乱世を駆ける男   作:黄粋

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今年最後の投稿になります。
今年も『乱世を駆ける男』の閲覧ありがとうございました。
来年も私の作品をどうぞよろしくお願いします。



第六十話

 部隊の面々と同行する雪蓮嬢を交えて調練をする毎日。

 一時解散していた部隊の連携における呼吸合わせを目的としたこれは問題なく進んでいると言って良いだろう。

 遠征に関して気になるところは今のところ無いと見ていい。

 気になる点があるとすれば、それはもっと別のところだ。

 

「塁。調子はどうだ?」

 

 ここは以前、祭と陽菜が世話になった妊婦用にと用意された部屋。

 陽菜や俺の要望により他の部屋と比べて格段に清潔な状態を維持されており、この時代で可能な限り出産に適した環境が整えられていると言える場所だ。

 

「ああ、駆狼。おかえりなさい」

 

 寝台の上で上半身だけ起こす彼女はひどくやつれていた。

 寝台の脇には世話役の侍女が二人控え、俺に頭を下げると気を利かせて席を外していく。

 その気遣いに礼の意味を込めて目礼し、侍女が座っていた椅子に腰掛ける。

 

 こいつは今、激の子供を妊娠している。

 それだけならただただ喜ばしい事で、陽菜たちの時の実績を元にしてより安全な出産を行う準備を整えるだけの話だっただろう。

 だがこいつは少々、厄介な症状に見舞われていた。

 

「久しぶり。ごめんね、出迎えにも行けなくてさ」

「気にするな。それよりお前が思ったよりも元気そうで良かったよ」

 

 本当にそう思う。

 個人差があることは知っていたが、頑丈さは折り紙付きだと思っていたこいつがここまで酷い事になるなんて思いもしなかったのだから。

 

「と言ってもまだまだ先は長いんだけどね。祭も陽菜様もそこまでじゃなかったって言ってたから油断してたわ。まさかこんなにも『悪阻(おそ)』がひどいなんて」

 

 そう塁は妊娠した人間が大なり小なり見舞われる『悪阻』または『つわり』と呼ばれる症状に苦しんでいた。

 妊娠初期から体調が激変し、武官としての仕事は出来なくなり、用を足すにも人の手が必要なほどだ。

 なまじ問題なく出産までの十月十日を終えた陽菜と祭を見ていた為に、今の状態に陥った彼女の取り乱し方は酷い物だった。

 旦那である激が必死に励まし、諫め、抱きしめ、傍に居続け、加えて陽菜や蘭雪様、美命を初めとした建業の皆の協力による出産に対する体制構築によってようやく落ち着かせる事が出来たのだ。

 

 正直なところ、賊討伐に出ている激は出来ることなら出産まで塁に付いていたいと思っているだろう。

 しかし建業を取り巻く状況がそれを許してくれない。

 ただでさえ賊討伐と曲阿の平定で人手が足りない状況で、塁自身が妊娠の悪阻で武官として働けなくなった。

 この上、激までが動けなくなるわけにはいかないのだ。

 

 塁はもちろん傍にいない激の気持ちを理解している。

 最愛の人が傍にいない事での心細さはもちろんあるだろう。

 だが彼女もまた建業に仕える武官だ。

 そんな弱音を軽々しく口にする事はない。

 しかし滲み出る気持ちというのは少し勘が良い人間ならば察することが出来てしまうもの。

 塁と近しい人間は、ほぼ全員が彼女の心細さを察し、激の変わりとまでは言わなくとも心の支えになろうとしていた。

 

「症状には個人差があるからな。ともかく安静にな? もうお前一人の身体じゃないんだ」

 

 もちろん俺もこいつらの力になりたいと思っている。

 だから面会可能になったこいつにすぐに会いに来たのだ。

 

「ええ、わかってるわよ。この子が無事に産まれるその時までどんな苦しみにも耐えてみせる」

 

 やや大きくなった自分の腹を愛おしそうに撫でながら、塁は握り拳と共に決意の言葉を告げる。

 

「あ、もちろん産んだ後は武官に復帰するつもり。だからそれまでは迷惑かけるけどお願いね」

「迷惑だなんて思っていないさ。というかまだ先は長いっていうのにもう産後の事を考えてるのか?」

「当たり前でしょ。子供を産んで、そこで終わりにするつもりなんて私には微塵もないわ」

 

 悪阻で誰よりも苦しんでいるというのに、これからも出産まで予断は許されないと言うのに。

 不安がないはずがないと言うのに、これほど前向きな考え方が出来るこいつには頭が下がる思いだ。

 

「安心した?」

 

 悪戯げに片目を閉じて笑う塁。

 こちらが気遣っている事に対する意趣返しのつもりだろう。

 心配しなくても大丈夫だという意思を示し、自分の仕事に集中しろと俺に言ったのだ。

 

「ああ、安心した。出産までには戻る。それまでしっかりな、お母さん」

 

 最後の激励を終え、俺は椅子から立ち上がって出入り口へ向かう。

 

「ええ。気をつけて。祭や陽菜様を泣かせるような事ないようにね」

 

 向けられた言葉に軽く手を振って応え、俺は部屋を出ていく。

 俺は外で控えていてくれた二人の侍女にあいつを頼むと頭を下げ、今日の調練の為に修練場へ向かった。

 

 

 

「今日こそ勝たせてもらうわよ、駆狼!!」

 

 放たれるのは攻撃後の隙を極端に少なくした突きの連撃。

 掴まれれば負けるというのは今までの負けから嫌というほど学んだ故、腕を取られない為の策なのだろう。

 実際、大振りの斬撃なんぞ手の届かないところからの攻撃をするか、よほど速く鋭くなければ、俺にとって腕を取る為の隙でしかないのだから、その判断は正しい。

 

「やれるものならやってみろ」

 

 突きの嵐から逃れるように大きく飛び退きながら、腰の棍を三本連結する。

 南海覇王より長くなった棍で放つ突きは、槍のソレと同等の射程距離を持つ。

 剣ではとても届かず、近付かせないように最小限の動作で放たれる突きは距離を詰める事を許さない。

 

 しかし果断なく放つ俺の突きを雪蓮嬢は避け、受け、こちらの隙を窺うように鋭い視線を向けてくる。

 

「ああもう、相変わらずやりにくいわね、駆狼の戦い方!」

「当然だ。自分が全力を出せる場を作ると同時に相手に全力を出させない場を作る。それが自力で勝る相手との一対一で勝つ為の唯一の方法だからな」

「悔しいけど私ってまだ貴方より弱いわよね!」

「日頃から徹底しないでいざという時に使える訳がないだろう」

「徹底してるわね、ほんと。見習い甲斐があるわ!」

「ああ、存分に見習って吸収してくれ」

 

 軽口の応酬をする間にも攻防は続く。

 

 三本連結した棍にさらに一本連結し、通常の槍を越える長さになった棍を腰溜めに構えて水平に薙ぎ払う。

 薙ぎ払いと言うのは武器を大振りに振るう攻撃であるが故に威力は大きいが、攻撃後の隙は大きくなる攻撃方法だ。

 しかし長い間合いを取って振るう事で相手が懐に入る事を防ぐことが出来る。

 さらに振るった際に生じる遠心力を利用し、棍を腰を起点に回し勢いをつけてさらに一撃。

 同じように二撃、三撃。

 相手を近づけさせず、攻撃の威力と薙ぎ払う速度は上がり続ける。

 風を切る音が大きくなり、見た目にも凶悪な威力になるそんな攻撃に対処し続けなければならない相手は、いずれ押し切られる。

 

 ちょうど今、自分が攻撃できない事に苛立ち無理矢理攻撃を弾こうとして逆に南海覇王を吹き飛ばされ痛みで痺れた腕を涙目で抑えている雪蓮嬢のように。

 

「いったぁ~~~~!!! ちょっと何よ今の! 私、何も出来なかったんだけど!」

「そういう攻撃だからな。とりあえずやられて覚えて対処法を見つけてくれ。お前たちもだ!」

 

 俺と雪蓮嬢の組み手というにはあまりに荒々しい攻防を固唾を呑んで見守っていた部下たちに、何かやっていると聞きつけて集まってきた他の部隊の兵士たちに、集まっていた全ての兵士に声をかける。

 

「俺の攻撃は俺しか使えないわけじゃない。自分で使えると思った物は盗め。やり方が知りたかったら聞け。教えられる事は教える。自分が生き残る為に、兵として民を守る為に、自分が守りたい物を守る為に強くなれ!」

 

 俺の激励への返答は唱和した歓声だった。

 

 

 

「ああ、もう。ここまで良いようにあしらわれるなんて自信無くすわよ、まったく」

 

 ぐちぐちと文句を言いながら負けた罰である素振り千回をこなす雪蓮嬢。

 型のない剣の使い方をする彼女はこういう機会でもなければ、型にはまった素振り(あくまで俺の主観での剣道の素振りの事なのでこの世界で広まっているものではない)をしようとしない。

 これも良い機会だと思い、俺が思う正道の剣というのに触れてもらっている。

 気質的に合わないのは目に見えているので、あくまでこういう型も存在すると教え込んでいるだけだ。

 単純に剣を振るう体力も付くからやって損するわけでもない。

 

 ちなみに常の彼女の訓練は実践形式で飛び跳ね、転がり、相手を倒す訓練に終始している。

 手頃な相手がいなければ目の前に強い敵がいると想定して動き回るような訓練。

 最近の仮想敵は動きから見るに俺だ。

 余談だが想像上の俺にも負け越していると言うのはその訓練を偶々見ていた蓮華嬢に教えてもらった事だ。

 

「ほんと悔しいわね」

 

 一度使った手を驚異的な勘で察知して回避する雪蓮嬢。

 建業に属する兵たちは本人の身体能力、剣の腕前、そしてこの異質な能力によってあっという間に追い抜かれていた。

 今や賀斉や宋謙殿たちを相手にしても互角かそれ以上の腕を彼女は持っている。

 だが経験と練度の差で、俺たち武将を相手にしての勝ち星はない。

 

「なら悔しさを糧に強くなれ。世の中には俺など相手にならないほど強い人間が必ずいる。俺のような絡め手を使わずに地力だけで全てを叩き潰すような豪傑がな」

 

 思い浮かべるのは三国志において最強と謳われた武人『呂布』。

 この世界の彼あるいは彼女がどれほどの力を持つのかはわからない。

 しかし今まで出会ってきた俺の知る三国志の人間は例外なく強者だった。

 性別こそ未知数だが、強い事だけはほぼ確実だろう。

 

「そんな人いるの?」

 

 素振りしながら疑わしげな視線を向けている雪蓮嬢。

 聞き耳を立てていた思春たちも信じられないとでも言いたげな雰囲気だ。

 

 そうだな、ここは一つ思い切り大袈裟に言って危機感と競争心を煽っておくか。

 

「いるさ。少なくとも俺は一人知っている。ただ単純に戦えば負けると確信出来てしまうほどの強さを持つ人間をな」

 

 まるでその光景を思い出すように目を閉じ、真剣で重苦しい口調で語る。

 

「とはいえ、仮に戦うことになっても負けるつもりはない。いや誰が相手だろうとも俺は武官としての自分の役割を果たす。……たとえ相手が呂布であろうとも」

 

 そこで目を開けると、辺りは静まり返っていた。

 何事かと訝しみながら周囲を見回すと、先ほどまで半分おちゃらけていた雪蓮嬢の表情は真剣でありながらどこか剣呑としている。 思春は言うに及ばず、いつの間にか来ていたらしい冥琳嬢や蓮華嬢までが険しい顔だ。

 

「へぇ、呂布っていうのね。駆狼に勝てないと言わしめるような相手の名前は」

 

 なにやら底冷えするような声音の雪蓮嬢は、それ以上何も言わず罰の素振りに戻っていった。

 

「隊長! 私たちはどこまでも隊長についていきます! どんな人間が相手でも、たとえどれほどの戦力差があろうとも!」

 

 勢い込んで語る賀斉の言葉に皆が同意を示し、自分たちの武器を掲げてみせる。

 

「その呂布よりも強くなってみせます! 絶対に駆狼様には手を出させません!」

 

 そう言ってくれる思春の頭を軽く撫でて礼を言っておく。

 なにやら思った以上に効果があった事に戸惑いながらも、話を区切る為に手を叩いた。

 

「この話題はここまでだ。各々の訓練に戻れ! 数日中に激たちが戻り、俺たちが遠征に出る事になる。気合いを入れて訓練に臨め!」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 この切り替えの早さは間違いなく俺譲りだな。

 唱和する返答に満足していた俺は気付かなかった。

 

 いつの間にか冥琳嬢と蓮華嬢の姿が消えていたことに。

 二人が俺より強い呂布という存在を俺が思っていた以上に強く意識し、危機感を抱いていた事に。

 二人が上申した事により蘭雪様にまで呂布の存在が知られ、大々的に呂布の調査が行われていた事を俺が知ったのは今から一ヶ月後に遠征から戻った後。

 数枚に渡る調査書を見せられた時の事だ。

 

 


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