いつの日か…   作:かなで☆

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第三章  【現実】

 夜の闇が深くなり、辺りには、しん…と静寂が落ちている。

 時折洞窟のどこかで水滴が落ち、その音がより静寂を際立たせる。

 時間は深夜くらいだろうか。水蓮は不意に目が覚め、体を起こした。

 「いたた…」

 地面の上で寝るのは初めてだ。体が固まりあちこちが痛い。

 渡された少し厚手の布にくるまってはいるものの、今までの環境との違いに、体はそう簡単にはついてこない。

 「はぁ…思ったより大変だな。これ慣れるかな」

 体をもみほぐしながら見回すと、鬼鮫は器用に座ったまま寝ている。

 イタチはと目を向けると、外套にくるまって横になっており、ちょうどこちらに向かって寝返りを打った。

 その端正な顔にドキリと胸が鳴る。

 そっと近寄り、そばに座って顔を覗き込む。

 映像で見ていた通りの美しさ。あのうちはイタチが本当に目の前にいるんだと、改めてそんなことを思う。

 ふわりと洞窟の外から夜の香りを運んできた風がイタチの髪をなびかせ、その風に導かれるように思わず手が伸びた。

 しかし、その手が髪に触れる寸前

 「う…」

 イタチが小さくうめいて顔をしかめる。

 「父さん…母さん…」

 「……っ」

 

 もしかしてあの時の夢を…

 

 あの恐ろしい場面が脳裏に浮かび、伸ばした手が思わず止まる。

 「イズミ…」

 「イズミ?」

 聞き覚えがないその名に首をかしげると、不意に背後から声がした。

 「特別な人のようですよ」

 「わっ!…と」

 突然の背後からの声に水蓮は飛び上がったが、イタチの眠りを妨げまいと大きな声がこぼれた口を慌ててふさいだ。

 「き、鬼鮫。いつの間に…」

 「いえね、イタチさんの首でも締める気かと思いましてね」

 「なんで?」

 水蓮はきょとんとした顔で鬼鮫を見る。

 「なんでって、まぁいいですよ。もう」

 苦笑いを浮かべる鬼鮫に水蓮は思い当たる。

 

 まだ疑われてるのか…

 

 だがそれは素性の知れない自分に対して仕方のないこと。

 それよりも気になるのはイタチの口から聞かされた名について。

 「特別な人って?」

 「正確には、だった人というべきてしょうか。彼から聞いたわけではないので、詳しくは知りませんがね」

 「大切な人だった…」

 「同じ一族の女性と言えば分かりますかね。あなたも、うちはの悲劇を聞いた事はあるでしょう。それも覚えてませんか?」

 「それは…知ってる」

 

 【イズミ】

 もしかして、イタチの好きだった人だろうか…

 

 「死んだんだね」

 

 あの日イタチが殺したんだ…

 

 「そういう事になりますかね」

 ぽたりと水蓮の瞳から涙がこぼれた。

 そっとイタチの頬に触れる。

 そのぬくもりに触れてか、イタチの顔が少し和らぐ。

 「起きないね」

 「薬の副作用ですよ。だから、あまり続けては飲めない」

 「そっか」

 涙が止まらない。あまりにも辛すぎる。大切な人を、家族を、彼はその手にかけたのだ。

 

 里のために

 

 それはどれほどの苦痛か。想像を絶するだろう。

 

 自分が知ってることがすべてではない。

 この世界で生きるこの人には、たくさんの現実があるのだと胸が痛んだ。

 

 水蓮が幾度か髪をなでると、イタチの表情は徐々に落ち着き呼吸も静かになり始めた。

 しかし、水蓮の涙は止まらなかった。

 「不思議な人ですね。あなたは」

 鬼鮫はそう言い残してその場を離れ、また壁に背を預けて座ったまま眠った。

 水蓮もしばらくイタチに寄り添っていたが、いつの間にか眠りに落ちてた。

 

 

 

 …ピ…ピ…ピ…

 

 何かの機械音が聞こえる。

 

 「患者のご家族は?」

 

 男性の声がした。

 

 「先ほど来られたご友人のお話では、亡くなられたご両親以外にはいないそうです」

 

 今度は女性の声。

 辺りに漂うニオイには覚えがあり、どうやら病院のようであった。

 

 「容態は落ち着いたが、いつ目を覚ますか。とにかく、よく様子を見るように」

 「わかりました」

 二人の会話はまだ続いていたが、どんどんそれは遠くなり、今度は違う声が聞こえてきた。

 

 「…れん…水蓮」

 イタチの声だとしばらくしてから気付き、ゆっくりと目を開ける。

 目に映るこちらを覗き込む人物が間違いなくうちはイタチであることに、これまでの事が夢ではなかったのだと確認する。

 

 「起き上がれるか?」

 イタチの声にうなづき、体を少し伸ばす。

 慣れない場所での一夜に、体の節々が少し痛んだ。

 「これから移動する」

 「移動?」

 「同じところに長くは留まれません。我々の命を狙うものも少なくはありませんからね」

 鬼鮫が大きな刀【鮫肌】を背負い、歩き出す。

 「余計な戦いは避けたい」

 静かな声でそう言って歩き出したイタチに水蓮は続いた。

 

 

 深い森の中を3人は言葉なく歩く。

 木々の間から差し込む光は少し強さを帯びているが、森の中に流れる低温な空気と合わさり、心地のいい風が吹き抜けている。

 その風の気持ちよさと、寝起きということもあり、水蓮はややぼぉっとしながら先ほどの夢を思い出していた。

 

 さっきの夢。いや、あちらが現実…

 私はまだ死んでいない。

 でも、二人は…

 

 両親を想い深い溜息を吐く。

 分かったことはそれだけではない。水蓮はあることを感じていた。

 あちらの世界で自分が死なない限り、こちらの世界でも死なない。

 なぜだかそう確信していた。

 そしてそれと同時に感じた不安。

 いつこの世界から消えるかわからない

 落ち着かない日々になりそうだと再びため息をついた。

 と同時に、前を歩いていたイタチが急に立ち止まり、その背中にぶつかった。

 「わっ…」

 「おっと」

 よろけた水蓮を鬼鮫が支える。

 「大丈夫ですか?」

 「あ、う、うん。ありがと」

 ぶつけた鼻を押さえながらイタチを見ると、何やらあたりの気配を探っているようだ。

 彼は数秒後小さな声でつぶやく。

 「鬼鮫…」

 「5人ですかね。どうしますか?」

 近づきつつある気配を警戒して、鬼鮫もまた小さな声で返す。

 

 敵?

 

 二人の緊迫した様子に、水蓮は身を固くした。

 

 恐怖を感じ、思わずイタチの近くに身を寄せる。

 そんな水蓮をちらりと見て、イタチは水蓮の手を引き木の陰に身を隠した。

 「様子を見る」

 「わかりました」

 同じく鬼鮫もスッと木の陰に身を置く。

 水蓮は何者かの接近に、昨日その身に受けたクナイの痛みを思いだし、少し体が震える。

 死なないとはいえ、痛みと体へのダメージはそのまま。恐怖も。

 イタチはそんな水蓮に気づき、ほんの少しだけ表情を緩めて言った。

 「声を出すな」

 諭すように言い、そっと外套の中に水蓮を包みこむ。 

 「………っ」

 水蓮はさっそく声を出しそうになって、慌てて口を押えた。

 少し抱き寄せられ、息が止まりそうなほど緊張する。

 しかしその緊張は数秒後、別の物に変わる。

 イタチの黒い衣の向こう側、いくつかの気配。

 すぐそばでその足音が止まる。

 「我々から逃げられると思っているのか」

 低い男の声。

 しかし、それはこちらに投げられた言葉ではないようだった。

 「く…っ」

 誰かがたじろぐ。

 追う側と追われる側。その二つがすぐそばで対峙している様子が水蓮の頭に浮かぶ。

 辺りの空気がさっきまでとはまた違う冷たさに覆われていき、身を隠しているのに、ピリピリと水蓮の肌に痛みが走った。

 

 これが殺気というものだろうか…

 

 「里を裏切った者がどうなるか、知らぬわけではあるまい」

 「お前のやったことは許されることではない」

 「制裁を…」

 どうやら、追われているのは一人。

 

 話の内容からして抜け忍というものだろうか…

 

 水蓮がそう考えた瞬間、ザッ…と地面を蹴る音。

 そして、ほんの数回切り合う音が響き…

 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 と耳を裂くような断末魔…

 

 …殺された…

 

 見えなくてもわかる。

 

 …怖い…

 

 水蓮は、すぐそばで苦しみながら死にゆく者の最期を感じ、体の震えを押さえられずイタチの服をギュッと握りしめた。

 それに気づき、イタチがグッと水蓮の体を抱き寄せる。

 『制裁』を終えた追い忍たちは何かを探しているようで、「あったか?」「ああ。確かに」と数回言葉を交わし、その場を去って行った。

 しばらくして、場を取り巻いていた緊張と殺気は消えたが、辺りには拭えない血の臭いと、禍々しい死の気配が広がっていた。

 「我々ではありませんでしたね」

 鬼鮫が何の感情もなく言い、

 「ああ」

 イタチが同じように返し、外套を開く。

 水蓮は鼻を突く血の臭いに顔をそむけ、震える両手で鼻と口元を押さえた。

 「大丈夫か?」

 

 大丈夫ではない。

 昨日まで、命の奪い合いなどとは全く関係のないところで生きてきたのだ。想像したこともない恐怖。

 ここはそれが当たり前の世界なんだと水蓮はゆっくりと息を吐き出し、頷いた。

 

 イタチを支えてゆくと決めたんだ…

 この恐怖に負けていては、それは遂げられない。

 

 「大丈夫」

 自分でも驚くほどしっかりとした声が出た。

 イタチは何か言いたげな顔で水蓮を見ていたが、「そうか」と一言だけ返し、また何もなかったかのように歩き出した。

 そして振り向かぬまま水蓮と鬼鮫に言う。

 「この森を抜けたら、小さな町がある。今日はそこで宿をとる」

 「宿…ですか」

 含みのある鬼鮫の言葉に、イタチは目を細めて視線だけで返す。

 そんなイタチに、鬼鮫は「いえ別に」と肩をすくめた。

 水蓮はそれがイタチの気遣いだと分かり、ありがたい気持ちと、こんなことではダメだという思いに苛まれた。

 森の中には、先ほど人の命が奪われたという事がまるでなかったかのように、すがすがしい風が吹き抜けていく。

 水蓮は思った。

 

 この風のようになりたい…

 

 イタチにいかなる苦しみも恐怖も感じさせることのない、そんな存在になりたいと。


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