しんと静まり返った洞窟の中。
水蓮の小さな寝息がイタチの耳に心地よく届く。
包み込む穏やかな空気
安心しきった顔で眠る水蓮を見て、自然と顔がほころぶ。
自身の中にも広がる静穏さ。
まだもうしばらくこうしていたい…
そんな思いが脳裏をかすめる。
しかし、夜が更け、気温が下がりだしたこの時間。そうもいかないだろうと、小さく笑う。
「水蓮…」
優しい声で名を呼ぶ。
が、水蓮の目を覚ましたのはその声ではなかった。
ドォォッ!
イタチの声をかき消すように、突如大きな音が響き渡った。
「何っ?」
すさまじい音に、水蓮が体を跳ねあがらせ目覚める。
「外だ!」
同時に立ち上がり、洞窟の外に走り出て周りを見回す。
暗闇で何もとらえられない水蓮の隣で、イタチの赤い瞳が鋭く光る。
ドォッ!
再び音が轟く。
その方角に目を向け、イタチの目が少し離れた場所にチャクラの流れを捉えた。
長く空へと延びるそれは…
「鬼鮫の水龍だ」
「じゃぁあっちが…」
「そうかもしれないな。行くぞ!」
二人は同時に駆けだした。
たどり着いた先では、鬼鮫が池の上に立ち、じっと水面を見つめていた。
池の淵には洞窟にあった物と同じ竜の石像があり、その隣には夜の観光客用なのか、火をくべる場所がある。
そこにイタチが火遁で灯りをともす。
照らされた水面に、イタチがさっと降り立つと、それと同時に、池の中から大きなしぶきが上がり、細長い何かが宙に飛びあがった。
炎の明かりに照らされたその姿を目に捉え、水蓮が声を上げる。
「ナ、ナマズ?」
池の中から飛び出したのは、鬼鮫の3倍はありそうな大きなナマズ。
ぬめりのある体が炎の明かりを受けて気味悪く光った。
「池の主か」
「さぁ。水中を探っていたら突然」
二人の視線の先で、ナマズが空中で大きな体をうごめかせた。
その動きに合わせてバチバチと音が鳴る。
「電気ナマズのようですね」
電気を帯びたまま水の中に落ちるナマズ。
そのしぶきから逃れるように、二人が飛びあがり水蓮の隣に着地する。
吹き上がったしぶきの中を電流が走り、激しい音を立てて水面に広がった。
「そ、そんなに…?」
電流の強さに水蓮が思わず声を上げ、鬼鮫がため息で続く。
「厄介だ」
「大きさがあれではな」
イタチも顔をしかめる。
「水物とはいえ、あまり好まない相手だ」
「だがどうやらやるしかなさそうだ」
イタチの鋭い瞳が池の中を探るように動いていた。
どうやらナマズの動きを追っているようだ。
「どうしました?」
鬼鮫のその問いに、イタチは池を見つめたまま答える。
「腹の中に何かある。チャクラのようなものを帯びた塊が見える」
「まさか、水晶?」
水蓮も池に目を向ける。
「その可能性はあるな」
「なるほど」
何かに納得したように鬼鮫も池を見つめる。
「先ほど、何か妙な力が水中に吸い込まれているような気配がしたんですよ。それで調べていた」
イタチはしばし考え、つぶやくように言った。
「自然エネルギーか」
「自然エネルギー…」
そのまま言葉を繰り返した水蓮にイタチが返す。
「人の体内には身体エネルギーと精神エネルギーというものがある。それを練りこんでチャクラという力に変換する。それと同じように、自然界の中にも力を生み出す自然エネルギーというものがある。大地、水、木、火や風、空気中にも。そして」
つい…と、夜空を見上げる。
その様子に水蓮がハッとする。
「月…」
「そうだ…。日中ももちろんその力は働いているが、動くものの少ない夜の方が障害がなく、自然エネルギーを感じやすい」
「それでも、自然エネルギーは感じ取ることが困難な代物だ。かなりの訓練がいると聞きます。だが、それをかすかにでも感じたということは…」
「今夜の新月が関係しているのかもしれない。何か特別な力が働き、そしてそれが池の中に集まっているのだとしたら…」
水蓮は先ほどのイタチの話を思い出す。
「月の力を充電…」
「ああ。水晶の可能性は極めて高いな」
「……………」
水蓮は言い表せない心境で池を見つめた。
もし、ナマズの腹の中にあるものが求めている水晶なら、任務は終わる。
だけど、何に使われるかわからないものを組織に渡すことになる。
胸中は複雑だった。
そんな水蓮を視線の端に捉えつつ、イタチと鬼鮫はもう一歩池のふちに歩み寄る。
「鬼鮫…」
「上からですね…」
「ああ」
本当に短い言葉で流れを確認し、鬼鮫が鮫肌を構え、水蓮に振り向いた。
「落ちてきたら、あっちへ飛ばしてください」
「…え?」
鬼鮫は対岸を指さし、戸惑う水蓮に答えぬままさっと印を組む。
「水遁!水龍弾の術!」
鬼鮫の水龍が池の中へともぐりこみ、数秒後に先ほどの巨大ナマズが池から追い出されて飛び上がる。
その下に鬼鮫がさっと入り込み、鮫肌を一閃させてさらに上へと弾き飛ばした。
高く生え並ぶ木々の更にその上へと、ナマズが跳ね飛ぶ。
それを追うように鬼鮫が飛びあがり、イタチが続く。
二人は空中で合流し、鬼鮫が組み重ねた手にイタチが足を駆けた。
グンッ…と、鬼鮫がイタチを跳ね上げる。イタチはその力を利用して、さらに高く跳躍した。
その細くしなやかな体がナマズを追い越して最も高く上がり、冷たい空気に精悍な声を響かせる。
「火遁!豪火球の術!」
星空を背にイタチが放った火の塊がナマズの巨体を飲み込み、上空からその熱波が降り注ぐ。
「……う…」
水蓮が熱風に耐えながら目を凝らすと、炎に包まれたナマズが、うねり苦しみながら落下してくる様子が見えた。
「水遁!水龍弾の術!」
ナマズの蠢きに揺られて広がった炎が木々に触れるより早く、今度は鬼鮫が再び水龍を放ち、ナマズへとぶつけた。
じゅぅぅぅっ…
音を立てて炎が消え、煙と共に異臭が立ち込める。
魚を焼いたようなよい匂いではない。
生臭く、思わず鼻をふさぎたくなるような嫌な臭い。
ナマズはまだかろうじて息が合ったようで、その体から音を立ててほんの一瞬だけ電流をはじかせた。
しかし、それが最後の力だったようで、息絶えて脱力した。
それを確認して、鬼鮫が声を上げる。
「水蓮!」
鬼鮫の水龍にやや落下の勢いを殺されたとはいえ、かなりのスピードで落ちてくる巨大ナマズ。
水蓮は待ち構えて印を組み、焼け焦げた巨体が水面に触れる前に術を放った。
「風遁!大突破!」
ゴオゥッ!
吹きうなった風が水面を大きく波立たせ、ナマズの体を対岸へと押しやる。
が、思うようにはじき飛ばない。
…重い!
風を通じて伝わるその重さに、グッと体に力を入れてチャクラを練り足すが、さらに強さを増した風に、水蓮の体が少し揺らぐ。
「……っ」
「おっと」
その体を後ろから鬼鮫が支え、水蓮が何とかナマズを対岸へと押し飛ばした。
ズゥゥンッ!
重々しい音を立てて巨体が地面に落ち、かすかに足元を揺らした。
ふぅぅ…と、安堵の息を漏らす水蓮の隣にイタチが降り立つ。
水蓮は周りが燃えなくてよかったと、もう一度息を吐いた。
「なんで上から…」
イタチの豪火球は、力を絞ったとしても威力は大きい。
「木に火が移ったら…」
「この時期、空に向けて火遁を放つのはあまり好ましくない」
答えたイタチに鬼鮫が言葉を続ける。
「大気の気温が急激に変わると、雨雲が来ますからね」
言われて、なるほどと納得する。
雨で濡れてナマズの電流で感電するのを避けるため。
理解した様子の水蓮に鬼鮫はフッと小さく笑い、ナマズのもとへと飛びゆく。
それに続いたイタチが黒く焼けこげた体を観察し「ここだ」とナマズの体の中ほどを指さす。
鬼鮫が鮫肌を振り上げるのを見て、水蓮は思わず目をそらした。
…ズ…ズズ…
耳障りな音が耳に届き、鳥肌がたつ。
少ししてから目を向けると、鬼鮫が池の水で何かを洗い持ち上げた。
その手には、長さが50センチほどはありそうな大きな円筒型の水晶の結晶。
上部が斜めになっており、竜の石像が持っているものと同じ形。
その水晶は池のほとりに灯された炎の光を受けて美しく輝いていた。
「これほど大きい物は見たことがない」
水蓮の隣に飛び来た鬼鮫が、水蓮にも水晶を見せる。
直径も大きく、鬼鮫の手のひらと同じほどある。
「すごくきれい…」
ナマズの腹の中にあったかと思うと複雑ではあったが、その水晶はかなりの透明度。
覗き込むと、向こう側がかなりはっきりと見える。
「任務完了ですかね」
「ああ。そうだな。おそらくこれのことだろう。過去に盗み出した者が、ここに隠したのか落としたのか…」
「ナマズに飲み込まれて回収できなかった」
水蓮の言葉にイタチがうなずき、鬼鮫が小さく息を吐いた。
「あの電流の強さも、この水晶が関係していたのかもしれませんね。まぁ、とにかく無駄足にならずに済みましたね」
鬼鮫が水晶をイタチに渡す。
「ああ」
「そうだね…」
複雑な気持ちのままではあったものの、任務の終了を実感し、水蓮が息を吐き出す。
それに合わせたように背後の茂みが揺れ、イタチがさっと水晶を懐にしまった。
がさがさと音を立てる茂みの向こうから現れたのは、リョウタと静香だった。
懐中電灯を手に持ったリョウタが水蓮たちの姿を見て「やはり、あなた達でしたか」と、駆け寄る。
「何かあったんですか?」
「大きな音が聞こえたので…」
リョウタの後ろから、静香も心配そうな顔で続く。
騒ぎに気づいて駆け付けた様子の二人に、鬼鮫が対岸のナマズに目を向けて肩をすくめた。
「いえね。あれが、突然」
そちらに目を向けて、リョウタと若女将が息をのむ。
「あれは…」
「大ナマズ…?」
その存在を知ってはいたようだが、黒く焼け焦げているためか、はっきりと断定しきれず二人は目を凝らす。
そして正体を認めて水蓮たちに向き直り、声をそろえた。
『ありがとうございます』
深々と頭を下げられて、水蓮たちが戸惑う。
「この池は桜の名所で、春にはかなりの観光客が訪れる所なんです」
静香の言葉にリョウタが続く。
「特に昔は夜桜が人気のスポットだったんですが、突然変異なのか20年ほど前に突然あの大ナマズが現れて、夜は近寄れず長い間困っていたんです」
やはり水晶の力がナマズに何か特別な力を与えていたのだろうかと、水蓮は息絶えたナマズに目を向ける。
リョウタも同じようにナマズを見て言葉を続ける。
「昼間はまったく出てこないのですが、夜はかなり活発で…」
「そうか。ナマズは夜行性だったな…」
「はい。伝えておくべきでしたね。行かれるのは洞窟だけかと思っていましたので。すみません」
「いや、問題ない」
そう答えたイタチと、その両隣でうなずいた水蓮と鬼鮫に、二人はもう一度頭を下げた。
こうして、思いがけず感謝される形で任務は終わりを告げた。
深夜を回り、眠る水蓮と鬼鮫を宿に残してイタチは水晶を手にマダラのもとへと出向いていた。
花橘町から少し離れた場所。イタチのアジトの一つ。
普段使うことはなく、マダラとの密会にのみ使っている場所だ。
しばらく待つと、背後に禍々しい空気が生まれる。
イタチは振り向きざまに、まだ何も現れていない虚空に向かって水晶を投げた。
パシィッ!
冷たい空気の中に音が響き、水晶をその手に受け止めたマダラがジトリと仮面の奥からイタチをにらむ。
「態度が悪いな」
「わざわざ後ろに現れるな」
マダラは「フン」と短く鼻を鳴らし、水晶を確かめる。
「いい品物だ。術のかかりがよさそうだ」
あらゆる角度から水晶を眺め、ずいぶん満足げなマダラ。
「何に使う…」
短く問いかけたイタチに、マダラは水晶を掲げて見せた。
「なぁに。ちょっとした戯れだ。まだ先の話だがな。しばらくはお前を呼ぶこともない。好きにしていろ」
今まで集めていたものを使って何かをするつもりか…
じっとマダラを見据える。
木の葉に情報を流すべきか…
イタチは悩んでいた。
いつどこで何をするつもりなのか。一つも分からぬ状態での情報のやり取りは危険かもしれない…
木の葉に対しての物ではないかもしれない状態で、へたに警戒をあおるべきではないか…
「イタチ、知っているか?」
マダラの低い声がイタチの思考を断ち切る。
仮面に開いた穴の前に水晶を掲げ、その奥に写輪眼を光らせる。
水晶を通して見えたその赤い光に、何か不気味なものを感じ、イタチは無意識に視線をそらしていた。
「水晶の結晶には独特の2重螺旋構造があり、それによって人の想いを記憶する力がある。己の求めるものを強く望めば望むほど、その想いを、念を記憶し、そして形にしてくれる。願望成就の能力…」
水晶の事を調べた際にそのことを知り得てはいたが、イタチはあえて言葉を返さない。
マダラとの間に会話を成り立たせる事を心が拒んでいる。
「そして、何よりも魅力的なのは…」
一層瞳の赤が深まり、気温さえも下がって行く。
「水晶は人を選ばない」
ゾワリ…と背筋が逆毛立つ。
「善も悪も関係ない…」
殺気を放っているわけではない。自分に敵意を向けてきているわけでもない。
「素晴らしいと思わないか?」
それでも、この場から早く立ち去りたいと感じてしまうマダラの禍々しい空気。威圧感。
初めてマダラと対面したときの記憶がよみがえる。
まだ下忍の頃、任務の際に対峙し、目の前で仲間がマダラに殺された。
足がすくんだ…
動けなかった…
仲間が殺されたショック…
自分が何もできなかったという自責の念…
そして何より、マダラの存在に、体が恐怖を感じていた…
思い出したそれらを振り払うように、イタチはマダラを睨み付ける。
今の自分は、あの時の自分とは違う…
力をつけ、何かに対して恐怖を感じるようなことはない…
マダラに対しても、あの時のような恐怖はない…
だがそれは、互いに戦う対象ではないからなのかもしれない。
いざこの男が自分に刃を向けてきたら…
イタチはその状況を想像しかけて、やめた。
自分はサスケと戦うためだけに生きている…
そしてこの男は組織の中で、利用する駒として自分の事を重要視している…
それ以外の物は何も存在しない…
それ以外の物は意味を持たないのだ…。
「イタチ…」
禍々しいマダラの声が、イタチの意識を思考の中から呼び戻す。
「お前の望みも叶えてやろうか?」
イタチはさらに強く睨み付けて返す。
「オレの望みはオレにしか叶えられない」
サスケの顔が浮かぶ。
「それに…」
一つはもう手に入れた。
飲み込んだ言葉と同時に水蓮の顔が浮かんだ。
「もう行く」
早く帰ろう…
さっと身をひるがえして姿を消す。
イタチが残した風にふわりと枯れ葉が舞った。
それを視線に捉えながらマダラがつぶやく。
「あんな顔ができるとはな」
消える寸前に一瞬だけ見えた、イタチの柔らかい表情。
「闇に落ちたお前が何を見つけたのか」
ひらり…ひらり…
枯れ葉が揺れる。
マダラはそれを広げた手のひらに乗せた。
「だが、お前を待つのは死だ」
グッと手が握りしめられた。
グシャリ…と音を立てて枯れ葉がつぶれ、砕かれた。
再び開かれた手から、粉々になった葉が風に舞い、消えてゆく。
「それまではぜいぜい楽しむがいい」
塵と化した葉がすべて消えると同時に、マダラの姿がすぅっ…と闇に溶ける。
二人が消えたその場所には、静寂だけが残された。
翌朝、水蓮たちは花橘町を後にした。
この先の指標を見つけた水蓮にとって、見送りに来たヒヨリたちとの別れは特別な何かを感じるものとなった。
それはイタチも感じていたようで、リョウタに「世話になった」と小さく辞儀をした。
「そういえば…」
特に行くあてを決めぬまま歩みを進める中、鬼鮫がふいに口を開いた。
「池に行ったとき、あの子供が言ってましたよ」
水蓮をちらりと見る。
「カロン?」
「ええ。いつか町に忍術学校を作りたいと」
「忍術学校を?」
首を傾げた水蓮にイタチが言葉を続ける。
「忍び里ではない普通の町には珍しい光景だな」
「なんでも、医療忍者を町で育てたいそうですよ」
思わず水蓮の足が止まった。
彼も思ったのかもしれない…
水蓮はヒヨリと会って感じたことを思い返す。
医療忍者がいれば、もっと早く病を見つけられたかもしれない…
早く病に気づいていたら…助かったかもしれない…と。
水蓮は町のあった方角を振り返り、あの家族の笑顔を思い出す。
最期を知りながら、ありのままに生きる偽りのない笑顔。
そこには、何ものにも負けない強さが溢れていた。
自分もそう生きていこうと、改めて心に強くその想いを刻み、水蓮は強い足取りで歩き出した。