世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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七話.詰所の若者二人

 十六階の遥か奥。刃物のように深く剃りが彫られた幾本もの太い杭に囲まれた場所があり、そこに簡素な掘っ立て小屋が建てられていた。小屋にはボサボサ伸ばした若葉色の髪と死人のような青白い肌、血の涙を流した跡のような赤い瞳の者ら、モリビトがいた。

 小屋には赤い皮鎧と鉄製の穂先の槍を持つ高位の戦士が一人、その戦士より若い戦士と狩人が五人ずついた。外では、二人の若者が周囲に埋めた農作物の世話をしていた。

 モリビトは日毎により役割が異なる。

 農耕の役目の日は、ナイフ一本と農耕具以外、武器となる者は身に着けるの禁止で、戦うのも狩りに出るのもいけない。狩人の役目の日は、出来る限り身軽に動く必要があるため、必要最低限な装備しか身に着けない。

 鎧を着るのは許されているが、獲物を追うのは身軽に限るので、鎧を着る者はあまりいない。

 戦士の役目の日は、相手によってはナイフや槍一本だけでは不利なこともあるため、沢山の武器装備を携帯し、村の中と外の守備をする。

 この十六階にある詰所は十七階の奥にある村から、遠く距離を於いている。村へ戻るには、最低でも丸一日の行程を要する。

 この訳を知るには、モリビトの歴史を記す必要がある。

 モリビトは十六階では村単位の住居を築かないと決めている。それには理由があり、一つは村同士が離れていると、いざという時の情報伝達や連携に支障が生じ、離れすぎていると火急の際に救援も遅れる。地下世界の環境は厳しく、モリビトであれ、おちおち胡坐を掻いては過ごせない。例を挙げれば、地上の人間が知らない、十七階の十八階に通じる別ルートのすぐ近くに村と村がある。

 もう一つは、動植物のため。

 住居の拡大範囲を広げるには犠牲こそ伴うが、将来のモリビトの繁栄には繋がるだろう。

 しかし、そうすれば、ここにある動植物の生息範囲が狭まり、自分達が生きていく上で必要となる生物たちの数が減り、それらを求める争いが起きてしまう。 

 自分達が生きていく上で必要な者たちも守り、モリビトが生存していくためにも、十六階と十七階の大半は手付かずに残しておく。それに、村の範囲拡大には犠牲が伴うと記したが、モリビトたちは数と強さにおいて最盛期の時代であっても、四階層の隅から隅を支配するのはどだい無理な話だった。

 この地下世界の樹海には、彼らが敬う神鳥と同等の力を持つ怪物が潜んでいる。

 錬金国家の生存者が世界樹に来る前、地上の人間の影響で墨を用いて骨や板に文字を記すようになる前のとても古い時代、モリビトの村は二つしかなかった。

 古い時代、四階層にはもっと大きな河が流れていたが、現代では数多の小さな支流しかない。

 その時代の河にはとても大きく恐ろしい力を秘めた怪物たちが住み、河から上がってモリビトを食すのもいた。いつまでも隅に縮こまった生活には耐えられないと、若い十二人のモリビトが立ち上がった。

 伝承歌が正しければ、モリビトは八十三年の歳月をかけて小さな支流を大量に造り、河の範囲を狭めた。

 河の範囲が縮小し、そこに住まう怪物たちは以前より激しい縄張り争いをするようになり、減少した。

 十二人の孫の長男長女が役目を引き継ぎ、戦士を引き連れ、残る怪物たちと戦い、一年に渡る戦いの末、遂にモリビトは四階層の支配者の座に就けた。

 怪物たちの中でも、河から出ても暮らせる者だけが生き残り、それこそが神鳥と同等の力を持つ怪物である。

 

 

 

 その後、支配権を賭けた最終決戦でも運よく生き残った十二人の若者たちは自らを慕う者たちを導き、土地を開拓し、十二の村を築き上げた。そして、神鳥以外にもモリビトたちの心と村を一つに繋げられるような人物を立てたほうがいいと考え、最初に立ち上がり、率先して危険な事を引き受けた一の村の長を神官。正しくは大僧正長に指名された。

 神官職の者は一つの村に定住せず、一年毎に移り住まなければならない。

 一つに留まるということは、それだけそこに愛着を持ってしまい、指導者がその村だけを優先するような事態になるのを避けるためだ。神官職は同じ村から立て続けに選んではならない。

 同じく、一つの村に権威集権を回避するため。 

 ほかにも規則があり、神官の職に就いた者は原則として子孫を残してはならない。

 代わりに、一年毎に各村に移り住み、その中で才覚有りと思えた十歳に満たない子供を見つけ、その子を引き取り、独裁者にならぬよう厳しく教えを説き、老いか、臨終の間際に職をその子に譲るといった決まりが設けられた。

 以後、紆余曲折を経て、モリビトのシステムも変わり、以前は僧侶も兼ねていた村長は村長。僧侶は僧侶と分けられた。

 といっても、あくまで儀式に祭りや有事の際には村長や僧侶になるだけで、普段は長や僧の者たちも農耕者や戦士の役目を果たしており、モリビトの階級システムは地上世界とは異なる。

 

 

 

 当初、十六階にある詰所は怪物たちの動向を探るためと、身内がここまで狩りに来ないか見張るためであったが、現在では地上の者たちの動向を探る偵察基地でもある。

 なお、詰所に居る者たちに限り、一日一回の狩りが許されている。

 この日、高位の戦士は、若い戦士と狩人で四人二組を組ませた。一組は偵察も兼ねた狩り、一組にはただの偵察に向かわせた。

 狩り役は狩り役、戦士は戦士として詰所周辺の歩哨に当たるのが普通。

 突如の変更の訳をいくら聞いても、高位の戦士は固く口を閉ざした。多分、昨日の事が関係しているのだろう。

 昨日の夜、コロトラングル飼育係りの方が泣きじゃくりながら惨めな姿で詰所に来た。

 年上の戦士は十六階に降りて彼と密談した。

 詰所に戻ってきた高位の戦士は怖いような深刻な表情で、明日の狩りと偵察には戦士と狩り役の者で組めと言い、今日見聞きしたことは私が良いと言うまで口外するなと命じた。いくら訳を聞いても、ウォリアーは口を閉ざした。「ウォリアー」とは人名ではなく、高位の戦士を呼ぶときに使う呼称である。

 高位の戦士は安全性も考慮し、戦士の役目の者にも狩りに同行させた。なんで今日に限って、あんな遠い所まで偵察に行くのだ。一人の戦士は、答えられなかったことと遠距離の偵察を面倒臭いと不満に思ったが、面には出さなかった。

 高位の戦士が一本のゴムのように弛んだ樹を指した。

 

「時折れ告の樹が伸びて、再び枝垂れて半分ぐらいまた伸びる頃には戻ってくるのだ」

 

 狩り組の者は西北西へ向かい、偵察組の者は地上の者たちが使う道がある北へ向かう。

 偵察組はすぐに出立した。

 狩り組の二人は武器や体にペタペタと玉ねぎ状の袋をあてていた。これは、臭い袋とは反対の、通称薫り袋。臭い袋が外敵を除ける為に作られた物なら、薫り袋は逆に、獲物に対して警戒させない匂いが詰まった袋。

 原料は樹液、火噴きネズミの血と脂肪(他の動物の血と脂肪でも代用可能)、その他の香料。薫り袋が無くても狩りはできるが、こちらの臭いで勘付かれることが多いので、薫り袋を付けたほうが狩りの成功率は上がる。

 紅服のウォリアーを以外の戦士は、木製の鎧や白虎の皮を二重に縫い付けた皮鎧を着た。

 地上の者たちが使う、唯一のルートがある道に行くまで直線にして六時間。

 面倒くさいなと思う戦士は、狩り組の戦士を羨んだ。口を利くだけ余計な体力を使い、注意力も散漫になる。

 小一時間、休憩地に着くまで互いに何も喋らなかった。

 臭い袋と自身の種族特有の体臭のためか、獣たちは仕掛けるふりをすれば、逃げていった。樹が疎らで草を低く刈り、周りを警戒しやすくした場所を見つけ、背中合わせで地べたに座った。

 ふうと息を吐くと、相方のチェチェラが小馬鹿にしてきた。

 

「なんだその年寄り臭い溜め息は?随分と早い老いが訪れたもんだなパルッグ」

 

 この挑発に戦士パルッグは乗った。

 

「何が可笑しいチェチェラ。お前さんも戦士の格好で遠出したことあるだろうが! なら、わかるだろ? この鎧はともかくとして、槍や斧とナイフを一編に背負って移動すんのがどんだけきついかが。これ以上、余計な口聞くなら斧でその舌叩っ切ってやるぞ!」

 

 チェチェラは小馬鹿にした笑みを止めず、わかったわかったとあしらうように手を振るった。

 この二人は人間で言うところの青年期を出たばかり。こんな退屈な見張り仕事よりも、狩りや農耕をしたり、村でまだ親しい者同士で馬鹿やってはしゃぎたい思いが強かった。

 やれやれとパルッグは肩をすくめた。チェチェラは良い奴だが、いかんせん、口が過ぎる。斧で舌を切ると言ったが本気ではない。仲間内の冗談の類だ。

 いつかうっかり短気な奴にそんな口を利いてしまい、ばっさりやられないか心配だ。

 二人は僅かに休み、今度は四時間ぶっ通しで歩き続けた。道まであと一時間程度、二人はさっきのような場所を自ら作り、そこで長く休憩を取った。

 パルッグは指で槍先をもてあそびながら、今日の夕飯はなにかなと思った。今日の獲物はなんだろうか。鹿か、白虎か、鳥か。火噴きネズミだけは勘弁してほしい。美味いが、大きさからして肉付きが薄い。ネズミ一匹で腹を満たすのは無理だ。腹を満たすには詰所に居る八人分を狩らなければならないが、十六階は一日一頭限りの狩りしか許されない。

 狩り組の奴らに大地の幸運が舞い降りてくることを祈ろう。近くの小川で空になった木の水筒に水を詰めて、二人の戦士と狩人は最後の行程に出た。

 ざっと二十トルベィ(モリビトの距離の数え方、一トルベィをMに換算すれば、1.5M程度。彼らが使う一般的な狩猟戦闘用の槍の長さが基準)のところ、草が生い茂り、樹が密生して隠れやすい場所に隠れた。

 地上の者たちが使う上と下を繋ぐ「道」は、モリビトの道と同じだった。

 巨木ぐらいある太い根が何十もの螺旋を作り、大小様々な根っこが隙間なく張り巡らされた天井にまで続いていた。この道から少し逸れた場所にある樹に登り、彼らは見張りについた。

 ここからでも、十分見える。天にまで立ち上る紫の淡い光が。

 これで二度目となるが、不思議だ。ある見張りに付いた者の話によると、こっそり足を踏み入れてみたものの、光はその者を上の世界へと連れて行ってくれなかった。

 初めは心を賑わせた光も、三十分としないうちに飽きた。

 何か変化は起きないか。更に一時間近く経て、二人の望む変化が起きた。チェチェラが道に行き、根の細い部分に耳をあてる。

 チェチェラの耳は僅かな音を拾い、上から侵入者が来たことを告げた。チェチェラはパルッグとすぐに相談した。

 

「正確な数まではわからなかったが、少なくとも俺らより人は多いと思う。どうする? ()るか?」

「早まるなよチェチェラ。俺たちの任務はあくまで見張りと報告だ。第一、上手く奇襲に成功したとして、残るもう一人から六人だか七人ぐらいの相手はどうする? 数からして適うわけないだろう。ともかく、気付かれたら、いつでもばっくれる準備をしておけよ」

 

 チェチェラは槍をつかみ、パルッグは石斧をつかんだ。

 葉の隙間から見えた。相手は五人。全員、自分達より断然背が高い。中でも、青い服を着た黒肌、緑の帽子を被る金髪、鏡のように周りの風景をぼんやりと反射する金属の服を身に付けた三名は、神官殿より大きかった。

 特に金髪の男と、金属の服を着る者は巨人と見紛ってしまいそうだ。あれより、背の高い者たちといえば、普通のモリビトとは異なる体質の”地の戦士”たち以外は思い浮かばない。

 二人は顔を見合わせ、目で互いの考えたことを理解しあった。勝てない、と。

 背と体格もそうだが、武装と人数においても差は絶望的だ。チェチェラに至っては、槍一本と臭い袋しかない。同数の味方がいたとしても、彼ら五人に勝てる見込みは低い。二人は気付かれる前に、ここから逃げ出したかったが、もうちょっと様子を見てから去ることにした。彼らは声の音量を聞き取れる限界まで下げた。

 

「どう思う? 奴ら、気付いていると思うか?」とチェチェラ。

「多分、ない。地上の者たちの狩りのやり方は知らんが、気付いてないふりはしてなさそうだ。だからといって、安易な奇襲は止めたほうがよかろう。後少し、様子を見たら行こう」

 

 地上の者の一人、細くたわんだ木の棒を持つ金髪の男が何かを差した。男が指した方向には金の鹿がいた。モリビトから見ても、あれは立派な角鹿だ。額や体に目立つぶち模様がないところを見ると、雌鹿だ。あれほど立派なら、大層噛みごたえある肉だろう。と、男が糸を張った棒を引き絞るや、空を裂く男がし、鹿の額に細い木がめり込んでいた。

 一瞬の早業。二人のモリビトは、あまりの早業に言葉、というより思考が停止した。チェチェラが足を動かすと、うっかり木肌をこすった。

 五人が鹿の皮と角を採り、それが済むと、死体はそのままにしておいた。

 青服ベストの黒肌が淡い光にはいろうとした時、ピタリと足を止めて、後ろを向いた。

 二人の鼓動がどきりと鳴った。見つかったか。しかし、五人の視線は定かではない。気配はしたが、場所まではまだ分かってないようだ。

 二人は五人の動向を注意深く見張り、逃げられる姿勢を整えた。青服が何かを背中から降ろし、両腕で担いだ。

 何をしようというのだ?

 爆発するような何かを盛大に引っ掻くような音が辺りを襲った。激しくつんざく音に、二人は耳を塞いだ。そして、パルッグとチェチェラは見た。橙色の服を着た、変った金色の装飾品を身に付けた者が剣を抜き、こちらに向かって突き出したのを。

 アクリヴィはその方向にモリビトがいるとは露知らなかったが、二人にはそうしたように見えた。

 気付かれた! 二人は木から飛び降りて、悲鳴を上げて逃げ出した。二人はこけつまろびつ、ぐんぐん元来たへと引き返した。しばらく、といっても、時間にして精々半時程度であるが、恐怖に駆られた二人にはそれ以上の時間が経過しているように感じた。

 パルッグは頭を冷やし、先へ行こうとするチェチェラに一声かけて、葉と枝の間に白刀などの敵が隠れてないかよく確認してから、登った。白刀は、普段なら臭い袋を投げつければ事足りるが、飢えていたら臭いなど物とものせずに襲いかかってくるため、よくよく樹やくさむらには注意を払わなければならない。チェチェラは腰に付けた布で汗を拭き、逃げた方向を何度もちら見した。その顔は焦りと恐れでしかめられていた。

 

「話をするにしても、もっと奥へ行ってからにしようぜ! ここじゃ、すぐ追いつかれちまう」

「時間が経つごとに記憶は薄れる。報告のためにも、今のうちに少し整理しといたほうがいい。お前は地上の奴らが追っかけてこないか不安に思っているようだが、多分、それはない。あいつらは、俺たちの存在に気付いてはいたが、俺たちが何なのかまでは判らないはずだ。大方、その辺の臆病な獣とでも思っているだろう。それに、これで一つはっきりしたことがある」

「聖獣だな」チェチェラは言葉を継いだ。

「そうだ。昨日の今日で、もしやと思っていたが、嫌な予想は的中しちまったな!あいつらか、それとも、別の誰かまではわからんが、唯一つ言えるのは、コロトラングルは地上の者共に殺されたということだ。あいつらがどんなに強くても、聖獣と戦って、とてもじゃないがあんな無傷でいられるとは思えない。もっと、傷付いていたり、武器装備は壊れ、服は泥で汚れたりしていてもいいはずだ。なのに、あいつらはそうじゃなかった。ほぼ無傷だ。十五階には障壁となる存在、つまるところ、コロトラングルはもう死んじまったんだ」

 

 パルッグは自分でコロトラングルが殺されたと言って、恐怖とは違う鼓動で胸がざわつき、自然とこばれた一筋の粒が頬を濡らした。

 昨日のウォリアーの態度は、やはりそうであった。

 聖獣が怪我をして動けなくなった、せめてそうであってくれと願ったが、飼育係りの方の尋常ならざる嘆きからして、薄々そうではないかと思っていたが、現実のものになってしまうとは。

 ああ! 彼は私の村に住まう聖獣とは異なるが、彼の宙を我が物で飛ぶ様。枯れた世界に、清楚で、どこか大胆な色を与えてくれた彼。モリビトには涼を与え、敵は凍りつかせるあの冷気。

 我らと同じ赤い円らな眼を持つ、血は繋がらぬ同胞は死んでしまわれたのか!

 そして、これが意味することは一つ。戦争だ。

 地上は十五階には足を踏み入れないと固く誓い、踏み入った者はこちら側で処分をし、万一逃がした場合は、地上で然るべき処分を与えるという約束。

 その約束は二百年の時を経て、聖獣を殺されたことにより破棄された。

 パルッグとチェチェラは来るべき戦争を想像して、昂揚感と同時に恐怖も覚えた。

 二人はもう一度、来た道を確認して、樹の下もようく見てから降りた。途中、一回の小休止を挟んだだけで、心臓も破れよと二人は詰所まで懸命に走りつづけた。

 詰所に居る者たちは、到着した二人を見て何があったのだと驚いた。二人の服や体には随所で樹や草で傷付いた痕があり、桶から水でも被ったかのような汗を流し、ぜいぜいと激しく息を荒げ、まともに事を伝えるのに時間がかかった。

 それから、時告げ折の樹。トル・ホイの樹枝がちょうど半分伸びる頃、狩り組の者たちは、ぶちがある雄の角鹿を抱えて帰還した。

 帰還した二人は、ウォリアーと一人の戦士がいない小屋を見回し、パルッグとチェチェラを介抱する二名から事情を聞かされて、衝撃を隠せなかった。

 そのウォリアーと若手の戦士は、十七階にある、十二の林村(りんそん)との中間にある見張り小屋にまで出向き、詰所の者は僧正でもある長に事を告げた。

 長は羽と鱗を生やした足の速い地の戦士の二人に、それぞれ十一の林村、階下の十の林村に伝言を伝えるよう命じ、十の林村の者は同じく地の戦士に伝言を託した。

 伝言は導火線のごとき勢いで四日以内に二十階最下層、一の林村に滞在中の神官こと大僧正の下にまで到着した。神官は事態を重く受け止め、ただちに集会の報せをと、二十階に来ていた四の林村出身の妖精モドキのモリビトに命じた。

 十九階在沖の四の林村にしかいない妖精のような姿をしたモリビトは、小柄なために一般のモリビトより狙われやすいが、空を飛べるので偵察や伝言役にはもってこいの人材である。また、不思議な術を使ったりもする。

 四の林村、妖精モリビトの長は安全面を考慮して、必ず五人一組で行くよう命じた。

 集会の詳細は長、僧侶と僧正のみに伝えられ、集会の真意は伏せておくように言われた。

 六日以内で各林村は民を引き連れ、二十階の神鳥広場に集合した。

 

 

 

 丸一日の宴会騒ぎのあと、各林村は半日ほど休んだ。

 神官は大テント内で代表のみによる戦略会議を行うことにした。

 そこで神官以下、各林村の長と僧正が一人ずつ、巫女の少女、各林村の高位の戦士が三名ずつ大テント周りの警備にあたり、民は村長代理の僧正に先導されて各々の居住区域へと帰還して、留守を守る者たちに開戦の報をもたらしたのであった。

 神官はまず、一から十二まである林村の戦力がどのぐらいのものかを提示するよう求めた。

 村長と僧正の役目の一つに、自分の村の者たちの名前と顔を覚えることがある。

 一の林村の長と僧正が発表しようとしたら、神官が制止した。

 

「待て。私はまだ半年しか滞在してないが、あなた方と外にいる戦士を含め、一の林村の者たちの顔と名前は全て記憶している。君ら二人の記憶が曖昧模糊だと言いたいのではないが、ここは是非この私に言わせてくれ」

 

 自分が役割をちゃんと果たしていることを証明したいのだな。これに文句を言う者はいなかった。神官の役目の一つにも、全ての村の者の名前と顔を覚えることがある。

 だから、きちんと名前を挙げられるということはその者が責務を果たしている証明に繋がり、こういう場で神官職の者が林村代表の者に代わって名前、もしくは人数をそらんじてみせるのはごく一般的である。

 一の林村は、一般階級の戦士が228人。高位の戦士が43人。地の戦士が12人。僧侶が9人。戦乙女が6人。僧正が3人にいると神官は言った。神官の言ったことに、一の林村の長と僧正は無言で首肯した。

 

 神官は勢力図に、林村の守り手である聖獣を省くようにとだけ付け加えた。

 聖獣は彼らの言うところの宝の一つ、十五階の例を除けば、無闇に戦場に向かわせる真似をしてはいけない。聖獣は本来、村を守ることにこそ意義と意味がある。

 それから、各林村の村長と僧正は戦力を伝えた。

 二の林村は、戦士202人。高位の戦士33人。地の戦士8人。僧侶7人。戦乙女7人。僧正2人。

 三の林村は、戦士197人。高位の戦士35人。地の戦士7人。僧侶8人。戦乙女5人。僧正4人。

 四の妖精モリビトの林村は、僧侶10人。僧正5人。その他、戦いに出向ける者が三百名近く。

 五の林村は、戦士190人。高位の戦士41人。地の戦士6人。僧侶6人。戦乙女4人。僧正3人。

 六の林村は、戦士153人。高位の戦士20人。地の戦士4人。僧侶5人。戦乙女3人。僧正1人。

 七の林村は、戦士172人。高位の戦士31人。地の戦士6人。僧侶7人。戦乙女4人。僧正3人。

 八の林村は、戦士166人。高位の戦士25人。地の戦士6人。僧侶6人。戦乙女3人。僧正2人。

 九の林村は、戦士205人。高位の戦士39人。地の戦士9人。僧侶9人。戦乙女5人。僧正3人。 

 十の林村は最も人手が多い。戦士235人。高位の戦士46人。地の戦士5人。僧侶10人。戦乙女6人。僧正4人。

 十一の林村は、戦士190人。高位の戦士28人。地の戦士8人。僧侶6人。戦乙女4人。僧正3人。

 最後に十二の林村は、詰所在沖の者たちも数えて戦士183人。高位の戦士30人。地の戦士7人。僧侶7人。戦乙女4人。僧正3人。

 次に各林村の合計。

 一は301人。二は260人。三は256人。四は305人。五は250人。六は186人。七は223人。八は208人。九は270人。十は306人。十一は239人。十二は234人。神鳥もあえて「人」と数えたら、総戦力は3112人を超えたが、全ての者を出兵させるわけにはいかない。

 地下世界には地上の者以外の脅威も存在し、多くを地上への戦力として連れていけば、人手不足で緊急時に対応できなくなる。

 ために、神官は出撃総数と留守総数を分けることにした。

 

「私としては、出撃総数は最低でも千七百、最高で二千百四十欲しい。つまり、留守総数は九六〇から千四百余名になる。あくまでこれは例えばだ。五の林村のように、近頃禍があり、めっきり人が減った村のことも考慮した上で、出撃数を決めなければならん」

 

 五の林村の代表が、やや困ったような険しい顔付きで、神官殿はどの程度の人数を理想としていますか聞いた。

 五の林村は二十一年前。かつて河に住まう怪物の生き残りが二匹もやってきて、その戦いで多くの者が命を落とした。五の林村は地上の者たちへの対抗心はあるにはあるが、現状では極力人員の排出を避けたいのが本音だった。

 

「さきほど言った例と矛盾するが、私の本心では、最低でも二千のモリビトが戦いへ出向く必要があると言おう。というのも、諸君等は先祖が歌い、書き記してきた歴史をようく知っておるであろう。平均して我らより大きく力のある地上の者らには対抗するにあたり、また戦うに然り、人数が多いのにこしたことはないのだ」

 

 神官は流し目で巫女の少女を見て、不死殿と言った。神官の目が血で赤く染まった鉄剣のようにきらめいた。

 この場にいる全ての者がその不気味で恐ろしいきらめきに気付き、二人を交互に見やったが、当の二人はそれらの視線を歯牙にもかけなかった。モリビトの少女は一見、どこにでもいそうな一般のモリビトとなんら変わらぬ姿をしているが、目付きが違う。

 長い歳月を生きてきた者だけが見せる達観と、生きていくことに疲れを覚えたような、老いた者が発する雰囲気。そこに何とも言い表し難い深い叡智が宿りし不思議な瞳の少女。

 この少女こそ、何千年も昔にはモリビトを導き、永久的に少女の姿でいてモリビトたちを見守り、その歴史を正確に記録する存在。

 モリビトからは不死の巫女と呼ばれる者。彼女は必要なこと以外語らない。モリビトがいつ生まれたかは語るが、モリビトがどう生まれたとか、以前の時代はどんなものかを彼女は決して語ることがなかった。

 一つ言えるのは、彼女は三度行われた大戦において、地上の者たちの武器をようく知っていて、原則、地上の者たちの真似事は避けるようにだけと言い続けてきた。

 しかし、黙認することも多々ある。

 モリビトたちは弓矢の存在は知っている。知っているが、彼女という、神官とはまた別の権威ある者の発言により、地上の生活様式や武器を作るのは禁じてきた。

 彼女はモリビトを地上の者たちの二の舞にさせないためだと言い、モリビトたちは地上の者を憎んでいるので彼女の言葉に大人しく従った。だがしかし、現神官の考えは違っていた。

 先代の神官は七十代、モリビトにしては長く生きた方だ。彼女は臨終の間際に彼、現神官に職を譲り、崩御した。

 神官になってからの彼は通常の職務を真面目にこなしつつ、暇があれば巫女の下へ訪れ、地上の武器製作許可を求めた。彼はモリビトの教育の賜物か、地上の者を人一倍憎み、また勝利するには、モリビトも地上の者と同じ武器を用いる必要もあると考えていた。

 当然、神官が幾度なく訪れても、巫女はがんとして首を縦に振らなかった。彼女はどんな時代が進んでも、モリビトが地上の者と同じ道を歩むのを拒んだ。

 

「あなた言い分も十分理解できますが、これからも我々が生きていくためには、どんなに憎くて汚らわしくても。地上の者共の武器を真似る必要性がある。ご安心なされ…」

「我々なら、間違った使い方をしない。地上の方達は新しい物を発明するたびにそう言って、そして、数多の過ちを反省することなく繰り返してきた。私もあなたの言い分と心中をお察します。私もあなた、いえ、あなた以上にモリビトたちを心から愛しているからこそ、地上の者共と同じ過ちをしてほしくないという、私の願いもご理解いただきたく存じ上げます」

 

 彼女の説得に神官は渋々応じたものの、彼女を見るその眼のゾッとするようなきらめきはいやました。

 病気と老いによる死は彼女に訪れないが、殺生による死は避けえない。

 巫女は気付いた、彼は必要とあらば、この私をも殺しかねない。

 それに、彼女の記憶が正しければ、前の大戦では地上の者は、モリビトから言わせれば棒投げ槍。彼女が言えば、「(いしゆみ)」なる武器を用いてきた。地上の時代がどの程度進んだかは詳しく知らないが、もしかたら、そろそろ「テッポウ」なる武器が開発されていてもおかしくない時期かもしれない。

 そうしたら、今だブーメランと投石や投げ槍ぐらいしかなモリビトは、益々苦しい戦いを強いられることになる。半永久的に結ばれた平和という名の冷戦条約が破られた今、四度目となる戦の火蓋が切って落とされたようとしていた。

 それでも、彼女は首を振らなかった。モリビトが人間と同じ歴史、過ちを繰り返すことを恐れていた。それゆえに、モリビトたちが何かしら新しいことをしようとしたら、尽く否定し、徹底的に潰して無かったことにしてきた。

 しかし、彼女はこの執念深いある男と約束を交わしていた。彼女は、できればこの約束を果たしたくなかったが、血の契約まで結んだため、この戦略会議の場でその事を話さなければならない。

 巫女はおもむろに立ち上がった。

 

「私はあなた方に話す事がある。が、その前に。一つ問いたい。あなた方は地上の武器を用いて戦いたいですか?」

 

 いきなりの質問に、会議の場はざわめいた。我らには我らの埃がある。地上の猿真似で勝てても嬉しくない。幾星霜、我らの同胞を殺めてきた地上の者らの武器を用いるなどありえん。すぐに、神官を除く一同は憎々しく巫女の言葉を否定し、巫女を糾弾する者まで出た。神官は一声で騒ぎを治めた。

 

「会議の場を乱すぶしつけな質問を投げかけて、真に申し訳ございません。だが、私は良いと思います」

 

 この言葉を聞いて、場に居る者たちは一様に沈黙した。今まで、一番の反対者だった者が何を。あからさまに非難がましく巫女を見る者がいても、巫女は平然として話をつづけた。

 

「思えば、私はこれまで、あなた方の為と思い。例えば、弓矢などの地上の武器や道具を真似る事を禁じてきましたが。モリビトが地上の者と同じ武器を作ったら、地上の者の二の舞になる。そう思って私は今日まで反対してきましたが、今思えば、それは願いというより、単に私があなた方を信頼していないだけだったのかもしれません」

 

 非難がましく見ていた者も。困惑していた者も。冷静に見ていた者も。ただ、巫女の一言一言に静かに耳を傾けた。巫女はきっぱりと胸を張った。

 

「ですから、私は今日から改めて。神官殿の血の契約の下、あなた方を信頼してここでお伝えします。これより先、現神官殿が崩御されたら、あなた方に地上の刃を造ることを許します。これは、神官殿が神官職に就いて崩御されたときに限り、この約束は有効とする。もう一つ、武器とは別に、あなた方に話すべき事柄があります。これもその約束が有効な時に限り、お話致しましょう。この場では、我らの歴史に関する事でとてつもなく重要な事であると言っておきましょう」

 

 もう一つの話すべき事柄はいかなようなもので。そう問う者はいなかった。小柄ながら、彼女の厳粛な佇まいが見る者に畏怖を与え、彼女に詳細を尋ねるのを拒ませた。

 神官が神官職に就いて崩御されたときに限り。崩御されたときに限りとは。この言外の含みに、反応する者は多くいたものの。

 神官の有無を言わせぬ並ならぬ威圧感で、意見を封じられた。

 彼女は言った。神官が崩御されたら、許すと。裏を返せば、神官が神官でなくなれば、約束は無効になるということだ。彼女は信じられないことに、今回の大戦があまり芳しくない結果に終わることを願った。そうして、神官は民からの信頼を失い、彼に付いていこうとする者はいなくなるだろう。

 そんな彼が後何年も神官職に居座るのを我慢できる者はいるであろうか。彼女は予感した。今回の大戦は犠牲はどうあれ、負ける。

 彼女にはそんな気がしてならなかった。いや、そうなってほしいと願っているのかもしれない。

 大戦終了後、彼女は頃合いを見て言うだろう。神官の跡継ぎの方法を変えるべきだ、と。神官は職を降ろされ、新たな方法で選ばれた神官が誕生したことにより、約束は破棄される。彼女はモリビトを愛しておきながら、モリビトが死ぬことも願う。何とも矛盾した思いを抱え、本人もそのことを理解していた。

 世の中には癌細胞という死なない細胞がある。例えれば、私はその癌細胞なのであろう。この癌細胞である私が生きることによってモリビトが生き永らえられるのならば、私は幾らでも毒にも薬にでもなろう。

 神官よ。まだ早い。まだ早いのだよ。モリビトが地上の者らの武器を使うには時は熟してない。また、彼らに真実を告げるのもな。

 もう少し年月をかけて見極めてから、許し、教えよう。会議は夜まで行われた。

 

「始めに挙げた人数はあくまで理想であり、各林村から進んで戦いに参加する者だけを連れてここに来てくれ。十日後に再び同じメンバーが集い、この大テントに来て結果を報告するように。では、一次会議は終了だ」

 

 簡単な別れの挨拶を済ましたのち、会議は終了した。各林村の代表が高位の戦士を連れて帰る中、神官と巫女だけは幕内に居残る。しばらくして、巫女だけが出てきて、神官殿はテント内で休まれると戦士に言った。二人はテント内でどんな密談を交わしたのだろうか。一方、その頃の地上では執政院ラーダから冒険者たちへある任務が与えられた。

 


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