世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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三六話.さらば、こきょうよ

 新たな年を迎えた熱気はどこへやら、数日も経てば、夢から覚めたように静まり返り、いつ来るのかと不安と期待が混じった気持ちになった。ここから二千㎞以上も離れた地続きの港がある国に到達して、刻々と迫りつつあると行商を生業とする者たちからの確かな情報はエトリアの民に伝わってきた。

 有事の対応としてオルレスらラーダ長代理三人を交えた会議が始まり、三人を代表してオルレスが読み上げた。

 

「まず、我々が行うべきことは幾つもあります。第一に優先してしなければならないことは、千人程度いる冒険者を含めて、総人口八万と数千の国民の移動です。もっとも、冒険者と此度のことで増員した兵士七千を除けば、八万と少しですが。これらの者たちをいち早く、国内外に退避させることにあります。

 先述したとおり、我らの有事に割ける人員は七千余名いますが、エトリアで行われるであろう戦いに全て投入することは愚策に等しいと、専門家であるミルティユーゴ殿もおっしゃっておりました。つきましては、八万のうち陸を伝って行く者たちには二千人を同行させて、残す渡航予定八千人には四百人付けます。もっとも、これは物の数の内であり、潜在的な兵士とおっしゃればよろしいでしょうか?」

 

 潜在的な兵士とはと手が上がったが、オルレスは今から言う所ですと答えた。

 

「潜在的な兵士とは、訓練に落ちた者。もしくは、募集にはこなかったこそ、いざというときには戦う力を持っている者たちのことです。それらの人数を踏まえたら、もしも彼らが襲われることがあり、兵士の手が足りなくても、彼らが戦うはず。

 断言はしかねますが、そういう者たちの人数は七千を超えて、おおよそ二万か三万をいると思われます。とにもかくにも、決戦の舞台である本都市には、四千五百余名の配置し、二千五百余名の衛兵たちは民の守備に就くことが決定しました。

 期待はしていませんが、冒険者にも戦ってくれる者がいるので、本都市の人数は多少の増加が予想されます」

 

 その後、幾度となく繰り返された議論と問題に及んだ。

 いついかなる日に退避させるか。受け入れ先の国に対する配慮とエトリア人の今後。敗北した後はどうするか。勝利後はどうするか。和睦交渉の使者を送るのか。現在の食糧備蓄と今後の食糧事情。農耕地と牧畜地、森林などの天然資源の管理など、多くの議題と情報について語り合った。

 大抵は結論が決まってたので、長々と無意味で無用なことをだべって、罵りあうことは殆どなかった。

 本都市に残留して軍を指揮するのは、ミルティユーゴ総轄隊長の他、国境沿いと国の中間と交通網を担当する地区隊長が選ばれた。残る港都市の地区隊長と、もう一人の国境沿い担当地区隊長が民を先導・護衛する軍の責任者に指名。

 会議終了後、オルレスは自室に戻り、秘書と共に冒険者室長の業務として数々の書類と向き合う。休む暇などない。のんびりと紅茶をすすれた時間すらも、たまにしかとれない。しかし、少しきついと思うことそあれ、不思議なことに不幸だとは思わない。忙しいことを喜んでたりする。

 不必要に余計なことは考えずにすみ、自分は仕事がいきがいの人間だと再認識させられた。なにより、代理とはいえ、曲がりなりにも一国の代表としての責任感が彼を突き動かしてた。

 ふと、地図を眺め、頭に叩き込んだ母国の基礎知識を(あらた)める。

 エトリアは西と北に交通の要である主要の大門が建ち、北側は姉妹都市で港でもあるソロルと繋がっているため、行き交いが頻繁。同じく北と西には農耕・放牧地帯である肥沃な大地、広沃ヶ原が広がる。

 南の各地には小さな門が点在。西南には鬱蒼とした森がある。先にある霊峰は隣国エピザ・トーティの国境線沿いとなり、霊峰から流れ出た幾つもの支流が重なった大河が堀の水を湛え、生活の用水となる。それとは別に、干ばつに備えて、地下からも水をくみ上げる場所が幾つか作られていた。

 東側は緩い下り坂のような草原が続いた後には悪い虫が湧く湿った森があり、先には隔てるような大きな崖がある。その崖を登り、降りたら、険しい悪路と荒れ果てた大地が続き、鋭い小さく連なった岩山が道を阻む。奥には硫黄が充満した洞窟と湖があり、満足に呼吸すらできず、行き着く先には切り立った断崖絶壁しかない。

 船で行こうにも多くの暗礁があり、潮の流れも速く、近づくことすらできない。何年経とうと草一本生えないところから、不毛地帯と呼ばれ、物好きな冒険者ですら近寄らなかった。昔、国の地図作製を目的に寄った一団の内、四人もが亡くなった事から、人喰いの地とも異称された。よって、自然の障壁に守られた東側はあまり警戒する必要がなかった。

 東が異様に険しいのは、規模の大きな海底火山の噴火で形成された可能性があると指摘があった。火薬の主原料である硫黄が取れる洞窟や湖が存在し、国の仕事で硫黄運搬の専門職の者もいた。冒険に見切りをつけた元冒険者の男性も見られた。場所が場所であるため、屈強な者にしかできないことであり、エトリアは火薬の原料を自国と交易により賄っていた。

 東側が枯れている理由は硫黄だけではない。聳え立つ世界樹の根っことその下に広がる広大な地下世界を支えるのに、養分を取られているためだと主張する者もいた。

 世界樹の迷宮は厳密にはエトリア本都市の真下ではない。樹がある東側。街全体の四文の一ぐらいである。

 人が入るのを拒むかのように険しく、堅い岩と砂、硫黄しかない不毛地帯の下に世界樹の迷宮が存在しているとの見方で一致していた。今の所、出入り口は世界樹のそこしかない。もっとも、通常の生物より遥かに優り、繁殖能力と適応力を備えた危険極まりない樹海生物がいるのを承知で新しい出入り口を掘ろうする愚か者はさすがにいなかった。東側へ行くルートには、要所で柵や看板が立てられてた。

 上記の理由から、東側は警戒の必要が無いと言われた。

 例の白き姫の予言が本当だとするなら、怪物たちがぎゃーぎゃーと騒ぐ壁を破壊して、自分達の方に敵を招きよせる真似はしまい。壁との距離が狭く、高低差でこちらの攻撃は届きやすく、向こうの攻撃は届きにくい。おまけにぬかるんでて、人の血を吸う悪い虫対策にときおり薬をぶちまけたりしてて、衛生面もよろしくない。いずれにせよ、東側に敵が陣を張る可能性は限りなく低いと言われた。

 四方八方から攻め入る心配が無いのは、まだ良いといえるのか。

 しかし、近頃、冒険者たちからもたらされる報告では、一階層に三階どころか四階層で見られるうごめく毒樹など、深層の怪物が浅層に出現したとの目撃情報が多数挙げられてくる。白き姫の予知夢を単なる妄想と笑えなくなってきた。

 

 

 

 艶やかな赤い毛並は、深緑の森ではより一層生えて、目立つ。子羊より少しばかり小さい鼠をここで見た時は驚いたものの、今ではもう、見慣れたものよとコルトンは思う。

 そう、ここは一階層。本来、四階層の火噴き鼠が来ていい場所ではない。なのに、ちらほらと見られて、浅い階を中心に探索をする冒険者たちを脅かす。いくら冒険稼業が命懸けとはいえ、命を落とす危険性が増した状況でほいほいと送るのはどうかと思われた。そこで、浅い階を探索する冒険者たちを守るため、各パーティの他、冒険者ギルドの仕事に関わる者、執政院ラーダが決めた安全策を講じた。

 日が浅い者ら。あまり腕が立たない者らは、三階層以上に到達した者が最低二人以上、護衛に加わるのが条件とされた。理想とされる五人を超えてしまうが、無闇に散らせてしまうのはあまりにも酷。犠牲者は少ないに限る。

 だが、そうはうまくいかなかった。日が浅い者たち、浅層で長らく燻ってる者たちはこれを機会と捉えて、無謀にも戦いを挑む事例が少なからず起きた。結果、消えない傷ができるのは良い方で、生涯付き合わなければならない重傷者もいれば、死亡した者もいた。

 ある程度過ぎれば、そういう計画性の無い英雄願望も鎮まったが、今度は利益分配の問題が上がり、そのことで喧嘩をする者たちもいた。全体でいえば四分の一程度なのだが、決して少なくない件数にベテランの冒険者、ギルド、ラーダの者たちは悩んだ。

 コルトン、アクリヴィ、ジャンベの三人は浅層の冒険者護衛の取り決めができたとき、分配はそこそこで良いだろうと決めた。そこそこがどの程度かは曖昧模糊ではあるが、どちらにせよ、相手方と比較して、半分もしくは三割寄こせと言う気は無かった。

 ロディム、マルシアが来るまでは、こうした護衛を買って出ていた。少なくとも、一日二回以上は深層のものと出会う。時間にして、大よそ二時か三時頃、本日一回目となる遭遇。

 森ネズミと呼ばれる紫のネズミの群れは、ふぅと熱気を伴った息を吹きかけられただけで、だだっとコルトンとアクリヴィ、後ろにいる十代後半と二十代前半の年も経験も若いパーティの足元を駆けてゆく。火噴き鼠は自らを大きく見せようと、すすっと二本足で立ち、ネズミというよりかは、ガラスを引っ掻いたときに出るような不快な鳴き声で威嚇した。

 一人、丸っこい一番大きな盾を持ったパラディン役が出る。がたいはよろしいものの、構えや動作もぎこちない。体付きが良いだけで、慣れてないのが一目でわかる。コルトンは斜め横に離れて、鼠から見えない位置を選び、くさむらでじっと見守る。

 鼠が憤りの声を上げて、若きパラディンに跳びかかる。なんとか盾で受け止めたと思ったのも束の間、盾に爪をかけてよじ登る。剣で刺そうにも、頬袋はとうに膨らみきってる。愚かにも戦いを挑んだ図体ばかりでかい鈍い相手を焼こうとした瞬間、鼠は火の息の代わりに血と唾を吐き散らして、倒れた。ぷしゅうと音を立てて、僅かに熱い吐息が歯の隙間から漏れる。

 コルトンは地面に剣を刺して、血を拭った。大丈夫かと一声かける。

 

「え、ええ。お陰で。手甲を着けていましたから、傷もありません」

 

 盾は鉄板と木材を合わせた合板製の物。木材部には鼠の爪痕が残り、鉄の手甲にも引っ掻き傷が見られる。手甲を着けてなければ、この天然茶髪カールの男の手は血塗れになっていただろう。

 

「ああいう風に跳びかかれたときは、直前で盾を手放せ。そうすりゃ、手甲を着けてなくても、痛い目を見ずにすむし、相手が痛い目を見る。あるいは、もっとでかいのを使うんだ」

 

 とは言ったものの、時間はかかるだろう。自分は慣れたが、火噴き鼠は森ネズミとは比べ物にならないほど速く、力もある。どんと跳びつかれた際、手首から肩にかけて強い衝撃があり、手の感覚が無くなったはず。その証拠に、はいと面を上げて返事をしたとき、するりと手から盾が抜け落ちて、震える手で拾おうとしてた。

 パラディンなど、盾持つパーティの守護役には、相手の攻撃の衝撃を受け流すスキルが求められる。例えれば、雷の避雷針みたく電流を地面へと逃がすようなもの。格闘技で相手の攻撃をいなしたり、咄嗟に身を引いて、直撃によるダメージを軽減するのと同じ。一朝一夕では身に付かない。命懸けの実践と絶え間ない精進の末、やっとこさ覚えられる。

 傭兵の経験があったコルトンも、その感覚を身に付けるのに、実に二年要した。特に下へ行けば行く程、重く、速く、強い相手がいて、必ずしも型通りにいかせてくれるとは限らず、柔軟性もいる。いやがおうにも鍛えられる。できなければ死ぬ。

 この同行して間もないパーティとの相談では、三階層以上の敵を倒したときに得られる八割の報酬はこちら。浅層の相手に関しては、全てあちら側という約束で同意した。残念なことに、今日は鼠一匹。森ネズミ数匹分とはいえ、たかが一匹では知れてる。かといって、いつぞやの青熊なんぞに出て来られても困る。

 あんまり強すぎると、今のメンバーでは戦うのはおろか、逃げるのも困難。

 強敵と出会わなかったのを幸運と見るべきか。儲からないのを不幸と思うべきか。シリカ商店で換金した鼠一匹分のしけた金をぎゅっと握る。

 

「生きて帰れただけ良いでしょう」アクリヴィが淡と言う。

 

 ああ、そうだなと適当にあいづちを打つ。三人で五階層に行く無茶をする余裕もなければ、状況でもない。三人の内、誰でもいいから、とっとと帰ってこいとコルトンは切に願った。

 自らの暗澹とした気持ちを写すように、本都市―――いいや、ここだけではない。エトリア全体が慌しく、物々しさがより増してきた。昨年までは、余程、怪しくなければ、初対面でも大抵の者には挨拶をかけてた彼らは、見慣れない者に対し、疑り深い眼差しを向ける者が多くなった。

 地下の喧噪をどこ吹く風の態度には気に食わない思いを抱いてたものの、なんだかんだ、血生臭くて危険な生物と疑り合う場所から離れて、心を休めるには、あれぐらい呑気な方がちょうどバランスが取れていたのだと知った。今では、地上に出ても、一目でわかるほど一変して張りつめた空気のせいで、すぐには安心感が得られず、身体の緊張が自然と脱けるには少し時間を要した。

 近々、民族大移動の話をギルド長から聞いた。酒場の女将も、シリカも、遅れてだが、いずれ去ってしまう。ギルド長は直前まで残ると本人が言ってた。残ると決意はしたが、空っぽの場所で望みが薄い場所に居るのか。そう思うと、そう思うと、自らの弱い部分が勝手に悪魔の囁きとなり、上手い言い訳を思い付けと語りかけてくる。

 そして、数日が経ち、マルシアが帰ってきた。

 マルシアは気負いも憂いもなく、いつもどおりであった。反対はされなかったのとアクリヴィが聞く。

 

「できれば、私たちと一緒に逃げてほしい。戦火はここにまで及ぶ可能性はある。だけど、エトリアではきっと、多くの怪我人が出るはず。一人でも多くの手がいるでしょう。あなた自身で選びなさい。そう言われて、来たの。これを持ってね」

 

 薄く濁った液が入った小瓶。まさか。コルトンとジャンベは顔を見合わせた。

 

「おいそれと飲む気は無いわ。母さんがね、とても悲しげな表情で渡してくれた。まあ、好きでもない、乱暴な人たちに言い様にされるぐらいなら、それもありかもね」

 

 アクリヴィはぎゅっと、マルシアを優しく抱き締め寄せた。

 

「あんたって大馬鹿よ。そのまま帰って来なくても、誰も責めない。あなたは優しいんだか、冷たいんだか、わかりゃしない。でも、死ぬときは一緒よ。私は薬ではなく、剣か。矢か。鉄砲弾のいずれになると思うけどね」

「ええ、本当。私って馬鹿だと思う」

 マルシアはとても嬉しそうに微笑んだ。アクリヴィがそっと離れたら、マルシアは語った。

「ここに来て、初めて、あなたやコルトン、ジャンベ。ここにはいないけど、エドワードにロディム。それと、女将さんやシリカ、アデラとか、沢山の人と親しくなった。私ね、実は子供の頃、友達と呼べる子がいなかったの。高嶺の花というか、みんな一歩距離を置いて、憧れるか。妬まれるかのどっち。でも、ここでは、全部ではないけれど、大抵は包み隠さず自分を出して、女や男とか余所にして、接してくれる。私も遠慮なく自分を出せる。私を変えてくれて、私が愛しく思う人たちが集えるこの場所を守りたい。だから、戻ってきた」

 

 マルシアは笑みを絶やさないが、笑顔の裏から強い意思と覚悟が感じられた。コルトンは恥ずかしくなった。

 あれだけ、かっこつけといて、まだ心が揺らぐ自分を嫌悪し、しっかりしろ。肩の力を落とせと励ます。

 ただ、マルシアが戻ってきたところで、五階層には行くには不十分。もう一人、戦闘に長けた者に帰ってもらわなくては。

 その一人、ロディムは三週間(二一日)を過ぎて、二四日にやっと戻って来た。垂れた鼻水を指でさっと払い、馬鹿面で笑いかける。

 ロディムが帰還した頃、エトリア全体は静かになっていた。荷物をまとめて、いよいよ民族大移動の日が刻一刻と迫りつつあった。

 

「母さんと別れて、寂しくなかったか?」

 コルトンは茶化すように言う。意外にも、ロディムは落ち着いた様子で答えた。

「いや、寂しくなんかねえよ。(くわ)(すき)を手に、一生土いじりなんざごめんだ。俺以外の兄弟は良い子ちゃんが多いし、一人欠けた程度で困ることなんぞない。俺は俺の道を行く。盗賊や王様なんてどうでもいい。邪魔するなら潰す。駄目なら、殺った奴の悪夢として死ぬまでつきまとう。それだけだ」

 

 さすがはロディム。さっぱりしてる。感心した様子で見られて、天狗になった。

 実際は、ぐずぐずと滞在してた。あくる日、母親にちょっとどうようしかなと口を滑らしたら、優しい母親の形相が鬼へと一変。根性無しのただ飯ぐらいに用はない! 偉そうな態度や言葉は飾りかい! さっさと出て行けと鍋で尻を引っ叩かれてしまい、周囲にらしくないと笑われる形で帰ってきたことを話せるはずがない。

 ロディムは伸びかけた鼻を仕舞い込んだ。

 こうして、五人揃った。一応、五階層の探索に出向けるが、コルトンは心許なかった。他の四人も同じ思いを抱いてた。後一人、ホープマンズの結成者にして、リーダーでもある彼が帰還しないことには、パーティは完成しない。彼に限らず、他のメンバーもだ。六人が揃ってこそ、ホープマンズという一組が完成するのだ。

 しかし、全く情報がない。エドワードの母エウドラの葬儀翌日、弔問のオルレスに尋ねたが、私もわからない。ただ、中小連合へのメッセージ伝達は完了したことだけは分かった。先週は冒険者窓口で会えたが、返ってきたのはわからないの一言だけ。もはや、本人の行方を直接知る誰かから聞く以外に手立てはない。一番は本人が帰還すること。安否はようとして知れない。

 往復、計六千キロ以上の旅路は計り知れない。

 彼の代わりに、エトゥ王賊軍の行軍の情報は大量に知れた。王賊軍は近隣の村々と町、地域に一時的な食糧供給を約束させる代わりに、手出しは一切しない。多くは大軍と空飛ぶ怪獣を見て、戦意を喪失し、素直に提供したが、中には食糧を隠す所、反抗的な所もある。そういう地域は、情け容赦なく叩き潰されて、地図から姿を消した。だが、それだけでは留まらなかった。ときには、予告なく、少数に分けた部隊で奇襲をかけて、交渉や予告なく村や町を焼き払う時もあった。無力な人々にできることといえば、いち早く察して、かつ、敵の大軍の目が及ばぬ遠くまで行くこと。それしかなかった。

 一方的な攻撃は経済や営みなどの活気を瞬時に奪い去り、他国との交流も減り、そのせいでエトリアは余計に沈んでいた。

 二日後。寒気は相も変わらずだが、風もなく、比較的、陽光な日。遂に民族大移動の第一陣が出発した。本都市周囲に拠点を構えてた冒険者の半数以上もこれに加わり、各々、故郷への旅路を往く。

 残った衛兵たちは、家族と友人たちに別れを告げていた。父と思しき者が幼子を抱いてる。ぺたりと膝を付き、涙を湛えた眼で産まれ育った地を眺める老人。好いた女に思いの丈を語る青年。

 ホープマンズ、グラディウス、ゲンエモンら、ヴァロジャら、ドナ達、ダルメオとフィリ、レッドユニティ。

 見送る側に見知った者もいれば、見送られる側に知った者も多く見られた。パスカル、ダマラス、ティッグロ、ヤルヴィネンは去る方を選んだ。

 パスカルも少なからず、人望があり、多くの者と挨拶を交わしてた。

 

「あんたがいなくなるのは寂しいな」とコルトン。

「俺もだよ。まあ、金は十分あるし、懇意にしてた方達の紹介もあるから、良い機会かもな。もしも……戻れる機会があれば、そんときは、もう少し続けるよ」

 

 パスカルは、コルトンの近くにいたダルメオとフィリを目敏く見つけたら、いきなりこらと叱った。

 

「てめえら! まだ、いたのか。悪い事は言わない。お前らも早く故郷(くに)へ帰れ。ここの望みは薄い」

 

 最後の言葉は小さく言った。

 

「どうしたんだよ? あんたらしくもない。残るのは自由だろ」

「それもそうだがよう」パスカルはコルトンに耳打ちした。すると、コルトンも二人に帰れと言った。フィリは抗議した。

「ちょっとちょっと、それは酷いでしょう。ダルメオも何か言ってよ」

「お二人の気持ちはありがたいですけど、僕らは自分の意思でここに残ると腹を括りました。お互い、大切な片割れ。彼女は二割れを失いました。何ができるかわかりませんが、納得できるまで進むと決めました。僕がフィリと結婚したこととは関係ありません」

 

 ダルメオは弟。三つ子の次女フィリは、長男と三女が四階層での対マンティコア防衛戦で落命した。この二人は、互いに失った者を埋めるように傍に寄り合い、傍目から見ても、恋人同然なのは知ってたが、婚約した事実は初めて知った。

 未熟な頃、パスカルに資金援助をしてもらった付き合いで、密かな婚約の儀の仲人として彼を選んだ。

 ダマラスが嫁フィリに付き添い、ティッグロが指輪を運び、ヤルヴィネンが演奏。小さくも、暖かな結婚を最近したらしい。パスカルではなくても、二十代半ばの新婚男女二人が参戦するのを喜ぶ者はいないだろう。しかし、二人の決意は固い。この場で事を荒立てる意味はない。それでも、パスカルとコルトンは多少、説得を試みたが逆に折れた。

 パスカルは溜め息を吐き、二人を見据えた。

 

「良いか。死ぬんじゃないぞ。仲人した直後の葬儀なんざ、ごめんだぞ。では、達者でな」

「あなた方もお気をつけて」とダルメオ。

 

 四人は大きく手を振り、それきり、振り返らず歩んだ。軍隊バチ狩り専門のハンター四人が去って行った。

 ギルド長はじっと腕を組んだまま、傍観してた。近くにいたオルドリッチが話しかけた。

 

「おやっさん。柄にもなく、寂しいなと思ってるのかい」

「そうかもな。昔のことは知らないが、俺が知り得る限り、現在のエトリアには、最高に腕扱きの冒険者が集ってたと思う。迷宮の深みに到達するのも夢じゃない。夢を託すとか、そんな迷惑なことじゃねえが、俺や多くの馬鹿が追い求めてた物を見つけられる実力者がこんなにも去るのは、惜しい気がしてな」

 

 大移動は三陣に別けて発つ。一陣で大半は陸路を往く。

 第二陣は三日後。エトリアでも選りすぐりの知識人・職人・技術者たちを姉妹都市である港に連れて行き、時期を見計らい、出航する。最後の第三陣は、各町村を運営する上で必要最低限に残しておいた者たちを避難させる。ギルド長、シリカ、女将は第三陣である。本来ならば、シリカと女将は第一陣で行く予定であったが、本人たちの強い希望で最後になった。

 エクゥウスの一族も当然、大移動に加わった。彼らにとって、移動は慣れたものであり、速やかにゲルと荷物を畳み、大移動の助力も行ってた。ここに来て、エトリア人の多くは本当の意味で彼らを見直し、今までのいわれなき非難を詫びて、感謝した。

 

「あの人が見たら、喜ぶでしょうね」

 

 ジャンベの言葉に、四人は同意した。

 数万の人間は丸一日かけて、決戦の場である本都市の高台から遠見して、後列が豆ぐらいにしか見えないほど離れた。今朝まで賑やかだった都市は、しんと静寂した。代わりに、残された兵士たちによる靴の擦れ。接近用、弓、鉄砲、大砲を扱う訓練の音。指導者の怒声に、兵士がおうと応える声が幾重にも木霊する。

 三日後の第二陣に見送りはいなかった。何故なら、彼らは第一陣に混ざって、既に港町へ滞在してた。残った仕事を片付けたり、荷物をまとめた少数が本都市から去った。

 そのうちにも、賊共来訪の情報は寄せられて、二月か三月の上旬には到達する見込み。第三陣は二月の上旬。遅くても、二月の中旬以内には出発。

 残る冒険者たちは探索を打ち切り、世界樹の迷宮における樹海生物の動向監視。衛兵たちの訓練に付き合った。特に四階層以上に達する冒険者となれば、精鋭数名以上の強さがあり、戦力として大いに期待された。

 三日後。第二陣が出発。それに伴い、五百名ほどの人員が各地の国境や空っぽになった町村にゲリラとして配置された。いざとなれば、放火や爆破をしてでも、侵攻を防ぐ。

 数百程度だが、またしても、都市部から賑わいが失われた。二月に入り、近隣の国にも慌しい動きが見られた。エピザ・トーティ、メティルリクも自国の民を一時避難させていた。そして、かの軍勢にもたらされる悲報ばかり届く中、にわかに明るいニュースが入った。

 

「二国が増援を出してくれるぞ! 我が国は決して、見捨てられた訳ではない」

 

 居残る者たちの歓喜が迸る。増援の報が届いて四日後の二月八日に到着。

 二月八日の正午前。歓迎のファンファーレと五千名以上に出迎えられて、上は黄、下は茶で中央に大きな白い菱形が中央に染め抜かれたメティルリク国の旗。黒、赤、緑、青とカラフルに飾られて、太く赤い剣に繋がる黄色い三日月が目立つエピザ・トーティの旗が西の大門を通る。

 エトリア同様、様々な人種で構成されて、土木工事と採掘で鍛えられた体躯を持つメティルリクの戦士団百名。隊を率いるのは、真っ暗な洞窟の闇が形となって出てきたと思うほど黒い肌の隊長タイロン・パッチュリオ。黒い瞳は研ぎ澄まされて、鍛えられた鋼を連想させる。ディアドルゴ将軍閣下の親戚でもある。

 対するエピザ・トーティは、赤髪と金髪の日に焼けた白人で固められてた。狩りと農耕で陽に焼けて、不屈な面構えをしてる。なによりも武勇伝を好み、鍛え、戦いに関することを尊ぶ彼らもまた、メティルリクに引けを取らず立派である。隊長は驚いたことに英雄エキアロモ。見るも赤い毛に覆われた大男であり、ざんばら髪をぎゅっと一つにくぐり、顔は彫刻のように彫りが深く厳めしい。片手で楕円形の刃の形をした槍とも戦斧ともつかぬ変わった形状の長物を携えてた。こちらは、百五十名だった。

 オルレスとミルティユーゴ総隊長が各代表二名に歓迎の意を述べた。盛大にかつ、短く済ませた後は、執政院ラーダを会談の場にして、人払いをした。二人は単刀直入に問いかけた。

 

「して、お二方の本国から、今後、更なる増援の予定はおありで?」とミルティユーゴ。タイロンが先に答えた。

「可能性はあると申しておきましょう。総隊長殿」

「可能性とは、いかに」

「此度は、かつての二国間同士における争いの規模とは違います。敵はあまりにも強大。更に軍を送ったところで、見込みは薄い。故に、決死隊を募り、我らを派遣された。エキアロモ殿も同じでしょう」

 エキアロモは顎鬚を撫でて、うむと頷いた。

「我らは言うなれば、担保であり、謝罪でもあるのです。つまりはこういうこと。いざという時には、我らを迎えるために大軍を差し向けるかもしれぬが、状況が相当、酷である場合。私を含む集いし勇士百五十からなる決死隊のみでも、命運尽きるまでお伴します」

 

 誠意の(あかし)に最低限の増援を送る。だから、仮にこれ以上の増援が送れないことがあったとしても、許してほしい。

 仕方ないことだと、オルレスは自らを説得した。内心、もっと来るのを期待してたので、事情は痛いほど理解できても、微かに裏切れられた思いが掠める。

 ともあれ、微増であっても、来て頂いただけでも幸い。代表二人には礼を申し上げておいた。

 

「話は逸れますが、ご子息エキモロノはいかがに」

「あれには、わたくしの任を継がせました。知略はあちらが上。力も私と同等。何年と経たないうちに、私を超えてしまうでしょう。我が子といっても、競い相手の一人。認めたくない気持ちがある反面、嬉しさも隠せないのは、親馬鹿でしょうな」

 

 ははと、エキアロモは破顔した。厳めしさはどこへやら、屈託のない笑みにつられて、オルレスも微笑んだ。

 

「失礼」と言って、タイロンが割り入った。

「エキアロモ殿が申したとおり、私と部下も同意した上で馳せ参じました。また、今この場をお借りして、申し開きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか? オルレス殿」

「是非とも、お聞かせください」

 タイロンはひざまずき、弁明した。

「今回の増援の件。このような少数にて、申し訳がない。叶うことならば、大軍を差し向けるが、状況が厳しければ、そちらに派遣した勇士百名でどうか許していただきたい。そして、非常に身勝手な言い分だが、遠方の地に住まわれることになっても、メティルリク国とエトリアの交流が継続することを願います。そのときには、当方、最大限に尽力いたすのを約束します。我が元首からの伝言です、オルレス殿。御返答お願い致します」

 

 すると、エキアロモもひざまずき、タイロンの横に並んで同じことを述べて、ご返答お待ちしておりますと締めた。さてと、オルレスはミルティユーゴの顔を見た。総隊長は二人を見た後、無言でオルレスに頷いた。

 

「本来ならば、他二名と相談の上で決めなければならないことですが、私が責任を以て裁量しましょう。エトリアは、これからも、メティルリク国とエピザ・トーティ国の二国と変わらぬ交流存続を望みます。我らは決して、あなた方に見捨てられたとは思いません。此度の窮地の折、少数の派遣に留めたこと、十分な苦慮の末に出されたのを理解しております。どうか、このことを国王と元首にお伝えくださいませ。それぐらいの猶予は残されてるはず」

 

 二名は深く頭を垂れた。

 外で待機してたそれぞれの側近に訳を話し、早馬で、早急に本国へエトリア代表からの返事を伝えに向かった。

 これ以上の援軍が望み薄なのは、士気に関わると伏せておくことにした。援軍のあてが無いと知れば、たちどころに戦意を失う。逆に、味方が来ると知った籠城は、たちどころに難攻不落の要塞となり、いかに少数や弱小の手勢が守っていたとしても、簡単には陥落しない。しばらくは、来るだろうと思わせておく。エキアロモとタイロンもそのことは理解しており、部下には、援軍の有無については迂闊に話さないよう厳命した。

 

 

 

 すっかり寂れた空気の中、相も変わらず明るい雰囲気の店が少なからずあった。金鹿の酒場だ。

 以前は殆ど冒険者で占められてたが、今、過半数は兵士たちで埋まった。

 本都市や近くに住まう者ならいざ知らず、離れた町村に住まう事情を知らない者は女将をくどいたりして、周りの冒険者や兵士から青痣以上の物を貰い、それを見た者たちはこの酒場での礼儀を身に付けた。

 

「勇敢だねえ、女将さんは。おらの知る女ではかか並に肝っ玉で、容姿はおらが知る中で一番上だね」

 

 国境沿いの村で農作業をしてたという青年兵士の言葉に、女将は笑顔で応えた。

 

「ありがとう。でもね、私はそんなに勇敢じゃないわ。自分の住み慣れた場所に少しでも長くいたい。それだけよ。武器を持って戦おうというあなたには敵わないわ」

「んだども、周りに流されず自分で残ろうとしただけでも、大したもんさあ」

 

 ふふと笑みを絶やさず、女将は客の対応をした。本当に、あとどれくらい、あの人の笑顔を見てられるか。コルトンはロディムと薄めた酒をちびちびすすりながら、そう思った。

 翌日。シリカ商店で磨くよう頼んでおいた装備一式を取りに行った。店では、自分以外に沢山の受け取り待ちの者が多くいた。

 エトリアの兵士は戦闘以外にも、鍛冶や建築。料理や化学など、一定の分野における技術が求められてた。大半は建築系だが、鍛冶や料理を習う者もいる。鍛冶屋や武器屋を頼らずとも、自ら、ある程度の鋳造や

製錬はできるのだが、やはり、より専門的な技術者が良いと、腕の良い者が集うシリカ商店など、冒険者御用達卸売店に頼む者もいた。

 コルトンはヴァロジャとすれ違った。一目でわかる巨大な体躯といかつい顔に、称賛の眼差しを向ける者もいた。彼と一味が残った理由はただ一つ、戦うため。戦場で勝ち残る。駄目なら、名誉ある死を。そこに一切の迷いは微塵もなかった。

 他に何人かと会い、最後にコウシチと出会った。彼は鍛え直した二本の太刀を腰帯に差した。鞘をよく見たら、鯉口の刃にあたる部分から鞘の上部付近にかけて一筋の溝があり、研ぎ澄まされた白刃がきらりと光りを反射した。ゲンエモンの刀には見られたが、コウシチの刀には無かった。コルトンの視線に気付いたコウシチが教えた。

 

「認められたのだよ。私はもう立派に跡を継げる。冒険時以外にも、常に流派の跡継ぎとわかるよう、鞘から抜刀しやすくするため、このようにしたのだ。まあ、この刀もいずれ、実戦で使う日が近いだろうな」

「ということは、冒険用とそうじゃない刀があったのか?」

「無論だ。戦闘においては致し方なく使ってたが、それ以前は、それがし、正式に弧自戦流を継いだ訳ではないから、こういう鞘を使わなかった」

「そうか。しかし、まあ、なんだ。恩義ある師が残るからといって、お前さん残る必要はあったのか」

「あの人には返せぬ借りが山ほどある。だが、仮に師がエトリアから去ったとしても、拙者は残るよ。仇のためにな。既に聞いておろうが、それがしを育ててくれた二親は賊によって殺された。血は繋がっておらぬが、我が子のように可愛がってくれた。そのときの賊と、これから来る者たちに関係した者がいるか定かではないが、同じ穴の貉。やってる事は同類。逃げる道理はない。同じ目に遭った者らの無念を晴らしたい。今こそ、この鍛え上げた心身を以てして、幼き日の無力と後悔に決別できる日が来た。それがしはそう思うておる」

 

 他の面子は知らないけど、彼は絶対に思うところがあり、エトリアに残ったのでは。

 コウシチの過去は掻い摘んで知ってたが、そんな思いを抱いていたのかと、三白眼で無言で重圧を与えがちであり、人を寄せ付けにくい侍の意外な一面を知った。

 考えてみれば、グラディウスと付き合いがあるといっても、癖が強い面はあるものの、自ら他者によく話しかけるオルドリッチ、ベルナルド、カールロの三人が主で、シショーとキアーラ、コウシチとはそんなに会話した記憶がない。基本、喋らないからだ。

 

「何を考えておる」

「よく考えたら、俺はお前さんとあんまり話したことがなかったなあ、て。それが急に、こんな喋ってくれて、何故だ」

「そうだな。強いて言えば、お主の口から師の言葉が伝えられたからな。師が信じて、内密にされてることを教えた人物だからかな。一つ、良い事を教えておこう。さきに語ったこと、師にも言っておらぬ。もっとも、あの方は見抜いておられるようだが」

「それじゃあ、秘密だとはいえないな」

 

 確かにと言って、コウシチは微かに口元を綻ばせた。

 それから、大体三十分待ち、やっとこさシリカから受け取れた。受け取った際、シリカにこっそりと耳打ちされた。

 

「明日の夕方、ロディム君を連れて、店の裏に来て。四回ノックをして、『良き日和が訪れますように』と合言葉も忘れず」

 

 なにがなんだかわからないが、背と腕に一杯の物を背負って宿に戻った。

 次の日の夕方。コルトンはロディムと共に、シリカ商店の裏に周り、四回ノックした後、合言葉を告げた。シリカの祖父がドアを開けて、二人を招き入れた。裏口の玄関は結構広い。鉄粉や泥、煤で汚れた跡が沢山ある。道具は片付けられて、隅っこには雑にぶった切られた細い丸太が何本も転がり、真ん中の台には同じ太さの丸太が置かれてる。

 

「一体なんなのですか? 別れの挨拶を告げるためだけとは思えない」

「そこの青いの、ロディムだな?」

 

 ロディムはおうと返した。

 

「お前さんに渡したい物があるんだ。これをな」

 

 黒い鞘に納められた長剣を見て、思わず目を丸くした。ロディムは何かわからず、首を傾げた。

 

「なんだこれ」

「馬鹿! ドヴェルグの魔剣だよ。あの骸骨みたいなドラゴンの骨を加工して作られた剣。店にある最高級品の一つだ」

 

 ついでに値段も教えたら、ロディムは目を剥いて剣を注視した。ロディムはそのままにしておいて、コルトンは訳を尋ねた。

 

「奴に譲るというのですか」

「あほう。ただでやれるか。半額近くで五万エン貰う。要らないなら、黙って出て行け。要るというのなら、やる。利子はつけない。すぐに返せとも言わない。金は戦いが終わった後、じっくりと返してくれれば良い。要らなければ、例え壊れててもいい。現物を返してくれたら良い。もしも、勝って功績を挙げたのなら、祝いにただでやる。悪い条件じゃあるまい」

「頑固でけち臭いあなたにしては、珍しいな」

「けっ! 一言余計だ。どうせ、国が無くなれば、商売上がったり。俺も長らくこの地に留まる人間として、何かしたいが、俺には戦う術や力もない。できるのは、腕利きの冒険者や兵士に武器を提供する。そんだけ。おめおめと敵に高価な戦利品を与えるのが嫌というのもあるがな」

 

 シリカ祖父はぼけっとするロディムにどうすると聞いた。はっと目覚めたロディムは、喜んでいただくぜと答えた。

 

「そうか。早速だが、物は試しに俺の前でそれを抜いて、あれを斬ってみてくれ」

 

 試し切りというわけか。隅にある丸太の意味もわかった。ロディムは、すらりと刀身を抜いた。真ん中に溝が彫られた両刃の剣。溝と波紋は黒く塗られて、切っ先と刃はとてつもなくエッジが効いている。よく伐れそうだ。ピュッと振るう。丸太の上半分がずるずると動き、斜め右にごろりとずれ落ちた。ロディムの力と技。剣の軽さと堅さ。鋭い切れ味も加わり、見事にすっぱりと切断された。

 

「こいつはすげえな。軽すぎず重すぎず、手にも馴染んで、振れば正に風も切れそうだ」

 シリカ祖父は鼻を高くした。

「そうだろう。うちの職人技と質の良い材料があれば、ほら、このとおりよ。じゃ、一先ずお前に譲る」

 

 へへと自慢気にコルトンを見て、ロディムは剣を鞘に納めた。

 

「コルトンといったな。悪いがお前さんにやれる物はねえ。だけど、昨日、修繕した鎧や盾を見たか。ほぼ新品同様にしておいた。それで勘弁してもらいたい」

 

 道理で、修繕した割りには、いやに綺麗すぎると思った。ロディムとは役割が違い、新品に等しい状態にしてもらったので、そこは拘らなかった。

 

「あそこまで綺麗にしてもらえただけで、俺は十分だよ。こいつとは役目も違うしな」

 

 二人で改まって礼を述べて、二人は裏口を出た。他に誰が貰ったか判るかなと思い、適当に人が集まる箇所を散策したら、わかりやすい装飾のおかげもあり、一目で判明した。

 まず、ゲンエモンは八葉七福。鞘と柄頭に幸運の証である緑の八葉紋が彫られた刀。かつて、ホープマンズが撃破した怪物巨大蟻クイーンアントから入手した、純正の鉱物に等しい二対の頑丈な顎を素材に精錬された業物。コルトンとロディムを見たら、感謝するぞと言いたげに刀を掲げた。

 他、ベルナルドは鞭。カールロは五階層の青熊と怪獣鰐を素材にした弓。カースメーカーやアルケミストたちには、新調した杖や棒。鎚を持つ者もいた。ヴァロジャはアーマービーストなど、やはり五階層で堅い殻を持つ生物を素材にした斧を背に抱えて、アデラはロディムと同じ、ドヴェルグの魔剣をじっくりと眺めてた。アデラは別の店から譲られた物だった。証拠に「ロイドズ素材精製専門店」の頭文字である三角に囲まれた”L”マークがある。衛兵たちにも、ちらほらと強力な装備を持つ者が見られた。

 シリカ商店を含む、エトリアの樹海生物素材取扱の認可を受けた五店舗が協力しあい、自店を御贔屓にしてくれる冒険者や兵士の中でも、これと思える人物に出来の良い物を無償で提供してた。渡し方は様々だが、条件は五店舗でも年長者であるシリカ祖父が中心となり決められた。

 二国からの増援部隊が到着して三日後。二国からの情報伝達員がそれぞれ報告をして、侵略軍の状況を報せた。エトゥ軍はエトリアが近づくにつれて行軍速度が増してゆき、昨夜未明、メティルリクの国境に到達した可能性があるとの報せは矢火の勢いで本都市守備隊、国境警備隊と各町村付近に隠れたゲリラに伝えられた。いよいよ、本土決戦が目前に迫る。大方の予想では、早くて一週間。遅くとも、二週間以内には確実に到達する見方が立てられた。

 この一報が来た頃、世界樹の迷宮への立ち入りが禁じられた。日に日に数が増して、もはや、五人少数精鋭で立ち向かうのは不可能とされた。バリケードを使って閉鎖もした。大量の土砂と瓦礫、反り返した棒を埋めて、樹海生物の地上進出を阻む。

 とうとう、ギルド長。シリカ。サクヤ女将と別れる日が訪れた。

 兵士たちも手伝い、第三陣の避難者らの荷物が大急ぎでまとめられた。

 暗闇での移動は危険が伴うため、翌日、陽が昇り次第、即座に出発する。エトリア一の富豪、アウルム家も船出の準備を整えた。

 御令嬢であるアルブムは、出立前に、あの三人を呼んでほしいと執事に伝えた。

 

「私が新たに見た予知夢の意味。私を呪い、そして救ってくれたカースメーカーの御三名ならわかるはず」

 

 第二陣が出発した日から、降雪の日が多く、次の日も薄暗い雪空の中、出発した。厚く服を着込み、最後の大移動となる千近い第三陣が雪に足を取られつつ、名残惜しげに本都市から離れてゆく。

 ことに酒場の女将には、多くの者たちが寂しげな彼女を見送った。サクヤは皆の恋であり、憧れで、親しき姉にして、良き母のような相談者でもあった。短い付き合いだが、彼女の人柄に惹かれて、店に行った二国の戦士たちの何人かも、女将に別れを告げてた。彼女は、特に親しいシリカ商店の者たちと同行していた。

 

「女将さんは僕らが守るから安心してね!」シリカが見送る者たちに元気よく叫んだ。

 

 ギルド長は無言で歩んだ。兵士や冒険者の特に親しい者たちと短く挨拶をすました。門前にいたゲンエモンと会うと、立ち止った。

 

「また、酒を酌み交わそうな」

「お前さんのように、がばがばとは飲めない。この年だと、薄めた物をちびりと飲むのが限界だ。それよりも、先に行ったアヤネと会えたら、頼んだぞ」

 ギルド長は舌打ちした。

「冗談じゃない。その刀は飾りか。生きてる限りは、てめえでやれ……死ぬなよ」

 

 それ以上、話はせず、じっと互いを見つめたら、ギルド長は背を向けた。

 二人の様子をたまたま近くで見てたジャンベは、老いた男同士の友情とは渋く、深いなと思った。

 第三陣の移民が見えなくなると、本都市から完全に火が消えた。ああ、そうだ。自分たちは離れられない。空を覆い尽くす恐るべき怪物を連れた軍勢と相対しなければならない。色んな思いが込められた沈黙を吹き飛ばすように、角笛とファンファーレが吹かれて、ミルティユーゴ総隊長が外壁の上に上がった。総隊長に衆目が集まる。

 

「みな、聞くのだ。今より一週間から二週間以内には、必ず奴らがやってくる。エトリア……いや、連合国一帯において、最大規模の戦闘を行う事になる。我らはいまこそ、人種や民族の違いを乗り越え、一つの目的のもとに真の意味で団結する」

 一息、区切りを入れて、衆目一人一人を覗くように見回す。

「諸君らの目に、いずれ私をも見舞うであろう恐怖が宿っている。勇気がくじけて、盾は砕かれ、友を見捨て、歴史に幕を閉ざす日が来るかもしれぬ。だがしかし、それは今ではない!

 恐れを怒りに変えて、戦うのだ!! 我々は戦わずして絶滅はしない! 我々は勝ち残り! 生き残り続ける!

 エトリアよ! メティルリクよ! エピザ・トーティの戦士らよ!」ミルティユーゴは剣を抜き、高々と天へ向かって突き上げた。「己が信念がため。かけがえのない全てのものに懸けて踏みとどまって戦うのだ、世界樹に集いし強者(つわもの)たちよ!」

 

 一度、消えかけた火に油が注がれて、盛大に燃える。

 雪をも飛ばしかねない怒号に近い鬨が木霊し、みな、剣や槍。斧。弓。各々、武器を片手で上げて、咆哮した。

 声の振動は近辺の雪を震わし、屋根からどどっと雪が落ちた。見事な演説だ。武器を持たないオルレスは、ささやかな拍手を送った。

 外壁から降りたミルティユーゴとオルレスは、今後について、話し合った。

 

「私は最期まで残り、自ら一兵卒になろうとも、戦います。あなたはどうされるおつもりで」

「私はご覧の通り、剣よりペンを振るうのが得意です。本都市の中にはおれません。私ができることといえば、決戦の場であるマター・エトリアから安全と思える地まで離れて、そこでしばらくは、戦況を見届けようかと思います。もちろん、危なければ逃げますけど。敵に捕えられたり、招待される形ではなく。堂々と大手を振って、帰れることを切に願います」

「わたしも貴方の言ったことが実現できるよう、全力で戦う。勝敗は定かではありませぬが、我らの姿を記録してくれる方がいるのは、なによりのこと。我らの勇姿、しかと心に刻んでくだされ」

 

 オルレスとの対話後、ミルティユーゴは軍の配置と動きをどうするか、改めて会議を開いた。各部隊の隊長と相談した結果、兵士の配置は以下とした。

 エトリア本都市守護をする四千余名の内、三八〇〇名は外壁を担当。二百名は内壁の警固に当たり、状況によっては、最低でも五十名を残し、百五十名を外壁の防衛に回す。増援した二国の戦士は樹海生物との戦闘経験が無いため、メティルリクは五十に別けて、北南。エピザ軍百五十名は、二五名ずつを南北に配し、百名は激戦が予想されうる西側に配す。エキアロモとタイロンは同意した。

 各方角の責任者も決めた。西側はミルティユーゴとエキアロモ。北は国境沿いの地区隊長が就き、南は中間地点担当の地区隊長が司令に抜擢。タイロンは基本、北としつつ、自ら伝令となり、南北を馬で行き交うことにした。

 最後に冒険者についてだが、残った三五二名の内、二百名以上は内壁の守備に就いてもらい、後は各所に就いてもらうので同意していただくことになった。隊長の一人が手を挙げた。

 

「階層にもよりますが、三階層以上に挑める冒険者ともなれば、相当な手練れ。しかしながら、彼らは我が強い者も多い。統率を乱す恐れもあります」

「理由は様々だが、彼らもまた、この国のために残ってくれたのだ。耳を傾けないことはないだろう。それに、彼らを率いる隊長格は既に決めてある。ゲンエモンだ。彼の言うことになら、冒険者は耳を貸すだろう。

 ついで、皆は存じておろうが、彼らの中には、アルケミストやカースメーカーと呼ばれる、不思議な力を司る者たちがいる。我らの軍にも、そういう力を扱える者はいるが、彼らと比べたら、実力は歴然。敵の中にも、少なからず、そういった力を持つ輩がいるはず。ことにかの軍勢の親玉は、呪術に長けていると聞く。人智を超えた相手と戦い慣れた協力者がいるのは、心強いと思わないか」

 

 ご最もでしたと言い、彼は引き下がった。

 会議は終了。

 ミルティユーゴはゲンエモンを呼び出し、冒険者を率いてもらいたいと頼んだ。

 

「受け賜りました。ですが、わたくしめは、彼らを率いる気はありませぬ。貴方が私に頼まれたように、私もまた、彼らへ一緒に戦ってくれと頼みます」

 

 ゲンエモンは内壁付近にある間借りした家へと戻る道中、グラディウスの一人、キアーラに呼び止められた。

 

「ゲンさん。不躾ながら、折り入って頼みがあります。その刀を貸して頂けませんか」

「構わぬと言いたいが、訳を話してくれぬか」

 

 キアーラは訳を語った。

 アウルム家の御令嬢、白き姫アルブムの依頼で偶然にも、エトゥがかけたと思しき呪いを解いたこと。エトリア滅亡の危機に関する悪夢。そして、出立前のアルブムから、新たに見た予知夢を伝えられた。

 

「今までに見たことがない予知夢だとおっしゃってました。滅亡に瀕したとき、黒い剣と光る剣が衝突しあい、灰色に包まれた。因みに、光る剣の背後には、フードを被る何者かが応援するように手をかざしてた。白か黒か。良いのか悪いのかわからない。このような予知夢を見た記録は存在しない。初めてのことだと」

「それで、君らはなんと、結論を出したのかね」

「アルブムの話では、白い剣はさぞ切れ味の良い剣に見えたと。ただ、片刃か両刃までは判別できなかった。最近、冒険者専門店が武器を配り出した日、この予知夢を出立する今日まで見えたと言ってました。私たちは三人は話し合い、街に残ったカースメーカーを集めて、五店舗から譲られた業物にある力を込めることにしました」

 

 キアーラは、エリカから聞いたことを伝えた。密かに同職の者たちと連絡を取り合った結果、判明した事実があった。エトゥなる者の素性は不明だが、現役の男性カースメーカーから聞けた話で、禁忌を犯し、追い出された者がいた。大変、優れた才能の持ち主であったが、術のために罪も無い人間を殺めた。幻とされる呪いの竜を呼び出す術に興味を抱き、強大な力を得るための外法にも御執着してた。

 

「つまり、エトゥなる者は、人間以上の力を身に付けたのか」

「ご明察です。正確には、人間の意思を継いだ別のものかも。彼の話では、召喚。自分以外の人間を生け贄に捧げて、その時の恨みと苦痛を糧に力を得る方法があった。外法とされて、極一部に口伝で語られてるのは知ってましたが、彼は独自で見つけたのでしょう。だけど、代償もある。失敗すれば、数多の恨みつらみに憑り殺されて、その身を操り、自ら本人になりきり、その者に備わった力を増幅させて、善かれ悪しかれ、大勢の人間を巻き添えにしてしまうこともある」

 ゲンエモンはうむと頷いた。

「あまりにも突然で、本音を明かせば、にわかに信じがたい。ただ、そのような術は捨てられるべきだろう」

「おっしゃるとおり。昔、我らカースメーカーと呼ばれる呪術を扱う者に短命な者が多かったのは、正に自業自得。強くはなりたいけど、そんな唾棄すべき方法は願い下げ。自らを律してこそ、真の強さが得られる。話を戻せば、彼が人間であるにしろ、ないにしろ。彼の翼竜すら従える力の源である、己が身に宿したおぞましい術を取り払わなければならない」

「斬るだけでは駄目なのか」

「彼がただの強い人間であったとしても、そこまで強烈な力を宿した者を殺めたら、余波というか呪いが漏れて、悪影響があるかもしれない。彼が人間でなければ、斬るだけでは殺せない。だから、我らは話し合い、予知夢を信じて、対抗策を打ち出しました。五店舗から業物を授けられた者たちの武器に我らの力を結集し、術を解除し、同時に呪いを取り払う秘術をかけさせてもらいたい。お願いです、ゲンさん。私たちを信じてください」

 

 キアーラはひざまずき、深々と頭を下げた。

 

「面を上げい、キアーラ。あいわかった。わしの刀、主らに授けよう。しかし、一つ聞くが、肝心の対象を斬る前に別の者を斬ってしまうことがあれば、大丈夫なのか」

「そこはご安心を。ちゃんと考えております。剣を収める鞘に細工をします。剣を抜いて、少しの間なら効果は持続し、収めてまた抜けば、効果は再び発揮されます。長く抜きすぎたり、鞘が傷付いたりすれば、効果は消えてなくなりますけど。もしも、事がすんだら、術は消します」

「それを聞いて、安心した。わしからも、他を説得にあたろう。では、キアーラ。大切に預かっておくれ」

 

 キアーラはもう一度、頭を下げて、刀をしかと受け取った。ずんと刀の重さが両手にくる。キアーラは体をもじらせて、顔を背けた。やがて、ゲンエモンの瞳をじっと覗き、お礼を述べた。

 

「あの、ありがとうございます。こんな、突拍子もない話を信じて、武器を預けてもらえて」

「正直、今の話を全ては信じきれてない。ただな、キアーラ。お前さんやカースメーカーたちのなんとかしたい素直な思いと熱意は信じられる。だから、預ける。ほれ、行くのだ」

 

 二人を知らない者が見たら、祖父と孫娘に見えたかもしれない。仲間内でも滅多に見せない笑みを浮かべて、キアーラは刀を携えて、本都市のいずこへと向かう。

 ゲンエモンは空を見上げて、雪は止まないか。遠方の地に、たった一人で赴いた愛弟子が帰還しないかと思う。

 

 


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