日向の悪鬼   作:あっぷる

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悪鬼の誕生

 木の葉の名門、日向一族にはある掟がある。それは宗家と分家の因縁の不文律。

 一族を背負う宗家に対し、分家は命を懸けて宗家の血筋を守らなければならなかった。分家の者は常に宗家の盾であり、代替される存在であり続けた。

 それ故に分家の男子は宗家に謀反を起こさないよう(ひたい)繋縛(けいばく)の呪印が施される。その呪印は宗家の者が念じれば簡単に被施術者の脳細胞を破壊し、その者の死後は一族の誇りたる白眼を封じた。それは鳥籠に閉じられた分家の宿命(さだめ)の象徴なのだ。

 

 そしてそんな因縁渦巻く一族に生まれた日向ヒザシは祝福すべき三歳の誕生日に分家の呪印を施された。彼の双子の兄ヒアシが同日に三歳になったからである。

 日向の掟では宗家の嫡子が三歳になった時、その嫡子に近い分家の男子が嫡子を守るための盾として呪印が施される。

 ヒアシもヒザシも同じ宗家の血を継ぐが、宗家の跡継ぎは一人で足りる。

 それ故に容姿も能力もさほど変わらない兄弟ながら、ヒアシの方が先に母体から取り上げられたという理由で、一方は一族の宗家として支配する者、もう一方は一族の分家として支配される者になった。

 

 しかし当のヒザシは自分なんかよりはるかに扱いのよい兄ヒアシに嫉妬することはなかった。この兄弟は宗家と分家の壁を越え、兄弟としての絆が深く大変仲が良かった。

 兄ヒアシは宗家の立場を振りかざして弟ヒザシを虐げることもなければ、弟ヒザシが兄ヒアシに対して特段媚びへつらうこともなかった。

 

 

 

 

 

 ――だがそんな二人をあざ笑うかのように日向の宿命(さだめ)は彼ら兄弟の歩みを狂わせる。

 

 

 

 

 

 それはちょうどヒザシが呪印をもらって20年の月日が経った頃だった。

 ヒザシは“たりね”という女に恋をした。きっかけはさほど面白くはない。満月の晩、河川敷を歩いていたヒザシがたまたまそこで月を眺めていた彼女を見初めたのだ。

 彼は日頃男友達に『女は容姿よりも内面だ』と吹聴していたものだったが、月明かりに照らされたたりねの横顔を見るや一瞬にして心を奪われた。

 それからというもの、ヒザシは満月の晩には毎回河川敷に赴いて、たりねに会いに行った。ヒザシは時には一輪の花を、時には近所の甘味処で買った団子を手土産に、たりねと一緒に月見をした。

 

 そうした努力も実り、次第にたりねもヒザシを好くようになった。そして彼らの逢瀬も月に一回満月の晩だけだったものが、隔週に一回、週に一回とどんどん頻度を増やしていった。

 そうなると自然と出かける場所も河川敷以外のところと増えてくる。たりねはヒザシがこれまでに見てきた女性の中で格段に輝いていた。肌は絹のように白く、長い黒髪は漆器工芸のような気品に満ちた輝きを持っていた。

 またヒザシもヒザシで当時アカデミーで秘密裏に行われていた美男子投票で一位を取るほどには容姿が良かった。

 それ故にヒザシとたりねが街に出れば当然のように彼らの噂が広まった。以前よりヒザシを狙っていた婦女子たちは地団太を踏み、ヒザシの『容姿よりも内面!』発言を聞いていた男友達は見目麗(みめうるわ)しいたりねを引き連れるヒザシに呪詛を唱えた。

 

 しかしそう噂が広がると日向の者にまで届いていく。ヒザシとたりねにとって、それは街で羨望の的になること以上に芳しくないことだった。

 普段分家の者は宗家の者に対して厳しい生活を強いられるものの、宗家と違い日向の血筋を残さなければならないという使命はないため自由に婚姻することができる。

 しかしヒザシは別だった。ヒザシは分家の身であるものの、宗家で生まれた男だ。仮にヒアシが子をなさず亡くなった場合、次の家督は宗家の血筋を継ぐヒザシの子に移ることになる。ヒザシの婚姻は日向によって管理されなければならなかった。

 当然日向はヒザシの行動を許しはしなかった。ましてや相手はどこの馬の骨とも知らない輩なのだから。

 

 ちょうどその頃たりねは子を身籠っていた。ヒザシの子である。

 たりねの妊娠を聞きつけた日向一族は彼女に対して圧力をかけるようになった。その子を産ませてはなるものか、と。

 それからというものの、たりねは四六時中監視されることとなり、たりねは家にいる時でさえ襲撃される恐怖に怯えなければならなくなった。

 そしていつ母体に危害を与えられるか分からない状況下、たりねは日向の目を掻い潜り姿をくらませた。ヒザシにすら居場所を告げることなくたりねはいなくなったのである。

 

 日向は彼女を血眼になって探した。当然ヒザシもだ。しかし探せど探せどたりねを見つけることはできなかった。

 

 ヒザシは自分の犯した軽率な行動を悔いた。

 もし自分が彼女を身籠らせなければ彼女は日向の人間に執拗に追われることはなかっただろう。もし自分が彼女を街に連れ回さなければ日向の人間に知れることはなかっただろう。もし自分が彼女を好きにならなければ――。

 

 

 

 

 

 たりねがいなくなってからというもの、ヒザシは魂が抜けきったかのように何事にも無気力になり家から出ることが少なくなった。忍としての任務も手に付かなくなった。

 そんな様子を兄ヒアシは気遣い、ヒザシにしばらくの間休養を命じた。ヒアシはたりねへの圧力には携わっていないものの、一族の暴走を抑えることができず弟を廃人寸前の状態にしてしまったことを悔いたのだった。

 

 

 

 それから半年経ったあたりだろうか。ヒザシは珍しく晩に外出した。なぜ夜中になって急に外に出ようとしたのかは定かではない。だが強いてあげるのなら、その日は満月だったからだろう。

 

 ヒザシは初めてたりねと会った河川敷に顔を出した。かつて満月の夜はいつも彼女と語り合ったその河川敷に。

 ヒザシとてそこで彼女に会えるなんて(つゆ)ほども思ってなどいない。たりねがいなくなってからというもの、ヒザシは数えきれないほどそこへやって来ているのだから。

 

 しかしその日はいつもと違った。

 普段ならば辺り一面が芝で覆われているはずが、その日はなぜか河川敷の中心にぽつんと竹でできた小屋が建っていた。不思議なことにその小屋は空に浮かぶ満月のような優しい光を放っていた。

 

 ヒザシがその小屋に足を踏み入れると、たりねが(とこ)に伏していた。顔はかなりやつれていて、以前のような溢れるばかりの生気はもはや残されていなかった。

 

「たりね! たりね……!」

 

 ヒザシはすぐさま彼女のもとへ駆け寄った。

 

「ヒザシ様……。良かった。最後にあなた様に会うことができて……」

 

 口をわずかに開かせて掠れながらも美しい声を発すると、たりねは傍に置かれた籠を軽く触った。

 ヒザシが籠へと視線を移すとその中には布を被った赤子が入っていた。静かに眠っている様子だったが、薄っすらとした髪の毛はまだ湿っていて先ほど生まれたばかりであることが見て取れた。

 

「たりね……、まさかお前一人で……」

「ヒザシ様。お願いです……。この子だけは……。この私とあなた様の子だけは健やかに育つよう……」

 

 ヒザシはたりねを抱き寄せた。もう二度と彼女を手放さないように。

 しかし哀しいことに彼女にはもう時間が残されていなかった。ただでさえ懐妊している身でありながら日向家の目から逃げ続けたのだ。さらには助産師なしで子を産みもした。

 たりねは身体の限界を超え、強い精神力を支えに意識を保ち生き延びた。最愛の人、ヒザシを待ちわびて――

 

「ヒザシ様……、その子のことは任せます――」

 

 たりねはヒザシの腕の中で力尽きた。その顔は相も変わらず生気も感じられないほどやつれていたが、安堵の(こも)った笑みを浮かべていた。

 ヒザシは何度も彼女の名前を叫んだ。声が枯れるまで叫び続けた。だが陽が西から昇り東へ沈むことがないように、死者が生者へ戻ることはなかった。

 

 そしてヒザシの嘆きに共鳴するように赤子が泣いた。

 ヒザシはたりねをゆっくりと(とこ)に寝かしつけ、籠の中で泣く赤子を持ち上げた。まだ目が開くことはない赤子。されどその目尻はたりねのものと瓜二つだった。

 

「たりね……。俺はどんなことがあってもお前の子を守り抜いて見せる。それがたとえ日向の宿命(さだめ)に逆らうことになろうとも――」

 

 ヒザシは赤子を抱きしめ、たりねの想いを背負うと誓った。

 

 

 

 

 

 しかしこの話は運命に翻弄された男女の哀しい恋物語では決してない。これは彼らが産み落とした悪魔の如き子どもの物語なのである。

 

 

 

 


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