日向の悪鬼 作:あっぷる
満月が大地を照らす夜。
木の葉隠れの中忍うちはイタチは抜け忍討伐の任を受けていた。
相手は三年前に木の葉を抜けた中忍であり、今まで所在を掴めずにいたが、ここ最近火の国と湯の国の国境付近にて窃盗行為を繰り返しているとの情報が出てきた。
現在は周りの里の抜け忍二人と組み、現地の警備隊では捕まえることが難しいほどに力を蓄えているらしい。
イタチ含める小隊の四人は現地につくや、散開して調査と情報収集を始める。
彼らは木の葉の中忍のなかでも将来が期待されている里のエースたちだ。
諜報活動にも優れ、万が一標的に出くわしても単体で突破できるだけの力がある。
そんな優秀な小隊の一人、イタチはずば抜けた空間把握能力から街で情報収集する仲間たちとは別に、単独で人気のない森の中の探索を行っていた。
人通りがほとんどないため、窃盗行為が行われることはないだろうが、人目を避けて隠れるにはぴったりの場所がいくらでもあるのだ。
イタチは周囲を警戒しながら森を調査していく。
すると茂みに一本の獣道が見つかった。いや、狐や狸にしては道幅が大きい。
これは人間の通った後だ。
イタチは草木を折らないように慎重にその道を進む。
目標としている抜け忍のものかは不明だが、罠がしかけられていないとも限らない。
そうしてだいたい20分ほど歩いた頃合いか。
木々が減り、辺り一面に黄と白の花弁を咲かせた月見草が広がった。
幻想的な空間であった。
天高くから照らす満月の光が花々を煌びやかに輝かせ、そよ風に吹かれて草花は儚く靡く。
人の手が加えられていないにも関わらず、いや、加えられていないからこそこの雅らかな空間を作っているのだろう。
そしてこの天然の花畑の中央、突き出た岩に一人の少女が座していた。
「あら、どなたでしょうか」
「っ!?」
少女は鈴を鳴らしたような声を奏でる。
イタチは思わず驚いた。
いくら目の前の光景に多少見惚れていたとはいえ、彼は少年ながらに立派な忍だ。
中忍になるまでに数多くの修羅場を経験し、それらをすべて乗り越えてきた。
たとえ相手が忍であっても物影に潜んだ彼はそう簡単に見つかるものではない。
ましてや数十メートルも離れているただの少女相手には決して。
「……なぜ気付いた。気配を消していたつもりなんだがな」
「ふふっ。人は決して気配を消すなんてことはできませんよ。気配を消す、ということはすなわち死んでいるということなのですから」
少女はくすくすと笑う。
忍の隠形を見抜いたほどなのだから警戒すべきものなのだが、いまいち少女からは不思議と切迫感を促されない。
少女には同業者に感じるような殺伐とした気配は全く感じなかった。
「もう一度お聞きしますがどなたでしょうか? もしかしてお手紙を運んでくださった飛脚の方かしら?」
「いや、違う。この辺りの調査をしている木の葉の忍だ」
イタチは少女の前に姿を現し近づく。
油断など一切する気はないが、かと言って警戒しすぎてもしかたがない。
別に相手は敵対するような素振りはないのだから。
「あら、そうなのですか……。ところで木の葉の忍の方がこんな辺鄙なところまで何の御用でしょうか?」
「ここ周辺を荒らす犯罪者の捕縛だ。この辺りで何か怪しい人物を見かけたりはしなかったか?」
「いえ、全然。ここは村や町からも離れていますので。他の人を見るのはあなたで久しぶりです」
「そうか」
イタチは少女に抜け忍の情報について問答を重ねる。
どうやらイタチたちが目的とする抜け忍の存在を全く知らないようだ。
嘘をついている様子もない。
「ところで娘。お前の名は何という?」
「娘ですか……。あまりあなたと年は変わらないと思うのですが」
そう言って少女は首をかしげる。
実際、イタチの年齢は今年で11。目の前の少女は自身よりも少し年下くらいなので確かにそうは変わらない。
仕事柄年上と当たることが多かったためついついイタチはそう言ってしまった。
「それは済まない」
「別にかまいませんけど。あ、私の名前は日向なよと言います」
「……日向?」
「ええ。あら、存じてないですか? ここら一帯の土地は日向の土地なんですよ」
「いや、知っている。ただ日向の者がいるというのは知らなくてな」
イタチはここへ来る前に、この地の背景を調べていた。
そのためこの森が日向の土地にあたることは認知している。
だが資料には日向は現地の人間に管理を委ねており、日向の名を連ねるものがここにいるとは書かれていなかった。
とはいえ地方の土地記録など雑に扱われることは多々ある。
恐らくこれも情報の洩れや行き違いによるものであろう。
「ところでなよ。ここで何をしている?」
「月を見ていました」
「月?」
「ええ。今日みたいに月が綺麗に見える日はこうしてここで月を眺めているんです。私はあまり体が強くないのですが、こうして月を眺めているとなんだか気分がよくなるんです」
イタチはなよの姿を見る。
確かに同年代の子どもに比べてなよは痩せ気味で、
彼女よりも年が幼いであろうイタチの弟サスケですらもう少し背が高いはずだ。
しかし同時にあまり日に焼けていない白い肌は決して健康的とは言えないが、病的とまでは感じられなかった。
どちらかというと
月明かりに照らされる少女はまるで月から舞い降りてきたかのような印象をイタチは受けた。
「月を、か。確かに今日はよく満月が見える。しかし先ほども言ったがここ周辺に質の悪い輩が寄り付いている。家はどこだ?」
「あら、送ってくださるのですか? それは嬉しいです。最近他の方とお話しすることがなかったので」
なよはゆっくりと立ち上がり、森の奥へと歩いていく。
イタチはなよの歩幅に合わせ横に並んだ。
「そういえば気になったことがあるのだが、なよ、お前は日向の人間だな?」
「はい」
「日向は白眼を宿していると聞くが、お前は違うらしい。それは体質か?」
イタチの質問になよは口をつむぐ。
そしてぼそりと言葉を口にした。
「……ええ。生まれつき持つことができませんでした。そのこともあって一族の人間からあまりよく思われてなくて。こうして3年ほど前にこちらに流されてしまったのです」
「すまない……。踏み込んだことを聞いてしまった」
「いえ、かまいませんよ。あら、見えてきました。あれが私のお家です」
なよはにこりと前を指さす。
そこには一つの小屋。
人が住むのに最低限のものしか置かれていなさそうなみすぼらしい家屋であった。
「がっかりしました?」
なよがイタチに尋ねる。
もともとこの地には日向の別荘などなく、なよがここに来るということで急ごしらえで作られたのだ。
そのため名門の一族の子女にしては実に不釣り合いな住家となっていた。
「そんなことはない。あそこには一人で住んでいるのか?」
「いえ、それはさすがに。今はお世話係の人と一緒に暮らしています」
すると小屋のなかから妙齢の女性が出てきた。
恐らく彼女がなよの言っていたお世話係なのだろう。
「中に入っていきますか?」
「いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫だ。たださっきも言った通り周辺に危険な人物がうろついているから十分に注意してくれ。俺たち木の葉の忍はしばらく向こうの街に常駐しているから何かあった場合は連絡して欲しい」
「はい、わかりました。わざわざありがとうございます。ところでお名前を聞くのを忘れてました。お聞きしても?」
「木の葉隠れの中忍うちはイタチだ」
「では、イタチさん。一刻も早く下手人が捕まることを祈っております」
なよはそう言って深々と頭を下げて、女性とともに小屋の中に入っていった。
◇
「なよ様、さきほどの男の子はどなたでしょうか? もしかしてお友達でしょうか」
「いえ、任務できていた木の葉の忍だそうです」
「そうなのですか」
ハナは家に迎え入れたなよに熱いお茶を差し出す。
三年前、ハナはなよのお世話係として彼女とこの僻地へとやってきた。
ハナはもともとヒザシに仕えていた女性で、なよが生まれてからは彼女の世話係をずっと行ってきた。
白眼をもたず、一族から疎まれていたなよであったが、ハナは決してなよを邪険には扱わずいつも面倒をみていた。
なよが日向家から追放される時であっても、ヒザシとなよに対する義理からなよを見捨てず自ら進んでついてきた。
父に先立たれ、弟ネジとも離されたなよにとって彼女の存在こそが唯一の救いであったことだろう。
「そういえばなよ様、ネジ様からお手紙が届いていましたよ」
ハナが一通の封筒を取り出すと、なよは嬉々としてそれを受け取った。
「ふふっ。どうやらネジは忍者の学校でまた一番の成績をとったようですね」
弟からの手紙にはアカデミーでの出来事や修行での成果、学校で友人ができたことなどを伝える内容が便箋の端から端までびっしりと詰まっていた。
未だにこの地から離れることが許されていないなよにとって、最愛のネジと連絡を取り合う手段は手紙のやりとりしかない。
それも2か月から3か月に一度きりしかない。
故にこの手紙はこの地に住まうなよにとっての数少ない楽しみの一つなのであった。
「ネジ様はすごいですね。前もアカデミーで優秀賞をもらったと書かれていましたから」
「はい、私の自慢の弟です」
なよはにっこりと微笑んだ。
幼少の頃から仲の良かった姉弟のことだ。アカデミーにも通うことができないなよにとって弟の活躍はまさに自分事のように嬉しくてしょうがないのだ。
「そうだわ。ネジの頑張りをお祝いして、今度ネジに何かプレゼントをお送りしましょう。何にしようかしら」
「それでしたらなよ様、もうじき冬がやってくるのでマフラーなんていかがですか? なよ様が編んだものをお渡しすればきっとネジ様はお喜びになります」
「いいアイデアです、ハナさん。ですが上手に編めるでしょうか?」
「大丈夫です。私がちゃんと教えますし、なよ様ならきっとできます」
ハナはこちらに来た時のことを思い出す。
この地に来た当初は生活する基盤がほとんどなく、それを準備するにもハナだけではどうしても限界があった。
それを見かねたなよは自分から何か手伝えることはないかと訴えた。ハナとしてはなよは体が弱いため休んでいて欲しかったのだが、なよがどうしてもと言うのでしぶしぶ家事を手伝ってもらった。
するとなよはハナが少し教えただけでほとんどの作業を完璧に効率良く覚え、瞬く間に暮らしに余裕が生まれた。
それほどになよは物事を器用にこなし、物覚えが良かった。
そんななよならば編み物なんてちょっと教えれば簡単にすぐマスターしてしまうだろう。
もしなよが健康で強い体に生まれていれば、きっとなよは日向の将来を担えるほどの逸材になっていたにちがいないとハナは思ってしまう。
「それではハナさん、明日あたりにでもマフラーの編み方を教えていただけないでしょうか」
「ええ、分かりました。……あら」
「どうしました?」
「毛糸をちょうど切らしていたんでした。申し訳ありませんがなよ様、明日は街まで他の物資も含めて買い物に行ってきたいと思います」
「まぁ、そうなのですか」
ふと、なよは先ほどの木の葉の少年の言葉を思い出す。
彼女のお気に入りの場所で出会ったうちはイタチを。
「そういえばハナさん。木の葉の忍さんが言っていたのですが、ここ最近この辺りで悪さをする人がうろついているとのことです。お出かけする際は注意してくださいね」
「大丈夫ですよ、なよ様。こう見えても私はこちらにお仕えする前はくの一でしたからそうそう不覚はとりません。それよりも留守の間はくれぐれも注意してください。知らない人が来たら押入れの中に身を隠すようにしてくださいね」
「はいはい、分かりました」
そうして翌朝、ハナはなよに見送られて街へ向かった。
隔週ごとに行くいつもの買い出し。これは彼女らにとっていつもと変わらぬ日常であった。
しかしこの日を境に、なよは二度とハナと顔を合わせることはなかった。
この話の段階では
イタチ→11歳
なよ→10歳
です。