いつの日か…   作:かなで☆

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第百八章 【約束】

 1時間ほどが経ち、八尋との話を終えたイタチが水蓮の元へと戻りきた。

 眠っているかもしれないと、声をかけずに部屋のふすま戸を静かに開け…その手が止まった。

 

 ふわりと揺れる白檀の香り。

 

 懐かしい…

 

 そう感じた。

 自分がすごした故郷での記憶ではない。

 

 ここで過ごした遠い日の記憶が魂に刻み込まれているのだろう…。

 この香りを覚えているのだろう…。

 

 そう思った。

 

 それを運ぶ窓から流れ込む柔らかい風。

 その風に髪をなびかせ、窓の外を見ていた水蓮がゆっくりと振り返る。

 

 つぼみががほころび、花が開いたような美しく穏やかな笑み。

 

 嬉しそうに細められた目の奥で優しい輝きを見せる黒い瞳。

 

 そこには春の暖かい日差しのような光りが溢れていた。

 

 本来の色に戻されているイタチの漆黒の瞳がそのまばゆさに釘づけられ、言葉なく立ち尽くす。

 

 

 「お帰り。イタチ」

 

 

 何か懐かしい光景が脳裏をかすめる。

 

 今度は魂の中の記憶ではない。

 

 

 それは、子供のころ当たり前に聞いていた言葉…

 

 

 「お帰り」

 

 そばまで来た水蓮の動きに合わせて空気が揺れ、そこに生まれたぬくもりがイタチを包み込んでゆく。

 

 

 あの頃当たり前にそばにあった温かさ…

 

 

 里を出たあの日、もう2度と自分には与えられない物だと思っていた。

 

 だがそれが今ここにあることを、イタチは実感していた。

 

 

 「イタチ…」

 

 

 そっと水蓮の手が伸びイタチのほほに触れる。

 その手に自身の手を重ね、イタチはやっと気づいた。

 

 

 両の目から涙があふれていた事に…

 

 

 目の前にいる大切な人の名を呼ぼうと少しだけ動いた唇は、それができずに小さく震え、喉の奥からせまる息の詰まった声を抑えようとキュッと固く結ばれた。

 

 その様子にスイレンが戸惑いを浮かべる。

 

 

 今までに見たことのないその顔は、ひどく幼く見えた…

 

 

 止まらぬ涙と制御できないその感情を抑えようとイタチは表情をゆがめる。

 

 「フフ」

 

 小さく水蓮が笑った。

 

 「変な顔」

 

 イタチはほんの一瞬の間を置き、少しいじけたような顔をした。

 

 「笑うな」

 

 「だって、すごい顔してる」

 

 「お前だって、変な顔してるぞ」

 

 同じように涙を流しながら複雑な表情で笑う水蓮に、イタチもようやく少し笑った。

 

 互いに相手の涙を拭い、改めて静かに笑みを交わす。

 

 だがその笑顔の中に、イタチはどこか不安げな色を見せた。

 「イタチ。今何を考えているの?」

 イタチは少し驚いたように小さく息を飲み、フッと笑った。

 「お前には適わないな…」

 水蓮は何も返さずイタチの言葉を待つ。

 

 「剣は…」

 

 短くない沈黙を終えて、イタチは口を開いた。だが言いかけてすぐに口を閉ざす。

 その先を水蓮はやはり何も言わずに待つ。

 また沈黙が落ち、少し視線を落としてイタチが途切れ途切れに胸の内を明かしだした。

 

 「十拳剣は、かつて世界を救うために振るわれた。それなのに、オレは…オレは…」

 

 ただサスケのために…

 

 そんな利己的な事を理由に剣を使っていいのか。

 

 そんな事が許されるのだろうか…

 

 「この剣で封印するべきものは、別の物かもしれない」

 

 うちはマダラ

 

 その存在が二人の中に浮かぶ。

 

 「だが今のオレの体では…」

 

 封印の力を2度は使えない。

 

 封印術を扱う水蓮にはその事が分かっていた。

 現実にそこにある存在を封印するには莫大なチャクラが必要なのだ。

 風遁を使う時とのその差は歴然であった。

 

 ましていかなる存在をも永久に閉じ込めるほどの封印術。

 それは剣の力だけで発動できるものではない。

 泉がそうであったように、その力を使うためにはそれ相応のエネルギーが必要なはず。

 

 おそらくそれは、使う者の生命力…

 

 そうなれば、かなり体が弱っているイタチには、剣の封印術は2度使えない。

 

 だからこそイタチは悩んでいるのだろう。

 本当なら、大蛇丸の呪印とマダラ。その両方を封印したかったはずなのだ。

 イタチがそれを考えないはずがない…。

 だが、そのイタチがこうして悩む姿を見せるという事は、両方は不可能なのだ…

 

 

 「オレは…」

 

 イタチの心に重い何かが覆いかぶさっていた。

 

 「オレは…」

 

 言葉が続かず黙り込む。

 

 部屋が静けさに包まれ、その静寂の中に水蓮の声が響いた。

 

 

 「あなたは間違えていない」

 

 

 伏せられていたイタチの目が静かに水蓮へと向けられる。

 「だが…」

 「剣は…神力は人の想いに呼応するって言ってたでしょ?それは神力に意思があるからなんだと思う」

 イタチの手がぬくもりに包まれる。

 「剣が今イタチの中にあるのは、剣がイタチの願いを認めたっていう事だと思う」

 「オレの願い…」

 「そう。サスケを救う事がきっといつか世界を救うことになる。剣はあなたの目的の奥にある、本当の願いをちゃんとわかってる」

 

 確信にあふれる瞳がイタチの心を光で照らす。

 

 

 「私もちゃんとわかってる」

 

 

 悩みにぼやけた道を照らしてゆく。

 

  

 「迷わないで」

 

 

 行くべき道はこちらだと、指し示す。

 

 

 「あなたは間違えていない」

 

 

 そこへとまっすぐに導く。

 

 

 自分を見つめる心強い笑みに、イタチの体からふっと力が抜ける。

 そこに見えた安堵に水蓮が一つうなづき、イタチも同じようにうなづきを返した。

 

 共に進むべき道は一つ。

 

 二人は合わせた笑みにそれを確認し合った。

 

 

 「ねぇイタチ。見て」

 

 手を引き水蓮がイタチを窓際へと誘う。

 「私たちが育てたんだって」

 そこに広がる美しい光景にイタチは一瞬息を飲み、小さく「そうか」とつぶやいた。

 「そうだったのか」

 重なる言葉に水蓮が首をかしげる。

 イタチは繋がれた手をぎゅっと握り、咲き乱れるスイレンを見つめて何か納得したような息をついた。

 「ここに…いや、ここから繋がっていたんだな」

 何かを体の中にしみこませるようなゆっくりと大きな呼吸をひとつ。

 

 イタチは色鮮やかな光景を見つめて黙した。

 

 

 「きれいだな」

 

 どれほど静かにたたずんだだろう。

 ぽつり…とイタチはそうこぼした。

 

 「そうだね…」

 

 どこまで正確にこの色を捉えられているのかは分からない。

 先ほど不安を感じたその事。だが今それは自分たちにとっては重要でないように思えた。

 

 こうしてここに並んで美しい景色を見て、共に「きれいだ」と感じることができる。

 その事が重要なのだ。

 美しい物を美しいと感じる事が出来るこの心が、この瞬間が大切なのだ。

 

 「オレは…」

 

 スイレンを見つめたままのイタチの瞳が少し悲しい色を見せた。

 

 「あの日の事を時折夢に見る」

 

 血に染まったあの夜の光景…

 

 「その夢の中、望んではならない救いを求め、救われることなく目が覚める。だがそれはオレにとっては覚悟の上だ。それよりもオレが恐ろしかったのは、いつその夢が終わるのかが分からない事だった。何度繰り返すのか、目覚めることができないのではないか。それが恐ろしかったんだ」

 水蓮はイタチの夢に入り込んだ時に感じた痛みを思い出し、胸元を握りしめた。

 「だがいつの頃からか、夢の中に小さな光が現れるようになった。そしてその光の中から花が咲くんだ。…スイレンの花が」

 ギュッとつないだ手に力が入る。

 「その花が咲くと目が覚める。スイレンはオレに目覚めの合図を与えてくれるものとなった。その存在がオレにとっての救いだったんだ」

 ゆっくりと視線が水蓮に向けられる。

 「あの時…。初めて出会った時、お前はそのスイレンのごとくオレの前に現れた。美しい光りの中から、お前が現れたんだ…」

 イタチの手がそっと水蓮のほほに触れ、知らず溢れていた涙を拭う。

 「オレは心のどこかで覚えていたのかもしれないな…。お前の事を」

 「……っ」

 「お前と共に咲かせたこのスイレンの花を、覚えていたのかもしれない」

 ぬぐいきれない水蓮の涙をそれでも優しく拭い続け、イタチは笑みを浮かべた。

 「オレ達はやっと出会えたんだな」

 その笑顔は今までに見せたことのない物で、そこにはいつも消しきることのできなかった警戒が一かけらもなく、ただただ嬉しいという感情だけが見えていた。

 「私は…」

 涙止まらぬまま水蓮が声を絞り出す。

 「私はもっと早くあなたと出会いたかった。あなたのそばにいたかった。始めから…生まれたときからあなたのそばにいる事が出来ていたら、もっとあなたのために…あなたと一緒に…」

 ぎゅっとイタチの体を抱き締める。

 イタチはそっと水蓮の背を撫でながら「いや」と小さく首を横に降った。

 「お前は、あの時でなければならかったんだ」

 イタチは少し言葉を収め、ゆっくりと話し出した。

 「オレは今までに二度、一族も里も何もかもを捨てて遠くに行ければと思った事がある。一度目は、暗部に入る前の任務で同郷の忍を殺したとき。だがその時はシスイがそばにいてくれたおかげで、強さを取り戻せた。二度目はお前と出会ったあの日だ。あの日、オレはサスケに会い、オレへの憎しみを目の当たりにした。それを望み、与え、この身に受けることを覚悟していたはずだった…」

 抱き締める腕に少し力が入る。

 「だが実際には驚くほどショックだった。ずっとオレを慕い、頼り求めてきたまなざしが憎しみに溢れ、怒りに染まる。それは想像と覚悟をはるかに越えた苦しみだった。それでもあいつを強くするために、さらに憎しみを植え付けた」

 さらに腕に力がこめられる。

 「サスケを傷つけ苦しめ、心が何かに握りつぶされそうだった。自分とはこんなに弱い生き物だったのかと、落胆した。この程度の覚悟で一族を殺したのかと。自分が嫌になった。そして思った。いっそこのまま遠くへ…とな」

 イタチは自分にあきれたように小さく笑いをこぼした。

 「もう今更できるはずもないことを思った。そんな時だ、お前が現れたのは…」

 少し体を離し見つめ合う。

 「シスイもいない。サスケも今やオレを恨み憎み、もう自分は一人だと思っていた。『誰もオレを知る者はいない』と、あの時漠然とそんなことを考えていた。だがお前はオレを知っていた。額宛を見て、目を見て言った『うちはイタチ』と。お前は『木の葉のうちはイタチ』を知っていた」

 涙でぬれる水蓮のほほをイタチの指がやさしくなでる。

 「なぜかその事がオレの心を深くついた。お前を死なせてはならないと、そう思った」

 イタチはスイレンの花へと視線を移し柔らかく笑んだ。

 「なぜそう思ったのか、そもそもなぜお前があの場所に現れたのか。そして、なぜお前に水蓮と名をつけたのか。何一つとしてその答えは分からなかった。だが、全てはここへ繋がっていたんだな。遠い過去から今へと繋がっていたんだ」

 イタチはフッと笑い水蓮のほほを撫でた。

 「命とは不思議だな。生まれ変わりという物が本当にあるとは思わなかった。過去の魂が再び出会うためにまた生まれるとは…」

 「そうだね…」

 イタチの手に自分の手を重ね、水蓮も笑う。

 「水蓮。お前がいなければ、オレは、オレの心はとっくに砕け散っていただろう。あの時出会わなければ、あのままオレはどこかに身をくらませ、誰に知られることもなく病に蝕まれこの命を終えていたかもしれない」

 

 そんな事はない…。

 

 水蓮はそう思った。

 それでも、イタチはきっと進んだだろう。

 痛みと悲しみに耐え、一人戦っただろう。

 

 だけれども、そう思えるほどに辛かったのだ。

 

 「お前がいたからオレは進むことができた。迷いを打ち消すことができた。今も…」

 

 グッと水蓮を抱き寄せる。

 

 「ありがとう。オレのもとへ来てくれて」

 

 イタチはもう一度「ありがとう」と優しい声でそう言って水蓮の髪を撫でた。

 

 

 その言葉は、想いは自分も同じだと、水蓮はそう言おうと口を開いたが、喉の奥が詰まって声が出なかった。

 それでもどうしても伝えたかった。伝えなければならない。

 

 大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出して整える。

 

 今伝えなければもう言葉にすることはできない。

 

 イタチにとって最後なのだ。

 

 自分にとっても最後なのだ。

 

 二人でこの日を過ごすことはもうない。

 

 「イタチ」

 

 ありったけの愛しさを込めてその名を呼ぶ。

 

 イタチが「ん?」と同じ温度でそれを受け止める。

 

 …笑顔で言おう。

 

 涙は止められないままだったが、水蓮は笑みを浮かべた。

 

 「誕生日おめでとう」

 

 イタチは一瞬きょとんとした顔を浮かべ、小さく笑った。

 

 「そうなのか…」

 「うん。そうだよ」

 「そうか」

 

 スッと伏せられた瞳には、やはり悲しげな色が浮かんだ。

 

 「そんな事、もう何年も忘れていたな…」

 

 再び水蓮を捉えた瞳は、少し穏やかな色に変わった。

 「ありがとう」

 イタチが言おうとしたその言葉を、水蓮が先に口にした。

 またイタチがきょとんとする。

 構わず水蓮は「ありがとう」と言葉を重ねてイタチを抱きしめた。

 

 「生まれてきてくれてありがとう」

 

 ピクリ…とイタチの体が揺れた。

 

 「ありがとう」

 

 無言のままのイタチを抱きしめ、水蓮は幾度もそう繰り返した。

 

 

 うちはイタチという人物は、その言葉を、その想いを多く受け取るべき人なのだ…

 

 誰よりも人を愛し、里を愛し、平和を愛し戦っているのだから…。

 

 誰よりも傷つき痛みに耐えながら、それでもと、未来の希望のために戦っているのだから…。

 

 受け取るべきそのすべてを、自分が与えてあげよう。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 誰からも与えられることのないその言葉を…

 

 

 「ありがとう」

 

 

 ありったけの想いをこめて何度も何度も繰り返す。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 だがそれがふいに途切れた。

 

 イタチの口づけがそれを塞いでいた…

 

 

 「もういい」

 

 返そうとした水蓮の言葉を、再びふさぐ…

 

 「もうわかった」

 

 口づけの合間を縫ってイタチの柔らかい声が響く。

 

 「水蓮。ありがとう…」

 

 イタチが水蓮の手を取り、口元に引き寄せた。

 

 まるで誓いを刻むように…

 

 じっと水蓮を見つめ、静かに伝える。

 

 

 「必ず。必ずお前を見つける」

 「………っ」

 

 水蓮の瞳が揺らいだ。

 

 「お前がオレを見つけてくれたように、今度はオレがお前を見つける。必ずむかえに行く」

 

 声を出せずに水蓮はただうなづいた。

 

 「約束する。100年の後、必ずお前をむかえに行く」

 

 ギュッと指を絡み合わせ互いを深く繋ぎとめる。

 

 「待っていろ」

 

 まっすぐな視線を受け止め、水蓮は何度もうなづきを返す。

 口を開けば声を上げて泣きそうだった。

 それでもそれを必死に飲み込んで想いを言葉にする。

 

 「待ってる」

 

 震えたその声がイタチの心の深くに刻まれてゆく。

 

 「必ずむかえに来て」

 

 「ああ。必ずむかえに行く」

 

 どちらともなく唇を合わせる…

 

 その幾度目かの重ねの中、二人の間に今までにない熱が生まれ、イタチが一瞬の戸惑いを見せほんの少し身を引く。

 だが、イタチが逃がそうとしたその熱を、引き留めるように水蓮がその体を抱きしめた。

 「離さないで」

 「………」

 消え入りそうな声にイタチはやはり戸惑った。

 「お願い…」

 キュッ…と、イタチの衣をつかむ指に力が入る。

 

 小さな震えを抑え込むように、水蓮は言葉に少し力を入れた。

 

 「私を離さないで」

 

 もうすぐそこに迫る最期の時…

 

 長さの読めぬそこまでの道のり…

 

 ほんの一瞬でも離れずにいたい…

 

 終わりのその瞬間まで…

 

 

 想いは同じであった。

 

 

 離れたくない…

 

 

 「水蓮」

 

 

 イタチがグッと強く水蓮を抱きしめる。

 

 

 「離さない」

 

 

 互いの身を…心を締め付ける苦しさは、まだ命がある事の証…

 

 

 それを確かめ合うように、二人は強く抱き寄せあった。

 

 「離さないで」

 

 「ああ」

 

 イタチが深く口づけを落とす。

 

 

 「お前を離しはしない」

 

 

 高まる熱の中、言葉を…唇を…涙を…想いを…

 

 

 二人は静かに重ね合わせる…

 

 

 

 窓の外に咲くスイレンと紫陽花が風に揺れ、柔らかい白檀の香りが二人を包み込んでいった…


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