乱世を駆ける男   作:黄粋

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第七十七話

 孫家当主の交代。

 これは建業を中心とした楊州に少なくない影響を及ぼした。

 

 孫文台を恐れ息を潜めていたならず者たちがこれをチャンスと見て領内で暴れる、孫文台に付き従っていた者が孫伯符に従う事を良しとせずに傘下から離脱する、など世代交代にありがちな混乱だ。

 

 まぁだからこそ予想出来た事でもある。

 うちの知恵者たちがいつ世代交代が起こってもいいように備えていた為、混乱その物は早期に収束されていた。

 水面に投げ入れられるはずだった石が砂粒になってしまえば波紋などほとんど発たない。

 それくらいこの件の混乱はあっさり片付いた。

 他領土から見れば隙とも言えないほどだろう。

 

 とはいえ耳が早い者たちは行動を起こしてもいる。

 

 まずは縁たち西平。

 世代交代を祝う書状が届けられた。

 縁の当主としての書状の他、翠から雪蓮嬢個人へ向けた物。

 そして蒲公英から俺宛に送られた近況報告のような物。

 

 届けてくれたのは鉄心殿率いる精鋭騎馬隊。

 足の速さを優先したのか隊員の数は五十と非常に少ない。

 しかし馬を含めて選りすぐりの者たちのようで、大々的に当主交代についての情報を流してから、わずか二週間足らずで彼らは建業へとやってきた。

 『どこよりも早く同盟者の世代交代を祝いたかった』とは鉄心殿に聞いた縁の言葉だ。

 その言葉自体はこちらとしても嬉しいものなのだが、ここまで相当の強行軍だったにもかかわらずまだまだ余力を残している様子の精兵たちの存在は頼もしくもあり驚異的でもあると俺たちには映った。

 

 やはり馬術に関しては未だ歴然とした差があると再認識し、俺たちはさらなる軍備の強化を誓う。

 実際の所、だいぶ形にはなってきたが孫策軍全体の騎馬隊はまだまだ規模が小さい。

 軍馬の買い付けや育成、それにかかる費用の捻出とやることは多い上に人が乗った上で戦う事が出来るようにするまでの道程の長さと言ったら。

 ようやく百騎の隊として成立したのは同盟が結ばれてから三年後の事だ。

 

 これでも西平の協力を受けたからかなり早い方というのだから、俺たちにとってこの同盟がどれだけプラスになったかがわかるというものだろう。

 零から始めていたら一体どれほどの時間がかかっていたのか。

 あるいは途中で諦めて騎馬隊の質を落としていたかもしれない。

 

 あちらの食糧事情も提供したサツマイモがしっかり根付いたお蔭で改善したらしい。

 こちらに戻ってきた蒋欽たちはあちらで揉まれてきたお蔭で、今の建業において慎に次ぐ卓越した馬術を身につけてくれた。

 彼らが身につけた馬術のノウハウは確実に建業に広まっている。

 

 馬の数が足りないために全員が馬を扱う事は出来ないが、馬術に秀でた人材が増えれば誰かにだけ役目が集中する事を防げる。

 ローテーション出来るというのはそれだけでも負担を分散させるという利点が生まれるのだ。

 ありがたいことにうちには誰かに任せきりの状況を良しとするような者はいない。

 誰もが精力的に技術を習得すべく日々励んでいる。

 

 

 話が逸れた。

 西平以外にも周辺諸国からも文は届いている。

 内容は孫家当主交代の祝辞という名の慇懃無礼な脅しだったが。

 

 要約すれば『成り上がりの若輩者は由緒あるこちらに従うべき』とそんな内容だ。

 今までちょっかいを出しては悉く返り討ちにされてきたというのに、こんな大口を叩けるのだから大層分厚い面の皮をお持ちの方々だ。

 示し合わせたかのように全ての書状が同じような文面で、こちらとしても失笑する事しか出来ない。

 

 それらすべて冥琳や美命が懇切丁寧に返答をしている。

 そう返答と共に懇切丁寧にそれぞれの城や城主の屋敷の間取り、暗殺を狙いやすい場所に×印を付けた書簡と領地でやっている政策の駄目だしを添えて。

 

 意味は『貴方方の事はお見通しですので口の利き方にはお気をつけを。いつでも殺せますからね。あと政策の穴、多いですよ』とそういう事だ。

 これまた慇懃に返したものだから読んだ連中は血管に青筋浮かべて怒るか、何もかも把握されている事に青ざめるかのどちらかだろう。

 

 ちなみにこんな事をする前に朝廷に関してはきっちり根回しをしているため、奴らが朝廷に密告して俺たちの処罰を願い出た所で握り潰されるだけだ。

 なにせ内心はともかくとして俺たちは十常侍が牛耳る都に対して極めて従順な態度を取っているのだから。

 賄賂の質も他とは比べ物にならない。

 仮にあちらが賄賂を送り、こちらの足元を見てさらなる賄賂を要求されたところで対処出来る自信がある。

 人的資源を要求されたら突っぱねる予定だが、今のところそれだけは行われていない。

 

 俺たちは、それを朝廷内に僅かにいる十常侍反対の派閥を警戒して外から人が入ることを避けていると見ている。

 下手をすれば自分たちの懐に政敵を招き寄せる事になるのだ。

 病的なまでの慎重さで中央の人材を管理する十常侍は、やはり腐っても国を担う者たちと言う事なのだろう。

 

 中央内部の情勢についてはまだまだ未確定な部分が多い。

 あの子がどこにいて無事なのかどうかも掴めていない。

 明命や思春率いる密偵部隊は頑張ってくれているが、都の中心の情報収集は中々に厳しいのが実状だ。

 

 曲阿との行き来も含めてあの子たちにはかなり負担をかけてしまっている。

 もう少し密偵に割ける人員を増やせればいいんだが専門職故になかなか適正者が見つからず、加えて鍛え方も特殊とくれば自然と人員は絞られてしまって結局は少数精鋭にせざるを得ない。

 焦っても仕方がない。

 少しずつ鍛え上げて増やしていく他ないのだ。

 

 

 個人的に驚いたのは『曹操』から祝辞が届いた事だろう。

 領主同士の面識がないにも関わらず、丁寧に綴られた言葉には他の領主にはなかった新たな当主への敬意が確かに感じ取れた。

 しかし同時にいつかどこかで出会う未来を見越した挑発とも取れる言い回しが見られ、これ書状があちらからの祝辞であると共に敵と見做した者への牽制なのだと察する事が出来た。

 

「早く会ってみたいわね。それが戦場で相対してなのか肩を並べてなのかはわからないけど」

「曹孟徳、油断出来る相手ではありませんね」

 

 雪蓮嬢は書状を眺めながら不敵な表情で笑っていた。

 虚勢と侮りに満ちた書状をあらかた打ち捨てた後であったからか、雪蓮嬢はまるで宝物でも見つけたかのような喜びようだ。

 

 逆に冥琳嬢は厳しい視線を書状の先にいる彼女に向けていた。

 建業、曲阿同様、彼女の治政が領地を豊かにしている事を知っている。

 今後の仮想敵としての曹孟徳を警戒しているのだろう。

 

 

 さて建業で当主交代によりドタバタが起きている頃。

 曲阿は蓮華嬢を中心に粛々とまとめ上げられつつあった。

 

 古参の兵たちが交代で派遣されているとはいえ、そのどっしりと地面に根を下ろした治政は確実に領土を栄えさせている。

 革新的な政策こそないものの堅実。

 いつだったか蘭雪様や雪蓮嬢が言っていた。

 

「蓮華は治める事に向いている。攻め入る事に向いている私や雪蓮とは違う」

「領土を広めるのは私、治めるのは蓮華。あの子があの子らしくあるとわかっているから私は無茶無謀が出来るのよ」

 

 二人はあの子の才覚を見抜いていたのだ。

 だからこそ自分たちの真似ではなく、『自分らしい為政者』となる事を彼女に求めた。

 

 為政者の在り方について、そして自分の性質についてあまりにも長女や母と違う事で悩んでいた蓮華嬢。

 しかし実際に領地を一つ任され、色々と試す事でその性質の方向性を自覚出来たのだろう。

 まだまだ荒削りな所は多いが、彼女は彼女らしく頭角を表し始めている。

 

 彼女らの方で独自に人材収集もしているらしく、見込みのありそうな者を自ら召し上げたという話も聞いている。

 陸遜こと穏(のん)の配下という事で文官の仕事を学んでいる彼女の名は『呂蒙(りょもう)』と言う。

 非常に勉強熱心な子で思春や明命との仲も良好との事だ。

 

 今度、曲阿へ行く事があれば会ってみたい。

 俺が知るあの呂蒙とどう違うのか楽しみだ。

 

 

 治める事は蓮華嬢の方が向いていると言い切った雪蓮嬢だが、だからと言って己の領土の治政に力を抜くということはもちろん無い。

 幼い頃から共にいる冥琳と二人三脚で政治に励んでいる。

 ちくちくとみみっちい攻撃をしてくる他領土に対して、攻撃的なところが彼女らしいと言えるだろう。

 

 方向性がまるで違うが実に頼もしく、仕える甲斐のある『主たち』である。

 

 

 

 その時は訪れた。

 虫の大量発生による飢饉、作物の凶作。

 あらかじめ備えていた建業や曲阿ですらも、これらの対応にはとてつもない労力を割いた。

 それでも被害は他とは比べ物にならないほど少ない。

 

 内政により力を入れ、外からの侵入者を警戒して過ごす一年。

 最も厄介だったのは作物への甚大な被害と領主からの搾取に耐えられずに流民となった民だった。

 少なくとも揚州近隣の流民は、そのほとんどがうちに流れてきたと見て良い。

 それらの受け入れこそがここ数年で一番の大仕事だったと言い切れる。

 それほどに数えるのも馬鹿らしいほどの数の疲弊した民の受け入れは大変だったのだ。

 

 これを乗り越えられた事実は俺たち建業、曲阿にとって確固たる自信に繋がるだろう。

 なにせ他領は乗り越える以前に対応する事にすら四苦八苦しているのだから。

 

 

 そしてそんな民の悲鳴にすら気付かず何も変わらず民への要求だけを繰り返す者たちに民の怒りが爆発する事になる。

 黄色い布を身体に身につけた集団による漢王朝への一斉蜂起。

 後の世で黄巾の乱と呼ばれ、時代の移り変わりの切っ掛けとなったと言われる出来事。

 

 俺たちは望む望まざるに関わらず、これからの激動の時代を駆け抜ける事になる。

 




次回投稿は最低でも5月になります。
私事で忙しいというのもあるのですが、キャラ設定と各話タイトルに副題を付ける為です。
話数だけだとその話がどんな話だったか分かりづらいと今更ながら思いまして。

ですので最新話の投稿はしばらくお待ちください。

それではまた。

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