いつの日か…   作:かなで☆

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第百九章 【うつわ】

 タゴリか八尋の意思によるものなのか、それとも自然の物か、窓の外には夜の静けさが落ちていた。

 不意に眠りから覚め、目を開くとすぐそばにイタチの寝顔がある。

 ほほにかかった黒い髪を指ですくって流し整え、その手をそっとイタチのほほに添える。

 

 「起きない…」

 

 普段ならよく眠っていても少し目を開く。

 だが今はただ静かな寝息が聞こえるのみで、ピクリとも動かない。

 

 少しの警戒も不安もない眠り…

 

 こんな風に眠るのはどれくらいぶりなのだろう…

 

 想像の範疇でしかないが、それは幼い子供の頃にしかない事なのではないだろうか…

 

 自分ですら、いかにイタチや鬼鮫がいても、この世界では本当の意味で眠ったことがないような気がして、水蓮は胸の奥が切なく痛んだ。

 

 今更ながらにこの世界の厳しさが身に染みる。

 

 「イタチ」

 

 ひそめた声で名前を呼ぶ。

 

 それでもイタチは起きる気配を見せない。

 

 なぜだか嬉しかった。

 たとえこれが最後だとしても、こうしてぐっすり眠ることができてよかったと…そう思った。

 

 静かに身を寄せてイタチの胸元に頬を寄せる。

 確かに聞こえる鼓動。

 髪にかかる息。

 今はまだここにあるその命をより強く感じようとさらに身を寄せると、目を覚まさぬままイタチが水蓮を抱きしめた。

 

 幸せだ…

 

 それは確かな想い

 

 だけれども、やはり涙がこぼれる。

 

 水蓮はギュッとイタチの服を握りしめた。

 

 今はただ静かに眠ろう…

 

 何も考えず、ただここにあるぬくもりと幸せに…そばにいる存在に身をゆだねて眠ろう…

 

 

 静かに目を閉じると、起きているのかいないのか。イタチの大きな手が水蓮の髪を撫でた。

 

 

 

 

 翌朝。

 タゴリ達との別れの時を迎えた。

 

 

 「元気でね」

 タギツがにっと笑う。

 「達者でな」

 その隣でサヨリも笑みを浮かべ、タゴリが続く。

 「また会えるのを楽しみにしているぞ」

 「うん」

 「ああ」

 それぞれしっかりと手を握り合う。

 「水蓮。イタチ」

 タゴリが二人の肩に手を置いた。

 「己の信じた道を進み、悔いなく生きろ」

 

 グッと二人の目の奥が熱くなる。

 それでも水蓮もイタチも笑みを返してうなづいた。

 その強いうなづきにタゴリも笑顔を返し、ほんの少し強く肩を握ってから離れた。

 サヨリとタギツも距離を取り、タゴリの後ろに立つ。

 そのさらに後ろには八尋が控えており、その隣には市杵とハヤセが並び立っていた。

 

 「飛ばすぞ」

 

 タゴリが印を組むために静かに構える。

 

 その手の動きに優しく風が立ち、吹き流れる。

 

 柔らかく揺れる風が水蓮とイタチを包み込み、その様子をタゴリ達が穏やかな…そして少しさみしげな瞳で見守る。

 

 130年前もこうして見守られ、自分たちは未来へと向かって歩き出したのだろう…

 

 水蓮とイタチはそんなことを思いながら手をつなぎ合わせた。

 

 

 ふわ…と淡い光が生まれ視界が薄れる…

 

 

 「ではな」

 サヨリが軽く手を上げる。

 「今度はギリギリに来ないでよね」

 ひらひらと手を振るタギツの姿が一層薄れ…

 「また会おうぞ」

 タゴリが明るく声を響かせた。

 

 

 『また必ず』

 

 

 水蓮とイタチのその言葉を聞き、タゴリは一つうなづきを返し…

 

 

 …タンッ…

 

 

 大地に静かに手をついた。

 

 次の瞬間には、二人は初めに封印を解いた入口へと戻っていた。

 

 「戻って…」

 「きたな…」

 

 足元を見つめてしばし佇む。

 先ほどまでの事が思い出されるが、まるで夢でも見ていたかのような不思議な感覚だった。

 

 二人は無言で顔を見合わせて、その場に再び封印を施す。

 ふわりと術の光が浮かび、静かに消えていった。

 

 何か切ない物が胸の中に走り、やはり二人は無言のまま見つめ合った。

 

 チチチ…

 

 鳥の鳴き声がその静寂を終わらせ、あの空間にはなかったその自然の生き物の音が、二人を一気に現実へと引き戻す。

 

 「水蓮…」

 ほんの少し遠慮がちな詰まった声…

 水蓮は小さくうなづいて笑みを向けた。

 

 ほんの少しも離れたくはない。

 だけど…

 

 「行ってらっしゃい」

 

 脳裏に鬼鮫の顔が浮かぶ。

 

 心配しているわけではない。

 水蓮は鬼鮫が問題なく4尾を捕獲することを知っており、イタチは鬼鮫の力を認めている。

 それでも行くのは…行かせるのは、組織に従順な態度を示すため。

 そこにある痛みに身を浸してでも耐えて忍び、先へと進むため。

 

 「待ってるから」

 

 泉の力で回復した今、イタチは無理に自分を尾獣狩りに連れてはいかない。

 それに何より、イタチは今共に行くことより『待っていてほしい』と、そう思っている。

 自分を待つ存在がいる事で、より強い心で戦えるとそう感じている。

 聞かずともそれが分かり、水蓮はイタチを送り出そうともう一度うなづいた。

 

 「ちゃんと待ってるから」

 「ああ。待っていてくれ」

 

 イタチは嬉しそうに笑んでうなづきを返し、静かな動作で八雲を口寄せした。

 「戻るまでそばにつける」

 現れた八雲は手のひらに載るほどのサイズで、ふわりと身を浮かべて水蓮の肩にとまった。

 「頼んだぞ。八雲」

 スッと伸ばしたイタチの手に身を摺り寄せて八雲が小さく喉を鳴らす。

 イタチは空いた手で水蓮の髪を撫でた。

 「行ってくる」

 「うん。行ってらっしゃい」

 もう一度うなづきを返し、イタチは静かに姿を消した。

 そこに生まれた風が水蓮の髪を揺らし、青く晴れた空へと吹き流れて行った…

  

 その風を追うように、水蓮は空を見上げる。

 

 「生まれ変わり…か」

 

 130年前に今と同じくイタチと共にこの地に封印を施し、自分たちは別れた…

 

 そしてまたこうして出会った…

 

 

 不思議でたまらなかった。

 まして自分は違う世界で生まれて育ったのだ。

 それが約束されたこの時に、こうしてイタチとこの地にたどり着いた。

 

 

 『偶然のようですべては必然』

 

 タゴリの言葉がふと思い出された。

 

 「必然…」

 

 もしそうならば、何をどうしたとしても、イタチの現実は変えられなかったのだろうか。

 一族を手にかけなければならなかったその事は、変えられなかったのだろうか。

 イタチは親友のうちはシスイと共に必死に戦った。

 それなのに、すべてが必然であるならばそれらはすべて無駄だったのだろうか…

 

 

 あちらを発つ前、タゴリと二人になる時間があり、水蓮はそう問いかけた。

 

 タゴリは少し考えてから静かに答えた。

 

 「そうかもしれん」

 

 …と。

 

 だがこう続けた。

 

 「しかし、決して無駄な事は一つもない」

 

 そして近くにあった木の実を指さした。

 

 「あの木の実は、恐ろしく苦い。噛まずとも口に入れただけでのた打ち回るほど苦い」

 

 タゴリはその木の実を、それで作ったジュースに入れて飲み干せと言われたらどうする。と、水蓮に問うた。

 突然の話に水蓮は戸惑ったが、とても飲めないと返した。

 次にタゴリはその木の実を、とんでもなく美味しいジュースに入れて飲み干せと言われたらどうだ。と聞いた。

 

 「それなら…。何とか飲めるかも」

 

 そう答えた水蓮にタゴリは「そういうことぞ」と、大きくうなづいた。

 

 「木の実をイタチの受けた結果とたとえ、ジュースをイタチの器と考える。木の実の苦さは何をどうしても変わらん。だが、己の器が変わっていれば、感じる苦さは違う。大切なのは器だ。来たるべき結果を受くる時までに、鍛え、磨き続けることが大切なのだ。イタチはそうしてきたからこそ、戦えた。その心が砕けて壊れることなく今日まで歩き続けてこれたのだ。これまでの日々。そして全ての出来事。それらなくして今のイタチはなかった」

 

 タゴリは「わかるか?」と柔らかく包み込むような表情で水蓮を見た。

 

 水蓮はただ黙ってうなづいた。

 

 自分も同じだとそう思った。

 今までに経験してきた様々なことが、自分を支えてくれた。

 それらがなければ、ここにたどり着く前に自分の心は壊れていたかもしれない。

 

 何一つとして、無駄な事はないのだ。

 

 たとえ行き着く結果を変えられなくとも、自身の器を鍛え磨き続けたならば、その先に見えるものは違う。

 

 そう言ったタゴリの穏やかな笑みを思い出し、水蓮はグッと強く手を握りしめた。

 

 「強くなりたい」

 

 見上げた空につぶやくと、肩に身を乗せていた八雲が水蓮の頬にくちばしを摺り寄せた。

 まるで身を案じるようなそのしぐさに、水蓮は笑みを向けてそっと体を撫でた。

 

 「大丈夫。一人で無理をしたりしない」

 

 強くならなければと、言い聞かせていた過去の自分とは違う。

 イタチと共に、泣きながら…くじけながら。それを隠さず共に歩いて行きたい。

 それがきっと自分を、自分たちを強くする。

 

 「二人で一緒に強くなる」

 

 この先にある結末への恐怖は消えない。

 

 それでも、その先に何かを見つけられるように

 

 「強くなる」

 

 水蓮は力強い足取りで歩き出した。


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