世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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十五話.第四次地下大戦

 気持ちが落ち着いたジャンベは、宿に居たロディムに相談してみた。

 自由行動が与えられた今、ロディムは一人、食堂の卓で物も頼まずテーブルを一人で占拠して、宿にとってはいい迷惑であった。

 ジャンベは少し腹が空いたので、パンと水二杯分を頼んだ。パンと水が入った飾り気のない長方形の土器二つが二人の座るテーブルに置かれた。ジャンベはロディムの真向かいに座り、相談があると明かした。

 

「お前が俺に相談とは珍しいな。言いたいことはわかるけどな。モリビトとの戦いについてだろう?」

「はい、お察しのとおりです」

「先に俺自身の答えをいやぁ、躊躇いはない。俺はゲンさんやエドワードのように、難しい事情を抱えているわけじゃねえ。俺がここへ来たのは単純に金と冒険による刺激を求めてのことだしな。モリビトがどうのと言われようと、道を邪魔しないのなら戦わない。道を邪魔するというんなら、容赦しない。俺が言えるのはそんだけだ」

 

 ロディムのこの竹を割ったような判りやすい性格にはある意味脱帽した。ロディムは自分のすべきことを理解している。そこに迷いはない。

 いつぞや、コルトンはこう言っていた。もし、ロディムが兵士として然るべき訓練を受けていれば、負け続きの戦場が嫌で傭兵を辞めた中途半端で臆病な自分より、ずっと優秀な兵士になっていただろうと言っていた。今なら、コルトンのその言葉にも納得がゆく。

 ロディムは土器の水を口にした。

 ジャンベは何となく、ロディムの顔や体をじっと見てみた。体はごつく、腕や手甲には所々古傷がみられる。髪を掻き分けないと見えないが、右頭頂部には森の破壊者に傷つけられた傷痕が今もある。エドワードやコルトンも、風呂に入ると体のあちこちに傷痕があるのがわかる。ジャンベには足の腿などに、僅かに痕があるぐらいだ。傷跡の多さで立派だとは言わない。これほどの傷を負いながら、心が折れず、今もこうして元気でいられるというのは尊敬に値する。

 人間相手ではないが、皆歴戦の勇士といっても差し支えない。ロディムに何だよと問われる前に、ジャンベは目で追うのを止めた。

 ジャンベの気持ちを知ってか知らずか、ロディムがわざとらしく笑った。

 

「ははは! ジャンベよぅ、お前がここに来たのも俺と似たようなもんだろ。人間と似た相手と戦うのが怖いというのか? そんなら、てめえが今まで仕留めてきた怪物たちは、人間ぽくない姿をしているから、殺しても良いというのか?」

「……僕が言いたいのはそうじゃなくて」

「エドワードがどう言ったかは知らんが、要はびびっちまっただけだろう? だが、綺麗事は言わせないぜ。ここに来たということは、相手がモリビトじゃなくても、人同士が金目になる物を求めて争ったりすることがある。お前一人が嫌なら嫌と言えばいいさ。戦う気力が無い奴を連れていっても足でまといになるだけで、そんな奴を庇う余裕なんぞない。さっきも言ったが、俺はあの連中が探索を邪魔するんなら、戦うだけだ」

 

 自身の言いたいことを言い切ったロディムは、土器の残りの水を飲み干した。

 ロディムに相談したのは間違いだったかもしれない。

 しかし、びびっちまったという言葉は否定しない。人と似た者たちと戦うことへのも恐怖はあるが、ジャンベは腑に落ちない点もあった。

 隠れた場所から交渉してきたモリビトは、最後に「殺されたのは四人だ!」と言った。―――四人?

 モンパツィオは二人殺したと言った。それなのに、あのモリビトは四人と言った。

 モンパツィオが嘘を付いたとは思えないし、地上に帰還した後、ゲンエモンが問い質したところ、疑われた彼らは怒って二人しかやってないと答えた。モリビトたちとの戦いには、裏があるのではないか? 自分達は無駄に戦わせられる為だけに戦うのではないか? その疑いも、ジャンベの戦意を失わせていた。

 それでも、退けない。エドワードとロディムの言う通り、ここまで来てしまった以上、後戻りするのはあまりにも惜しい。何よりも、他のメンバーが街のため、自分の目的のために命を賭して戦っている間、自分一人が安全なところに居て、帰ってきたメンバーに笑顔でご苦労さんなんて、どの顔して言うのだ。

 ジャンベの心は決まった。違う、始めから決まっていたのかもしれない。ただ、後押しが欲しかっただけなのだ。ここで自分一人が引き下がれば、彼らはもちろん、死んだ兄にも顔向けができない。 

 一年半。厳しく育てられ、未熟な自分を体を張って守ってくれた五人。その五人に、おめおめと背を向ける恥ずべき行為は許されない。第一、自分には帰る場所が無い。ここで人肌脱がず、一体いつ脱ぐのだ!

 ジャンベの心に、めらめらと燃え立つ闘志が湧いてきた。ジャンベはロディムに一礼し、部屋に戻ると、ギターを爪弾いた。

 色々な曲が頭を駆け巡ったが、自分の気分に添い、尚且つ酒場にも合いそうな曲があった。そして、夜。

 行くのを断ったアクリヴィ意外のメンバーが金鹿(こんろく)の酒場に集うと、ジャンベは席から立ち上がり、突如、「一曲歌います!」と宣言した。

 ジャンベはギターを軽やかに爪弾き、子気味よく体を揺らして陽気に歌いだした。

 

 

 さあ、臆病者よ。いまぞ立て。頭かくして、尻かくさず。敵さんそれに向かって、槍抱えてえんやあとっと、えんやあとっとと。おいらあ、びっくりど天井。おっかさん! おっとさん! 早う、助けて

 酒飲み飲み、しなびリンゴぱくぱく。呑気に飲み食いする暇があるんなら、とっとと刃毀れ直せ!偉ぶる兵士、てめえも同じ立場だろ

 不満と恐れ。そんな足枷投げ捨てろ。その足枷と足元の石投げつけろ

 そうれ、ほーらほら! そうれ、ほーらほら! 敵さん泡こいてびっくら退散

 

 夜明けが明けりゃ、鍬でほーりほり。そい、ほーりほり。そい、ほーりほり。

 だけど、軍馬がきて全て台無し。役所と領主にしがみついても、逆に毛穴まで毟り取られる始末。ええい、てめえらそれでも人の子かとうそぶきゃ、こう抜かしたとよ

 おいらたち、人の子じゃねぇ。偉い人の子だとよ

 

 やってらんねえ、やってらんねえ! 案山子偉い人に見立てて、槍ぶすぶす剣きりきり斧ざくざく!

 ああ、すっきりするはずんなわけねぇ! ただただ、虚しさ増すばかり 頭の一つ下げやがれってんだ

 やってらんねえ、やってらんねえ! でもでも、耕さなきゃ食えない食えない、女房泣いて餓鬼わんわん! ああ、うるさい。

 

 それでも、なにくそ、へこたれず!

 今宵も、明日も、雨の日も、雷様荒ぶる日も、軍馬と徒歩(かち)共に荒らされても、めげずにほーりほり!

 

 そい、ほーりほり! そい、ほーりほり! 人が死にゃ良い肥料と埋められる

 うちの畑で死んどくれ そうすれば、ほい。そこには綺麗な緑がてんこ盛り

 そい、ほーりほり! そい、ほーりほり! もういっちょぉ! そい、ほーりほり! そい、ほーりほり!

 雨除け、風除け、草刈り、種植え、収穫。全て終わりだ。さて、豪快エール酒どどーんと一杯もってこい! みんなぁ、酒飲めはしゃげ。そうれ、そい! 

 

 

 常連客はいつものことかと、曲に合わせて踊ったり、手拍子する者もいれば、精神を集中させるための雑音として聞き流す者もいた。一見の客。冒険者ご用達の店と化し、その独特な雰囲気のために、普段はあまり金鹿の酒場に来ないような市民は、ジャンベのこの行動に驚いていた。

 ジャンベは時に、事前に女将の了承を得た上で、演奏をすることがある。店にとっては店内の雰囲気を盛り上げる演奏。ジャンベにとっては溜まった鬱憤などを晴らすための演奏でもある。

 この歌は、ある国の元農夫の道化師が遺した歌。横暴な領主に、道化師の男はこのような際どい歌を聞かせたために処刑された。男は領主に聞かせる前に、多くの人々にもこの歌を聞かせていたので、アクリヴィの師匠のような、旅の歴史家や知識人の手によって詩編に記され、いつしかエトリアの大図書館に渡った。ジャンベは偶然その本を手にし、歌詞の調子や曲自体を一部変えて、今日初めてその歌をお披露目した。

 曲の内容はあまり明るいものではないが、そこは吟遊詩人(バード)の腕の見せ所。

 ジャンベの巧みな演奏の腕と、どんな風にも変えられる透き通る歌声で場を盛り上げた。

 そのうち、バジリオなど顔見知りのバードや知らない者も加わり、更に盛り上がった。

 コウシチのような雑音として聞き流す者、エドワードのように黙って聞くだけ者も、魂の籠もった熱い曲の勢いと場の雰囲気の呑まれ、勝手に「そい、ほーりほり!」と口ずさんでいた。今日のジャンベは、油がのりにのっている。

 仲間を亡くして悲観に暮れる者。探索が空振り続きの者。今日も生きて帰れたことを喜ぶ者。

 明後日には地下で見知らぬ種族と事を構える者たちも皆、この瞬間だけは全ての暗い感情を追いやり、最後の興に浸った。

 しかし、戦いの前夜。覚悟を改めたのはジャンベだけではない。

 人の形をした者達であれ、道を邪魔する者は容赦はしない。一族再興の為だ。エドワードはぐっとジョッキを握り締めた。

 今度こそ、逃げない。戦い抜く。コルトンは窓の外から世界樹を見上げた。

 高揚か、恐怖か。定かではない。なるようにしかならないと言わない。自分の身は自分で守る。アクリヴィはジョッキの水割りを飲み干した。

 アクリヴィとは反対に、マルシアはなるようになるでしょ。私は自分の仕事に勤めるだけと思い、ロディムは相も変わらず呑気に談笑していた。

 メンバーの中で、ロディムは一切気負いが無い。

 戦って、蹴散らす。戦いが終われば、刃を向けない。命じられれば、出来る限りその通りに動く。ロディムは至ってシンプルな結論を導き出していた。

 

 

 

 一日で準備を整え、体を十分に休めた。いざ、討伐隊の一団が行く。

 その数は、百名余名。部隊は三つに分けられた。ゲンエモン率いる先発隊。翌日には潜る、エトリア近衛副隊長率いる二番隊。失った人員の補充、並びに決戦の場や窮地に陥ったときに出撃するための五十名余名の待機。

 敵の戦力や拠点となる場所も分からず、かといって、相手の本拠地でもある地下世界に偵察を送っても無駄な犠牲を出すだけだろうということで、まずは相手の出方を窺うことにした。要は威力偵察である。

 大勢がどやどやと地下迷宮に降りることに、市民の反応は意外にも薄かった。

 執政院ラーダは名目上、街の安全のため、大繁殖した怪物たちの掃討を図ると市民にはこうのたまっている。

 エトリアは二十年に一回、衛兵の訓練も兼ねて大規模な掃討が行われる。掃討作戦に冒険者たちが報酬付きで参加するのもごく普通であり、市民は市民は掃討作戦に参加する者達(主に衛兵たち)の無事を祈りつつ、通常の業務をこなし、いつもと変わらぬ日常を送った。

 前にその掃討作戦が行われたのは十三年ぐらい前で、早すぎやしないかという意見もあった。

 そこはあしらいに慣れたラーダ役員が対応に出て、冒険者の報告から想像以上に増えているため、早急に対処しなければならない。こう言えば、大抵の市民は大人しく引き下がった。

 

「わしらとしては好都合だ。市民への対応は執政院の彼らがしてくれるしな。では、出発だ」

 

 百名は順に四階層を降りた。ホープマンズやドナの一行、ゲンエモンの一行は前列を進む。

 直前、アクリヴィはエドワードに首当てを渡した。首輪のようなもので、馬の浮き彫りが彫られた防具だ。馬は前と後ろ、真横を跳ねるように駆けていた。

 

「これはどうした?」

「気にしないで、昨日の夜、旅の行商人とのちょっとした賭けに勝って貰ったものよ。私より、あなたの方が似合うかなと思って。まっ、私からのお守りと思ってちょうだい。要らないなら、私が着けるけど」

「いや、ありがたく貰おう」

 

 エドワードはアクリヴィの贈り物である、首当てを着けた。

 ゲンエモンは腰に刀を、手には小槍を持った。ロディムのように、拘っていつもどおりの装備の者もいたが、大抵の者は小槍など程々にリーチの長めな武器を持った。植物が生い茂る地下世界では、長すぎる武器はよく引っ掛かるため、長槍や長柄戦斧のような武器は役に立たないことが多い。そう分かっていても、ぎりぎりの長めの武器をもちたがるのは、相手と少しでも間を置いて戦たいという心理であろう。

 ゲンエモンは部隊を走らせたり、全くの無策で人を降ろすような愚行には出なかった。大盾持ちの衛兵、パラディン、ソードマンたちを最前列と最後列及び等間隔で両横に並ばせた。

 他の衛兵や冒険者たちはその間を歩いた。また、アルケミスト・カースメーカー・鉄砲兵も同じ要領で歩み、盾持ちが守りやすく、かつ、攻撃しやすい位置に置いた。相手の出方と正体も禄に分からず、その上、怪物の襲撃も考えられる。ゲンエモンは重装備の者たちで囲ませて守るように配置し、慎重に移動した。

 この隊形には三つの問題がみられた。ひとつ、安全ではあるが歩みが遅い。

 二つ、狭い道や曲がり角が多く、どうしても一度、隊形を崩さなければならない時がある。

 そんなときは、鉄砲兵・レンジャー・アルケミストがいつでも応射できるよう控えた。

 三つ、用を足す場所。これだけいると、用を足す地点の確保も苦労する。ただ、これは事前に調査をしていたお陰もあり、そこまで問題にならなかった。集団が用を足したあとは、早く離れなければいけない。臭いを嗅ぎつけ、怪物が大挙して押し寄せる恐れがあるからだ。

 怪物が群れをなして襲ってくるかと思いきや、たまに前を横切るぐらいだった。

 十六階ではさしたる戦闘もなく、ほぼ無傷で十七階に降りられた。

 十七階は十六階ほどではないが、どうしても隊形を崩さなければ通れない場所が多々あり、部隊にとっては鬼門である。この状況で一斉に襲われたら、ひとたまりもない。

 カースメーカーでも感知能力がある者や、目の良い者が動きがあることを告げた。

 百余名の歩みは遅々として進まなくなり、進行が滞った。

 

「いっそのこと攻撃してくれりゃいいのに」

 

 ロディムはこっそりと呟いた。彼の言葉に応じたのか、頭上すれすれを石がかすめ飛んだ。樹や叢、四方八方から大小様々な石が飛んできた。

 敵襲だ! モリビトだ! ただちに盾を持つ者達が両横に並び、モリビトの投石攻撃。またの名を印字打ちを防いだ。相手の態勢が整うや、モリビトの投石は止んだ。味方側から僅かながら呻き声が上がった。死傷者は出なかったが、さきの投石で数名ほど怪我を負った。マルシアやオルドリッチら、メディックがすぐに治療に当たる。傷はどれも浅く、動けなくなるようなものでもなかった。

 用心を期して、二名を残し、頭に傷を負った他四名はこの場で変位磁石を使って帰らせた。

 エドワードは全神経を尖らせて、周囲を睨んだ。少しでも姿を見せれば、射ってやる。

 突然の襲撃で、しかも姿が見えないとあっては、いくら優秀な戦士や武器があったとしても、反撃するのは不可能であった。彼らには決定的に足りないものが幾つもあった。彼らはそれら理解した上でここに来たが、ここになってその問題が如実に表れた。情報だ。彼らだけではないが、討伐隊と執政院ラーダも含め、モリビトとこの第四階層の構造や生態についてあまりに知らなさすぎる。

 未踏破の地に来て、未踏破の地に長らく住まう者たちと戦う。

 たとえ文明に差があれど、これは大変不利である。一八階へ向かう道中、再び、姿無きモリビトたちによる投石とブーメランによる攻撃がきた。

 この攻撃では負傷者と死傷者ともに零だったが、二度の襲撃に歩みはとてつもなく鈍った。全速力で駆けてもいいが、そうすると、罠に嵌まる恐れもあり、何より恰好の的である。

 それに、他の生物も刺激して、モリビト以外の生物に襲われる可能性も出てくる。

 

「これならナメクジのほうがまだ早いぜ。ヌメヌメと陰気臭く進むのは嫌なもんだ」誰かがが小声でそうぼやく。

 

 真っ直ぐに開けた一八階へ通じる道へ来ても、ゲンエモンは部隊を急いで行かせなかった。偵察を出す事も考えたが、敵のホームタウンのような世界に、偵察を送るなど生贄を送るも同然だと考え、偵察を出すのは止めた。部隊は盾で囲んだ陣形を敷き、慎重に進んだ。

 ここにまた、情報という最大の問題が関わる。彼らは全く知らないの対し、モリビトは彼らのことをよく知っているというのは、全く予期せぬことである。モリビトたちの二度の襲撃は、全てはここに寄せるための罠。最初の交戦で決定打を与えようというモリビトたちの作戦であった。地上部隊はまんまと蜘蛛の巣に引っかかった。

 四百メートルの半分、二百メートル地点まで部隊が進行したとき、最前列から悲鳴が上がった。

 最前列にいた兵士たちが突如、地の下へ吸い込まれた。落とし穴に落ちたのだ。穴には杭があり、二名ほど串刺しになって事切れていた。悲鳴を合図に、聞いたこともないような何らかの楽器の音が幾重にも鳴り、モリビトがどっと攻め寄せてきた。

 

「慌てるな! 位置につけぇ!!」

 

 ゲンエモンは負けじと法螺貝を吹き鳴らし、混乱に陥りそうになる部隊を鎮めようとした。

 ゲンエモンは潜る前、作戦の一つに、万が一にもモリビトの襲撃で部隊が混乱した場合、法螺貝の音を合図に鉄砲を発射するよう命じておいた。今ここで、鉄砲が役立った。耳を聾さんばかりの轟音が空を切り裂く。あまりの轟音に、モリビトたちの動きが停まった。脅しの発砲は想像以上の効果をもたらした。

 

「位置につけぇ!」

 

 モリビトが動き出すよりも早く、ゲンエモンと小隊長たちは号令を飛ばした。

 衛兵と冒険者たちは何とか隊形を整えようとしたが、一箇所、最前列近くは持ち直しに時間がかかり、モリビトたちはそこを集中攻撃した。

 ブーメランと石と投げ槍で攻撃して、立て直す隙を与えない。見計らって、モリビトたちは一斉に白兵戦に切り替えた。

 モリビトたちはモンパツィオたちの証言したとおり、概ね人より背は低いが、その動きは馬より早く、猿の如く身軽である。モリビトたちは凄まじい勢いで接近した。投石などの攻撃もあり、破れ口を立て直せなかった。それ以上に、部隊の者たちはモリビト自体を恐怖した。

 若葉色の髪をゆらがし、赤い両眼をぎらぎらと光らせてやってくる死人のような肌色の者たちが迫ってくる。恐怖が動きを遅らした。もとい、いざ人の姿をした者達を目の当たりにし、躊躇する者も僅かにいた。

 モリビトたちは身軽に落とし穴を飛び越した。エドワードは毒矢を放った。飛び越えようとした一体の喉元に矢はあたり、モリビトは一回転して穴に転げ落ちた。最前列近くのアクリヴィや他のアルケミストは術式での攻撃を試みたができなかった。敵が間近で、味方にも被害が及ぶと思い、術式を中断せざるをえない。

「破れ口を守れ!」エドワードが果敢に叫ぶ。

 コルトンとロディムが前に回り込み、一本を矢を放ち、エドワードも小槍を持って、背後のジャンベと穴から引き上げた衛兵を庇う。ジャンベは一言断って、衛兵を安全な場所まで担いだ。他数名の者が立ちはだかる。

 剣戟の音。金属と金属が衝突する音。弦を弾く音と石やブーメランが弾かれる音が響く。

 モリビトの大半は素足であるが、訳はすぐに知った。彼らの足の裏は石より堅いのだ。証拠に、鉄の盾を蹴っ飛ばした音はまるでハンマーで叩いたかのような音がした。あれで頭を蹴られたら、兜を被っていても危うく、脳震盪を起こすかもしれない。

 ロディムは長柄戦斧を振るい、コルトンは盾から剣を突出し、エドワードは懸命に槍で薙ぎ払い、他の冒険者も必死に応戦する。

 しかし、破れ口へ来る敵は多く、既に何名か倒れた。ジャンベはこっそりギターをつま弾き、歌った。

 こんなときに何をと思うが、一部のバードには魔法に近い力があり、歌と音で人の傷を癒し、歌と音で武器に別の力を付すことができる。

 エドワードは槍を持って飛びかかってきたモリビトに、小槍を投げつけた。小槍はすっぽりとモリビトの胸に吸い込まれ、突き立った瞬間そこから電流が迸った。ジャンベの音の力により、エドワードの武器には雷の力が宿っていた。

 エドワードはジャンベを見ずに「サンキュ」と言い、三日月刀を抜き払った。

 仲間の死体を越え、一人のモリビトがエドワードに向かって突進してきた。

 攻撃を回避し、態勢を整えようと後ろへ飛び退いたエドワードであったが、後頭部を強い衝撃が襲う。目から火花が弾け飛ぶ。

 馬鹿な? 背後に敵の気配は無かったはず。エドワードは尻餅をついた。

 コルトンとロディムはエドワードを助けに行こうとしたが、ロディムがコルトンにもたれるように倒れた。コルトンは訳も分からず、エドワードよりも先に、ロディムの両脇に手を突っ込み、安全に置ける場所を探した。アクリヴィも騒ぎに呑まれ、エドワードから離れていた。

 鉄砲の音が数発分轟いた。

 走馬灯というやつだろうか。迫るモリビトの槍が随分遅く感じる。と、モリビトの動きが僅かに緩んだ。何かに驚いたようだが、モリビトの彼も戦士であった。

 すぐに勢いをつけ、エドワードに向かって槍を突き出した。槍はエドワードの首を捉えた。エドワードは自分の首筋から、生暖かいものが流れるのを肌身で感じた。

 第二撃が来る。首を傾けて回避しようとしたが、またしても、後頭部に強い衝撃が走った。誰かに頭を蹴っ飛ばされてしまったようだ。岩みたいに堅い。

 防具はあてにならなかったか。そんなことを考えた。いやいや、彼女のせいにすまい。戦場で背後の敵の気配すら気付けなかったお前の間抜け加減のためよ。モリビトがエドワードに止めを刺そうと迫る。視界がぼやけ、脳も揺らぎ、まともにものも考えられないが、エドワードは本能で死を覚悟した。

 耳元で雷鳴の音が轟く、眼前のモリビトは胸から血を噴き出した。その音があまりに間近だったので、遂にエドワードはばったりと倒れてしまった。

 薄れゆく意識の中、誰かに乱暴な手付きで体を掴まれた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 目を覚ました。白い布で顔を覆われている。体がどこかふわりとした感覚。死に近づいているのか。

 指を動かす。動く。段々と夢うつつの状態から抜け出せてきたような気がする。

 ―――ここは。

 布を払うと、そこが一目で病院。正しくは、ケフト施薬院の病室だと分かった。

 質素な木製の部屋で、青と赤、二輪の花を挿した花瓶のほかは飾り気がない。窓の高さと他の建物の大きさから比較して、三階に居ることもわかった。後頭部に違和感を覚え、さすると、布が貼ってある。首を触ってみたら、包帯が巻かれていた。声を出そうにも、喉が渇いている。

 どうやら、自分は助かったようだ。そして、アクリヴィには感謝しなければならない。

 頭はまだ少し重いが、他は特に違和感は感じられない。他に、自分を含めて五名ほど居た。ベッドの一つは空だった。

 自分の現状が分かって安心した今、次にメンバーや他の連中がどうなったのか気になる。

 立ち上がろうとしたら、看護婦の方から部屋に来た。看護婦から濡れタオルを受け取り、顔を拭き、水の入ったコップを受け取った。エドワードはすぐにコップを空にした。

 

「お目覚めになったようですね。動きたい気持ちは分かりますけど、もうしばらく安静してもらいますよ。ですが、あなたのお仲間さんなら居ますので、御用があるなら呼んできましょうか?」

 

 エドワードは看護婦にお仲間を呼んでもらった。

 

「よう。気分はどうだ?」

 

 病室を訪れたのは、農夫姿のコルトンだった。

 

「残念だが、幽体離脱体験すらなかったよ。それよりも、他の奴らはどうした? 戦況は? 俺はどのくらい眠っていた」

 

 コルトンはエドワードが冗談を言うほど元気になったことに安堵した。

 

「いきなり質問攻めだな。あんたの質問に答えるには、少々時間を要する。この部屋の中は関係者ばかりだが、込み入った話をするには狭い。あんたが質問してくるのは大体予想できたし、看護婦には許可を貰った。という訳で、天気も良いし、屋上に行って話そう」

 

 肩を貸そうかと言われ、素直にその申し出を受け入れた。立つと、軽い目眩がした。

 体がやや強張っているものの、少し体を動かせば、体内を血流が駆け巡り、体がほぐれてきた。

 階段を上る前に体を伸ばし、エドワードはコルトンの介添えなしで屋上まで上った。屋上には患者の洗濯やらシーツなどがはためいていた。自分達二人以外にも、数えるぐらいの者が屋上に居た。エドワードとコルトンは、腰掛けるにはちょうどいい隅っこの壁の煉瓦に座った。

 コルトンはさっと辺りを見回した。一応の確認であるが、聞き耳を立てるような者はいなかった。

 ある程度周りから離れているので、声を潜めれば、聞かれる心配はないだろう。

 

「最初に述べれば、あんたは丸一日寝ていたと言おう。では、あんたが一番始めに聞いた、仲間の状態について語ろう。まず、俺とジャンベにマルシアは無傷だ。アクリヴィは戦闘中、運悪く味方の肘鉄をまともに腹に食らったが、大事に至らなかった。マルシアはロディムや他の連中の治療につきっきりで、今は寝ているとこだ」

「ロディムはどうした? 俺は意識が飛ぶ前に、倒れるあいつを見たぞ」

「ロディムはあんた以上にやばかった。至近距離でモリビトの吹き矢を喉に食らってしまってな。俺は奴を安全なところへ運ぼうとしたとき、偶然にもマルシアと出会った。奴はマルシアに感謝するべきだな。

 マルシアや他のメディックが言うには、ほら、前のイアンのように、見かけ以上に危険な容態だったらしい。即効性の毒で、十分もしないうちにお陀仏しちまう強力な毒だと聞いたよ。もう、峠は越したから、今日か明日には目を覚ますようだ。始めの質問の回答としては満足がゆくものだったか?」

 

 エドワードは頷いてみせた。コルトンはほかに、エドワードは二人、自分は一人、ロディムは一人のモリビトを倒したことも教えた。

 

「ああ、満足だ。俺がどのくらい眠っていたかも知れたしな。どうやら、初っ端から気絶した俺が一番役立たずだったようだ。ジャンベに会わせる顔がないよ」

「気にするな。あの状況では、誰もが仕方ないと言える。あんたが率いるホープマンズは一人として欠ける者がいなかった。その幸運を喜べ」

 

 エドワードは深く頷いてみせた。

 

「そうだな。では次に、どんな些細な事でもいいから現在の戦況を語ってくれ。ついでに、俺が気絶した原因も知っているようなら教えてくれ」

 

 コルトンは微笑した。

 

「おいおい! 質問が一つ増えたぞ。まあいいけど、少し長くなるぞ」

 

 コルトンはエドワードが倒れた原因について、面白可笑しく喋った。

 若い女性衛兵の一人が飛びかかってきたモリビトに対し、剣で対応できなかったので真四角の盾を振るって対抗したが、彼女はうっかり盾を握る手を放してしまった。集めた目撃者の証言から、盾の勢いはかなりのものだった。

 盾の距離からエドワードの位置は五メートル。体の弱い者が四角の尖がった部分に当たれば、死ぬ可能性もありうる。そこは運よく、エドワードは角に当たらずに済んだものの、痛いことに変わりない。エドワードは乱戦の最中でも周囲を警戒していたが、無意識に投げつけられた盾にはさしもの彼も気付かず、その盾はもろにエドワードの後頭部にぶち当たった。

 運が悪いのか良いのか。エドワードは前者のような気がした。

 力量からして、エドワードは相手より自分の方が上だと測った。あのまま気絶してなければ、もう少し戦えたはず。

 なお、蹴った人物は誰かまでは特定できなかった。モリビトが何人か陣形に入り込んでいたので、モリビトに蹴っ飛ばされたと考えるのが妥当な見方だろう。寝室の花瓶と赤い花は彼女が詫びの意味を込めて、自腹で購入したものらしい。青い花はジャンベが買ったものであった。

 

「俺も買ったほうが嬉しかったか」あえて尋ねるコルトン。

「俺はあんたが無事で、あんたの口から仲間が生きていると聞かされただけで嬉しいよ。さて、最後に戦況を語ってくれ」

「また自ら話の腰を折ってしまうが、腹空かしてないか? 俺は少し空いてきた。あんたも丸一日眠っていたわけだし、ここらで休憩しようじゃないか」

 

 コルトンに腹のこと聞かれた途端、エドワードは急に胃がすぼまったような気がした。エドワードはコルトンの小休止案に乗った。

 ケフト施薬院は三つの建物の総称である。エドワードやロディムが居る寮室館。患者の応対や治療に当たる本館。小ぢんまりとした食堂の三つである。エドワードはコルトンの手を借りて、食堂に向かった。コルトンは少し待ってくれと、エドワードを残して食堂を出た。十分後、コルトンはジャンベを連れて、食堂に戻った。

 

「人数は多いほうが良いと思えてな。それに、語り部が多くて損することはないだろう」

「お元気そうでなによりです、エドワードさん」

 

 ジャンベはエドワードが元気になったことを素直に喜んでいた。こういう素直な一面もあるからこそ、エドワードはジャンベを最後のメンバーとして選んだ。

 三人は同じ物を注文した。ベルダの広場から由来するベルダの野菜スープに、パンである。パンを千切っては、野菜スープに浸して食べた。

 いつもどおり食べるエドワードとコルトンに対し、ジャンベは思ったよりも食が進んでない。表情から察するに、先の戦いの尾を引いているのだろう。二人はジャンベに声をかけて、食べるよう促した。

 エトリアや周辺国ではスプーンやフォークなどのものが流通しているが、この三人にとってその食べる為の道具は馴染みが薄く。素手で掬って食べるほうが性に合っていた。

 エドワードは食欲が湧いてきて、更にもうワンセット分のパンとスープを運ばせた。

 食事が済むと、今度は三人で屋上に上った。エドワードはようやく、コルトンとジャンベという二人の語り部から事情を知らされた。二人は真剣に、やや暗い面持ちで語った。死者十一名。重傷・軽傷合わせて、十名。そのうち、戦えなくなった体の者は二名。ロディムはその数には含まれなかった。倒したモリビトの数はざっと五十名余り。

 知り合いに死人はいないが、負傷者はいた。

 モンパツィオの仲間でレンジャーを勤める隻眼の男ヌナは、右腕を複雑骨折して、全治三ヶ月の重傷を負った。ゲンエモンほどではないが、エドワードは先輩として彼のことを尊敬しており、弓を握れなくなったヌナの心中を察する。

 当初の予定ではモリビトの死体も持ち帰る案もあったが、現実には不可能だった。何故なら、モリビトは樹海時軸を通ったことがないからだ。

 試しに、五人ほどにモリビトの死体を担がせたり、手を握らせたまま変位磁石の光を通らせても、光はモリビトの死体を持ってこなかった。仕方なく、幾つかの死体から、装備や持ち物を剥ぎ取った。

 地上に帰った後、ゲンエモンと執政院ラーダの関係者は対応に追われた。衛兵の親族からの訴えだ。ただの掃討作戦で、どうしてこんなにも犠牲が出たのだという、当然の疑問と訴えであった。

 訴え出るのは市民だけではない。第四階層に辿り着いてない冒険者たちもだ。

 四階層に到達してない冒険者たちは、不満に思うことがあった。四階層への立ち入り禁止だ。突然の四階層立ち入り禁止に、冒険者たちは戸惑いを隠かず、事情を説明しろと申しても、ラーダは頑として口を閉ざした。そのせいで、横との繋がりが大切な冒険者たちの間に隔たりができた。おまけに、立ち入り禁止以降、四階層に到達してない冒険者には試験を課したのが拍車をかけた。

 半数以上のものは立腹した。今回の犠牲に関し、彼らの中には冒険者を蔑ろにした報いだと言う者までいた。この発言を聞いた市民が冒険者に喧嘩を売り、一部、市民と冒険者の間で不和が生じる始末。

 更に、ゲンエモンと副隊長の間にもいざこざが起きた。

 副隊長は名士フリストの長男であり、家長の愛してやまない妻の忘れ形見。

 幼い頃から甘やかされて育ち、彼の権威と地位は半ば親の助力が大きい。そのためか、妙なところで劣等感が強く、嫉妬や傲慢な一面もある。愛国者であることに誇りを持ってるが、国の歴史などには疎い。自分はこの立場にいながら、こうなんだぞと無理に主張してるように見えて、周囲からは小馬鹿にされてた

 彼を名士の名で呼ぶのは逆に失礼だと、大抵の者は彼を名前で呼ばず、役職名で呼ぶのが殆ど。そして、彼はそのことに気付いてなかった。

 副隊長は当然、先発隊はエトリア出身で、誰よりもエトリアの平和を願う自分が指名されるものと思っていたばかりに、ゲンエモンが先発隊の隊長に任命されたことにショックを受けた。

 ゲンエモンへの衛兵と冒険者からの信頼は厚く、指導する力量があると認められ、ゲンエモンは先発隊の隊長に任命された。

 私は彼より劣るというのか? そのことも、ゲンエモンへの嫉妬を駆り立てた。

 犠牲者には彼の部下もいたため、彼はここぞとばかりにゲンエモンを糾弾し、議会にゲンエモンの降格を願い出たが、議会はゲンエモンの降格を見送った。副隊長には主に衛兵を、ゲンエモンは冒険者たちの導き手として選ばれた。

 今回の犠牲は決して安くはないが、この完全に手探りの状況で無事に帰還できたことは驚異に値し、ゲンエモンは執政院の命令通りにも動いた。悔やむのは我らの情報不足にある、彼に咎める点はない。

 

「副隊長殿、逆の立場であれば、あなたも同様の。もしくは、それ以上の犠牲を払って帰還したことになりますぞ。今は窮地に一致団結して対処するとき。身内を糾弾するときではありません」

 

 ヴィズルの代理として議会長を務めるオルレスもゲンエモンの弁護に回り、エトリア総隊長のミルティユーゴも庇った。議会終了後。ミルティユーゴに言われて、副隊長はしぶしぶゲンエモンに詫び入れた。ゲンエモンも彼に詫びた。

 

「謝るのはわしのほうだ。情報不足だったからなど、言い訳にならん。むざむざ、将来がある者たちを亡くしてしまったのはわしの責任だ」

 

 今、ゲンエモンは執政院や部隊に関する情報の整備や雑務。冒険者同士や市民との間を取り持つのにてんてこ舞い。

 

「ゲンさんは大変だな。心情を察するよ」エドワードが言う。

「そうそう、ゲンエモンさんと言えば、お弟子さんがいますよね。シショーさんとコウシチさん。シショーさんは無傷でしたが、コウシチさんは軽い手傷を負ったようです。ゲンエモンさん、コウシチさんが怪我を負ったと聞いたら、顔色を変えて、酷く心配したらしいです」とジャンベ。

「コウシチはギルド長とかを除けば、結構付き合いが長いほうだからな。それがどうしたというのだ?」

「どう言い表したらいいものか。とにかく、コウシチさんへの反応が他の人よりずっと違っていたというだけです。すみません、関係ないことですね」

 

 コウシチは十代の時、エトリアを訪れた。彼は元剣士の夫妻に拾われて育ったが、強盗目的の放火に遭い、彼を残して一家は死んだ。行き場を失った彼は、剣士の知人であり、自身が尊敬するゲンエモンがいるエトリアへ訪れ、弟子入りを果たした。

 

「では、話を続けよう」

 

 コルトンが語りを再開した。

 現在、執政院が市民と冒険者の対応に当たっている。討伐隊のほうは、副隊長率いる二番隊が迷宮に降りたが、副隊長と執政院の命令で、部隊は十六階にずっと留まっている。

 

「何日かの間は、十六階で様子見だとさ」

 

 執政院は、衛兵の親族には怪物との戦いで命を落としたと誤魔化しているが、その嘘も、戦いが長引けば通用しそうにない。執政院ラーダは市民にモリビトという余計な存在を隠し、市民に不安を与えないよう短期の決着を望んだが、この状況では難しい話である。ジャンベはううんと首を捻った。

 

「僕は難しい話は分かりませんが、政治と戦争というのは、変にごたごたした形でくっ付いていますね」

 エドワードが同意した。

「お前の言うとおりかもな」

「で、お前さんは俺ら二人の語りで納得したかい?」コルトンが言う。

「うむ、状況は掴めた。お前さん方には感謝するよ、ありがとう」

「そうか。では、今度は俺からお前さんとジャンベに聞こう。まずは、ジャンベからだ」ジャンベは居直った。「そう固くなるな。ちょっと簡単なことを聞くだけだ。ジャンベ、戦いはどうだった?」

 

 ジャンベは微かに俯いた。思いつめ、張り詰めたような表情。ジャンベはゆっくりと、コルトンと目を合わせた。その声はいつものような響きはなく、舌に鉛が乗っかったような感じだ。

 

「一つ言えるのは……いつもの冒険のような怖さというか、緊張とはまた違いましたね。人というか、人に近い者達との戦いは、また別の怖さと緊張がありました。躊躇すれば、こっちが殺される。こんな事ぐらいしか言えません。あの場では、僕のような未熟者はとてもじゃないですが、自分の身を守るので精一杯でした。もう一つ言えば……人にしろ、モリビトにしろ。目から生気が抜けていくところを見るのは、嫌な気分でしたよ……」

 

 少しは気持ちを吐き出せて楽になれたのか。ジャンベは深く息を吸うと、ふうぅと息を吐いた。

 コルトンはジャンベを慰めた。

 

「お前はあの状況下で衛兵を助けたのだろう? その上、お前さんはあの場で自分の出来ることを冷静に見極めて、無傷で生還した。初戦で大したものだよ。そして、お前さんの言うとおり、躊躇はするな。味方や自分がピンチのときは、ギターではなく弓の弦を弾け」

 

 最後の言葉は厳しい顔付きで言った。ジャンベは気圧されまいと、目を逸らさなかった。コルトンは肩を優しく掴み、安心するように笑ってみせた。

 正直、いちいち考える余裕など無かった。いつ殺されるかという極限のさなか、頭に本能的にパッと思い浮かんだこれをやろうと思ったことをしただけ。まともに考えていたら、あの場では生き残れなかったかもしれない。

 

「だから、固くなるな。ちょいと、感想を聞きたかっただけだ。次に、エドワード。お前も戦に参加すること自体は初めて」

 

 エドワードはコルトンの言葉を遮った。エドワードは鉄の鏃のような鋭い眼差しを両者に向けた。

 

「あんたが望むなら答えよう。俺の意志に変わりはない。モリビトが道を塞ぐのなら、こちらはその壁を崩すのみ。もう一つ付け加えれば」

 

 エドワードは口端をニヤリと歪めた。「今度は奴らにたっぷりと矢を浴びせてやる。そして、最後まで二本足で立つ」

 戦場の血を浴びて狂喜に打ち震える残酷や残忍さと形容するよりかは、無様な醜態を晒した汚名を晴らしたい気持ちと、自分の心は決して折れてないと仲間を安心させる余裕の表しであった。この答えに、ジャンベはさすが我らがパーティのリーダーと内心褒めた。コルトンはエドワードの心が折れたり、恥辱に塗れて絶望したり、ましてや戦場の狂気に呑まれたりしてないのを知り、満足そうに、エドワードを真似て口端をニヤリと歪めさせた。

 やや怖い笑みを浮かべる二人に挟まれて、きょろきょろとジャンベが顔を動かしたのを見て、二人は普通に軽く微笑んでみせた。

 

   ****

 

 モリビトたちは無言で勇士の遺体を背負い、近くの林村まで運んだ。

過去の歴史は、八百のモリビトがたった六十の地上の者と相討ちになった例もあるが、過去は過去。現在の時が大事である。

 

「割に合わない」

 指揮を任された十一の林村の大僧正が居並ぶ死者を見て言う。死者の周りでは、同じ林村の身内の死を嘆く者。戦友の死を嘆く者たちがいた。大僧正は僧侶たちと共に、一人一人に冥府へと送る祈りを捧げた。

「五三の犠牲と、二十そこそこの犠牲。割に合わない。おまけに、地上の奴らは十六階でこそこそと動き回っているというではないか。地の戦士さえ参戦してくれれば、もう少し討ち取れたものを」

 

 今回の作戦に、神官は地の戦士の参戦を許さなかった。何故という疑問に、神官は時期が早いと答えた。

 

「聞けば、地上の者共は新たな武器を手にしたようではないか。初戦を叩くのは肝心であるが、わしはこの初戦。地の戦士の者共を参戦させるほどの価値は無いとみる。二度目、あるいは三度目の交戦までには敵の新武器の正体と有効範囲を調べよ。それまでは、地の戦士の参戦は控える」

 

 正直、使者の一団が話したあの新武器のせいもあり、作戦は失敗に終わった。あそこまで激しい音とは予想だにしなかった。初陣に参加した者たちと大僧正は、しかと武器の威力を見届けた。それでも、あの武器の射程範囲まではまだわかっていない。

 

「我らはもう一度、戦士たちに多大な犠牲を強いることになる。神官殿を信じよう。あの武器の威力と、現代での地上の者たちの戦法がいかようなものか見極めること。それこそ、我らの勝利に繋がろう」

 

 大僧正は自らにそう言い聞かせた。

 

   ****

 

 三日間。膠着が続いた。稀に石やブーメランが飛んでくることもあったが、被害は無かった。

 一日おきに、ゲンエモン、副隊長に部隊と交代した。多くの者は戦闘が無いことにホッとしたが、十六階に居座るだけのこの状況は却って戦意が低下した。偵察を出すことも考えたが、執政院が許さなかった。

 

「全く! 現場にいちいち口出ししおって」

 

 偵察すら出せず、ゲンエモンや副隊長すら不満に思った。こうしている間にも、敵は着実に新たなる罠を張り巡らしているに違いない。罠もたいしてない今こそ、攻め入る好機。

 五日目。執政院ラーダは重い腰を上げ、部隊に出撃を命じた。

 とはいえ、ゲンエモンはすぐには攻め入らず、危険を承知で十七階の更なる開拓を進めた。翌日も、今度は副隊長率いる二番隊が作業を引き継ぎ、道を切り開いた。どんな罠や攻撃が来やしないかと、警戒したが、意外なことにモリビトの攻撃はなかった。

 それもそのはずで、モリビトは別の問題が発生し、問題に対処するために人手を回していたのだ。

 同時に、その問題は地上の者たちにとっても共通であり、モリビトにとってのその問題の種が地上側勢力に向かってくれれば、これほど好都合なこともない。

 六日目。熟練した冒険者と土木工事の技術も教えられた優秀なエトリアの衛兵たちにより、行進するための道が開けた。

 七日目。人員二十名、四階層到達許可を貰った二組のパーティを加えた百名余名の部隊は十八階目指して行進した。

 十八階は天井の高さはさしてないが、見渡す限り、何もない荒地が広がっていた。何キロか先に、薄らと森が見える。

 ゲンエモンはここでも、初日と同じく、重装歩兵で固めた移動を試みた。改良点に、前二列と後ろ二列の横にわざと隙間を開けておいた。左右から人を繰り出し、近くを回って偵察させて、危険があればすぐに逃げ込めるようになっている。また、敵は防御に破れ口があると勘違いし、誘いに乗ってくるかもしれない。その見込みは薄いが。

 一週間前の事件と前回の戦いにより、モリビトは猿の如き敏捷性と逞しさ、一部に限ってだろうが人間の言語を話せるほどの高い知能を有するのが分かった。

 こんな単純な誘いには乗ってこないだろう。キアーラなど、カースメーカーが気配を感知した。

 

「森の向こうと、ほんの少しだけど、地面の下からも気配がする。穴掘って隠れているかも」

 

 カースメーカーたちの言い分は正しい。モリビトは地面に穴を掘り、隠れて機会を窺っていた。

 部隊はモリビトが潜む穴の近辺から離れ、少しずつ移動した。森のモリビトたちは攻撃できなかった。これは地上側もであるが、双方、何百と離れた先にいる敵を攻撃できるような武器や兵器を持ち合わせてない。

 双方にできることはただ一つ。相手の出方を窺うこと。

 またしても膠着が続くか。その時、森の向こうに潜むモリビトたちは派手に戦太鼓を叩き、戦の笛を鳴らして姿を現した。笛の音はポーと蒸気のような音だ。カールロは近くにある枯れ木に上り、数を確認した。

 

「敵。数百五十」

「百五十か」

 

 ゲンエモンは顎髭を撫でた。モリビトたちは、前列の戦士に盾を抱えさせて行進した。背後には、赤紫色のモアに乗った指揮者たちとその護衛がいた。二枚板の盾や獣皮製の盾、貴重な鉱物を薄く張った盾を抱えて、戦士たちは地上の者と同じような行軍隊形を模した。

 モリビトたちは始めはゆっくりと行進していたが、やがて、地上側との距離を詰めてきた。

 三百メートルにまで接近してきたとき、ゲンエモンは二人の衛兵に発砲を命じた。

 モリビトたちは一斉に行進を止めた。大僧正は低空飛行すれすれで飛ぶ妖精モリビトの半分に、天井ぎりぎりの高さまで飛んで見張りをするよう命じた。

 妖精モリビトは上でぴったりとくっ付いたまま、移動した。

 衛兵と冒険者たちは口を揃えて、羽を生やした空を飛ぶ赤ちゃんのようなモリビトに注目した。

 

「静まれ! あれらがこちらに向かって下降するようならば、弓兵とアルケミストの諸君。そなたらの矢と術式であの羽虫どもを追っ払え」

 

 モリビトたちは二度目となる進撃の太鼓を叩き、二百メートル台まで接近した。ゲンエモンは突撃を命じなかった。

 

「数はあちらが優るが、兵士の強さと兵器力ではこちらが優っておる。目一杯引きつけて撃つのだ」

 

 モリビトは、この状況で地上側があの万全の守りを崩してまで仕掛けてくるような愚策に出ることはないと見た。好都合だ。大僧正は思い切って、今度は地上側との距離を百五十メートル台まで詰めた。

 火縄銃が盛大に火を噴く。さっきは二丁だったが、今の射撃では更に十丁の鉄砲が火を噴いた。地上側から薄らともやもやした煙が昇る。

 前列の盾を持つモリビトたちは盾と体に強い衝撃を感じた。二枚重ねの板張りの盾は一枚ひび割れ、獣皮性のものは命中した箇所の皮に穴が開き、鉄の盾は凹んでいた。指揮者たちは三十メートルほど離れるよう号令した。何分かして、全ての妖精モリビトは見張りを交代した。一体はモアの頭に、一体が大僧正の肩に留まる。

 

「クロツェ様。僕たちが見たところ、あの火と雷の音を出す長い筒は、一回使用するのに大層時間がかかるようです」

 

 クロツェ大僧正は見張りについた妖精モリビトの内、三十人を適当に選んで聞いた。

 総合すると、一発撃つのに、大よそ三十秒か一分以上かかるとのこと。

 また、これは自分の想像であるが、あの武器は、こうした安定した地盤でなければ有効に使えない武器ではないかとも考えたが、勝手な想像は控えてこう。

 三度目となる戦太鼓を叩き、戦士たちを地上側に向かわせた。

 大胆にも、百メートル台まで接近したとき、火縄銃が猛威を振るった。弾丸は鉄の盾をも砕き、十三名の戦士は体に穴を穿たれ、どくどくと血が流れ出た。指揮者たちはモリビト語で退却を告げた。倒れた味方にモリビトが集い、速やかに回収を行う。

 ゲンエモンは彼らの狙いに気付いた。このまま帰してしまうのは不味い。ゲンエモンは危険を承知で攻撃命令を下した。百名の地上部隊が接近してくる。エドワードはジャンベの音の力が宿った矢と毒矢を素早く番え、倒れた者たちを回収しようとするモリビトや、あの妖精モドキに向かって矢を放った。

 モリビトたちは地上の者に負けず劣らず。何人もで倒れた者たちを抱えて、凄まじい勢いではるか先にある森へ逃亡した。

 味方の逃亡を助けようと、穴に隠れたモリビトたちも出てきた。ここぞとばかりに、穴から顔を出したモリビトは矢と術式の歓迎に会い、自ら身を隠していた穴が墓穴になった。

 モリビトたちの足腰は強く、早い。重い装備を身に着けた彼らでは、追いつくのは不可能だった。

 ゲンエモンは法螺貝を吹いて、部隊の進撃を中断した。この先の森は彼らの住まいであり、恐らく、大量の罠や待ち伏せもあるはず。幸い、犠牲者は一人も出してない。

 ゲンエモンは追撃を避け、計四個の変位磁石を使用して部隊は地上に帰還した。

 何回目となる議会の場で、ゲンエモンは今回モリビトたちが立てたと思われる作戦の内容を細かに伝えた。これを聞いて、副隊長は懲りずに噛み付きかかった。

 

「敵に火縄銃の有効射程範囲を知られるとは、何て愚か! ですが、私はあなたをこれ以上、咎める気はありません。所詮、あなたはエトリア外の出身者で、おまけに軍人でもありません。素人のあなたの失敗を責めるというのは酷というものでしょう」

「副隊長殿の説教、しかと心に刻んでおきましょう」

 

 この侮辱に、ゲンエモンは平素な態度で応じた。この落ち着き払った物腰。自分が侮辱されたような気がする。副隊長は内心、きりきりと歯軋りをし、「分かってくださったか」と言って、口を閉ざした。

 副隊長はゲンエモンを気に入らなかった。

 国外出身者が先発隊の隊長に選ばれたのもそうだが。冒険者は致し方ないとして、衛兵までも、自分よりゲンエモンのことを信望しているのがとても気に食わない。彼の地位は、執政院の重要ポストから引退した多くのパイプを持つ親のコネもあって就けた地位。

 ゲンエモンは実力を評価されて、一時的にではあるが、モリビト討伐の三つある部隊の隊長に選ばれた。これも、彼の嫉妬心を煽った。彼にとって、モリビトとの戦いは自分が決してコネではなく、実力で選ばれたと証明するチャンスでもあった。武人崩れのじじいにみすみす活躍の場を奪われてなるものか。私は七光りのボンボンではない!

 エトリアの兵士は総轄隊長がまとめる(普段は総轄の”轄”の部分が外されて呼ばれる)。

 他、エトリアには五人の地区隊長がいて、二人は国境沿い。一人は国の中間地点並びに交通網の警戒と整備。二人は姉妹都市担当で、ミルティユーゴは地区隊長も兼ねる。その隊長の補佐として、副隊長が九人いる。そのうち、六人は国境沿いで、後の二人は姉妹都市に配属されている。

 エトリア本都市の副隊長に彼が任命された理由は、彼が一番、樹海に潜った経験があり、総隊長ミルティユーゴの命令でもある。ミルティユーゴは自分以外の者で、非常時に迷宮内での陣頭指揮に当たれる人材が欲しかった。また、彼を除き、四階層に辿り着いた指揮者格の者がいないせいもある。議会終了後、ゲンエモンは彼に話しかけた。

 

「副隊長殿。わしらの間では、何やら誤解があるようだ。どこか話し合える場で腰を落ち着けて、話し合わないかね」

 

 どうせなら、偉そうにふんぞり返ってもらったほうが楽である。

 ゲンエモンは相手と接するとき、常に敬意を払うよう心がけている。副隊長にはそう見えず、この低姿勢が、何故だか副隊長の癪に障る。

 

「結構。私はすべき用事があるので」ゲンエモンの申し出に、副隊長はにべもなく断った。

 

 ゲンエモンも無理には彼を引き留めず、彼の背を無言で見送った。両者のこのすれ違いが、後に大きな失敗を生むことになる。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 六月二十日。敗戦の報が届く。副隊長率いる二番隊だ。死者二四名、負傷者十名。戦えない身になった者は三名。

 十七階の十八階に通じる道で交戦。モリビトは最初と同じように、姿を見せない攪乱戦術を取った。姿を現したモリビトを部隊は火縄銃と矢で撃退。追撃を仕掛けて、十八階に降りたところをいきなり攻撃された。

 鬼のような姿をした頭部に二本角を生やした黒い人型の怪物三体と、鱗肌に羽根を生やした悪魔が三体襲ってきた。この怪物の出現に、前列の者たちは抵抗する間もなく倒された。

 モリビトは退くように見せかけ、追いかけてきた相手を迎え、挟み撃ちにするという高度な戦術を駆使した。一旦退こうとしたが、道の前と後ろを挟まれてしまった。狭いところで挟み撃ちにあい、火縄銃も撃てない。急遽、副隊長は変位磁石を使用。部隊は地下迷宮から脱走した。あまりにも急で、死者を運んでやれなかった。

 全滅は免れたものの、副隊長は厳しく責任を追及された。意外なことに、副隊長をゲンエモンなどが庇った。

 副隊長はそれをありがたいと思わず、同等の犠牲を払ったゲンエモンは何故責められないのだと、益々憎悪を募らせた。議会席に座ったオルレスは、ひたと副隊長を見据えた。

 

「四階層に辿り着けるような人材は少ない中、この犠牲はあまりにも手痛い」

「では、私は解任でしょうか」と副隊長。

「解任はしない。しかし、ゲンエモンとミルティユーゴ殿の指示を仰ぐように」

 

 副隊長は拳から血が出んばかりに、強く握り締めた。

 六月二一日。ギルド長は戸惑った。今日に限って、何名か、四階層に辿り着けるほど腕前の良い冒険者たちが辞めてしまったからだ。

 

「こんな事例、全くないわけじゃねぇが、あの腕が良い奴らが次々に死んじまって、辞めちまうなんて。何が起きてるんだ!」

 

 更に、市民の間でも露骨な非難が目立ち始めた。衛兵の親族は、何が起きているのだと執政院に詰め込み、多くの市民が執政院前で暴動する事態に発展した。二番隊の敗走により、市民に情報を隠せなくなった。役員たちだけでは、最早市民を抑えきれない。事態を重くみたヴィズルは、とうとう、モリビトの存在を(おおやけ)に明かすことにした。

 モリビトの存在に、市民と事情を知らない冒険者は半信半疑であったが、すぐにごうごうと非難の嵐がベルダの広場を通過する。

 

「何故教えてくれなかった」「ヴィズルは独裁者のつもりか」「息子を返して」

 

 凄まじい民衆パワーに、オルレスなどの役員たちは、落ち着いてくださいと声を張り上げた。

 

   ****

 

 神官は村々を歩き回り、戦死者たちを弔い、大地の幸があることを祈った。戦意は枯れてない。が、いつまで持つか。神官は胸に提げた神鳥の笛を見て、あることを思い出した。隣の僧侶に話しかけた。

 

「トル・ホイの樹が後六十回萎れる頃は、神鳥の時であったな」

「はい」

「そうか。ならば、戦士たちに伝えよ。好機あらば、息のある地上の者共を生け捕りにしろとな」

 

 僧侶は神官の顔を見て、背筋を凍らした。神官は、まるで残忍な悪戯を思いついた悪魔のような笑みを浮かべていたからだ。

 

   ****

 

「一日休憩挟んだら、また行く。だが、俺たちは配置換えをされた。……今度、俺たちを率いるのは、ゲンさんではなく、副隊長殿だ」

 エドワードの報せに、ロディムなどは露骨に嫌な顔をした。

「私たちが配置換えされる意味はあるのかしら」

 

 アクリヴィの疑問はもっともである。

 

「何でも、然るべき人員を補うために、腕の良い者を寄越してくれとゲンさんは頼まれたらしい。そこで、俺たちの他、同館に居るアデラの奴ら。オルドリッチ率いるグラディウスの連中は、命の恩人率いるパーティの仇を討ちたいとさ」

 

 この二度の大きな犠牲で、少なからず、ホープマンズでも顔馴染みの者たちの命が失われた。ロディムと歩哨の任を共にし、エドワードの後頭部にうっかり盾をぶつけた衛兵の彼女は死んだ。結婚を約束した相手がいたようだが、彼女の花嫁になる願いは永遠に叶わなくなった。執政院がモリビトの存在を白日の下に晒した翌日も、執政院に来る人数は一向に減らない。執政院は四階層への立ち入り禁止に並び、試験も廃止。

 冒険者たちに積極的に潜るよう勧めたが、何を今更と、多くの冒険者は意欲を無くした。モリビトの存在が余計にやる気を奪った。それでも、新たに九名の冒険者が四階層に降り立ち、部隊に加わってくれた。

 執政院、一部の冷静な市民は焦った。エトリアの主要経済三本柱。農業・工業・樹海の品物。

 現状、エトリアの利益の三分の一は冒険者たちの探索によるもの。

 その冒険者がやる気を無くして探索をしなくなるということは、エトリアの収入の要が三分の一も失われてしまう。

 そんなごたごたを気にせず、エドワードは一人、昼の金鹿の酒場を訪れた。

 店内には、女将と自分の他、シリカやギルド長という意外な人物もいた。シリカはぴょんと振り返って、挨拶した。

 

「やあ、エドワードくん」

 

 ギルド長はぶっきらぼうに「よう」と言った。シリカはギルド長の横腹を肘で突いた。

 

「おやっさんさあ、そんな冷たい挨拶しかできないから、嫁さんがこないんだよ」

「けっ。小娘がうるせぇなあ。俺は自由が好きなんだ。俺以外の男が結婚してくれるし、俺が嫁さんもらう必要なんてない」

「なら、私の身を引き受けてくださいと頼んだらどうかしら?」

 

 女将のこの言葉に困ったギルド長は、むっつりとだんまりを決めた。そのギルド長を流し目で見て、隣に座るシリカはけらけらと笑いものにした。

 

「あんたたち二人の組み合わせは珍しいな」

「そう? 僕は、君が昼間っから酒場に訪れるのも珍しいと思うけど」

 

 シリカは椅子を指でちょんちょんとつつき、エドワードに自分の隣に座るよう誘った。断る理由もなく、エドワードはシリカの隣に座った。

 

「エドワードくん、一つ聞いていいかい」

「答えられる範囲にあるものなら」

「はは! 聞きたいことはね……モリビトのことなんだ」

 

 全く予想してないわけではない。なんせ、常連客が何名か失われたのだから、シリカが尋ねてくるのも当然であろう。

 

「モリビトの特徴とかか?」

「そうじゃなくて、その。ほら、君自身は何を思っているのかなとか。亡くなった方はどうなのかなとか」

 

 エドワードは視線を下ろした。

 

「上手く答えられそうにないな。俺自身の気持ちは変わらない。邪魔するなら倒す、邪魔しないなら無視する。それだけだ。俺の目的はまだ達成されてないし、ここまで来て、はいそうですかと引き返す選択肢はあり得ない」

 

 シリカは腕を組んで、ううーむと眉根を寄せて唸った。

 

「ちょっと期待していたことは違ったけど、まあ、君らしいと言えば君らしいか。ところで、ここに来た用はなんだい」

「何となく、気付けば足を運んでいた。逆に尋ねるが、シリカとギルド長はどうして来た」

「あんたと同じさ」ギルド長はコップの蜂蜜ジュースを少し啜った。

「あんたと同じ、気付けば足が向いていた」

「そうか」

 エドワードも、蜂蜜ジュースを頼んだ。シリカが金券をカウンターに置いた。

「僕が奢るよ」

 

 エドワードはシリカの奢りを受けた。騎馬民族はおもてなしすることも、されることも素直に受ける。

 小一時間経つ頃には、エドワードを酒場を出た。久々に、ブケファラスに乗って気晴らしをしたい。エドワードの背に、シリカが最後にもう一声かけた。

 

「ねえ、戦いはいつ終わると思う?」

「俺が知りたいよ」

 

 エドワードはぽつりと、シリカを見ずに呟いた。エドワードはこの時、予感めいた物が働いて、一目、愛馬を見ておこうという気持ちもあった。

 馬屋に行ったら、馬屋の者達によく世話をするように言っておき、自分に何かあれば、愛馬を譲ろうとも約束した。エドワードはブケファラスの黒曜石の如き滑なかな体毛を撫でた。ブケファラスはひひんと小さく鳴き、エドワードの頬に顔を擦りつけた。

 

「俺たち一族全体の友であり、我が友よ。しばらくはお別れになるかもしれないな」

 

   ****

 

 副隊長はゲンエモンの指定した場所で、彼と対面した。本当は来たくなかったが、上司であるミルティユーゴ総隊長に言われて、嫌々ながら、約束通り夕刻までには訪れた。

 ゲンエモンが指定した場所は、東洋出身のアヤネが経営する花桜(はなざくら)の館。ゲンエモンやグラディウスが寝泊まりする宿屋である。この館にある奥座敷に案内された。ゲンエモンは黒い和服姿で正座して待っていた。ゲンエモンは副隊長に、東洋風のお辞儀をした。

 

「お忙しい中、ご足労いただき感謝を申し上げる。では、堅苦しい挨拶はこれまで。余す時間(とき)を使い、とことん話し合いましょう」

「私が忙しいとご理解されているようであれば、早く帰らせてもらいたい」

「待ちなされ。そのほう、わしのことを誤解しておらぬか?」

 

 ゲンエモンは何か言いたげな副隊長の口を遮り、話した。

 

「失礼。しかし、まずはわしから申しあげさせてもらいたい。副隊長殿、わしはそなたを馬鹿にしておらん。ましてや、そなたの地位を狙っている訳でもない。わしの願いはたった一つ。いつもの探索ができるよう、早いとここの戦いを終わらせることだ。

 それには、わしだけの力では足りない。冒険者同士の連携に、街の方々の協力、衛兵の方達の協力も必要だ。そなたがわしを嫌うておるのは分かる。だが、仲良く手を握ろうとは言わんが、どうか、誤解を解いてもらいたい。わしらが仲違いしても、不利益を被るのはわしらである。わしは、あなたの協力も得たいのだ。身分と立場は違えど、エトリアの街を守るという気持ちは同じです」

 

 ゲンエモンは副隊長に例の東洋の挨拶をした。その挨拶は、客人に対する最大限の礼を示すものだが、副隊長はゲンエモンの話も挨拶も全て無視した。

 部下の犠牲とその対応に追われ、副隊長は疲れていた。仕事を終えた後に呼び出しをくらい、それに加え、ゲンエモンに心の内を読まれ、ペラペラと説教を説かれ、副隊長はかなり気を悪くした。普通に聞けば、ゲンエモンの言葉には説教の類や侮辱など含まれてないことがわかるが、今の副隊長の心に余裕はなくなっていた。彼には、ゲンエモンの話すこと全てが耳障りに思えた。

 

「あんたの言いたいことは分かる。私に大人になれと言いたいのだろう!? 私は用事があるので、失礼する!」

 

 副隊長はゲンエモンの制止を振り切り、禄に挨拶もせずに宿を出た。対応に追われ、疲れているのはゲンエモンも同じだった。―――わしはまた間違い犯したのか。

 ゲンエモンは障子の隙間から外を眺めた。ギュリオン、わしは間違ったのか。悩みを絶つように、奥座敷を誰かが訪れた。障子開けたのは、女主人のアヤネ。ゲンエモンと同い年になるが、その容貌は今だ衰えない。

 

「ゲンさん、オルドリッチさんが一緒にご飯食べよと呼んでおります。いかがなさいましょうか」

 

 アヤネは怒れる副隊長を見て、何が起きたか察知した。アヤネは気遣って来てくれたのだ。ゲンエモンは静かに微笑み、アヤネと共に食堂へと歩んだ。

 

   ****

 

 六月二三日。早朝から二番隊は出発した。

 本来なら、ゲンエモンの一番隊が行くはずだったが、副隊長は本人と各方面の者に行かせてくれと頼み込み、彼の二番隊が行くことになった。

 今度の出撃には、多くの見送りがついた。そのなかにはゲンエモンとアヤネもいて、二人はグラディウスや親しい者たち、ホープマンズの一行を見送った。ゲンエモンはこっそりと、コウシチの手にある物を握らせた。お守りだ。コウシチはそっと、懐にお守りを忍び込ませた。見送るゲンエモンを副隊長は目敏く見つけ、見送りや帰還を祈る言葉をかけるゲンエモンの前まで来て、冷たく言い放った。 

 

「戦場はいついかなるとき死が訪れるか予測不能。あなたのお弟子さんばかり気に掛けられない。余計なことをして、兵士たちの心を乱さないでほしい」

 

 怒って口を開こうとするアヤネを抑え、ゲンエモンは頭を下げ、一歩引いた。

 

「副隊長殿。一言言わせてくだされ、部隊は分けないほうがよい。精々、たまに一名か二名を偵察に送り出す程度に控えたほうがいい」

 

 彼のつとめて冷静に装ったこの物言いとしごく当然なアドバイスに、副隊長は神経を逆撫でされた。

 ぴくぴくと頬をひきつらせ、それはどうもと言うと、前列に戻った。

 副隊長は悪人でもなければ、完全に馬鹿でもなかった。彼は一応プロであった。地下世界に降りると、頭を冷やし、すぐに行動に移った。彼は部隊を前七十。後三十と分けた。

 

「案ずるな。三日前の失敗を犯さぬようの配慮である。敵は少ない後方を襲ってくるはず、そこを狙い、前と後ろで敵を挟み撃ちする」

 

 彼はゲンエモンに反抗心を抱いて、この作戦を立てたのではない。彼は彼なりに考えて部隊を分けた。

 ただ、前は衛兵が多いが、後ろは二十二名の冒険者と、人材の配置に少々偏りがみられた。

 

「何だか、後ろは俺ら冒険者が多いが、意味はあるのか?」とオルドリッチ。

「意味はあるとも。君らは衛兵以上に樹海に詳しく、慣れている。咄嗟の危機にも、よく対処してくれるはず。私が君らに殿を任したのは、君らを買ってのことと思ってほしい」

 

 副隊長のこの発言には嘘はない。実際、彼は冒険者たちの腕を信用していた。しかし、ゲンエモンの弟子や彼と親しい者たちを後方の部隊に置いたのは、少なからず、悪意があったと認めざるを得ない。特に問題も無いので、オルドリッチもそれ以上、副隊長のすることに口出ししなかった。

 彼はゲンエモン。いや、総轄隊長の言うこともよく聞くべきであった。ミルティユーゴも、部隊を分けるのは極力避けたほうがいいと忠告していた。

 であるが、批判の多さに、彼は自分の地位が危うくなるのではないかと焦っていた。そして、その焦りが彼に部隊を分ける方法を思い付かせてしまった。彼のモリビトは低能種族という偏見も、この作戦を思い付かせた原因である。

 部隊を分けて、前と後ろの攻撃から対処する。間違ってないが、これこそ、モリビトの望んだ行動であった。副隊長はあまりにも敵を見くびり過ぎていた。

 反省したと思われる今も、彼はモリビトを未踏の地に住む文化の程度が低い野蛮人共と見下しており、三日前の敗北では、ゲンエモン並みにモリビトを憎んでいた。

 

「キアーラ、感じるか?」

 

 オルドリッチの問いに、キアーラは首を振った。

 

「ううん。駄目。モリビト以外にも、樹海に住む生物たちの敵意やら悪意やらが混じって、数が把握できない。その前に、こんなに多くの敵意をまともに感じ取っていたら、戦うよりも前に神経が参ってしまうわよ」

 

 敵はモリビトだけではない。冒険者や衛兵には馴染み深い樹海生物も存在する。

 この戦いで、始め無視していた樹海生物たちも、血の臭いが増すにつれ虎視眈々と餌である人間を狙っていた。そのため、キアーラのような殺気などを感知するカースメーカーが索敵をしても、樹海生物たちのものも混じるようになってしまい、モリビトの気配を感じ取れなくなってきた。

 一七階。最も警戒すべき階まで降りたとき、異変が生じた。あちこちから、声からして距離はあるが、多くの怪物たちの遠吠えが聞こえた。

 モリビトは樹海生物を利用し、樹海生物たちを地上の者たちが通ると予想した道へと何日もかけて誘導していた。

 

「武器を取れ!」

 副隊長の号令に、前後方の部隊は身構えた。

「右です! 右の方から凄い沢山の遠吠えがします!」

 ジャンベの言ったことに、ロディムは「俺でもわかるわ!」と返した。多くの者が右方向を警戒していたが、約五名は左の方向にも注意を払った。

「アクリヴィ! 左方向の木々を燃やせ! 訳は聞くな」

 

 エドワードの命令に、アクリヴィはすぐに事態を理解して、強力な火の術式を両腕から放出した。木々とくさむらから悲鳴が上がった。二番隊は左右の方向から来る敵にも対処しなければなかった。

 

「今ならまだ間に合う! 撤退だ」

 

 必死に前方の部隊の間に立つ副隊長に呼びかけたが、怪物たちの声がうるさすぎて聞こえてなかったようだ。エドワードは直接知らせようとしたが引き返した。

 エドワードの道を阻むように、鱗肌に羽根を生やした悪魔のような怪物が出現した。謎の怪物の出現に特に恐怖したのは、何を隠そう副隊長だ。異形の悪魔を見て、副隊長はまざまざと三日前の敗走を思い出した。

 副隊長は撤退を忘れ、雪辱を果たそうと攻撃を命じた。だが、元より人望も薄く、この状況で攻撃に向かうのは危険だと判断し、衛兵たちは副隊長の指示通りに動かなかった。

 

「何をもたもたしてやがるんだよ!」

 舌打ちするオルドリッチの肩をキアーラが掴んだ。

「くるわよ」

 

 オルドリッチは鉄棒を手にした。シショーは無言で、小柄なキアーラを守るように盾を構えてずいと前に出た。

 足元が揺れる。植物をかき分け踏み付ける音がはっきりと耳に届く。ぎらぎらと数え切れないほどの怪しく光る眼が近づいてくる。

 怪物たちは上と下から襲いかかってきた。

 火縄銃が一斉に火を吹いた。怪物たちが派手に転がって倒れる。エドワードは矢を三本番え、空を飛ぶ三羽の怪鳥を仕留めた。怪鳥は回転しながら樹や地面に衝突した。

 火縄銃の音で怪物たちの動きが僅かに鈍ったものの、後方部隊は完全に怪物たちに阻まれた。変位磁石を使ってる余裕などない。後方部隊の小隊長はモリビトが潜伏する左側へと部隊を連れた。怪物たちのおおさに、部隊は怪物がいない森の左方向を進んだ。

 ……そして、怪物どころかモリビトが追撃しないことに疑問を覚えた頃、部隊の者達は罠にかかった。

 足に糸が引っ掛かった者、縄で体を吊るされる者、飛んでくる丸太を避けようとして頭を打ち付ける者もいた。

 入り組んだ森では、どこに罠を仕掛けられてるのか判断しがたい。途中から妙だとは思っていたが、やはり罠か。

 

「罠だ! ここは、モリビトの罠の集積所だ!」小隊長は大声で喚起した。

 

 後方部隊はパニックに陥った。あっちへ行け。こっちへ行け。その度に、罠に嵌った。

 

「な、何ということだ! 動くな! 一度踏み止まり、一歩ずつ慎重に行くのだ」

 

 と、そう言う小隊長自身が罠にかかってしまった。獲物を生きて捕える編み製の罠で、小隊長と部下の二名が網に捕えられた。小隊長が罠に掛かったことにより、部隊の混乱は収集が付かなくなった。遂に、残ったのはホープマンズとグラディウスの二組。

 

「助けられる限り助けて行こうと思うが、どうだオルドリッチ」

 エドワードの案に、オルドリッチは無論だと答えた。

「慎重に行けよ。小隊長さんも……」

 

 遅かった。シショーは知らぬ間に糸を断ち切っていた。木々の間から、縄で括られた細い杭を何個も巻きつけた物体が飛んできた。シショーはキアーラを突き飛ばし、盾を構えた。コルトンは素早くシショーの横に付き、二人して盾で受け止めた。衝撃は強く、二人は盾を放しそうになったが、持ち前の怪力を発揮して何とか持ちこたえた。胸を撫で下ろしたのもつかの間、キアーラがきゃあと悲鳴を上げた。

 徒歩十歩分離れて、落ち葉が堆積したところでキアーラは、喉元にモリビトのナイフをあがわれてた。

 モリビトは全身土や枯葉がまとわりついていた。その身のこなしといい、普通のモリビトより手強そうだ。

 モリビトの腕には、赤い布が巻かれてある。赤い布には見覚えがある。大抵のモリビトが緑や茶色などの地味な装備を身に着ける中、たまにいるこの目立つ紅色の服を着た者はかなり腕が立つ。

 

「くそ! 見落とすとは」

 

 エドワードはモリビトの存在に察知できなかったことを悔やんだ。カールロも同じ気持ちだ。

 あまりの混乱に、二人の優秀なレンジャーもモリビトの存在に気付けず。集中力を欠いたキアーラも気配の察知を遅れた。

 モリビトはキアーラの両腕をねじり上げた。キアーラは苦痛で顔を歪めた。

 言葉を話せないのか。モリビトは行動で武器を放せと示した。その時、ばちりと関係ない方向で木の葉が爆ぜた。

 アクリヴィが雷の術式で足元の近くを打ったのだ。視線を外した瞬間、カールロは弓を。そのカールロよりも速く、エドワードはナイフを投げつけた。ナイフはキアーラを傷付けず、見事にモリビトの額に命中した。

 しかし、キアーラを助けたのは無意味であったのかもしれない。ぞろぞろとモリビトたちが現れて、武器を捉えた衛兵や冒険者たちに突きつけていた。杖を持つ、長髪で紫の衣を着たモリビトが分かる言語で喋った。

 

「投降しろ。今この場で捕えたお前たちだけは、しばらくの間生きられるぞ」

「だとさ」

 

 オルドリッチはあっさり武器を捨てた。オルドリッチに倣い、他のメンバーも惜しむように、武器を置いた。

 

「お前たちもだ」僧侶はエドワードを見て言った。

 

 エドワードはこくりと頷き、腰のサーベルや矢筒を背中から降ろした。

 すると、一人のモリビトがエドワードの頭を棍棒で殴打した。強烈な一撃に、抵抗する間もなく、もう一回頭をぶたれ、エドワードは倒れた。

 エドワードを呼ぶ仲間たちの叫びと、モリビトの言語で馬鹿者と叫ぶ僧侶の叫びが両耳に木霊する。

 これで、二度目か。途切れく意識の中、最後にそんなことを思い、気絶した。

 

   ****

 

 予定より早く帰還した二番隊を見て、内壁の上にいたゲンエモンは駆けだした。そこには、あるべきはずの三十余名の姿が見当たらない。ゲンエモンは乱暴に副隊長の両腕を掴んだ。

 

「何があったというのだ!? 三十余名の者たちはどこにいる。グラディウスは、ホープマンズは、レッドユニティは。五人兄弟は。衛兵たちはどうしたのだ?」

 

 ゲンエモンの呼びかけは呆然自失の副隊長に届かなかった。大きなショックでまともにものを考えられなくなった彼の頭にも、はっきりとわかることがある。自分の地位はおしまいだ。

 

「副隊長殿、黙っていては解らん。何があったのか申せ!」

 

 ゲンエモンは副隊長の体を揺すった。副隊長は糸が切れた人形のように揺さぶられるがまま揺れた。

 ゲンエモンの必死の呼びかけに、帰還した副隊長と敗残兵たちは口を重く閉ざした。

 その頃、馬屋では大きなブケファラスが突如、暴れ始めた。馬屋の者達は必死に黒い暴れ馬を宥めすかした。ほぅほぅと口ずさんだり、どうどうと一般的な呼びかけも試した。

 

「どうどうどう! どうしたい、ブケ? 蛇や悪戯小僧にでもなんかされたか?」

 

 ブケファラスは答えられるはずもなく、ただ、馬屋から出ようと足掻いた。

 


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