世界樹の迷宮 光求めし者達   作:鞍馬山のカブトムシ

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十一話.第四階層探索開始

 オルレスはヴィズルに報告をまとめた。例の出兵問題に関する件だ。

 

「四階層到達冒険者数百三十名。四階層到達衛兵数九十四名。今後、冒険者はあと三十余名到達すると予想。衛兵は最低ラインの百二十名まで二六名です。内、鉄砲の扱いを心得ている者は四十三名にまで登ります」

「そうか、ご苦労だった。下がってよろしい」

 

 オルレスは扉の前で一礼して執政院総合室、別名”執務室”を出た。

 ヴィズルは執政院ラーダの窓から街を眺めていた。長い髪と長く蓄えられた髭には白髪が混じっていた。今年で齢六十を迎える。

 前長であるバルドーから執政院の長職を引き継ぎ三十年。三十ちょうどの時に選ばれた。

 その頃のヴィズルはうだつの上がらぬ靴職人で、身辺に色事に関する噂もなく、本人も結婚願望は無かったらしく、そこを齢九七のバルドーに目を付けられて次期執政院ラーダ長に選ばれた。

 ヴィズルを知る者たちは口を揃えてこう言う。人が変わった。

 以来、気弱な靴職人ヴィズルは厳格なエトリアの執政院ラーダ長として働き続けた。

 オルレスはこの選出方法に前から疑問を感じていたが口には出さなかった。みょうちきりんな選出方法ではあるが、この方法でエトリアは長を選び続け、一度たりとて独裁者の排出は無かった。

 だが、今回の提案はどうであろう。例のエトリアを次なるターゲットに狙う噂されるエトゥの存在がある。対抗するためには少しでも戦力の削減も大事であるが、市民や市民の一人である兵士たちに余計な混乱を招く案。

 ヴィズルはただ一言、地下世界で嵐が吹き荒れるような気がしてならないと、理由にならない理由しかいわず。反対意見を容赦なく摘んだ。ヴィズル長は繁栄維持の為としか言わない。しかし、悪戯に兵力、引いてはエトリア中立独立州の市民でもある兵士たちの犠牲を強いることになんのメリットがあるというのだ。

 オルレスは心中で悶々と思考するも、やはり口には出さない。平和であれ、どんな所にも汚い面はある。

 この威容を称える世界樹こそエトリアの象徴であり、エトリアの最も根深く暗い一面でもある。

 そして、自分のように役所で生き残るため、余計な口を出さないことを覚えた自分もその汚い一面の一つに挙げられるだろう。冒険者窓口室長室の椅子に腰掛けたオルレスは、賢く生きる術を身に付けた自分を嘲笑うかのような冷笑をこっそり浮かべた。

 室長室のドアがノックされる。オルレスは感情を殺し、すぐに冒険者窓口室長オルレスの柔和な顔を自然と作り上げた。

 

「どうぞ、お入りください」

「やあ、失礼。今日もちょいと兵士さん方の案内の件について来たよ」

 

 入ってきたのはオレンジの髪をきつく後頭部で縛り上げた白衣の男、成長株の冒険者一行・グラディウスを率いるメディックのオルドリッチである。

 オルドリッチは相も変わらず、実にへらへら飄々とした態度で椅子に腰掛けた。

 オルレスは彼に案内予定の兵士四名の名前や報酬案内について書類を渡し、オルドリッチは碌に話もせずに室長室を出て行った。無作法。そう言いたいところであるが、冒険者にああいう類の者は多い。オルドリッチは少々行き過ぎているように思えるが、不思議と腹立たしい気持ちにはならず、まあいいかと許せてしまう。

 冒険者。市民以上に個性豊かで一物どころか二物三物ある者もいるが、役所仕事では中々お目にかかれない素直な連中も多い。

 自由で、厳しく、誰よりも仲間想いの者達。オルレスはそんな彼らを羨ましいと思うも、自らが冒険者になりたいかと問われれば、間違いなくノーと答える。

 

 

 

 四月十一日。今日から本格的な四階層探索を行うことにした。ローテーションの関係もあるが、先週はほぼ出っ張なしだったコルトンに変わってジャンベが交代した。武装を整えた一行はトルヌゥーア内壁の門を潜り、見知った顔の五人が樹海時軸を通ったのを見届けてから四階層に降りた。

 四階層はいつもどおり枯れた有様が広がっていた。右も左もわからないが、一行は左に進んで適当な枝に白い布っぱしを括りつけた。新階層の探索は慎重に慎重を重ねて行われるが今回は事情が異なる。何故、多くの冒険者たちが四階層の探索を躊躇い続けたか、彼らの前で蠢くものに理由があった。

 一行の前にはさらさらとした砂が川の流れのように流れていた。流砂のごとく吸い込まれているようにも見えるが、そうではなく、この砂の川は本当に何処へと流れているのだ。

 底で水や泥が混じって流れているのかと思い、槍や長い木の棒で底を突いてみても、先端に砂が僅かにまとわりついただけで水は流れていないことが判明した。

 エドワードは足跡を確かめた。何人もの人間の足跡が右を向いていた。先の一行は右の道を選んだようだ。一行は左の道を選んだ。少しでも荒らされてないほうに新発見の可能性があるかもしれない。その分、危険も増すが。

 樹海時軸と同じくらい常識を超えたこの流れる砂の川の存在に多くの冒険者たちは大変気味悪がり、一週間以上経ても様子見程度の探索に留めた。煮え切らぬ冒険者たちを先導するように、ゲンエモン率いる一行が新生物発見報告並びに空白の箇所を幾つか地図に記した。ゲンエモンの現状打破の為に取った行動はいたく同業者たちを刺激し、ホープマンズよりも一足早く、既に二組のパーティが朝日も昇らやぬうちに出立していた。

 ホープマンズの一行が通った次には、オルドリッチ、カールロ、そして足軽具足を身に付けた黒髪の三白眼の男、彼がゲンエモンの弟子の一人で名はコウシチ(耕志知)。

 彼らの背後には盾を持つ兵士二名、黒く細い筒を持つ兵士が一人いた。細く黒い筒は例の改良式火縄銃で、彼は火縄銃の扱いを心得ていた。

 グラディウスは今日で二度目となる案内依頼を引き受けた。

 だが、オルドリッチは実の所、好奇心から新兵器の威力を拝んでみたいというのが本音だった。

 迷宮の探索においてどれほど役に立つか。つまり実用性があるかはともかく、時折遠くから響く幾重もの轟音。外れたとしても、一発撃てば音だけで大抵の樹海生物は泡食って逃げ出すかもしれない。

 

 

 

 ゲンエモンから聞かされていた以上に砂の流れは思った以上に強く、足腰が強健なエドワードとロディムでさえ一歩を踏み出すのに大変な労力を強いられた。普通に歩くだけで体力が著しく消耗する。

 いざ敵が来たとして、こう足が取られてはおちおち満足に獲物を振り回すこともできず、味方に刃先が当たる恐れがある。一行は視界が開けたこのこの流れる砂から一旦身を引き、危険を承知で林の方を選んだ。

 流れる砂よりましだが、樹や植物が絡み合うように群生していた。エドワードとロディムは三日月刀と斧で道を開き、アクリヴィとマルシア、ジャンベはナイフで余計な物をナイフで軽く切り払った。

 

「ここは獣道ではないな。通った痕跡もなく、何よりこう植物が群生していてはよほどのデカ物か小物でない限り、ここを通ることは無いだろう」

 

 エドワードが三日月刀を振るいながら言う。ロディムも斧で作業の手を止めずに話した。

 

「じゃあ、俺らが切り開いたせいで怪物共も通りやすくなっちまったな」

「そうだが、遅かれ早かれ結局は誰かがこうしていただろう。危険でも道を開かないことには進めん。たまたま、俺たちがやる機会が訪れただけだ」

 

 ゲンエモンが地図を埋めたと言っても、全体の一パーセント程度ぐらいである。

 四階層一六階の地図はまだまだ完成には程遠い。一行は十メートル道を切り開く度に手を止め、エドワードとマルシアとアクリヴィ、この三人で厚い羊皮紙に地図を道や注意点などを書き記した。ロディムとジャンベは地図を描かない。ジャンベ、特にロディムの絵心や文字はお世辞にも綺麗とは言い難い。ジャンベは上手くなってきているが、ロディムはミミズが少しはのたうつのを控えた程度だろうか。

 エドワードの推察どおり、一匹足りとも怪物は出現しなかった。五十メートルぐらい進んだ辺りで、ようやく開けた場所に出られた。

 道は前後で砂の川に阻まれていた。長年実践方式で鍛えられただけあって、一行はそこまで疲れていなかった。引き続き、探索を続行した。

 エドワードは自分から見て左を進むことにした。さきほど、開拓した側とは異なり、根っこもそんなになく、左の方は比較的樹や植物がばらけた感じに伸びていた。その分、獣たちも通ることになり、襲われる可能性も増すが。

 程よく保たれた緊張と好奇心と警戒心を持って進んだ。中でも、アクリヴィの目の輝きは違った。

 彼女の目は正に、純粋な探究心で輝く学士の目だった。

 

 

 

 彼女は下級貴族出身であり、本来ならばこんなところに冒険しにくるような身分ではないはずだが、彼女の親族が彼女の能力を許さなかった。アクリヴィの出身地地域はアルケミストやカースメーカーのような、常人とは異なる能力を有する人間は一般的に認知されておらず。宗教的観念から先述の力を有する人間は悪魔の申し子と見なされ、迫害された。召使いに孕ませた子供という立場がより一層彼女に対するを視線を冷たくした。

 奥方からは男子が生まれず、病で子供が産めなくなった。

 期待をかけた召使いとの交わりも、女児が産まれたことでもろくも夢は崩れ去り、父親である人もアクリヴィには温かい目を向けなかった。父親はろくでなしというほどではないが、高潔とは言い難い人物だった。

 彼女は幸い、下級であろうと貴族の娘なので表立って悪口を言う者はいなかったが、裏では大層有ること無いことが色々と吹聴された。そういう時、彼女は決して錬金術や両親には頼らず、胸を張り、実に堂々と毅然とした態度で影口を叩くを者を本当に叩き、大人には子供らしくない嫌な顔で痛烈な皮肉を叩きつけてやった。

 上から相手をねめる顔は子供らしくなく、可愛げがない。幼い頃のこの経験が現在のアクリヴィの口調と顔付きを形成した。

 十歳の頃、母親が病を患い死んだ。性病の類ではないのは、せめてもの幸運であった。庇う者がいなくなったアクリヴィは偶然、高名な錬金術師が下町の宿に泊まっていることを聞きつけた。

 錬金術師の名はヘルメスという。

 実父と親戚、町衆の者たちに殆ど愛着も無かったアクリヴィは、その宿に居るヘルメス錬金術師の下へと飛び込み、弟子にしてくれと懇願した。

 

 薄汚れてくたびれた白いターバンとマントを羽織り、褐色の肌は陽にさらされて黒ずみ、深く刻まれた皺が幾重にも鉤鼻の筋や目尻に沿って通り、どこか知性を感じさせる円らかな黒い両眼には冷たさと温かさも鋭さも感じられず、例えようもなく捉えどころがない老境の男。これがヘルメスだった。丸卓には、複雑な紋様が縫いこまれた黒い手袋と、金に染められた奇妙な丸っこい籠手が二つ置かれていた。

 アクリヴィの必死の懇願を、ヘルメスは断った。

 

「余所をあたっとくれ。私は人に教授できるタイプの人間ではないし、わざわざこんな流れ者を頼るのはちと性急な選択じゃて」

「お願いします! 雑用でも何でもやります! 私は自分の道は自分で開きたいのです」

 

「……お嬢さん。母親が亡くなり、嘆き、焦燥する気持ちは理解できる。しかしだ。あんたの家庭の事情はよく分かったが、自分の道を開く方法なら他に幾らでもあるだろ? 私はあんたよりずっと不幸な者たちを見てきた。這い上がれない者もいれば、地獄から奇跡的に這い上がれる者たちも多くいた。それに、あんたは強い」

「何が言いたいの?」

「言葉通りだよ。あんたは賢く強い。だから、自分の境遇を利用して親類一同を手駒にするなり、あるいは、素直に自分を受け入れてくれと説得することに努めるのだ。わしとしては後者の方をお勧めしたいがの」

 

 あなたは父と姉二人、親戚の奴らを知らないからそう言えるのよ。

 そう叫びたくなる自分を抑えた。アクリヴィは全てを話したわけではなかった。母親が死に、能力を有する故に親を含む親戚の態度が冷たいというぐらいにしか話さなかった。

 アクリヴィは床からすっくと立ち上がり、スカートの汚れを払った。

 

「明日までお待ちください」

 ヘルメスはそうかと、素っ気なく答えた。去り際、「あんたの現在(いま)と明日への道が切り開けることを願うよ」と一声かけた。

 

 アクリヴィは心の奥底では父と姉への愛情を完全に捨ててなかった。

 もしも、私が行くと言ったら、すぐにではないが、いざ行く段階となったら行くなと止めたり、悲しい顔の一つでも見せるのではないかという期待が大きかった。が、少女の胸中に秘めた想いは脆くも崩れ去った。父に錬金術師弟子入りの件を告げると、やっと自分の将来を見つけたかと父は喜んだ。

 乳の喜びは、将来を語る子供を温かく見守る親の目ではなく、体よく邪魔者を厄介払いできる喜び。敏感なアクリヴィはそう気付いた。近い内、身分も高ければ、お金もある貴族様との婚約の予定が姉にはあった。そこに、悪魔の力を持つ妹がいるのは良くないわけか。成る程、とても賢い選択ね。反吐が出るぐらい。

 金の切れ目は縁の切れ目というが、この場合は逆で、金の贈りは縁の切れ目。ようは手切れ金というわけだ。すぐさまヘルメスの居る宿に使者が送られ、旅費も持たすから是非とも娘を連れて行って欲しいとの旨を伝えた。返事はすぐに返ってきた。ヘルメスは了承したらしい。

 あの男も所詮、金目当てか。アクリヴィはそう思った。

 父が旅費を渡すのは体面を保つでもあり、娘を心から心配してのことではないだろう。しかし、父は決して自分を慰めものにはしなかった。今思えば、旅費などを出すあたり、父にも少しは罪悪感があったのだろうが、もうどうでもよいことだ。

 急ピッチで旅支度が済まされた後日。

 アクリヴィは馬に揺られて使者をお供に連れて宿へ行った。父と姉は来なかった。館の前で客人に対する儀礼的な挨拶で別れは済まされた。

 現実はなんと残酷であろう。アクリヴィにはお涙頂戴の小説のような展開は訪れず、日が経てば本人以外は忘れてしまうような、取るに足らぬ日常の茶飯事の内に終わってしまった。

 使者とも別れ、町から物見高い連中がいなくなった頃を見計らい、アクリヴィは自分を受け入れた理由をヘルメスに問い質した。

 すると、ヘルメスは怒りに満ちた目でアクリヴィを見下ろした。その怒気の凄まじさに、アクリヴィは言葉を失った。すぐに、ヘルメスはアクリヴィを安心させるように柔和な目を見せた。

 

「やれやれ。あんたの父親も随分としたたかな奴だな。娘を連れて行かなければ、付近に私の手配書を貼るなり、通行を禁ずると脅してきおった。わしら、アルケミストを嫌う地域はあるが、ここまで閉鎖的な所も珍しいかもな。……こうなった以上、私はあんたを連れて行く。何より、私には権力を覆せるほど力はなく、もう旅費も受け取ってしまったしな。そして、昨日は深く理解せずに安い言葉を言ってしまった非を詫びよう」

「いいよ。私も昨日は礼も何もあったもんじゃないし、ずかずかとヘルメスさんのところに乗り込んじゃったし」

 

 アクリヴィは子供らしい満面な無垢な笑みを浮かべた。普通、大抵の大人ならここは絶対に誤魔化すはずなのに、ヘルメスは綺麗事や言い訳は一切抜かさず正直に話した。

 ヘルメスは改めてアクリヴィと向き直った。子供を見る目から、アクリヴィを大人として扱うものだった。

 

「アクリヴィよ。わしが教えられることはそうない。錬金術のイロハや拙い知識なら教えられるが、基本はお主自らが考えるのじゃ。また、わしの旅は根無し草であり、一箇所に永らく移住することはない」

「どうして? 一箇所に留まったほうが研究に没頭できるんじゃないの」

 

 ヘルメスは町にいる時とは打って変わって、饒舌に語り出した。

 

「そうだな。普通の学士ならそうであろう。だがな、わしら錬金術師は人間の魂と肉体をより完全な存在への昇華を試みる学問である。また、これは全ての研究に繋がるかもしれんが、全ての物事の循環や理を知る為に錬金術師はおる。アルケミストと呼ばれる者たちが自然界の要素を司れるのも謎の一つだ。それらを知る為には狭い研究室で籠もって没頭するよりも、旅に出て、じかにこの目で世界に於けるあらゆる事象や文化を見ることこそ研究になる。いわば、わしにとっては旅こそ研究みたいなものだよ」

 

 ヘルメスは言葉を切り、もう一度、アクリヴィと向き合った。

 

「アクリヴィよ。今語ったことはあくまで私のしてきたことであり、お主にこの道を進んで貰いたいと思っとるわけでもない。最初に述べたとおり、わしが教えられるのは錬金術のイロハと生きる為の知恵。お主が望めば、わしが今まで体験してきたことを語る。それくらいだ。そこから、どう生きるかはお主に任せる。ああ、それと。最後にもう一つ。お主を弟子として受け入れたのは……人を受け入れ、育てる。そういう経験はどんなものかなという好奇心も理由だ」

 

 アクリヴィは何も言わず、無言でうんと頷き続けた。

 嘆き、興奮、恐怖、絶望、感動、希望。ありとあらゆる想いを抱えてアクリヴィの第二の人生はスタートした。

 九年間。二人は荒野を彷徨い、野山を越え、平原を渡った。様々な世界を歩き渡り、多くの言語、人種、文化に触れた。そして、世界はいかに広大で、いかに自分がちっぽけな存在かが身に染みた。それでも、上手くは語れないが、自分がこの世界で生きていけることを喜んだ。辛いと思い、何度も帰りたいと思ったり、人間の善と許されざる悪も見てきた。止めとけば良かったと思ったことも少なからずあったが、アクリヴィは絶対に弱音を吐かず、前進を続けた。

 ヘルメスは貞潔な人物で、旅の最中、一度としてアクリヴィや余所の女に手を出す行為はしなかった。

 その度の最中、アクリヴィはエトリアのことと世界樹の話を幾度も耳にした。エトリアでは肌の色、人種、宗教、アルケミストやカースメーカーだろうと関係なく受け入れられ、日夜、冒険者たちが地下世界に身を投じていると聞く。

 ヘルメスは一度、世界樹があるエトリア本都市に訪れたことがあると言った。

 

「驚いたよ。あの天をも磨さん大樹に私は度胆を抜かれた。あそこになら、全てとまではいかなくとも、多くの謎やこの世界を築いた理が眠っていると思えた。結局、噂の地下世界には潜らなかったがね」

「どうしてなの?」

「アクリヴィ、お前さんは本当に知りたがりだな。生物は好奇心により進化するが、それには大きな犠牲を伴うことも忘れるな」

 アクリヴィが何故、どうしてと尋ねると、答える前にヘルメスはいつもこのような言葉を置く。

「まず、そこには地上の生物とは異なる異形の生物がひしめき、地上では中々人前では姿を見せない怪物たちも潜んでいる。つまり、わしがあそこにある謎を解くには、殺生を強いられることになるのだ。アルケミストは学士であって、戦士ではない。私は無益な殺生を好まん」

 

 アクリヴィは人生の師であるヘルメスの顔をじっと窺った。近くにいれば気付くにくいが、一歩離れた感じで見れば、ヘルメスが非常に年老いたことに気が付かされる。

 十年の歳月は幼いアクリヴィを逞しくしたが、反対に、老いたヘルメスは残酷な時の流れに襲われた。

 この人を置いて、冒険者になりたいとは切り出せない。

 十年の歳月はアクリヴィのヘルメスへの想いを単に、師に対する敬愛以上の念を抱かせた。例えれば、祖父や父へ抱く想いに近かった。

 一年後、アクリヴィ二十の歳。エトリア州の領域に入った。遠い山と森を超えた先からでも僅かに見える、雲の隙間から見え隠れする緑色。一歩一歩近づくにつれて緑の色は形を成し、いつしか、はっきりと噂の大樹の木の葉だと知った。

 エトリア本都市まで残り一日。部屋に入り、聞き耳を立てる者がいないのを確認したら、師は静かに口を開いた。

 

「アクリヴィよ、本音を明かしたらどうだ。お主は冒険者になりたいのであろう」

 

 アクリヴィは答えない。ヘルメスは話を続けた。

 

「大分前にわしが言ったことを気にしておるのか? だとすれば、そりゃせっかちじゃ。この命、残り十年かもしれんし、二十年先かもしれぬし、もしかたら明日かもしれん。ただな、わしはお前さんの若い人生の時間をこの老体を労わることに注ぐのはだけは止めてくれ。これはお前さんの為でもあり、わしからの頼みでもある。わしは自らが冒険者になるのは厭うが、お主が冒険者になるのは反対せん。それは、アクリヴィその人が決めた道。わしがとやかく言う筋合いは無い」

 

 師は何でもお見通しのようだ。

 アクリヴィが旅立って間もない頃、ベッドで寝れないことを不満に思ったら、「その程度の覚悟なら引き返せ。わしはここらの境界線超えて、そこでお前さんを返せば、あんたの父親がしでかしてくれた余計なことも避けられるしな」と冷たく言い放った。

 この人の前では隠せない。彼女は心中を吐露した。アルケミストである自身の実力を確かめたい思い。師が行くのを避けた世界樹の迷宮への挑戦。師・ヘルメスへの敬愛の念などを伝えた。

 アクリヴィは全てを言い切った。二人の間に沈黙が降りる。その日、二人は特に会話を交えず、就寝した。

 翌日。夕刻にはエトリア本都市が目前にまで迫った。夕日で照らされた威容なる大木・世界樹は赤々と照り映え、見る者の気持ちに神々しい印象を与えた。アクリヴィは感動の面持ちで大樹を見上げ、師もまた、感慨深い目で見上げていた。

 そうして眺めていたら、蹄の音が耳に届いた。方向は東、見ると、猛々しき黒き悍馬(かんば)草原を駆け巡っていた。

 悍馬の背には御者がいて、黒馬に負けず劣らず壮健な若者が巧みな綱捌きで馬を思うがままに司る。

 馬の黒い鬣に混じり、若者の金髪も風になびく。その髪の美しさといったら、不毛の黒い大地から生え伸びた麦穂かと見紛えた。青年と馬には一切の束縛や気負いが感じられず、ただ、子供のように自由に楽しく駆けっこをしている感じだ。

 二人の存在を認めたのか。馬首を転じ、青年は二人に近づいた。青年は馬上から二人に話しかけた。鷹のような目付きの青い瞳の青年だ。

 

「馬上の上から失礼。こんな時間帯に来客は珍し……おや? その籠手は?」

 

 青年は籠手を見つめた。錬金術師専用の籠手だ。一般人には珍しいであろう。説明しようかと口を開きかけたら、彼が先に答えた。

 

「あんたらはアルケミストだな。ということは、冒険者になるためエトリアへ?」

「いや、わしらはまずこの街で泊まり、それから進路を決めるつもりだ。冒険者は気が向いたらなるよ」

 

 アクリヴィの代わりに、ヘルメスが答えた。馬上から見下ろして話しかけられているのに、不愉快には感じなかった。多分、本人の内から漂う気風が不快さを打ち消しているのだろう。

 

「そうか。では、どちらでもいいから冒険者になりたいと気が向いたら、冒険者ギルドのガンリューというおっさんか。もしくはこの俺、エドワード・ウォルの下に来てほしい。俺ともう一人の仲間は『猫の木天蓼(またたび)亭』という宿に居る。それでは、またの縁があることを願う」

 

 馬上の青年は橋を渡り、外壁を通った。エドワード・ウォル。

 名前しか分からぬが、大胆で、逞しく、意志の強い目を持つ青年だった。彼は間違いなく戦士と呼べる人間だった。

 少し遅れて、二人もエトリア本都市に入った。二人が通ると、橋が上がり、門は閉じられた。長鳴鶏の館という宿を宿泊先に決めた。部屋に入り、ヘルメスは聞き耳を立てる者がいないか確認すると、すっくと身を起こした。アクリヴィもつられて立った。ヘルメスは、静かにこう告げた。

 

「アクリヴィ・トレネ・マグヌソン。たったいまより、お主の弟子としての立場を無きものとする」

 アクリヴィは目を見開いた「そ…それは…破門ということでしょうか」

「話を最後まで聞くのだ。お主はこれより、ヘルメスの門下生ではない。お主は今から、アルケミストのアクリヴィとして生きるがよい」

 

 アクリヴィはしばし、黙考したのち、師と目を合わせた。

 

「つまり私を一人前に認めると……一人で生きていけと。そう解釈してよろしいのですか?」

「一人でここやここ以外の土地で生きたければ、そうするがよい。全てはお主が決めること」

 

 師は道こそ示すが、決して安易な答えは示さない。いつも、最後の判断は自分で決めなければならない。アクリヴィは時間がほしいと言い、師は黙って小さく首を動かした。

朝方、アクリヴィはこっそりとベッドを抜け出し、冒険者ギルドにて仮登録を済ませた。用を済まし、宿に引き返すと、ベッドはもぬけの殻だった。

 従業員に聞くと、ついさっきには一人分の食事代込みの宿賃を支払って出て行ったようだ。アクリヴィは血相を変えて、南の門に向かった。

 開け放たれた門の向こうに、薄汚れた白いマントとターバンを羽織る小さな背中があった。

 アクリヴィは師に追いついた。朝日でくっきりと顔に陰影を作るヘルメスの顔は、この世ならざる人の顔に見えた。だが、そこには包み込む優しさも感じられた。アクリヴィはそのままヘルメスに抱き着いた。ヘルメスは祖父が孫娘を抱擁するようにアクリヴィを抱きしめ、耳元でそっと呟いた。

 

「お前を育てることは人生で一番苦労した。そして、一番かけがえのない経験であった。さらばだ、アクリヴィ。お主の前途がいつまでも開かれていることを祈る。恙無(つつがなく)行かれよ」

 実の親や身内から聞きたかった言葉を聞いて、アクリヴィの瞳から涙が(こぼ)れた。

(わたくし)もあなたの行く道を祈ります」

 

 別れ際、アクリヴィは無駄だと知りつつ、ここで余生を過ごさないかと提案したが、ヘルメスは笑顔で断った。師もまた譲れぬ一線がある。彼の歩みが止まるのは、彼の命が尽き果てる日だろう。

 アクリヴィは一カ月に及ぶ試験や関門をパスし、晴れて冒険者となった。

 その間、何かと世話を焼いてくれて、初めにアクリヴィを誘ったエドワードの下へ訪れ、「ホープマンズ」と命名される前、クイーンアントを討ち取り名声を轟かす前の、まだ未熟なパーティに加入した。

 アクリヴィは開けっ広げな二人をいたく気に入り、二人もまたアクリヴィの気品ある素行。それでいて、貴族らしからぬ勝気な態度と博識な一面を気に入った。マルシア、ロディムが入るまでは、三人で力を合わせて二階層六階にまで到達したのも良い思い出の一つ。

 我ながら、よくぞここまで成長したパーティに成れたものだ。

 

 

 

 今日は運が良くも、残念な結果に終わった。地図の空白箇所はそこそこ埋められて、怪物の出現は一回もなかったが、既に発見済みの鉱石が四個見つかったのみで、新発見や大量採集も無かった。

 落胆はしなかった。長い冒険者家業で、こういう日は月に何度もある。

 

「もう、こんなちょっとのお金ならパーっと使いましょ!」

 

 マルシアの案にロディムは喜んで賛成した。他三人はそんなロディムを見て呆れつつ、今日のみみっちい収入を全て使い切ることにした。

 金鹿の酒場にて一同は集い、先に代金分の料理や蜂蜜水を頼んだ。

 蜂蜜とはもちろん、軍団バチかれ採れた物である。一時間後には他のパーティとも卓を交え、盛り上がった。アクリヴィは一人、卓から離れ、カウンターで物思いに耽った。

 一人、騒ぎから離れて腰掛けるアクリヴィの背に声をかける者がいた。ゲンエモンだった。ゲンエモンから仄かに酒気が漂う。ゲンエモンは師ではないが、新米の冒険者時代の自分を色々と助けてくれた、アクリヴィの頭が上がらない人物の一人。もう一人は、この金鹿の酒場の女将だ。その女将は空気を読んで、二人をそっとしておいた。

 

「ヘルメス殿のことを考えておるのか」

 

 アクリヴィは口元を緩めた。ヘルメスと同じく、ゲンエモンも人の考えることをよく読む。裏を返せば、人の機微を読むのに長けた人なのだろう。ゲンエモンは一度、といっても、ヘルメスがアクリヴィを伴ってくる前の時に、ヘルメスと話したことがあるらしい。

 ゲンエモンはアクリヴィの隣に座した。

 

「あのお方の言葉は今もよう覚えておるよ。どんな秘密や謎も、いつかは明るみに出さなければならぬ。世界樹にも同じことが言えるとな。わしは、その秘密や謎を知っておられるのですかと聞いてみたが、ヘルメス殿は快活な口調で知らぬと返答した。素晴らしく良識に溢れたお方だった。また、ゆぅもあらすもある方だった」

 

 ゲンエモンの「ユーモラス」の言い方があまりにもたどたどしくて、アクリヴィはぷっと、吹いてしまった。ゲンエモンも微笑んだ。

 

「はっはっは! ようやく笑ったか。気休めかもしれんが、ヘルメス殿は意志も肉体も強いお方。そうそう、野晒しになることはあるまい」

「ええ、わかっています。曲りなりにも十年付き添った仲でしたからね」

「その言い方だと、夫婦のようだな。おっと、失礼。酒が入っているためか、いつもよりつい口が軽くなってしまう。気を付けなければ、とんでもないことを滑らせてしまいそうだ」

 

 そういう割りには、ゲンエモンの目は据わってなかった。

 アクリヴィは気にしていませんと言った。すると、ゲンエモンは急に語り始めた。やはり、酒がかなり入っているのだろうか。

 

「ふむ。アクリヴィ、全てを明かせるわけではなかろうが、自力でできることは自力でやり、頼れるときに頼るのは悪いことではないぞ。人は孤独だと思うのも悟りなら、人は一人で生きていけないと思うのもまた悟り。お前さんには少なからず、腹の内を明かせる者がいる。気負いすぎることはないぞ」

「ええ、わかっています」

 

 アクリヴィも笑顔で返した。気負ってはいない。そう、何と言えばいいのか。ふと、昔を思い出し、ヘルメスのことを想った。それだけのこと。

 エドワードは自らと自らを育んだ一族の名を残し、生き残りを集めて繁栄するのが目的だと豪語していた。

 アクリヴィは世界樹の奥底に眠るやもしれぬ世界の理を見るのが目的であり、大人になった自分が持つ夢のひとつである。名声は欲してない。しかし、自分の名が世に知れるということは、ヘルメスにも伝わるかもしれない。

 世界樹で名声を轟かすことこそ、アクリヴィにとって唯一、世界を放浪する師ヘルメスへ送れるメッセージであった。マルシアがもう食べないのと呼ぶかける。アクリヴィはカウンター席を立ち、卓に戻り、注がれた蜂蜜水を一飲みし、ご機嫌な酔客がもっと飲めぇと手を叩いてはしゃいだ。

 




タイトルと内容が若干合ってない。

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