無事にひよ丸を捕まえた水蓮たちは、お礼にと食堂をしている六花の実家へと招かれ昼食をごちそうになっていた。
六花のおすすめだという生姜焼き定食を満足げに食べる二人の向かいには、むすっとしたひよ丸。
マタタビの効果もすっかり消え、恨めし気にイタチをにらんでいる。
「そう睨むな。お前の油断だろ」
イタチが笑い交じりにそう言ってご飯を口に入れる。
ひよ丸もデンカやヒナと同じようにネコ婆のところに出入りしている忍猫らしく、子供のころからの顔見知りという事もあり、イタチの口調は随分砕けている。
「ほんま余計なことしてくれたな。イタチ…」
深く吐き出したため息の先には、店の手伝いをする六花の姿。
「それで、お前どうしてあの子に追いかけられてたんだ?」
食事を終えて、イタチは改めてひよ丸に聞く。
ひよ丸は目を細めて再び深い息を吐き出した。
「サスケのせいや」
「……っ?」
思いがけないその名前に、イタチと水蓮は息を飲んで顔を見合わせた。
「一年位前の話や。六花は妙な連中に狙われとったんや」
「なぜあの子が?」
イタチの問いかけにひよ丸は声を極限まで抑えてひそめた。
「あいつは氷遁の能力者や」
「あの子が…」
ピクリとイタチの眉が跳ね上がる。
「まぁまだ自分で力を操られへんけどな。どうも偶然発動したんを厄介な連中に見られとったみたいでな。六花をさらいに来たんや。それを、たまたまこの町に来とったサスケが助けた」
「あいつが…」
イタチのつぶやきにひよ丸がうなづく。
「で、その時に、これまたたまたまこの町に来てたワイに、無理やり口寄せの契約させよったんや。六花とな」
「口寄せの契約を? サスケがおまえに?」
「そうや。六花と慣れ合う必要はない。せやけど、あの子の呼びかけには必ず応えて、命に危機が迫った際には守れってな」
「そうか…」
口元に少しだけ笑みを浮かべてイタチは六花を瞳に映す。
「まぁ、血継限界同士やしな。気になったんやろ。ワイはめちゃくちゃ嫌やったけどな。口寄せの契約はこっちが認めた奴としかホンマやったらせぇへん。せやけど、あの時サスケにちょっと借りを作ってしもてな。しゃぁなしや」
ぷいっとそっぽを向いた先に六花の姿が入り込み、それに気づいた六花がひよ丸にひらひらと手を振った。
ひよ丸はげんなりした表情で「友達か」と突っ込んで頬をひきつらせ、さらにそっぽを向いて顔をそむけた。
「いいコンビに見えるけど」
水蓮の言葉にひよ丸がいら立ちを見せたが、イタチが「そうだな」と言葉を重ねた。
「おまえ、案外あの子のこと気に入ってるんだろ?」
「はぁ? んなわけあるか!」
図星なのがまるバレの様子で、ひよ丸はあたふたと返す。
「あ、あんななんもできへんがきんちょ、だれが! しかもあいつ、ワイと仲良くなりたいとか言うてしょっちゅうなんもないのに呼び出しよるんや! ええ迷惑や」
「だが、呼ばれたからと言ってずっとそばにいる必要もないだろう。お前らはいつでも帰れるんだからな。己の意思で」
それでもそれをしないということは、ひよ丸は自分の意思でそばにいるという事なのだ。
そう指摘されてひよ丸は動揺しながらも目を吊り上げ必死に取り繕う。
「ちがう! そ、それはあれや! あいつに条件だしとるからや! どんな手を使ってもええから、ワイを捕まえられたら仲良くしたるってな」
釣り上げたままの目でひよ丸は水蓮とイタチをにらみ「お前らのせいやぞ」と恨みがましくこぼした。
「どんな手を使ってもか」
「じゃぁ、今回私たちが手伝ったことも条件内ってことだよね」
二人の視線を受けてひよ丸はがっくりと肩を落としてため息をついた。
「まさかイタチが絡んでくるとは思いもせんかったからな…」
だがひよ丸はその愚痴を「いや…」とすぐに否定した。
「もともとはサスケが原因や。イタチが絡んでくることは頭に入れとくべきやったんかもしれへんな」
その言葉にイタチがほんの少し首をかしげる。
ひよ丸はあきらめたような、そして、どこか懐かしげな笑みでイタチを見つめて言った。
「兄弟ってのは、そういうもんやろ。それはお前らの世界でも、ワイらの世界でも同じや。切っても切れへんもんがある。どうやっても、どっかで繋がるもんや。違うか?」
イタチはその言葉をかみしめるように少し間を置き、嬉しそうに、少しさみしそうに微笑んでうなづいた。
「そうだな…」
切っても切れない…
その太く硬い糸を、イタチは切るための戦いをしているのだ。
誰にもわからぬ場所で、誰にも知られることなく…
水蓮は手元にあった湯呑をぎゅっと握りしめた。
中の茶はすっかり空で、湯呑の冷たい感触が手のひらに広がった。
「せやけど、あれやなイタチ。なんやお前らややこしいことになっとるみたいやな」
サスケから何か聞いたのか、イタチを見る目は複雑な色を浮かべている。
「まぁ、わいらにはお前らの世界の事は関係ないけど…」
さも興味なさそうな口調。
だが、それとは逆に瞳に浮かぶ色が何か強さを増してゆく。
「お前がなんも考えなしに動くやつやないっちゅうのんはわかってるつもりや。お前が家族をどんだけ大事にしとったかもな。ネコ婆んとこにおる忍猫はみんなそうや」
ピクリ…とほんの少しイタチの体が揺れた。
「お前のやった事やる事が何であれ、お前を見る目は一つやない。まぁ、それは忘れんな」
すべての目がイタチを否定する物ばかりではない…
許されぬイタチの罪の中に、かすかにでも別の何かを見出そうとしてくれる存在がいる…
それがどんなに小さな物でもこの世にその想いがあるという事が、イタチの心をどれほど救うか…
グッとテーブルの下でイタチがこぶしを握りしめるのが見え、水蓮はそこに自分の手を重ねた。
そしてひよ丸に向けて、声を合わせた。
『ありがとう』
ひよ丸は「はは」と小さく笑ってすっと立ち上がった。
「なんや、心配いらなさそうやな」
ちらりと水蓮を見たひよ丸にイタチが「ああ」と笑い、ひよ丸もニッと笑った。
「ほな、ワイは帰るわ。そろそろ時間切れや」
「あ、待って!」
背を向けようとしたひよ丸を水蓮が慌てて止める。
「ネコ婆様とヒナとデンカに伝えて。私たちは元気だって。大丈夫だからって」
「ああ分かった。会うたら伝えるわ」
そして今度こそ背を向ける。
その気配に六花が気づき、走り寄ってくる。
「ひよ丸、もう帰るの?」
「お前の少ないチャクラではもう限界や。まぁ、次はちょっとくらいしゃべったる。一応約束やからな」
フイッとまたそっぽを向くが頬が少し赤く見え、これから更にいいコンビになっていくのであろう事が感じられた。
「ほな、またな」
ひよ丸は少しも振り返らず、ボンッと小さな音を立てて消えた。
「つまんない…」
六花は小さな頬をプクリと膨らませたが、水蓮たちの湯飲みが空になっていることに気づき、「どうぞ」と手に持っていた急須からお茶を注いだ。
水蓮とイタチはまた『ありがとう』と声を重ね、湯呑を両手で包み込む。
二人のてのひらにあたたかいぬくもりが広がり、そのぬくもりが心にも静かに染み入った。
その後二人は食後の甘味もごちそうになり、六花と別れ次の町を目指した。
夜は予定していた宿に泊まり、イタチお勧めの豆腐と魚を使った創作料理を食べ、これまでになくゆっくりとした時間を過ごした。
昼間にサスケの話が出たこともあり、イタチはサスケとの思い出をいくつか語った。
修行の話や、くだらない理由で喧嘩したこと。
サスケの好きな食べ物や、嫌いな物。
じゃんけんをするときは必ず初めにチョキを出すこと。
どうしてもとせがまれて、家の庭でテントを張って野営の真似事をしたこと。
その時は親友のシスイも混じり、本当に楽しかったと、イタチは笑った。
どれも他愛のない話であった。
それでも、そのすべてには愛おしさが溢れていた。
最後に話したのはイタチの額あての話だった。
金属部分のちょうど裏側に、フェルト生地のようなもので作られた赤い丸と緑の丸い布が縫い付けられていた。
作ったと言っても丸く切っただけで形もかなりいびつ。
それは幼いサスケが自分の好きなトマトとイタチの好きなキャベツに見立てて作った物で、母親がお守りにと縫い付け、翌日の任務に行く際には父親が額あてを結んでくれたのだと嬉しそうに話した。
イタチにとって、額あては家族を結ぶものであり、自分と里を結ぶもの。
そしてそこにつけられた傷は、決して痛みから逃げないとの誓いと、何があっても里を守って見せるという決意の証。
いつの時もその額あてが…。そこに刻まれた思い出が自分を支えてくれたのだと語った。
長く使いこまれたその額あてはところどころ布が擦り切れ、サスケの作った二つの丸も頼りなさげになっていた。
水蓮はほころびを繕い、赤と緑の丸をしっかりと付け直した。
けっして離れぬよう、丁寧に糸を通した。
きれいに直し終えた額あてを受け取り、イタチは嬉しそうに笑って言った。
「お前も仲間入りだな」
その笑顔の後ろでは夜が深まり、沈まなければいいのにと思った月が沈みを見せ始めていた。
そして次には、昇らなければいいと願った日が昇り、朝が来るのだ。
その進みを止められないように、自分たちも歩みを止めてはならない。
イタチの描く、まだ見ぬ未来へと向かって。それを信じて、しっかりと歩いてゆかねばならない。
どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも。
水蓮はイタチの手から再び額あてを取り、それを自分の額につけた。
なぜかは分からない。
それでも、自然とそうしたいと思ったのだ。
戸惑いながらその様子を見つめるイタチに、水蓮は「似合う?」と少しだけおどけて見せた。
イタチはどこか複雑な笑みを浮かべたが、それでも最後には少しうれしそうな顔を見せた。
「ああ。よく似合う」
すっと手を伸ばし、木の葉の証につけた傷をなぞる。
その指で水蓮のほほを撫で、イタチは口づけを落とした。
…二人を見守るように、月がゆっくりと沈んでいった…