いつの日か…   作:かなで☆

131 / 146
第百二九章【ワガママ】

 ただ一緒に歩ければそれでよかった…

 

 特別な物なんて何もいらなかった。

 

 いい天気だね。花がきれいだね。今日は何をしようか。

 

 そんなありふれた時間でよかったのに。

 

 

 

 ただ一緒に歩ければそれでよかった…。

 

 特別な物など何もいらなかった。

 

 いい天気だな。花がきれいだな。今日は何をしようか。

 

 そんなありふれた時間でよかったんだ。

 

 

 それが自分たちにとって、最も大切で、何よりも特別な時間だった。

 

 それがほしかった。その時間が長く続けばいいと思った。

 

 だけれども、それはひどく贅沢な望みで、決して叶えられはしない。

 

 だけれども、今日というこの日まで共に歩めたことは決して消えはしない。

 

 それをしっかりと抱きしめて行こう…

 

 

 最期と言う名の明日へ…

 

 その先にある未来へ…

 

 

 

 いつの間に眠ってしまったのか。

 ゆっくりと開いた目に夜の空が映り込み、水蓮はドキリとして身を起こした。

 が、自分の体をしっかりとイタチの腕が包み込んでいて少し態勢を崩す。

 見ればイタチも眠っており、静かな寝息が聞こえた。

 

 まだここにいる…

 

 ほっとすると同時に、知らぬ間に時間が経っていた事への恐怖が湧き上がった。

 「イタチ…」

 静かに呼びかけたその声は、自分でも驚くほど震えていた…

 そっと頬に触れるとイタチの瞼が揺れ、ゆっくりと開かれる。

 「体は大丈夫か?」

 イタチの声は落ち着いていた。

 静かで、穏やかで、少しの揺れもない。

 

 ああ…この人はもう、覚悟を決めたのだ。

 

 そう思うと、どうしても涙がこぼれた。

 泣くまいと思っていたが、それは到底無理な話なのだ。

 我慢できるはずがなかった。

 そう認めてしまえばもう止める事はできず、涙の粒は大きさと量を増してゆくばかりだった。

 イタチは無言のままその涙を拭い続けた。

 ただ静かに涙を掬い取り、触れるだけの口づけを幾度も落としてゆく。

 

 「大丈夫…」

 震えたままの声で、ようやく水蓮はその一言を口にした。

 「大丈夫…」

 そんなはずはない。少しも大丈夫なはずはない。

 それでもそう言わなければ、この場に崩れ落ちそうだった。

 後どれだけの時間が残されているのか分からないが、一分一秒を大切にしなければならない。

 大きく深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせる。

 「ここは?」

 どこかの洞窟のようであったが、見覚えがない。

 「ここは組織の誰にも知られていない場所だ。今夜はここで過ごす」

 「そう…」

 「鬼鮫には明日合流すると式を飛ばした」

 「そう」

 

 明日…

 

 日が昇れば、サスケがあの場所にたどり着く…

 

 「水蓮」

 変わらず落ち着いたその声に、水蓮の体がビクリ…と揺れた。

 小さく震える細い肩にイタチの手が触れ、キュッと力がこもる。

 

 聞きたくない…

 

 そう思うのに体は動かず、自分を見つめるイタチの視線から目を離せない。

 そこに流れた時間はほんの数秒だったのかもしれない。

 それでも長く感じられた沈黙を経て、イタチの口から言葉が零れ落ちた。

 

 「これが最後だ」

 「………っ…!」

 ようやく止まった涙がまたあふれ、喉元まで言葉が込み上げる。

 

 …行かないで…

 

 しかし、その言葉は決して口にしてはならない。

 思わず両手で顔を覆うが、震えるその手をイタチがギュッと握って引き寄せ、顔を覗き込んでくる。

 「水蓮」

 「分かってる…分かってる…」

 覚悟してきたことだ。

 イタチが望み、共に目指してきた物。

 この日は避けられない。

 「分かってる…」

 

 でも、苦しい…

 

 …怖い…

 

 イタチの命が終わる。

 

 それは、想像を、覚悟をはるかに超えた恐怖。

 

 泣かずに送り出そうと決めていた心は、やはりほんの少しも平静を保てなかった。

 「ごめん…ごめん」

 両手でイタチの衣をギュッと握りしめる。

 「謝るのはオレの方だ。やはりお前を苦しめることになったな」

 水蓮は首を横に振る。

 イタチは優しく涙をぬぐいその両手で頬を包み込む。

 「お前に会えたことに感謝している」

 「…私も…私も…っ」

 息を詰まらせる水蓮の頬を、イタチの繊細な指が愛おしげに撫でる。

 「かつて愛する者の命を奪い、もう誰かを愛し愛されることは許されないとそう思った。だがお前がそれを許してくれた。オレを愛してくれた」

 水蓮の額に口づけを落とす。

 「お前は天がオレに与えてくれた奇跡だ…」

 「イタチ…」

 溢れる涙が止まらない…

 

 …行かないで…

 

 水蓮はその言葉がこぼれてしまいそうで、イタチに口づけた。

 

 抱きしめればその体は温かい。

 ほほに触れればとても柔らかい。

 指を絡めれば握り返すその手は力強い。

 見つめる瞳は美しく輝いている。

 

 それなのに、明日にはそのすべてが失われるのだ。

 

 信じられず、どこか非現実的。

 それでもそれが真実であり、現実なのだ。

 それなのに、これが最後だというのに、何を話せばいいのかわからない。

 何を伝えればいいのかわからない。

 水蓮の口が言葉を発しようとしては閉ざされ、何も見つけられない事が悔しくなりうつむく。

 「水蓮」

 しばらくの沈黙の後、イタチが静かに名を呼び、柔らかい声で言葉をつむぎ出した。

 

 

 「愛してる」

 

 「……っ」

 それは水蓮の心の中にまっすぐに染み込んできた。

 その言葉は、想いをつなげたあの日から、互いに口にしなかった言葉。

 それを言ってしまったら、最期の時に手を離せなくなると、そう思い口にできなかった。

 「水蓮。お前を愛してる」

 どちらともなく閉じ込めてきたその言葉が繰り返されてゆく。

 「イタチ…」

 ゆっくりとあげた水蓮の視線の先。

 イタチは微笑みながら泣いていた。

 「イタチ。私も愛してる…」

 想いを重ねる。

 「愛してる」

 そっとイタチの両手が水蓮の手を取る。

 合わせた瞳は何かを迷っているような、苦しげな色を浮かべていた。

 イタチはそれを押し込むように一度目を閉じ、ゆっくりと開いて言った。

 「お前にはこの先希望に満ちた未来がある。オレへの想いにとらわれ、いなくなったオレの存在に縛られて生きてほしくはない」

 水蓮の目が見開かれた。

 

 何を言おうとしているのか…

 

 何を自分に言うつもりなのか…

 

 心を寄せる人が現れたら自分に気兼ねなどするなと、そんな月並みの事を聞かされるのだろうか…

 

 優しすぎるイタチならそんな言葉を選びかねない。

 

 聞きたくない…

 

 「イタチ…私は」

 「だけど」

 イタチは痛いほどの力で水蓮の手を握りしめて、言葉を、想いを伝えた。

 

 「お前は誰のものにもなるな」

 「…っ…」

 

 息を飲み、見つめたイタチの顔はどこか苦しそうで、悲しげで、寂しげで、必死に懇願するような…

 ひどく幼げな泣き顔だった。

 「お前を誰にも渡したくない。誰にも触れさせたくない。だから…だから…」

 「ばか!」

 イタチの言葉を半ばに、水蓮はイタチを抱きしめた。

 「なるはずない!」

 強く強く抱きしめる。

 「あなた以外の誰かを好きになったりしない。私があなた以外の誰かを愛するはずがない!そんなはずない」

 互いの存在を確かめるように、しっかりと抱き合う。

 「私にはあなたしかいない…」

 

 …思えば、これが初めてかもしれない…

 

 いつも誰かのために戦い生きてきたイタチの、自分のためのわがままは…

 

 そしてこれが最初で最後

 

 「あなたしかいない」

 抱きしめるイタチはとても小さく感じた。

 互いの背を撫で、髪に触れ、唇を合わせる。

 イタチは心底安心したように笑み、瞳に強い光を宿した。

 それは、すべてを受け止め進む決意の色。

 これまでにも増して強くなったその光に、水蓮の心にも覚悟が下りてゆく。

 

 もう今日が本当に最後…

 

 もう自分がしてあげられる事はない…

 

 役目は終わったのだ…

 

 誰に告げられたでもなく、その事をかみしめる。

 

 でも一つだけ…。最後に一つだけ…

 

 水蓮は再びイタチを抱き締め、震える声で伝える。

 「イタチ、雷に気を付けて…」

 イタチの体がピクリと揺れた…

 それが終焉の合図…

 「私が絶対守るから。忘れないで。私を思い出して」

 

 ぽぅ…

 

 柔らかい光が水蓮からあふれ、イタチを包み込む。

 「あなたは大丈夫」

 コツリと額を合わせて水蓮は微笑む。

 「大丈夫」

 必ずやり遂げられる。

 「大丈夫」

 繰り返された言葉にイタチが小さくうなづいた。

 

 すぅ…と、合わせたままの額に光が集まり、静かに消えてゆく。

 

 そこに生まれたぬくもりを染み込ませるように二人は目を閉じた。

 

 ここまでの道のりが駆け巡って行く。

 

 出会い、ともに歩き、戦い…

 迷い、悩み、苦しんだ。

 

 大変な道のりだった

 

 互いに思いもよらない不思議と驚きの連続だった。

 

 そして、これ以上ないほどに幸せだった。

 

 2度と手にすることはないと思っていた、優しくて穏やかな時間を過ごすことができた。

 

 愛に溢れた時間を生きる事が出来た。

 

 『ありがとう』

 

 二人の声が重なり、静かな夜の中へと溶けてゆく。

 

 そっとイタチが水蓮に口づけ、促すように名を呼んだ。

 「水蓮…」

 「なに?」

 ゆっくりと目を開き、水蓮はハッと息を飲んだ。

 涙に濡れた水蓮の漆黒の目にうつったのは、赤く美しい…

 

 

 万華鏡


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。