世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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十四話.交渉決裂済み

 真夜中。

 トルヌゥーア内壁の見張りが少ない時間帯に怪しい人影が三つ。背丈からして、親子連れと思しき三人は衛兵の目を盗み、縄で壁を越え、密かに樹海時軸から地下迷宮第四階層へと降りた。四階層の生物たちは、不思議なことに三人を襲わなかった。

 約一名。ふらふらと千鳥足で歩く男は隙だらけで、恰好の標的だったが、その男を守るように寄り添う二人にはただならぬ殺気を感じ、特に小さい背の者からは大変不気味な気配が発せられていた。

 樹海の生物たちはこの珍妙な三人組を無視するか。危険と判断して見て見ぬふりをした。たまにはやって襲うのもいたが、その牙が届く前に、石像のように動きが硬直した。三人組は襲ってきたのが道を塞いでしまわない限り、止めを刺さずに放置した。

 三人組は一糸乱れぬ歩調で一六階を過ぎ、一七階まで無傷で降りた。

 不審者だ! 侵入だ! 侵略だ! おっぱじまるぞ! 地上の者らだ! 武器を取れ!

 斥候組の報告で、モリビトたちが騒ぎ出した。一団の指揮を任された齢の大僧正は一声で彼らを鎮め、自らともう一人の大僧正に僧侶四人を連れ、残りの者は付かず離れずの位置、距離にして平均四十メートルぐらい離れて隠れた。

 十八階へ通じる道の手前、三人組が接近してきた。使者の六人は、わざとらしく微かに音を立てて姿を表した。三人が身構える。

 大僧正が驚かさぬよう、静かに口を開いた。そのモリビトの特徴か。それとも、モリビトの男共通なのか。大僧正の声はやや野太く、滑舌が悪い。

 

「待て。我らに敵意はない。話し合いをしにきただけだ」

 

 文字で書けば明瞭だが、実際は「あ」や「い」など濁点が付くべきではない箇所に変に濁点が付いたり、「し」が「ち、ぢ」とかになっている。

 そのため、声だけ聞けば、あたかもド田舎上がりの田夫野人(でんぷやじん)が喋っているように聞こえる。モリビトの言葉だと流暢な彼も、地上の言葉となれば、さすがにそう上手く喋れない。

 

「早速だが、地上の者らよ。お主らが盟約を覚えているならば、既に知っておるだろう? お主らの誰かが既に我らの同胞を殺めた。本来、この時点で争いが起きてもおかしくないが、懸命なる我らが指導者は私に使者を任じられた。そこもとは使者か?」

「一応、そうだと申し上げておこう。して、何が望みだ?」一番背の高い黒ずくめの者が答えた。

「至って単純、平和だ。我らは必要とあらば戦うことは辞さないが、一番は平穏無事に暮らすこと。この望みはそのほうらにも理解できるだろう? 

 そなたらの言葉で言えば、我らが居るこの世界を『第四階層枯れ森』と呼んでいるのか。はっきり申す。二度とここに立ち入るな。しかし、それはこの『第四階層』に限った話であり、『第四階層』より上の世界に関しては、出入りはそなたらの自由だ。そのほうらにも事情があるだろうから今すぐこの場で申せとは言わぬが、出来る限り早い返答を望みたい」

「しばし待たれ」

 

 背の高い者はこぢんまりとした黒づくめの者と顔を突き合わせた。モリビトの僧たちは小さい者を警戒した。

 彼らは戦士とはまた異なる厳しい修行の末、自然界のエネルギーを実体に変えて攻撃する術を身に付けた。

 だからこそ、同じ不思議な力を持つ者がわかり、そのこぢんまりとした者から妖異ならざる気をひしと感じ取っていた。背の高い黒づくめがこちらを向いた。仮面をしているので表情や性別まではわからない。

 

「待たせたな。まずは、彼のメッセージを受け取ってくれ」

 

 唯一。黒づくめではない男がふらりと前に出た。冑を被っているので、やはり表情は見えないが、どうも歩き方が不自然である。嫌な気配が漂う。

 使者役の大僧正の部下が一人、彼の身を案じて前に出て、声を荒らげて言った。

 

「待て!? もう少し離れて申せ! そんなに近づく必要がどこにある?」

 

 男は答えず、ぴたりと足を止めた。と、次の瞬間。男は目にも止まらぬ速さでナイフを抜き、両手でナイフをがっちりと掴んで刺しかかった。声を上げる間もなく、大僧正の前に立つ僧侶は胸を一突きされた。瞬時の出来事に誰もが停止した。

 だが、使者役の大僧正はすぐに男を杖で殴りつけた。男と僧侶、二人して倒れた。他の僧たちが男を押さえた。

 傍らの大僧正が身を挺して使者を守った僧侶を抱きかかえたが、がっくりと首が項垂れ、紫の衣と大僧正の白い衣は赤緑の血で汚れた。

 一拍遅れ、戦士たちも物陰から飛び出し、僧たちの代わりに男を押さえつけた。

 使者の者は杖でどんと地面を突き、怒りに満ちた顔で黒づくめの二人に向かって叫んだ。

 

「始めに申したことが聞こえなかったのか? 我らは話し合いのため、ここに参じたのだ。今すぐ殺し合いを始めるためではない! これが、そなたらの返答だと申すのか?」

 

 背の高い者がくくと笑った。人を小馬鹿にしたようなその潜めた笑いに、大僧正は激昂のあまり飛びかかりそうになった。大僧正はすんでのところで自らを律し、今にも飛びかからんばかりの戦士たちを抑えた。彼は男を放すよう命じ、加えてあの二人も見逃すよう言った。

 一人のモリビトが、モリビト言語を喋る。戦士は大僧正に掴みかからん剣幕だ。

 

「なぜです! あ……あの者どもは一度ばかりか、二度も我らの仲間を……!」

「構わぬ。我らが一斉にかかれば、この三人程度などどうとでもなるが、それではあの暴虐な奴らとなんら変わりない。この男もあの二人も殺す価値はない。もしも、またこの三人がのこのこと顔を出すようなら……」大僧正は男と二人をそれぞれ鋭く一瞥し「その時に殺せ!」と言った。

「地上の者らよ。そなたらの返答とやり口しかと理解した。もう、お前たちとの交渉は叶わぬ。今日、お前たちがしでかしたこの残虐非道なる行為は末代まで語り継ごう。もっとも、お前たちはすぐに忘れてしまうのだろうがな……。今は見逃してやる。さあ、私の気が変わらぬうちにとっとと行け! そして、のちのち自らの行いを後悔するがいい!」

 

 戦士たちは口惜しそうに、男の体と喉元に突きつけた刃を外し、男を開放した。

 背の高い者は形だけ腰を下げ、男を引き取った。

 三人が引き返そうとしたとき、一人、他の目を逃れてこっそりと気付かれないよう移動した戦士が、槍を構えて突進した。大僧正が静止する前、目にも止まらぬ速さで背の高い者は鯉口を切り、槍の穂先を切り落とし、返す刀でその戦士の首を薙いだ。鈍い音を立てて首が落ち、遅れて胴体から赤緑の血が勢い良く噴き出した。殺せ! 大僧正が叫ぶ。

 戦士たちが一斉に動き出す。しかし、背の低い者が腰から縄が付いた丸包みを取り出し、火を点火して、足元に投げた。

 小さな破裂音とともに、煙幕が辺りを覆った。煙が晴れると、当然だが、三人組はとうに姿を消していた。三人の逃走を阻もうとしたしたのか。煙が現れた辺りでは一人の戦士が倒れ、一人はかっと目を見開いたまま、事切れていた。

 うおおおおおおおおおん! 獣のような咆哮。

 目の前で仲間を殺され、その仇を討てなかった者達が怒りと死んだ者の悔しさを思い、慟哭した。大僧正は再び杖を鋭く付き、自らも叫んだ。

 

「これが! これが! 我らより文明が進んだ者のやることだというのか!? 我らの天敵であるあのおぞましい獣となんら変わりないではないか! 神官殿も、我らも間違っていた。彼らのような人種と対話を望むのは無理だったのだ。こんな……行為を平然とやる連中などと」

 

 大僧正は足元に転がる赤緑の血で汚れたナイフを蹴飛ばした。

 ナイフを弧を描いて宙を回り、木に弾かれた。大僧正の行動か。ナイフが弾かれた音のせいか。一団は水を打ったように静かになった。

 そうして、大僧正は冷静な面持ちで、武装した妖精モリビトに伝令を託した。

 妖精モリビトが飛び立つと、大僧正はただちに十八階手前のここに臨戦態勢を敷いた。

 

「交渉が決裂した場合。万が一に備え、我らにここで奴らを足止めするよう命じられた。交渉に乗ったふりをして騙し討ちをしたり、武器を捨てれば命を助けると言っておきながら、皆殺しにするのは奴らがよく使う手だと聞く。あの三人は囮で、本隊が待機しているかもしれん」

 

 妖精モリビトは烈火の勢いで報せを各林村にもたらした。

 報せは、今まで戦いに乗り気ではなかったモリビトの心も戦いに向かわせ、地上の者に対する恐怖と敵愾心はより一層増した。そのモリビトたちとの交渉にあたった三人は地上に帰ると、二人と一人に別れた。そして、交渉相手の一人を刺した男は交渉時に着ていた服を路地裏のごみ置き場に脱ぎ捨てると、がくりと糸が切れた人形のように倒れた。

 

          *――――――――――――――――――*

 

 五月一二日、早朝。人々の目が覚める前、朝靄がかかった時間帯。二十名余りの冒険者と十名ほどの衛兵が内壁の内側に集合した。冒険者の面子は、ホープマンズ、グラディウス、ドナ一行、ゲンエモン一行とそうそうたる顔触れ。

 内一人は丸腰で、眼鏡をかけたどこにでもいそうな男だった。彼は雑貨商イアンの店主イアン。

 樹海の生態や物に興味を持ち、金鹿の酒場を通じて、度々冒険者に樹海のデータを取るよう依頼して、自らも冒険者に付き添う形で何度か降りた。知識だけなら、並の冒険者より詳しい。

 地下世界部隊の中で唯一、あの契約をしていない人物。

 今回、オルレスとゲンエモンがヴィズルに直談判し(オルレスを押したのはゲンエモン)、ヴィズルは渋々とモリビトと交渉することを許した。

 ヴィズルは条件として、部隊以外の人員から選ぶよう言った。そして、樹海に詳しく、肝っ玉が据わり、口が堅くて信頼が置ける人物にイアンが挙げられた。執政院としてはエトリア全土の利益が一番であり、野蛮と決めつけたモリビトに対し強攻策も辞さない構えであるが平和裏に事が運べるなら、その方法を望んだ。

 

「可能性は低いが、わしはまだ見ぬ彼らが本当に野蛮なだけかそうではないのか知りたいのじゃ。それを知るには、まず話し合いからじゃ。彼らがただの野蛮人なら、問答無用で攻撃してくるだろう」

 

 三十一人は四階層へと降りた。さすがにこれほどの人数なので、怪物の出現回数も増したが、ここで新式火縄銃が活躍した。火縄銃は防御向きで、このような進軍や攻撃にはどちらかといえば不向きだが、脅しには効果的。大挙して押し寄せれば、五つの筒が豪快に火と煙を吹き上げ、怪物は算を乱して逃げた。

 鈴を鳴らし、時には火縄銃を撃ち、一同は進んだ。

 数時間後。一人として欠けることなく一八階に通じる道の付近に到達した。

 道は広く、木も疎らであるが、道の付近はごちゃごちゃと植物が伸び放題で、奇襲をかけるにはもってこいの場所だった。

 ここで、レンジャーであるエドワードや、キアーラのようなカースメーカーたちが、周囲に隠れている者たちがいることを告げた。

 

「微かだが、獣以外の何かが通った跡がある。もしかたら、かのモリビトか。はたまた、俺たち冒険者の誰かが通った跡かもしれん」とエドワード。

 

 三つ編みを手で払い、キアーラが胡散臭そうに前方の木々を見た。

 

「私は彼のように五感で見分ける力はないけど、感じ取ることはできる。そうね…多分、私たちに向けられている敵意は二十から三十ぐらいね。ついでに、なんか凄い嫌な気配がする」

「敵意とな? まあ、当然であろう。彼らにとって、わしらは侵入者以外の何者でもないしな。では、出番じゃぞ。イアン殿」

 

 コルトン。シショー。ドナ一行のメンバーで、優男という言葉がよく似合う金髪白皙のパーヴォ。三人のパラディンがイアンの護衛として横に付いた。

 三人はそぞろ歩み、道の手前二十メートルで停まった。イアンが一歩前に出て、声を上げた。

 

「そこに居ることは知っています。我々は戦うためではなく、話し合いをしにきた。誰か、あなた方の中から私の言葉を解する者がいれば、どうか返事をしてほしい」

 

 返事もなく。姿も見せない。ただ、イアンを除く者は、明らかに気配を感じていた。しばらくして、相手は姿を見せずに応じた。

 

「よかろう。我らの返事を聞かせよう」

 

 ざわと後方に控えた一同は騒いだ。

 やや聞き取りづらいが、モリビトが人の言葉を解したことに、冒険者に衛兵、当のイアンも驚きを隠せなかった。モリビトは話を続けた。

 

「我らがそなたらの言葉を解して驚きを隠せぬようだな。白々しい真似は寄せ。そなたらは、我らがそなたらの言葉を解することを知っているのだろう?」

「どういう意味でしょうか!? 私の言い方が礼を損じていたのならば、詫びます」

「ええい! いつまでしらばっくれておるのだ! 一度ならず、二度も我らの同胞を新たに二人も殺した奴らの話に傾ける耳など持たん!」

 

 コルトンはイアンを下がらせようとしたが、イアンはコルトンの手を払い、更に一歩前に出た。

 

「我々が誤解してあなた方の同胞二人を殺したことはお詫びします。虫が良すぎるとは理解できますが、どうか話を」

 

 間を置いて、物陰のモリビトは問うた。

 

「そなたの名は何と言う? ここに来た目的は何だ?」

「雑貨商を経営するイアンと申します。私がここに来た目的は、あなた方を含めた樹海に住まうものを知りたいがため。どうか穏便に。私と私をここに連れてきてくれた彼らに、あなた方も無用な流血は避けたいはずです」

「……確かにそうだ。だがな、イアンよ。これだけは言うておこう。もしも、最初にそなたのような者がくれば、まだ道は開けたかもしれんが、もう遅い。それと、最後に一言。新たに殺された我らの仲間は二人ではなく四人だ! この嘘吐きめ!」

 

 イアンが口を開こうとしたら、小さな物体がイアンに飛んだ。三人のパラディンは急いで、盾でイアンを覆ったが、手遅れだった。

 イアンの喉には棘が突き刺さっていた。ぜいぜいとイアンは呼吸を荒げる。パーヴォが盾を構えて後ずさり、コルトンとシショーの二人でイアンが運ばれた。

 

「救護班!」

 

 マルシアとオルドリッチが至急、イアンの処置にあたった。二人の手が微かに光る。

 メディックの一部には魔法のような力を者もいて、軽い傷ならすぐに癒し、解毒もできるが、イアンの喉に刺さった吹き矢はほんの少しであるが動脈を傷つけ、見た目以上に傷は深かった。他の者はモリビトを迎え撃つべく、臨戦態勢に出た。

 

「信じられぬ。まさか、このようなことが。文献に記されたとおり、彼らはただの野蛮人だったのか」

 

 ゲンエモンがぼやきながら、眼光鋭く前方の道を睨み、槍を手にした。と、モリビトが隠れている方向から、大量の石とブーメランが降ってきた。殆どは盾で弾き返された。今度は衛兵たちが筒を真っ直ぐに構え、エドワードや弓の扱いを心得た者は、ファイアオイルを塗った矢を放った。

 倒すことは期待していない。相手の動きを止められればと考えてのこと。

 向こうから悲鳴が上がった。当たったのか、それとも、単に鉄砲の音に驚いただけなのかわからない。

 ゲンエモンが喉を震わせ、腹の底から絞り出しすように大声でやめいと怒鳴った。その雷の大きさに、近くにいる者は耳を塞いだ。

 

「やめい!! この万全ではない状態で戦って勝つ見込みは薄い。モリビトよ。ここは一旦、大人しく引き下がろう」

 

 これを聞いて、モリビトの戦士は叩くべきだと意気込んだが、大僧正は彼らを帰すことにした。さっきとは違い、相手は三十人。こちらも三十人程度。援軍もまだ来るあてがない状態で、このまま戦えば、最悪全滅も免れない。向こうも正確にはこちらの数を把握しきれてない。

 こちらが積極的に戦う姿勢を見せたことにより、こちちに戦う決意があることと、こちらの方が数に置いて優位だと錯覚させたかもしれない。あちら側は攻め入ろうという気にはならないはず。

 それよりも、あの派手な音を立てた筒が気になる。この状態での正面衝突は無謀だと大僧正は判断した。といっても、口頭では決して低姿勢な態度には出なかった。

 

「戦わぬというのか? 臆病者め! なら、帰るがよい! 我らは臆病なやつばらのけつを追うほど暇ではない」

 

 衛兵たちが懐から変位磁石を取り出した。紫の淡い光が一分間の間立ち上り、彼らを地上へと連れ戻した。

 地上の者たちが帰ったあと、戦士たちは指示を仰いだ。

 

「引き続き、待機。あれとは別の一団がここに来ない可能性は捨てきれん。何か報せが来るまで、もうしばらく待機だ」

 

   ****

 

 衛兵はトルヌゥーア内壁に留まった。冒険者たちのうち、ドナ一行とゲンエモン、マルシアとオルドリッチの二人がイアンをケフト施薬院へと運んだ。マルシアとオルドリッチの応急処置の甲斐あり、イアンは一命を取り留めた。それでも、数日は施薬院のベッドで安静するよう言われた。何があったのですかという院長の問いに、答えられる者はいない。

 使節団の報告を受けて、ヴィズルを含む執政院エトリア上層部の面々は、凶悪非道なモリビトとの一戦を決断。速やかに、ミルティユーゴ総轄隊長と副隊長に出撃の準備を整えるよう命じた。

 この一件に関して、ミルティユーゴはエトリア防衛の責任もある為、ヴィズル以下。ミルティユーゴらが副隊長ともう一人、冒険者の長とも言うべき人物にモリビト討伐の指揮権を与えることにした。人物の名を聞いて、プライドの高い副隊長の男は露骨に顔を歪めた。

 

「そのような人物に任せて大丈夫なのですか? エトリア出身者に指揮を任せるべきでしょう」

「彼が大きな失態を犯した場合はそうなるかもな。決定事項だ。彼と協力して、モリビトからエトリアを守るのだ」

 

 副隊長は頷き、ミルティユーゴに敬礼した。だが、やはり不満だ。見ず知らずの黄色い肌の人種。流れ者の侍じじいとこの私が同格だとでも!?

 副隊長の父は執政院でも高い階級役職に就いていた人物。彼の地位は父親の働きかけによる物が大きいが、自力で四階層に到達するなど、生き残る手段。実力は備わっている。

 それはあくまで冒険者としてであり、軍人の彼が優秀かと問われれば……多くの者は不安に思っている。金持ちや貴族でも良い人物、高潔な人物は数多いる。その逆も然り。残念ながら、彼は真逆をゆく性格であった。

 彼は使命達成に燃えていたが、それもまた、不安要素。坊ちゃん育ちで、いい目で見られない副隊長。やる気があるのは良いことであるが、認められようとするあまり、下手な指示を出さないか心配でる。

 しかし、現状では、この副隊長の他、四階層に辿り着いた隊長クラスの衛兵はミルティユーゴと彼の二人しかいないのも事実。

 総隊長はきたる王賊連合の対策や他の仕事で手一杯。手の空いている人物はエトリア首都防衛担当の副隊長しかいない。執政院にとって、ある意味では重く、難しい選択だった。

 モリビトは世界樹の下に住む野蛮人。文明の違いを見せつけてやれば、おのずから頭を下げにくるだろう。日の浅い副隊長でもどうにでもなるはずだ。執政院以下、衛兵に冒険者の一部もこう考える始末。エトリア勢はとてつもなく、モリビトという人種に対し、傲慢ともいうべき油断を抱いてた。

 

   ****

 

 ジャンベは震えていた。地下では身を守ろうという思いで必死だったが、地上に戻ると、体が震えで停まらない。

 人が人が白目を剥いて倒れた。ここに入った以上、命の危険が奪われることは百も承知していたが、人に近い者たちと相対すると、自らの死に対する恐怖とは異なるものが押し寄せてくる。間近で人が死ぬのを見たことはあるが、決して良い気持ちになれない。その光景を良いと思えたりしたら、人として終わりだろう。

 人を殺すことの恐怖。人と人との争い。

 決して身近な生活にそういうのが無かったわけではないが、戦争のような規模の大きいものは始めて。いざ自分が大きな戦に参加するのを思うと、どうにも体の震えが止まらない。現実とは思えない。

 自分がこの街のために、街の人々に変わってモリビトと戦う義理がどこにあるというのだ? 震えるジャンベを見て、彼の思うことを用意に知れるが、声をかける者はいなかった。

 やがて、部屋で二人きりになったとき、エドワードがそっと話しかけた。

 

「ジャンベよ。お前のその気持ちは分からないこともない。どうしてもというのなら、今回の任務。お前だけ外れてもいい」

 

 ジャンベはその言葉にホッとした反面。自分を情けなく思い、罵り、エドワードに役立たずめと言われたような気がした。

 

「す、少し待ってください。自分の気持ちの整理が付かないだけです。で、ですから、明日まで少しお待ちを」

 

 そうかと言って、部屋を出て行こうとするエドワードの背に、ジャンベは遠慮がちに呼び止めた。

 

「エドワードさん。エドワードさんは躊躇いは無いのですか? ぶしつけというか……なんというか。エドワードさんは、その、人を殺した経験がある……んですか? 今日、下での戦い方を見たら、あまり躊躇っているようには見えなくて」

 

 エドワードはジャンベの目を見据えて言った。あの初めて会った日と同じ、矢のような鋭い視線。ただ、昔と違うのは、その眼には情も宿っていた。

 

「ある。言っただろう? 戦火に巻き込まれて、ちりぢりばらばらになったと。運よく逃げれた者たちもいれば、逃げ遅れた者たちもいた。俺の家族は逃げ遅れた方だ。その際、追ってきた奴らに向かって矢を放った。何人に当たったか知れたもんじゃないが、確実に二人仕留めたはず。一人は喉に、一人は脳天。暗闇で顔がよく見えなかったことは、運がいいのか。悪いのか……」

 

 エドワードは言葉を切り、遠くを見るような目付きで窓を少し見やった。ジャンベもちらと窓の外を窺う。

 地下世界とは打って変わって、静かで、満天の星空が街と大樹を照らした。エドワードはジャンベに視線を戻した。

 

「綺麗事は言わないでおこう。ジャンベ、俺はモリビトと戦うことを躊躇わん。俺の目的はもう語らずとも良いだろう。俺の目的はどこぞの国に仕え、戦功を挙げればすぐに済む話かもしれん。俺はそれが嫌なんだ。少し話は逸れるが、俺は最初、一族を復興し、ここで身を立てて、俺の国を滅ぼし家族を裂いた奴らを滅ぼそうと考えたが、その気は失せた。何故なら、その国はかつての騎馬大国と同じく、家督争いで分裂していると耳にしたからだ。自分の先祖たちと同じ過去の過ちで滅びかけている国。そんなのを聞いたら、復讐しようと考えた事自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 だが、俺は却って気が楽になったよ。これで、ひとつに集中できるのだからな。俺はまだまだ迷宮の奥深くに潜らねばならん。俺はここで名を挙げ、力を得て、金を稼ぎ、世界に散らばった同胞たちを呼び寄せ、一族を復興する。

 俺を生み育んだ、今にも、人々から忘れられそうになっている死にかけた彼らを救いたい。その俺を生み育んだ一族は決して落ちぶれ馬盗賊のような輩ではなく、こんなにも凄いんだと証明したいのだ。

 自分のしたいことや思い通りに動いて、咎められない者は稀有(けう)だ。このエトリアでは、他の地と比べ、ある程度は自分のしたいことをしても許される。俺はこのエトリアというチャンスに出会えたことに感謝したい。

 馬鹿げているだと思うだろ? 供じみた理想だと思うだろ? もしも、これが物語の登場人物なら、俺はつまらん理想にしがみついた道化かもしれん。それでも、俺は今更、人にどう後ろ指指されようとも、この歩みを止める気はない。これは俺の目的であり、俺の信念だ。だから、相手がモリビトであれ、エトゥであれ。俺は、俺の歩みを邪魔すると言った奴らを容赦しない」

 

 ジャンベは生唾をごくりと飲み込んだ。エドワードは身勝手だ。人によっては、そんなの厚かましくて押し付けがましいとも言うだろう。だがしかし、この惹かれる感じはなんでなんだ。扉にじっと立ち尽くすエドワードから視線を逸らし、ジャンベは考えてみた。

 少し考えて、その意味が分かった。ああ、そうか。覚悟が違うからだ。

 片や、日銭を稼ぎ、目的もなく金さえ稼げばそれで良いと思い、心のどこかでいつでも抜けられるだろうと思っている者。

 片や、馬鹿げた大きな理想を掲げ、命を賭して、時間をかけて実行している者。

 では、僕はどうなのだ? ここで逃げることは簡単だろう。

 でも、そのあとどこに行く? 国に帰って、こんな冒険してきたんだよと自慢するのか? 短い期間、エトリアで冒険してきたことを一生の酒の話として、ボロい酒屋で過去の体験を語るだけで終わるのか?煮え切らない自分に、ジャンベは頭をガリガリと掻いた。見かねて、エドワードはさっきより優しい声で言った。

 

「ジャンベよ。俺は別に、お前に冒険者を止めろと言っているのではないし、どうしろと言っているのでもない。人殺しの覚悟など、たわけた頭の悪いことを言っている訳でもない。モリビトとの戦いが嫌というのなら、今回の事が一段落するまでは、四階層に潜らなくては良いというだけだ」

「でも、仮にそうなったとして、僕はどうすれば」

「簡単さ。今のお前の実力なら、一人で一階層の浅いところ探索する位はできる。新しい発見もあるだろうし、そうすれば、その間、ホープマンズの稼ぎ頭はお前になる」

「一番はマルシアさんでしょう」

 

 そうだなと、エドワードは否定しなかった。マルシアは血と御伽噺の世界に新医療開発を夢見てここに来たという、どこか矛盾している、変わった動機の冒険者。

 彼女は二年前、足の病気の一種である水虫を治す薬を樹海の素材を使って開発することに成功した。

 ぼろ儲けとまではいかないが、少なくとも一定の収入を得られるようになった。その新薬開発による一定収入源の確保と彼女の性格も相まって、パーティ内では彼女に頭が上がる者はいない。

 もっとも、彼女は自分の功績を鼻にかけて、偉そうにしたりしないが。

 

「まあ、とにかく。まだ昼をちょっと過ぎた時間だ。一日使ってじっくり考えろ。ああ、それと……」

 エドワードはまた、問いかけるような真剣な眼差しでジャンベを見た。

「俺はまだ、冒険者ジャンベを信頼しきってない」

 

 ジャンベはそれを聞いて、落ち込んだ。わかってはいたが、面と向かって言われると辛い。エドワードはすぐに言葉をついだ。

 

「冒険者としてのジャンベなら信頼してないが、ジャンベその人なら信用し、信頼している。言っておくが、こんな言葉を聞かされたからって犬のように喜んで、ああ、この人はやっぱり僕をここまで頼りにしてくれているんだとか思うなよ。決めるのはあくまでお前だ。他人の上っ面を取り繕ったかのような安っぽい言動で決めるな。最後に」

 

 エドワードは改めて、怖いような顔付きでジャンベに向かった。

 

「俺自身は直接戦に参加したわけではないが、身近でそれを見た。気になるなら、コルトンにも聞くがいい。世に語られるような華やかな武勇伝と現実とは異なる。首が落ち、目を矢で抜かれ、血飛沫が飛ぶ。その現場に華やかさなは見られない。ジャンベ、戦争に恐怖心を抱くのは決して愚かではない」

 

 そう言って、エドワードはジャンベを一人部屋に残した。最初の冒険者ジャンベのくだりの一行だけで良かったのに。そこがあの人らしいが。そして、思い起こした。エドワードと彼の一族にかけられたあらぬ疑いを。エドワードにとって、これはチャンスでもあった。自分が代表としてモリビト討伐の戦に参加することで、疑いを晴らす好機が来た、と。

 エドワードの意気込みが並ならぬ物であるのは、むしろ当然であることを。

 エドワードに心酔しているわけでないし、彼の言に心を完全に動かされたわけでもないが、何故だか不思議と心が軽くなった。客観的に考えられるようになったというべきかな。

 ジャンベは自分がこの先何をして、第四階層で為すべきことを自問自答した。

 

          *――――――――――――――――――*

 

「迷うべきことなどない。あれらが戦いを臨んだのなら、我らは一致団結してあれらの侵入を防ぐことに専念する」

 

 神官は集まった戦士と民衆に、きっぱりとこう宣言した。

 

「私はモリビトである自らを誇りに思う。であるからこそ、地上の者らに知らしめてやろうではないか! 我らは森の野蛮人などではない! 森と共に生きる、逞しく、誇り高き森の民の一族であることを! 残忍なる地上からの侵略者共に我らの生き様をしかと刻みつけてやれ! ―――さあ、吠えよモリビトよ! そして、轟け神鳥(しんちょう)よ!」

 

 全モリビトが吠え声を上げると、豪風が発生し、もうもうと土煙が巻き上がった。

 土煙が晴れると、金色に輝く鳥が広場を旋回していた。モリビトたちは自然と中央から離れ、神鳥が降りるための場所を作った。

 イワオロぺネレプは一鳴き、前回の集会の時よりも更に大きな声で鳴いた。四階層二十階が震えた。両翼を広げ、天を見上げる姿は正に、生ける神としての神々しさを放っていた。

 モリビトたちは畏怖に打たれ、ひれ伏した。虎視眈々とそのモリビトを狙っていたけだものたちは、神鳥イワオロペネレプの恐ろしさに身を翻した。さしもの神官も。隣の巫女も。この神鳥には頭を下げるしかなかった。

 神官は表には出さなかったが、内心では、地上側が二度も使者を送り、一度目と二度目で発言と態度が大きく異なるのが気がかりであった。

 


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