世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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三三話.エドワード、発つ

 四人の従者を伴い、しゃなりと見せびらかすように大量の金の鎖や貴金属を身に付け、金糸で織ったヴェストとブリーチーズにコートを羽織り、金の指輪には高価な宝石が埋め込まれてる。帽子は金糸で、羽根飾りも金粉で固めた物。金のごとく、歯をきらりと清潔にしてある。目の前の人が悪趣味で有名な黄金男爵でなければ、他に誰がいよう。

 男爵は金鹿の酒場に自ら参じて、品物の状態を直に確かめに来たのだった。満足気にきらりと光る歯を見せつけたら、五千エンに加えて、キアーラの鈴は良い趣味してるから気に入ったと、純金製のコインも与えた。キアーラは呆れた顔で「趣味じゃない」と小言をついた。

 

「あのおっさんを獲物として狩った方がよっぽど儲かるぜ」

 

 ロディムの発言に女将も含めて、居合わせた者たちは同意した。結局、金の狂暴な猪と猛牛狩りには二日間を要した。

 キアーラの術は強力であり、対象以外にも余波で眠らせたり、動きを鈍らせたりして、戦いを有利に進められた。もっとも、集団戦となれば、アクリヴィと同じくすぐに体力を切らしてしまう欠点も抱えていた。

 花桜の館までキアーラを送り届けて、再度、礼を述べた。キアーラは顔を逸らして、紫の三つ編みを指先で弄ぶと「別に」と言って、靴を脱いで奥の部屋へと向かった。ああいうところがいいのよと言いたげに、オルドリッチはにかりと笑った。入れ替わりにアクリヴィも来た。

 

「うちのシショーとお宅の嬢さんは中々相性良かったよ。でかくて気の強いところは特にね。そういうのは一人で十分だよ」

「普通、本人の前で言う?」

 

 オルドリッチは誤魔化すように笑い出した。言い方も皮肉や嫌な感じではなく、さらりと良くも悪くも率直に自然な感じで言うので、アクリヴィは今の発言に対して、特に思うことや嫌と思うことは無かった。宿を出たら、エドワードはアクリヴィに二日間の感想を聞いた。

 

「コウシチとシショーはともかく、チンピラ医者と大きな悪ガキ二人の相手はだったわよ」

 

 そうかと、エドワードは可笑しそうに頷いた。

 その後は地味に地図の空白を埋めつつ、探索を進めたり、時に地上におけるエトリアの民の依頼や手伝いを引き受けたりした。母の容体は僅かにだが、快方に向かいつつあるとのこと。マルシアは研究も兼ねてと施薬院に泊まりきりであり、ロディムがそのことに対して不満気にぼやいたりすることや、あの一件で後ろ指をさされることを除けば、それなりに順調に進んで行く日は続いた。

 レンとツスクルに会わねばならないが、どう理由を付けたか迷っていた。

 しかし、とうとう、エドワードにいよいよ使命を帯びる日が近づきつつあった。

 

 ―――十月十五日の夜―――。

 

 曇りがちな日であり、季節も相まって、晴れた日より暗くなるのも早かった。

 城壁や門には篝火(かがりび)はあるにはあったが、有事や祭り、何かしらのイベント意外で篝火をたくのは無駄だということで、通常通り、要所にかけられた小さな蝋燭の灯りを頼りに衛兵は辺りを警戒していた。

 曇り空で月や星もなく、街も一部の酒場を除けば火が消えて、蝋燭の灯りがより一層明るく思えた。

 いつもの静かな夜が来るかと思いきや、激しく地面を踏み鳴らす音がはっきりと聞こえた。

 目を凝らさずとも、草原を駆ける大きな黒い点がどんどん近づいてくるのが見えた。

 衛兵は笛を鳴らした。連動するようにあちこちで笛が鳴らされて、篝火もたかれて、北の大門に接近する騎乗者や他に仲間がいないか警戒した。数名の弓兵に鉄砲兵、万が一にも備えて、城壁の内側に備えられた石火矢(大砲)の準備も進めておいた。

 騎乗者は騒ぎを察知したのか、馬から降りて、旗を振りながら近づいた。エトリアの旗である。

 

「報せを携えて参りました。至急、大門を開けよ。ミルティユーゴ殿へ届けねばならん」

 

 衛兵たちは辺りを見回し、この男以外には誰もいないのを確認したら、急いで巻き上げ機で橋を降ろし、大門を開けた。北の大門責任者は小一時間ほど篝火をたき、確認が取れ次第、直ちに篝火を消すように命じた。

 男は伴われるように数名の衛兵と共に、ミルティユーゴ以下、上級士官たちが住まう宿舎へと向かった。

 ミルティユーゴは手紙をその場では開封せず、男の耳元に囁きかけた。

 

「彼は無事か?」

「聞いた限りでは、数名の異国のスパイが囚われて、見せしめに観衆の前で処刑されたようですが、ご友人が含まれているかは定かではありません」

 

 ミルティユーゴは押し堪えて、彼をどこかで休まてやれと見張りの衛兵たちに告げた。隊長や側近の者たちも部屋に入るのを許さず、ミルティユーゴは厚い手紙の中身を確かめて、呻き声を漏らす代わりに右手で額と両の目蓋を抑えた。

 だが、彼はすぐに立ち直り、地図と自衛軍の数や状況を取り出し、チェスの駒や駒替わりとなる物を布陣に敷いた。

 顎鬚を片手でならしながら、どうしたものかと考え、地図と敵味方に見立てた駒を睨んだ。

 

 

 

 ホープマンズの面々は陽が明ける前に目を覚ましていた。すっかり日常になってしまったが、今日は訳が違う。少し前に執政院からの使いの者が来て、明朝にエドワード一人で来るように言われたからだ。

 

「周りに気を付けろよ。刃が来るぞ」

 

 ロディムの冗談に誰も笑わない。起きていても意味が無いと、仮眠を取ることにした。ちょうど二時間経つ頃には、エドワードは目を覚まして、小声で行ってくると言った。本来なら微かに陽が差している時間だが、曇り空で外は暗かった。

 エドワードは執政院の門を潜る前から、どうも中の空気が違うように感じた。殺気立っているというか、緊張している感じがした。

 エドワードは中に入ると、冒険課の事務員の案内ですぐさまオルレスの下へと案内された。

 オルレスは生きていることが疲れたかのような、険しく暗い面持ちだった。情報が遂に来て、思った以上に深刻なことをエドワードは悟った。

 

「早朝から済まない、エドワード君。ところで、あの二人と接触したかい?」

「まだだ。だけど、多少、強引でこじつけがましい理由でも、今日か明日にはあの二人と会おう」

「是非そうしてくれ。できれば、私からの話が終わったら、すぐにでもだ」

 

 そうして、オルレスはエドワードに、ミルティユーゴを通じて知り得た情報を聞かされて、驚愕した。

 

「国情が不安定な状況でそんな大軍!? 何を考えているのだ」

「指導者ならそう考える必要もあるが、かの国の指導者は実質あの盗賊が握っている。今月中にでも、ただちに兵の募集。場合によっては徴集も辞さない。ただ、集めたところでどうなるやら。なにせ、敵は最低でも、確実に八万、最大見積もり十万にも及ぶ軍勢を率いて、我が国を蹂躙する為だけに来るのだから」

 

 八万、十万。口に出すのは容易い。いざ、目の当たりにしたら、弱い者は腰を抜かすだろう。それほどまでに途方もない軍勢が侵攻してくるのは、脅威以外の何物でもない。

 ましてや、建国以来、モリビトの戦や四百年前の英雄アジロナによる抵抗を除けば、一度とて戦争をしたことがないエトリアには、大軍が攻めてくるというのが想像しにくいはず。

 近隣二国の人手を掻き集めても、やっと半分を超すか。呼びかけた者たちが全員、戦うことをを承諾してくれればの話だが。

 

「断っておくが、エドワード君。私が君に伝えたいのはこれだけではない。過去の資料をあさり、プロファイリングした結果、ある人物が浮かび上がった」

「では、そいつが元冒険者のエトゥと名乗る者か」

「その可能性は高い」

 

 オルレスはエドワードに、エトゥなる者と思しき人を語った。そして、エドワードは男とエトリア、二つの闇を一度に知った。

 

「気持ちは分からないこともないが、元はといえば、そいつが自ら犯した悪事のせいだろう。そんな目に遭うのも、然るべきだ」

「そうかもしれない。そうかもしれないが非人道的だ。私もそのことを初めて知ったとき、自国。正確には政治中枢であるラーダの知りたくない一面を再度、知ってしまい、嫌な気持ちになったよ。このことはくれぐれも……いや、君の仲間やゲンエモン氏になら明かしてもいいだろう。彼らには知る権利がある」

「で、俺はいつ行けば良いのだ」

「君自身の整理や準備もあるだろうし、こちらとしても一件ほど、迷宮において重大な使命を果たしてもらいたいのだ。君だけではない、君の仲間と数名の衛兵に使者も加えてだ。モリビト達にも此度のことを警告しなければならない」

「モリビトだと!? 彼らが力を貸してくれるとでも思っているのなら間違いだ。親しくなった者もいるにはいるが、彼ら二人の力ではどうすることもできないぞ」

 

 オルレスはそうではないと言った。

 

「彼らの協力は期待しない。しかし、今後、二度とあのような地下迷宮における悲劇を繰り返さない一環として、彼らにも警告を促して起きたい。彼らは被害者だ。だから、彼ら風で言えば、我ら地上の者が撒いてしまった災厄の種に彼らを巻き込む訳にはいかない。そうそう、君は笑うかもしれないけど、これも教えておこう」

 

 オルレスは、アウルム家と十六歳になる当主アルブムが見る予知夢とその内容についても語った。一笑に付そうと思っていたが、エドワードは笑えなかった。近い内、エトリアを襲う大嵐そのものを既に聞かされているようだ。外は人間、内からは世界樹の怪物数千が来ると聞かされて、さしものエドワードも暗澹(あんたん)たる思いに捕われかけた。

 

「では、モリビトたちには外からの敵と同時に、そのお嬢様が予言した内なる敵についても伝えればいいのだな。ところで交渉の使者には誰が立つのだ」

「イアンが使者だ。彼が行く。彼はモリビトを許すどころか、今度こそ平和的に話し、彼らのことを知りたいと言っていた」

「一度殺されかかったのに、大した肝っ玉だ。あるいは馬鹿か」

「毎日、望んで死地へと赴く君らは馬鹿ではないとでも?」

 

 オルレスの返しに、エドワードは口を閉ざした。オルレスは細かな日時を決めた。

 

「まず、今日の昼過ぎまでには四階層のモリビト達のところへと向かう。次に、例の二人と接触してくれ。必ずしもその日に会えるとは限らないと思うから、三日以内には必ずだ。彼らと接触できなかったとしても、今日より五日後には君に旅立ってもらう。何か意見はあるかい」

「いや、無い。そうしよう。ところで、正確にはいつ来るのだ」

「敵は九月には出発をしたようだ。サンガットからここまでは遠い。距離にして三千㎞以上ある。途中、二千二百から二千百キロの地点まで入り組んだ高山地帯で隔てられている。つまり、約百キロに関しては舟で迂回した方が早い」

 

 オルレスは地図を指した。

 確かに、行けないこともないが、この百キロに及ぶ高山地帯を何万の集団で移動するのはとても厳しく。多少、往復するにしても、高山地帯を避けて、船で人員と荷物を運搬した方が遥かに早い。ただ、多量の馬と一個師団の半分以下の人数なら、船よりも早く行けるかもしれない。

 

「ミルティユーゴ殿の見立てでは、これほどまでの大軍となれば、行軍行程はかなりの労力と時間を要する。航海や遠征が支障なく進んだとしても、最低でもエトリアの到着には五カ月。幾度となく事故や障害には阻まれれば、更に遅れて、最長でも十カ月かかり、軍団の規模を途中で縮小せざるを得ない。引き返す可能性も無きにあらず。といっても、我らは最悪の事態を想定して、敵は五カ月後に到着し、誰一人欠けることなく十万規模の軍を以てして来ることを強く範囲内に入れておく。エドワード君。私としては、君には来年の二月か三月までには、エトリアに帰還するのを望みたい。君の道中が滞りなく進めたらの話になるけどね。ついで、できれば、百騎だけでもいいから、援軍を連れて戻る君の姿を見たいよ」

「注文が多いな。だけど、俺や仲間に家族、多くの罪の無い者たちの命がかかっている。必ず成し遂げよう」

 

 エドワードは宿に戻り次第、部屋に集めて事の成り行きを伝えた。ただし、エトゥに関しては、本名だけを明かし、彼の動機となる仕打ちは伏せておいた。エドワードは改めて、問わねばならないことを聞いた。

 

「俺は戦う。だが、お前達は俺との接点以外では関わりがない。今すぐではないが、戦いが始まる何日か前にでも、避難するのは可能。無理をして、絶望的な戦いに加わることはない」

「そうまでして、戦う理由はあるのかしら。無駄に命を落とすだけじゃない」

 

 マルシアはふと疑問をもらした。マルシアの言うとおりかもしれない。全員、逃げれば良い話だ。しかし、そうもゆかない。アクリヴィがマルシアの疑問に答えた。

 

「確かに、逃げれば全員助かる。だけど、そうすれば、その国の者は全員、窮地には国を見捨てる者しかいないような臆病者ばかりと見なされて、国を捨てた他国の者として下に見られてるのに、余計に扱いが悪くなる。だから、せめてもの意地。国を奪われまいとする抵抗をしなければいけない。たとえ勝つ見込みがなくとも。

 仮に私が他国の高い地位に就く者だとして、そこと仲が良くて助けられたことがあったとしても、戦う素振りすら見せない者たちを信じる気にはなれない。国民も受け入れがたい」

「うん、わかっている。わかっているけど、命を救う職に就いているから。なんだか、やりきれない思いがね」

 

 国、村、町、組。呼び方はどうあれ、一定の人数が集まると、まことに大変だなとエドワードは改めて思った。少数ならいざ知らず、大多数ともなれば、情だけではどうにもならない。自分と身内以外の思考、損得や有利不利も頭に入れて、動かなければならない。本音を明かせば、このようなごたごたは避けて、ひたすら冒険に打ち込みたい。今だ辿り着いたことがない最下層に行き、なにかしらの真相をあばき、英雄になるのが夢なのに、深く行って関われば関わる程、こんな事になるとは思ってもみなかった。

 それとも、誰かがこうなる事を望んだのだろうか。

 

「俺は残るよ」

 

 ぽつりと、コルトンが呟いた。

 

「俺はここを第二の故郷にしたしな。この平和な国を理不尽な暴力には晒したくない。それに、帰りを待つ者が一人もいないのは寂しいだろ。俺の後ろの守りはあんたしかいないと思っている。前にあんた自身が言ったが、俺たちは強い。だから、心置きなく行け、相棒。もう一度、あんたの姿を見るまでは、二本足で立っていてみせるよ」

 

 他の者はどうだと見回した。みな、口にこそ出さないが、各々同意した顔付きだった。

 

「血の繋がった人はいませんし、帰る場所も無い僕には、ここしかありません」とジャンベ。

 マルシアが微笑む。「沢山、怪我をする人も出るだろうから、人手は多い方がいいわよね」

 アクリヴィは仕方ないと言った風に右の口角を上げた。「流されて同調したつもりはない。私は自分の意思でここに残る」アクリヴィの不敵な笑みは、睨んで怒ってる表情にも見えた。

「盗賊怖くて、仲間置いて逃げ帰ったら、それこそ村八文で末代までの恥さらしよ。任せときな、近づく奴はどいつもこいつも叩き伏せてやる」ロディムは意気込んでいるものの、マルシアが離れると言ったら、その意見に従っただろう。エドワードは半ば呆れるも、彼が残る選択を嬉しく思った。

 

 

 

 翌日の夜明け前。エドワードは本都市の北側に向かった。下町の風情が残り、格安の宿屋や酒場が点在するドヤ街の壁に近い宿屋チープにレンたちは宿泊していた。

 チープ、粗末や安いといった意味だが、その名のとおり、安いだけが売りの居酒屋兼宿屋であり、出る酒も酢のような酸っぱい物が殆ど。中も所々ヤニ臭い。

 どうしようもなく金がない旅人や冒険者。もしくは、宿泊費をケチりたい商人が泊まる。主人が死んだら、誰か適当に別の者が引き継ぐ方針であり、今の主人と前の主人に血の繋がりはない。

 泊まれてたまに飯が出るだけありがたいと思えと言わんばかりで、小柄な禿げた伏し目がちな主人が経営しており、太った妻が料理係で、子供が小間使い。大きくなった今はもう、家に顔見せ程度でしか来なくなったとオルレスに聞いた。

 適当に言い訳をつけて、料理を作らない日もあり、過度なサービスは期待できない。

 修行の一環だと、一ヶ月泊まったこともある。

 一日や二日ならともかく、長くは住みたくない宿屋だった。もっとも、エトリアに限らず、世界中の多くの安宿は大なり小なりこんな感じで、良い宿屋というのは金がかかる。

 建物と壁に挟まれて、薄汚れてるせいもあり、人目に付きにくい。

 レンたちは拠点を転々と変え、二週間前からこの宿屋を拠点にしていると聞いた。

 ならば、この宿屋を選んだのは正解だろう。チープな場所で穏やかに微笑みあう連中がいるはずもない。

 この手合いの宿だと、下手に目立つ行動をしない限り、余計な詮索を慎むのが無言の了承となっている。

 エドワードは玄関をノックした。当然、返事はない。

 次に裏手に周り、主人が住まう一角の壁付近を叩いた。用があると声をかけた。目をこすりながら、不機嫌そうな主人が顔を窓から覗かせた。薄暗く、会うのも十年ぶり。

 多分、覚えてないはず。布元で顔を隠し、帽子も被っているので、見られても問題は無いが。

 

「何用で。強盗なら余所へ行ってくれ。家にゃ大した金はないよ」

「ここに、レンという侍が泊まっているはずだ。青っぽい長い髪の者だ。彼に言付けてくれ」

 

 エドワードは百エン札をちらつかせた。眠たげな主人はカッと見開き、にっこりと愛想笑いを浮かべた。歯は安物なやにを摂取したせいで、黄土色に染まってた。

 

「夜に、E・Wが金鹿の酒場に来てほしいと言っていた。それだけでいい。いいか、絶対に伝えるのだぞ」

 

 最後は語尾を強めた。主人は微かな怯えを見せつつ、金の誘惑が優り、はいはいと笑顔で百エンを受け取った。

 名前の頭文字なら、主人に自分の正体を察せらず、尚且つ、レンになら意味は伝わるはずとエドワードは考えた。なにか、事情があるのだろうと来てくれるか。それとも、警戒して来ないか。後者なら、主人が伝えなかった可能性もあり、軽くとっちめてやろう。

 今日は各人、エウドラの治療があるマルシアを除き、人手が足りない仕事に一日限りのアルバイトとして派遣した。コルトンとロディムは農耕。アクリヴィはミズガルド図書館の司書。ジャンベはシリカ商店に預けて、店番や雑用に従事した。エドワードは数件の配達を受けて、馬借としてあちこち回った。

 陽が暮れる頃、エドワードは金鹿の酒場の奥側に卓を陣取った。事前に女将には卓を取ることは伝えてあり、今回は良いと女将は言った。既に半数近くも埋まってあり、卓の事前予約を承諾できて良かったと思った。

 同じ酒場でも、チープとはえらい違いである。

 決して高級ではないけど、来た者にせめてもの安らぎを与えたい女将の心意気は、騒がしいのに入りやすい雰囲気と常に清潔にしてある店から窺い知れる。

 水で限界まで薄めたちびちび飲み、時に同業者と会話をして、レンを待ちものの一向に来ない。真夜中を過ぎて来なければ、諦めよう。三時間経ち、そろそろ待つのも飽きてきたとき、ようやくレンが姿を現した。一人で来ていた。

 レンは女将に会釈をしたら、真っ直ぐにエドワードのもとを目指した。

 混雑の中、自然と相手をかわしてる。レンが空気でそこにいないみたいだ。ゲンエモンやコウシチなど一人前の侍は時に、このような動作を見せる。居合や見切りの修練を重ねるうちに、自然とそうなるらしい。

 エドワードもできないことはないが、どちらかといえば、上手く身を引いている感じで、師のように緩やかな空気となって避けるのは難しかった。弓や狩りを得意とするお主とは戦い方や技術が違うから気にするなと言うが、いつかは習得したい。

 

「E・Wと聞いて、名前の頭文字だと気付いた。それで、回りくどいことをして、私になんの用事があるのかい」

「俺は後数日したら、旅立つんだ。だから、その前に何人かと会って、話をしたいと思ってな」

「それなら、ここではなくても、直接話せば良かっただろう」

「まあ、座ってくれ。麗華」

 

 レンは苦笑いを浮かべ、誰だそいつはと言いたげだった。

 

「おかしな人だ。人の名を平気で間違えて」

「すまんな。似た人を見たものでつい」

 

 レンは迷っている風だったが、着席した。本当は何も知らないが、知っていると思わせて、引き留めることに成功した。エドワードはエール酒でいいかと尋ね、レンは頷いた。胸元を開いた服を着た給仕の娘がエール酒のジョッキをレンの前に置いた。

 そこから、下らない雑談を始めた。ただし、多くがエドワードから喋り、レンはたまに短く語るぐらいで、身のある会話ではなかった。エドワードのお喋りに、レンは関心無さそうに聞いてた。エドワードがモリビトとの事を語り出したら、レンは興味を示した。おやと思い、エドワードは慎重になった。そして、モリビトのジェルグと交流し、黒い仮面を付けた三人組の辺りを語り出したら、レンが質問をした。

 

「君は、その三人は誰か分かったのかい?」

「いや、検討中だ。もしも、分かり次第、双子三つ子の三人を含む、その三人のせいで犠牲になった奴らの復讐を果たしてやりたいと思う。小さいのが子供でも容赦しない」

「子供には情けをかけないか」レンがこちらを睨んだ。「睨むな。子供なら、お灸をすえるに止めるつもりだ。まあ、とにかく。俺は一族のため。父との約束。俺自身の願いのため、世界樹の迷宮に挑んでいる」

 

 レンの態度にいぶかしんだ。レンはすぐに落ち着き払った様子で、話題を逸らした。

 

「尊敬できる父君を持てて、君が羨ましいよ」

「あんたには親がいないのか。よろしければ、話してくれないか」

 

 レンは躊躇したが、自ら納得させるように微かに首肯したら、エドワードの目を見据えた。

 

「よかろう。私からも、少し身の上を語ろう。本当に少しだけな」

 

 レンは昔のことと父親について語った。

 

「私は物心付いた日から、父と共にあてどなく彷徨っていた。母はいない。私を産んだ直後に亡くなられた。苦労は多かった。父は厳しく。滅多に笑わない人だった。それでも、愛情を以て接しているのは伝わり、嫌と思うことはあまり無かった」

 

 レンの目付きが冷たくなり、侮蔑と憤りを込めて語り始めた。

 

「私が十代の頃。商人の一行に混ざり、移動をしていたら賊に襲われた。連携が取れて、腕も立ち、並ならぬ群れで多勢に無勢であり、商隊と護衛は全滅。父と私は捕えられた。賊の親玉らしき者が剣を抜き、邪魔になるからと即座に殺そうとした。私は父がなんとかしてくれると思った。しかし」

 

 レンは言葉を切った。険しい表情である。やがて、ふうと一息入れたら、続きを話した。

 

「しかし、父は私を売った。この子は金になる、好きにしてくれ。代わりに俺は助けてくれと無様に泣き叫び、命乞いをしだした。私が父さんと泣きすがったら、手を振り払い、母の忘れ形見のお前を愛したかったが、私の愛すべき女の命を奪ったお前の代わりに死ぬなど真っ平御免だと罵倒されて、引っ叩かれた。首が折れるかと思ったよ、あの時のびんたは。

 あの男は荷運びでも奴隷でもいいから、俺だけは生かしてくれと賊共に懸命に土下座した。そして、賊は分かったと言い、父の胸を貫き、肩をつかんで首を跳ねた。私は気を失い、目を覚ましたら、汚い狭いかごで揺らされて、何度か吐いた。あの言葉とあれが父と信じていた男の本性を知り、色んな意味で死にそうになったのは覚えている」

 

 レンは語りを止めた。いや、終えたのだろう。そこから、今に至るまで、とてつもない苦難が待ち受けていたのは想像に難くない。

 レンは一瞬、深く悲しい眼差しを見せた。初めてみる。エドワードはレンの素顔を見た気がした。そして、男か女かの迷いは先ほどまであったが、この表情を見た者なら多くはこう言うはず。レンは女だと。まばたきをしたら、いつもの冷たく用心深い目付きに戻り、男か女か判別しにくくなった。

 

「君の父君と兄上は戦で散ったといわれたな。私もどうせなら、彼には潔く死んでもらいたかった。あれ以来、私は彼を憎み、屑の言いなりに―――そう易々とくたばってなるものかと思い生きてきた」

「いかな事情があれ、自分の親を屑と言うな。自分の親を貶めたら、親の血が流れている自分も貶めていることになるぞ」

 

 レンは態度と声を改めた。鉄よりも非常に冷たい氷の眼差しで、視線だけで相手を切り捨ててしまいそうだ。

 

「最期まで尊敬できる父を持つ君には理解できないだろうな。他に話すことはあるか」

 

 レンの口調からして、これ以上の会話は期待できない。ツスクルとの関係やメンバーについて聞きたかったが、諦めよう。一つだけ確認しておいた。

 

「エトゥという名を聞いたことがあるか」

「宗教家崩れの盗賊だろう。そいつがどうした」

 自分への不快を入れても、レンはエトゥをどうでもいい。軽蔑しているように聞こえた。

「わざわざ時間を取らせたのに、不快な思いをさせたな」

「失礼つかまつる」

 

 レンは自分に運ばれた分の代金を卓に置いたら、さっさと酒場から出て行った。先ほど入ってきた巨人熊髭男ヴァロジャが声をかけた。

 

「青瓢箪な外見のくせに、恐ろしいほど冷たくこええ目付きしてやがった。あんなどっかの筋者(すじもの)みたいな奴と何を話してたんだ」

「いや、親について話し合っただけだ」

 

 信じた訳ではなさそうだが、余計な人間関係に突っ込むのは面倒だと、そうかいと肩を竦めたら、周りの者と飲み始めた。今日の経緯(いきさつ)は、オルレスの前にゲンエモンと話したいとエドワードは考えた。

 しかし、長鳴鶏の館に戻ると、コルトンから執政院の言付けが伝えられて、翌日にはイアンの護衛に参加してもらいたいとのこと。正午の二時間前には集合。メンバーはイアンと衛兵四人他、冒険者十名から選抜されて、自分とゲンエモンの名が入っているのは好都合だった。

 最近、ごたごたとしていて用事のせいで遅寝早起きもあり、いささか寝不足気味だったので、ありがたくゆっくり寝させてもらった。マルシアを除く四人は、パスカルらと付き添い、四人二組に別れて蜂狩りをしてくると言って、既に出かけていた。

 いつもより多めな朝食を取り、リラックスをした後、トルヌゥーア内壁の門にある詰所に入った。

 イアン他衛兵四人以外にも、ゲンエモン、禿頭(とくとう)のラクロワ、ヴァロジャ、隻眼のレンジャー・ヌナも来ていた。

 残る五人は、オルドリッチとキアーラ、アデラ、ブルーナ、ドナ。少し待ち、ドナ、アデラとブルーナ、オルドリッチが来て、最後にキアーラが到着。時間はまだあるが、予定より早く出発した。

 樹海時軸を抜けて、四階層へ到達。刈り入れの時期でどこか潤い漂う地上とは異なり、乾燥した空気に一気に包まれて、唇がきゅっと引き締まる。

 木曜日と金曜日以外で潜るのは、久しぶりだ。白旗を掲げてゆくが、効果はあるか。全く交流が無いわけでもない。モリビトが必要だろうと、冒険者を解して、言語を教えることもあった。イアンが叫んだ。

 

「ポ ヘトゥヌ(話がある)」

 

 モリビト語で、こちらに対話の意思があるのを伝えた。衛兵四人とキアーラ、周囲を観察する役目のレンジャーたちは口を閉ざし、それ以外の者はイアンが叫んだ言葉を繰り返した。

 流れる砂場に足を取られても、できる限り視界も道も開けた場所を選んだ。この人数で狭い場所から襲撃されたら、迎撃は困難を極める。

 前方を担当したヌナが毒樹が表れたのを告げて、後ろからも四体の白虎が接近したのを警鐘した。盾を持つ衛兵三人がイアンの周りを囲み、他の者は迎撃態勢を整えた。ドナは炎ではなく、雷の術式を以てして、うごめく毒樹を薙いだ。真っ黒な根を蛇のように揺らしながら、紫の目蓋なき瞳でこちらを見据えていた毒樹は痛烈な電撃に叩きつけられて、地面に転ぶと薄らな毒煙を漏らしたまま炭火と化した。ドナは氷の術式を放ち、毒煙を掻き消した。

 一方、反対ではヴァロジャが立ち塞がり、しっかりと両足を根付かせたら、飛びかかってきた一頭目の白虎の口に剣を入れた。牛ほどもある白虎の突撃をヴァロジャは全体重でこらえた。剣が首から突き出て、ぼとぼとと黒ずんだ赤い血が流れ出た。左右の二体は、三名のレンジャーに次々と顔や前足に矢を打ちこまれた。残る一頭は、遮二無二襲いかかり、キアーラの呪術で見えない縄に絡め取られたように足がもつれたところを、ヴァロジャが背中にある長い片刃の斧を頭に振り下ろした。

 

「やれやれ、出番はなしかい」中央にいたアデラは抜き身の剣を腰帯に付け直した。

 

 ゲンエモンは十七階へ急ごうと言った。

 

「モリビトの集落はそこにある。ということは、見張りの目も自然と多くなるはず。なにより、我々と血の臭いを嗅ぎつけて、更なる樹海生物が来る恐れがある」

 

 一行は確実な足取りで進んだ。ゲンエモンに言われずとも、避けえない戦闘が一回あり、脅しをかけて危うく逃れた。ぎりぎりな綱渡りの感覚で何度か戦闘を避けえたものの、最初の戦闘を含めて、計八回も無駄な戦闘をするところだった。通常の五人で行けば、ここまで襲われることはない。人数が増えたせいで、いくら慎重に動いても、自然と居場所を知らせてしまう。

 一七階に辿り着いたとき、一行は歓迎された。四方から槍と飛び道具を携えたモリビトたちに囲まれた。当たり前だが、緑のざんばら髪から覗かせる紅い瞳を敵意と猜疑心で滾らせており、一行は非常に警戒された。一行は武器を下に置き、跪いて、例のモリビトの言葉を叫んだ。

 戦う意思が無いと見るや、幾分か敵意は薄らいだが、武器を向けられたまま、しばらく待たされた。小一時間ほどして、白いローブを着たモリビトの中でも高位を示す者がヒュージモアに騎乗して訪れた。モリビトは地上の言語で話したが、がなっている上に途切れているため、聞き辛い。

 

「ぞあたらは、なぜ、きた。約束を捨てたか」

 交渉事ではなく、あくまで警告。イアンは早急に用件を切り出した。

「あなた方モリビトと、我ら地上の者たちに大きな悪と危険が迫っているのを伝えにきました」

 

 高位のモリビトは首を傾げた。イアンはもう一度、ゆっくりと丁寧かつ紳士的な口調で言葉の意味なども説明した。武器も持たず、優男風な外見と丁重な態度でイアンには気を許したのか。一定の距離こそ保っているが、相手のモリビトは耳を傾けた。白き姫と呼ばれる者の予知夢のくだりに、エトゥと四頭のワイヴァーンには大変興味を惹かれたようだった。

 モリビトは右手人差し指で緩やかに空を横に切ると、「待て」と言って、去った。

 今のモリビトの動作をイアンとエドワードが説明した。

 人差し指で空を緩やかに横に切る動作は、モリビトのジェスチャーで”時間がかかる”や長い”などの意味があると教えた。つまり、しばらくはこのままになりそうだ。

 三時間、退屈極まりない時間を待ち呆けた。待っている間、エドワードはゲンエモンにとても大切な話が二件もあるから、今日中に聞いてもらえませんかと頼んだ。ゲンエモンは了承した。一先ず、約束は取り付けた。やっと、先のモリビトが戻って来た。彼はもう一度、今度は一六階に来いと告げた。大切な言葉として習ったのか、話し方は不自然なものの、今度はやや流暢に喋った。

 

「使いの者が行く。何も起きないように。殺さないように」

 

 一行は言葉の意味を推測した。以前、謎の三人が引き起こした最悪の惨事が起こらないことを願うと言っていると考えるべきか。イアンはいつくればいいかと尋ねた。明日のどこかだと曖昧な返事がきた。待ち地獄になるのも覚悟した。一行はようやく解放された。変位磁石を地面に投げつけて、淡い紫の光を通って地上に帰還した。

 エドワードとゲンエモンは花桜の館に行き、屋敷の奥にある離れの一角。茶室と呼ばれる部屋に入った。

 

「本来なら胡坐(あぐら)を掻くのはいかぬが、長い話になるだろうから、崩せ」

 

 自ら胡坐を掻いたゲンエモンに倣い、エドワードもそれではと紅色の座布団の上で足をどかと崩した。

 

「オルレスから聞いたのです。エトゥと名乗る男の正体を。断定はしてないですが、可能性は高いようです」

「申せ、その男の名と所業を」

「名はドレーク。二十年以上前に居た、元冒険者で呪術を扱うカースメーカーを生業にしていた。大変、腕も良く、無口だけど礼儀正しい男だったらしいですが、たまに奇行な行為をしたとか」

「そやつの奇行はどうでもいい。肝心な部分を話せ」

「そいつは呪術師たちの間でも、禁忌や禁術にされている物に手を染めていた。”呪魔(じゅま)の竜”とか、他人を自由自在に操れる強力な術を用いて、大きな秘密があると思われる世界樹の迷宮踏破が夢だと語っていた。そして、それら強力な術を得るために、契約やら儀式だと言って、何人もの年端もゆかぬエトリア人や二十代未満のうら若き冒険者を連れ去り、二階層にて―――彼らを生きたまま刻んだ」

「やはり、そうだったか」

 

 ゲンエモンの呟きに、エドワードはえっと目を向けた。

 

「ご存じでしたか」

「いや、存じておらん。しかし、十名ぐらいの若者や冒険者が失踪した噂は耳にした。今より平和な時代だった。冒険者は自己責任で、子供たちは冒険ごっこの末、樹海にて帰らぬ人となったと思われていた。そやつとも一度、安い酒場で会うたことがある。会話はしてない。遠目から見ただけだ。逞しい外見に反し、酷く陰気で禍々しい空気を身にまとっていたのは、なんとなく覚えている。して、その所業はどうして知れた」

「彼のパーティの一人が勘付いて、恐ろしさのあまり、当時のギルド長に密告したようです。彼はリーダーでありましたが、誰も彼の味方をせず、酒に酔わせて眠っている隙に捕えて、執政院ラーダにつきだした。ドレークは港に連行されて、現在でいうナザルの立場になる男がドレークに拷問をかけた。あれを聞いたら、ナザルがまだ良心的にすら思えましたよ」

 

 エドワードは拷問の中身を語った。執政院は男に口を割らすよう、男に命じた。自らに対する折檻(せっかん)や指の爪を剥ぐ他、数時間も吊るされる日が何日も続き、熱く熱した鉄棒を股間に当てるくだりでは、エドワードは股と腹を思わず引き締めた。真っ黒に焼けて、ドレークの睾丸は二度と使い物にならなくなった。

 男は遂に口を割った。場所を探った結果、十数人の無残な腐敗した白骨死体を発見。証拠の品も見つかって罪が確定した。命じたとはいえ、予想以上の非人道的な行いと市民と冒険者の軋轢を恐れた執政院ラーダの上層部は、拷問者やドレークの仲間など深い関わりを持った者には口封じの賄賂を与えた。遺体は一部の品や骨を持ち帰り、不慮の事故として処理をした。

 普通は死にそうだが、驚異的な生命力に凄まじい憎悪と執念がドレークを生かした。ドレークは重篤な病を患い、故郷で余生を過ごしたい彼の願いを聞いた扱いにして、彼を馬車に乗せて国外へ連れだした。記述の証言によれば、股間の苦痛を耐えながら、彼は最後にこう言い残した

 

「俺は……諦めない。必ず、世界樹の迷宮を根こそぎ探る。そして……ついでに……俺をこんな目に遭わせた奴らも。エトリアのくそったれ共を一人残らず殺してやる! 必ずだ!」

 

 その後、彼の消息を知る者はいない。数年の歳月が過ぎた後、彼を裏切った者たちと、彼を拷問にかけた数名は次々と死んでいった。最後に、彼への取り調べを命じられて、灼熱の棒を股間に押し付けた者は火事に見舞われ、焼け焦げた遺体は天井の下敷きになっていた。下半身に突き刺さった木材はちょうど、その者の股間を貫いてた。

 

「お主はともかく、お主の仲間がこれを聞いて、やる気を出すか。いずれにせよ、執政院が明かす気になるまでは、我ら二人の胸に秘めておこう」

「私は彼がそんな目に遭っても全く可哀想とは思いません。遅かれ早かれ、そうなったでしょう」

「わしは、そやつを全面的に責める気になれん」

 

 何故とは聞かず、エドワードは別のことを思った。ここは法治国家のはず。いかな極悪人とて、きちんと法に則って裁かねばならない。ここで語った行為が露見すれば、国民の支持はガタ落ちする。大きくなれば、人間余計なことに色々と手出しをするのだろうかと、今の自分にも当てはまる気がした。

 

「よう語ってくれた。ところで、明後日には旅立つのだなエドワード。別れは済ませたか」

「明日中には。しかし、知りあい全員とはいきません。極一部の者にだけしときます」

「その方がよかろう。下手に大きくすることはない。人の噂も七五日。お主がエトリア一帯で有名でも、少し時を経れば、こんなのがいたなぐらいにしか触れられなくなる。ところで、何か聞きたいことはあるか。明日はわしも用があってな」

 

 用があるのは本当だろうが、今のうちにわしへの別れをさっさと済ませておけと言っている気がした。特に聞くことは無かった。と、一つ思い付いた。以前、ジャンベが。いや、自分も思い出しては疑問に感じることがあった教えの真相。ついで、責める気になれない訳も聞けるかなと尋ねてみた。

 

「師よ。あなたは昔、私に限らず、首を斬れと言われたことがありますよね。一度、ある人があなたは誰かの首を落としたことがあるとも。その意味をお教えねがえないですか」

 

 ゲンエモンは沈黙した。エドワードは内心、出過ぎたことを聞いたと苦笑いを浮かべ、すぐに「下らないこと聞きました。あなたなりの物事に対する例え話―――」

 

 ゲンエモンはエドワードの眼前に手をかざし、言葉を止めさせた。ゲンエモンは上の空で障子窓を見つめたら、どこか遠い所を覗いている顔で、エドワードに話しかけた。

 

「よかろう。お主はわしに、これまで、人には話したくない。話せない内容を多く語ってくれた。わしからも、忠義な弟子の礼儀に一つ、明かすのがすじだろう。だがな、わしが語ることで、どうして今はこうなったかとか、その人はどうしているかは聞かないでくれ。語る気になれば語る。それで良いか」

 

 エドワードには、はいと頷くほかなかった。ゲンエモンは語り出した。

 わしには昔、現在率いるパーティとは違う者たちと道を歩んでいた。歳こそ近いが、年齢はバラバラ。その中でも、わしは特にソードマンのギュリオンと仲が良かった。

 互いに切磋琢磨しあい、自然とわしら二人がリーダーになる形で、四年後には他のパーティを突き放し、ケルヌンノスも討伐し、三階層に着いた。

 最も注目され、期待も大きかった。このパーティの強さと自らの実力があれば、どこまでも行けると確信した。

 わしとアヤネ、ガンリュー、ヴィズル長もみんな若かった。話はずれるが、若い時分のアヤネは大層美しく、今でいうと金鹿の酒場にいる女将のような存在。みなの憧れ、高嶺の花であった。あの人の前では、わしらはライバルだった。楽しかった。ずっと、続くと思った。あの日までは。

 

「世界樹の四つ葉は知っているか」

 

 突然、伝説の樹海生物の名を出されて、エドワードは戸惑った。知っているもなにも、世界樹の迷宮に挑む冒険者にとって、一度は会ってみたい存在。

 ミズガルド大図書館の重要文化財に指定された倉庫に二点の標本があるのみ。生きた蒼き植物の宝石と呼ばれ、幾星霜経ても、火で炙るか土に埋めない限り、輝きは失われない。不老長寿の薬にもなると信じられ、生涯をかけて探しても、一度として見つけられずに人生を終えた者も少なからずいる。持ち帰った者には巨額の報酬が約束されていた。

 標本の一点はトルヌゥーア内壁の建築者であり、冒険者でもあったトルヌゥーアが発見。数百年経た今でも、瑞々しい輝きは失われておらず、そのことが伝説に拍車をかけている。もう一点は、ここ三、四十年以内の物らしく、発見者の名前は記載されてない。

 

「まさか、見つけられたのですか。伝説を」

「そうだ。見つけたのだ。伝説に歌われる世界樹の四つ葉を二階層でな。依頼があって、たまたま来ていたのだ。美しかった。どろどろと汚く陰気な密林に、正に神か仏が降臨したかのような神秘的な輝きがあった。おぼろげで儚く蒼い宝石のような植物が歩いていた」

 

 わしらは例えれば、天にも昇天しそうなほど感動し、喜んだ。わしらは懸命に追いかけ、捕まえた。わしらは有頂天になり、油断した。二階層がいかに危険かを一瞬、忘れてた。

 大量のウーズと蜘蛛が頭上から降ってきた。わしとギュリオンは難を逃れたが、三人は負傷した。二人で三人を支えながら、助けを求めて、叫んだりもした。誰もこない。

 夢中なあまり、地図にない奥まで来すぎたのだ。

 わしらは開けた場所で一休みをした。どうするかを話し合い、ギュリオンはわしに、お前を信じている。三人は俺に任せて、お前は人を呼べと言った。

 わしは不承不承ながら、助けを求めて向かった。

 しかし、途中、誰かの悲鳴の末尾が耳に届き、胸騒ぎがして引き返した。開けた場には、首の無い二つの死体とばっさりと正面と背後を斬られた死体があった。

 見事な切り口だった。わしは、あのカマキリの類が出てきて、襲った。そうに違いないと言い聞かした。

 背後から言い知れぬ悪寒を感じ、抜刀した。打ち合い、火花が散る。敵の正体はライバルであり、最高の友と信じて疑わなかったギュリオンであった。仲間の返り血を浴びて、冷たい目には皆ならぬ決意と殺気が宿っていた。理性が途切れ、静かな怒りに身を包み、冷徹に素早くギュリオンを仕留めにかかる。

 激しい鍔迫り合いの末、ギュリオンの首に白刃を打ちつけた。ごろりと体から首が落ち、噴き出す血で真っ赤に染まった。わしはしばらく、呆然と立ち、仲間たちだったものを見つめた。気付けば、四つ葉が入った袋を担ぎ、二日間彷徨い、帰ってこられた。当時のギルド長に事情を問われて、素直に明かした。袋では、四つ葉がうごめいてた。

 執政院ラーダに連れて行かれて、わしは尋問を受けた。一生、牢に居る覚悟もした。だが、ギルド長を始めとする何人もの知り会いが弁護をしてくれた。ところで、世界樹の四つ葉はどうしたと思っただろう?

 報酬は全て使った。三人の仲間の遺族や知り会いに分配し、葬式代を工面。ギュリオンに身寄りはなく、わしと数名で慎ましく送った。残りは慈善事業に役立てる約束で、名を伏せる形で寄付した。

 エドワードは納得した。

 

「執政院ラーダと親しい者たちの助力もあり、わしに容疑がかかったことは人知れずとなった。容疑が晴れたら、二階層へと一人、飛び込んだ。形見でもいいから、何か持ち帰りたかった。手遅れだった。

 仲間の身体はなく、あるのは身に付けていた物の残骸。泣き叫んだ。一生分の涙を流した気がする。その後、帰りの道すがら、わしは道行く樹海生物を一撃のもと両断していった。何組かのパーティとすれ違い、怪物の身や首を微動だにせず跳ねる姿を見られて以来、同業者間の妬みや疑いもあり、わしは密かに”首切り”とささやかれた」

「あなたがドレークを徹底して責めれない訳がわかりました。ですが、それほどのことがあって、エトリアから離れなかった訳は?」

 

 ゲンエモンは渋い顔をして、首を振るう。

 

「エドワードよ、お前にも語りたくないことはあろう。ここだけは言えない。ある者にも明かしてないのだ。だけど、約束しよう。もしも、お前さんが来年、無事に帰った暁には教えよう。その訳をな。その頃には大抵の者に知られて、わしに会う前にはもう、そんなのは知っていると言うかもしれんが、会いに来い」

「おかしなことを言う。もしも無事に会えたら、既に他の者に教えていることを私にだけ来年になったら教えるとは」

「物事には段取りがある。つまり、今の段階では明かせないのだ」

 

 ええ、わかりましたよと返し、エドワードは居住まいを改めた。

 

「師よ。今から、俺は失礼な態度になりますが、どうしても言っておきたいことがあり、それには、今までのような固い態度では言いにくいのです」

「申してみろ」

「あなたはドレークの罪が隠蔽されたことと、自らが犯したとお思いになっている罪を人知れずにされたことに対し、負い目を抱いた。だけど、俺から言わせてもらえば、ドレークもギュリオンとかいうのも大馬鹿者。最低な裏切り者。それに、自分の意思でおぞましいことをやってのけた奴と違い、あなたの場合は不可効力。ギュリオンの奴が欲に駆られて、裏切った。あなたは仲間の仇を討ち、成敗した。それだけのこと」

 

 ゲンエモンは怒気を含んだ声でエドワードの名を呼んだ。エドワードは少年時代におけるゲンエモンの怒りを思い出したが、身を引く訳にはいかない。

 

「あなたはこの国のために骨身を削った。俺を入れた多くの者たちを導き、更生させた。他の者はどう思っているか知りませんが、俺は今でも、冒険者ゲンエモンを良き師。尊敬できる人間であり競争者。そして、二人目の父だと思っています。だから、あなたがあの怪しい宗教家風情の馬鹿野郎に負い目を抱くことはありませんし、意味がない。また、ギュリオンとかいうのに、いつまでも申し訳ないと思う必要はない。奴こそ元凶。あなたが謝ることはない」

「では、お主は幼い時分に射抜いた敵兵のことはどうでもいいと言えるのか」

「それとこれとは別です。俺はただ、あなたが年寄り臭く、いつまでも昔のことを悔いてしょぼくれてくよくよしている姿を見たくないだけだ!」

 

 ぱんと右手で膝を打ち、ゲンエモンは顔を下に向けた。鬼のように怒り出すかと思いきや、意外にも微笑んだ表情で面を上げた。憂いや怒りはなかった。安心したのも束の間、ゲンエモンはくわと目を剥き、怒り出した。

 

「本性現したか、糞ガキが! よくもまあ、年寄り臭くしょぼくれているなどと。おまけに、昔のガンリューの奴みたく、ギュリオンを馬鹿者と罵りおって。わしがもっと若ければ、殴り掛かっていたところだ。だが」

 

 ゲンエモンは言葉を切り、鬱憤と迷いを追い出すようにがははと笑い出した。笑いが止むと、穏やかな笑みをエドワードに向けた。

 

「だが、気は楽になった。あまり考えないよう努めていたが、モリビトとの一件以来、頭の中をよぎり、自身の性格も相まって、考え込むようになっていた。誰かに一度、吐露し、罵倒でもなんでもいいから、言われたかったのかもしれない。だから、ありがとうな、エドワード」

「こんな程度では、あなたに受けた恩を返し切れませんよ」

「まあ、気長に待つよ。して、もう一件あったはず。それはなんだ」

「レンについてです」

 

 ゲンエモンは真剣な面持ちで、エドワードがレンの口から語られた身の上を聞き、信じがたいと呟いた。やはり、レンの陰りはそういう体験から来ていたか。

 

「麗華と共通するところはあるが、たとえ死の間際であっても、彼が娘をそんな風に扱うのは信じがたい。きっと事情があるはず」

「娘を蹴り、罵倒することに事情があるとは思えません」

「エドワードよ。もしも、お前一人、絶体絶命の状況で助けも期待できないのならどうする」

「万策尽き果てたのなら、覚悟を決めます」

「では、なんとしてでも、命を救いたいと思う者たちがその場に居ても、お前はそうするか」

 エドワードは少し考えて、答えた。「その守りたい者たちから蔑まれる方法だとしても、助けたい」

「そうだろう。ただ、信じろと言っておきながら、なんだが。人の心は移ろいやすい。最後まで意志を貫けず、捨てる者もいる。レンと麗華が同一人物の可能性は否定できんが、本人の口から直接聞けない以上、わしが言ったことはなにもかも、想像の域を出ない。それでも、あの親子の繋がりを信じる。なにより、あの男については軽蔑の気持ちを抱いている。それで良いではないか」

 

 これ以上、話すことは無いと悟り、エドワードは頭を垂れて、礼を述べた。ゲンエモンはエドワードの肩をつかみ、じっと覗き込んだ。

 

「戦いの渦中だとしても、必ず生き残ってみせる。お前自身と待つ者のためにも生き延びよ。それとだな」

 

 ゲンエモンは肩から手を放し、右手でエドワードの頭を強く叩いた。

 

「これは、さっき年寄り臭いやしょぼくれていると述べた礼だ。師を罵倒する奴には礼儀を教えてやらんとな」

「俺は一番弟子じゃないのですか」

「一番はコウシチやシショーだ。お前は今から二番弟子だ。昔とちっとも変わらん」

 

 あなたもですとエドワードは言い、二人は笑いあった。笑い止んだら、ゲンエモンはまたギュリオンについて、もう少し触れた。

 

「あの時のギュリオンには、欲や殺気以上に迫るものを感じた。今となっては確かめようはないがな。さて、辛気臭い話はここまで。玄関まで見送ろう」

 

 エドワードは玄関まで、ゲンエモンとアヤネに見送られた。

 エドワードが去った後、ゲンエモンはモリビトとの戦前に行われた軍事演習後にあった祭りを思い出し、言うべきかと迷った。ゲンエモンはあの日、不気味にほくそ笑む仮面を身に付けた二人に出会った。一人は背が大きく、一人は小さい。背の大きな者は武芸に長けていのを感じた。大きくなって、子を連れたのだろうと思い、話しかけたあの者。

 一笑に付した。なんの意味がある。第一、モリビトの証言では、背の大きな二人と背の小さな一人だったと聞く。しかし、もう一人の背の大きな者はお祭り騒ぎのどこかで合流したという説明がつく。違うと否定しつつ、黒い仮面と衣装を身に付けたレンとツスクルに誰かが先んじて交渉の場に行き、モリビト側の使者を殺し、交渉を決裂させた場面を思い描いてしまう。

 

 

 

 ケフト施薬院に行き、マルシアから途中経過を聞いた。まだ油断はできないが、峠を越した。近日に会える。

 

「院長に許可を頂いて、明日、ほんの少しだけど特別に会えるわよ」

「色々と苦労をかけたな、マルシア。お前への恩は言葉に表せない」

「別にいいってことよ。こっちも、色々と新しいことが知れて良かったわ」

 

 エドワードは長鳴鶏の館の出入り口付近でコルトンに呼ばれた。壁にもたれて、パイプからぷかぷかと煙を上げていた。薄い茶色の作業服は土で汚れ、つんとした臭いは数え切れない植物や糞を踏み付けたブーツから漂っていた。まただと言いたげに、コルトンは使者が来たことを告げた。

 

「俺から言えるのは、あんたが行った後、もうあれらに煩わされることが無くて万々歳だということだ」

 エドワードはうんと同意した。

「明日は別の奴が行く。あんたと最後にもう一度、来てほしい。時間は取らせないと言っていたが、どうだか。ああ、それとな。シリカも来たぞ。暇な時にでもいいから、お前に来てほしいとさ。あいつらしくない思いつめた表情だったけど、思い当たることあるか?」

 

 エドワードは少し考えて、無いと言った。特に思いつめらせてしまう言動や行動をした覚えはない。

 どちらにせよ、エドワードは明日の別れの挨拶をする一人にシリカもいたので、明日行けば良かった。

 翌日。エドワードは早朝に執政院ラーダに向かった。ぐだぐだと余計な会話はせず、伝えることだけ伝えて、手短に別れを済ませるつもりだったが、オルレスの眼鏡越しから覗かせるいつになく不機嫌で難しい顔付きを見て、少々長くなるかなと思った。エドワードの前に、オルレスが開口し、不満の訳を伝えた。エドワードは口を挟まないことにした。

 

「先日、私は何人かの者たちと共にヴィズル長と会った。長は相変わらず、厳しく寡黙な表情で我らを睨んだ。そして、裏切る上に戦争好きとは大したものだと我らを非難した。もちろん、長とて今回の事態を重くみて、我らが裏でこそこそしているのも半ばお見通しであった。それだけなら問題ない。しかし、その後が問題だ。長はとんでもないことを言ったのだ」

 エドワードは仕方なく、なんだと聞いた。早くしてほしい。

「急遽、来月には世界樹の迷宮にて、次世代の長を決める儀式を行うと言われたのだ。いつもより、時間がかかり、来年か数カ月後は要するとおっしゃられた」

 挟むまいと思ったが、言わずにいられなかった。

「長を決めるのは構わんが、せめて、現在の不安定な状況から脱却した後の方がいいだろう。俺はどうにも何を考えているか全く読めないあの男は不気味で気にくわないが、指導力はあると思う。今回のことにおいても、あの男が民を率いるしかないはず」

「我々も必死に引き留めた。裏で防衛の準備を進めていたの謝ります。いかな処罰も覚悟してる。ですから、近く起こりうる有事には、あなたは是非とも必要です、と。だけど、長の意思は固く、頑なに必要なことだと言われた。大砲を向けても、長は首を振らなかっただろう。

 我々は最高指導者無きまま戦いに挑まねばならなくなった。そして、代理がいると言われて、私を入れた三人がしばらくは執政院ラーダ長代理に選ばれたのだ。今の役職における業務はそのままでな」

 

 オルレスの険しい顔付きが理解できた。いくら大切なこととはいえ、混迷を極めるであろう時期に、曲がりなりにも国の指揮を任された者がいないのは、一介の戦士にしか過ぎない自分がいなくなるのとは遥かに違う。

 冒険者室長兼秘書として多忙を極める上に、国と民の統率に戦の責任まで加わるのは、想像を絶する。

 他の二人は知らないが、大きな心労に苛まれて、オルレスが重圧に押されているのは一目でわかる。

 オルレスは無理に気を取り直して、エドワードに報告を話すよう促した。オルレスはゲンエモンと話をした事以外は全て伝えた。オルレスは納得しかねた様子でううむと眉をひそめる。

 

「まだ疑っているのか」

「前にも述べたが、私は彼ら二人と君の家族との出会いが気にくわないのだ。たまたま盗賊と出会い、たまたま助ける。どうにも出過ぎた感がする」

「事実は小説より奇なりともいうし、そんなこともあるだろう。少なくとも、レンはエトゥを宗教家崩れの盗賊とどうでも良さげに言った。俺からすりゃ、その一言だけで十分過ぎる。それでも監視を続けるのか?」

「周りから、あれらを見る以外に人手を割けと言われるようになった。残念だが、監視の人数や時間を大幅に縮小せざるをえない」

「そうか。では、俺は行くとしよう。あんたの無事と幸運を祈る」

「無事と幸運は何よりも君に必要だ。滞りなく行けることを願うよ」

 

 エドワードは次に、ギルド長ガンリューのもとを訪れた。黒い眼帯を付けて、陽に焼かれて焦げた肌付きになったいかめしい六十代の親父は訪問も気にせず、デスクの書類に朝食を置いて、眠たげに頬杖を突いたままパンと搾りたてのミルクを飲み食いしてた。ギルド長はちらりとエドワードを窺った。

 

「俺の食事はやらんぞ」

「呑気に大口開けてぱくつく親父から物を奪うほど困窮しとらん」

「朝から喧嘩をやりに来たのなら、もっと若くて元気な奴に挑め」

「一時の別れを告げにきたんだ。長い用があって、しばらくエトリアから離れる。その間、あいつらの相談をできる限り聞いてくれ」

「行くんだろ、あの国に。俺を舐めるなよ。最低限、知るべきことは知らされている。してやれることは大してないが、悩み事ぐらいは聞いてやる」

 

 エドワードは一礼し、冒険者ギルドを出たら、シリカ商店を目指す。

 珍しく、店番が二人。シリカとシリカの祖父が店番をしていた。

 一線から引いたものの、今でも小物作りの細工は見事で、たまに奥の鍛冶場で雷を落とすことがある。太陽の位置からして、十時から十一時頃。夜、樹海生物が活発になる時間を避けて、朝から夕方まで潜るのが常。さすがに人はいなかった。

 二人でいらっしゃぁいませえ! と挨拶をした。

 

「君がこの時間帯に来るなんて珍しいね」

「いや、三つ物を買うついでに、挨拶をしておこうと思った。俺はしばらくエトリアから出る。多分、来年には戻ってくる。シリカにも、なんだかんだ世話になったし、会っておきたかった」

 

 エドワードは二振りの剣を選び、一本のナイフをカウンターに置いた。三本合わせて、一五四〇エン。高くはないが、良い作りの武器である。

 シリカは奥に引っ込み、代わりに祖父が代金を受け取り、重たく頑丈な地面の重石に鎖で繋いだ鋼鉄の小物入れに金を収めた。

 出て行こうとするエドワードを祖父が呼び止めた。仕方なく、足を止めた。シリカが店の奥から出てきて、大きな包みを大事そうに抱えていた。

 

「やっぱり、僕の勘は当たっていた。君は噂になっている奴らと戦いに行くんだろ」

「さあな」

「いや、理由はなんでもいいさ。それより、君に貸したい物があるんだ」

 

 シリカは布包みを解いた。中からは、灰色の光沢を帯びた美しい複合弓アーチドロワーが出てきた。サイズは中型。太さもあり、大型より。エドワードは驚いてシリカと弓を見た。

 

「何故だ。高い品物だろ、持ち合わせはないぞ」

「僕の予想さ。君は将来、大きなことを成し遂げる。そんな気がする。あくまで、貸すだけだよ。これは、僕から君への先行投資。お金はどどんと二割値引きして、八万。ゆっくり返してくれればいいさ。絶対だよ。でも、テストに弓に弦をかけてみて」

 

 エドワードは手渡された弦をなんなく弓にかけた。立派な一張りが完成。二人は満足した様子で頷いた。

 

「凄い強いのに、なんなくかけたね。合格」

「本当にいいのか。壊れてしまうかもしれんのだぞ」

「その時はその時。道具は使えば壊れるさ。まあ、払ってもうらけど」

 

 エドワードはありがたく、弓を借りた。妙なことに、弓が手に馴染み、自分に握ってもらうのを待っていたかのような運命すら感じた。エドワードが去った後、祖父はにやけた面を浮かべて、孫娘を見下ろした。

 

「しばらくおめえの給料は三分の一だ。にしても、あんなので伝わる訳ねえだろ」

「なんのこと。僕は店の将来になる投資をしたつもりだよ。深い意味はないよ」

 

 にやけ面を浮かべる祖父に業を煮やし、シリカは怒って祖父のお尻を叩いた。にやけ面を止めず、シリカが勝手にしたらとそっぽを向いたら、くくと笑い出した。シリカは舌をべっと出した。

 

「すけべじじい」

「なんのことかな」

 

 自分が去った後に起きていることも知らず、エドワードは次に金鹿の酒場の女将を訪ねた。

 

「長く留守になります。また戻ってきたら、最高の一杯を注文します」

 

 女将は込み入った訳は聞かず、一言、いってらっしゃいとだけ言った。長くわずらせることもない。エドワードは早々に昼の酒場から去った。

 エドワードは三振りの刃を携えて、外にある遊牧民のテント集落に向かい、一つ一つに挨拶をして回り、自分が何か月かいなくなることを伝えた。

 家族のゲルに行く前に、チノス一家のゲルに行き、奥さんの案内で小一時間かけて仕事場に行った。刈り入れを手伝ってた。父ティノフェと息子チノスはエドワードの訪問を歓迎した。

 また、ヴァンもそこにいたので、呼び出した。エドワードは即座に用件を切り出し、長い旅に出ることを告げた。チノスは聞かずにいられなかった。

 

「何故ですか。あなたが疑われていることと関係が!?」

「そうではない。ただ、大きな仕事なのだ。チノス、お前に渡したい物がある」

 

 エドワードは一振りの剣をチノスに渡した。刃は刀のように片側に寄った婉曲した三日月刀。馬上から切るのにも適していた。

 

「いざというときは、父と共に己と家族の身を守れ」

 

 エドワードはヴァンにも同形の一振りを渡した。

 

「俺の母と妹、お前の子を守れ。戦わないことを恥じるな。生き延びることを考えろ」

「必ず守り通してみせます」

 

 ヴァンとチノスは剣を抱き、真っ直ぐな眼差しを向けた。父ティノフェも、納得したように首肯した。チノスはもう立派な大人。彼の意を汲んだ。エドワードは奥さんと来た道を戻り、礼を述べて別れた。

 妹一家のゲルにも行く。フェドラは中にいて、手作業をしていた。甥御は外で離れた位置からエドワードを見ていた。まだ懐いてくれない。長くエトリアを空けるとだけ明かした。フェドラは動じた様子を見せない。

 

「あなたが無事に成し遂げて帰るのを祈るわ。本当に、帰ってきてね。兄を二人も失うのは辛いわ。エウゲドロス、来なさい」

 

 甥御のエウゲドロスは慎重な足取りで入った。自分の目が怖いから、警戒されていると言われた。

 

「ほら、おじちゃんに行ってらっしゃいと言って」

「どこに行くの?」

「遠くへ行くのだ。土産話は聞かせられるだろう。それより、贈り物がある」

 

 エドワードはエウゲドロスの前にナイフを置いた。幼子は目を輝かせて柄に入った新しいナイフと腰にあるちんまりしたナイフを見比べた。

 

「父と母。周りの大人たちから正しい使い方を学ぶのだぞ」

 

 エウゲドロスはうんうんとナイフを見つめたまま頷いた。エドワードは、ヴァンとチノスにも剣を渡したことを伝えた。

 

「兄さん。また普通に暮らせるかしら」

 妹の自らに問いかけるような言葉に、エドワードは答えた。

「お前にはヴァンがいる。彼を信じろ」

 

 エドワードは甥御と妹に見送られた。甥御のこの世に不幸などないかのような笑顔を見たら、満足した。

 最後に、エドワードは母と面会した。やつれてはいるが、前見たときよりかは、生気があった。

 遠くへ行ってくるとだけ告げた。体には気を付けなさいとエウドラは言った。後は無言のまま、互いに近くで寄り添い、静かに時が流れていく。エドワードは一つ、母なら知ってると思い、父が昔、教えてくれたことを聞いてみた。母はささやくように話した。

 

「一度しかない人生。要領良く金を稼ぎ、食われるより喰らう側に回って面白おかしく生きる。そんな楽しそうな選択を捨て、誇り高くあり続けるのは、いかにも損を感じるだろう。誰が評価してくれる訳でもない 日陰でどうすれば男は誇りを保ち続けられるのだろうか。自分の為などと矮小な事でなく。天下国家の為などと身の丈を越えた大法螺でなく。ただ自分の背中をついて歩ける後進の為に男は背筋を伸ばすのだと。

 やがて自分がこの世からいなくなっても、愛する家族が立派に歩き続けて行けるように。子や孫や次の世代に幸あれかしと願えばこそ、胸の張り甲斐が生まれるのだ。あなたの父は、私にもこのような内心を明かしたときがありました。あなたは小さかったから、忘れても無理はありません」

 エドワードは母を見つめ直した。

 驚いたことに、最近あった面接とやらの際、エドワードは近いことを述べていた。

「実は最近、父と同じようなことを言ったのです」

「あの人も自慢の息子だと喜んでいるでしょう。私もです、エドワード。帰ってきて、お前の顔をもう一度、拝ませておくれよ」

 

 もう少し、居たかったが、看護婦が時間ですと入ってきた。エドワードは名残惜しそうに閉じられるドアを見やった。エドワードはマルシアと共に宿に戻った。

 次の日の明け方前には、行くことをメンバー五人に伝えた。

 

「他の者たちには、長い用があるからとだけ言って、去ったと言ってくれ。余計な詮索はされたくない。俺が行った後は、コルトン。アクリヴィ。お前達で率いてくれ」

 

 二人は無言で承知した。部屋で身内だけのささやかな別れの杯を交わしたら、早めに寝具へ身を横たえた。みなが寝静まった後、ジャンベはぱちりと目を覚まし、エドワードの寝顔を見つめた。視線に気づき、エドワードはどうしたと言った。

 

「いえ、なにもありません。ただ、あなたが行ってしまわれるのは寂しいなと。一人の兄がいなくなるから」

「血は繋がってないぞ」

「例えです。ロディムさんがやんちゃな三男なら、コルトンさんは次男。あなたは頼れる長男かな。僕を拾って育ててくれたあなたが行ってしまわれるのは、色々と理由はありますが、ただ寂しいなと」

「俺はお前も頼りにしている。それに、死にに行く訳じゃない。生き残るためだ。ほら、寝ろ」

 

 すみませんと、ジャンベは布団を被った。

 五日目の朝。空模様からして、旅立つには絶好の日和。エドワードは先に起きて、夜勤の従業員に軽食を持ってこさせた。コルトンも降りてきた。続いて、ジャンベとロディムも。

 

「一人でだんまりは感心しない。勝手に行かせんぞ」

 

 アクリヴィとマルシアも来た。六人で、今年最後となる一同会した朝食を取った。

 何も喋らず、食べる。

 エドワードはアーチドロワーにナイフ、三日月刀ではなく、中程度の剣を携えた。寝具と火打石、携帯用の食糧や水筒、皮袋など必要な物を担いだ。

 防具の類はかさ張るので置いた。一点、アクリヴィから貰った首の防具だけはお守り代わりにと持っていくことにした。

 宿から西の大門までの移動も速やかに行う。門に通じる広場に出ると、門前にオルレスとラーダ職員の他、ギルド長に、繋がれたブケファラスもいた。

 エドワードはふと語った。

 

「もしかたら、戦場で会うだろうな」

 そりゃそうだとコルトンは苦笑した。

「いや、そうではない。具体的にはコルトン。お前と戦場で馬上の人として合い間見える。そんな予感がする」

「だとしたら、喜ばしくない再会だな」

 

 二人はこれ以上、語らなかった。

 オルレスは二つの薄くて小さな鉄箱を渡した。二つの鉄箱を両手で受け取る。

 

「一つは外交書。一つは路銀。純度の高い金や銀、いくばくかの小さな宝石も入ってる。黄金男爵が協力してくれたのだ。愛する国の危機には投げうつとね」

「あなたを誤解していた。本当の紳士だと伝えてくれ」

 

 大門の隙間を空けて、エドワードは愛馬と通った。振り返り、最後にもう一度、別れを告げた。

 

「コルトン、アクリヴィ、ジャンベ、マルシア、ロディム。お前達と共にまた、世界樹の迷宮に挑戦したい。オルレス、ギルド長、そこのあんたにも、幸運があらんことを」

 エドワードは馬の頭をさすった。

「最後の見送りはお前になるな。俺を国境(くにざかい)まで送ってくれ」

 

 エドワードはブケファラスと草原を駆け抜ける。

 五人は外壁の上に上がり、遠のく背を見つめた。ギルド長も外壁に上がり、見送る。

 風に運ばれるように一人と一頭は進んでいき、朝日に照らされて、点すら見えなくなった。 

 


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