乱世を駆ける男   作:黄粋

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番外之四_受け継がれる物

 俺は今、長江の一望できる高台にいた。

 武官としての、ましてや隊としての行動ではない。

 しごく個人的な用事で、何よりお忍びだから部下たちはいない。

 

 用事の内容は墓参り。

 と言っても目的の人物の墓があるわけじゃない。

 

 長江で戦い、そして死んでいった『錦帆賊』とその頭領である『鈴の甘寧』であり俺の友である深桜。

 俺は彼らの事を忘れない為に、かつて戦場になった場所を見下ろせる高台に訪れては花を手向けている。

 

 墓石が置かれているわけでもないその場所に花束を置く。

 長江近辺は強烈な突風が吹く場所が多い。

 この花もそう時を待たずに風に煽られて散ってしまうだろう。

 

 俺は忙しくなければ一年に一度はここに足を運んでいる。

 俺以外にも時期はバラバラだが、孫家に仕えている元錦帆賊の者たちは暇を作ってここを訪れていると聞いていた。

 

 朝廷への反逆者、罪人とされている錦帆賊。

 そんな立場の彼らの死を追悼する行為は決して褒められた物じゃない。

 これが余所の諸侯に露見すれば、俺の身ならず孫家の皆まで反逆の意志ありと見做される可能性すらある。

 そうでなくとも今や孫呉にその人ありなどと言われるようになった俺が一人で行動している事を知られれば、暗殺を狙われる可能性もあった。

 

 そんな危うい行動を皆は黙認してくれていた。

 だから俺は迷惑をかけないように同じ時期にここには来ないようにしているし、『凌操刀厘は変わらず城で仕事をしている』というように工作する事を欠かさない。

 

 毎回、そうまでしなければ友人たちの死を悼む事すら出来ないやるせなさを抱えながら、忙しい政務の合間を縫って俺はここにいる。

 

 錦帆賊の汚名を晴らす事が出来ないかと考えた事は数え切れない。

 しかしそれは朝廷によって課せられた罪状が過ちであったと突きつけるものであり、宦官どもは当然として諸侯も認めはしないだろう。

 帝もまた自らの名で出された勅に誤りがあった事を認める事はおそらくない。

 俺たちは彼らの汚名を晴らすどころか、朝廷に弓引く者として同列の逆賊として扱われるだろう。

 まして錦帆賊討伐の功労者として俺たちは名を挙げている。

 錦帆賊の真実を触れ回ったとしても、錦帆賊との癒着を疑われるだけだ。

 まぁ友好を結んでいたから癒着というのはあながち間違いではないかもしれないが。

 

 俺たちは彼らの命はおろかその名誉すら踏みつけて生きている。

 覚悟を持ってそれを為したんだ。

 後悔はしていない。

 だがどうしても考えてしまう時がある。

 

 俺にとってこの墓参りは自分の罪を見つめ直す為の儀式でもあった。

 

 

 

「駆狼様」

 

 俺は珍しく時期が合った為に護衛という名目で同行している思春に視線を向けた。

 いつもは凜とした切れのある声も、この場所では張りが無いように思える。

 

「思春」

 

 俺と場所を入れ替わると、彼女もまた持ってきた物を花束の横にそっと置いた。

 それは小さな鈴。

 風に煽られて揺れるソレは小さいながらもチリンチリンと鳴っている。

 

「父よ。貴方が亡くなられてから数年が経ちました……」

 

 墓石もない、高台から長江を見下ろす形で思春の独白は続く。

 

「貴方から教わった事は我らの中で生き続けています。これからもずっとです。どうかこの偉大なる長江にて我らの事を見守っていてください」

 

 呟かれる彼女の祈りの言葉を聞きながら俺も心中で深桜に語りかける。

 

「(……また忙しくなりそうだ。次はいつ来られるか分からない。だが必ず生きてまたここに来る。そして思春は絶対に死なせないと改めて約束する)」

 

 あいつが安心して見ていられるように誓いを新たにする。

 しばらく俺たちは黙ってその場に立っていた。

 

 ふと風が吹く。

 それは手を顔にかざしてしまう程の突風だった。

 

「「っ!?」」

 

 俺も思春も腕で顔を庇い、ほんの数瞬だけ視界を遮ってしまう。

 風に揺られて思春が置いた鈴が鳴り、花が散らされていく音が聞こえる。

 

『爺婆になるまでこっちに来るんじゃねぇぞ』

 

 音に交じってあの男の声が聞こえた気がした。

 

「父っ!」

「深桜っ!」

 

 俺たちは顔を覆っていた手を引き剥がして叫ぶ。

 そして開けた視界に飛び込んできたのは、花と鈴が置かれていたはずの場所に突き立てられた一本の刀剣だった。

 

「これは……深桜が使っていた」

「父の鈴音(りんね)、です」

 

 錦帆賊壊滅の後、深桜の遺体は船と共に長江に沈んでいる。

 もちろんあいつの愛刀も一緒に、だ。

 ここにあるはずもない。

 長江に沈んでから何年も経っているはずの刀身がまるで万全の手入れがされているかのように光り輝くはずもないというのに。

 

 俺たちが目を離した十秒にも満たない時間で、音もなくこれをこの場所に突き立てた何者かがいるというのか?

 物理的にあり得ないだろう。

 

 だが現実として鈴音は確かな存在感を持って今ここにある。

 

「思春、俺にはあいつの声が聞こえた」

「私にも聞こえました。爺婆になるまでこちらには来るな、と」

「お前にも聞こえていたなら幻聴じゃ無さそうだな」

 

 刀剣から目を離さずに思春と会話をする。

 超常現象と言っていいだろう出来事を前にしても俺は不思議と平静を保つことが出来ていた。

 

 それは生まれ変わりという特大の超常現象を体験しているからか。

 それとも深桜なら、あの親馬鹿ならこんな事もやりかねないと信じているからか。

 

「思春、あいつからの贈り物だ。受け取ってやれ」

「……はい」

 

 思春はごくりと唾を飲み込み、緊張した面持ちで突き立てられた刀剣の柄を逆手に握り込む。

 

「……ふんっ!」

 

 大きく深呼吸をすると彼女は力を込めた。

 半ば深くまで地面に突き刺さっていたそれは驚くほど軽く地面から引き抜かれ、傍目から見てもまるで思春のために誂えられたかのようにその手に収まる。

 その手にある感触を確かめるようにその場で彼女は素振りをする。

 刃が風を切る音は鋭く、振るう思春の瞳からは滴が零れた。

 

「父……」

 

 素振りをやめた彼女は鈴音の柄を自身の額にそっと押し当てて瞳をきつく閉じる。

 次から次へと溢れる涙を堪えるように瞼が震えていた。

 

「鈴音、確かに受け取りました。私はこれと共にこれからの戦を必ず乗り越えて見せましょう」

 

 震える声の宣誓に対して風が一層強く吹く。

 それはまるであいつの返事のように。

 娘の背中を押すように。

 俺の弱さを叱咤し、励ますように。

 

 強く強く風が吹き続けた。

 

 


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