世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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一六話.生け贄

 小隊長の一人が副隊長に代わり、現状を報告した。

 小隊長の口から起きたことを聞かされ、ゲンエモンは目の前が絶望で暗くなり、ぎらりと光る眼差しで副隊長に一瞥をくれた。副隊長は、ゲンエモンのその眼差しに気付かず、ただただ頭を垂れていた。小隊長はそれとは別に、新種の樹海生物についても言及した。

 

「恐ろしかった……しかし、モリビト以上に恐ろしかったのは、あるモンスターです」

「モンスターとな?」とゲンエモン。

「はい。見たことがない奴です。体は黄色く、背中には蝙蝠の羽根があり、眼は不気味にしっとり淀んだ緑、頭には二本の真っ直ぐに伸びた黒い角を生やした獅子頭の魔物。そいつは、至近距離から二発の弾丸と数本の弓矢を食らったにも関わらず、その状態でしばらく動いて、我々を執拗に攻撃してきました。

 ほかにもめぼしいのはいましたが、あんなに強く、昆虫並みにしつこい生命力のモンスターを見るのは初めてでした。おまけに、毒息も吐いて」小隊長はくいと顎を動かした。右端にいる一人の衛兵が、顔を両手で押さえていた。「一名、目をやられました」

 

 ゲンエモン副隊長に掴みかかりたい衝動を抑え、冷静に指示を出した。

 

「ご苦労。では、あそこにいる彼を含め、君と動ける気力のある者たちは負傷者をただちに施薬院を連れて行くのだ。副隊長補佐は彼の代わりに、執政院に報告をしてくれ。フリスト副隊長殿は、わしと一緒に内壁の中にある詰所にて、少し話し合おうではないか」

 

 副隊長はぴくりと反応を示したが、今の彼は、ゲンエモンの話し合いを拒否する気持ちも失われていた。

 小隊長と副隊長補佐の指示により、帰還した部隊は速やかに内壁内部から引き上げた。ゲンエモンは副隊長の腕をがっちりと掴み、強引に詰所へと連れ込んだ。詰所の衛兵たちは只ならぬ空気を察知し、緊張した。ゲンエモンは彼らに微笑みかけた。

 

「案ずるな。流血沙汰には発展するような馬鹿な真似せんし、させん」

 

 副隊長は糸が切れた人形のように、ゲンエモンに座らされるがまま椅子に置かれた。 

 ゲンエモンは常として、相手がどんな悪人であれ、まずは敬意を抱いて接することにしている。

 だが、副隊長のこの様子を見て、ゲンエモンは彼に敬意を払えなくなった。それどころか、憐みすら覚えた。彼の身勝手さ、彼の器量の狭さには心底愛想を尽かされた。

 薄々気付いていたが、やはり、彼は獅子身中の虫であった。

 可愛い一人息子だからといって、甘やかされたのが原因だろう。

 部下の犠牲よりも自分の地位が危うくなることにショックを受けているのも、呆れる。身を焦がしそうな憤りをぎりぎり抑え、表面上は敬意を払いつつも、狙いを付けるように副隊長の顔を見据えた。ゲンエモンの眼光の鋭さに、副隊長は目を逸らそうとしたが、ゲンエモンの眼力は彼が目を逸らすことを許さなかった。

 

「さて、昨夜は上手くいきませんでしたが、今日こそはじっくりと語り合いましょう。あなたがお望みとあらば、ミルティユーゴ殿や執政院の方達をも交えての語り合いの場も用意しましょう」

 

 副隊長はようやく、何をと言いかけたが、ゲンエモンの眼光の鋭さと内から漂う張りつめた凄気(せいき)に押され、慌てて文句を言いそうになる口を閉ざした。

 下手なことをこいつに抜かせば、首が落ちる―――副隊長は本能で悟った。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 エドワードは目を覚ました。黒い熊のような体躯に自分は抱えられていた。

 一暴れしようと思ったが、その考えはあまりにも無謀であり、頭はずきずきして視界もぼやけ、体を縛られ目隠しもされているので、下手に動いたら、このデカ物の拳骨が飛んでくるだけだろう。

 自分以外にも、小柄なキアーラも背負われていた。四階層まで来られるだけあって、並の体力と精神ではない。ただ、カースメーカなる陰気で動かない職のためか、幼っぽい外見通りというべきか、他の者より体力が劣る。よく見たら、身体に何か貼られているがどういった物かまではわからない。

 目を瞑るな。逸らすなとも教えられたが、今回に限っては師の教えを無視したほうがいいだろう。エドワードはこのまま、眠ることにした。再び目を覚ましたエドワードの視界に入ってきたのは、縄で何重にも固定された何本もの寂れた太い木材だった。

 

「目を覚ましたか!」

 

 周囲が騒ぐ。エドワードはぼやけた顔で、頭が動くままに任せて辺りを見渡した。馴染みのある者たちの顔、太い木材と縄。

 エドワードは毛皮を縫い合わせた毛布を被せられ、後には彼の包んだマントが敷かれていた。他の者にも、一枚ずつ毛布が薄っぺらな毛皮製の毛布が宛がわれていた。

 声を出そうにも、掠れてでない。

 ジャンベがこれをと、水が入った木のお(わん)を差し出した。半分飲んでジャンベに返し、エドワードは改めて、「ここはどこだ?」と誰にともなく聞いた。後頭部をさすり、巻かれた物を引き寄せると、茶色い布が頭に巻き付けられていた。

 

「モリビトの牢屋さ。あんたは眠らされていたからいいものの、俺たちゃ遅れれば、軽くぶたれて酷い目に遭ったよ」

 

 軽薄な声で答えたのは、木材の一本にもたれかかったオルドリッチ。オルドリッチの左頬には痣がある。

 

「……そうか……我々はいわゆる捕虜になったのか……」

「捕虜として生かされれば、まだ幸運でござる」そう言ったのは、コウシチ。

「あやつら、我らをただ生かして口を割らせるためだけに、ここへ連れてきたようではなさそうだ」

「分かるのか?」

「我らの言語を解する一人が、『お前たちの命日は今日から一四日後だ』と言っておった。恐らく、良からぬ企みに使われるやもしれぬ。ええい! 口惜しい。あのとき、喉を切っとけばよかったかな」

「そんなさもしいこと言うなって」

 

 オルドリッチは背を牢材にもたれて、上を見上げたまま言った。

 

「案外、助かるかもしれないぞ。それに、一四日後とやらが、逆に脱出のチャンスになると思うぞ」

「そなたのお気楽な姿勢には感服するよ」

 

 コウシチの皮肉にも、オルドリッチは至って無反応だ。

 木材牢屋は高さ四メートル、縦幅八メートル、横幅二十メートルのスペースがあり、意外にも広い。

 エドワードは牢屋内に誰と誰がいるかを数えた。

 自分、ジャンベ、オルドリッチ、コウシチ、ベルナルド、火縄銃の扱いを心得た衛兵四人の内二名、双子のダルメオとダルカス、エドワードが案内したことがある盾持ちの衛兵の二人。たかだか十人程度なら、この居住スペースでも我慢できないこともない。外は茨やつる草が絡み合い、天然の要害を築き上げていた。植物は細いものでも指ぐらいの太さがあり、切れ味がある剣を振るっても、切り開くには苦労しそうだ。

 後方。やや離れたところから声をかけられたので、振り返ると、三十メートル離れた木材牢屋の中から、ロディムが立ち上がって手を振るっていた。

 コルトンはその隣で、気軽な挨拶な感じで小さくを手をようと挙げていた。見張りのモリビトが槍の柄で木材を叩き、はしゃぐロディムを黙らせた。あちらの牢屋では、残りのメンバーの姿が見受けられたが、自分が居る牢屋とお隣の牢にも女性陣の姿が見当たらない。

 前、それとも後ろ、右か? どちらでもよかった。牢の右(多分)から移動し、前に行き、外を見ると、同じく三十メートル離れた先にも木材牢屋があり、そこに女性陣の姿があった。

 

「そうそう、今日はもう、正確には十三日と半日だ。トル・ホイの樹とやらが枝垂れきっているからね」

「トル・ホイの樹?」エドワードは聞き返した。

「俺が話そう」

 

 立って背もたれていたベルナルドが、黒い長髪を払い除けた。

 

「曲がりなりにも、職業欄に狩人(ハンター)の名を冠しているしな。あんたほどではないが、それなりの観察眼と状況説明能力はあるよ」

 

 ダークハンターのベルナルドはここに来るまでの事を説明した。所々、オルドリッチなど他の者が訂正したり、口を挟んでくれたおかげで、エドワードは大体の事を把握した。

 犠牲者の数は一名。衛兵の一人が罠に嵌まり、そこを樹海生物に襲われて死んだ。

 生き残った三十人は、猿轡で口を閉ざされ目を布できつく縛られ、途中まで歩かされた。僅かでも反抗の素振りを見せれば、手や肩をぶたれ、頭や頬を槍の柄で軽く叩かれた。オルドリッチの左頬の痣もそのときつけられた。

 感覚からして、十七階にまで連れてこられたとき、モリビトの間からブーイングの嵐が起きた。僧侶たちは文句を言う戦士たちを黙らし、三十人の捕虜たちはモリビトの背や何かとても大きな者たちに担がれて移動した。

 丸一日、大急ぎのスピードで、幾度となく運搬役の者たちは交代した。そうして、彼らは現在、見渡す限り茨と樹に囲まれた場所にある木材牢屋に放り込まれた。

 コウシチは餓死か、舌を噛み切るか、強引にモリビトに歯向かって死のうとした。しかし、オルドリッチが許さなかった。馬鹿な行為は絶対許さん。いつにない迫力で、オルドリッチはコウシチの栄誉ある死を阻んだ。

 トル・ホイの樹とは、地上の言葉で表せば時折れ告げの樹という名称のようで、紫の衣を着た一人が教えた。モリビトたちの時計のような存在。一回伸びれば、地上の時間で言えば、六時間過ぎたことになり、同じく枝垂れれば、六時間過ぎたことになる

 カースメーカーたちはお札のような物を貼りつけられた。モリビトの僧侶たちが特別に大地の力を込めた魔を封じる札であり、そのせいで、キアーラなどは力が使えなくなった。エドワードはキアーラの身体に貼られた物の意味を知った。

 オルドリッチは外を指した。オルドリッチが示した方向を見た。他の樹より太く、弛んだ贅肉腹のような形の樹があった。その樹は枯れたように木全体が枝垂れており、これがトル・ホイの樹であろう。

 

「現状が理解できたよ。では、今後の事は誰が説明してくれるかな」

 

 ベルナルドがお手上げのポーズをしてみた。

 

「さあね。そいつは、モリビトたちに聞いてくれ。奴らのお偉いさんだかが、今日か明日には来て、訳とか色々話してくれるそうだ」

 

 エドワードは二人の衛兵にも物を尋ねた。

 衛兵たちは暗い顔で、盾サン役の彼が死んだと語った。

 それとは別に、糸目で坊ちゃん刈り、人の良さそうな弓兵のアレイというの名の彼は、待機中の部隊にいるという。彼は事情があって、緊急事態に限り、通常の戦闘には参加しなくて良い許可が下りたらしい。

「運の良い奴ですよ」そう言ったのは、盾ワン役の衛兵の彼。

 エドワードは最初、否定していたが、段々と認めざるを得なくなった。

 自分たちはモリビトの罠に嵌まり、モリビトたちに捕えられ、いかがわしい計画の餌とかに使われるかもしれない。動きたいが、こう捕えられ、当然武器まで取り上げられては、思考と会話しかできない。

 運を天に託すのみか?

 それでも、エドワードなどの男性たちは、一点モリビトに感謝すべきことがあった。女性と男性を分けてくれたことだ。極限の状態や自由が拘束された状態では、男女はよからぬ関係に陥ったり、男が豹変して女を襲う可能性がある。本人に全くがその気がなくとも、体や下半身の欲求不満と本能を抑えきれず、レイプする恐れがある。

 だから、男女を別々の牢屋に分けてくれたことだけは感謝したい。

 エドワードは礼を言うと、水の入った丸い椀を持ち上げた。

 

「ところで、ジャンベ。この水の椀はモリビトが?」

「はい、そうです。時間は判りませんが、ちょくちょく水が入った桶を持ってきて、柄杓のようなもので椀に水を入れていきます。この椀は誰の物でもありませんが、手付かずでしたので、今日からこの椀がエドワードさんの物になります。食事とかも、日に二度ぐらい運んでくるようです」

「その食事を持ってくるときが数少ない楽しみなんだよな」ベルナルドなどが意味ありげないやらしい笑みを浮かべた。

 

 エドワードは首を傾げた。食事ではなく、モリビトが食事を持ってくる事自体が楽しみとは。

 トル・ホイの樹が全体の四分の一まで伸びたとき、地上の時間で大よそ一九時から二十時ぐらいだろうか。

 エドワードは食事を持ってきた者たちを見て、ベルナルドの言った意味や意味ありげな笑みの意味をすぐに理解した。

 絹のような緑の髪と青紫の長い髪のモリビトの女が二人ずつ、戦士に交じって食事を運んできた。彼女らの髪は地面すれすれまで伸び、背も普通のモリビトの成人男子より高い。腰には長い鞭を携帯していた。

 注目すべきは四人の容姿と恰好である。

 滑らかな腰つきとくびれ、ふくよかな乳房。身に着ける物は綺麗に仕上げられた布一枚であるが、下半身だけ身にまとい、二人は上半身に服らしきものを一切身に着けてない。そして、整った目鼻立ち。あのときの紫の衣を着たモリビトも悪い顔ではなかったが、今ここにいる四人と比べたら、大分見劣りする。人間の基準からしても、四人のモリビトはかなり上玉の美女である。

 これなるは、モリビトの戦乙女と名付けられた者たち。通常のモリビトより力を有し、歌には魔力が秘められている。地の戦士と違い、彼女らの遺伝子は次代に残せることが可能であり、選ばれた一握りの戦士と僧しか彼女らと契りを結べない。

 エドワードやコウシチは警戒し、探るような眼差しをその四人や戦士たちに向けたが、大半の反応は異なっていた。

 

「お嬢さん方こねぇかな」

 

 ベルナルドはにやけづらを隠そうともしない。他の者も無理に引き締めているが、ふとすれば、顔が崩れてしまいそうだ。

 ジャンベもエドワードに倣い、顔を厳しく保とうとしたが、エドワードに「綻んでるぞ」と指摘され、慌てて口を噛み締めた。横目でロディムやコルトンが居る牢屋を見てみたが、心なしか、ロディムが喜んでいるにように思えた。心なしではなく、本当に喜んでいるかもしれん。

 呑気な奴らめと思ったが、コウシチの言っていた言葉を思い出した―――十四日後。少しでも、死ぬ前の恐怖を紛らわせれば、それはそれで良いかもしれん。度を過ぎたら注意するが、他人の気の紛らわしかたにまでは口を出さないでおこう。

 それに、ベルナルドなどはにやけていても、目には隙がない。他の者も同様に。彼らも隙あらば、脱出や反撃のチャンスを狙っていた。油断していると見せかけて、しっかりと警戒を怠らず、敵意を維持していた。それを知って、エドワードは安心した。

 エドワードはモリビトの美女たちを見た。素直に美しいと思った。それだけだ。どうせ、俺たちとは関係ない。抱かせてくれるわけでもないし、あれらも敵だ。

 隙を狙って、あの鞭を奪い、首を絞める事も考えたりしたが、向こうも向こうで警戒しているから難しい。

 土を掘ることも考えたが、作りを見ると、どうやら、木材は土中まで繋がりしっかりと下の方も結ばれているようだ。

 座して待つのみか? いや、チャンスは必ずあるはず。

 捕えられた者たちのなかでも、一番残酷かつ現実的な事を考えているのはエドワードであった。

 

   ****

 

 食事が盛られた椀は、水の入った椀を大きくしたものだ。自分以外の者は既にモリビトから与えられた食事を口にし、生きているので、毒は入ってないだろう。

 てっきり、げとげとした液体やら不純物とか大きなミドリムシがぶちこまれているものと思いきや、良い意味で裏切られた。

 でこぼこした黄色と赤で彩られたフルーツっぽい物を置かれた。皿の中身は、焼けた肉。緑野菜の葉っぱ的なものに、尖がった黄色いお米のような物まで添えられていた。外見は地上で見る食材とは少々異なるが、悪くはなさそうだ。

 

「この果実や肉は初めてですが」ジャンベはぼこぼこした果実を掴んだ。「この葉っぱと米は最初に出されたメニューにも入っていました。この肉と果実にも毒は入ってないと思います」

 

 モリビトが持ってきた食べ物をエドワードが疑り深く見ていたのをみて、ジャンベは大丈夫ですよと説得し、試しに一口かじった。

 

「どうだ?」見ていた衛兵の一人が感想を尋ねる。

 

 ジャンベはにっこり笑った。「薄い酸味の味がします。なんのお肉かは知りませんが、多分、お肉も普通に食べられると思いますよ」

 毒味したジャンベの感想を聞いて、他の者たちも少しずつ、料理に手を出した。喉が乾いたので、エドワードも果実から手を出した。確かに薄い酸味の味がする。癖になる味ではないが、喉の乾きを癒すには十分だ。

 果実を半分かじり、お次は肉に手を付けた。ただ焼いただけだが、贅沢は言ってられない。

 高貴な身分の者ならまだしも、たかだか一兵卒の捕虜待遇としては、むしろ優遇されている。コルトンはこう言っていた。大抵の場合、捕まった名も無き兵士は悲惨な末路を辿ると聞く。

 この先、良からぬことが待ち受けているのは間違いないが、牢屋に放置され、干されて死ぬよりかはましだなと思った。

 水は貯め置きしたいが、そうすると、水を入れてくれないらしく、飲んで空にするかしかない。

 エドワードは自分とジャンベが居る牢を一の牢と勝手に呼ぶことにした。コルトンらが居るのは二の牢、アクリヴィやマルシアが居る牢は、女郎とかけて一の女牢(じょろう)とでも命名した。

 

《二の牢)

「俺としちゃ、あっちの牢屋にぶちこまれても良かったのに」

 

 ロディムは女性陣が捕えられた牢屋を見つめた。

 

「だとしても、お前さんは手をもじもじさせるだけで。そのまま手出しもせずに終わりだろうな」

 

 コルトンはロディムを無視し、隙間から外を窺った。木材は太く、固い。下手な安打物の鉄剣より頑丈な造りだ。縦にした手ぐらいなら通れるが、自分の太い腕では無理である。それは自分以外にも当てはまる。とはいえ、軟体動物のような体の造りでなければ、人間がここを通るのは無理であろう。

 鬱々として思いもエドワードが目覚めたことにより、安堵して、何故だかこの事態も切り抜けられそうな気がしてきた。

 この牢にはコルトン、ロディム、カールロ、アデラ率いるパーティ・レッドユニティのアルケミストのクリィル、銀髪のバジリオ、五人兄弟の三つ子の一人、小隊長以下、衛兵三名である。

 コルトンにもロディムにも、これといった策はない。チャンスがあれば、一四日後の命日とやらかもしれない。ともかく、今は訳を説明してくれるお偉いモリビトが来るのを待つのみである。美女と戦士たちがやってきた。ロディムがへへとにやける。コルトンは顔をしかめたが、ふと気を抜いたら、ロディムのように顔が崩れてしまいそうだ。

 女性陣には二人、こちらには美女一人が来た。奇怪な形の果実であったが、気にせず食べた。毒入りだとしても、死期が早まると思えば、却って気が楽だ。そうして、無言の時。全員四階層まで来れる実力を有するだけあって、心身共にタフであるが、まだ慣れないこの状況では、語る気力すら起きなかった。

 

「ああ。せめてリュートでもあれば、この限りなく退屈な時間を紛らわせるのになあ」

 

 そう小声で愚痴るのは、バジリオ。彼とジャンベの楽器も当然、取り上げられた。

 

「少しは退屈をしのげるかもしれんぞ。外を見ろ」

 

 来てから、食事時以外は殆ど立ちっぱなしのカールロが牢の端にまで寄り、外を眺めた。ロディムがどれとぴったり張り付くように覗くと、モリビトが槍の柄でロディムが覗いている付近を叩いた。

 

「何でおれだけ!?」

「お前は近寄りすぎなんだよ。少し離れろ」

 

 ロディムはカールロの言われたとおり、今度は少し離れた。

 牢屋番のモリビトや他のモリビトたちが、急に畏まったように姿勢を正した。笛の音が聞こえた。あの一八階での戦闘で聞いた笛の音とは少し異なる。

 

「どうやら、奴らの事情を話してくれるお偉いさんのおでましのようだな。では、ほれ小隊長さん。立場上、この面子ではあんたが一番偉いわけだし、そんなむっつりとした顔して機嫌でも損ねられたら、この場でお陀仏だぞ」

 

 小隊長は頑固な反応を示した。

 

「敵の手の平に踊らされるぐらいなら、死んだほうがましだ。地上にある街にこれ以上、迷惑をかけずに済む」

「そうかい。だが、俺はまだ死のうとは思ってない。ともかく、形だけでも礼を見せたらどうだ?」

「忠誠深い軍人魂は素晴らしいですが、その魂と誇りを守るためにそんな態度を取ったら、虚しい空威張りにしか見えませんよ」とコルトン。

 

 小隊長は副隊長ほど頑固ではなかった。カールロとコルトンの忠言を聞き入れ、来るであろうモリビトのお偉方と会うため、胸を張って真っ直ぐな姿勢で立った。

 吹き鳴らされた笛の音が止んだ。ついにモリビトの総大将のおでましである。

 

《一の女牢》

 女性陣は会話もせず、じっと立ったり、座ったりした。

 彼女らの仲は決して悪くないが、ショックから立ち直れず、まだ話す気力が起きなかった。

 この牢には、アクリヴィ、マルシア、シショー、キアーラ、アデラ、ブルーナ、レッドユニティのレンジャー、三つ子のジョハンナとトルニャにフィリが閉じ込められていた。

 アクリヴィもだんまりを決めていたが、自分の考え事を邪魔されたくないためでもあった。彼女は心の片隅で、ずっと引っかかっていることが二つあった。モリビトを見るのは初めてであるが、モリビトにまつわる伝承をどこかで耳にした記憶がある。

 静かに目を閉ざし、師と共に渡り歩いた過去の世界を旅する。そう、どこかで。あの日あの時は、紛争やらの騒ぎで、じっくり話を伺えなかったが、少しは話を聞けた。確か、あれは……。

 

「……緑髪(みどりがみ)死人鬼(しびとおに)……」

 

 アクリヴィが思い出すように呟いた一言は、静寂な牢内では思った以上に響いた。

 

「アクリヴィさん、緑の鬼がどうしたのです?」

 

 ざっくらばんに伸ばした燃えるような赤髪、その赤髪に負けず劣らず赤い瞳、街の男に若乙女も振り返そうな凛々しい顔立ち。

 まだ若いが、既にチームリーダーとしても冒険者としても、街に来たばかりの頃と比べ、一人前の頼もしい顔付きに成長した女。パーティ名・レッドユニティのリーダーであるアデラが、アクリヴィに聞いた。

 

「関係あるかどうかわからないし、思い出す前は、どこかで聞いたことがあるような気がしないこともないというぐらい、曖昧模糊な記憶だった。けど、ようやく思い出した。エトリアから歩いて、順調に進んでも、二カ月も離れたところにある山岳地帯の村があるの。そこは、他と幾つかの部族と宗教関係のトラブルがあってって、これはどうでもいいわね。ともかく、そこで、”緑髪の死人鬼”という物語をほんの少し、村のお婆さんから聞いた。ただ、その日の夜、別の部族がそこの村に侵入してきて、騒ぎから逃げようと、話の途中で師と共に命からがら、そこから逃げ出した。……あれは、辛かったわ。三日間、食事も水もろくになかったし。ごめん、また逸れたわね。語ったところでどうにもなりもしないけど、暇潰しぐらいにはなる」

 

「語ってちょうだい」と言ったのはマルシア。

 

 アクリヴィは語った。といっても、彼女自身、今こういう話があったなと思い出したばかりで、殆ど語れなかったが、幾つか重要な点があった。

 緑髪の鬼の先端は朱色、目玉は血のように真っ赤、肌は死人のように青白いという外見を説明する下りだ。緑髪の死人鬼には、サイズを小さくした妖精のような鬼もいるとも語られた。物語は村人たちが鬼と出会い、鬼とどう付き合うか判断するところで終わった。

 緑髪の死人鬼の短い物語を聞き終えた後、全員の顔は驚愕していた。

 

「モリビトは昔、地上に出た。あるいは、地上に出た一派もいたのかしら?」

 

 疑問を簡潔にまとめて答えたのは、キアーラ。

 彼女は首や手足に一枚の布が巻かれた。その布は複雑な絵やら文字が書かれ、簡単に取れそうなのに、引っ張っても取れず、彼女も力技では無理と言った。

 

「そのどちらかか、どちらもかもしれない」とアクリヴィ。

「どういう意味?」

「つまり、地上に出た一派がいたとする。その地上に出た一派が地上は安全だと言ったあと、より多くの者たちを引き連れて、地上に出た可能性もあるということ」

 

 マルシアが首を傾げた。

 

「でも、仮にそうだとして、そんなにぞろぞろ多くでたら、緑髪とかとは異なる名称だろうけど、あの人たちに関する伝承はもっと地方に残ってると思うわ」

「まあね、あくまで推測にしか過ぎない。だけど、昔話には必ず意味があるはず。確証はないけど、この物語は昔、モリビトが地上に出た可能性を示している」

 

 アクリヴィの心は好奇心で疼いた。モリビトから話を聞けるものなら、一度聞きたい。

 彼らの伝承、暮らしぶり、自身の文化への観念、厳しく残酷な地下世界で生き抜く方法など、興味が尽きない。

 小さくを息を吐いた。

 無理だろう。少なからず、自分もモリビトたちを殺めた事実は否定しようがない。師は無益な殺生を拒んだ。もし、自分も師のような姿勢を貫いていたら、あるいは。

 離れた牢が叩かれる音がした。小さく驚きあげた声は、ロディムだった。思わず、鼻で笑った。笛が鳴り響き、アクリヴィは考えるのを一度止めた。

 

「前の笛とは異なる感じだな」

 じっと正座姿勢のシショーが初めて口を開いた。

「ええ、そうね。賑やかといおうか…そう、歓迎しているみたい」

 

 マルシアの言っていたことは概ね当たった。

 笛の音が鳴り止み、ぞろぞろと紫の衣を着た数名と紅服を着た戦士たち。集団の先頭を居丈高に歩くのは、とても背の大きなモリビトだ。

 他の子供ぐらいのモリビトと比べ、そのモリビトだけは地上の男の大きさぐらいあった。随分着飾り、手には鳥の羽で飾った長い鉄製の槍が握られ、精悍な顔には顎鬚がよく似合う。地上の貴族の服装をしても、このモリビトなら優雅に着こなせそうだ。そう、そのモリビトには自らの自信から来る余裕と気品さすら漂わせた。

 周りのモリビトもそのモリビトを敬う様子が見て取れた。

 

   ****

 

 小隊長はぴしりと居住まいを正した。想像とは大分異なる相手を見て、自らもできる限り、礼をわきまえようと思った。一団がちょうど三つの牢の中間地点に着くと、長と思しきモリビトは声を出した。そのモリビトはびっくりするほど、流暢な言葉で話した。

 

「諸君らに、指導者に位置する人物はおらぬか。いなくとも、話を進めるが」

 

 小隊長は名乗り上げた。

 

「エゴイツと申します。私は高い身分の者ではありませぬが、今は捕えられ、引き離された三十人の部隊を率いるよう命じられた者です。あなたの言葉に従えば、一先ず私が指導者の位置にあたいするかもしれません。ご不満であれば、引き下がります」

 

 モリビトは一団を置き、一人で小隊長がいる牢に近づいて彼の顔を見た。

 小隊長は気圧され、いたたまれない気持ちになった。自分如きが、このモリビトと接していいのか。モリビトは手が届くか届かない範囲まで来て、言った。

 

「確かに私は言った。今だけは、この捕えられた者たちの中ではそなたが一番偉いことになる。だが、最初にも言ったとおり、これから語ることは指導者のみではなく、ここに捕えられた者たちに聞かせる。私がこのことを問うたのは、いざという時でもまとめ上げられる立場の人物がいるかという意味もある。そして、そなたに人をまとめ上げる力がどの程度具わっているかは分からぬが、期待はしておこう」

 

 モリビトは中央に戻ると、大声で語り出した。まるで、民衆に演説する敏腕政治家や軍人のようである。

 

「私にはとうに名は無い。だから、身分は明かそう。私は大僧正長、皆からは神官とも呼ばれる。分かりやすく例えれば、モリビトの指導者であり、神鳥(しんちょう)にお仕えすることを許された唯一のモリビトでもある。

 自己紹介はここまでだ。私は彼以外の名や身分を尋ねる気はない。それでは、短刀直入に言おう。そなたらは、今より十三日と半日後。トル・ホイの樹が残り五十三回伸び枝垂れる頃、ここより下の階、君らの言葉で言えば、二十階かな? 二十階の神鳥の広場にて、神鳥生誕祭のお供え物になってもらう。その間……」

 

「ざけんなよ!」

 神官の演説を阻んだのは、ロディムだった。

「何が供え物だ! とっとと槍でも火でも付けろ! 慎重だかキンチョーだかしんねぇが、そんな訳分からん供え物になってたまるか」

 

 言葉自体は分からなくても、口調と態度から侮辱されたのを知った見張り役のモリビトは、ロディムを槍で刺そうとしたが、神官はモリビト語で「待て!」と止めた。

 

「待つのだ。どうせ、十三日までの命。それまでの辛抱だ」

 

 見張り役は槍を置き、跪いた。神官は人にも分かる言葉で話を続けた。

 

「命が惜しくないなら、いくらでも吠えるがいい。今は止めてやるが、私がいない時にそんな口の利き方をすれば、もうそこにいる者の槍を止められんぞ」

 

 まだ何か言いたげなロディムを、コルトンとカールロの二人がかりで押さえた。

 

「癪に障るのは分かるが、この状況ではいくら何を言っても、無駄なだけだ。お前が叫んで名誉ある死を遂げても、俺や他の奴はまだ死にたいと思ってない」とコルトン。

「戦場から逃げたビビりに言われたくないね」

 

 この挑発を聞いて、捕まって苛立つコルトンはロディムを殴りつけてやろうと思った。そのとき、隣の牢から鋭い声が発せられた。

 

「黙れロディム! お前の気概は買うが、口を開けるべき時と閉ざす時を知れ! 俺に叱られたのが悔しければ、大人になり、まずはモリビトの話を聞け! 文句はそれから聞いてやる」

 

 ジャンベは、エドワードの怒鳴り声の冷たさと凄さに驚き、一歩分身を引いた。エドワードは礼儀正しく、仲間内でなくても気軽に話すような人柄だが、怒ったときの彼は本当に怖い。

 エドワードに怒鳴られたロディムは親に叱られた拗ねた子供のように、口をむっつりつぐんで牢の木材部から離れ、ゆっくり座った。コルトンも、自分が叱られたわけでもないのに、殴りつけようとした自分が子供っぽく思え、ロディムから離れて座った。呆れたようにカールロは首を微かに振るった。エドワードは立ち上がり、仲間の非を詫びた。

 

「話の腰を折って済まない。供え物とやらの話の先を続けてくれ」

 

 エドワードのこの言い方も、身分が上の相手には少々失礼であるが、モリビトの神官はエドワードが居る牢をチラと見ただけだ。

 

「よかろう。その間、君らには生きる為、儀式の一日半前までは食事を与え、前日までの間は水を与える。理由は簡単。神鳥の御膳に供えるものは、身を清めなければならぬのだ。そして、儀式より三日前にはある試練もこなしてもらう。私が語るべきことはこれまでだ。十三日後にまた会おう」

 

 一団が去ろうとしたとき、またしても、彼を阻む者がいた。

 

「待って!」

 二の牢からだ。次に阻んだのは、アクリヴィだ。

「聞きたいことがあるの、あなたたち昔、地上に出たことがあるの?」

 

 神官は二の牢に三歩分近づき、聞いた。

 

「だとして、それがそなたと何の関わりがある?」

「関係ないでしょうね。だけど、試練とやらと私の知っているモリビトにまつわる伝承は何か関係があるのかな? そう思っただけよ」

 

 アクリヴィの言ったことに、二の牢に居る者たちはアクリヴィの企みに気付き、密かにほくそ笑んだ。

 神官は興味が湧いたらしく、アクリヴィに話すよう言った。アクリヴィは緑髪の死人鬼の物語を伝えた。ついで、「試練」との関係性を伺った。

 

「何の試練かは知らないけど、聞けば、もしかしたら、緑髪の死人鬼と呼ばれた者たちとモリビトの関係性が分かるかも」

 

 しばし無言ののち、神官は肩を震わし、くくと薄ら笑いを浮かべた。

 

「緑髪の死人鬼、とな。失礼な表現だ。お主の言うとおり、遥か昔、我らの先祖の中で地上進出を果たした者たちがいた。彼らは三世代の繁栄を果たせば、メッセンジャーを送るという言葉を残した。だがしかし、メッセンジャーは何千年経った現在も来ない。それをまさか、地上の者から聞かされるとは……皮肉よな。一人残らず殺されたと考えるべきか。これだけは答えておこう。試練とお主が知るその伝承は、何の関わりも持たぬ。試練は歌を聴く。それだけだ」

 

 もうこれまでだと、神官は話を打ち切った。まだ話を聞きたかったが、これ以上はこの勘の良さそうな相手には不味いと思い、地上風の謝辞の作法をして下がった。

 神官と一団は来た時と同じく、歓迎の笛で見送られた。

 

《一の牢》

 アクリヴィさんが語った緑髪の死人鬼は初耳であるが、全員、彼女には感謝していた。

 アクリヴィさんのお陰で、試練がどういった内容なのか知ることができたからだ。

 

「歌か。儀式には上手い歌の奴しか駄目なのか? だとしたら、十日後までには生き残れるのはジャンベとバジリオだけだな」

 

 オルドリッチは冗談めかした。ベルナルドが喋った。ベルナルドは隙あらば、退屈がちな獄内の湿っぽい雰囲気を盛り上げようとした。

 

「俺は自信があるぜ。何なら、歌ってみようか」

「歌わんでいい」と、オルドリッチはにべもなく言った。二人のしょうもない漫才劇の反応はいまいちである。オルドリッチはすっくと立ち上がった。

「ええと、まあ。どう転ぶか分からんが、取りあえず、体が鈍らないよう、ストレッチや筋トレを教えてやろう?」

「筋トレとは何ですか?」

 

 ジャンベは素直に聞いた。

 

「筋トレとはなあ」

 

 一の牢は、医師オルドリッチの指導の下、定期的に体を動かすよう命じられた。一の女牢も、マルシアが他の面子にストレッチや筋トレを推奨していた。見張り役たちは、地上の者たちのストレッチや筋力維持トレーニングを奇妙な目で見たが、特に注意はしなかった。

 筋トレしている間はまだしも、やはり会話は続かず、一同は沈黙した。一三日間、ずっとこの状態で暮らすのだろうか? 二の牢のコルトンとロディムはどうしているのか?

 二日後、思いも寄らぬ交流が彼らを待ち受けていた。

 

《二の牢》

 ロディムとコルトンは間を置き、口を利かなかった。

 コルトンはいかんなと思った。喧嘩しそうになって、タイミングを外れ、間を置いて口を利かない。これでは、子供だ。

 さりとて、ロディムのあの言葉は腹が立った。事実に近いだけに、余計腹が立つ。不味いと分かってても、子供っぽいと分かってても、自分から言うのは(しゃく)だ。

 牢の者たちは、二人の問題だと放っておいた。数時間後。コルトンは意地を捨て、話し合おうとした。が、ロディムから動いた。ロディムは目を下に下ろし、ゆっくりと顔を上げると重く口を動かした。

 

「悪かったな。殺すことを遠回しに勿体ぶった口調で言われて、なんだかむかっ腹が立ったんだ」

 

 コルトンは微かに笑みを浮かべ、ロディムの肩に手を置いた。お互い夢見がちな子供だな。

 

「嫌になって逃げたのは事実だし、俺も少しむかついたが、もう大丈夫だ。俺は怒っちゃないよ」コルトンはにやりと笑った。「エドワードを怒らすほうがよっぽど怖いよ」

「ははは。違いない」

 

 二人が和解したことに、共にする者たちは胸を撫で下ろした。

 離れても、二の牢の空気が和やかになったことをエドワードとジャンベは感じた。

 

   ****

 

 捕まっている間、冒険者と衛兵はただ、退屈な毎日を過ごすだけではなかった。労働にも駆り出された。数人ほど牢から出されて、手足をある程度自由が利く状態で歩かされた。手だけを自由にされたら、行き着いた先で棒切れで溝を深くした。

 首に縄をかけられたまま、何時間も背中の籠に薪となる枝や草を背中に入れる作業をさせられる者もいた。

 これを機に、脱出のチャンスを考慮したが、やはり難しい。同じ顔を突き合わせれば、相手もいつか油断するだろうが、作業となる場に行く度に見張り役は違っていた。ならば、経路を探すのはどうかという提案もあったが、これも難しい。

 何故なら、移動中はすっぽりと顔に汚いずた袋を被されているので、景色を拝むこともできない。勘の良い者たちの言葉を信ずれば、作業場で大体徒歩で三十分から二時間かかると判明。

 囚人たちは話し合うが、一向に良いアイデアは浮かばない。牢の見張り番もあてにできない。当たり前だが、モリビトの警戒心はこちらの想像以上に強く、付け入る隙が見当たらない。

 後日の出来事で決定的となる。

 時折れ告げの樹が八回半伸び枝垂れた頃、何十人かのモリビトたちが囚人小屋広場に集う。

 彼らの目付き、雰囲気から察するに歓迎ムードではなさそうだ。男もいるが、多くは女や子供だ。隣のジャンベがエドワードに尋ねた。

 

「何が起きるのでしょうか?」

「頭を庇え。石とか飛んでくるかも」

 

 言うが早いか、石が飛んできた。石は一個で木材に跳ね返った。続くように、小さな石ころが降ってきた。

 大体、木材に跳ね返ったが、隙間から入ってくる石もある。これにはたまらず、毛布を前に重ね合わせて、投石から身を庇った。

 見張り役たちが注意するものの、その声音(こわね)からして、本気で止めてはなさそうだ。

 その後はブーイング。モリビト語は分からないが、罵倒されていることだけは分かる。聞いていても仕方ないので、カエルや動物の放つ雑音(ノイズ)として聞き流した。満足したのか。ぞろぞろとモリビトたちは立ち去った。しかし、二人の子供と、一人の鞭を携帯した緑髪の美女が残った。子供たちは女の手を小さな手で握っている。

 

「子持ちか」

 

 コウシチは何となく、三人を見て呟いた。彼らはモリビトの風習を知らないせいであるが、子供二人にとって、一緒にいる戦乙女はいわゆる近所の優しいお姉さん的な人である。

 

「父か……兄を殺された恨み言か?」

 

 コウシチの何気ない一言に、エドワードは自分の父と兄のことが頭によぎった。コウシチの言っていたことは外れた。

 一方はしかめ面、一方は好奇心旺盛な顔付きだ。三人は牢と距離を保った。

 

「何が始まるのだ?」

 

 二の牢のカールロも興味深そうに、モリビト三人の様子を見つめた。

 

「アナタカタ、ココにクルノハ?」

 

 女の子のように長い髪のモリビトの少年、興味深そうな顔付きの子が話しかけた。一の牢の者たちは、言葉の意味を考えた。恐らく、あなた達がここに来る訳は何だと言いたいのだろう。誰が答えようかとしたら、オルドリッチが応じた。

 

「スリルと冒険。道なる発見。金。新たな医療技術の開発と新薬。今の俺の夢だ。夢なんて持とうと思えば、いつでも、いくらでも持てる」

 

 モリビトの少年は地上の者が言った言葉の意味を考えたが、イリューやシヤなどはどういう意味があるのか測り兼ねた。

 

「……ユメ……? モリビト殺すの、ユメなの?」

 

 子供の正直な疑問には、答えるのが難しい。オルドリッチがどう返答したものかと迷った。オルドリッチの代わりに、エドワードが答えた。

 

「モリビトを殺すのは夢ではない。ただ、道を行くのを邪魔するなら、戦うだけだ。邪魔をしないのなら、戦わない」

 

 エドワードは解りやすく言ったつもりだ。少年は眉根を寄せ、首を捻った。隣のしかめ面の少年が声を出した。

 

「ワラナイ! 道行くナラ、話せ!」

 

 話し合いをしろと言いたいのだろう。しかめ面の少年は隣のお兄さんが死んで、地上の者に怒っていたが、隣の少年に誘われ、憎しみよりも好奇心が勝り、物は試しと会いに来た。戦乙女は二人の身を案じて付き添った。

 しかし、今のエドワードの言葉を聞いて、がっくりした。やはり、野蛮な奴らなのだろう。エドワードは冷静な態度で、身ぶりも交えて反論した。

 

「話せと言うが、話す前に、君らの交渉役が『殺されたのは四人だ! 嘘吐きめ!』と言って、我らの使者の一人を攻撃した。二人のモリビトを殺した事実は認めるが、更にもう二人のモリビトを殺めたのは知らないことだ」

「もういい!」

 

 少年はモリビトの言語でそう言って、立ち去った。女な困ったようにきょどきょどしたが、立ち去った少年のほうを追いかけた。一人の少年は残った。

 

「嘘ツクノ?」

「嘘ではない。話し合うとした時点で、二人のモリビトが殺された言われても、何のことだかわからない。繰り返すが、二人を殺したのは間違いないが、そのときは、それ以上のモリビトを殺めたりしてない」

 

 残った少年も、やがて怒ったような顔付きしてきた。

 

「ソウリョサン、黒いスカタの地上の者たちが殺したとイテイタ」

「黒い姿? 君が良ければ、話してくれないか?」

 

 見張り役は咎めないのを見て、少年は遠慮がちに、やがて、交渉の一団に加わった一人から聞いた出来事を教えた。少年の片言な言語を翻訳するのは苦労したが、エドワードを含む一の牢の者たちは目を見開いた。

 

「そんな奴ら知らんぞ。何より、ここに捕えられた者たちを含めても、そんなに小さい背恰好の奴なんかおらん」

「ホント?」

「本当だ」

 

 少年はエドワードの眼を見つめた。どこまでも真っ直ぐな瞳には、エドワードが嘘を付いてないことが読み取れた。

 

「……願うことなら、君の名は? 私はエドワードという名だ」

 

 牢の者たちはぎょっとしてエドワードを見たが、少年は恐る恐る、面を上げた。名を明かせば魂を操られるとでも思っているのか。

 更に躊躇った様子だが、相手が名乗り上げたのに、自分が逃げるのは卑怯で恥だと思い、名を明かした。

 

「……ジェルグ……ジェルグ」二度名前を告げた。

「ジェルグか。良い名だ。では、初対面でこんなことを頼むのは気が引けるが、出来ることなら、今の話を隣と前の牢に居る者たちにも言ってくれないか? 頼む、ジェルグ」

 

 ジェルグはううんと腕組みをしたが、エドワードの横に置かれた、射撃時に砂に目が入らぬよう作られた新しいエトリア製品の「ゴーグル」を指した。

 

「ソレ、チョウタイ」

 

 さすがに目に余ると思ったのか。見張り役はそれ以上、ジェルグと囚人との対話を駄目だと拒否した。

 ジェルグは惜しそうに一の牢から去ったが約束通り、二の牢にも向かった。

 上手く見張り役に言い訳したらしく、ジェルグは二の牢の者たちに事情を話した。一の女牢へ向かおうとしたら、戦乙女が友達を連れて戻った。

 

「ジェルグ、まだいたの? 戻るわよ」

「あっちの人たちと最後にちょっと話をしたら、帰るよ」

 女はジェルグの言い分を聞き入れた。

「でも、手短にね」

 

 ジェルグは要領を得たらしく、最後は多少、要点を得た話し方ができた。戦乙女は二人を連れて、村に帰った。

 

「エドワードよ、お前はどう思う? 俺は執政院とかが臭いと思うな」とオルドリッチ。

「執政院かどうかは知らんが。できることなら、地上にこの事実を伝えれるようなら伝えたい」

 

 エドワードは去りゆくジェルグたち三人のモリビトの背を見つめた。姿形(すがたかたち)は多少違えど、あの子供と女を見たら、迷いが生じた。

 そもそも、人間の観点から見るのは失礼なのかもしれないが、あえて人間を基準にすれば。

 彼らは野蛮人ではない。空想物語に出てくるような意地汚いオークやウルク=ハイなどの怪物とは異なる、非常に人間に近い者たちだ。ある意味困ったことでもある。

 もし、自分が安全な地上で暮らしていれば、モリビトを殺すのに情けはなかったが、面と向かって会話をしてしまった。

 モリビトに家族や友人がいると知った今、脱出に成功することができたとして、その後、モリビトとの戦いに支障が出そうだ。弓を引くのを躊躇ってしまうだろう。そんな悩みを余所に、エドワードはあることを思い付いた。というより、エドワード以外の者も思いついた。

 

「あの坊やとは仲良くしよう」

 

 オルドリッチが代表して、皆の頭に思い浮かんだことを口にした。

 子供を利用するのは良い気分ではないが、四の五の言ってられない。ジェルグと名乗るモリビトの少年をきっかけに、ふせがちだった囚人たちの心がにわかにに活気づいた。

 

 

 

 後日。村に戻ったジェルグは、忙しく準備する合間を縫って、小休止する神官を見つけた。

 

「神官様。昨日、私は地上の者たちと話をしました」

「ほう、それで。お前は何を思い、何を考えて話したのだ?」

 

 ジェルグは肌身で神官など大人たちがぴりぴりしているのを感じたが、神官はジェルグに先を促した。

 

「はい。ええと、話したことは、向こうは二人しか殺してない。黒い恰好をした奴らは知らないと言っておりました」

「知らないだと? ジェルグ、怒らぬから正直に話すのだ」

 

 ジェルグは話したこと、聞いたことを神官に語った。神官は平静を保ったが、戦が始まる前後の出来事を語るあたり、少年ジェルグの情報は衝撃をもたらした。

 神官が凄んだ目付きをして、ジェルグは怯えてぴたりと話すのを止めた。神官は厳しい声で言った。

 

「報告ご苦労。だが、ジェルグよ。二度と地上の者たちと話をすることは許さん。さあ、行け。私にはやるべきことがある」

 

 感情を制御したはずであるが、声を荒げてしまった。ジェルグは背をすっくと伸ばして「はい!」と言うと、素早く去った。

 やってしまったと自戒しつつ、板や甲骨文字、歌に残された記録を思い起こした。過去の大戦で、その大戦は幸いにも勝利したが、記録にはこう記されていた。交渉するふりをして、数名の使者を問答無用で殺害。交渉前にも、狩りに出かけた何名かの戦士が殺害されたという記録だ。

 捕えた地上の者たちによれば、そんな交渉役の存在など知らないと証言した。過去に起きた事例、現代起きた事。似て非なるが、裏がありそうだ。

 ふぅと息を吐いた。

 過去は文化や人格を形成する土台として重要ではあるが、そればかりに捉えられてはいかん。企みがあったとしてもだ。

 奴らが侵入者であり、最初に我らの同胞(はらから)を話も利かずに二人を殺したのは事実。

 戦意高揚維持のために行う神鳥イワオロぺネロプ生誕祭の供え物にあの三十人を貢ぐのも決定。今更、引き返せん。

 

《一の牢》

 数人の囚人が労働終えたところを見計らい、懲りずにジェルグというモリビトの少年はまた来た。昨日の男の子の代わりに、女もいた。仕事帰りで疲れた者たちも、ジェルグが来たら疲れを押してでも、ジェルグと会おうとした。利用するしない以前に、牢の中以外の者で会話をしたり、聞けるだけでも退屈凌ぎとなり、心が和んだ。

 もちろん、牢と隔てた状態での会話だが、この変化を悪いとは思わなかった。見張り役も口煩く注意しなかった。相手が子供のためでもあるが、形式では身分が上の戦乙女が良いと言い、子供がそんなに重要な情報を言うこともないだろうと判断した。

 多少、罪悪感はあるが、この子供から聞きだせるだけのことを聞こうと思った。暇潰しにもなる。

 

「歌、歌える?」

 

 エドワードがジャンベの背中を押した。

 

「こいつは歌も上手いが、楽器の演奏はかなりの腕だぞ」

「キカセテ、ヒイテ」

「楽器は取り上げられたよ。楽器を持ってこられるのなら別だけど」ジャンベは言った。

「ウン。ソレスルノ、ボクじゃ無理。ナラ、歌えて」

 

 ジェルグは歌ってちょうだいと言ったつもりだ。ジェルグはその旨を伝えたが、見張り役は駄目だと言った。

 

「なら、私が歌うのは良いかしら?」

 

 美女はさり気無く髪を色っぽく撫でつけた。見張り役は迷ったが、退屈な仕事にちょっとした余興はあってもいいと思い、他の見張り役たちにも一応聞いた。見張り役たちは良いと許可を出し、乙女が歌うのを許した。ついで、捕えれた地上の者の一人で、歌が上手いと言う黒い肌の者に歌わせていいかとも頼んだ。

 これには、相当渋ったが、結局は許可した。見張り役たちは、神官の指示で叶えられる限りのことなら叶えてやれと命じられていた。ただし、妙な真似をしたり、あまり反抗的な態度を取れば、死なない程度の罰も与えろとも命じられてた。

 モリビトの女は朗唱した。敵に聴かせる歌は、聴かせた者の精神を狂わせる歌。今歌うのは、人に聴かせて喜ばせる歌だ。

 歌の魔力は疲れた心。苛立つ心。不満や猜疑に充ちた心を癒した。

 ジャンベも女モリビトの調子に合わせ、歌いだした。言語こそ異なるが、ジャンベの歌とモリビトの歌声で辺りは和んだ雰囲気に包まれた。歌う許可は降りてないが、音楽家としての魂が抑えきれず、バジリオも歌声を上げた。

 二の牢のモリビトは驚いたが聴かなかったふりをし、三人の朗唱に心身を委ねた。モリビトと人間、三人の小さな合唱団のハーモニーが響き渡る。

 何時間も夢心地に浸ったような気がするが、実際は三十分も経っていない。

 

「イイね、良い歌!」

 

 ジェルグは拍手をして、一人と二人の美声を褒めた。エドワードはジェルグから思った以上のことは聞けなかったが、暇潰しにはなれたと思えた。

 

「ほう、そのヒュージモアに乗るのか?」とベルナルド

「ウン、でも、ボクは下手、まだ歩くしかデキない。地上では、馬というのに乗るか?」

 

 ジェルグは片言で、変ではあるが、大体言いたいことは理解できてきた。また、地上の言葉を話せるのは全体の一割程度らしく、好奇心旺盛な本人は度々、僧侶などにせがんで言葉を教えてもらうようだ。

 ベルナルドは女モリビトの隙を見て、自分達はどこで働いているのだろうなとさり気無く伺ったが、ジェルグは首を傾げた。一応、用心して、あの人には聞かなくてもいいと言っていおいた。

 帰る間際、ジャンベは女モリビトの名を聞いた。

 

「僕はジャンベという名前です。あなたは?」

 

 女は歩みを止めなかった。駄目に決まってるよな。そう思ったが、女モリビトは歩を止めると、振り返って名乗った。

 

「サラよ」

 

 ジェルグより流暢だ。戦乙女のサラと少年ジェルグは村に帰った。

 

「サラか」惚れたりはしてないが、モリビト・サラの美声には感心を受けた。

 二の牢、特に一の女牢のアクリヴィは、一の牢の者たちがモリビトと親しげに話すのを見て、羨ましかった。ジェルグは毎日来ることはなかったが、初めて会って、試練の日まで計八日分ぐらい来た。サラは時折り歌い、場を和ませた。

 モリビトのサラ、ジャンベとバジリオの合唱団は退屈で憂鬱な一時を紛らわせる最上の娯楽であった。ほんの短い時間だが、歌い手と聴き手に笑みがみられた。そのサラは、試練の日三日前から顔を会わせに来ることは無くなった。ジェルグに試練とサラのことを聞いても、分からないと答えた。

 囚人たちは、サラとジェルグを利用する価値は十分にあると理解していた。

 だが、そんなことよりも、いつの間にかこの二人と会話することが何よりの楽しみになっていることにも気が付いていた。

 

「自重せねばならんな」

 

 そう言う小隊長も、二人の前では自然と顔を綻ばせていた。少年ジェルグを利用して、脱出する計画も見直さなければならないようだ。

 ひしひしと、処刑台に上がる日が迫りつつあることを感じた。

 

《二の牢》

「試練があんな風に歌を聴くだけなら、ちょろいぜ」とロディム。

 コルトンはそうだなと頷いたが、それだけではないだろう。

 

《一の女牢》

 いよいよ、明日。試練の日だ。

 どうせ、四日までの命だが、一の牢のエドワードたちと二人のモリビトの交流を見れただけで良かった。

 モリビトは外見のせいで誤解されて、地上の人間に迫害を受け、地下世界に引っ込んだ。邪悪ではなく、身を守ろうとして戦っているだけであり、モリビト語と地上の言語の一種も話せるほど高度な知能を持つ種族だと理解した。

 アクリヴィはこのことを伝えられないのが悔しかった。伝えたところで戦が終わることもないだろうが、学者の本文として、発見した事実はきちんと伝えたい。

 退屈な一日は過ぎ、試練の日がやってきた。

 

   ****

 

 三人ずつ連れて行かれた。戻って来た頃には、全員抜け殻のように生気がない顔で帰ってきた。

 ロディムとコルトンは勇んで挑んだが、彼らも披露困憊な状態で戻った。何があったと、話を聞ける様子ではない。お気楽に構えていた者も、これには顔を強張らせた。たまに、上半身が濡れそぼった状態で戻る者もいた。

 二の女牢も終わり、一の牢に順が回った。

 オルドリッチ、ベルナルド、コウシチが連れられた。帰ってきた三人、ベルナルドやあのオルドリッチにすら陽気さが失われていた。一人、ベルナルドの顔や服が濡れていた。ベルナルドは喘ぎながら、伝えた。

 

「耳……栓、耳に土と、か詰めても……無駄だ。引っ掻きま……回され、て。水、ぶっかけられるから……な」

 

 次に三人が連れていかれ、最後にエドワードとジャンベと二人の衛兵と、四人が牢から出された。二十人もの戦士が槍や剣を携え、腕を縛り上げ、目を隠してしばらく歩かされた。

 

「お前がいけ」

 

 誰かにそう言われ、一人の衛兵が連れられた。少しして、右方向から衛兵の苦悶の叫びが聞こえた。歌だ。

 その歌は何と冷たく、冷酷で、聞いているうちに頭が変になってきた。交代で別の衛兵が案内され、またしても悲鳴が上がった。死ぬほどではないが、相当な苦しみが付いてくる試練のようだ。

 今度はエドワードの番だった。エドワードは何度か木の間を通り過ぎたような気がした。

 座らされて、目隠しを取られると、無言で佇む槍を持った紅服の戦士たちが辺りを取り囲み、青紫の長髪の美女が腰布一枚とほぼ素っ裸な格好でエドワードを見下ろした。

 女の背後には石造りの祭壇があり、二人の僧侶が立っていた。何が始まるのだ?

 女モリビトは静かに歌い始めた。始めは気持ちよかったが、徐々に不愉快なものへと変わった。

 エドワードは唇を内側にきつく噛み締め、目をぎゅっと閉じ、必死に耐えようとしたが、歌は容赦なくエドワードを襲う。

 例えれば、頭や体を石でこすられて、塩や砂をごりごりと傷口に押し込まれていく感覚だ。大変な不愉快さと苦痛に、エドワードは衛兵たちが悲鳴を上げた理由と、他の面子が疲労困憊な状態で帰ってきたのが分かった。想像以上の苦行である。戦乙女たちが対象者を絞って聴かせる、魔力が込められた呪いの歌。

 エドワードは呻き声一つ漏らさなかったが、終わる頃には、精神的にも体力的にも参ってた。今が絶好のチャンスの場合だとしても、エドワードにはその気力や体力はとうに失われていた。

 最後にジャンベの番。ジャンベはエドワードが悲鳴を上げなかったことに安堵したものの、不安や恐れは拭えない。

 何が待ち受けているのだと、目隠しを外されて、前にいる人物を見て、アッと声を上げそうになった。

 腰布一枚姿の赤裸々な格好の女モリビトは、サラだ。

 ジャンベは口を閉ざした。余計な口を聞けば、最悪槍が飛んできそうな気配がする。サラは相手が顔と名前を知った地上の者と知り、動揺したが心を冷酷に保ち、呪わしい歌を聴かせた。

 

「うわああああ!」

 

 あまりの気持ち悪さと頭痛の激しさにジャンベは悲鳴を上げた。「サラさんの歌……っ声は……もっと綺麗はなはず、だ……よ……ううっ!」ジャンベは身を震わせて訴えたが、サラは聞かなかった。

 指定時間の半分が過ぎたとき、サラは歌うのを止めた。

 

「どうした!? サラよ、後少しだぞ? 喉が乾いたのか」

 

 一人の僧侶がサラに尋ねた。

 

 サラは首を振り、哀れむ眼差しをジャンベに向けた。「僧侶殿、私にはこれ以上、彼らを苦しめる悲鳴を聞くのが耐えられません。もうよろしいでございましょう」

「サラよ。そなたの優しい気持ちは尊ぶべきではあるが、今は戦いの時。優しい気持ちは敵につけいる隙を与える。捕虜を連れて、このような清めの儀式をするのも一度きりだ。モリビトたちの平和のため、最後まで歌うのだ」

 

 自分一人の自我を通せない。サラは申し訳なさそうに、歌を続けたが、悟られない程度に歌の魔力を弱めておいた。そのおかげで、ジャンベは他の者よりも、幾分か保てた状態で牢に戻れた。

 食事が出されても、大抵の者は極度の心労で動けず、手を動かすのも一苦労のありさまだ。

 ジャンベはすっかり気力を失った者たち励まし、食事の介助をした。エドワードは大した奴だと褒めた。

 

「……ジャンベ……歌と演奏もすごいが、あの歌にも耐えるとはな。俺の想像を上回るほど成長したのだな」

「違いますよ」ジャンベは否定した。「普通に聞かされたら、僕もあの歌には耐えられません。彼女のおかげです」

 

 エドワードは「彼女」の名を聞かなかったが、誰だか分かったような気がした。

 

   ****

 

 もう一日が過ぎた。少しは体力を取り戻せたが、気分は優れない。いつまでも変わらぬ枯れた風景。地上の太陽が誰もが恋しくなってきた。ジェルグとサラが来たが、サラはジェルグを置いて離れ、顔を合わせようとしない。

 

「試練はどんなもの?」

 

 この十一日で、一の牢、エドワードに言われて、一の女牢にいるアクリヴィたちに話し方を教えてもらい、ジェルグの言語は大分聞き取りやすくなった。自分達と付き合う変わり者なモリビトの少年は頭が良いようだ。

 

「話すまでもない」とエドワード。

 

 エドワードはジェルグに教える気はなかった。彼というより、ジェルグから離れた女モリビトのことを気づかってのこと。

 

「僕、明日で君らに会えるのは最後になる。親や周りがもう駄目だと言うんだ。僕が少し話しをしてみたいたら、凄く怒られた」

「お前の親と周りが言うことも一理ある」

 

 ジェルグは納得しかねたが、うんと頷いてみせた。今日は短い会話で終わった。帰ろうとするサラとジェルグに、ジャンベが声をかけた。

 半日後。最後の食事が配られた。いつもより量が少ない。

 

「これで仕舞いか。よく噛み締めておけよ。ゲンエモンから聞いた、あの世の地獄の閻魔大王とかに舌を抜かれて食事の楽しみが奪われる前にな」

 

 オルドリッチは質の悪いジョークを言うほど回復していた。戦士と美女たちの中には、サラとジェルグも混じっていた。

 

「ジェルグ。今は渡せないが、この牢から出されて空っぽになった後にでも、これを持っていくがいい」

 

 エドワードは近づいたジェルグにゴーグルを見せた。少年モリビトは神妙な顔でうんと首を縦にふった。

 

「わかった。形見に持っておく。僕は儀式を見ないことにするよ」

 

 少年なりの慰めか、優しさか。エドワードは小さく手を挙げて、ジェルグの言葉を礼として受け取った。

 水の桶を持ってきたサラに、ジャンベが一声かけた。

 

「僕も、他の方もあなたを恨んでいません。伝えたかったのはそれだけです」

 

 サラとジェルグ以外のモリビトも囚人に会いに来たが、好意的に接したのは結局、あの二人だけであった。

 最後の食事はよく味わおうとゆっくりと噛んだ。脱出の方法もチャンスも見当たらない。あるとすれば、儀式の時だけだが、仮に成功しても、全員の帰還は望めない。

 数時間後、椀に最後の水が入れられた。最後の水の量は半分だった。

 

「今まで食べた分は腹にある。一日ぐらいじゃ死にやしない」

 

 衛兵を除き、オルドリッチなど冒険者たちは一度や二度、絶食する日があった。それは、決して宗教的な理由ではなく、金が無いためだ。彼らにとって一日の絶食は苦痛ではないが、後の儀式のことを思うと、胃が重くなる。

 樹が伸びきった。運命の神鳥生誕祭当日。いくら経験があるとはいえ、丸一日、少量の水しか摂取できなかったのはやはり辛い。土を払いのけた石を口の中に入れたりして、舌で転がして唾液を出して、渇きを誤魔化そうとした。

 出すものは出し切った。少し気掛かりなのは、髭も伸び、髪はぼさぼさで服も汚れている点だ。といはえ、儀式とやらの直前で綺麗に整えられるだろう。

 ダルメオが無駄だったかと呟く。それに対し、エドワードは決して無駄ではないと返した。

 

「まだどう転ぶか分からんぞ」

 

 囚人たちは静かに座し、迎えが来るのを待った。しかし、いくら待てど、迎えのモリビトは一向に来ない。ベルナルドが言う。

 

「儀式や祭りの準備には時間が要る。そんなぴったり、時間通り来やしないさ」

 

 だが、そうでもないようだ。見張り役のモリビトたちは、定刻をいくら過ぎても迎えが来ないことに、おかしいと思っていた。一人が様子を見に、近隣の村へ行こうとしたとき、笛と太鼓の音が一斉に鳴り響いた。

 

「この音は、あの一八階の時と同じもの! まさか、援軍が来てくれたのか?」と盾ワンの衛兵。

「そうではなさそうですよ。よく聞いてください」

 

 ジャンベに言われ、その衛兵を含む一の牢の者たちは全神経を目と耳に向けた。音に混じり、ジャンベの耳には樹海生物の吠え声も聞こえた。

 

「何か聞こえるぞ?」

 

 (けだもの)が吠える声はモリビトにも聞こえたらしく、見張り役のモリビトたちは恐怖で顔を見合わせると、囚人たちを置いて逃げた。

 モリビトたちはマンなんとかと言っていたが、吠える樹海生物の群れと関係があるのか?

 

「今度は何が来るのだ!?」

 

 エドワードは武器はないかと、目の前にある子供の拳ほどの石を左手で掴んだ。せめて、サーベルの一刀でもあればなあ。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 地上。地下世界の神鳥生誕祭より二日前。

 総勢百五十名の冒険者と衛兵が出動した。部隊を率いるのはゲンエモン。地上では、副隊長が作戦から外された。彼の懲罰は現時点では保留。それよりも、モリビトとどうするかで揉めた。

 今回の作戦の成否で動向を見極める、とヴィズルは宣言した。

 ゲンエモンには、もう市民の文句も冒険者の愚痴や衛兵たちの不安もどうでもよくなった。あるのは、この戦いを勝利で終わらせることのみ。

 コウシチ。シショー。エドワード。オルドリッチ。皆(みな)よ。

 ゲンエモンはコウシチたちが生きているように思えた。死んだという感覚がないのだ。

 可笑しなことを……現実を否定したいのだな。勝てるかどうか予想も付かぬが、死んだ者たちとこれから出撃するわしらの数を合わせた四倍のモリビトを討ち取ってみせようぞ。

 

「おやっさん……!」

 

 モンパツィオは背筋を凍らした。ゲンエモンの顔は、いつもの好好爺であるゲンエモンではない。自らの冒険者の教えとして、人を斬れと教えても違和感がない風貌。刹那、垣間見せた鬼のごとき険しい表情。部隊は沈黙の観衆に見送られた。明るい時間帯になっても、人々は活気づかず。エトリアの街は暗い静寂で覆われていた。

 


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