世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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第三階層攻略編
二話.きばらし(ついで過去語り)


 緑のマントを羽織り、機能重視の張りが強い短弓と背と腰に矢筒を背負い、刃渡り六十CMの三日月刀を携えた、流れるような淀みない金色の髪の男が世界樹へと足を向ける。世界樹を囲む外壁の門に佇む衛兵に挨拶もそこそこに、世界樹の下の広大な地下迷宮へと向かう。階層や階の特徴にもよるが、地上から一階層一階へ降りるには三分もあれば着く。

 男は心を落ち着かせるために、メンバーに今日は探索は中止だと言った。

 男は探索を目的に来たのではない。男は気晴らしを目的に一階層へ降り立ったのだ。

 二階層は湿度でジメジメした不快な鬱蒼とした密林。三階層は打って変わって、文字通り、樹も土も天井も青々と染まっており、小舟でもなければ移動できないような箇所がある水生林の世界。

 楽に、とはいかないが、二階層は他のパーティがケルヌンノスを片してくれたお陰で通れた。

 三階層十二階は、自らが率いるパーティが二十年ぶりに復活したかのクイーンアントとその護衛の殲滅に成功。

 冒険者たちは更に樹海の奥へと潜り込めるようになり、自からが率いるパーティ「ホープマンズ」は一躍その名をエトリアに轟かした。

 まだだ。まだ、終わってはいない。自分の数ある目的達成の為には、エトリアに名が轟く程度では困る。もっと……奥へ行き。もっと、更なる発見と功績を立てて、この私……今は、俺でもよかろう。

 この俺、偉大なる騎馬民族エクゥウス出身であるエドワードの名を広範囲に知らしめねば。

 馬鹿な奴だと思うだろうが、私はこれこそ目的を叶えるにはこれが一番だと考え、ここの探索に挑んでいる。

 世界樹の概容は御伽噺(おとぎばなし)そのもの。

 だが、一歩を下へ降りれば、例えば地上のネズミの数倍大きい紫のネズミに、モグラのくせに地上を出歩き長い刃物のような鉤爪をぶらさげている。

 地上にいる生物とは異なる異形の生物たちが襲いかかり、そいつらと殺し合って自らの栄誉、あるいは金目になる物をつかむというサバイバル。噂と現実はこうも違うと、思い知らされるわかりやすい一例だ。

 そんなところに富・名声・権威・発見・興奮・夢を抱いて潜る連中はいかれている。かくいう俺も、それを求める口であるが。俺の場合は前三つ(富・名声・権威)を強く欲して潜る欲深野郎であるから、救いようがない人間の部類に入るだろう。

 それでも、責められたり、安穏した地で暮らしている倫理観豊かな御方達に命の重さとかを説かれても、冒険者を止める気はさらさらないがね。

 

 

 

 何百年も昔、世界を席巻した国が存在した。

 その国は、国民全員が弓と乗馬の名手であり、数十万規模の騎兵軍勢で、エトリアや数えるほどの地域や国を除き、世界を蹂躙した。

 エトリアは独立中立都市と世界に公言して憚らず。避難民受け入れ以外は一切の武力抗争には関わらないと強く宣言し、その時代のエトリア首脳陣の上手い交渉術で、騎馬大国の獲物から外れたのであった。大国は世界を席巻したが、王が死ぬと同時に残された者同士で醜い権力争いが勃発。騎馬大国は王の死後二十年で解体。その後、格部族は災難や戦火の嵐に巻き込まれてしまい、衰退の一途を辿った。

 今や、部族として纏まったものは二つ。一つは先祖と変わらぬ放浪の民として生き続け、一つはある国の戦士として仕え、代わりに、広い放牧と農耕の地を与えられた。それが、騎馬民族エクゥウス。

 エドワードの年齢は二十七。逆算して、十六年前。エドワードの国と民族は大国に滅んだ。その大国も、エドワードが住まう国を滅ぼしてから二年後には権力争いが起こり、国は荒れに荒れていると聞く。

 戦火でエドワードは父と兄を失い。母と妹とも生き別れた。

 国が滅んでから一カ月、着の身着のままエドワードは北西から東南へと旅を続けた。

 弓やナイフを持っていたので、食える野草をはみ、狩りをして餓えを凌いだ。彼はある町の農場にたどり着いた。

 エドワードは遠目から農場主とその一家を観察して、身成と住民との接し方もよく見てから良しと判断した。

 エドワードはそこでこう条件を出した。

 

「一年間。定期的に出される食事以外は何もいらない。ただし、俺が一年間ここで働いた暁には、遥か遠方にあるエトリアに行きつけるだけの最低限の旅費と馬を一頭貰いたい。俺を信ずる証として、俺はこの弓とナイフをあなたに献上する。今この場で弓を叩き折り、ナイフは包丁代わりにしてもよい」

 

 農場主は、少年の自分への君主に仕えるような態度に自尊心をくすぐられ、彼を雇った。

 とはいえ、その農場主は元よりお人好しな一面があり、エドワードの境遇にも同情して雇い入れた。エドワードは彼のそういう面も見抜き、あえて彼にかしずいた。エドワード流の処世術であった。

 立場が上な相手には卑屈でなく、さも敬っているように見れせばいい。 

 彼は部族にいた頃、世界樹とエトリアに関する話は旅人から聞いていた。そこに行く理由は特にない。しいていえば、生きる為、縋れる物ならなんでも良かった。

 付け加えれば、血塗られた御伽噺の世界とやらに興味を持っただけだ。

 目下のところ、エトリアへ行って事を成すには金が要り用だった。

 エドワードは一年間その農場で働き続けた。農場主はいたく彼を気に入り、エドワードの待遇を良くした。

 エドワードは少年ながら非常に逞しくて働き者で意外にも賢く、他の者が一をやる間に彼は二、三をやっていた。彼が弓矢でたまに持ち帰る肉は、大層農場主の家族を喜ばせた。

 一年後、エドワードは約束どおり馬と最低限の旅費(ざっと二千エン)をいただき、旅立った。

 彼はその時、非常に惜しんだが、目的の為にと歯を食い縛り、農場を後にした。昨年、その農場にはお礼に若くて馬刺しとしても食える農耕馬一頭、乳がよく出る雌牛、健康な雌鶏と雄鶏を二羽ずつ送った。

 道中、少々の路銀を稼いで五日ほど立ち止まり、一ヶ月と半月の旅でエトリアに到着した。

 正直、彼は途中からエトリアを目指す旅が億劫になり、あの農場へと戻りたくなった。

 あくる朝、彼はしかと見た。

 朝日で神々しく照らされたエトリアの天をも摩すばかりの大樹を目の当たりにして、彼の心は興奮で打ち震えた。

 そして、少年らしからぬ、彼の内に秘められた、身を焦がしそうなありとあらゆる欲望が掻き立てられ、同時にありとあらゆる夢・目標・計画が彼の中を走馬灯のように駆け巡る。

 エドワードは大人でも萎縮するような凄い目と表情で大樹を見上げた。狩人であり、青い狼の目を持つ金髪の少年はぐっと大樹に拳に向けて拳を握りしめ、地平線のかなた北にある世界樹へと高らかに宣言した。

 

「世界樹よ、感謝する。俺は決めたぞ。俺は冒険者になり、お前の中身を洗いざらい調べ上ることによって多数のものを勝ち得て、我の名と我を育んだ民の名を世界に知らしめ、ここをエクゥウス繁栄の地にする。俺が今ここで誓ったことが成就すれば、我が家の材木としてお前の枝の一本を折らせてもらおう」

 

 さわさわと遠方にある世界樹が揺らいだ。まるで、この卑小な存在へやってみろと挑発しているようだ。

 五時間後、エドワードは興奮冷めやらぬまま、エトリアの門を叩いた。

 ここまで荷と自分を運んだ馬への別れを惜しみつつ、この街に身を置くには身軽なほうがいいと考えて、武器装備に宿賃の費用として馬を売った。

 

 

 

 もはや行動あるのみ、その頃はまだ白髪が目立たないガンリューが住まう冒険者ギルドで登録を済ませ、エドワードは齢一三で冒険者としてスタートした。

 ギルド長はその時のエドワードを一言で表せば、「クソガキ」と答える。ギルド長の常に鋭い眼光は知らない者から見れば、どう見ても堅気の面構えではない。

 

「ありゃぁ、ほんとクソガキだよ! なんせ、大概の奴ぁ、俺を見ただけでびびっちまうのに、あの餓鬼ときたら歯牙にもかけなかった。しかも、登録のさいに俺が目的はなんだと聞くと。いつかは語ってもいいだろうが、今はあんたに語る義理はないと答えた。俺はその生意気な餓鬼を睨んでやったが、奴はまるで、獲物を狙う猛禽類のような目でがんつき返しやがったんだから大したクソガキだよ。でも、俺ぁ、それでその生意気な奴を気にいっちまったね。もしかたら、大化けするんじゃないかと思っていたが、その通りになっちまったよ。ほんと、エドワードは大したクソガキだったよ」

 

 ギルド長ガンリューは大抵の者を「あんた」「やっこさん」「奴」と呼ぶが、お気に召した者や心を許した者はよく名前で呼んだりする。

 こんな年若い者を雇うようなパーティはそうないが、ガンリューを含む眼力ある者はエドワードの実力と将来性を見抜き、ある冒険者は彼を見習い兼雑用として受け入れた。 

 少年エドワードを受け入れたのは、ギルド長の現役時代のライバルであり、東洋出身の剣術使い、ベテラン源衛門(げんえもん)

 エドワードは彼の下で五年間、冒険者としての心構えと技術を学び、礼儀作法についても学んだ。苦難の時代を過ごしながら、彼が礼儀をわきまえているのは、記憶にある両親の教えとこのゲンエモンの教育が大きかった。

 因みに、ゲンエモンは自分のパーティに名前をつけていない。パーティ名の有無は個々のパーティの自由なのだが、冒険者や市民の悩みを聞く執政院ラーダとしては帳簿にまとめやすいので、出来ればパーティ名をつけてくれた方がありがたい。

 独立後。エドワードはまたしても二年間、日銭を稼ぐのに一階層をうろついた。彼はどこへも属さず、自分がこれと思う人物を探した。彼は自分でパーティを設立してこそ意味があり、属して従うのは拒んだ。

 その二年後、コルトンというやや老け顔の傭兵崩れの大男と出会い、彼は直感した。

 こいつを加えればいける、と。コルトンは別名「蟷螂殺し」の異名を持つ。

 コルトンはエトリアに辿り着くや、ギルド長の話もろくすっぽ聞かず、シリカ商店で購入した「新米冒険者セット」の装備のみで三階の凶暴な人食い蟷螂を仕留めたからだ。

 その根性がギルド長に気に入れられて、二ヶ月の試験期間を一ヶ月短くしてもらえた。

 一年後、貴族の召使いから生まれ、不思議な力を使うという理由で気味悪がられ、母親が死んで直ぐにある錬金術師の下で修行をしてきた女。真っ直ぐに伸ばしたグレイブロンド、細い狐のような切れ目の女錬金術師アクリヴィを引き入れた。

 もう二年後には、金と刺激を求めてエトリアに来たのが目的だと語る。エトリアにほど近い国で生まれ、その国の寂れた山間の村から訪れた男。パーティが解散して行き場を失った荒くれた青髪の剣士ロディムを加入させた。

 半年後、血塗れの御伽噺世界と新薬開発と新医療開拓を夢見てここに来たと語る、自分以上の変り種。たおやかに微笑む翠緑の眼、薄らと朱に染まった艶かしい唇、緩やかにウェーブとカールがかかったシルバーブロンドが印象的な美女、女医師のマルシアが仲間になった。

 マルシア加入により一つのパーティが完成。これを記念して、エドワードは「ホープマンズ」というパーティ名を命名した。

 更に一年半後。低賃金の労働船で大陸を渡り、この大陸で一花咲かせに来たのが目的だと語る、綺麗な澄んだ高い歌唱力と、あらゆる楽器を奏でられる才能を持つ黒人の青年ジャンベを誘った。

 彼ら冒険者の絆とは友情で結ばれたものではない(そういうのもあるにはあるが)。

 利害関係が一致してパーティを組み、何だかんだでお互い協力し合って幾つもの死線を掻い潜ったその絆は、「友情」などの生半可で小奇麗な単語では表せない。奇妙で、だが、どんな絆よりも深く強く結ばれ、そして案外脆かったりもする。

 

 

 

 季節は春。地上は新緑芽吹き、農夫たちは鍬で土地を耕している。が、迷宮世界の環境は四季を問わず変わらない。

 ホープマンズはいよいよ三階層十五階へと到達間近である。では、どうしてさっさと降りずにこんなところで油を売っているかといえば、エドワードにとってこの浅層での探索は気持ちを静めるための散歩に他ならないからだ。

 二百年前、執政院ラーダに保管してあった第四階層以降の資料が全て盗み出された。以来、四階層への資料をまとめたくてもそこまで辿りつけるような冒険者はおらず。二百年の間、正確には三階層十二階以降のデータは空白のままであった。

 実はホープマンズより一足早く降り立ったパーティが他二組いたが、一組は恐らく全滅。

 一組は一人を残し、他は帰らぬ人となった。生存者の証言によれば、白いような青いような平べったいでかぶつが空から来襲してきて、為す術もないまま怪物にやられたと証言した。

 生存者はショックでまともに語れず、どうも記憶がうやむやで怪しいところもあるが、ともかく、とんでもない怪物が待ち受けていることだけは分かった。三階層十五階に到達するだけあって、決して弱くはない二組のパーティ壊滅の噂は冒険者たちを震え上がらせ、彼らに三階層の奥底へ行くのを躊躇わせた。四組を除き。

 一組は、オルドリッチという珍しくメディックの男が率いる六人組。

 一組は、この街を建てた錬金術師の子孫である、うら若き乙女の錬金術師が率いるパーティ。

 一組は、冒険者たちの尊敬の的であり、エドワードに冒険者と人としての道を教えた侍・源衛門率いるパーティ。

 そして、最後の一組がホープマンズである。

 明後日みょうごにちの早朝、十五階に潜む怪物を退治しに出発する。

 一階層に来たのは、原点に戻り、ともすれば荒ぶる心を抑えようとした。

 深層へ辿り着ける腕前があるからといって、一階層や二階層の探索を疎かにする理由にはならない。一度通り過ぎたら、二度と通らないわけではない。原点回帰、新米の育成、新たな発見、街から冒険者への依頼で潜ることが多々ある。

 

 

 

 探索に慣れて観察眼が優れた冒険者なら、生物を刺激せずに歩ける方法を知っている。エドワードは優秀な狩人であり、さとられずに樹海生物の背後に忍び寄ることもできる。

 執政院ラーダの取り決めで、冒険者は以前のように「冒険者」ではない。

 全てを挙げれば、レンジャー。ソードマン。カースメーカー。パラディン。メディック。バード。アルケミスト。ブシドーのどれかを自分の冒険者の職業として記入しなければならなくった。

 理由は単純、人口と冒険者の増加だ。

 いつまでも冒険者の括りではわかりにくい。四百年ほど前から、執政院はギルドの記入欄に職業技能を記入するよう命じた。

 弓、あるいは狩人の腕前が優れるようならレンジャー。医術の心得があるならメディックという具合に、各々の得意とする技能を元に職業欄に記入する。初期は大半の冒険者は馬鹿馬鹿しいと突っぱねったが、段々とお飾りのはずだった規則が浸透していき、現在ではすっかり職業の肩書きを持つのが当たり前になっていた。

 エドワードは自分はエクゥウスの戦士だと反論したものの、「レンジャーは訓練を受けた特殊奇襲部隊の意味らしい。重要な立場の戦士だぞ。なのにお前さん、折角の戦士の地位を棒に振ろうとは……。馬鹿な奴だな」こんな感じに若い自分はまんまとギルド長に乗せられてしまい、渋々レンジャーの欄に記入したのは良い思い出である。全くもって。

 地下世界に巣食う者たちは、大概が地上の生物とは容姿や大きさが異なる。

 ここでは、余程奇異な外見や大きさではない限り、蝶やネズミと表現する。

 青い蝶が木々の間で戯れ、紫の森ネズミが毛づくろいしている隙に通る。…のどかだ。地上や深層での緊張や喧噪が嘘のようだ。今日は無駄な労力をつかうまい。

 一階層は緑の樹海という呼称がある。ここの明るさは、地上の天候に影響を受ける。二階層以降になると、偽の光で地下世界は昼夜を問わず、明るい。

 エドワードはふらふらと気ままに歩いた。だが、耳と目だけは警戒を怠らなかった。一階層だから安心……なわけない。鋏を持った甲虫なぞなんのその、ときに、二階層や三階層の怪物が出現する事態もあるので油断できない。

 エドワードの耳に声が届いた。声の数は四、冒険者だろう。大声を上げて喝を入れ、相手を驚かせる方法もあるにはあるが、どうもその類ではないらしい。声の大きさとあのはしゃぎようといい、ピクニック気分ではないか。

 エドワードはここに入ってから足音はもちろん、一声すら発してない。移動は襲われないに限る。それをこんな風に声を出して歩くとは、大方、カニのような甲虫や鉤爪モグラでも仕留めて鼻でも伸ばしているのだろう。

 エドワードは足跡と声を頼りに四人を追跡した。どうも、胸騒ぎがする。四人が行き着いた先と思しきポイントは花畑。一階の要注意ポイントの一つに花畑が挙げられる。そのポイントでは、一階では本来出現しないはずの紫の毒蝶が度々出現する。稀に、深層の怪物が出現することもある。

 エドワードは危険を調子で木々の間を抜けた。もしも、彼らの声の調子があまり変わらなかったり、笑うようなら毒蝶だろう。見た目は青い蝶と特に変わらないから、油断してそういう態度に出る可能性がある。

 エドワードの予想は外れ、恐怖のあまり先細った悲鳴と獣の威嚇が重なって聞こえた。エドワードはこの獣の声をようく知っている。

 運が悪い奴らめと内心舌打ちして、エドワードは花畑のポイントへ向かった。

 生い茂る木々と草の間からこっそりと花畑の様子に耳を立てる。声は聞こえずともわかる。

 アルケミストがいるのだろう。炎か雷か。どちらかの術式で必死に草を燃やし、生草が燃えるツンとした臭いが鼻を突く。相手は次々と放たれる術式にびびり、一歩下がって、四人を油断なく見つめていた。

 相手は一声吠えた。重く唸るこの声。ここに居る訳は知らないが、実際いるのだからどうしようもない。四人の冒険者ははしゃぐ気持ちも忘れ、この未知の怪物からどう戦うかではなく、どう生き延びられるかを考えた。

 エドワードは草を掻き分け、一瞬だけ見た。赤い体。これで判明した。あれは、三階層に出現する狂暴な赤熊ではないか! 最近になり、二階層で出没する森の破壊者と呼ばれる怪物は、熊に人の顔形を足したような外見をしている。三階層の名前のない赤熊は、森の破壊者と外見が酷似し、戦い方も似通っている。森の破壊者の近縁種であろう。

 この二種類の怪物は共通して両腕に長い刃物のような爪を生やしている。これで引き裂かれれば、冑を被ってない者の首など簡単に千切れてしまう。

 赤熊はアルケミストの炎と雷で二の足を踏んでいたが、アルケミストの力が尽きたら、彼らを襲うだろう。あの樹海での移動がなってないへっぽこパーティでは、掠り傷をつけるのが関の山だな。エドワードはまたしても、今度は内心で溜め息をついた。乗りかかった船だ、助けてやるか。

 アルケミストは今日で七発目となる初歩的な雷の術式を最後に弾切れ、怪物が飛び上がって襲い掛かろうとしたとき、尻に激痛が走った。

 赤熊の怪物は横を見た。ドン! という衝撃と共に、自分の視界が揺らぎ、呼吸が苦しくなった。

 怪物の首の横と尻に鉄製の矢が一本ずつ突き刺さっていた。赤熊は背後からの襲撃者を認めた途端、エドワードは分銅付きの矢で赤熊の眉間を砕いた。

 赤熊は眉間を抑えて慟哭した。エドワードはぼけっと立ち尽くす一人から槍をひったくり、眉間を抑えたままの赤熊の胸に槍を投げつけた。穂先は鉄製なので威力はあるはず。穂先は堅そうな赤熊の胸板の奥に吸い込まれた。

 赤熊は目をカッと見開き、天を仰いで倒れた。鉄がねじれる音が聞こえた。エドワードは今日で二度目となる舌打ちをした。今度は内心ではなく、四人組に聞こえるように。

 四人のパーティ構成はアルケミスト、女レンジャー、ソードマン、バードだった。女レンジャーは恐怖と緊張の糸が途切れ、へなへなと腰を抜かしていた。

 エドワードは赤熊のけつを見た。けつの隙間から、折れた鉄矢が顔を覗かせていた。短弓用のこの鉄の矢は品がよく、一本40エンもする。矢一本を犠牲にして、四人が救えた。安いものだ。

 

「あ。えっ……と、ありがとうございます」

 

 若いソードマンが礼を述べた。物腰や三人の彼を見る目付きからして、このソードマンがリーダー格か。エドワードは一安心すると、直ぐに目をらんらんと輝かせた。

 この得も言われぬ凄い目に睨まれたソードマンは、正に蛙に睨まれた蛇。エドワードは音量を調節して、口からがみがみと雷を飛ばした。

 

「お前たちはどうかしている! ギルド長や衛兵からでもいい! 一階のこのお花畑がどんな場所か聞かなかったのか! ここは、稀にだが、こんな三階層に出現するような輩が出没する例もある。それだけではない。なんだ、あの大声は? 歩き方は仕方ない。これは長い慣れを要するかな。だがな、せめてそのくっちゃべく口を閉ざすぐらいの賢さは身に付けろ!今日はたまたま気晴らしに俺が散歩でここを通りかかったからいいものの! 俺や他のパーティが駆け付けなかったら、お前たちは今頃、あの赤熊の腹ん中で顔を突き合わせていただろうよ」

 

 四人はただ項垂れ、悔しい気持ちを噛み締めて、自分たちより年嵩としかさのこの救援者の説教を黙って聞いていた。命を助けられた相手が言う事はどれも正しいからだ。

 中にはエドワードを睨める者もいたが、気にしなかった。むしろ、良いことだ。ここでは、仲間以外には気を向けないほうがいい。なんせ、昔ほどではないらしいが、世界樹の迷宮では時に、人間すら同じ人間に牙を向くことがあるため油断できない。

 エドワードは説教をするのはあまり好きではないが、今回は違った。全てとまではいかないが、助けた以上、彼らの安全を確保しなければならない。自分に叱られたことで反省するのもよし。頭ごなしに怒鳴りつけられたことに対する怒りと侮辱で、自分に敵意を向けるのもよし。

 要はしゃきんとしてくれればいい。そうなれば、さっきのちゃらんぽらんと気の抜けた状態よりかは幾分安心といえる。

 エドワードは細々と注意したのち、無事な矢だけを拾って立ち去った。ソードマンの男が「これは」と赤熊を指した。エドワードは首を振った。

 

「要らん、お前たちにやる。爪は奇跡的にも折れてないし、皮もそんなに傷付いてない。綺麗に剥ぎ取れば、ネズミとモグラ十匹分よりも得られる物は大きい」

 

 若きソードマンは舌打ちを堪え、もう一度救援者に頭を下げたのち、救援者の名を尋ねた。

 

「俺は騎馬民族エクゥウスの出身であり、ホープマンズ所属のレンジャー・エドワードでもある。それと、喋るにしても、ちゃんと潜めて喋れよ」

 

 四人はアッとを顔を見合わせた。自分たちのような新米の端くれでも名だけは聞き及んでいる。クイーンアントとかいうどえらい蟻の怪物を討ち取った、あのホープマンズのリーダーに助けられるとは、彼らはつくづく自分たちの幸運を祝った。

 エドワードは垂れ下がった若木の枝に小さなベルを吊るしていた。人間には聞こえない、樹海生息生物にだけ効果がある獣除けの鈴。深層では気休め程度にしかならないが、一階層では目に見える効果がある。エドワードは四人の足音を拾った。

 もう、べちゃくってはない。歩き方からして、急いで帰途についていた。冷静な判断だ。一番の戦力であるアルケミストはあの様だ、次にまた強敵に襲われたら、助からまい。

 若木からベルの紐をほどき、袋に入れた。地上へ戻ろうと出入り口付近まで来れば、例の鉤爪モグラが三体現れた。やれやれ、今日は極力血生臭さは避けたかったが、しょうがない。エドワードは鉤爪で切りかかった三体の攻撃を回避して、サッと左手で三日月刀を抜き払い、刀の横で鼻っ面をひっぱたき、怯んだところを返す刀で三体の喉仏を深く切り裂いた。横へ飛びのき、返り血を避けた。

 エドワードは三日月刀で身悶える三体の頭を順に割った。モグラ共に止めをさした彼の目には僅かな情があった。

 ふと、モグラ共の後ろに苔むしたかたっぽしかない長靴を発見した。用心してひっくり返すと、嬉しいことに、中から握りこぶし大の白石が転がり落ちてきた。

 

「矢の補充代金と酒代ぐらいにはなるか」

 

 

 

 上を見上げた。世界樹の枝と葉が風に揺らいでいた。

 太陽の栄養はたっぷりと貰ったが、肝心の人や生物たちの血肉の養分はたいして吸えなかった。エドワードは、少々ご機嫌を損ねた世界樹が貧乏揺すりしているかのように思えた。

 あほらし。彼は自分のその幼稚な考えを鼻で笑った。白石を売り払うため、内壁の門を出てすぐ、大通りを真っ直ぐ南に下って左側にある冒険者ご用達の店シリカ商店へ直行した。

 


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