どれほどの時間が経ったか…
イタチと水蓮はこれといったヒントを見つけられずため息をこぼした。
海…空…クジラ…
それらに関する知識や思い出をたどっては見るが、どれも手掛かりになるようには思えない。
水蓮は焦っていた。
サヨリとタギツの時を急く言葉。
ゆっくりしている時間はない。
それに、まずは出雲の動きを止めなければならないということは…先ほどと同じくまず必要なのはおそらく自分の力だろう。
だが何も思い浮かばない。
どれほど考えても、水中にいる出雲に使えるような有効な術が思い浮かばなかった。
イタチはどうなのだろうかとちらりと見ると、目を閉じて静かに考えをめぐらせているようだった。
相変わらず落ち着いたその空気に、自分もとにかく落ち着こうと目を閉じた。
視界を閉ざすと、周りの空気が先ほどまでと違うように感じ、色々な物を目に映して考えるより集中することができた。
目ではなく体に感じる日の光、潮の香り、そして風の音。
それらが少しずつ水蓮の心を落ち着かせていった。
しばらく時間がたち、海面を吹き流れる風の音に身を浸していた水蓮とイタチがなにかに気づいたように同時に目を開いた。
自然と顔を見合わせた二人は「風が…」とつぶやいた。
やはり…
お互いに同じことを感じたのだと確信し、二人は再び目を閉じる。
海から流れてくる風が二人の耳にかすかな音を残す。
そこには何かの法則的な物を感じる。
風の強弱が一定のリズムを感じさせ、耳に届く音はまるで…
「歌…」
水蓮が立ち上がってポツリとつぶやいた。
二人を包むように流れるその風の中に、メロディを感じたのだ。
そしてそれは、水蓮の知る物であった。
幼いころに母がよく歌って聞かせてくれたものだった。
自然とその歌が水蓮の口から紡ぎだされた。
優しくやわらかなその歌を、沖の方にいる出雲が聞きとめほんの少しこちらに近づいてきた。
そしてあたりに響き渡る声で一つ鳴き声を上げた。
それと同時に水蓮の体が薄赤く光り、溢れたその光が出雲に向かって伸びだした。
「歌に術が組み込まれているのか…」
イタチが立ち上がり水蓮を見つめる。
その視線の先で水蓮の髪が赤く染まり始めた。
歌いながら戸惑う水蓮に、イタチが「続けろ」と安心させるように優しく言う。
水蓮がうなづくとそばにタギツが走り寄ってきた。
「見つけたか!」
「そのようだな」
三人は並んで出雲に目を向ける。
だが水蓮の体からあふれた光は、出雲までは届かずその中腹辺りで止まっていた。
「ここからでは届かないみたいだな。イタチ…」
「ああ」
イタチはすぐに意を解してスサノオを発動させた。
「これがオレの役割りか」
「……っ」
水蓮がイタチの身を案じて目を向ける。
先ほど封印を解くのにチャクラを使ったばかりだ。
どれほどのチャクラを要したのかは分からないが、剣を封印していた術。消費が少ないわけがない。
だがイタチは「これくらいは大丈夫だ」と笑った。
確かに以前見たものよりかなり小さい。
それでも体への負担はあるはず。
水蓮は不安の色を見せた。
「お前は歌に集中しろ。オレが連れて行ってやる」
柔らかいその笑みに、イタチの体が気がかりなものの水蓮はうなづいた。
「イタチ。かけらはいったんボクが預かる」
「わかった」
グッ…とイタチがチャクラを練ると、3人の体がスサノオの中でふわりと持ち上げられた。
スサノオが静かに足を踏み出し、体を海の中へと沈めて行った。
海中を進み出雲に近づくとその巨体がゆらりと動き、歌う水蓮に正面を向けた。
水蓮は一度歌い終えたそれをもう一度始めから紡いだ。
次第に母の事を思い出し切なくなる。
そしてその歌詞に、涙がこぼれた。
【あなたは元気でいるのかな
大切な人と出会えたかな
描いた夢は叶えたかな この青い空の下】
それはまるで親から子への手紙のよう…
【記憶の中決して消えない
輝くいく千の光の粒
つないだこの手のぬくもり 溢れる愛しさも】
水蓮の大切な思い出のよう…
【どうか泣かないで 一人で泣かないで
あなたを襲う雨の夜も 凍えるような息白い朝も
そばにいるよ たとえ見えなくても
孤独になる事はもうない
あなたの帰る場所はここにある】
そしてイタチを包み込むような優しさ…
【ずっと この故郷で あなたを待っている】
そのすべてがあまりに優しく、そして温かく…
水蓮は涙を止めることができなかった。
イタチもまた水蓮の隣で瞳を揺らした。
歌に合わせるように出雲も柔らかい鳴き声を重ね、その何とも言えない優しさが余計に涙を誘った。
やがて、出雲は水蓮の放つ光にすっぽりと包み込まれ、荒れた様子をすっかり消してスサノオにそっと頭をつけた。
「待っていてくれたの?」
ここで自分を待ち続けていた出雲に、水蓮は笑みを向けた。
スッと近づき、スサノオの光越しに出雲の頭に額をつけた。
光りは徐々に薄れて消えたが、そこに何か特別な力が働いている様子が感じられた。
イタチが不思議そうに見つめる先で、水蓮は瞳を閉じて出雲の存在に意識を集中させてゆく。
そこに生まれた感覚。それはイタチの夢の中へ入り込む時と同じ物であった。
「出雲の意識の中に入っている」
タギツの言葉にイタチが目を細めた。
「そんな力が…」
驚きの声をこぼしたイタチが見つめる中、水蓮はややあって静かに出雲から離れて目を開いた。
出雲から受け取った術式は、うずまき一族の封印術であった。
すぐさま印を組んで出雲に手を当てる。
「解!」
イタチの時同様水蓮を中心に風が吹きあがり、赤い髪を揺らした。
出雲の体がまばゆい光を放ち、そのおさまりの中に小さな光の粒が残された。
「よし」
タギツがそっと両手でそれを包み込み、胸元にあてて吸い込んでゆく。
「………っ」
やはり強い力が体内を荒らすのか、タギツはしばらく顔をゆがめてそれに耐え、ややあって大きく息をついた。
「確かに預かった」
イタチと水蓮がうなづく。
と、出雲の体が再び光り、その光と共に徐々に小さく縮んでゆく。
シャチほどの大きさにとどまり、出雲はその場で軽く一回りしてから再び水蓮の正面に身をとどめた。
ふわりと出雲の放つ光が揺れて、スサノオの中に入り込み水蓮を包み込んだ。
「…え?」
戸惑う水蓮の体が出雲に引き寄せられ、スサノオの外へと連れ出された。
出雲の光りのおかげか海水にぬれることはなく、呼吸もできる。
水蓮は不思議な感覚で海中にふわふわと身を浮かべていた。
不意に出雲が水蓮に体を摺り寄せた。
「わわ…」
体を軽く押し上げられ戸惑う。
出雲はまるで水蓮と遊んでいるように楽しげに数回繰り返した。
何度目かに水蓮は出雲に向かって両手を広げた。
「おいで…」
出雲はその腕の中に身を寄せ柔らかい声で一鳴きした。
フォォ…ォォン
その声が海に溶けて消え、水蓮の体がスサノオの中に戻される。
もう一度出雲が鳴いた。
その声に応じて水蓮の目の前に巻物が現れ開かれた。
「自分の血で名を記すんだ」
イタチの言葉にうなづき、水蓮はクナイで親指を斬り、こぼれた血で巻物に名を記した。
「待たせてごめんね」
自分をじっと見る出雲に微笑みかけ、水蓮は最期に血判を押した。
巻物がすぅっ…と消え、出雲もまた穏やかな鳴き声を一つ残してその姿を消した。
『出雲』
イタチと水蓮の声が重なる。
二人の胸中には何か不思議な感覚が広がっていた。
「やれやれだな…」
岸に戻ってきた水蓮たちにサヨリがふぅ…と息をついた。
「どうなることかと思ったが…」
「何とかなったね」
同じようにため息をつくタギツ。
二人は水蓮とイタチに目を向け、表情を和らげた。
「何とか間に合ったな」
サヨリがそう言い、タギツがうなづく。
「ねぇ、何に間に合ったの?」
こらえきれず水蓮が問う。
しかし、やはり二人はそれには答えなかった。
「話すと長くなるのだ」
「全部終わってから姉者に聞いて」
二人はうなづくほかなかった。
「すぐに姉者のもとへ飛びたい所だけど、まずは着替えだね」
「え?」
「着替え?」
タギツにそう言われ二人は一瞬首をかしげたが、出雲が始めに上げたしぶきで濡れたままであった事を思い出した。
「最後のかけらが封印されているところは、少し特別な神聖な場所なんだ」
ずぶ濡れとまではいかないが、これではまずいという事なのだろう。
「こちらへどうぞ」
ハヤセの案内にうなづき、水蓮とイタチはタギツ達の後に続いた。
用意された服はタギツとサヨリの着ているものと同じ様なデザイン。
どこかで見たことがある様な気がして、水蓮は記憶をたどった。
「アオザイ…だったかな」
以前ネットで見たことがあったなと思い出す。
白い生地に薄い紅色の花の刺繍が施されており、裾がひらりと揺れ広がるものの軽くて動きやすかった。
黒く戻った水蓮の髪の色が良く映え、何より…
「かわいい…」
こちらに来てからそういう物とほぼ無縁だったためか、少しうれしくなる。
イタチはハヤセの服を借りたらしく、スーツのような服だった。
細身のデザイン。グレーの生地に白とオレンジの糸で刺繍が施されていて、シンプルだが上品な貴族服のようであった。
「イタチ、スゴイにあってる…」
見慣れない姿だが整った顔立ちによく似合い、違和感がなくイタチの美しさが際立っていた。
「なんだか落ち着かないがな…」
イタチは苦い笑いを浮かべて、次に水蓮の姿に顔をほころばせた。
「お前もよく似合ってる…。その…きれいだ」
「……っ」
水蓮の顔が一瞬で赤く染まり、イタチも気恥ずかしそうに顔をそむけた。
二人の間に落ちた沈黙。
サヨリとタギツの呆れた声がそれを打ち消した。
「オイお前ら」
「いちゃついてないで早くしろよ」
水蓮とイタチははじかれたように顔を上げ、気まずく笑った。
「ごめん…」
「すまん…」
一同はこちらへ来た時とは反対側にある建物へと向かった。
中は何の仕切りもない広い空間で、中央に円柱型の柱が立っている。
1メートルほどのその柱の上には丸い石が乗っており、サヨリとタギツがそこに手を重ねて置いた。
「ハヤセ、留守を頼んだぞ」
タギツの言葉にハヤセがうなづきかなりの距離を取って離れた。
「行くぞ」
「最後のかけらのもとへ」
サヨリとタギツが神妙な面持ちでそう告げた。
二人はうなづき返し、無意識のうちに手をつなぎ合わせた。
…これですべてが揃う…
そして終わりへと近づく…
互いの手にギュッと力が込められた。
その瞬間。
サヨリとタギツの体から光が放たれ、足元にすさまじい速さで術式が広がった。
音もなく、4人の姿がその場から消えた。