策が決まる。

場合によっては政治生命、いや命にすらかかわりかねない。

丸テーブルに居並ぶ各大臣たちを見て近衛は一言

「本日の議題は、2つあります。まず最初に対米交渉の方針の策定 そしてそれに関して支那大陸、満州国における対応についてです」

近衛としては、いつもより声を大きく話したつもりであるが、それでも居並ぶ陸海軍の軍人の雰囲気にのまれそうになった。

それでも、気力を振り絞り

「先般の拡大大本営会議の席上に置きまして、陛下より対米交渉については、“対話と交渉をもってあたる事”とのお言葉を頂き、内閣といたしましては、陛下の御意向に沿い米国をはじめ諸外国に対し、今後も継続して協議を行い国難を排除していく方針であります」

近衛は手元の書類に目を落としながら、そう話を切り出した。

すると陸軍参謀総長が、

「昨年、米国ハルより提示されたハル提案は、陸軍としては断じて受け入れる事は出来ない! そもそもあの提案を受け入れてしまえば我が軍の海外戦略は根底から崩れる。支那大陸の占領地ばかりか、満州からの撤兵など言語道断である!」

そうきつく声を上げた。

「参謀総長、まあいきなり最初からそう反対しなくても」

陸軍大臣の東條が少し参謀総長を窘めたが、その参謀総長は東條を睨みつけた。

東條と参謀総長

軍令を預かる参謀総長

そして軍政を預かる陸軍大臣

共に陸軍を代表するが、そこは微妙な温度差があった。

特に軍政を預かる東條は、内閣の一員でもあり、かたくなに拒否感を表す参謀本部とは折り合いが悪くなりつつあった。

「そもそも米国国務長官のハルの提案では、仏印、支那大陸からの撤兵は記載されていたが、満州については結局明確な意志表示がなかったではないか」東條がいうと参謀本部総長は、

「確かに、ハルの提案には支那大陸からの日本軍の撤兵とある。しかしその支那の定義が曖昧だ。米国は蒋介石を支援している、その蒋介石は支那に満州が含まれると明言しておるではないか! そうなればこの支那とは満州を含むということだ!」

陸軍参謀本部総長は強く反論し

「米国の要求など無視し、かねてよりの懸案である三国同盟の早期再交渉を実施し、独逸との関係強化が得策であると参謀本部は具申する」

「しかし、三国同盟はこちらの利が少ない。米国世論を刺激する」

外務大臣が言うと、参謀本部総長は

「その米国に何を気がねする! たかだか建国170年かそこらの国に! 我が国の足元にも及ばんではないか!」

「確かに、国としては若い。しかし工業力の差は別です。資源、経済力共に世界の先端を行く。既に世界経済は米国を中心に回っていると言っても過言ではない」

外務大臣は強く反論した。

首相の近衛は、

「その米国に対し、今後如何に対応するのか大変憂慮すべき問題であります」

「それなら既に方針は決まっている。御上の御聖慮に沿い“対話と交渉”これでよい」

陸軍大臣の東條がいうと、

「東條君、それでは、我が国は支那大陸から撤兵するという事になるではないか!」

参謀本部総長が強く反論した。

近衛首相は、頭を抱えた。

支那大陸からの撤兵

これが、対米交渉の最大の焦点である。

米国の支援する蒋介石とソビエトの支援する毛沢東

背景のイデオロギーの違いにより、支那大陸の戦線は混乱状態と化していた。

関東軍は、本来の満州国防衛という任務を逸脱し、支那大陸での租借地の保護と邦人保護。そして支那大陸の政情安定を名目に中華民国内へ攻め入り、蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍を相手に二面作戦を強いられていた。

元々日本は蒋介石率いる中華民国との間に宣戦布告していない

単なる地域紛争として処理しようとした。

故に日本軍の進駐には法的根拠のない状態である。

そこを米国を始め中華民国を支援する欧米諸国から突かれた。

国際連盟をはじめとする各国政府への対応が後手に回った日本政府は窮地に陥る

各国の思惑が入り乱れ、混沌と化す支那大陸

そこへ更なる不幸が起こる

深海凄艦の済州島襲撃占領事件だ

突如日本海に現れた深海凄艦の艦隊は、日本海軍の警戒網をかすめ済州島を襲撃し電光石火で上陸。混乱する島内の守備隊を駆逐すると、島をあっという間に要塞化してしまい、一大拠点を構築した。

この事態を重く見た統帥部は、陸海軍の部隊に再占領を下命するがことごとく失敗した

今では、島は完全に彼らの勢力下となった。

群体としては小さく日本本土に直接影響を及ぼすものではないが、対馬周辺海域では時折小競り合いが起き、支那大陸との海路に支障が生じていた。

 

「陸軍としては、今支那大陸から撤兵し兵力均衡が崩れれば、支那大陸の赤化! その矛先は満州、そして朝鮮半島 ひいては本土に及ぶ。ここはけりが着くまでやるべきである」

陸軍参謀総長が声高く言い放った。

しかし、それには外務大臣が強く反対した。

「如何に今現在 国共内戦において毛沢東率いる共産党軍が有利とはいえ、それは中華民国内部の問題であり、我が国が首を突っ込んでいい話ではない」

「統帥部の作戦方針に、ご不満か!」陸軍参謀本部長が語気を上げながら聞くと外務大臣は

「ええ、統帥部。特に満州での関東軍の動きについては外務省としては非常に不満です! 我が国の外交努力を全く理解していない!」

「統帥権干犯だ! 外務省!!」

陸軍参謀本部総長の後に控えていた参謀本部の次長が席から立ち声を上げた。

「いえ、今日こそは言わせて頂く!!」

外務大臣はそう答えると、厳しい口調で

「我々 外務省は日々 陛下の御意志に沿い不戦をもって対話と交渉を実現すべく地道に国際連盟をはじめ対外外交を行ってきた。しかし統帥部は統帥権をもって政府の思惑とは違う方向へと突き進んでいる! これでは外務省は全く動けない! 我々外務省は何時まで統帥部の尻拭いをすればいい!」

「外務大臣!」近衛が慌てて制したが

「これ以上、統帥部が勝手に動くというのであれば米国を始め各国への外交交渉は破綻するぞ!」

「それを何とかするのが、外務省の役人の仕事だ!」

陸軍参謀本部の次官から怒号が飛んだ。

その声を聴いた瞬間、外務大臣が席を立ち

「そこまで参謀本部が言うなら、外務省、いえ自分とて考えがあります!」

そういうと 一呼吸おいて何かを言おうとした瞬間、

 

「そろそろ、お昼ですかな?」

間の抜けた声が室内に響いた。

一瞬 皆動きが止まった。

声の主である海軍大臣の米内は、ゆっくりとした動作で、テーブル上の湯呑に手を出しながら

「腹すきましたな。東條さんは?」

そう言いながら、湯呑を持つと陸軍大臣の東條を見た。

受ける東條も これまたゆっくりと自分の腕時計をみると、

「おう、もう昼か。首相、休憩しよう」

近衛は間髪を入れず

「休憩に入ります」と一言いい、席を立った。

 

近衛は米内の後を通った瞬間 そっと一言

「助かった」と囁いた。

頷く米内

首相や外務大臣、陸海軍の首脳部がぞろぞろと退室する中、海軍省の事務官は馴染みの外務省事務官を見つけそっと手招きした。

そっと人目につかぬように海軍省事務官に近づく外務省事務官

「ちょっと付き合え」

海軍省事務官はそういうと、外務省事務官をつれ、宮中内部の廊下を歩きあるドアの前で止まった。

ドアをそっと開けるとそこは小さな会議室であった。

中央に白いクロスの掛かった丸テーブルがあり、既に一人の男が着席していた。

入室してきた二人をみて その陸軍の軍服を着た男は軽く挨拶した。

「待たせたな」海軍省事務官はそう言うと、陸軍の軍服をきた陸軍省の事務官は

「いや」と挨拶を返してきた。

海軍省事務官が席に着こうとした時、外務省事務官は急に海軍の事務官へ向い両手を合わせて

「済まん! 助かった!」と拝み倒した。

「米内さんが、あそこで流れを変えてくれたおかげでウチの大臣は何とか保った。あのままだと辞任すると言いかねん雰囲気だった」

すると海軍省事務官は、

「ああ、その事なら俺より、石井さんに言ってくれ」

「中佐殿に?」

海軍省事務官は

「なに、東條さんが黒手帳を見る振りをしながら、目で米内大臣に場を計るように合図していたからな。そうじゃなきゃ、うちの米内さん。あの平和主義者が口を挟むことなどないよ」

そう呆れながらいった。

すると陸軍省事務官は

「その平和主義者の米内さん。最近彼方此方で不戦の働きかけをしているようじゃないか」

「まあな」と適当な答えを返し

「まあ、ここで外務大臣に辞職されてみろ。近衛内閣は崩壊する。そうなれば次は間違いなく、より開戦強硬派の内閣ができる可能性がある」

「うちの東條閣下を祭り上げるか」

「そういう事だ。そうなれば陸はもう引くに引けなくなる」

海軍事務官がいうと、

「それが怖いから、昨年首相指名されそうになった時、断固固辞したが、統帥部としてはなんとしても東條内閣を成立させたいという思惑は依然強い」

外務省事務官は

「うちも辛いが、ここは何とか近衛内閣をもたせてもらいたい」そう言うと二人へ頭を下げた

「まあ、まあ」

海軍省事務官が気さくに答えたとき、ドアをノックする音が室内に響いた。

「誰だ!」

「私です」女性の声と同時に、ドアが開いた。

「おっ! 高雄ちゃん!」

ニコニコしながら、横須賀鎮守府の秘書艦である高雄と宮内省の女性職員が立っていた。

「その米内大臣から差し入れですよ」

そう言いながら、白い大き目のお皿に乗ったおにぎりを差し出した。

「おっ、ありがたいな」海軍省事務官がいうと

高雄と職員は室内へ入り、テーブルの上にお皿を置きながら

「米内大臣が、どうせうちの事務官はお昼も食べずに議論するだろうから、持って行けですって」

「大臣たちは?」海軍省事務官が聞くと、

「はい、皆様各々の控室へ入り昼食の休憩に入りました」

「統帥部の動きは?」

「若手参謀達がしきりに出入りしています。たぶん陸軍省軍務局長を説得し、東條閣下に“撤兵は不可”と言わせたいのではないでしょうか」

それを聞いた陸軍省事務官は、

「今回、東條閣下は何も言わんよ。ここで動けば統帥部の思う壺だ」

「解りました、米内大臣にはそう伝えます」

高雄と女性職員は、一礼すると静かに部屋を後にした

部屋を出る前、高雄はそっと海軍省事務官へそっと

「周囲に人の気配は在りません。大丈夫です」と告げた。

頷く事務官

二人が出たあと、海軍省事務官は

「よし、食べながら話そう」そういうと、目の前のおにぎりを一つ手に取った。

「頂こう」陸軍省事務官も手にとり、外務省事務官もおにぎりを口へ運んだ。

「さて、どうしたもんかな」

海軍省事務官が言うと、外務省事務官は、

「どうもこうも、ああ統帥部が頑固だと話になりませんよ」とあきれ声で答えた。

「まあ、確かに彼らが支那からの撤兵に反対する理由は色々とある。一番の問題は、事を自分達で起こしておきながら収拾できなくなった事に対する罪悪感だな」

陸軍省事務官が答えた。

「そもそも、統帥部、いや関東軍は事を収拾させる気があるのか?」

海軍省事務官が聞くと陸軍省の事務官は

「今となっては、手遅れの感が否めない。当初、蒋介石の国民党軍相手の地域紛争の筈が、毛沢東率いる共産党軍まで加わり、戦火はあっという間に支那大陸の全土に広がり収拾がつかなくなった。行けども行けども敵ばかり、目当ての資源も工業力も既に奥地へ移転して荒廃した土地と人民の波だ。完全に飲まれたと言っていい」

続けて、

「チャンスは幾つかあった。惜しかったのはあのトラウトマン工作の失敗だよ。あの時に近衛さんの、国民党政府は相手にせずという声明は、まずかった。あれで国民党は引くに引けない状況になった。共産党軍の台頭もあってもうぐちゃぐちゃだよ」

「底なし沼か」海軍省事務官が言い放った。

「問題はその蒋介石と毛沢東の後には米国とソビエトが控えているという事だ。我々は支那大陸で、米国とソビエト相手に戦争をしているようなものだ」

「米国は太平洋では、深海凄艦に影で多額の支援をしている。表では紛争を装ってはいるが、第三国を経由しての支援はかなりの量だ。表と裏を上手く使い分けている」

海軍省事務官は続けた。

「結果 米国は自分の手を汚さず、最小の被害で我が国を含めたアジア圏への影響力を行使しているといえるな」

海軍省事務官は、深く息をして一言

「八岐大蛇」と静かに言った

「やまたのおろち?」陸軍省事務官が聞くと、

「以前、パラオにいるある艦隊の指揮官が、米国を一言で言うと 八岐大蛇。資本主義という胴体の上に幾つも首を持つ化け物という表現をしたそうだ。その各々の首は一見全く無関係のように動くが、じつは“自国第一主義、資本主義”という胴体に繋がっている。そう表現したそうだ」

「ほう、上手い表現だな」

「まさにその通りです」外務省事務官も同意して深く頷いた。

「その指揮官。例の艦隊か?」陸軍省事務官が聞いた。

海軍省事務官の表情が厳しくなった。

「知っているのか?」

「ああ、陸軍省ではほんの一握りの者だけだ。それにパラオには昔部下だった男がいてな、パラオ泊地提督とも仲が良くて色々とな」とそこまで言って話をぼかした。

“お見通しという事か”海軍省事務官はそう思った。

「話を戻そう。とにかくどうやったら統帥部に支那大陸からの撤兵を納得させ、米国との協議を再開させる事ができるかだ」

「もう関東軍はやるところまでやるという感じだ。数万という途方もない将兵を失っておきながら、国民党軍を倒せなかったとなるとその後の満州の治安維持すらままならない」

「うちも似たような見解です、完全に関東軍は目的を見失っているという意見です」

外務省事務官も同意した。

「やはり、“鶴の一声”が必要か?」

海軍省事務官の問いに外務省事務官は

「先程のような水掛け論になるのであれば、外務省としては致し方ありません。方針が決まらない状態では、外務省は交渉相手すら探す事ができない」

「問題は、誰が陛下に“撤兵”を上奏するかだ」

「陸軍は、立場上絶対に無理だ。そんな事をすれば若い連中が何をしでかすか分かったものじゃない。特に“新統帥派”を中心に最近、良からぬ噂が絶えない」

陸軍省事務官の声は暗かった。

「と、なると」といい、外務省事務官と陸軍省事務官は海軍省事務官を見た。

「ふう」と深い息をして海軍省事務官は、

「そうなれば、陛下にご意見できる元老。それも存命する元老の中で最高位の方」そう言うと

「横須賀の海軍神社の“大巫女”様か」

「そういう事だな。もう一人の元老最高位の三笠様は、今は戦地だ」

陸軍省事務官がいうと、

「しかしまあ、三笠様も第一線に立つとはな」

「まあ、あの方は性格的に指揮官先頭だからな」海軍省事務官は答えると

「米内大臣を通じて、撤兵の上奏を打診する事は可能だが、そうなるとだ」

「ああ間違いなくやるな、あいつら」

「なにをですか?」話を掴めない外務省事務官がいうと、陸軍省事務官は

「うちの跳ね返り共が、軍刀と小銃片手に海軍神社へ押しかけかねん」

「うっ、」表情を青くする外務省事務官

「まっ、その時は、高雄ちゃん達が軽くあしらう事になる。いやもしかしたら大巫女自ら反撃する事もありえるぞ」

海軍省事務官はいうと、

「ほう、あの方の艦。まだ戦えるのか?」

「ああ一応訓練艦という名目だが、ちゃんと整備してある。妖精水兵はあの日本海海戦を戦い抜いた強者だぞ。そこいらへんの小童どもの小銃相手なぞ相手にならんよ」

すると陸軍省事務官は、

「本音を言えば、いっそのことやって貰いたい所だよ」

「おいおい、物騒だな」と海軍省事務官が窘めたが

「今の陸軍参謀本部は、完全に“新統帥”と呼ばれる連中に占拠されていると言っても過言じゃない。参謀総長も後が怖いからああ言わざるを得ない。本音はもう限界だという事は十分理解している」

「ガス抜きか」海軍省事務官が言うと、陸軍省事務官は

「それもかなり大規模にやる必要がある」

「新統帥派の旗振り役は例の中将か?」

「ああ、あの御仁。自分は表に立たず若手将校を上手く使っている。いざとなればどこにでも雲隠れできる」

渋い顔で陸軍省事務官は答えた。

「問題は、支那からの撤兵を決めたとして、再び米国が交渉に応じるかどうかだが、外務省の意見は?」

「芳しくないな」今度は外務省事務官が渋い顔になった。

「米国は昨年末のハル国務長官の最後通牒に対する回答期限を区切って来なかった。元々日本が条件を飲めない事を前提としていたとしか思いようがない」

頷く陸海軍の事務官達

「ジュネーブの国際連盟や米国大使館を中心に、交渉再開に向けた会合を繰り返しているが、ハル提案以上の物は出てこない。あれが我が国に対する要求の全てという事だな」

外務省事務官はそう言うと、テーブル上の湯呑のお茶を一口、口へ含み

「米国の世論的には、今は東洋の軍事国家より、ヨーロッパの暴君の方が気になるというのが本音だ。米国は元々移民国家。欧州の混乱の方が政策的には重要度が高い」

続けて

「ルーズベルトの頭の中は、昨年末にゴリ押しした 独逸への参戦でいっぱいだよ。お蔭でこちらは、その独逸から“三国同盟の再交渉を”と甘い言葉で言い寄られてはいるが、いまそんな事をしてみろ、米国は無条件に日本へ宣戦布告しかねん状況だ」

すると海軍省事務官が、

「前から聞こうと思っていたが、米国は本気で日本と戦争する気があるのか?」

「個人的な見解だが」と断りながら、外務省事務官は

「ないな。米国は先にも後にも経済が一番の国だ。日本と戦争して何か得になる事があるか? 支那大陸の利権といってもあれだけ国民党が内紛状態じゃ、考え物だよ。ルーズベルトにとっては日本との戦争は、欧州戦線への参加の口実に過ぎない」

外務省事務官は、

「米国は大きな勘違いをしています。現在の支那大陸の混乱は、日本の介入が原因であると。実体は国民党と共産党の内戦です。それを口実に関東軍が参入したに過ぎません。ルーズベルトは、日本を締め上げれば日本の支那大陸での影響力を弱め国民党が支那を統一できると思い込んでいますが、我々が引けば国民党と共産党の内戦がより鮮明になるだけです」

そう外務省事務官は力説した。

「今のところ、ルーズベルトの目論は全て外れたという事だな」

「そういう事だ。三国同盟は未締結、禁油も第三国経由で細々とだが何とかなった。日米開戦も肩透かしだしな」

「そこは南雲さんに感謝だな」と海軍省事務官がいうと、

「ですけど、外務省は事後処理でてんやわんやでしたよ。もう体重が10kgは落ちた」

「済まんな」と頭を下げる海軍省事務官

「俺は、陛下の“開戦中止”のお言葉を聞いた瞬間、正直皮一枚で日本の首が繋がったと思ったよ。まだ希望があると正直泣いたね」

陸軍省事務官はしみじみと答えた。

「ああ、まだ希望はある。とにかく米国との交渉を再開するにはどうすればいいか、知恵を出さないと」

海軍省事務官がいうと、陸軍省事務官は

「それこそマーシャルが何とかなれば、米国との交渉も再開できるんじゃないのか?」

「どう思う?」海軍省事務官は外務省事務官へ聞くと

「あくまで可能性ですが、南太平洋の回りで米国との通商路が確保できれば、フィリピンの自治政府を仲介役に、米国との直接交渉を再開できる可能性はあります。とにかく向こうと直接話せるという事が重要です」

「となると、頼みの綱は、マッカーサーとニミッツ提督かな」

「マッカーサーは渋い顔だろうが、ニミッツ提督ならこちらも伝手がある」

海軍省事務官が言うと

「困った時の三笠頼みか?」陸軍省事務官が笑いながら答えた。

「うちの大臣はその方向で、既に部内検討をしている」

海軍省事務官は真面目な顔になり、

「310万、その数字が現実にならんようにする為には何でもする。それが今の米内大臣の本音だよ」

その数字を聞いた陸軍省事務官も、急に真面目な顔になり

「俺もあの研究報告書は読んだ。もし現実となれば世界は終わるぞ」

外務省事務官は数字を聞いた陸海軍の事務官達の表情が急変したのを見て

「あの、なんですか? その310万という数字は?」

すると海軍省事務官は、持参した鞄の中から少し分厚い書類を出した。

「これは、うちの若手を中心に研究した“近未来における大陸間の紛争の展望”という研究報告書だよ。あくまで研究だが、出てくる数字は真面目な数字だ」

差し出された書類を受け取り、表紙を見た。

黒い字で、しっかりと

“近未来における大陸間の紛争の展望 大陸間戦争について”と記載されていた。

「大陸間戦争?」そう言いながら、外務省事務官は静かに最初のページを開き、行間に目を落とした。

陸軍省事務官は、

「その研究書にあった、米国で開発中の超長距離爆撃機だが、もう実用段階という事なのか?」

「初飛行はまだの様だが、既に製作中という事だ、航続距離6000km、飛行高度1万m。グアムあたりからなら十分ここまで届く。もしこんな機体が、深海凄艦へと渡ってみろ。それこそ俺達は喉元に剣を突き刺されたも同然だ」

そう海軍省事務官は言うと

「なんとしても、米国を説き伏せ、日本を含めた国際協調路線を生み出さなければ、歴史は再び繰り返す事になる」

陸軍省事務官は、深く息をすると

「俺も奴から手紙を貰ったが、正直最初は信じられないというのが本音だった。しかし東條閣下から色々と話を聞いて、現実なんだと実感している。310万人の犠牲。なんとしても避けなければならん」

じっと書類を読んでいた外務省事務官は、急に

「この研究書は、外部には?」

「いや、あくまで海軍省内部の資料という事で留め置いている。なんなら持っていってもらって構わんよ」

「軍機では?」

外務省事務官が聞くと

「あくまで、“研究書”だ。だが見せる相手は選んでくれ」

「首相や外務大臣には?」

すると海軍省事務官は、

「近衛首相は控えてくれ、どうも周囲が怪しい。外務大臣には軍事は厳しいから君から要点をまとめて話してくれ」

頷く外務省事務官。

陸軍省事務官は

「やはり首相の知り合いのあの記者上がりは怪しいか?」

「ああ、どうもいい話を聞かん。統帥部あたりも出入りしているようだしな」

海軍省事務官は、厳しい表情で返した

「さて、今日の会議は何処でケリが着くかな」

すると陸軍省事務官は

「多分、このまま水掛け論で終わるな。統帥部としてはここで“支那大陸の撤兵の検討を”と言われても困る。暫し時間稼ぎしたい所だろう」

「だがこのままでは、支那での戦闘で人的被害は広がるばかりだ。こうしている間にも、死傷者が出ている」

海軍省事務官の声はきつかった。

「企画院の試算でも、このまま支那大陸での戦闘が続けば今後数年は国内の工業、農業の生産量は人材不足により低下するばかりです」

「人的損害もあるが、経済的打撃も大きい。正直予算が追い付かない」

陸軍省事務官はそう言い放った。

「そこを突くか」海軍省事務官は続けて

「関東軍も予算がなければ動けない」

「そうですね、その手があります。企画院と大蔵省を説得して歯止めをかける」外務省事務官も賛同したが、陸軍省事務官は

「厳しいぞ。関東軍は本土からの予算の他に満州国からも予算を分捕っている。満州の財界との癒着体質もある」

海軍省事務官は

「だが、圧力をかけるには、その手しかない」

「やるしかないか」陸軍省事務官もそう答え同意した。

外務省事務官は、

「うちから企画院次官へ話をして、予算が逼迫しているという方向性を作りましょう。それで今回は乗り切れる」

「やるしかないか」

陸軍省事務官もそう答えた。

 

午後の会議が始まった。

午前中会議の話から、米国は支那の定義をどう見ているのか?という事が問題になった。

「元々米国は 蒋介石率いる国民党を支那における唯一の政府として認める事を前提としている。その蒋介石は満州は自国領といっている。となれば支那に満州が含まれる! 陸軍としてはそのような事は絶対に認める事は出来ない!」

陸軍参謀総長は、語気を荒げながら右手の拳でテーブルを叩いた。

「参謀総長!」

陸軍大臣の東條がそこは直ぐに窘めた。

「現在、その部分につきましては米国は態度を濁しています。確かに蒋介石側から強い圧力があるのは事実のようでありますが、そこをごり押しすれば日本との交渉が難航する事は先方も重々承知しております。ここは交渉をもって先方に満州を完全な独立国として認めさせ、今回の交渉から除外させる方向が賢明です」

外務大臣はそう答えた。

「それは、此方が譲歩しろということか! 支那を捨てて満州をとれと!」

外務大臣の答えに陸軍参謀総長が吠えた。

「そもそも、国民党軍との戦闘は、一部地域での武力衝突であったはずです。それを拡大解釈し、支那大陸全土へ利権確保の為に侵攻したのは関東軍の独断専行です。こうなれば事をどう収めるか至難の業だ。幾ら相手憎しといえど、土足で踏み込んだのは此方です! 外交はそれを許しません! 下げる頭があるうちはいくらでも下げます。それが外交です!!」

外務大臣は強く反論した。

 

「なにを! 貴様!! 統帥権干犯だぞ!!」

陸軍参謀本部の後方に座る参謀本部の次官たちが次々と声を上げた。

しかし、その時、言葉重く

「そろそろ兵糧が尽きるぞ」米内のドスの効いた声が室内に響いた。

身構える陸軍の将校達

即座に企画院総裁が手を上げた

「え〜、企画院としましては、陸軍に対して予算の再考をお願いしたい」

「なに、予算だと」陸軍参謀総長が声を上げた。

その声にひるまず、企画院総裁は、震える手元を隠すように

「既にご存知のように、近年国内の工業、農業の総生産量、及び金額は右肩下がりの状態であります。大蔵省と共同して各省庁、陸海軍への予算配分を検討しておりますが、税収の目減りは当初の予想を大幅に上回っております。よって今年度の予算配分も見直す必要になっております。特に陸軍に置きましては満州方面作戦での物資消費量の増大に伴う予算の圧迫が顕著であります。御再考していただきたい」

参謀本部総長は

「予算なら、陸軍省の管轄だ」そう言うと東條大臣を見た。

東條は、手元の黒い手帳に目を落とし

「陸軍省としては、予算については追加の補正予算は組まない」とだけ言った。

それは、これ以上戦費がかさんでも、国から予算をぶんどる事はしないという事だ

「どういう事だ。東條君!」参謀本部総長が聞くと、東條はいつもの黒手帳に目を落としながら淡々と、

「言葉の通りだが」とだけ答えた。

「軍費がなければ、物資補給の目処がたたんではないか!」参謀本部総長が声を上げた。

「補給無しで戦えというのか!」

参謀本部の次官も声を上げたが、東條は

「当初の予算は、日米開戦を予定した物である。日米戦がなければ前提条件が変わる」

そう言い放った。

企画院総裁は、

「当初 陸軍は日米の開戦と同時に南仏印はじめ南方方面を占領し、石油等の資源、人材を確保する予定でありましたが、それは行われておりません。また、大変申し上げにくいのですが、陸軍による徴兵制の強化により国内の主要産業の製造能力は徐々にではありますが低下してきております」

企画院総裁は

「徴用兵力の殆どを現在支那方面に宛てている事を考慮すれば、国内の生産力の回復には支那の戦線の縮小と早急な人材の職場への復帰が必要不可欠であります」

だが陸軍参謀総長は、

「それこそ、支那大陸での侵攻を進め、支那の工業地帯を押さえれば済むこと」と言い放ったが、外務大臣は

「しかし、その支那では国民党、共産党共に後方への大移転と称して、主要都市の工業機械や人材を後方へ根こそぎ移転させたではないか! 重慶をはじめ主要工業都市は戦闘で破壊され使い物にならず。これでは本末転倒です」

と強く反論した。

じっと黙っていた近衛が

「参謀総長、無い袖を振る事は出来ない。そこは一考して貰いたい」

陸軍参謀総長は、むっとした顔で、その太った体を揺らし

「承服しかねる」

と声を荒げた。

 

確かに軍部は 統帥権を持って、何時、何処で、どの様な軍事作戦を行うか、内閣の承認、ましては国会の承認なしに行う事が出来る。

しかし、その元手になるのは国家予算である。

予算は内閣に属する陸海軍の各省が受け持つ。

内閣としては、平時には唯一軍部を押さえる事のできる切り札の一つである。

ただ行き過ぎると、515事件や226事件の再現となりかねない危険な切り札でもあった。

内閣としては、これ以上支那大陸(中国大陸)での戦闘を続けても収拾の見込みなく、戦費ばかりかさむ状況であり、下手をすればそれが国内の恐慌を引き起こす要因となりえると考え、一旦戦線を整え、支那大陸での国民党と共産党の動き(内戦の動向、決着)を見据えた後、米国政府との交渉を再開する糸口をつかむという意図があった。

1941年の11月の日米交渉の乙案を基本により踏み込む内容であった

昼の休憩時間の間、各省の事務官達は走りまわってようやく見出した方針であった

その方針に不満を表す陸軍であったが、海軍の軍令部はその推移をじっと見守っていた。

海軍軍令部にとって、支那戦線は陸の参謀本部の管轄だ。迂闊な事を言えば、

「では、戦いの無い海軍から予算をよこせ!」と言われる恐れがあった。

海軍は海軍で予算は逼迫していた。他に回す余裕などない

ここは静かにするしかないのである。

 

怪訝な雰囲気が会議室に漂い始めたころ、近衛の側に宮内省の職員がそっと近寄り、何かを耳元で囁いた

「本当か!」

「はい、陛下が皆様に至急参内せよとの事であります」

宮内省職員は静かに一礼した。

近衛首相は、居並ぶ大本営連絡会議の主要な者へ向い

「陛下が、ここに参集した内閣の主要閣僚、並びに陸海軍の総長へ参内せよとのご下命である。会議は一旦ここで打ち切りとし、支那からの撤兵については後日協議を行う。休憩の後、皆で陛下に拝謁する」

そう言うと、席を立ち自らの控え室へと足早に向った。

海軍大臣の米内も次官と共に小さな控室へと入った。

長椅子に腰掛けると部屋で待っていた事務官へ向い

「何か情報は?」と声を掛けた。

「いえ、招集は聞いておりません」

米内は、事務官の横に控える艦娘高雄へ

「高雄ちゃん。今日 大巫女様は境内だよな」

「はい。朝からいつもの様に祝詞を奏上されていましたが」

「お話の内容は何だと思う?」

すると事務官はやや表情を厳しくして、

「本日の議題の支那問題でしょうか。それともそれに関連した北仏印進駐の件かと?」

「いや、それなら会議の結論が出る前に呼び出すことはない。まだ御裁可を頂くまでに議論が煮詰まっていない、ただ停滞してはいたがな」

海軍次官が

「まあこちらとしては、仕切り直しとなりましたが、これで時間が稼げれば検討する事もできます」

米内は

「まあ、俺たちが呼ばれるという事は、国策上重要な事だ。ここは気合を入れていこう」

そう言うと、高雄の差し出した湯呑に入ったお茶を一気に飲み干し、

「彼女達も戦っている。俺たちはここで出来る事をしっかりやろう」

「はい、大臣!」次官や事務官はしっかりと頷いた。

 

いつも大本営会議の開催される会議室へと向かう首脳陣達。

米内は、一人歩く東條を捕まえ

「何か聞いているか?」と声を掛けた。

「いや、何も」東條はそれだけ答えた。

いつも持つ黒革の手帳をしっかりと左手に握りしめていた。

「叱られるかな」米内は軽くいうと、

「天子様は、いつも天道をお示しになる。自分達が誤った道を進もうとすればそれを諭される。誠にありがたい事である」

東條はしっかりと米内に答えた。

「そうだな」米内も静かに答えた。

 

米内は室内にはいり、いつもの席についた。

次官たちは別室にて待機である。

全員着席した所で、入口のドアが静かに閉った。

重く、乾いた空気が室内を流れる

姿勢を正して、じっと陛下の到着を待つ。

皺一つない真っ白なテーブルクロスが目に染みる。

「何度来ても、ここは慣れんな」誰にも聞こえないよう小さく呟く

 

その時、静かにドアが開かれた。

開き切ったドアの向こうから陛下が静かにご入室されてきた。

近衛首相をはじめ閣僚や陸海軍の総長が起立して陛下を迎えた。

陛下が静かに上座の席に着くと、皆一斉に着席した。

 

陛下は静かに着席した皆を見て、静かに重く

「今日は、大本営連絡会議の合間に皆に参集してもらったのは、幾つか皆に考慮してもらいたい事項がある」

そう話を切り出した。

「考慮でありますか?」

近衛首相が陛下へ聞くと、陛下は

「本日の議題でもあった支那についてであるが、国民党政府との戦闘が始まりはや四年。この間数万を超える将兵の犠牲が出ておる。現在の状況に鑑みてこれ以上の戦線拡充は 支那大陸における混乱を助長すると私は考えるが、皆は如何であるか?」

陛下は正面をじっとみた。

発言の順番は決まっていない、陛下が発言者を指名しなかった事で、最初にだれが意見を言うかが問題であったが、最初に口を開いたのは、やはり陸軍参謀総長であった。

「関東軍を預かる陸軍参謀本部といたしましては、蒋介石率いる国民党軍が抵抗できなくなるまで戦線を維持したいと考えております」

「それは、南京の汪兆銘政権を支持し、蒋介石率いる国民党政権を認めないという事か」

「はい、それに毛沢東率いる共産ゲリラについても決して妥協する事は出来ない所存であります」

「それでは、戦線は拡大するばかりではないのか?」

「陛下。支那における戦闘は既に終盤へと入りつつあり、国民党、共産ゲリラとも支那大陸の奥地へと撤退しており、我が関東軍は順調に進軍しております」

陸軍参謀本部総長はそう返事をしたが、

「なに、順調というか!」

陛下の語気が少し荒くなった。

「貴様は以前、陸軍大臣の時、支那は5ヶ月で片付くと言ったが、この状況は如何なものか!」

ぐっと陸軍参謀本部総長を見た。

「はっ、支那は奥地が広く作戦が予定通りに進まず」

すると陛下は、

「陸軍は、何処まで進むつもりであるか?」

「支那全域を支配下に収めたいと考えております」

参謀本部総長は、

「現在、欧州では独逸第三帝国軍がソビエト軍を押し込んでおります。独逸と同盟を結び、支那を占領後、速やかにシベリア方面に進出すれば、石油資源等の確保も出来、国策にかなうと考えております」

陛下は、首相の近衛を見て

「内閣として、この支那戦線をどの様に収めるつもりであるか?」

近衛は意を決し、

「内閣として、現在の支那戦線の状況を非常に憂慮しております。盧溝橋事件に端に発した今回の紛争は、支那大陸での政局の混乱を招いたばかりか、ソビエトの支援を受けた共産ゲリラの台頭など、紛争当初の様相とは大きく変化しております。また長引く戦火の為、日本国内も徐々にではありますが、景気に陰りが出ております。このまま支那戦線を放置すれば、我々は“勝者なき戦い”を続ける事になるのでは、と苦慮いたしております」

近衛は続けて

「本日の連絡会議におきましても、重要議題であり陸軍参謀本部、関東軍には一考を願うと要請しております」

近衛は、やや震える声でそう陛下へ報告した。

陛下は外務大臣をみて

「外務省は、現在国民党政府との交渉は可能であるのか?」

外務大臣は、

「可能ではありますが、直ぐに交渉をとなれば、こちらはかなりの譲歩が必要となります。最低でも戦線を満州国境まで後退させ、支那への軍事的干渉を取り除く事が前提となると考えております」

その言葉を聞いた瞬間、陸軍参謀総長は外務大臣を物凄い表情で睨んだが、外務大臣は微動にしなかった。

普段なら、“統帥権干犯!”と陸軍の参謀達から声がかかるが ここは陛下の御前でもある。

その様な非礼は許さない。

統帥権とは、陛下の大権である。

陛下の御前で軽々しく口にできるものではない。

その様な事をすれば、前回の御前会議のように、後日大巫女の様な大老から一喝されるのが目に見えていた。

陛下は、静かにうなずき

「内閣としては、これ以上の戦線拡大は、厳しいという事であるな」

「はっ、」近衛は静かに答えた。

陛下は静かに 大きく頷かれた。

この瞬間、近衛は表情を明るくした。

“陛下は、内閣の意向をご理解して頂いた!”

これは、後に陸軍への牽制となる。

流れをこちらへ引きよせる事ができるのではないか!

陛下は静かに

「支那大陸での戦闘は、現在混沌と化しておる。陸軍は闇雲に突き進むのではなく、国際情勢に留意し、今後は内閣とよく協議するように」

やや不満顔の参謀本部総長をみた陛下は

「どうか!」

厳しく声を掛けた。

「はっ」

参謀本部総長はそう返事をするのが精一杯であった。

このお言葉には皆驚いた。

要は「勝手は 私が許さん!」と陸軍へ釘を刺したという事である。

 

陛下は、陸軍参謀総長の返事を聞くと、少し姿勢を直した

そして

「先程、陸軍参謀総長の話にあった三国同盟の件であるが、陸軍としての意向は?」

本来であれば、陸軍軍政を預かる東條が答えるべきところを、東條が答える前に参謀本部総長が、

「り・・、陸軍といたしましては、三国同盟の締結は今後の支那方面ならび南方方面の戦略を考慮すれば、必要不可欠な同盟であり、絶対に締結すべきものであると考えております」

陛下は鋭く

「参謀総長、その理由は?」と問いただした。

「はっ、恐れながら申し上げます。現在支那方、満州方面の脅威の一つに、ソビエトの存在が御座います。三国同盟を締結できれば、我が方にとっては支那方面に置いて独逸と協力し、ソビエトの侵攻を押さえる事が出来ます。また南方に置きまして現在、独逸はアフリカ戦線にて英国と戦闘を有利に進めております。独逸がアフリカを制する事ができれば我が方は、インドを押さえ、南方方面の石油輸送路の確保を確実する事も可能でございます」

その言葉を聞いた近衛首相や外務大臣は、呆れた顔を少し横へ振った。

陛下は静かに少し頷き、

「確かに参謀総長の意見。一理ある」

その言葉を聞いた参謀総長の口元に笑みがこぼれた

“これで、三国同盟の再交渉は決まったも同然”そう思った時

「陸軍軍政を預かる陸軍省の意見は?」と陛下は東條を見た。

「はっ」静かに返事をする東條は、一呼吸置き

「恐れながら申し上げます。陸軍省といたしましては、昨今話題になっております三国同盟の再交渉につきましては、一考すべきであると考えております」

「一考とは?」陛下が更に聞くと、東條は

「確かに、参謀総長の意見の通り、支那方面等に有利に働く同盟であるとは考えますが、現在我が国はソビエトと不可侵条約を締結しております。三国同盟の再交渉はその不可侵条約に抵触する恐れもあり、陸軍軍政を預かる陸軍省と致しましては、他省の意見を考慮し賛否の判断を致したいと考えております」

東條の意見は尤もであった。

満州国境での戦闘を回避する為、日ソ不可侵条約を締結したのだ。

そのソビエトの宿敵である独逸と軍事同盟を結ぶという事は、日ソ不可侵条約の事実上の破棄を意味する。

再びソビエトと満州国境での戦闘が起こりかねない。

陛下は、

「海軍は?」と米内と軍令部総長を見た

暫し間が開いた。

米内は、軍令部総長の意見が出ない事を見て、

「海軍省といたしましては、三国同盟の再交渉は、米国をはじめとする欧米諸国の理解を得られないと判断します。火に油を注ぎかねません」とはっきりと答えた。

陛下は続いて

「近衛、内閣として、如何なる所存か?」

「はい、内閣といたしましては、外務省、関係各省と協議の結果、現在の状況では締結は厳しいとの見方であります。陸軍は軍事面での有利を理由に締結交渉と申しておりますが、米国始め諸外国の反発は必至であります。また独逸においては過去、他国との不可侵条約を一方的に破棄した経緯もあり、国家としての信用度にいささか疑問もあります」

近衛としては、過去に三国同盟締結の為に自身の内閣で動いた事もあったが、海軍の猛反発に合い前回の交渉は不発に終わった。

その後独逸は 突如ポーランドへ侵攻。不可侵条約を結んでいたソビエトに宣戦布告した。

事実上の第二次世界大戦の始まりであった。

その後、ソビエト領内へ侵攻するのと同時に、フランスへも侵攻。

パリを占領した。

フランスを支援する為、イギリスも参戦。

その後昨年末には、遂にアメリカも軍事介入する事態となった。

ヨーロッパでの動乱は、全てこの独逸の愚行により始まったと言える。

今、日本もその動乱の波にのまれかけている。

深海凄艦との地域紛争と支那大陸での戦闘で精一杯の日本にとってそれは、軍事大国である独逸からの支援という甘い言葉とは裏腹に危険な匂いのする同盟でもあったのである。

今の近衛内閣には、その様な博打ともれる同盟に参加する度胸は無かった。

また今回の三国同盟の再交渉は、日本側からのアプローチではなく独逸側からの軍事的な要請の面が強かった。

軍事的利害、即ちソビエトと米国への牽制という部分だけ共通点があるもののそれ以外の部分では、不透明な点が多い。

近衛の内心では、

「遥か遠方の大国の思惑に振り回されたくない」というのが本音であった。

陛下は近衛の意見を聞き、

「内閣としては、慎重に事を進めたいという事か?」と再び問いただした。

「はい、その通りであります。米国との経済制裁解除に向けた交渉を鑑みますと、急ぎ独逸との同盟を締結するのは、いささか思慮に欠けるかと思われます」

陛下は、深くうなずいた。

その時、陸軍参謀総長が、

「恐れながら申し上げます。陸軍は今回の三国同盟の再交渉は、是非とも実施したく既に準備を進めております。今回の三国同盟の再交渉で、我が方は独逸より最新の軍事技術。特に新型の航空機エンジンや電探技術などを導入する事が可能であり、今後の戦局を大いに有利に進める事が可能であります。ここは積極的に交渉を進めるべきと上奏いたします」

そう、鋭い声で言い放った。

それを聞いた、海軍大臣の米内は内心

“俺達はその数十年先の技術を手に入れようとしているのだがな”

 

陸軍参謀総長の発言を聞いた近衛首相や外務大臣の表情が曇る。

「では陸軍は多少、米国との関係が悪くなっても三国同盟の再交渉は、必要であると申すのだな」陛下の問いに

「はっ」深く一礼する陸軍参謀総長

陛下は

「陸軍は、資源はどうするつもりであるのか? 現在我が国は第3国経由で辛うじて資源を確保しておる。米国との関係がこれ以上悪化すれば その迂回輸入も止まってしまうが」

陸軍参謀総長は、やや額に汗を浮かべながら、

「はっ、現在マーシャル諸島方面での深海凄艦の排除作戦が実施されております。排除後速やかに兵を南下させ、オーストラリア、インドネシアを勢力下に収める事ができれば解決できると考えております」

それを聞いた陛下は、少し語気を強め

「それは、オーストラリアに宣戦を布告せよとのことか?」

陸軍参謀総長は慌てて

「いえ、決して。ただ兵を南下させればオーストラリアとの交渉も有利に進むのではと参謀本部では考えております」

それを聞いた米内は

“例の新統帥派の入れ知恵だな。オーストラリアの鉱物資源、インドネシアの石油に目がくらんだか? どうせ深海棲艦を追い出した後にフィジー辺りで小競り合いをして、なし崩し的に戦線を南下させる。そんな魂胆だろうな”

チラッと横に座る東條をみたが、顔を真っ赤にして参謀本部総長を睨んでいた。

 

陛下は静かに、

「陸海軍の両総長。私は、マーシャル諸島での統治権回復の為の作戦に裁可を与えたのであって、戦線を拡大する事に同意した覚えはないが?」

陛下の鋭い声が室内に響いた。

統帥部の両総長は深く頭を下げ

「はっ」と返事をするのが精一杯であった。

頭を下げながら陸軍参謀総長は

“くっ、”と焦りの色を濃くし、

“参謀本部内の若手をどう抑えればいい! これでは儂が板挟みではないか!”と苦悩した。

陛下は、少し間を置き

「内閣と統帥部は よく協議の上事を進めるように」ときつく声にだした

近衛をはじめ、招集された者達が一斉に了解の意味で深く頭を下げる。

 

陛下は話を変え

「先程の独逸との関係であるが、皆に一度考慮してもらいたい懸念事項がある」

陛下はそう言うと、皆を見て

「かねてより独逸の首相であるヒトラーは、その著書の中でアーリア民族の人種的優越を説き、他民族、特にユダヤ民族に対し排他的言動を取っておる。現に独逸国内に於いては、すでに多くのユダヤ系住民が何処かへ強制移住させられているとの話もあるが、聞いておるか?」

皆少し顔を見合わせたが、外務大臣が

「恐れながら申し上げます。数年前より独逸国内のユダヤ人に対する迫害政策は過激さを増しております、在独逸大使によりますと、対外的には厳しい情報統制を行い情報が外部に漏れないようにしておりますが、多数のユダヤ人がユダヤ民族であるという理由だけで強制的に財産を没収されポーランド内にある収容所へ送られているとの情報を受けております」

それを聞いた陛下の表情が厳しくなった。

「では、独逸は組織的に民族隔離政策を行っているという事であるか?」

すると外務大臣は、

「ヒトラー首相の支持母体であります独逸労働者党は、独逸民族優位主義を掲げておりますゆえ、思想しては非常に危険であると思われます」

陛下は、続いて外務大臣へ

「我が国はソビエトが受け入れを拒否したユダヤ難民を多数満州に受け入れた経緯がある。外務省は引き続き留意するように」

「はっ」しっかりと返事をする外務大臣

陛下は

「かつて陸相の板垣は“我国は八紘一宇の国である”と申しユダヤ難民を受け入れたが、私もそう思っている」

そう言葉重くいうと、

「自らの思想の為、他者を排除するような国家、ましては条約を守れぬ国家と同盟を結ぶという事は、如何であるか?」

そう皆に言うと

「皆には、その事十分に考え国策を決定して貰いたい」

 

“決まったな!”

米内は内心そう思った。

陛下の独逸への不信感がこの様な形で露呈するとは思っていなかったが、この不信感を覆す程の材料を統帥部が持っているのか? 甚だ疑問であった。

 

陛下は、席に着く東條を見て

「東條」

「はっ」

「そなたが、関東軍参謀長の時の判断は、決して間違ってはおらぬ」

「ありがたきお言葉」東條は深く頭を下げた。

東條の眼に薄っすらと涙がこぼれた。

独逸での迫害を恐れた約2万人のユダヤ難民は、ポーランドからソビエトへと流入した。

しかし、ソビエトはユダヤ難民の流入を警戒し、受け入れを拒否。行き場を失った難民達は、一縷の望みにかけ、シベリアを経由し建国間もない満州へと流れついた。

日に日に膨れ上がる難民に関東軍は慌てたが、当時関東軍の特務機関長の樋口は、この難民の受け入れを決意、東條へと直談判したのであった。

樋口の熱心な説得に心動された東條は難民の受け入れへと舵を切った。

しかし、それを快く思っていなかったのは独逸であり、直ぐに独逸は在日大使を通じて関東軍へ抗議を申し込むが、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と東條はそれに取り合わなかった。

“利より義を重んじる”

これが彼のゆるぎなき信念であった。

この満州でのユダヤ人保護が後の日本の運命を決める一つの要因になるとは、この時だれも想像していなかった。

 

会はその後、散開となり大本営連絡会議も陛下のお言葉を受け一旦休会となり、後日再び討議を行うという事で、皆宮中を後にした。

東條は、陸軍省へ戻ると大臣室へ向った。

大臣室に入ると、席へ静かにつき待ち構える事務官と軍務局長へと声を掛けた。

「石井」

「はっ」

「この時間は貴重だな」

「はい」

「省内をまとめられるか?」

「はい、必ず」事務官の石井中佐はしっかりと答えた。

「軍務局長」

「はい、閣下」

東條は窓を見て

「向こうは?」

「はっ、先程参謀総長も御戻りになったようで、若手の幹部が総長室に押しかけております」

東條は、怪訝な顔をしながら

「今頃 総長は、締め上げられている頃か」

軍務局長は、

「多分そうだと思います。此方から誰か行かせますか?」

「いや、今は静観しておけばいい」

「はっ、」軍務局長はそれを聞いて

「しかし、今日は驚きました。まさか陛下からあのようなお言葉がでるとは」というと、

横に立つ中佐も、同意するように

「自分も話を聞き驚いております」と話を切り出した。

軍務局長が、声を潜め

「横須賀の主の意向でしょうか?」

 

東條は、椅子にかけたまま、静かに

「いや、それはない。陛下はお前達が思う以上に勤勉なお方である。日頃より政治、経済、軍事だけではなく、世間のあらゆる分野にご関心をもっていらしゃる。今日のお言葉は陛下ご自身のお考えである」

「しかし御聖慮とは言え、参謀本部、特にあの新統帥派が納得するでしょうか?」

軍務局長の問いに

「いや、せんな」東條ははっきりと答え、

「軍務局長、近衛師団長との面会を用意してくれ」

それを聞いた石井中佐や軍務局長は身を乗り出した。

「閣下!」

東條は表情を厳しくして

「いざという時は、参謀本部を敵に回してでも、陛下を御守りする」

そう厳しく声に出した。

 

その陸軍省の隣にある陸軍参謀本部の総長室では、怒号が飛び交っていた。

“ダン!”

拳が机を叩く音が室内に響いた

「納得できません! どういう事でありますか!!」

若い参謀達が、席に座る陸軍参謀総長に詰め寄った。

参謀総長は、額に汗を浮かべながら、

「まあ、落ち着け、君達!」と手で制したが、将校達は、それに構わず

「御上が“支那での戦闘を止めよ”言われたとはどういう事でありますか!」

「陛下がその様な事を!! 決してあり得ません!」

将校達は口々に今日の陛下のお言葉を否定する内容を叫んでいた。

参謀総長は、

「陛下は 直接“支那大陸から撤兵せよ”とは仰せになってはいない、ただ内閣と協議せよとのお言葉である。陛下の御聖慮である。参謀本部としては、無視はできない」

そう答えるのが精一杯であった。

「ならば尚更の事です!! 我々統帥部は統帥権を有しております! 内閣の意向に関係なく事を進める事ができます! 閣下! あと少しで支那大陸を制圧できるのです!」

将校達はぐっと攻め寄った。

「しかし」参謀総長の声は弱かった

「必ず支那を制圧して見せます! そうすれば陛下もきっとお許しくださいます! ノモンハン、満州事変でも結果が良ければ、お咎めはありませんでした。ここは進むべきです!」

「そうです!!」

取り囲む将校達も一斉に声に出した。

一人の将校が

「聞けば 東條閣下も同意されたとか! 今すぐ陸軍省へ行き閣下を説得しましょう!」

「そうです、我々が行けば閣下も納得され心動かされるに違いありません!」

「是非とも参謀総長も東條閣下を説得下さい」

次々と若手将校達が詰め寄ったが参謀総長は、静かに

「東條は動かん」とだけ重く言い放った。

そして、小さな声で

「東條は、忠義の為なら味方も切り捨てる」

その声に静まり帰る室内。

 

「やはり、諸悪の根源は横須賀ですか!!」

一人の将校が声に出した。

「そうです、今回の陛下のお言葉。本心とは思えません! きっと横須賀の女狐が裏で陛下にそう言わせているに違いありません」

「そうだ! ここは我々の手で国賊に天誅を与えるべきです!」

「そうだ!! 海軍の腰抜けどもがそう言わせているに違いありません!」

「異議なし! 即時実行しましょう!!!」

次々と将校が声に上げたが、部屋の片隅に座る一人の男が

「時期尚早」と声を上げた。

将校達は振り返り

「中将殿!」

そう言われた男は、そっと席を立つと皆の前に出て、

「今 動いても決して陛下はご理解いただけない。なぜならまだ我が陸軍の優秀さを世間に知らしめていない。このまま決起しても“世論”が付いてこない。それでは226の時と同じである。まずは世論を動かし、“蜂起やむなし”という声が国民から上がる時でなければならない」

頷く将校達。

 

男は口元に笑みを浮かべながら、そっと参謀総長の横に立つと

「間もなく機は熟す。その時こそ諸君らの決起の時である。それまで暫しの辛抱である」

一斉に一礼する将校達。

 

男は、そっと

“このままでいい、憎悪が最高に達した時こそ我々の出番だ”

男の瞳の奥でどす黒い影が動いた。

 

 

夕暮れ染まる都心

皇居内にある陛下の執務室

陛下は、静かに執務机に向い、書類に目を通しながら前方に控える内府へ

「内府よ、その後動きは?」

「はっ、今の所は落ち着いておりますが、統帥部、特に参謀本部は」

「反発しておるか」

「はい」内府は静かに返事をした。

そして

「陛下、よろしかったのでありますか?」

陛下は静かに読みかけの書類を手元に置くと、

「今まで、私は陸軍に対し“自ら襟を正して”貰いたいと常々思ってきた。満州事変、ノモンハン事件、数え切れない程陸軍はその範を犯して来たと言ってよい。統帥を授ける者として、これ以上の暴挙は先帝に顔向けできない。明治天皇が作り、そして大正天皇がお育てになった軍に何かあっては、申し訳ない」

そう言うと、

「軍とは、国家の礎。その礎が揺らぐような事があってはならない。ここは自分が悪者になってでも、諌めるべきである」

そう強く言葉に出した。

内府は、それを聞き、深く頭を下げた。

 

陛下はそっと手元にある書類へと視線を動かした

「我が国の未来。如何にして歩むべきか?」そう御自身に問いかけた。

その視線の先 書類の表紙にはこう記載されていた

 

日本国憲法

昭和21年11月3日公布

昭和22年5月3日施行

 

まだ見ぬ未来の世界であった。

 

 

南の島

ポンペイ島に朝日が差す

北部沖合に停泊する日本海軍の艦艇群

その中でひときわ目立つ巨大な鉄の船 4隻の鉄の城

戦艦金剛、比叡 榛名 霧島

その戦艦金剛の艦橋では、各員が配置につきその時を待っていた。

既に昨日の夕刻から徐々に機関の出力を上げ、既に運航可能状態まで、出力を上げていた。

煙突からは、勢い良く黒煙が上がっている。

 

艦娘金剛は、静かに操舵室の艦長席に着き、その時を待った。

じっと目を閉じ 昨日の夕刻の事を思い出していた。

三笠を交えた作戦の打ち合わせも終わり、中佐と比叡達と艦内で夕食を摂った後、夕闇迫るなか、中佐は自らの艦へ帰るべく舷門に立っていた。

それを見送る為に金剛達も舷門まで来ていた。

夕日に染まる中 元中佐の横に立つ金剛は名残惜しそうに

「あの、中佐。・・・今夜はと・・」と言いかけたが、元中佐はそっと金剛を見ながら

「金剛、気持ちは有難いが作戦前だ」そういうと、そっと金剛の頭を撫でた

「うん」と珍しく小さな声で返事をする金剛

元中佐は、

「三戦隊は、任せた。先にトラックで待っているぞ」そう言うと金剛の頬にそっとキスをした。

元中佐にキスされ真っ赤になる金剛

元中佐の顔を見ながら 両手で拳を作り、元気一杯に声を上げた

「金剛 頑張るネ!!」

いつもの金剛であった。

 

それを見ていた 榛名は横に立つ霧島へ

「やはり、金剛お姉さまを扱わせたら中佐が一番ですね」

「ですね、榛名。ああ計算通りだと、ちょろすぎませんか?」

榛名は小さな声で、

 

「ちょろい金剛、“ちょろごん”です」

 

“ぶっ!”

 

霧島は 榛名の一声を聞いて一瞬 吹き出しそうになった。

元中佐は、金剛の後に立つ比叡達に向い

「別に訓示する訳じゃないが」それを聞いた金剛達は一斉に姿勢を正した。

元中佐も金剛達の前に立ち、しっかりとした口調で

「今回の敵地強襲作戦は、海軍の長い歴史の中でも前例がない。長駆の隠密航海、敵勢力下への侵入、夜間強襲と脱出。不確定要素が多い。しかし、俺は君達第三戦隊なら必ず任務を完遂する事ができると確信している」

そう言うと、金剛達を順に見て

「敵の心理に ”恐怖“を植え付けてこい! 全員の無事の帰還を祈っている」

それを聞いた瞬間、金剛達は一斉に敬礼し、

「私達に任せてクダサイ!」金剛の自信あふれる声が夕日に染まる甲板に木霊していた。

 

 

「時間です!」

金剛副長の声が艦橋に響く

そっと目を開ける金剛

緊張走る艦橋内

金剛は、静かに席を立つと、呼吸を整え大きな声で、右手を大きく前に振り出しながら

「第四遊撃隊! 出撃します! Follow me! 皆さん、ついて来て下さいネー!」

声高く号令を発した。

その瞬間 艦内放送がかかり

「出港用意!!」

出港用意の号令ラッパが艦内に鳴り響く!

金剛のマストに出港用意の信号旗がスルスルと昇った!

「甲板長! 抜錨!!」

一斉に動き出す甲板員妖精達

 

旗艦金剛の動きに合せ、比叡達も一斉に出港準備へと入った

少し離れた場所に停泊していた戦艦三笠でも トラックへの帰還へ向け準備が進んでいた。

露天艦橋へ上がり、金剛達を見ていた艦娘三笠は

「今頃、マジュロではこんごう殿達が救出作戦の真っ只中。この救出作戦と今回の強襲作戦が成功すれば、ほぼ趨勢は此方へ傾く」

三笠は戦艦金剛の船体を見ながら

「皆、無事に帰ってくるのであるぞ!」

そう呟いた

 

南の島に戦いの風が吹こうとしていた。

 

 





皆様 こんにちは
スカルルーキーです。 分岐点 こんごうの物語 第65話をお送りいたします。

まず 毎回多くの方より ご感想や誤字報告を頂き厚く御礼申し上げます
本作ような稚拙な作品でもちゃんと読んで頂けると思うと、頑張って書いた甲斐があります。

家の周りでは 梅が満開で、春ももうすぐという雰囲気でありますが、この時期は花粉症の方には辛い時期ですね。
幸い自分は、その症状がないのでいいのですか、逆に昔から症状が悪化するまで医者に行った事がないという体質です。
単に我慢強いのか? 鈍感なのか?
自分では後者だと思うのですが・・・

さて今回のお話の「大本営連絡会議」のシーンですが 前から書きたかったシーンです
会議とは、何かを決定する場なので、毒々ものです(自分も何度もそういう修羅場?を経験しました)
歴史に”タラレバ”は禁物なのでが、
もし日米開戦がなければ?
もし陛下がもう少し強くご発言さなれていれば?
もし満州から撤兵できていれば?

いったい日本は どんな国家になったであろう?
と想像する日々です。

では

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