森から連れ出してきた少女の姿は、待機していた面々から驚きの声をもって迎えられた。
思った以上に幼い野人の正体とそんな少女を平然と連れてくる俺に、という意味で二重に驚かれたのはまぁ当然の流れだろう。
俺たちは簡易的な野営地にて今後の方針を話し合っていた。
話し合いの話題がまずこの子の処遇になったのは言うまでもない事だ。
とりあえず被害にあった村には野人は捕縛したとだけ伝え、人相には触れないようにしよう。
「その子が事の犯人なのはわかったし、予想できるこの子の事情もわかったけど。……どうするつもりなの、駆狼?」
背中にひっついて離れなくなった野人少女が雪蓮嬢の言葉にびくりと震える。
どうやら言葉の意味こそわからないまでも自分について何か言われている事を察する事は出来ているようだ。
「この子は俺が預かる。最終的な判断はもちろんこの子自身の問題だが、今はまだ自己の進退をどうこうするだけの知識がない。それまでは俺が面倒を見よう」
幸いにも蓄えは充分にある。
私財の多くは新しい作物の栽培やら、流れてきた民への吹き出しの一部に使っているが、それを差し引いても家族が生活しても余る程度の余裕が我が家にはあった。
少女が一人増えたところで何の問題はない。
陽菜や祭が反対する事もないとわかっている。
決して安請け合いするというわけではない。
「善悪の概念が何もない、ただ生きる事だけに執着せざるを得なかったこの子を罪人と裁く事は俺には出来ない」
困惑した様子で俺と少女を見つめ続けていた雪蓮嬢と部下たちを前に俺ははっきりと告げた。
「とはいえ俺が預かることが出来るかどうかは上の判断を仰がなければならない。よって今俺が話したのはこの遠征の間の処遇となる。そしてこの事は正式な報告として上げて建業側の沙汰を待つ。筆と竹簡を持て」
俺の指示を受け何人かが荷馬車へ駆けだしていく。
その間も少女は俺にしがみついて微動だにしない。
「それと董襲は村へ『野人は捕縛、しかしその処遇は建業の法にて決定する』と報告してきてくれ」
「了解です!」
少女と俺とを見比べ、心得たとばかりに笑うと弧円は何人かの部下を伴って村へと向かった。
「建業の沙汰を待つって言うけど、貴方の中じゃその子を引き取るのってもう決定事項でしょ?」
呆れたように、どこか引きつった笑みを浮かべながら言う雪蓮嬢に俺はずり落ちそうになっている少女を背負い直しながら言う。
「建業の領内で生活に困っている流民を保護しただけだ。何も問題は無い」
「その子が浮浪者を装った間者の可能性は?」
雪蓮嬢の問い詰めるような言葉に、黙って俺の後ろに控えていた思春が身じろぎをした。
いやただでさえ強かったこの野人少女への警戒心を強めたのだ。
何かあれば即座に斬り捨てるという殺気が抑えきれていない。
「確実に無いとは言えないだろう。万に一つという物はどういう事柄にもありえるものだからな」
「なっ! 駆狼様、それならば今すぐその女を背から下ろしてください。そして厳重な隔離の上での監視を!」
間者ではないと言い切らなかった俺に、思春はいつでも抜けるよう刀に手をかけた状態で俺に言い募る。
しかし俺は彼女の進言を首を横に振って不要だと否定した。
「思春、保護するべき民一人が間者の可能性があるというだけで過度の警戒を行い、本来兵士がするべき職務に尻込みするような事はあってはならない。そして何より……俺は自分の直感とこの子自身、そして俺の部下たちならばどのような状況になっても乗り越えられると信じている。だからたとえこの子が間者だったとしても問題は無い」
どれだけ論理的に言葉を交わそうと思春は俺を守るためなら反論を続けるだろう。
しかし同時に忠誠心の塊と化しているこの子は、俺からの全幅の信頼に弱い。
加えてこの子が万に一つ間者だった場合は対処すると言外に示した。
この子の性格上、俺がそこまで言えばこれ以上追求は出来なくなるはずだ。
「ぅっ、……承知しました。何かあったら私が必ず駆狼様をお守りいたします」
やや赤くなりながらうめくように、しかし何かあれば自分がなんとかするという確固たる決意で俺の方針を受け入れる思春に狡い大人ですまないと心中で謝罪する。
「ではさっそくで悪いが軽くこの子を洗ってやりたい。野営地に戻り今日はそこで休息とする。伝令を頼む」
「はっ! ご指示、迅速に伝えて回ります!」
敬礼をすると思春は一足跳びで宋謙殿や賀斉に指示を伝えに行った。
俺と思春がそんなやり取りをしている間、話の発端であった雪蓮嬢はというと。
「ねぇねぇ、名前もわからないの?」
背中の野人少女に絡んでいた。
先ほど間者の可能性を口にしておきながらこの子は俺の結論を聞いて早々に気分を切り替えてしまったらしい。
「う……」
背中側から回っている少女の手に力が籠もる。
しかし怯えているというより邪気の無い問いかけに困惑しているように見える。
人との関わりがあまりに少なかった弊害なんだろうな。
俺は指示に従って動く皆に遅れぬよう歩き出しながら、雪蓮嬢を諫める。
「雪蓮嬢。この子はそもそも『名前がなんなのか』すらわからないんだ。言葉での受け答えもほとんど出来ないと言っていい。そういう事から教えていかなければならない」
言ってしまえば身体が大きな赤ん坊なのだ、この子は。
とはいえこの年になるまで碌に他者と関わる事無く生きてくる事が出来たその身体能力は脅威であり、同時に今まで制御してこなかった力故に危険でもある。
人並みに何かを教えて込むにはおそらく年単位で長い時間が必要だろう。
「身体だけ大きくなった赤ん坊って事か。この子を見てると自分の生まれがどれだけ恵まれているかって言うのがわかるわね」
雪蓮嬢は俺と同じ結論に至ると悲しそうに眉を下げ、少女を怯えさせないように頭を優しく撫でる。
長年、そのままにされてきた身体の汚れが雪蓮嬢の手を汚すがそれを気にするような素振りはない。
「こういう事、なくなるようにしたいわね。出来れば私が領主のうちに、私で駄目だったらせめて蓮華の代のうちに」
以前から考えていた決意が、少女の境遇を知ることによって漏れ出たらしい。
撫でる手と逆の手は力強く握り締められ、その言葉には蘭雪様に勝るとも劣らぬ圧力を感じさせた。
「そう思うなら日々の政務にも力を入れてくれ」
「ちょっとぉ……なんで真面目なところで茶化すのよぉ」
不満そうに頬を膨らませながら文句を言う雪蓮嬢に明確な回答は返さずに、俺はただ優しく笑った。
あの後、この村での顛末とここまでは順調であるという旨を書いた竹簡を伝令に任せ建業へと走らせた。
建業から出てさほど時間は経っていなかった事もあり、伝令は2日と経たずに戻ってきた。
返信として持ってこられた竹簡の内容は簡潔なものだ。
『そのまま任務を続行せよ』だ。
さらにあの子についても書かれていた。
まぁ内容は『俺の裁量で任せるが元々の軍務である賊討伐に支障がないようにせよ』なんて『俺に全て任せる』という意味を固い表現にしただけなんだが。
「……うーっ」
そして渦中の少女はというと。
野営地の片付けを行う俺の服の裾を強く握って俺から離れようとしないひっつき虫と化していた。
その姿は発見当時に比べてずいぶんと綺麗になっている。
伝令が戻るまでの間、部隊は休息を取っていたのだが、そこでこの子は麟や弧円たち女性の隊員たちに身体をしっかり洗われ遠征部隊として出来る範囲で身なりを整えられていた。
少女は最初の垢落としの時こそ暴れたものの優しい手つきで洗われているうちにおとなしくなったと麟は言っている。
お陰で身体の垢や髪の汚れは完全に取れ、身体に纏わり付いていた匂いもある程度マシになっている。
身なりを整えてわかった事だが、彼女の褐色の肌と瞳が赤いのは元からだったようだ。
豪人殿が言うには瞳が赤いという特徴は大陸の外によく見られる特徴らしく彼女はそちらから流れてきた可能性があるとの事だ。
彼女の出身がどこであるかについて俺はそこまで気にしていない。
だが今後は大陸の外の民がこの子のように流れてくるかもしれないという情報は報告しておく必要があるだろう。
陣を解体する様子を監督しながら歩く。
まるで兎のような瞳が今も後ろから俺をじっと見つめているのがわかった。
「隊長、宋謙隊、撤収準備出来ました!」
「同じく賀斉隊、撤収準備完了です!」
「董襲隊、万全です」
それぞれの隊から報告を受け取る。
俺が誰かに声をかけられる度にあの子はそのやり取りを飽きる事もなく見つめていた。
「駆狼様、隊列整いました!」
最後に全体を確認した思春の報告を受け取り、俺は目の前に整列した隊員を見回す。
「良し。では野人騒動は彼女の保護を持って解決。これより我らは賊討伐の遠征を再開する。今回は僅かな被害で解決出来たが次もこうなるとは限らん。気を引き締めて事に当たれ!!!」
「「「「「はっ!」」」」」
俺の激に一糸乱れず唱和する返答。
俺は全体を一度見回し、頷くと号令を発した。
「出発!」
こうして俺たちは少女の保護と村の貴重な資源の確保という結果を持って遠征最初の数日間を終えた。
一方その頃。
「もうすぐ建業かぁ。おじさまにおばさま、思春に玖龍君。元気にしてるかなぁ」
物思いに耽りながらもその手綱捌きに乱れはない。
ポニーテールを揺らしながら馬を走らせる少女に、前を言っていた少女から注意が飛ぶ。
「こら、蒲公英! あたしたちは遊びに行くわけじゃないんだぞ!」
「わかってるよ、お姉様! でもお姉様だっておじさまたちに会うの楽しみにしてるでしょ!」
「うっ、いやそれは……そうだけどさ」
負けまいと言い返す少女と似た出で立ちの少女は妹分の反撃に図星を付かれ言葉を濁した。
「二人とも、浮き足立つな」
「わ、悪い。鉄心」
「ご、ごめんなさい。心さん」
静かに、しかしなぜか良く通る低い声に諭されると二人はまるで借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「我々の仕事は百頭の馬と馬術の技術提供を行う調教師の護衛。そしてあちらの者たちの見極め。必要以上に気を張る必要はないが大きな失敗などして涼州馬氏の名を貶める事のないように」
少女二人が神妙な顔で頷くのを確認し、鉄心と呼ばれた男は進行方向を真っ直ぐに見つめる。
「(ここの酒を土産に買ってこいと言われたが、果たしてあの二人の舌を満足させられるような酒があるだろうか? 折を見て駆狼殿に相談するとしよう)」
鉄面皮の裏で彼もまた浮き足立っていたという事実に少女たちはおろか誰も気付いていなかった。
「ここが建業。今この大陸で一、二を争う発展と安寧を兼ね備えた土地、ですか(そしてもしかしたらあの子の手がかりを持っている人が……あの凌刀厘が仕官している場所)」
癖なのか眼鏡の縁を指で撫でながら呟くかっちりとした服装の茶色がかった黒髪の少女。
「噂でしか聞いていなかった故、実際はどれほどの物かと思ってはいたが。なるほど噂に違わぬとは正にこの事か」
少女の身の丈ほどの長さの槍を携え、動きやすさを重視したが故に男の目を引いてしまうような服を着た灰色がかった青色の髪の少女。
「確かに凄いものですねぇ~。かの曹操さんすらも政策を参考にしているという噂を聞きましたが~~。この街の様子を見れば信憑性が出るというものです~」
頭に妙な人形を乗せ、妙に長い裾の服を着たウェーブの入った金髪の少女。
三人はいずれも目を引くような美少女である事から視線を集め、しかし本人たちはいつもの事と気にする事なく城下へと足を踏み入れていった。
騒動の種は着々と建業に集まりつつあった。