「あ、見てイタチ。ネコいるよ」
水蓮が屋敷の廊下を歩く途中、庭を指さして立ち止まった。
見れば、その先にはネコが3匹、日の光の中で気持ちよさそうにくつろいでいる。
「うちのネコではないがな。時折この庭へ遊びに来るのじゃ。人になついておるから、どこかの飼い猫だろう」
弓月がその光景にほほえましく目を細め、水蓮が少し庭の方へと足を進める。
その気配に気づき、ネコたちが体を起こし水蓮の姿を目にとめて駆け寄ってきた。
「こっちきた」
姿勢を落とすと、一匹がその膝に飛び乗り、体を摺り寄せてきた。
手入れのされた白い毛並みにそっと手を乗せる。
「かわいい」
思わずデンカとヒナを思い出す。
「お前は、ネコになつかれやすいな…」
背後からの声に振り向くと、もう一匹がイタチの肩に飛び乗った。
つやのある漆黒の毛色がイタチの顔の横で揺らぎ、何故かとても相性よくなじんでいた。
もう一匹は茶色の縞模様で、弓月の腕の中に納まっていた。
「昔、猫飼ってたんだ…」
水蓮は白猫を抱いたまま立ち上がる。
「すごくかわいがってたんだけど、ある日突然いなくなって、帰ってこなかった…」
「死期を悟ってというやつじゃな」
弓月のつぶやきに水蓮は頷く。
「たぶんね。もうずいぶん長く生きてたから。ネコは最期の姿を見せない…って分かってたけど。でも、最期を見てないと、もしかしたらどこかで生きてるんじゃないかってしばらくはつい探してしまってたな…。寒がってないかなとか、怖い思いしてないかなってそんなこと思ったりして…」
腕の中の白い猫を撫でる。
「この子と同じ白猫で、ユキって名前だったの」
「良い名じゃ」
白い猫が「ニャァ」と鳴いた。
「同じ名かもしれんぞ」
水蓮と弓月が顔を見合わせて笑う。
二人の腕からネコがするりと降り、庭にかけ出てじゃれ遊ぶ。
イタチの肩に乗っていた黒猫はトンッと飛び降りたものの、縁側に座りその様子を見守るようにじっと眺めていた。
「この庭で出会ったのじゃ…」
弓月が懐かしそうに目を細めた。
「さっき言ってた、好きな人?」
水蓮の問いに、弓月は少し頬を赤くしながら語る。
「もう9年ほど前の話だ…。時折、この屋敷には里の子供が遊びに来るのだが、あの時も数人来ておってな…。あやつは、転んでそこで泣いておった」
ちょうど猫がじゃれ合っている辺りを見つめる。
その瞳には、その日の光景がはっきりと浮かんでいるようだった…
9年前…
夢隠れの里長の屋敷の庭で、一人の少年が泣いていた。
転んで膝から血が滲み、頬にも擦り傷…
「どうしたのじゃ」
かわいらしい声がしゃくり泣く男の子の背中から飛びくる。
振り向いた先にはいたの、幼き日の【弓月】
弓月はぽろぽろと涙をこぼす男の子に歩み寄り、怪我に気付く。
「なんだ、転んだのか?」
「うん…」
頷いてまた涙があふれる。
「泣くな!男が転んだくらいで泣くでない!」
弓月よりいくつか年上であろう少年が、その強い口調にさらに涙をこぼす。
弓月は、はぁ…とため息を吐きだし、隣に座り、懐から取り出した手拭いで頬についた血をそっと拭く。
「これくらいで泣くな。男は強くなくてはいかん。こんな事で泣いておっては、夢は叶えられないぞ!」
「夢?」
「そうだ。あるじゃろう。夢」
「ある…かな…?」 と、曖昧に返ってきた返事に弓月が顔をしかめる。
「ないのか?」
「君は?夢あるの?」
「もちろんじゃ。わらわの夢は、里を、民を守れる強い里長になることじゃ!」
「…………っ」
そう言って笑う弓月のかわいらしい笑顔に、子供ながら心がドキリと音を立て、少年の顔が赤く染まる。
「君ならなれるよ、きっと」
素直に出たその言葉と、先ほどまでの泣き顔とは違う柔らかい笑顔に、弓月の頬も赤く染まる。
「あ、当たり前じゃ!お前に言われなくても分かっておる!」
「君は、強そうだしね。でも、僕は…」
いじけたように地面に視線を落とすと、膝に滲む血が目にはいり、また涙が出る。
「あ~っ!もうっ!男が泣くなと言っておるのだ!」
弓月は少年の前にかがみ、新しい手拭いを膝に巻いた。
「泣くな。わらわが守ってやるから」
「え?」
「この里におる者は皆わらわが守る!だが、お前も自分の夢を見つけて強くなれ!」
「なれるかな…」
口をへの字に曲げ、また瞳に涙を滲ませる。
「泣くな!!」
何度目かの叱責に体をビクリと震わせ、少年が弱々しい顔で弓月を見つめる。
少し上目づかいで目を潤ませるその姿が、まるで捨てられた子ネコが寒さと孤独に震えているように見えて、弓月は無意識に「かわいい」と思ってしまった。
少年の整ったその容姿が、少女のような愛らしさを少し含んでいることも要因の一つだろう。
だが、それだけではなかった…。幼いその心に、特別な感情がくすぶっていた。
「と、とにかく!」
不覚にも見とれた自分が恥ずかしくなり、弓月は大きな声を出した。
「夢を叶えるには強くなければならない。お前も頑張れば強くなれる!」
照れ隠しに勢いをつけて立ち上がる。
そして何かを思い出したように、懐に手を入れる。
「これを貸してやる」
差し出されたのは小さな四角い手鏡…
「…………?」
首をかしげるかなめに弓月は鏡を無理矢理握らせ、もうひとつ手鏡を出す。
「これは【夢叶いの鏡】という物だ。二つ一緒に持っていれば夢を叶える事ができるらしい」
「じゃぁ、分けたら意味ないんじゃ…」
「バカカ。お前…」
弓月の冷めた口調に、少年は言葉を詰まらせる。
「この世にそんな都合の良いものがあるか。迷信だ。ま、お前の夢が叶うように、お守りにでもすれば良い。わらわもそうする。そして、お前の夢が叶ったら、わらわの元へ返しにこい」
そう言った弓月の笑顔は太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
この時少年は自身の夢を見つけた。
「弓月。僕決めたよ!」
「何をじゃ?」
「僕の夢!弓月の夢を叶えるのが僕の夢だ!」
浮かべた満面の笑みに、弓月の胸がトクンとなった。
「そのために、強くなる!弓月に守られるんじゃなくて、守れる男になるよ!」
弓月の顔がどんどん赤くなっていく。
そんな弓月の手をキュッと握り、少年はまっすぐに見つめてニコリと笑む。
「だから弓月、僕が強い男になったら、僕と結婚して!」
「なっ!」
「強くなって、僕が弓月をずっと守るよ」
先ほどとは違う、強い意志を感じるその瞳に、弓月は何か特別な物を感じる。
こやつ…何か…持っておる…
直感だった。
弓月はまだ幼いが、立場上様々な人間を見てきた。
その中で身に着け始めた『人を見る目』
それには確かなものがあった。
「わかった」
ニコリと笑みを返す。
「いつか、わらわより強くなったら、その時は結婚してやる!」
子供同士のかわいらしい約束…。
しかし、二人の心にはその思い出が色濃く残り続けた。
「それが、わらわとあ奴の出会いじゃ」
弓月が頬を少し赤くしながら語ったその話を聞き、水蓮は先ほどの茶屋での事を思い出していた。
もう一つの鏡と思われる物を持っていた少年…
「もしかして…」
こぼれたその言葉に、イタチが言葉をかぶせた。
「名は?」
「ん?」
弓月がイタチの質問に向き直る。
「相手の名は聞かなかったのか?」
「かなめ…じゃ」
「かなめ…」
繰り返したイタチの声に水蓮が言葉を続ける。
「お互い一目ぼれだったんだね」
「ま、まぁな…」
気恥ずかしそうにそっぽを向く。
「その相手の人とは、そのあと…」
鏡の事もあったが、水蓮は単純に二人の事が気にかかり聞く。
弓月は庭の猫を見ながら「さぁな」とため息をついた。
「どうやら里の者ではなかったようでな。あれ以来会ってはおらぬ…」
「そうなんだ…」
「じゃが、あ奴とは必ずまた会える。わらわには分かるのだ」
再び茶屋での事を思い出す。
もしあれがもう一つの鏡なら、あの青年がかなめだろうか…
弓月と結婚するためにそのかなめと言う人物がこの里に来ているなら、政略結婚の相手と鉢合わせするかもしれない…
そんなややこしい状況で、二人が別々に持っている鏡を手に入れることができるんだろうか…
それに…
「さっき言ってた鏡って、本当に迷信なの?」
「当たり前じゃろう。そんな都合の良いものがあるわけがない。何か特別なチャクラを感じるわけでもないしな…」
ため息交じりに答える。
本当に迷信なのか、何か特別な物なのか…
今の時点では判断できない…
しかし、どちらにせよ入手して組織には渡さなければならないのだろう…
組織にとっては『結果』が重要なのだ…
それに、水蓮もイタチも気になっていることがあった。
先ほどの忍の襲撃。二人とも思う所があった。
…うまくいくのかな…
先行きに不安を感じ、水蓮はイタチを見る。
イタチは特に表情を変えるでもなく、縁側に座っている黒い猫をじっと見ていた。
声をかけようとした時、弓月が「ゆくぞ」と、二人を客間へと導き歩く。
「ああ」
短く答えて歩き出すイタチに続いた水蓮だが、不意にネコが気にかかり振り向く。
遊んでいた2匹が「にゃぁ」と甘えたように鳴き、それに答えるように黒い猫がそちらへと駆けた。
体を寄せ合い、ネコたちは仲よさげに去って行った。