世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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四一話.広沃ヶ原の合戦

 サンガットの大軍を指揮していたのは、賊崩れでもなければ、お山の大将でもない。

 しかし、今の所は戦況はエトゥの思った方向に転ばず、全てが彼を拒んでいるかのよう。

 勝利は彼がそれを掴もうと手を差し伸ばしても、その握った手から何度も零れ落ちてしまっていた。だが、彼は依然として常人よりも遥かに強く、強大な力を有し、しぶとく、自らの力を遠くまで及ぼせた。

 エトリアの必死の足掻きを見聞きしたとき、彼は空へ昇り、力を蓄えて、秘術を用いる準備も始めた。仮に、これで彼の奴隷が死に至ったとしても、彼にとっては最早どうでもよかった。勝手に死ぬがいい。

 彼は一人、翼竜にまたがり、あくまで抵抗を試みる非常にしぶとい者たちが守備する大都市を見下ろした。

 久方の眩しい朝日が顔を出し、正にエトリアと援軍、突撃隊が勝利の予感で絶頂に達したとき、彼は吼えた。

 愚かな怪物共と勝利に浮かれる人間達を蹴散らし、再び、ふ抜けた自軍を自我の無い優秀な殺戮人形へと変える為。

 勝利を敗北へ。萌え出た希望の芽を貪欲に激しく摘み取って自らの手中に収め、敵を絶望の淵に突き落とす為、彼は強大な力を振るった。

 彼は秘策の術もそっと唱えた。

 思ったとおり、大都市の内部、妙に一箇所へ集中している。子供のお使い程度の使命すら果たせぬ奴隷を腹た立だしく思うも、彼の興味は外へ移った。壁の外からも一つ、反応がある。ガリレオ砲があった地点の付近。彼は確かめるべく、ゆるやかに下界へ降りた。彼へ逆らおうとする意思を持つ者などいないと考えていた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 オルドリッチとキアーラは、戦闘が西の外壁へと登った。

 今しがた、侵入を試みようとした敵兵と留まる一部の怪物を撃退する戦いが起こり、大門辺りにいたカールロとベルナルドはいつの間にか外へ、同じく大門で喇叭を吹いてコルトンらを見送ったジャンベは戦いを避けよう慌てるうちに、外へ出て行ってしまった。

 二人は彼らを見つけ、救うべく、西の外壁へと登ったのであった。薄らと朝日が昇り、何が起きてるか見えやすくなった。

 三人以外にも、数名が流れで外へ出たらしく、途方に暮れていた。二人は手当り次第に声をかけて、縄を投げるなりして、外にいる者たちを助けるよう求めたが、危険極まりないので駄目だと言われた。

 オルドリッチとキアーラは、歯痒い思いで外へ流された不運な者たちを見守った。

 そこへ、想像を絶する、何万人どころか何十万人もの悲鳴と苦痛の呻きを凝縮したかのような今まで聞いたどれよりも一段と大きな恐るべき声が一面を被いつくし、援軍の奇襲と到着で歓ぶエトリアを一瞬にして黙らせた。

 エトリアの者たちは怯えながらも、期待と羨望の眼差しでゲンエモンを見つめた。

 ゲンエモン以外にも、立ち向かおうと暴走しがちの馬から跳び降りた二人の騎手を気にかける者はいなかった。

 他の騎手たちが振り落とされまいとしがみつく中、彼と彼の愛馬である旋風はたった一騎、空を旋回する忌まわしい長虫を相手に立ち向かう。

 オルドリッチとキアーラは、アウルム家の白き姫アルブムが去り際、言い残した予知夢の内容を思い出した。

 滅亡に瀕したとき、黒い剣と光る剣が衝突しあい、灰色に包まれた。光る剣の背後には、フードを被る何者かが応援するように手をかざしてた。白か黒か。良いのか悪いのかわからない。

 迫りくる影に対し、ゲンエモンは刀を抜き払い、迎え撃つ。正に予知夢のとおり。

 キアーラは、おかしいと言った。

 

「なにがだ」とオルドリッチ。

「刀を抜くのが早すぎる。あれでは、エトゥが来る前に、刀の効力が薄れてしまう。戻さないと」

「注意を自分に惹きつけてるんだろ」

 

 とはいうが、オルドリッチはゲンエモンが刀を挙げたまま、肩を落として微動だにしないことに気が付いた。

 更には、カールロたちがゆっくりと二人の元へ行こうとしていた。オルドリッチは呼び止めようと叫んだが、彼の必死の呼びかけも空しく、かの者の声と戦場の騒音に吸い込まれた。

 段々と彼が近づくにつれて薄い靄にゲンエモンと彼は包まれてゆき、刀の光が弱まってゆき、遂に光はふっと消えた。暗闇がゲンエモンの周りに立ちこめる。灰色の光は生じることなく、光は闇に呑まれた。

 そして、彼が仮面を外すと、不思議なことが起こった。エトゥを中心にして、範囲数十メートルの空間がすっぽりとなにかに覆われたような気がした。

 そこにあるのに、目を逸らせば、消えてしまいそうな幻覚か。目の前にあるはずなのに、仮面と鉄兜を外したエトゥのいる範囲数十メートルだけ変に浮いた光景に見える。全く以て筆舌に尽くしがたい奇妙な領域があり、エトゥと翼竜の他、ゲンエモンと既に立ち入ってたカールロたち以外は、入るのを避けようとしてた。

 

「一体なんなんだよ、あれは」

 

 キアーラは青ざめた表情で答えた。

 

「わからない。ただ、彼はとても怒って、全力を出しているのがわかる」

 

 キアーラの言ったとおり、エトゥは怒りに打ち震えていた。

 エトリアの抵抗もさることながら、恐らく、奴隷が本来の目標とは異なる者に呪いの媒体を与えたことだけ分かった。

 怒りのつぼを刺激をしたのはそれだけではない。術にかかりながら、派手な赤鎧の武者は自らにとっては避けたい術がかけられた剣を抜いて、愚かにも迎え撃とうとした。

 エトゥは鎧武者への声援を聞き、彼が特攻の中心であり、今やエトリアの希望を担った存在と知るや、愚図な奴隷への不満が微かに和らいだ。少しは役立ったようだな。

 彼はゲンエモンを見下し、ワイヴァーンを真っ直ぐゲンエモンへ向かわせた。もがき苦しむ者に止めを刺し、エトリアが英雄とみる者を呆気なく葬り、自らに勝利をもたらす。

 西の大門に集う者たちとカールロたちがゲンエモンの名を呼ぶが、当人には届かなかった。ゲンエモンの苦しみは頂点に達し、体中から気持ち悪い汗が流れて、刀は手から落ちそう。

 エトゥは笑みを浮かべた真っ黒な仮面を外した。

 黒いマントを羽織り、あまりにも分厚い鎧を着込んだ者。異様なまでに白い萎びた顔に反し、黒々しい髭に覆われた口元。一番注目すべきはその眼球。無限の闇の中央に一点、らんらんと光る濁った小さい粒みたいな紅い瞳孔が死のような光を湛えている。

 冥界から地上へと迷い込み、生ある者の死を貪ろうとする死神と呼ぶに相応しい存在が目の前にいた。

 死神はゲンエモンへ誘いの言葉をかけた。

 

 畏れよ、我を。命ず、言動能ず。

 

 ゲンエモンの身内から生気と勇気がすっぽりと抜けて、老いさらばえる哀れな老体だけが残された。彼だけではなく、周囲の者から戦う意思が失われた。

 カールロ、ベルナルド、ジャンベは立ちつくし、ジャンベはぎゅっと目を閉じ、顔をしかめた。

 エトゥはゲンエモンを嘲笑った。

 

「派手な面頬と冑で顔を隠しても、俺にはわかるぞ。醜く老いさらばえし者よ、お前は自らに力があると勘違いした愚者にしか過ぎぬ。偉大なる余の覇道を妨げたことをいつまでも後悔せよ。お前の肉体を切り刻み、生暖かい血が滴る心臓を食らい、魂を永劫なる苦しみの牢へと繋いでやろう。さあ、死ね!」

 

 エトゥの言葉に従い、ワイヴァーンは彫像と化したゲンエモンと旋風に襲いかかった。ワイヴァーンの巨大な(あぎと)が迫っても、一人と一頭は動こうとせず、その身を捧げた。

 旋風の首にワイヴァーンが噛み付き、一撃で噛み千切り、ゲンエモンの刀を持つ腕も挟んだ。

 ワイヴァーンは首を前方へ力一杯しならせて口を開け、ゲンエモンの身体を投げ飛ばしたら、地面に激突する前に大木ほどもある太い尻尾で叩きつけた。もう一度、今度は鋭い棘が生えた尻尾の上部分で叩いた。衝撃でカールロたちの足元がふわりと浮く。

 西の大門に着く者たちは失意のどん底に堕ちた。

 果敢なる冒険者の長ですら、彼には敵わなかった。追い風は向かい風に変わり、二国の援軍も不気味な集団相手に一歩引いていた。

 

「頼もしい我がしもべよ。その者の身を食らうがよい。見せつけるようにな」

 

 ワイヴァーンは口に挟んだ旋風の首を噛み砕いて飲みこみ、次なる獲物へ向かった。

 ゲンエモンは鎧より赤い鮮血を口からごぼと吐き、視界が見えなくなり、鼓膜も破れて耳が聞こえなくなった。ただ、全身からワイヴァーンの一歩一歩が伝わり、緩慢な死ではなく強烈な痛みに充ちた死が与えられようとしているのは理解した。

 だが、ゲンエモンは完全に見捨てられてなかった。

 誰もが気にも留めなかった馬から跳び降りた二人の内、上手く受け身を取れた一人がやっと立ち上がった。

 重たい鎧を脱ぎ捨てながら駆け、ゲンエモンの後方にまで飛んだ七福八葉を拾い、ゲンエモンに失礼つかまつると言うと、鞘を取り、自らの腰に付たら、ゲンエモンとエトゥの間に立ちはだかった。

 籠手や膝当て、冑など最小限の防具しか身に付けておらず、紺色の着物と袴を履いている。冑も脱いで、彼の正体がやっと判明した。

 恐るべき敵の前にして、ゲンエモンを守ろうと自らの身を盾にして立ちはだかる者はコウシチであった。

 彼は冑を捨て去り、刀に光を取り戻すため、鞘へ一度収めた。

 コウシチは泣いていた。両目からは大粒の涙が流れ落ちている。それでいて、激しい憤怒と挫けることのない闘志で眼が燃えていた。コウシチは抜刀し、翼竜の上に佇むエトゥへ刃を向けた。

 

「立ち去れ、けがらわしい悪霊めが! 極悪非道の頭よ。この方に手を触れるな!!」

 

 とても静かな、冷たい声が返ってくる。

 

「余とそのしもべの餌食を邪魔立てするな。無用な横槍を入れるようなら、きさまはそこの老いぼれよりも、惨たらしい苦痛と死を長い年月をかけてあたえてやるぞ。

 よく考えるがよい。お前は若い。このような老い先短い者に命を賭して守る理由などない。這いつくばり、精一杯、許しを請えば、見逃してやろう」

「理由なら、ある」

 

 コウシチはきっぱりと胸を張った。

 

「拙者の実母はアヤネ。その夫である者の名は――――――ゲンエモン! 父をこれ以上、傷付けさせない。二枚舌で嘘吐き、残酷なきさまの薄汚れた手に二度と触れさせるものか。もしも、来るのならば、お前に鍛え上げたそれがしの剣術と我が父の太刀の一撃をきさまの身へ存分に刻んでやろう」

 

 エトゥが怒りの声を上げると、翼竜は翼をはためかせた。巨体をまざまざとみせつけて、ゲンエモン同様、一本限りの棘を持った小さく、ひ弱な存在へぐんと首を伸ばし、血塗れの咢を開いた。

 コウシチはたじろがず、刀を収めた。鍛え、磨き上げられた侍は混雑の中でも、そこに人がいないかのように身をかわせる。攻撃を避ける本能的とも取れる動作が自然と身についてる。

 若く逞しい剣豪は、紙一重というべきか。狂暴な咢をするりとかわした。ワイヴァーンは虚しく宙を噛み締めた。

 コウシチは素早く、重い、熟練した孤自戦流の抜刀術。居合切り初撃の力と速度を保ったまま相手を何度も切り裂くブシドーの極みとされる必殺技、つばめ返しによる最高三撃をワイヴァーンの首に叩き込んだ。細身の刃のように尖り、修羅のごとく荒ぶる若武者の凄絶なこと。

 一撃目で矢すら弾く鱗を裂き、二撃目で七福八葉の刃は首の骨にまで達し、最後は上段からの三撃目にて、ワイヴァーンは首の骨を断たれた。

 剣豪がささっと後ろへ跳びずるや、巨大な翼竜は音を立てて崩れ落ち、大きな翼をくずおれさせたまま、びくびくと切れ落ちそうな首を震わして、手足を所在なさげに這わせてる。

 返り血を浴びたコウシチは、槍の代わりに鉾を持ち、火を背負い悪を払う闘神毘沙門天がその身に宿ったかのような神々しさと阿修羅の凄惨な印象を見る者に与えた。

 翼竜の亡骸から、エトゥが身を起こした。彼の右手には太く長い長剣が握られて、左手には何メートルもあろう鎖付きの鉄球が伸びていた。エトゥは脅すように立ち上がり、巨大な身から跳躍するや、刺すような鋭い憎しみの声を上げて、コウシチに斬りかかった。

 コウシチは飛び退いて一撃目を避けたが、二撃目はさけられなかった。彼は鉄球を棒切れのように軽く振りまわた。コウシチは直撃を避けたが、利き手ではないほう。右手の籠手に当たった。

 籠手は吹き飛び、右手の骨が砕ける。コウシチは悲鳴を堪えて、刀を鞘に収め、今一度、総大将に一撃を加えるべく、燃えるような熱い痛みを耐えて鞘を握りしめ、左手で柄を握る。

 エトゥは耳障りな哄笑を上げて、一思いに頭を潰してやろうとした。

 そこに、またしても、立ちはだかる者がいた。

 

「コウシチー!」

 

 もう一人はシショー。彼女は受け身に失敗して、コウシチより立ち上がるのが遅れた。

 彼女は恐怖していた。彼女の剣は普通の物で、特別な術はかけられていなかった。

 それでも、彼女は立った。愛すべき師の仇を討つため、師が遺した忘れ形見であり、仲間のコウシチをパラディンとして守る。

 勝てなくてもいい、隙を作る。シショーは走った。エトゥの鉄球へ盾を投げ付ける。シショーご自慢の大盾は真真ん中からぐしゃりと凹んだ。シショーは右手の長剣を受け止めて、エトゥの身にしがみ付いて少しでも動きを封じようとした。

 しかし、エトゥの一撃を受け止めた瞬間、彼女の剣は折れた。シショーは鉄球の柄を持つ左手で殴りつけられた。冑ごとシショーは吹き飛び、麗しい金髪の女人の顔が露になる。がはっと吐血して、彼女は倒れた。

 エトゥは苛立ちを益々募らせた。ごく稀にいる、自分の素顔を晒して本気を見せつけても揺るがぬ者たち。ゴミ同然の者たちから度重なる邪魔が入り、他にいないかと見回し、離れたところで立ち尽くすカールロたちを見やり、視線を忌まわしい若侍へ戻した。

 彼は絶対な自信に満ちて、自らの力に溺れてた。もう少し、注意していれば、離れた位置にいる者たちから一人欠けていることを見抜けていたはず。

 コウシチは覚悟を決めて、気合い一声、エトゥへ突進した。

 

「見苦しい特攻をしてくれるわ」

 

 エトゥは嘲笑い、正に鉄球を振り下ろそうとしたとき、後ろから何者かに体当たりを仕掛けられて、鉄球の勢いも相まって、よろめき膝を付いた。鉄球は大きく逸れた。

 エトゥは紅く濁った瞳孔を驚愕で見開いた。エトゥは微かに後ろを振り向いた。青い服を着た、黒人の青年がふらつく足取りで走り去ろうとしてた。エトゥに体当たりを食らわしたのはジャンベだった。

 彼はゲンエモンに対し、コウシチはもちろん、エドワードほど親愛の念を抱いてるわけではなかったが、ちらと見開き、あの親しい老人がいたぶられるのを目撃した。

 なんてことだろうと思いつつ、心は恐怖で埋め尽くされて、身動きが取れなかった。

 そんなとき、父の仇でもある恐るべき敵と立ち向かうコウシチの姿を見て、ジャンベは今にも失いかけてた勇気の欠片を一粒、すくいあげた。同情と強い驚嘆が彼の心を捉えた。

 この人は死んではいけない。たった一人で挑み、ワイヴァーンの首を落とした勇者! あの人を置いてゆくことはできない。エドワードにとって師であり、第二の父でもある人の息子を一人死なせてはならない。

 手に楽器は無いが、心で猛き闘いの舞曲を歌い、絶望に陥ったマンティコアとのお戦いを思い出し、ジャンベは動いた。

 ジャンベの足取りは鈍かった。まるで、見えない鎖で繋がれてるようだ。一歩ずつ、着実にワイヴァーンの翼に隠れ、そっと様子を窺った。

 シショーが立ち、エトゥに向かう。殴り飛ばされた。エトゥが辺りを見回す。見つからないようにと祈る。コウシチの気合一声を聞いて、決着の時が来たのを知った。コウシチが叫ぶや、ジャンベは飛び出て、鎖を千切らん勢いで走り、エトゥの背後へタックルをかました。

 堅い鎧へ突撃した衝撃と痛さで肩と腕が痺れ、目はややぼやけて足元も覚束ないが、ジャンベは即座に踵を返し、エトゥから離れようとした。

 コウシチの目にジャンベは入らなかったが、この大きなチャンスを逃すわけがなかった。

 エトゥは前を向き、目前に強力な修羅が接近してるのを知り、絶句した。

 長剣を振るおうとするも無駄なあがき、激情に駆られた死を恐れぬ人間の前には、如何なけだものや怪物とて容易に勝てない。コウシチは自らの力、シショーと誰かの助け、父の刀と父へ注がれた全ての想いを込めた渾身の一撃!

 伝説に謳われる剣士たちの一撃すら上回りそうな凄まじい一刀でエトゥの冑ごと頭を真っ二つに切り裂いた。

 刀の光と黒い靄が合わさり、灰色の光が生じた。すぐに灰色の光は強い白光へ変化し、強烈な光がエトゥの頭と刀から、かっと発生。

 エトゥはぶるると全身を揺らすと、のけぞり一声、甲高く泣き叫んだ。

 周囲どころか遠方の大気まで震わしたかと思うと、次第に力を失ってか細くなり、最期は徐々に風へ吸い込まれて、それっきり、二度とこの世界にかのおぞましい死を呼ぶ遠吠えが聞こえることはなくなった。

 

 

 

 が、エトゥは執念深かった。

 今際に彼のマントや鎧からどす黒い靄が這い出て、僅かの間、コウシチを包み込み、散り散りに消えた。痛みと疲労の所為か。コウシチは受け身も取らず、仰向きに倒れた。

 束縛から解かれたようにカールロたちは、敵総大将の周囲に横たわる三人の元へ駆けよった。ジャンベはもう一度退き返し、真っ先にゲンエモンの容体を確かめた。

 穴が開いた真紅の鎧は、止めどなく流れる血で赤黒い色に変色してた。ゲンエモンは震える手でジャンベの手を掴んだ。老人の目は血で濁ってた。

 

「どなたか存ぜぬが、そこの心ある御方よ。無理かもしれぬが、我が願いを聞いていただきたい。妻のアヤネに耕七という名の息子とがいるのだが、もし会うことがあれば、伝えてほしい。臆病な故、苦しませてすまない。すまなかった。だが、愛していた、幸せを祈ってる、と」

 

 ゲンエモンは苦しい息の下から必死に口を利いた。ジャンベが強く握り返すと、安心したのか、自ずと手を離した。

 ゲンエモンは物を言わず、そのまま動かなくなった。

 

「ゲンエモンさん、ゲンさん……。あなたの、あなたの子はお傍に―――」

 

 ジャンベはとぎれとぎれに言おうとした時、彼を呼ぶ声がした。ベルナルドだった。

 

「悲しんでるところすまないがジャンベ君。言えた義理ではないが、生きている者を優先するんだ。コウシチとシショーはまだ生きてる。二人を運ぶのを手伝ってくれ」

 

 ジャンベとベルナルドはゲンエモンの遺体に一礼して、コウシチとシショーの運搬にかかった。

 二人を運ぼうとして、運び手たちはエトゥの死体を見やり、唖然とした。

 エトゥの死体は音と白い煙を立てて肉と皮が溶けて、虚空の暗い眼窩も溶け沈み、鄙びた二つに割れた顔面は骸骨へ風化した。エトゥの骸骨と身に付けていた物はとんでもなく臭い墨のように黒く溶けた腐肉の液体がべっとりと付着し、運搬者たちは吐き気を堪えて、急いだ。

 かれらは二点、あることに気が付いた。

 一つは、怪物であれ、人であれ。エトゥのいた範囲数十mには近づこうとしなかった。

 二点目が実に厄介。

 総大将を討ち取った。戦は終了かと思われたが、カセレスと名乗る隻眼の男が触れ役に、合戦の続行を命じさせていた。

 

「総大将の代理カセレスが命ずる。エトゥの仇を取れ、サンガットよ。敵を滅し、豊かな未来、豊穣なエトリアの大地をその手で掴み取れ」

 

 カセレスにはエトゥの恐ろしさも無ければ、力も無かったが、一定の指揮力はあり、彼がいる南側を中心にして、陣形がまとまり、混乱していた西側の兵士達は惹き付けられるように南へ集結しつつあった。

 南への攻撃が激しくなるのは誰の目にも明らか。サンガットの攻撃地点は西から南へと変更。

 最後に残された二番目に大きな翼竜がカセレスらを乗せて飛翔し、吠える。

 一番小さな個体は、エトゥが死ぬや束縛から解き放たれたのか。背中に騎乗しかけてた人間たちを振り落とし、大きな牙と鉤爪で近づく者を適当に殺したら、何処へと飛び去って行った。

 非常に騒がしい叫びや物音があちこちから響く。間もなく交えられるであろう大合戦の渦中に巻き込まれる恐れがあることに気付き、運搬者たちは歩を速めた。門は固く閉ざされてる。

 

「けど、怪物はいないし、敵兵は構おうとしない。手頃な橋を渡そう。壁に戻れるチャンスはこれが最後だね。これから、多分、最後の戦いが行われるよ」とベルナルド。

 

 メティルリクとエピザ・トーティの援軍は進捗が芳しくなかった。

 広沃ヶ原の西側は二国により席巻されて、サンガットの主力ともいうべき野営地は壊滅できたが、エトリア本都市の周辺は敵がひしめき合い、門にも達しておらず、西には劣るが北と南の戦力はいまだ健在であり、二国と西の大門から率いられた怪物たちの進撃を阻止していた。

 堀の前で一度立ち止まり、手頃と思われる物を探した。

 幸い、付近に無傷の梯子があり、これを橋替わりにすることにした。武具は重たいので、武器以外は全て外した。始めにコウシチを三人で運んだ。

 橋を渡るのは、慎重を喫した。とても不安定で、人を背負ってるので余計に揺れる。段の感覚も大きく、さしずめ綱渡りをしてるかのようで、生きた心地がしない。

 壁のふもとまで着くと、数本のロープが投げられて、体を縛るよう言われた。

 担架代わりのマントにコウシチを包んで、一人が背負い、もう一人が後ろから支える形で壁を登った。一人はただ運ばれた。何十人も引いてくれたので、案外、壁はすぐに登れた。

 シショーも三人で運び、一人が背負い、ジャンベは支えた。

 次に残された八人が渡り、壁から吊り上げられる中、ベルナルドとカールロは梯子を蹴飛ばし、水に沈めた。

 何故と壁から叫んだジャンベに、カールロは笑顔で応えた。

 

「敵さん、こっちに気付いたようだ。全員は無理だ。大丈夫、上手くやるさ」

 

 二人はある者を目指して、全力で走った。南側へ行こうとする奴隷兵士たちに混じって、モンパツィオの一味がいたからだ。

 人混みを掻き分けて、オルドリッチとキアーラも来た。キアーラは悲痛な声でコウシチとシショーの名を呼んだ。オルドリッチは舌打ちして、交互に壁の内と外にいる二人を見やった。

 

「全く、どいつも勝手な行動ばかりを。リーダー失格だぜ! 俺、そんな威厳ないかねえ。まあいい。キアーラ、泣いてないで運ぶぞ」

「泣いてなんかない」

 

 キアーラはきっと、オルドリッチを見上げたが、目元からは薄らと涙が零れかけている。 

 二人は、それぞれ数人がかりでケフト施薬院へと運ばれた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 カセレスは雷で撃たれたように立ち上がり、ガリレオ砲が置かれてた近くを一瞥する。

 最大のワイヴァーンが首を斬られた。翼竜の残骸が邪魔をして見えないが、総大将が跳躍して、翼竜の首を落とした者へ攻撃を仕掛けたのはわかる。時折り見える、振り回される鉄球。最後に、この世ならざる慟哭が戦場にある一切の物音を吹き飛ばしたのを聞いて、カセレスはエトゥが死んだことを感じた。

 そうか、奴めは死んだのか。これほどの大軍を率いて、散々、大口を叩いておきながら、無様なことよ。

 カセレスは笑った。

 人目もはばからず笑いながら、彼は自分が泣きかけてると知り、袖で目元を擦った。

 やっと、気付いた気がする。自分が選ばれたのは、単に以前からの右腕ポジションでもなければ、それなりに指揮力があるからでもない。彼は心の奥底でエトゥを真に敬っていた。

 恐怖ではない、見せかけでもない、本当の信仰心に近い形で彼を崇めてた。

 表面上ではときに悪態を吐き、こんな奴の下でと嘆き、異常な思考と行動に辟易もしていたのは事実だが、根底では彼の指導力と強大な力に惹かれて、素直に尊敬してた。それを見抜いたからこそ、自らを高い位に就けたのだろうとカセレスは考えた。

 本人がそこまで考えたか定かではない。

 今となっては確かめようもないが、カセレスはエトゥの意思を継ぎ、なによりも、このまま自軍を見捨て置けない思いもあり、彼の一瞬、揺らぎかけた意志を強固に再び、エトリア攻略へと向かわせた。

 一番小さいのが逃げ去ったようだが、元より無関係。近づくようなら殺す。そうでなければ、捨て置く。

 カセレスは選りすぐりのライダーたちと騎乗した。一旦、空を飛び、状況を把握したい。

 触れ役に攻撃続行を言うよう命じて置き、飛翔する。飛行限界、雲が漂う近くまで来て、目を凝らす。配下の一人が叫ぶ。

 

「カセレス様、あれを!」

 

 配下の叫びがなくても、カセレスの目にも見えた。どうやら、勝利の女神が微笑みかけてくれるのは、エトリアではなくこちらのようだ。カセレスは歪んだ笑みを浮かべた。

 賊時代、豪華な物を手に入れた時、勝利を確信した時、よくみせた正に悪漢の笑顔。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 コルトンは頭を振り、目の前に集中した。

 ゲンエモンの死は誰のせいでもない。自分ができることを考えろ。

 突撃隊の指導者はドナ・A・トルヌゥーアに交代した。彼女は真っ先に馬を御し、方々に散りかけた突撃隊をまとめた。ゲンエモンと落馬した二人、怪物と敵兵へ突っ込んだ不運な一名を除けば、集まった。

 彼女はラクロワ、ブレンダンも含め、ゲンエモンを助けることを許さなかった。もっとも、拘ったのはラクロワだったが。

 

「混乱してるとはいえ、敵が多い。非情だが、西側の敵戦線の薄い箇所を突破し、二国のどちらでもいい。陣に加えてもらうのだ。その方が長く戦えて、生き残れる可能性もある」

「救出に向かうべきだ」とラクロワ。

「賛成だ。じじいも全て承知してんだ。行くぞ、禿げ。見苦しく無駄死にするな」

 

 ブレンダンとドナにラクロワは殴り掛かりそうになったが、乱れつつも、こちらへ迫ってきそうな一団を見て、涙を飲んで、ゲンエモンのいる方向へすみませんと頭を下げた。自らの勝手で他を死なすわけにはいかない。

 一見、冷たく固そうに見えて、彼女の瞳には罪悪感が宿ってた。それでも、今生き延びられる可能性がある者らを優先して、彼女は心を鬼にした。

 ドナは先頭を走り、邪魔立てする者には容赦なく術式を浴びせて、斬り倒した。女傑アジロナの再来に突撃隊は励まされて、敵は慄き、道を開けた。コルトンは馬の背に揺さぶられながら、敵兵の会話を聞いて、思わず顔がにやけた。

 自分を指して、身分の高いあれらを討ち取れと聞いては、何故か笑わずにはいられない。

 かつて、傭兵の時、豪華な鎧を着けた騎士を倒したことがある。

 名のある者に違いないと思い、数人で挑む。高笑いする騎士を打ちのめし、期待して、死体を運んで返ってきたのは叱責と嘲り。

 騎士の鎧を着た者は、身分の低い者の中でも体付きが良い者であり、領主の身代わりにわざと目立つところ走っていたのだ。つまり、なんの値打ちもない。

 あの兵士達が自分を倒したら、きっと喜ぶだろう。特に高貴な生まれでもなし、高い役職に就いた訳でもない、一介の冒険者にしか過ぎないと知り、肩を落とすだろう。今なら、あの時の身代わり男が笑ったのも理解できる。

 自分のような立場の低い人間を豪華な物を身に付けてるぐらいで、きっと偉い人間だと思い込み、血相を変えて、ご苦労なこったよ。

 もちろん、おいそれとこの身をくれてやらない。コルトンはかかってくる敵兵を返り討ちにした。

 途中、恐ろしい断末魔が轟き、全ての音と動きも止まった。コルトンはぶるると芯から冷えた。だが、突撃隊を率いるのはうら若き戦の乙女。ドナが号令をかけると、突撃隊は奮い立ち、茫然と立ち尽くす敵兵を散らす。

 破れた柵を抜けて、壊れたテントの群れに着くと、メティルリク兵士達に止められる。

 

「待て。無用に通すわけにはいかん」

「ならば、時間を取らせないでほしい。我らはエトリアの騎馬隊。馳せ参じるために血路を切り開き、ここまで来たのだ。大将にお目通し願いたい」

 

 メティルリクの者たちは顔を見合わせた。

 先導は女だが、立派な出で立ち。後方の者たちも中々に身分も低くなさそうで、自国の者も五名ほど見受けられる。歩兵の隊長格は彼らを通すことにした。この現状で下手に騒ぎを起こしたくなかった。

 突撃隊は二列で整然と進んだ。メティルリクの戦線まで行って、一旦、停止。 

 騎乗した身分の高そうな軍の将校に問いかけに対し、ドナは毅然とした態度で答えた。

 女だからと下に見てた将校は、ドナの媚びない、動ぜぬ強く頼もしい姿勢に目を張り、しばし待たれよ、ディアドルゴ将軍に意見を仰ぐと馬首を転じた。

 将校は意外とすぐに戻り、兵士達に道を開けさせた。

 

「あなた方は我が軍の騎馬隊の補佐に付いてもらうことになる」

 

 狼狽した警戒の声が上がるも、自分達に対してではなく、どうやら、西の方を指してた。

 

「敵増援部隊出現!」

 

 メティルリクの戦列が騒ぐ。

 

「敵増援部隊接近! 凄い数だぞ。巨大な地竜もいる。南方人と北方人、サンガットの軍もいるぞぅ!」

 

 各個迎撃態勢を取れと叫ばれる。

 四六騎の隊は列を潜り、中央にいる将軍の下まで馳せ参じた。タイロンと同じくらい黒く、彼に一層の威厳と年齢が加わったかのようなディアドルゴ将軍がいた。エトリアの騎馬隊は将軍に頭を下げた。

 

「お目通しと同時に、お役目をいただき感謝いたします」

「よい。僅かでも、味方が増えるのはありがたい。見よ」

 

 ディアドルゴは更なる西の方角を指した。突撃隊は言葉を失った。

 西では敵の新手、優に二万か三万はあろう一大増援部隊が進軍していた。

 恐るべきは先頭をゆく怪物たち。間違いなく、死を呼ぶ竜骨である。

 ただし、大きさは世界樹の迷宮に生息する個体の比ではない。数倍はあり、四足歩行で安定した移動を行ってる。

 背には、これまた巨大な櫓が載せられて、褐色肌の南方人たちが操縦している。この巨躯な生物が十頭もいる。背後では、敵軍が白銀の広野に密集している。

 あれらの怪獣に戦える手立てが思いつかない。一難さってまた一難。巨大な怪獣たちは難攻不落の様相、攻める気は起きず、それは自殺行為にも等しい。

 部下たちが動揺を隠せない中、ディアドルゴと一部の者たちは不安に眺めつつ、なにかを期待してた。

 

「なにか打開策がおありで」

 

 コルトンは恐る恐る話しかけた。

 相手は将軍。身分の違いに気圧されつつも、コルトンは聞かずにいられなかった。

 

「残念ながら、エトリア同様、我らにも打って出る力はあまりない。だが、勝負は時の運。意外なことが起こるかもしれん」

 

 援軍の出現は風のように伝わり、味方は絶望に陥りかけ、敵は狂乱乱舞。

 潮の流れは我々にあり。

 大将を失い、退路も断たれたとあって半ば捨て身にもなり、カセレスに促されて、自らを追い立てて南へ集結した軍勢は留まるところを知らず、不気味な表情を浮かべたときよりも過激な勢いで南外壁への堀と壁を攻め立てて、大量に梯子や即席の橋がかけられ、倒した櫓を梯子にして渡り、侵入されていた。

 また、北と西の敗残兵が二国の方へ迫り、増援部隊と挟み撃ちすべく、距離を縮めている。怪物たちは一部の大型を除き、あらかた討伐されてた。

 角笛が吹かれ、喇叭が鳴り響く。コルトンは辺りを見回す。この晴れた空の下、正真正銘の決戦が行われる。

 当初から望みなきと考えられて、いざ始まれば一進一退と思われてた戦いはやはり、予想通り、サンガットの勝利に終わりそうだった。

 望みはついえた。敵総大将を討ち取ったのも束の間の安息、後は死が襲うまで戦うのみ。

 

 いざ、進め! いざ、進め! エトリアへ向かって突き進め!

 我らの敵を滅ぼせ!

 いざ、進め! いざ、進め! エトリアへ向かって突き進め!

 

 増援部隊、巨躯なる怪物たちの背後でこのような鬨が木霊してた。

 随分とやる気なことと、コルトンは乾いた笑いをもらした。

 エドワードを責めまい。奴は奴なりに懸命にしてるのだろう。コルトンは覚悟のほどが定まり、剣を持つ手を力強く握り締めて、遥か西方の増援部隊へ挑戦的な鋭い眼差しを送る。

 ところが、こはいかに。驚天動地!

 全く以て予想外の事態が発生した。

 木霊する鬨に合わせて、大量の火矢が放たれた。しかし、それは二国の援軍に対してではなく、先頭をゆく十頭と前列の部隊へ撃たれたのであった。

 火矢は着弾するしないに関わらず、人一人を吹っ飛ばす爆発が起こり、地竜の鱗を傷付け、櫓に穴を開け、戦列をゆく地上部隊を散らす。

 間髪入れず、二度目の一斉攻撃が行われた際、四頭の地竜は倒れ、一頭はショックで暴れ、傾いた櫓の重さに耐えきれず、右両足が折れて転んだ。

 残す五頭は別々に向かい、暴走し、逃げ惑う戦列の者たちを尻尾や足で踏み潰した。訳も分からず前列の者たちは反撃して地竜を余計に怒らせてしまい、結果、同士討ちにまで発展。

 反面、後方に配された、前方の自軍を攻撃した部隊は一糸乱れぬ足取りで増援部隊に対する攻撃の手を緩めなかった。

 サンガットの旗は捨てられて、後方の部隊、およそ一万は超える軍勢は色彩豊かな旗をかざした。

 エトリアと同盟を結ぶ、エトリア、メティルリク、エピザを除く、二四ヶ国の内の二一ヶ国の旗がはためき、右翼の主力部隊かと思われる三千騎が掲げる青い御旗が目に入り、コルトンは思わず叫んだ。周りから正気を失ったかと引かれても、お構いなしに高らかな喜びの笑いを上げる。

 コルトンは三千騎を食い入るように見て、エクゥウスの民かと思った。

 遠目からでも、彼らの髪は黒く、明らかに違うのに、そう見えた。彼らの乗馬もさることながら、弓の扱いに長けた様と雰囲気がコルトンにそう錯覚させた。

 三千騎は弓を射ながら敵陣中央を突き進み、真っ二つに別けた。有象無象と化した、取り乱した二つに別れた軍勢を二国の軍勢がそれぞれ迎え撃つ。間近まで蒼き旗の騎馬軍が来た時、コルトンの疑念は確信へ変わった。

 二騎、蒼い旗とエトリアの国旗を掲げたのが来る。一人は他と同じく黒髪だが、もう一人は肩までかかった金髪。

 鷹のように鋭く澄んだ碧眼、長旅でくたびれた緑のマントを羽織るも、当人には一切の疲れや気後れは感じない。手には強力な白い長弓を持ち、黒い悍馬(かんば)に騎乗している。戦闘意欲で燃え滾り、尚且つ、冷静に相手と状況を捉えようとする眼差しは、間違いなくホープマンズのリーダーであるエドワードであった。

 エドワードと思しき人はディアドルゴ将軍の傍に行くと、一礼した。

 

「私は此度、カルッバスの者たちの案内並びに各国の使者を勤めさせていただきました、エドワード・ウォルと申します」

「その節はご苦労であった。して、それだけの用事で参られたかな?」

「実は、将軍閣下のお傍におられるそこの者と話をするために参りました。実を言うと、私は冒険者であり、彼と共に世界樹踏破を目指しております。許可を願えませぬか。すぐに終わります故」

「手短にな」

 

 こうして遂にエドワードとコルトンは、エドワードの予言したとおり、戦場のさなか互いに馬上の人として再会を果たした。

 ディアドルゴは更なる援軍の到着を知ってた風な口ぶりだったが、どうでもよくなった。コルトンは半ば歓び、半ば探るような目付きを送った。

 

「どうしたんだ? 喜んでると思ったら、疑ったりして、戦場の狂気とやらに飲まれておかしくなったか」

 

 エドワードは砕けた口調で話しかけた。コルトンは笑みを隠せなかった。

 

「いや、敵の大将さんが厄介な術を色々使ってくれたから、あんたはまやかしの類じゃないかと一瞬、疑ったんだ」

「それは大変だったな。さあ、時間を取り過ぎた。共に山ほど語り合いたいが、まずは邪魔者を蹴散らし、俺たちが多く支払わされた損失の代償をたっぷりと支払わせてやろう! 今度はこっちが狩りたてる番だ。モンパツィオたちも動く頃だろう」

「どういうことだ!?」

「聞きたきゃ、生き残ってみせろ」

 

 エドワードは笑顔で言うと、きりっと険しい表情を作り、騎馬の列へ戻った。

 情緒もなにもない、出会ったばかりで判らないことを増やしてくれて、あんにゃろと言いたくなったが、危機的状況から脱したわけでもないのにコルトンは安堵すら覚えた。

 そして、エドワードの言ったことはすぐに実現した。

 西から来る増援部隊で二国の援軍を挟み撃ちにしようとしてた一万以上の師団にて、奴隷と身分の低い者たちの間で蜂起が起きた。

 

「時が来た! 時が来たぞ! いまこそ、自由を得るために戦え、本当の敵と戦うんだ」

 

 モンパツィオ以外にも、あちこちで蜂起が呼びかけられる。奴隷と身分の低い者たちは、後列にいたり、自分達を盾にしようとしてた市民兵や正規兵へ武器を向けた。

 最大の恐怖で象徴でもあったエトゥ亡き今、彼らを縛り、止められる者はいない。

 サンガットの混沌と混迷はそこだけでは止まらず、橋となった櫓が爆破されるや、南側でも同士討ち、敵前逃亡。エトゥ率いる王賊軍、もとい、サンガット国軍は周章狼狽してなすところを知らなかった。

 増援部隊に多くの敵が紛れて、しかも、奴隷や自国でも人間扱いされてるか怪しい位の無い者たちが反旗を翻すとは夢にも思わず、暗澹(あんたん)たる恐怖に襲われた。

 潮の流れは大変不利な方向に変わり、掴みかけた勝利は離れて、金床に横たわるのは自分達へと代わり、巨大な鉄槌が振り下ろされる。

 エキアロモの息子エキアロノ将軍が自ら前線へ赴き、北へ先陣を切り、蜂起した者たちを支援する。

 南はディアドルゴ将軍指揮下の規律取れたメティルリクの軍勢が進み出る。コルトンとドナ、ラクロワは雄叫びを上げ、ブレンダンは冷徹に敵を討つ。

 蜂起した者に混じり、モンパツィオとその一味が戦い、隻眼のヌナは確かな狙いで矢を射る。近くでは、ベルナルドが鞭をしならせ、剣で刺して斬り、カールロも負けじと弓弦を引く。本都市では黒き名剣を持つロディムが、赤髪のアデラが存分に剣をふるい、サヤは鋭い一閃で侵入者を斬り伏せ、若いリカルドも奮戦し、ブルーナとパーヴォらパラディンは敵を盾で防ぎ、ヴァロジャは怪力で敵を捻じ伏せる。

 キアーラとピエルパオレら、カースメーカーたちはケフト施薬院に近づく不届き者を呪言で縛り、アクリヴィはレイピアを抜き、隙あらば術式を浴びせる。

 各国から派遣された精鋭の戦士団と長槍の扱いに長けた手強い傭兵部隊が増援部隊を食い止めて、一致団結した固い包囲網で敵を逃がさず、追い立てる。

 陽で色濃く焼けた黄色人種、黒い髪と瞳、かつての騎馬大国の末裔であるカルッバス族三千騎は戦場を縦横無尽に駆け廻り、百発百中ともいえる命中率で敵を屠る。強力な弓アーチドロワーを持つエドワードは、確かな目で兵を指揮する将や隊長を次々と狙撃していく。矢は弾丸の勢いで飛んでゆき、厚い鎧と盾すら貫く。

 サンガット軍は段々と追い詰められる。上空を成す術なく飛ぶカセレスは自棄になり、手綱を引いて、翼竜に地上への攻撃命令を与えた。狙うのは、規律正しいメティルリク軍の中心にいるディアドルゴ将軍。

 迫りくるワイヴァーンに対し、さしものメティルリク軍も統率が乱れた。

 しかし、カセレスと翼竜は見落としてた。メティルリクの近くにカルッバス三千騎がいたこと。将軍の元へ、凄腕狩人で戦士でもあるエドワードが来てることに。

 エドワードは迫りくる巨大な存在へ躊躇いなく矢を放った。矢は風圧で押されず、翼竜の鼻づらに刺さった。

 翼竜は悲鳴を上げ、首をもたげて上へ逃れようとしたが、間に合わない。エドワードの愛馬であるブケファラスは、手綱を引かずとも主人の思った方向へ赴く。

 エドワードは地上近くにいる翼竜へ、連続して三本の矢を射かけた。喉、顎へ刺さり、最後の一本は口の中、上顎の柔らかい部分を通して脳天にまで至った。

 ワイヴァーンはぐるんと白目を剥き、手足と翼をじゃじゃ馬のようにばたつかせたら、激しく旋回して、地響きを立てて地面へめり込んだ。

 エドワード、ディアドルゴ将軍と側近、メティルリク軍がカセレスと難を逃れたライダーの生き残りを捕縛。

 エドワードは、カセレスが口や鼻から血を流し、目が回っていようとお構いなく、厳しくカセレスの身を将軍の前まで引っ立てた。

 ディアドルゴ将軍は彼の口から全面降伏の言葉を聞き出そうとしたが、その必要は無かった。

 何故なら、カセレスが乗るワイヴァーンが墜落した時、サンガットにおける最後の戦意の糸も切れて、彼らは戦いの手を自ずと引いた。それでも、将軍はカセレス本人から聞かねばと、居丈高に問いかけた。

 

「武装解除して、全面降伏をしろ。命までは奪わん、手荒な真似はしない」

「対等とは言えんな」

 

 カセレスは冷笑した。

 

「俺から言えるのは、もう一つしかないだろう。負けだよ、俺たちの完敗だ」

 

 将軍は納得したように頷き、側近と兵士達にも伝えさせた。

 

「聞け。お前達の大将が降伏を申し出た。最早、争う意味はない。武器を捨てよ。生命は保障する」

 

 戦場は静まり返った。だが、一人、また一人と武器を捨て、盾を投げ、冑と鎧を脱いだ。

 サンガット、南方と北方の生存者は暗い面持ちで武装を指定された箇所に捨てていく。立ち尽くす者もいれば、あまりの疲れで泥土と雪、血で汚れた地面で服が濡れるのも構わず息を吐いて座り込む者もいた。

 彼らは途方に暮れて、次に何があるのだろうかと手をこまねく。

 エトリア史上初の合戦。広沃ヶ原と本都市で繰り広げられた攻防戦は終結。

 二月一四日の開戦日から今日で二二日。短くも長い八日(ようか)間であった。

 

 

 

 エドワードとコルトンは西の大門に向かって馬を進めた。

 二人の剣はそれぞれ異なっていた。

 血糊が付きすぎて満足に切れない。もしくは、折れたり、投擲にも使ったので、二人が持つのは敵や味方の武器を鹵獲(ろかく)した物。

 コルトンは三本、エドワードは五本。エドワードのサーベルは長旅の疲弊が出たのか、戦って間もない内に折れ曲がった。

 ドナ、ラクロワやブレンダンなど、冒険者の乗り手も加わった。彼らは喜びも悲しみも感じられないほど疲れ切っていた。

 馬に乗り、時に降りて、戦った。彼らは掠り傷一つ負わなかった。

 技と力が優れてたのもあるが、強い武運に恵まれてたのもあった。

 エトリア本都市とその周辺は、人間の嘆きと血、無造作に転がる死体、戦いにおける殺戮行為から来る罪の意識、鬱屈した思いと酷い疲労に覆われた。

 冒険者たちはまず、彼らの会いたいと思う者たちと会うため、向かっていた。

 大門を潜る前に馬から降りる。エドワードはできる限り、しっかりと前を向く。

 ジャンベ、アクリヴィ、ロディム、マルシアが人混みを分けて進んでくる。他にも突撃隊へ加わった冒険者の同パーティの者たちが迎えに来る。

 

「え、エドワードざぁん! コルトンさん! ほんどに……うう、よがった」

 

 ジャンベは脇目も振らず泣きじゃくる。ロディムは自慢気に二十人倒したとほざく。

 

「おい、どうした」とコルトン。

 

 ロディムは頭に包帯を巻いてた。

 

「ああ、最後の奴に頭を槍で小突かれたのさ。なに、大したことはねぇ」

 

 ロディムは自ら頭をぱんと叩き、いててと擦った。

 そんなロディムを見て、マルシアは微笑んだ。

 

「ロディムったら……。でも、安心するには早いけど、良かった」 

 

 マルシアは両手で顔を押さえ、肩を震わして泣いた。彼女は直接戦わなかったが、白衣には戦傷者の血があちこちこびりついてる。彼女もまた、別の形で戦っていた。

 アクリヴィはいつになく優しい表情で手をマルシアの頭に添えて、軽く撫でて、妹を労わる姉のように接する。

 コルトンはエドワードの背を小突いた。わざとらしいにやけ面のコルトンを、エドワードは訝しく思った。

 

「約束は覚えてるよな、エド。帰ってくるまでは、俺がリーダーだったよな」

「気に入ったのなら譲る」

「冗談じゃない。もうお断りだ。細かいことはおいおい話すとして、リーダーはもうこりごりだ。お前に返すよ」

 

 それは残念とエドワードは笑顔で返した。

 冒険の再開はもう少し先だが、エトリア在住の冒険者パーティが一組、エドワードとメンバーは数か月。いや、一年越しとなる再会を果たして、今日、ホープマンズは再結成をした。

 




探索番外編は後一話か二話で終わりです。

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