町の中を吹き流れてゆく風はすっかり冷たくなり、街路樹や並ぶ建物はクリスマス用に飾り付けられ、夜にはあちらこちらでライトアップが始まっていた。
ゆっくりと息を吐き出せば空気が白く染まり消えてゆく。
それを見つめれば、さらに追ってため息がこぼれた。
「寒い」
カバンからマフラーを取出して首に巻き、香音はゆっくりと歩き出した。
事故によって受けた怪我はやはり治りが早く、これといった後遺症も残らなかった。
それでも妊娠中であるという事を考慮し、安定期に入り様子を見てからと、数週間前にようやく退院となった。
入院中の時間を使い、香音はNARUTOのDVDを少しずつ見進めた。
気になる気持ちが大きくあったもののやはり辛く、少しずつにしか見る事が出来なかった。
それでも何とかすべてを見終り、心に残っているのは鬼鮫の最期のシーンであった。
鬼鮫らしい…。そう思った。
忍としての死にざまをそこに見た。
だけれでもそれだけではない事を香音は感じていた。
鬼鮫があの最期を選んだのは、自分を守るためでもあったのだろうと。
うちはイタチ。そして干柿鬼鮫と共に暁の中で生きたもう一人の存在を隠すためだったのではないかと。
『私が命を懸けてあなたを守る』
彼はその約束を果たしてくれたのだ。
半年の時を経ても思い出せば涙がこぼれる。
その雫を拭い取って香音は少し歩調を速めた。
驚いたのは、トビがうちはマダラではなく、うちはオビトという人物であった事だった。
あれほどまでに警戒していたというのに…。と、そうは思ったものの、今となってはそれを知ったからと言って自分には何もできず、むなしさが滲んだだけであった。
はぁ…と、あちらの世界に想いをめぐらせ白い息を吐く。
今年はホワイトクリスマスになるかもしれない…
寒さを増した風にそんなことを思うと、やはりイタチの事を思い出した。
花や月、夕暮れ、夜更け、夜明けの空の色。
あの世界で初めに食べた味噌汁とおにぎり。
分け合って食べた果物や、自分たちで釣った魚。
まったく同じ物や味ではなくても、この世界にある普通の物ばかり。
そんな生活の中にある『当たり前』のすべてに、イタチの存在が浮かぶ。
そして決まって最後に見たあの微笑みが脳裏によみがえる。
ジワリとまた浮かんだ涙を再び拭って大きく息を吐き出し、香音は映像の中のイタチを思い出した。
もしもアニメの通りに事が進んだのであれば、イタチはきっと救われた思いで最期の瞬間をむかえただろう。
サスケに伝える事が出来ないと思っていた言葉を…想いを伝える事が出来たのだから。
『お前をずっと愛している』
その一言にどれほどの想いが込められていたか。
病に苦しみながら戦い抜いたイタチを、誰よりもそばで支えた香音には痛いほどにわかった。
だからどうかあの通りであってほしいと思った。
そして、どうしても思ってしまう事がもう一つ。
叶う事のない想いが心から消えない。
立ち止まり空を見上げる。
「会いたい」
そっと手を添えた小さな命は、少しずつ、それでも確かに大きく成長していた。
立ち止まりふと視線を横に向ければ、大きなガラスに姿が映った。
スイカ一つ分ほどに脹らんだお腹に手を添える自分の姿。
隣にイタチがいれば…と、そう思わずにはいられない。
その光景が脳裏をかすめ、眼の奥がまた熱くなる。
それとほぼ同時に、ドンッ!ドンッ!と突然衝撃を受けた。
「わかってる」
静かにそうつぶやいて香音はお腹をさする。
「わかってるよ」
イタチがここにいたならばと、そう考えると決まってこの小さな命が強い力で存在を主張してくるのだ。
自分がいる。泣かないで。そう言わんばかりに。
香音はもう一度「わかってる」と言葉を返し、歩き出した。
ここまでに、色々なことがあった。
妊娠という体の変化も相まってか、気分の浮き沈みが激しく人に会う事が嫌になり、親友の顔さえもまともに見る事が出来ない時期もあった。
自分だけが生きている事にひどく苛立ち、苦しくなり一日中泣いて過ごすこともあった。
感情を抑えられない子供のように、周りにあたることもあった。
何度寝ても、何度目を覚ましても、自分のいる場所があの世界でないことが悔しくて、悲しくて、力なく一日を終えることもあった。
なぜイタチがここにいないのかと、考えたところでどうしようもないその問いを、自分に投げかけ続ける日々が続いた。
そんな自暴自棄な毎日を過ごす中で、香音を支えたのは親友と担当医の青葉であった。
どんなにつらく当たろうとも、崩れた姿を見ようとも、2人はそばに寄り添い励まし続けた。
どれほどの感謝を重ねても足りぬほどの想いであった。
そしてなにより心を支えたのは、やはりイタチが残したこの小さな命であった。
日々絶望の淵に立ち、生きる気力を失いそうになる中で、いつも心を支えてくれた。
ギリギリの所ですくい上げてくれた。
生きようと、そう思わせてくれた。
『お前は生きろ』
との、イタチの想いを伝えてくれた。
生きて、生きて、生き抜いて、未来へと繋げなければならない…
そう思わせてくれた…
「大丈夫」
そっと撫でると、今度は柔らかい力で存在を示してきた。
嬉しそうに揺れるその命は、この世に生まれ来る時の近さを伝えているようであった…
季節は静かに流れて行き、冬を超え、春を迎え、揚々と緑あふれる夏へと時間を進めた。
「なんかやっぱり変な感じ」
エアコンのリモコンを手に取り、温度を調節しながら香音はポツリとつぶやいた。
あの世界ではそう必要としなかった冷房器具がなければ過ごせない事に感じる違和感。
それだけではない。
電車や車。飛行機。携帯電話。元々は当たり前であったもの全てが不思議な感覚。
だけれども、こうしてこちらの世界で暮らすには結局は必要不可欠で、それを使う自分の存在に一番違和感を感じる。
こちらに戻って一年が経った今でもそれは拭いきれないままであった。
思わずこぼれたため息。
そこに短い携帯の着信音が重なった。
『あけて~』との親友からの文字に、窓から外を見れば玄関にその姿が見えた。
「どうしたの?真波」
玄関を開けて中へと招き入れる。
真波は軽く汗をぬぐいながら柔らかく笑った。
「今日確か6か月検診でしょ?仕事休みだから一緒に行こうと思って」
「いいの?助かる」
答えた香音に真波はうなづいた。
「一人じゃ大変でしょ。二人連れてくの」
向けた視線の先には、気持ち良さ気に眠る小さな姿が二つ並んでいた。
「でもさ、香音が双子のお母さんだなんて、いまだに不思議な感じ」
そっとベビーベッドに近寄って眠る顔を覗き込みながら真波はフフ…と優しく笑みを浮かべる。
「しかも男の子と女の子って、かわいすぎるでしょ」
「また言ってる」
子供たちを見るたびにそう言う真波に、香音は苦笑いを返した。
イタチが残した小さな命は双子であった。
それを知った時。香音の胸中には驚きと喜び。そして不安が入り混じった。
一人で二人の子供を育てて行けるのかと。
だけれども、画像に映し出された二つの小さな姿を見た時、そんな不安は一気に消し飛んだ。
強く生きようと思えた。
何があってもこの子たちを守ってゆこうと、そう決意した。
自分は母親なのだと、深く自覚した。
それでも出産も、その後の生活も慣れぬ事ばかりで大変であった。
その毎日を支えてくれたのは、やはり親友とその家族であった。
「真波。ありがとね」
その存在がなければ、日々は何十倍も大変であっただろうと香音は親友に笑みを向けた。
「ほんとありがと」
「何よ急に改まって。当たり前でしょ、親友なんだから」
ふわりと浮かぶその笑顔。
子供の時からずっとこの穏やかさに救われてきた事が改めて染み入った。
検診は入院していた病院の中にある小児科で受け、その結果を担当医であった青葉に毎回報告に行くこととなっていた。
青葉は元は産婦人科医であったことから香音の出産をも受けもち、子供たちのその後にも気をかけ深く関わることとなった。
「今日も真波ちゃんいっしょ?」
「あ、はい。外で待ってくれてます」
共に来ることが多いその存在に、青葉は「そう」と笑みを返し双子用のベビーカーを覗き込んでさらに柔らかく笑んだ。
「元気そうね」
不思議そうに青葉の顔を見つめ、双子は澄んだ瞳を輝かせる。
「成長過程は…。うん。問題なさそう」
検診結果の書かれた母子手帳を見て、青葉は一つうなづいた。
「双子は少し成長がゆっくりなところがあったりするんだけど、この子たちは順調ね」
その言葉にホッと胸をなでおろし、香音は2人の頬を撫でた。
ここ最近はそうして触れると、子供たちが小さな手を重ねてくる。
そのぬくもりにやはりイタチの温かさが思い出され、切なさはどうしても消せないままであった。
「あなたはどう?子供たちのことや、自分の体に不安なところはない?」
問われて香音はうなづきを返す。
「はい。最近は2人ともまとまった時間眠るようになったから、私も睡眠は取れてますし、特に心配なことはないです」
「そう」
青葉は安心したように答えて母子手帳を香音に手渡した。
「次はまた三ヶ月後ね」
「はい。またこちらにも伺います」
丁寧に頭を下げ背を向ける。
が、青葉がそれを引きとめた。
「香音さん」
その声は少し低く、どこか慎重な色。
不思議そうに振り向いた香音の瞳に映った青葉の表情は、笑んではいるものの神妙さを感じさせた。
「どうしたんですか?」
何か深い気配を感じ香音が不安げに問う。
青葉はしばし沈黙し、静かな声で言った。
「今夜少し時間ある?」
「え?夜ですか?」
今まで、昼間に院内の飲食スペースでお茶をする事はあった。
だが、夜病院が終わってから会うような事はなかったため、香音は首をかしげた。
その様子に青葉は少し困ったような、申し訳なさそうな色で微笑んだ。
「あなたに話しておきたいことがあるの」
窓の外で緑の葉が風にそよぎ、その音に喜ぶように子供たちが小さく可愛らしい声を上げた。