いつの日か…   作:かなで☆

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第六十七章【闇の極みのその先に】

 夜の闇深まり、一層空気を冷たくしてゆく。

 その分空は澄み渡り、星が美しさを増していた。

 冷えた外気に、水蓮は少し鼻をすすり少し位置を低くし始めた月を見つめていた。

 

 脳裏にはもう会うことのないであろうイナホの姿が浮かぶ。

 自分を無邪気に慕ってきたイナホ。

 

 この先、2度と争いに巻き込まれることなく幸せに過ごしてほしい…。

 

 月に祈りを込めた。

 「眠れませんか?」

 背中にかけられた声に振り向かぬまま、水蓮は「寝てると思った」と返した。

 

 今いる西アジトはいくつかあるそれの中でも位置が分かりにくく、安心できる場所だ。

 それゆえ、ここに滞在するときは見張りを立てることはない。

 

 疲れからか、珍しくしっかりと眠っているイタチのそばで鬼鮫も静かに目を閉じていたためそう思っていた。

 「起きてたんだ」

 水蓮はようやく振り返って小さく笑った。

 「いえ、寝てたんですがね。なんだか目が覚めてしまって。あなたは?」

 水蓮の隣に立ち、空を見上げる。

 「んー。色々」

 今日の事を思い返し、水蓮は小南の見せた驚くほど柔らかい笑顔を脳裏に浮かべた。

 「小南さんに、ちゃんと挨拶できなかったな」

 

 彼女にも、もう会うことはないのかもしれない…。

 

 「気にしませんよ。あの人は」

 うなづいた水蓮の胸には、さみしさが揺れた。

 

 もっといろいろ話したかったな…

 

 そんな思いが湧き上がった。

 

 「ここは星がよく見える」

 降り落ちてきた声に背の高い鬼鮫を見上げると、自然とそのまま星空が目に入る。

 高所で見る星は、大きい物は水蓮の拳ほどの光を見せている。

 決して人には作り出せぬ色を放つ星々は、美しくもあり、どこか恐ろしくもある。

 「落ちてきそう」

 あるはずのない事をつぶやきながら、水蓮は笑う。

 「落ちてきたらどうなるのか…」

 鬼鮫も少し笑う。

 

 しばらく沈黙が流れた。

 

 「どうしてシンとしたって言うんだろうね」

 夜の闇が深まった時の静けさに使われる比喩。

 なぜその言葉が選ばれたのだろう。

 水蓮はふとそんなことを思った。

 「私が聞いてきた話では色々な意味がありますよ。深い、深まる、憂う、悲しむ。表す漢字によって違う」

 「なんだか、どれもちょっとさみしい意味」

 「これだけではありませんよ」

 鬼鮫はそう言って空の遠くの方を見つめた。

 「あした。夜明けという意味合いで使われているという説もある。深まった闇が、次に来る朝を予感させるからではないですかね」

 少し間をおいて、水蓮がクスリと笑った。

 「なんです」

 「鬼鮫って結構ロマンチック」

 こらえきれず声を上げて笑う。

 「聞いておいて…」

 むすっとして顔を背ける鬼鮫が面白くて、水蓮はまた笑った。

 「まったく。失礼な人ですね」

 「あ、増えた」

 「なにが?」

 水蓮はわざとらしく指を折って言葉をつなげてゆく。

 「不思議な人。おかしな人。読めない人。面白い人。失礼な人」

 鬼鮫と会ってから今までに、水蓮が言われてきた言葉。

 「どれも褒め言葉ですよ」

 「最後のは絶対違うでしょ」

 少し口をとがらせる水蓮に、今度は鬼鮫が笑う。

 「いえいえ。私に失礼な事を言えるような人はあなたとイタチさんぐらいですからね。そういう意味では褒め言葉ですよ」

 「それはどーも」

 ジトリとにらみながら頭を下げて見せる。

 そして一瞬間を置き、合わせたように二人で笑う。

 それからはしばらく二人で空を見た。

 どれくらいたってからだろうか、鬼鮫がふいに水蓮に問う。

 「あなたは、どう思いますか?」

 「どうって?」

 「ザギの言葉…」

 

 心に残るザギのいくつもの言葉。

 だが水蓮には鬼鮫の言うものがその中のどれなのか、すぐに分かった。

 

 

 『里のためなら人をも殺す。それが忍びだ』

 

 何かを守るために、命を奪う…

 

 この世界の闇の連鎖。

 鬼鮫はそれを水蓮に問いかけているのだ。

 

 水蓮は少し考えて静かに答えた。

 「わからない」

 意外な言葉を聞いたかのように、鬼鮫が水蓮を見た。

 

 こちらの世界に来たばかりの頃に同じことを聞かれたら「それは違う」と即答していたかもしれない。

 鬼鮫もそう思ったからこそ驚いたのだ。

 

 

 水蓮は、ゆっくりと息を吐き出して空気を白く染めた。

 そしてじっくりと考える。

 

 

 自身が生まれ育った世界でも、過去にはこの世界と同じように争いが繰り返されてきた。

 守るために戦い、生きるために殺す。

 そこには多くの痛みと闇が渦巻いていたであろう。

 言葉では言いあらわせない。語りきれない何かが。

 それを乗り越え、かつて生きていたあの世界では『どんな理由があろうとも』と、それが正しきこととして言える世界になったのだ。

 だが、この世界はまだそこにたどり着いていない。そこへと向かい、痛みに耐え忍び皆生きているのだ。

 その中において『どんな理由があろうとも』と、ただ単純に率直にそう口にしてよいのだろうか。

 水蓮は『わからない』のだ。

 

 「でも…」

 

 それでもと、水蓮は重く感じる口を開いた。

 

 「どんな理由があろうとも、人の命を奪うことは許されない」

 鬼鮫は黙って言葉を聞いている。

 静かに、そしてゆっくりと水蓮は言葉を続ける。

 「そう思える自分でありたい」

 ぐっと両手を握りしめる。

 「たとえ答えが見えなくても、求める事をやめずにいたい」

 この世界の抱える闇の連鎖への答え。

 それを求めることをやめてしまったら、何もかもが報われない。

 奪われた命も。生き残った命も。

 

 

 また一つ、夜が深くなった。

 

 

 その深まりの中、鬼鮫が少し笑う。

 「あなたは(・・・・)それでいい」

 

 人を殺めた自分はもうその言葉を口にはできない。

 その『きれいごと』を。

 

 

 だが、それでもどこかで求めている。

 人は誰しもそうなのかもしれない。

 その身を汚し闇に染まってもなお、どこかでそれを求める。

 『きれいごと』を口に出来る存在を、欲してしまう。

 

 決して自身を許さぬために…

 

 

 二人はまた静かに夜を見つめる。

 ただ黙っているこんな時間も、すっかり違和感なく過ごせるようになっていた。

 「シンとした闇が明日を予感させるっていうのは、確かに分かるような気がする」

 「そうですか」

 「うん。だって夜明け前って、一番闇が深くなるでしょ」

 また少し鬼鮫が驚いた顔をする。

 「時々見張りで深夜から朝にかけて起きてる事があるから、それでその時そう思ったの」

 水蓮の言葉と共に空気が白く染まって行く。

 気温がぐんと下がり始め、星はさらに輝きを研ぎ済ませ、その光の中で水蓮の姿が凛として浮き上がる。

 「どんどん闇が深くなって濃くなっていく。それを見ていると、すごく心細くて、恐ろしくて。寂しくて。春でも夏でもなぜかとても寒くて、泣きたくなる。この世界にただ一人取り残されたようなそんな気分になる」

 短くなった髪が風に揺れて、その隙間から切なげな瞳がちらりと見える。

 「気づくと月も星もなくなっていて、もっと寂しく恐ろしくなって。その感情が極限まで高まって。もうこれ以上は耐えられない。そう思った瞬間に、すぅっ…と地平線が白く線を引くの」

 スッと持ち上げられた指先が、静かに一筋の線を引く。

 「あ、夜明けだ…って。毎回当たり前のことをつぶやいてしまう。涙が出る。キレイで、優しくてでも切なくて。だけどとてもほっとする」

 水蓮に向けられていた鬼鮫の視線が、細い指先が示す地平線へと向けられる。

 そこには世界中のいたるところから黒を集めたような闇が深まり、水蓮の言うような負の感情が胸の中に渦巻く。

 だが、その先には必ず夜明けがあるのだという希望を感じる。

 「闇が深いほど夜明けは近い」

 鬼鮫がまだ深まり続ける闇に向かって言葉を放った。

 「以前イタチさんが言っていた言葉です」

 イタチが言うと、またその重みと切なさは大きい。

 鬼鮫は静かなまなざしで言葉を馳せた。

 「我々は今…夜のどの辺りにいるんでしょうかね」

 

 

 忍世界という夜の闇の…

 

  

 水蓮は「わからない」とかすれた声で返した。

 「でも」

 今度はしっかりとした声。

 祈りを込めて答える。

 

 「きっと夜明けは来る」

 

 鬼鮫は水蓮に視線を戻しドキリとした。

 深みを極めだした闇夜を見つめるその瞳に、見覚えがあった。

 

 切なく悲しげで、深い痛みをたたえ。しかしそれでいて強い光を帯びた瞳。

 それはまるで…

 

 「あなたは似てきましたね…」

 心のうちにとどめようと思った言葉が、思わずこぼれた。

 「え?」

 いつもの瞳に色を戻し、水蓮は首をかしげる。

 鬼鮫はフッと小さく笑って洞窟の中に視線を向けた。

 「あなたの目は…彼の物と似ている」

 

 普通の人であったはずの水蓮…。

 それがいつの間にかイタチと同じほどの痛みをその身に抱え、それに耐え生きる者となっていた。

 

 水蓮の瞳にそのことを悟り、鬼鮫はまた笑った。

 「あなたは一体何者ですか」

 水蓮が息を飲んだ。

 今までこんな風に面と向かって鬼鮫に問われたことはなかった。

 鬼鮫自身も、それを水蓮に問う気はなかった。

 それは鬼鮫にとって重要ではないからだ。

 

 問われた水蓮も、問いかけた鬼鮫自身も、戸惑った。

 

 しばしの沈黙が落ち、鬼鮫が水蓮に背を向けた。

 「まぁ、今更それはどうでもいい事ですね」

 そして「それより」と、少し低い声で言葉を続けた。

 「あなたは、イタチさんのそばに戻ったほうがいい」

 今度は水蓮がドキリとする。

 「聡いあなたなら、もう気づいているでしょう」

 また一つ低くなった声。

 水蓮は少し目を伏せてうつむいた。

 そんな水蓮に、鬼鮫は振り向かぬまま言った。

 「彼は、随分悪い」

 

 ズキン…と、音が聞こえるほどの胸の痛みが襲った。

 

 やはり鬼鮫も気づいていた…

 

 水蓮はきゅっと唇を噛んだ。

 

 天隠れの里での一件。影分身を使う際、イタチは鬼鮫とのやり取りで引かなかった。

 今までなら、ため息をつきながら自分が負担を負っていた場面だ。

 すでにチャクラをかなり消費していたということもある。

 だがそれでも今までのイタチなら鬼鮫にあんな風に強要することはしなかっただろう。

 鬼鮫もそう思い、あの時簡単には聞き入れずイタチの出方を見たのだ。

 そして確信した。

 

 水蓮も。

 

 

 イタチの体は、もうかなり弱っていると。

 

 

 それはイタチ本人が最もわかっている。

 

 だからこそイタチは温存しようとしているのだ。

 

 サスケとの戦いのために。

 

 「あなたは彼から離れない方がいい」

 ゆっくりと振り向いた鬼鮫の表情は感情が見えず、そこにどういう意図があるのか読み切れない。

 

 決して『仲間』ではない関係。

 

 その言葉の奥には、水蓮やイタチにもわからない何かがあるのかもしれないのだ。

 

 だが、それは考えても分かる物ではない。

 水蓮はただ素直に受け止めてうなづいた。

 「わかった」

 ニコリと浮かべた笑顔に鬼鮫も笑って返す。

 「私はもうしばらくここにいます」

 

 鬼鮫はこうして時折一人になろうとする。

 

 闇に身を浸して、何かを刻み込むように。

 

 それは決して邪魔をしてはいけない時間。

 

 水蓮はもう一度うなづいた。

 それを見届け、鬼鮫は背を向けた。

 

 静かで研ぎ澄まされたその背に、水蓮は柔らかい声で「お休み」と言葉を残し、イタチのもとへと戻った。

 眠るイタチのそばに座ると、イタチがうっすらと目を開き、水蓮の手を取った。

 「手が冷えている。外にいたのか?」

 「うん。鬼鮫と話してた」

 「あいつはまだ外か」

  一人になる鬼鮫の姿をイタチも何度も見てきたのだろう。

 心配するわけではないが、どこか複雑な表情を浮かべた。

 「うん。もう少し外にいるって」

 「そうか」

 まだ疲れが抜けきらないその声に、水蓮は手をぎゅっと握りしめてチャクラを流した。

 「水蓮…」

 イタチは何かを言おうとしたが、口を閉ざし黙ってそれを受け入れた。

 体の疲れも、心の痛みもゆっくりとほぐされてゆく。

 「やはりお前はあたたかいな」

 イタチの瞳が一層細められたのを見て、水蓮は微笑んだ。

 「眠って」

 その言葉に導かれるように、イタチが静かに目を閉じた。

 すぐに聞こえた穏やかな寝息。

 水蓮はつないだ手をそっと自分のほほに添えた。

 「ちゃんとそばにいるから」

 

 辺りを包む込む静寂に、今日一日の中で触れた痛みと闇が一気に蘇る。

 

 そして、自分が感じた何倍もの痛みを、イタチはまた背負ったのだと苦しくなった。

 

 

 涙が頬を伝った。


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