世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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八話.案内

 ホープマンズが十五階に巣食う怪物を討ち取ったことにより、二の足を踏んでいた冒険者たちは活気づいた。二階層の者達は三階層へ、三階層の者達は続々と四階層へなだれ込んだ。

 当のホープマンズの六人はその日、エドワード以外のメンバーは今週三日目となる休暇を満喫していた。

 冒険者業は体が資本。余裕が無い四、五人構成のパーティの場合は週六日潜るのが普通。

 ホープマンズは六人いるので、特殊な事情が無い限り全員週二日休める計算となる。月曜日から土曜日は迷宮に潜り、日曜日は一斉休暇。こんな感じのローテーションである。

 四階層到着から一週間過ぎた。辿り着けたのは良いものの、ほぼ白紙の状態でのスタートだった。どこのパーティも様子見で十六階近辺を探るだけで、奥へ行こうとするパーティはまだいなかった。

 ローテーションが正しければ、今日ホープマンズは一斉休暇の日のはずだったが、エドワードは完全武装した格好で五人を連れて世界樹を目指して歩いていた。その五人はいつもの顔触れではない。一人は脛や頭、肘と腕など一部に防具を付けて、矢筒と弓を背負う若い男。後の四人は、エトリアの衛兵に支給される鎧兜を身に付けていた。

 

 

 

 ホープマンズが四階層に到達してから五日後のこと。執政院ラーダ長ヴィズル直案の公案が街全体に発布された。

 内容を要約すれば、街の一部の衛兵を四階層にまで連れて行けという依頼だった。

 ヴィズルは冒険者たちが十四階に到達したときからこのことを計画していたようであり、執政院の役員達から反対の声が上がらないところを見ると、既に根回しはしていたようだ。だが、市民からは大いに不満の声が上がった。何故なのだ?  

 我々は何も聞かされてないぞ。衛兵も市民の一人なんだぞ? 軍事政権を打ち立てようと目論んでいるのか? 市民と一部の冒険者の間で今回の公案は論争を生んだ。

 皺寄せはいつも現場にくる。細面の眼鏡をかけた温厚そうな人物、冒険者窓口室長オルレスの担当部署にまで、市民が押しかけ抗議してくる始末。当のエドワードは仕事柄、オルレスとは顔見知りで、それとなく訪ねてみたが、オルレスも詳細は知らないと首を振った。

 

「君と同じことを聞いてくる輩は何人目になるかね。…失礼、最近自宅にまで押しかけて文句を言う輩がいる者で、あまり眠れてないのだ。君らや市民の方々の言い分はよく分かるが、詳細を知りたいのは私も同じなのだよ。私もヴィズル様に聞いても、ヴィズル様は『嫌な予感がするからだ』と答えにならない答えしか言ってくれないのだ」

 ふうと一息入れたら、オルレスは質問を挟ませないよう一気に話した。

「出来ればでいいから執政院のミッションを受理してくれないか、エドワードさん。長の真意は不明であるが、長は決してふざけたり、あてずっぽうに言ったり、ましてや戦争しようという魂胆があって公案したわけではないはずだ。もちろん報酬は弾むよ」

 

 報酬金は衛兵一人連れていけば六百エン。最大数の五人を連れていけば三千エンも支払われる。

 案内の間に採集した収集品の類も全て案内者に贈与するという破格の報酬。ホープマンズは最近になって勢いに乗り始めて金銭的にも余裕はあるが、まだまだ楽とはいえない。

 エドワードにとって、今回の仕事はただ、金を稼ぐ以外にもある。エトリア市民と衛兵の、無用な疑いを避ける目的もある。

 どこからか。カルッバスの者達が盗賊の手先になったというたわけた噂。疑いを晴らすためにも、エドワードが二部族の代表として余計に頑張らなければならない。今回の依頼は、衛兵たちに顔を売るのと同時に、少しでも疑いを晴らす目論見もあった。

 冒険者家業はハイリスク・スーパーハイリターンの日もあれば、ハイリスク・ノーリータンの日もある。

 冒険者家業の引退の目安の一つに、一人頭三十万エンのお金を分配できるほど金を貯める例がある。エトリアと周辺地域や国において、三十万エンもあれば、ギャンブルで全額を賭けるなどよほど大馬鹿な使い方をしない限り、半生を働かずに細々と暮らしていける額である。

 ホープマンズの個人財産と全体共有財産を合計した場合、ようやっと三十万を越すぐらい。一人頭三十万の金額を稼ぐのは、いかに大変なのかがわかる。

 冒険者は金が稼げるチャンスならどんな仕事でも引き受ける。冒険者はある意味では街の何でも屋家業の側面もあった。トルヌゥーア内壁の門を潜ると、ばったり顔見知り三人と出会った。

 

「よう、おはようさん」

 

 明るいオレンジの髪をきつく後頭部で縛り、白衣を着て、どこか飄々と抜けた挨拶をしてきたのは、グラディウスのリーダーでメディックのオルドリッチ。

 隣の羽根つきの三角帽を被った寡黙なレンジャーの男、カールロも微かに会釈した。エドワードも二人に無言で会釈した。

 オルドリッチはエトリアから北西に位置する国にある小さな町の出身者。

 賢く医術にも興味があったので、両親は医術が進んだエトリアに彼を奉公人として送り、しばらくは施薬院の見習い医師として働いたが、薬の材料となる物を採集するため樹海に何度も足を運ぶ内に冒険者稼業に興味を覚え、今や街でも名が知れた冒険者の一人に成長した。

 樹海を探索するには当然、何かしら武術の心得はあったほうがいい。エトリアの医師に課せられた義務の一つに、槍術・剣術・棒術など武術を学ぶことが必須に入る。

 彼は棒術を選んだ。理由は、剣と違って扱いやすそうで、うっかり刃で手や体が傷付くこともなさそうだから。

 ホープマンズはグラディウスと一度、女王蟻殲滅作戦のときに共同戦線を張ったことがある。そのときの蟻共と対するオルドリッチの昆捌きは中々の物であり、接近戦なら一筋縄ではいかなそうな相手だとエドワードは思った。因みにエドワードより一つ年下だ。

 カールロはよく分からない。どこぞの山奥にある狩猟民族の生まれらしいが、それ以外の詳細は語らない。一回、カールロは金鹿の酒場でこう語った。

 

「私の遠い先祖もかつて冒険者だった。どうやら、私の先祖は二階層で何かを見たらしく、以来、私の家では『時至れるとき、禍き花を摘み取れ』という言い伝えがある。私自身が冒険者になりたい憧れもあったが、どうも言い伝えでは、例の花とやらはそろそろ開花する時期らしい。私が冒険者になったもう一つの目的はその花を摘み取るためだな」

 

 語りすぎたと思ったのか、彼はそこでぷっつりと言葉を切った。二階層の花とは一体? 少なくとも、あのよく見る食人植物の類ではないだろう。

 真偽の程はともかく、狩猟民族の生まれだけあって、カールロは弓の扱いに慣れていた。もっとも、エドワードは射撃精度に関しては自分の方が上だと自負していた。

 もう一人。顔は見えず、樹海時軸の間近で四人の衛兵と和気藹々に会話している者。団子状に結って縛った赤茶色い後頭部、グリーンのコートを羽織り、両腕に錬金術師共通の籠手と手袋を嵌めた背の高い女、ドナ・A・トルヌゥーアだ。

 名前から察するとおり、彼女はこの内壁を造った人物の子孫だ。

 そして、名前に一文字入った「A」のイニシャルは、アジロナの「A」を指す。いわば、彼女は街の歴史教科書に掲載された二人の偉人の血を受け継いでいるのだ。

 彼女はエトリア州内の宿場町で生まれた。幼い頃から世界樹の秘密を解き明かすと公言して憚らず、元気というよりもお転婆で、少女ながらガキ大将もやっていた。エトリアにも度々訪れ、街を歩き回っては多くの人々に声をかけた。そのため、エトリアにおいて彼女の名前を知らない者はいない。

 十八歳の時、三百年前頃から執政院が新米冒険者に課す一カ月に及ぶ受講を受けて、晴れて冒険者になった。

 エトリア州出身の冒険者自体は珍しくないが、大半の者は小銭を稼ぐ程度に稀に浅い層を探るだけで終わり、彼女のように奥へ奥へと進むようなエトリア出身の冒険者は非常に少ない。ドナは快活で口調もハキハキとしており、友人知人も多く、その上偉人二人の血を受け継いだエトリア州出身の冒険者。街で一番期待されて人気と知名度もあるパーティといえば、彼女が率いるパーティこそそうであろう。

 遅れたメンバーの一人が来るや、ドナたち一行は樹海時軸の光の輪に入った。

 自分達のように、あくまで仕事上の関係で探索を共にするだけの仲間意識はないパーティとは違い。あちらは本当のパーティのようだ。

 では、お先にと、二十秒後にはオルドリッチの一行も樹海時軸を通った。

 ルールブックには無い冒険者同士の暗黙の決まりに、別のパーティが時軸を通った跡は最低でも二~三十秒程度間を開けてから通るルールがある。

 樹海では多く行けば、その分危険と安全の両方が増す。人数が多ければ危険にも対処しやすいが、危険自体も多く呼び寄せてもしまう。長い研究の結果、特殊な事情で他のパーティと手を組むに限り、最大探索人数は六人までと決められている。

 であるが、どういうわけか五人のラインを超えると、明らかに五人探索時よりも怪物が襲うケースが増加するので、実際の限度は五人が正しい。

 

「俺とあんた方は仲間でもなんでもないが、五体満足で帰りたければ、今日だけは俺をあんた方の隊長と思って大人しく指示を聞いてもらおう。それが、あんた方の案内を任せられた俺に課せられた責任でもあるしな」

 

 年上の衛兵も年下の衛兵も何も言わず、整列した。エドワードはそれが彼らの返事だと知った。あなたに従おうと。三十秒間を開けて、装備の最終確認が終えたエドワード率いる衛兵の一行も時軸を通り、二階層に降りた。エドワードが案内する五人は三階層にはまだ到達していなかった。

 ムッとした熱気と不愉快極まりない湿気が同時に襲ってきた。地面は奇妙に柔らかく、植物が鬱蒼と生い茂り、いるだけで気分まで落ち込んできそうな暗い密林。久しぶりの二階層だが、感慨とかは一切湧かない。むしろ、すぐにでも地上、あるいは日が差す上の緑の樹海や三階層に行きたくなった。

 先には、五人の冒険者がいた。先の二組とは違う一行だ。どうやら、ドナとグラディウス率いる衛兵たちは、全員三階層に辿り着けるような強者揃いのようだ。先に見える一行が左に曲がったのを見て、一行は出発した。この中でもエドワードが一際大きいが、エドワードは自分より少し小さい、大盾を持つ衛兵を歩かせた。

 最後尾は大盾を持つ衛兵が二名、真ん中は軽装備で矢筒を背負った若者と、ソードマンのような出で立ちの衛兵がいた。この一行を冒険者の職で表せば、パラディン三人、レンジャー二人、ソードマン一人という偏った構成になる。

 彼らには背負うべきある物がなかった。小舟のパーツだ。

 とてもじゃないが、小舟のパーツを背負っての二階層横断は無理と無茶がある。ケルヌンノスという三階層への道を守るかのように立ちはだかる怪物もいるが、所詮、あんなのは氷山の一角にしか過ぎない。

 二階層は湿度と熱気が非常に高く、何もしなくても体力が奪われていく。

 毒ガス漂う沼などがあちこちに点在し、悪い虫や小さな植物が知らぬ間に体に引っ付き、病気や熱にうなされる。

 おまけに、二階層は他の階層の怪物が出現する例が多々ある。他にも二階層は恐るべき脅威が間断なく冒険者を襲う。二階層は大半の冒険者が命を落とす修羅場であり、冒険者たちに退くか進むかの選択肢を迫る階層でもある。

 ごく一部、二階層に留まる選択肢を選ぶ者もいるにはいるが、エドワードは絶対進むを選んだ。退くなんてもってのほかだが、留まるのはもっとあり得ない。体がぶっ壊れるのが目に見える。

 

 

 

 二階層は十階を除き、六階から九階まで道は複雑にくねり曲がっている。地図だけ見ていたら確実に迷う。目で冒険者たちが付けた印を見落とさないよう注意深く見て、道無き道と記憶を慎重に辿らなければならない。

 半時過ぎたか。運よく怪物とは戦闘にならずに済んだ。更に半時が過ぎて、七階層まで残すところ四分の一の地点に差しかかり、遂に戦闘の時が来た。

 

盾三列(たてさんれつ)! 他待機」

 

 エドワードは素早く指示を出して、陣形を作った。盾三裂と指示すれば、大盾持ちは線で結べば三角形状の陣を作り、盾ツーと叫べば、前の盾持ちはそのまま、後列にいた盾持ち二名が槍で止めを刺すなど、エドワードは地上で簡単な戦術の合図を取り決めていた。

 少し開けた場所に居る一行。その一行を挟む形で、右からは青と黄赤の羽を持つモア。左からは黒熊の獣人、別名”森の破壊者”が出現した。

 前盾左と言い、前列の盾役は左に回った。エドワードは森の破壊者が攻撃するよりも早く、弓ワンと叫び、横へずれた盾役二人の隙間から射かけた。

 三人張りの張力が強い弓から放たれた矢は見事、森の破壊者の心臓に当たり、森の破壊者は膝を付いた。エドワードが盾ツーと指示を出すや、二人は槍で怪物の喉と胸元を突き刺し、押し倒した。森の破壊者が槍で刺された瞬間、モアが跳躍して、右の盾役目がけて鋭く太い爪が生えた脚を伸ばした。右の衛兵はかろうじて攻撃を受け止めた。若い射手は怯えた様子で立ち尽くしていた。

 

「盾ツー囲め。剣後方。弓矢は援護射撃」

 

 盾役二名がモアを囲んだ。モアが最初の盾役を攻撃しようとした身構えたとき、エドワードの矢がモアの右目を抉った。バランスを崩して倒れたモアに三本の槍が一斉に襲いかかり、モアは喘ぐような断末魔を上げて死んだ。

 息を付く暇もなく、戦闘は続いた。後方に回った衛兵と射手が、新たに出現したサソリを相手に苦戦を強いられていた。更に、これから行こうする道からは緑と紫のぶよぶよした丸っこい液体の塊が幾つもやってきた。

 

「サンダオイル! 盾ワンはサソリ!」

 

 エドワードは声を張り上げた。サンダオイルとは渾名で、正式名称はショックオイルである。説明は後述で。

 盾持ち役とエドワードは急ぎ、ポーチに括った黄色い瓶を引っ掴み、刃や鏃に塗りたくった。

 サソリと戦うよう言われた一人は、二人に気を惹きつけてくれと言った。射手役は早いとはいえない速度で矢を引き絞り、サソリの顔を狙った。しかし、ハサミで弾かれた。

 もう一人が振り下ろした剣も同じく。サソリは剣を握る一人を毒針で刺そうとしたが、剣を挟むハサミを放し、突如として駄々こねる子供のように暴れた。

 サソリの開いた口に槍が突っ立っており、穂先からバチバチと電流が音を立てて爆ぜていた。しばらくして、サソリの見開かれた双眸から光が失われた。電流が上手いことサソリの大事な神経や器官を焼いたようだ。

 反対側も決着が着いた。形が崩れた緑と紫の液体たちは、さながら陸に上がったクラゲのような状態になっていた。

 手始めに、ショックオイルを塗ったエドワードの矢が二つの緑の液体の動きを止めた。盾役二名が槍で薙ぎ払い、叩き、エドワードは横様から矢を射かけ、液体の進撃を懸命に食い止めたのだ。

 液体の正体は生物だった。

 これがなんで、何をもってして生まれ、何を考えて行動しているのか現代においても解明されてない。一応、判っていることもあって、この液体共は毒液を吐き出し、それで獲物を捕らえて食い、人間もその獲物に含まれている。

 エドワードは死体を捨て置いた。今回はこの五人を三階層に連れて行くだけ、余計な労力は避けたかった。

 何より、一度戦っただけで流れるこの汗の量。持ってきたタオルの一つがもうぐしょぐしょになっていた。久々の二階層での戦いは予想以上に体力を消耗した。一行は道を急いだ。

 幸い、六階では一度の戦闘で済んだ。

 

 

 

「ほら! 走れ走れ走れ! 心臓破れようと走れ!」

「心臓破れたら死にますよ!」

「黙れ! 走れ!」

 

 エドワードは口答えした者を声をからして一喝した。

 六人構成の一行は、いつの間にか十一人の所帯に膨れ上がっていた。彼らは沼を越え、汗を撒き散らしながら走り続けた。彼らの背後には、ぶんぶんとやかましい羽音が何百も重なり、下からは六階で遭遇した何倍もの数の液体生物が押し寄せてきた。

 一行に交じった五人に原因がある。エドワードたちが毒沼の地点を通り過ぎたら、怒ったような羽音が背後から聞こえて、振り返ると、必死な形相の男女五人が巨大な蜂と液体共に追われていた。

 その五人はこちらに来たので、自然と一行も逃げる破目になった。蜂とは軍隊バチのこと。軍隊バチは一匹や二匹なら大したことはないが、集団となれば別。何百何千と群れなして襲ってくる軍団バチの強さは、ケルヌンノスをも上回る。

 恐らく、五人は軍団バチの巣があるとも知らずに攻撃してしまい、誰かが放ったオイル付きの矢だか術式でもうっかり当たってしまったのかもしれない。液体共とハチは、天敵と共存という複雑な関係を築き、ハチの巣が攻撃されたら液体生物共も追っかけてくる。エドワードは遅れそうになる者がいたら叱咤激励を飛ばし、背や頭を小突いて走らせた。

 アルケミストが術式を放ち、レンジャーたちはオイルを塗った矢で時折り応戦したが、数が膨大すぎて矢では足止めにもならない。

 八階へ降りる通路百メートル手前で別のパーティと合流して、一六人の大所帯に膨れ上がった。

 降りる直前、例のパーティのアルケミストとついさっき合流したパーティのアルケミストが出入り口付近で立ち止り、特大の雷の術式を放った。

 つんざくばかりの轟音が通路内を揺るがし、追手の二割を亡き者にした。

 錬金術師たちも降りたのを確認して、一六人は戦闘態勢を取った。が、ごく少数の追手のみが来て、上に居るもっと多くのハチと液体生物は八階にまで来なかった。

 天然の通路は冒険者たちが手入れしている。とはいえ、暗く、狭いので、樹海の生物は人間が通る生物を滅多に利用しない。

 追手の大半は敵がいなくなったのを見て諦めたが、執念深い奴はわざわざこうして下まで降りて、大所帯に膨れ上がった一行の餌食にされた。しばらくして、襲撃が止んだ。五分経って上からもう降りてこないのがわかると、一行は三組に別れて息を付いた。

 樹海ではどんな事態に見舞われても不思議ではないが、これは完全に想定外だった。

 ズボンは汗でぐしょぐしょになっていた、泥で塗れるのも構わず尻餅をつけた。矢筒が空っぽになったので、エドワードと若い射手は盾持ちが担いだ荷から矢を補給した。あの五人組を責める気力も起きなかった。

 

「私が一言言ってやるから、あんたたちは休んでくれ」

 

 エドワードは余計な争いを避けようと、遠回しに抑えてくれと言ったが、例の五人組の一人はそう望まなかったようだ。

 矢筒と弓を背負う若い一人がエドワードの一行を指して、別のパーティに何かを言った。呆れを通り越して怒りが頭を駆け巡った。トラブルに巻き込んでおきながら、こちらに罪をなすりつけようとするとは、随分と大した性根の奴だ。

 しかし、一行が彼を殴る必要は無かった。彼より十歳ぐらい年上の先輩格が、恥を知れと彼を殴った。青年は涙目で男を見上げたが、男は非情な手で青年の頭を鷲掴み、一緒に頭を下げた。

 

「すまん! 俺の注意と教育が至らなかったために、とんでもない目に遭わせてしまった。俺たちが言えた立場ではないが、どうか今回の事は免じてほしい!」

 

 彼は次に、別のパーティにも同じように頭を下げた。途中で巻き込まれたパーティに顔見知りはいるが、あのパーティには一人もいない。住まいも利用する酒場も異なるのだろう。ともかく、リーダー格の咄嗟の判断のお陰で最悪な事態は免れた。

 どうでもいいが、最悪な事態とは流血沙汰だ。

 青年は先輩に殴られたショックと緊張が切れたことにより、ぐじゅぐじゅと涙と鼻水を垂らした。

 ここまでされて、あんな顔を見せられたら、怒りが引いた。そのパーティは責任をと、変位磁石を使い、地上に帰らないかと提案した。

 だが、エドワードの一行はこれを断った。変位磁石とは一時的に樹海時軸を発生させる物。大変希少で高価な品で、一回の予約につき一点しか買えない。

 男が地面に石を投げると、紫の光の輪が発生した。そこに十人の人間が飛び込んだ。磁石による時軸発生時間は短く、一分と経たないうちに光は焼失した。

 もうその石を拾って地面に叩きつけても、光は生じない。使用は一回こっきり。この石が光を放つようになるには、十年間樹海の地面に埋めなければいけない。一人がそっと土を添えた。

 取り残された一行は、八階にある水場へ向かった。この水場には人工物の壁跡が遺されて、周りは開けて見やすく、二階層でも数少ない安全な場所であった。

 壁跡の十メートル前に骨やら武器やらが散乱していた。臭い。骨に残った腐肉の状況から推し量るに、死後一週間以内かもしれない。エドワードはそれに見覚えがあった。街角の食堂でたまたま同席した冒険者の男だ。男の青い泥草に塗れたバンダナがその証拠。べっとりとした液体が付いているところを見ると、液体生物たちの毒にやられたのだろうか。仲間はどうしているのか。ここではないどこかで死んだか。それとも、彼一人を置いて逃げたか。

 先頭を歩む衛兵に知り合いかと問われ、無言で首を振った。

 死体をわざとらしく置き、同情した仲間を狙って襲いかかる狡賢い奴がいるのをエドワードは知っていた。

 第四階層の金の鹿を首尾よく仕留められたときのような運が今回もあるとは限らない。

 

「あのような末路を避けたければ、黙って指示に俺の指示に従うように」

 

 改めてそう言うと、心の中で彼の冥福を祈った。許せよ。仮にあんたと私の立場が逆転したとしても、あんたは私と同じ判断をしただろう。

 

「……あの」一人、弓を持つ、茶髪で糸目の衛兵が手を挙げた。名はアレイ。若そうだが、エドワードより四歳も年上だ。

「あなたは……その……」

「王賊だか盗賊だか知らんが、何の関わりもない。カルッバスの彼らも同様に。くだらない質問をするな」

 

 エドワードはぴしゃりと冷たく言い放つ。この話題を口にするのは不味いと知り、弓兵アレイは口を閉ざした。

 壁に阻まれているので、死体を眺めて休憩をせずにすんだ。水場でじっくりと休憩した後、一行は探索を再開した。もったないと渋るのはやめて、用心して獣を除ける鈴を二つ鳴らした。九階で鈴の糸が千切れる頃には鈴を捨てて、新たな鈴を二つ鳴らした。

 道中、蜘蛛と食人花(しょくじんか)が一体ずつ襲ってきた以外は、奇跡的に無傷で通り過ぎた。

 十階。三分の一まで来たとき、遂に鈴の糸が切れた。本来の予定では九階に入った時点で二つ使い、残る二つを十階で使い切る予定だったが、いた仕方ない。

 鈴の音が切れて間もないうちに、軍隊バチ狩りを目的に潜るパーティに会った。パスカルという三十代半ばの毛深い男が率いる四人組で、二階層に留まり軍隊バチを相手に金を稼いでいる。白い鎧を着た褐色の美女剣士ダマラス。小ぢんまりした、楽器を抱えたバードのヤルヴィネン。丸丸太った金髪坊ちゃん刈りのパラディン兼メディック、ふとっちょティッグロ。

 メンバーの顔触れからしてかなりの個性派揃いで、冒険者たちの間でも変り種と噂されるパーティ。

 軍隊バチの蜜や花粉は需要が広く、パスカルは幾つかの商店と契約を交わし、日々軍団バチを求めて二階層歩き回っている。彼らは二階層の事ならどのパーティよりも詳しく、エドワードは彼らとは親しく、よく金鹿の酒場で席を共にする。パスカルから今日の十階の様子を伺った。

 

「やあ、パスカルの旦那。今日は三階層から来たのか?」

「ああ、そうだ。エドワードよ、俺も全てを知っているわけではないが、今日の十階はいつも通りだと言っておこう。あの角を生やした化け物もまだいない。代わりに赤い象さんが居る」

 

 パスカルは語らずとも、事情を察して情報を提供した。エドワードも今日の六階から九階で起きたことを語った。

 

「そうかい、そりゃ災難だな。俺たちも今日と明日は七階は避けよう。じゃ、また地下と地上で会おうぜ」

 

 また地下と地上で会おうとエドワードも返した。この挨拶は、親しいパーティの間でのみ交わされる。

 もうどのくらい時間が経ったのかわからない。彼らは怪物の襲来を押しのけて、ひたすら三階層の樹海時軸を目指した。

 ここに来て若い射手の五感が鋭敏になったのか。

 エドワードが矢を番えた。彼も遅れながら矢を番え、樹から舞い降りた二匹の怪鳥を同時に仕留めた。道を進める。エドワードが弓ワンと火噴きフクロウの喉元を射抜いて火噴き攻撃を封じ、盾ワン剣と叫ぶや、二人の衛兵が剣で胸と脇腹を刺した。

 疲れているはずなのに、衛兵たちの動きは良くなっているように思えた。アレイの弓の引きも良い。

 生きて安全な地上へ帰ろうとする切実まなで強い思いと、敵に食われまいとする本能に闘争心も加わり、彼らの動きを良くした。

 十階まで目前。二階層の王者ケルヌンノスが居る箇所、そこには王者の代わりに別のものが王室でのさばっていた。

 口紅を粗雑に塗りたくったような色、牙が生え、長い鼻と体を横たえた巨象。

 森の破壊者、モアと並び、この象は二階層でも五指に入る強敵。残りはケルヌンノスとサソリだ(六階で戦ったサソリよりも一回り大きい種類)。普通に見かける赤象より大きい。主人がいないのを良いことに、ここを縄張りにしているようだ。意図してか、巨象は十一階へ通じる道の前で寝転がっていた。

 巨象は眠りについているようだ。安らかに、鼻息を洩らしている。

 元気であれば戦いたいが、生憎もう彼らの体力、特に衛兵五人の疲れと緊張は限界まで達していた。エドワードはファイアオイルの瓶と三日月刀を両手に持ち、しんがりを務めた。

 抜き足、差し足。五人の衛兵は慎重に歩き、音を出しそうになれば、エドワードがシッと小さな舌打ちで注意した。巨象は足元の伸びた鼻から規則的な呼吸をして、吹き出すたびに気持ち悪い生温かな風が髪を揺らがした。一人ずつ、十メートル間隔で降りさせた。四人は物音を立てずに降りれたが、五人目の盾持ちがバランスを崩し、なんと象の耳の端を踏ん付けてしまった。

 その衛兵は恐怖で硬直した。その衛兵の腕をエドワードは掴み、一目散に彼を通路に押し込んだ。

 象が異変に気付き、立ち上がろうとした。象が起き上がると、目の前の草が燃え上がった。

 いきなり草が燃えたのを見て、驚きのあまりぱぉぉぉ――――ん…と象は泣き叫び、どすどすと地鳴りを上げて逃げ出した。エドワードがファイアオイルの液を草にぶちまけ、三日月刀にも液をぶっかけて、燃える刀で草を引火したのだ。

 オイルにはこのほか、相手を凍らせるフリーズオイルという物もあり、オイルは三種類存在する。オイルは十字の種子という地下世界原産の植物を材料を元に作られ、百年前から地上での栽培も試みられている。

 この種子は青・赤・黄ととても判りやすい色彩に分けられ、この種子を潰し、その他樹海で取れた材料と水を混ぜて完成する。オイルは表面に引火物質が浮上し、張り付いた面には引火を防ぐ物質が張り付き、武器が痛むことは滅多にない。

 素手や木製の武器に塗るのは危険だが、鉄製や鋼でできた武器になら問題はない。また、エドワードが逃亡の際にした方法もありである。

 息も切れ切れに降りた六人はやがて、涼やかな冷気が充満した蒼く爽快な世界に入り、心を落ち着かせた。

 コルトンは忌まわしいとさえ言っていたが、きっと今日のような探索を終えた後だと、この三階層の環境が天国に思えてくるかもしれない。

 決して安全とは言い難い場所だが、ああ、この爽快感! 初めて三階層に降り立った興奮を思い出した。

 どろどろと流れる汗と疲れ、陰気な密林、絶え間なく迫る脅威のせいで希望を失いかけていた衛兵たちの瞳にも灯が宿り、彼らは幾分調子を取り戻した。このまま探索を続けてもいいが、道具も殆ど二階層突破の際に使い切り、装備品にも著しい損傷が目立つ。長居は無用。これを最後と、エドワードは五人を歩かせて、近くにある樹海時軸を潜らせた。

 

 

 

 やはり、地上が一番だ。夕日がこんなにも眩しいとは。地下に入ってから半日も過ぎていた。

 安堵感のあまり、五名の衛兵はへなへなとくずおれた。一応は心得てはいるらしく、疲れていても装備を地面には投げ捨てず、きちんと並べて置いた。地上に戻り、気持ちが落ち着いた状態で自分達の有様を見た。服やマントがあちこちほつれ、革靴には穴が開き、泥と大量の汗でべちょべちょに濡れ汚れていた。

 内壁の歩哨の一人が駆け寄り、彼らを労った。

 

「お疲れ様です。ではお手数ですが、内壁詰所のリストに名前と宿場名を明記してください。衛兵に関しましては、私が直接伺います。後日、報酬は役員がお届けに参ります。配送を希望しない場合、『N』のマークを丸で囲み、直接受け取りに来てください」

 

 エドワードは詰所内で記入を済まし、Nのマークを丸で囲んだ。エドワードは用心して、役員に五人の名前を告げて、その場で一度目の確認をさせた。内壁を出て、遅々とした足取りで長鳴鶏の館へ向かう。さしものエドワードも、一週間分の疲れと今日の依頼で大分参った。長鳴鶏の館前で、同じ宿内の冒険者数名に、ロディムとアクリヴィの二人が出迎えてくれた。エドワードは武器装備を二人に預け、ジャンベから五十エン借りて、宿の番頭に風呂代を支払った。

 長鳴鶏の館は週に三日、火曜日と金曜日と日曜日で風呂を沸かす。

 疲れていてもエドワードはべちょ濡れの服を折り畳み、一度湯を全身にかけてから、湯船に体を沈めた。

 心地よい暖かさでつい眠りそうになる睡魔を払い、じっくりと湯に浸り、三九分後には風呂から上がった。二五エンで二十分、五十エンで四十分まで風呂につかれる。籠には汚れた服やマントがなく、新しい服が畳まれていた。

 

「あの青年が置いていかれたましたよ」と風呂担当係りの従業員が言った。

 

 ジャンベか。気の利く奴だ。エドワードは白い長袖シャツを着て、茶色い柔らかなズボンを履いた。ボロボロの革靴の代わりに、東洋の侍たちが持ってきたワラジという履物を宿から借りた。部屋ではコルトンが一人、パイプをくわえていた。

 

「お疲れさん。あんたの服ならジャンベがロディムを連れて、外の井戸に洗いに行った。今すぐ飯を食うか?」

「……そうだな。風呂にゆっくり浸かったから疲れはまあまあ取れたしな。二人が帰ってきたら夕飯を頼もう。ところで、ご婦人二人は下か」

 

 コルトンはああとだけ頷いた。エドワードは少しの間、仮眠を取った。仲間が眠らせておこうと気を利かせたらしく、起きた頃にはすっかり陽が落ちたあとだった。

 エドワードは宿内の同業者と食事を共にしたのち、もう一度食卓にメンバーを集め、明日の予定を話した。

 

「すまんが、明日のローテーションでは俺は休ませてもらいたい。金を受け取るためでもあるが、何より、疲れた。このまま行けば明日の探索に支障が出ると思う」

「そうしたほうがいいわね。あなたがあの姿で帰ってきたのを見たしね。もし、あなたが明日も探索に出たら、本当に死んでしまいそう」

 

 アクリヴィは冗談めかして言ったが、冗談では済まされなさそうだ。

 明日は一つか二つ依頼を受けて、明後日はジャンベに替わってエドワードが加わった本格的な四階層探索の決行が決まった。軽く雑談を交わたら、男四人は一階、女二人は二階の部屋に戻った。

 

「コルトン、ジャンベ、ロディム。この部屋には居ないアクリヴィとマルシア。お前たちの明日に幸運が舞い降りることを願う」

 

 それだけ言うと、溜まっていた一週間分の疲れにどっと襲われ、エドワードは泥のように眠った。

 


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