いつの日か…   作:かなで☆

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第百三五章【目覚め。息吹】

 体の痛みで目が覚めた。

 全身を襲う痛みは今までにない激痛で、小さな呼吸でさえも響くほどだった。

 

 …な…なに?

 

 覚えているのは最後に見たイタチの笑顔。

 そうだ。自分は時空間移動の術で飛んだのだと思い出す。

 あの時の状況から考えて恐らく元の世界に戻ったはずだと思考を巡らせるが、痛みが酷過ぎて頭がうまく回らない。

 それでも身に受けている物が命を危機に陥れるほどの物だという事は分かった。

 全身に深い傷を受けている。体内にも…

 「……っ!」

 反射的にチャクラを練る。

 体の奥でわずかにその力が揺れた。

 全ては癒せないとの判断を本能がはじき出し、致命傷となりうる物に力が働く。

 だがそれはほんの小さな力で、わずかな癒しを施して、薄れて消えた。

 「大丈夫か!」

 チャクラの消失と共に聞きなれない声が響いた。

 「聞こえるか?」

 「しっかりしろ!」

 大きな声がいくつも聞こえた。

 「…………」

 答えようとして動いたのは指先のみ。だけれどもそのピクリとした小さな動きを誰かがうまく捉えてくれたらしく、反応が返ってきた。

 「大丈夫」

 優しい声。

 「大丈夫よ」

 そっと手が包み込まれた感触がした。

 「死なせない。絶対に」

 冷たかった指先にぬくもりが生まれた。

 「あなたを必ず助ける!」

 力強いその声の向こう側、音が聞こえた。

 聞き慣れた音。

 

 それは救急車のサイレンの音であった。

 

 そう認識した途端に意識が暗い闇の中へと沈んだ。

 

 

 随分といくつもの夢を見たような気がした。

 内容は一つも覚えていない。

 だけれども、鬼鮫とイタチが常にいたことは覚えていた。

 共に歩く場所がどこなのか、どこへ向かっているのか、何をしようとしているのか。

 何も分からなかった。

 それでも心は満たされていて、夢の中で三人はいつも笑っていた。

 だけど一つだけ悲しく寂しいことがあった。

 思い出せなかったのだ。

 なんという名で呼ばれていたのかを。

 どうやら自分は時空間移動で飛ぶと名前を忘れるらしいと理解した。

 元の名前も思い出せない。

 でももうそれでいいと思った。

 大切な存在を失って、今はもう一人。

 目を覚ます必要もない。

 夢の中にいればいい。

 そうすればそこには鬼鮫もイタチもいるのだから。

 だがそんな考えをするようになってから、夢の中の二人は必死に目覚めさせようとする。

 【あちらだ】と、どこかしらを指差して笑うのだ。

 生きろと無言でそう伝えてくる。

 生きる意味があるのだろうか。父も母も失い。鬼鮫もイタチもいない。

 この存在を必要としてくれる人も、肯定するものもどこにもない。

 

 名も思い出せない…

 

 「………」

 

 ふと何かが聞こえたような気がした。

 か細い女性の声だった。

 一瞬母の声かとも思ったがそうではない。

 だが知っている声だ。

 

 「目を覚まして…」

 

 あぁ…誰の声だったかな…

 

 「お願い」

 

 ひどく安心する…

 

 「死なないで…」

 

 涙で震えるその声が、静かに。だけれどもはっきりとつむぎ出す。

 

 忘れていた大切な物を…

 

 

 「香音」

 

 

 ――――!

 

 

 呼ばれた瞬間。一気に脳が覚醒を起こした。

 息苦しさに慌てて大きく呼吸する。

 

 ひゅぅっ…っと、空気が音を立てた。

 

 同時に指先がほんの少しピクリと動く。

 「香音?」

 

 そうだ…

 

 「香音…」

 

 それが私の名前…

 

 「香音!」

 

 三度呼ばれたその名に、香音の目から涙が落ちた。

 ゆっくりと目を開く。

 少しずつ焦点が合ってゆく視界の中に映ったのは、幼いころから共に過ごしてきた親友の姿。

 いつも艶やかに光っていた短い黒髪がどこかくすんでおり、くっきりとした二重の瞳は瞼の腫れで一重になっていた。

 眠れていないのか目の下には隈ができていて、ずいぶんと心配をかけたのだろうと、涙があふれて視界がぼやけた。

 「ま…なみ…」

 かすれた声に親友はこれ以上ないほどに顔をゆがませ、香音の手をぎゅっと握り、あいた手でナースコールを押した。

 枕元のスピーカーから聞こえた声に、真波は必死に目を覚ましたことを伝える。幾度も…。

 

 ほどなくして看護師と主治医であろう女性の医師が部屋へと入ってきた。

 熱を測り、脈や血圧を調べ、医師が全身の状態を確認する。

 一通りの事が終わると医師が香音の口元に水を運んだ。

 少しずつ注がれたそれがゆっくりと喉を潤してゆく。

 「私はあなたの担当医の青葉よ」

 外にはねた癖のあるブラウンの前髪を揺らし、医師…青葉は香音に笑みを向けた。

 少し青味のある瞳が柔らかく光り、やや下がった目じりがさらに柔らかさを感じさせる。

 「自分の名前…分かる?」

 問われて一瞬戸惑い、香音はそれでも小さくうなづいた。

 「香音…。山本香音です」

 体に力が入らず、気の抜けた声ではあったが思い出した名を答える。

 「何があったか覚えている?」

 続けて問う青葉に、香音は黙り込んだ。

 覚えている。自分は忍の世界からこちらに飛んで戻ったのだと。

 その際に何かしらの原因でけがを負ったのだろうと考えられた。

 だがとても言えるような事ではない。

 「思い出せない?」

 沈黙をそうとらえたのか青葉は静かに言葉を馳せた。

 「あなたは事故にあって五日間眠っていたのよ」

 「…え?」

 

 事故…

 

 ドキリと心臓が音を立てた。

 

 「ご家族の運転する車が、トラックと衝突事故を起こしたの」

 

 ドクリ…

 

 今度は重い音が鳴った。

 

 潤ったはずの喉が再び乾く。

 

 まさか…との言葉が脳裏に浮かんだ。

 「何年?」

 「え?」

 つぶやきに親友が首をかしげた。

 「今何年?」

 どこか切羽詰まったような口調に真波が戸惑いながらも答える。

 「2017年だよ。2017年の8月」

 「うそ…」

 血の気が引いた。

 今が2017年なら計算上自分は21歳だとはじき出された。

 

 

 NARUTOの世界に飛んだその年だった。

 

 

 ちがう。3年たっているはずだ。

 それなら自分は24歳のはず。

 

 「そんな…」

 

 まさかすべては夢だったというのだろうか…

 一瞬そんな恐ろしい事がよぎった。

 だがそんなはずはない。

 共に過ごした日々も、声も、ぬくもりも覚えている。

 つなぎ合わせた手の感触も消えずここにある。

 

 必死に持ち上げた手を見つめる。

 

 夢であるはずがない。

 

 「香音さん」

 呆然とする香音の手を青葉がそっと包み込んだ。

 「あなたは8月12日に事故に遭って…。今は8月17日よ」

 その声をどこか遠くに聞きながら香音は思考をめぐらせる。

 時空を渡るときに時間にずれが生じたのかもしれない。と。

 自分はNARUTOの世界に飛んだあの時に戻ったのだと…。

 そうしてそこまで考えてハッとする。

 「真波!お父さんとお母さんは?」

 

 

 少し力の戻ったその声に返答はなく、沈黙が流れた。

 

 

 それが答えだった。

 

 「なんで…」

 

 自分だけが助かってしまったのだろう。

 

 「どうして…」

 

 ここには自分の家族がいないのだろう。

 愛するべき人がいないのだろう。

 

 そんな場所で一人生きるくらいならいっそ…

 

 「私も一緒に…死ねばよかった」

 

 イタチと共に…

 

 その覚悟はあった。

 怖くなどなかった。

 孤独になるくらいなら。孤独にするくらいなら。共に逝こうとこの心はそう叫んでいた。

 

 「私も一緒に…」

 

 死にたかった…

 

 「ばか!」

 

 吐き出されるはずだった言葉が大きな声にかき消された。

 そちらを見れば、親友が大粒の涙を瞳からぼたぼたと溢れさせていた。

 「ばかじゃないの!何言ってんのよ!ばか!」

 「だって…」

 「だってじゃない!」

 怒りをも溢れさせながら真波が香音に詰め寄る。

 「だってじゃないよ…」

 真波は身を起こせぬままの香音に手を伸ばし、涙を拭った。

 「バカなこと言わないで」

 「でも、もう私。私…一人」

 「一人じゃない」

 

 一人だよ…

 

 「そうよ」

 言おうとした言葉を別の声がまた遮った。

 「あなたは一人じゃない」

 そっと手が包み込まれ、青葉の笑みが瞳に映った。

 柔らかく、穏やかなほほえみ。

 「一人じゃないわ。助かったのよ」

 離れた手が今度はそっと体の上に置かれ、優しくさすられた。

 「無事だったのよ」

 「………?」

 意味が分からず首をかしげた。

 だけれどもすぐにハッとした。

 自分に向けられた言葉ではない。

 医師の手が置かれた場所。その先。

 

 

 そこにあったのは…

 

 感じたのは…

 

 

 命の息吹

 

 

 瞳の奥から涙があふれ出た。

 

 この事を言っていたのだ…。と、思い出したのは母の言葉だった。

 

 『精神体に起こった重要な出来事は本体に影響する』

 

 だからよく考えて行動をしなさいと母はあの時そう言った。

 そしてこうも言っていたのだ。

 父と一緒に精神体で飛んだことがあると…

 

 もしかしたら母もそうだったのかもしれない。

 同じように自分を身ごもったのかもしれない。

 

 父の…。愛する人の子供を…

 

 今度はイタチの声が思い出された。

 

 『お前は一人にはならない。きっとすぐにわかる』

 

 あの人は気づいていたのだと、さらに涙があふれ出た。

 

 赤い瞳が新しいチャクラの流れを、命の芽生えを捉えていたのだ。

 

 …イタチ…

 

 その名を呼びたくても涙で声が詰まる。

 

 「香音。相手は誰なの?連絡取れる?」

 真波の言葉に涙が増した。

 

 「いない…」

 

 震える声が流れて落ちた。

 

 「もういない」

 

 声を上げて泣きたかった。

 それでも力の入らぬ体がそれを許してはくれず、情けない声がこぼれるばかりで、それがより悲しみと切なさを増した。

 

 

 愛した大切な人はもういない…

 

 

 

 何もせずとも時間は当たり前に進み…

 

 目覚めてから早くもひと月が経とうとしていた。

 

 体の回復は順調であった。

 少しとは言え医療忍術で内臓の損傷を治癒したことが助けとなったのだろうと思われた。

 それに加え、よくよく考えてみれば昔から傷の治りは早かった。

 病にもかかりにくく、熱もあまり出ない。

 千手の血がそうして自分を守ってくれていたのだろうと、香音はベッドの上で日々そんな事を考えていた。

 

 

 両親の葬儀は真波の家族が取り仕切り、つつがなくとりおこなわれたとの事であった。

 大変な事であったはずの全てを、親同士も親友であったことから、快く引き受けてくれたことへの感謝は尽きない。

 

 だけれども、父と母を見送ることはできなかった。

 それでもあちらの世界で十分な別れを済ませていた事が少なからず心を救った。

 

 

 葬儀の話を聞いた後、思いもよらぬ事を伝えられた。

 香音の知らぬ間に両親は弁護士を通して正式な遺言状を残していたのだと。

 そこに記されていた内容と親友家族の助けもあり、様々な事柄はこれといった問題もなく進められていった。

 

 母はいつかこのような事態になるかもしれないと、そう思っていたのだろう…

 

 こちらの世界の人間ではない自分が、いつかここを離れ娘を一人にするかもしれないと、そんな事を考えていたのかもしれない。

 父もまた同じだったのだろう。

 その時の為に二人は手を打っていたのだ。

  

 両親の想いをひしひしと感じ、香音は胸の苦しさをため息にこぼし、視線を窓の向こうへと向けた。

 良く晴れ、夏の日に照らされた緑が風に揺れている。

 あちらの世界で見た良く似た光景が脳裏をかすめ、また一つため息がこぼれた。

 

 

 あれからイタチと鬼鮫の夢を見なくなった。

 あの世界の一片も見ない…。

 まるで記憶の中からすべてを奪われていくような気がして恐ろしかった。

 それでも実際には何かを忘れる事はなく、ただただ日々が過ぎていった。

 

 

 小さな命と共に…

 

 

 

 退院できぬままさらに幾日かの時間を経て、ずいぶんと久しぶりにイタチの夢を見た。

 他愛もない日常だった。

 任務もなく、滞在した街を歩く。そんな光景だった。

 隣から降り下りてくる優しい声が心地よかった。

 

 うっすらと目を開くと、夢の名残りかイタチの声が聞こえたような気がした。

 

 まるですぐそばにいるような感覚がして、そんなはずはないと苦い笑いをこぼした。

 

 頭をすっきりさせようと、ゆっくりと身を起こして顔を洗うように両手で覆って深い息を吐く。

 そうしてしっかりと目をさまし、ドキリとした。

 

 夢の中で聞いたイタチの声がまた聞こえたのだ。

 

 すぐ近くで。

 

 ハッとして声の方を見れば、そこには小さなポータブルのDVDプレイヤーが置かれており、画面にイタチの姿が映し出されたいた。

 瞬間的に顔を背けていた。

 ドクドクと心臓が痛いほどに脈を打つ。

 息が苦しくなり胸元をギュッと握りしめる。

 その間もイタチの声は病室の中で揺れた…。

 

 どうして…

 

 額に汗が浮かぶと同時にドアが開き、真波が病室へと入ってきた。

 「あ、起きた?」

 自営でその手伝いとして働いていることもあり、時間に都合をつけて毎日見舞いに来る真波は、慣れた様子で備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取出し香音に差し出す。

 が、受け取ろうとせずに下を向いたままの香音に首をかしげた。

 「どうしたの?」

 「それ…」

 ほんの少し持ち上げた指先でDVDプレイヤーを指さす。

 「あ、ごめんごめんうるさかった?お手洗い行ってたんだけど、止めるの忘れてた」

 「なんで」

 「え?なんでって、香音これ好きだったでしょ?暇つぶしになるかなぁと思って、借りてきたの」

 ほら。と、枕元のテーブルを指さす。

 そこにはレンタルされたNARUTOのDVDが山積みになっていた。

 香音はまたすぐさま視線を外し「ごめん」と、返した。

 「今見たくない…」

 イタチを失った傷は深く、とても見る気にはなれなかった。

 「そう?」

 あんなにはまっていたのに…と、真波は不思議そうに返して、DVDを止めようとリモコンに手を伸ばした。

「適当に借りてきたから見たのは途中からだけど、なんか結構おもしろいね。帰りに自分用にレンタルしようかな。今ちょうどいいとこだったのよ」

 「そう…」

 空返事をする香音に真波が言葉を続けた。

 「イタチが生き返ってサスケと一緒に戦ってるところ」

 「…え?」

 

 ドクリ…と、また心臓が波打った。

 

 知らず真波の腕をつかんで、リモコンを操作する手を止めていた。

 「今なんて?」

 「だから…」

 真波はプレイヤーに手を伸ばし、画面を香音に向けた。

 「イタチが生き返ってサスケと一緒に戦ってるんだって」

 恐る恐る見つめた画面の中。

 何かを話すイタチのすぐ近くにサスケがいた。

 「なにこれ」

 思わずプレイヤーを手に取り凝視する。

 見たことのない外套を着ているイタチ。

 よくよく見れば肌にヒビの様な物が入っていた。

 

 見たことがあった。

 

 その記憶をたどりよせる。

 

 「…穢土転生」

 

 木の葉襲撃の際に大蛇丸が使った術。

 だが状況から考えれば大蛇丸は封印されもうあの世界にはいないはず。

 「一体誰が…」

 あまりにも驚くその様子に、真波は少し戸惑いながらも答えた。

 「大蛇丸の部下だったカブトが」

 「えぇっ?」

 思いがけない名前に香音は声を上げ、画面を再び凝視する。

 そこには確かにカブトの姿が映っており、どうやらイタチはそのカブトと戦っているようであった。

 サスケを守るそぶりも見える。

 

 「どうなってるの…」

 

 少しもこの状況がどういったものなのか分からない。

 それでも、画面の中にいるイタチの姿に思わず涙が出そうになった。

 「やっぱり見るでしょ?」

 食い入るように画面を見つめる香音に真波は少し苦笑いを見せて、リモコンを香音に手渡した。

 「私そろそろ仕事に戻らないといけないから行くね。疲れない程度に見なね」

 軽く手を振り背を向ける真波に、香音は心ここに非ずな様子で「うん」と一つ返事を返した。

 真波が部屋を出て扉が閉まる。

 香音は慌てて積まれたDVDを手に取り確認する。

 

 

 最後に見た【終焉】

 

 

 その続きのストーリーを、震える手で再生した…


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