乱世を駆ける男   作:黄粋

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第四十六話

 俺の名乗りに混乱した馬岱を落ち着け、改めてベンチに座って向かい合う。

 先ほどまでの気さくな様子が鳴りを潜めてしまい、緊張からか俺の言葉に対する返答もどこか硬くなってしまっていた。

 天真爛漫な姿を見ている俺としては、そう肩肘張って接して欲しくはないんだが。

 

「そんなに緊張するな。今の俺はただの子連れの旅人だ。西平を纏め上げた馬家の人間が畏まる人間じゃないぞ」

「え、えっと……そう言われても」

 

 困ったような顔をする馬岱。

 他領地の顔が売れた人間に粗相をしないようにという意識と、立場が明らかに上の人間からの要請に応えなければならないという意識の板ばさみになってどうしたらよいかわからないんだろう。

 まぁまだ難しいんだろうな、こういう相手の思考に合わせた臨機応変な対応という物は。

 何より俺が敵か味方か、彼女にはまだ判断できないというのが大きい。

 

「すまない。君を困らせるつもりはなかった」

「あ、あう。えっと……こちらこそごめんなさい。おじさ……えっと、刀厘様」

 

 それにしても普段、冥琳嬢や雪蓮嬢のような年齢不相応の冷静さや豪胆さを見ていると、こういう当たり前の反応がなんだか微笑ましく思えてくるな。

 

「気にしなくていい。自分たちがそちらから見れば扱いづらい立場の人間だという事は理解している」

 

 恐縮しきりの馬岱嬢に苦笑いしながら腕の中の玖龍を構うのを忘れない。

 腕の中の我が子は当然だが状況を理解できていないから、急に自分を構わなくなった馬岱を不思議そうに見つめていた。

 

「うう……」

 

 純真な赤ん坊の瞳に見つめられ、馬岱は居心地悪そうにうめき声を上げる。

 視線が右往左往して手をわきわきと忙しなく動かしていた。

 ……もしかして玖龍の頬の感触でも思い出しているのか?

 

「……」

 

 試しに彼女にも見えるように息子の頬を軽く突いてやる。

 玖龍はきゃっきゃと笑いながら俺の指を小さな手で掴んだ。

 

「っ!!」

 

 玖龍の行動の微笑ましさに声もなく悶え始める馬岱。

 おそらくこの子は子供の面倒を見た経験はないんだろう。

 まぁ自分で産まない限り、世話をする機会は早々ないだろうから仕方ないと言えば仕方ない事か。

 しかしいつまでもこの微妙な距離感を保つと言うのもな。

 

 話を打ち切ってこの場を離れてしまうと言うのも一つの手だが、せっかくの出会いだ。

 大人の汚い打算を抜きにしても、今後も続けていきたいと思える物にしたい。

 となればこちらから行くべきだな。

 

「先にも言ったが、今は非公式の場だ。ここにいるのはただの旅人で、その旅人が連れている幼子を物珍しさで可愛がる事に躊躇う必要はないだろう?」

 

 とどめとばかりに玖龍を馬岱に無理やり抱かせる。

 強引な方法だとは思うが、我慢のし過ぎは身体に毒だ。

 やりたい事は他人に迷惑がかからない範囲で楽しませるべきだろう。

 

「うわっとと!? ふわぁ……あ、ありがとう。あ、ございます」

 

 俺が出した案に彼女はしばし考え込んだ末に折れた。

 どうやら好奇心というか我が息子の愛らしさにこの子は勝てなかったらしい。

 馬岱はベンチに腰掛け、人肌の温もりでうとうとしている玖龍の頭を先ほどよりも慎重に撫でる。

 

「あう~~」

 

 馬岱が触れてくれた事が嬉しいのか、目を瞑りかけていた玖龍はぱっと笑みを浮かべて馬岱の小さな手で触り始めた。

 

「っ~~!? 可愛過ぎるよぉ~~!!」

「そこまで感動する事か?」

「だってだって! 私が物心付いた時にはこんな小さな子は周りにはいなかったんだもん!! 皆、私より年上か、年下でもそう離れてなくて!!」

 

 俺や自分の立場を考えて気を遣おうとしていた先ほどまでの姿はなんだったのか。

 すっかり名乗りあう前の態度に戻った馬岱は、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「うちって年齢がそこまで重視されない実力主義なの! だからとっても強いお姉様なんか私と三つ違うだけだけど今度一軍を任されるんだよ!! で私はいっつもお姉様のお目付け役なの!!」

 

 ブレーキなど壊れてしまったかのようなマシンガントークだ。

 なんというか今のこの子の姿が、蘭雪様の事で愚痴を零している美命を連想させる。

 既に玖龍は俺の手の中に戻しているが、そうする事で身体の制限が解けた為か語り口に大げさな身振り手振りが加わっていた。

 

 普段の生活でストレスでも溜まっているのだろうか?

 初対面で出会って少ししか経っていないというのに心配せずにはいられない。

 

 なにせ会話の内容の七割が『お姉様』と『叔母様』と彼女が呼んでいる人物への愚痴なのだから。

 俺は口を挟まず、玖龍をあやしながら話に聞き入り、タイミングよく相槌を打って彼女が話しやすくなるように努めた。

 吐き出せるだけ吐き出させておくべきだと判断しての行動なのだが、聞けば聞くほど酷い。

 

 具体的には『お姉様は猪突猛進過ぎて付いていくのが大変』だとか、『叔母様は自分たちに黙って勝手に遠乗りに行って心配をかける』だとか。

 あの馬岱がここまで親しげに話す人物なのだから、おそらくは同じく馬家の人間だと推測できる。

 名前こそ出てこない物の、少なくとも『叔母様』なる人物は会話の内容から言ってもほぼ間違いなく馬騰だろう。

 となればその娘だという『お姉様』についても幾らか候補は絞られてくる。

 史実で名前が出ている人物ならば『錦馬超(きんばちょう)』と称えられた馬超、その弟である馬休、馬鉄と言ったところだろう。

 しかし建業(うち)の君主とその娘と同等の奔放さを持つ人物が、同じような立場で存在するとは思わなかった。

 目の前で玖龍を構いながら愚痴を言い続ける馬岱とまだ見ぬ馬一族に振り回されているのだろう彼女らの部下、家族、仲間たちには心の底から同情する。

 

「うちも似たような物だ。領主が破天荒過ぎて苦労している」

「おじ様の所もそうなの!?」

「ここだけの話だぞ? とはいえ俺の場合は適度に発散しているからな。どうにかこうにかやっていけている」

 

 多方面に色々とやっているとストレス発散をする場には困らないからな。

 偶にやり過ぎてしまう事もあるが、しっかりフォローできる範囲に留められているから問題ないだろう。

 

「発散……発散かぁ。おじ様はどんな風にしてるの?」

 

 なんだか悩み相談かカウンセリングでもしている気になってくるな。

 まぁ若者の相談に乗るのは年長者の務めだ。

 ここまで来たなら今日はとことんこの子に付き合うとしよう。

 

「ふむ。たとえば無心になって身体を動かす。これがなかなか良い鬱憤発散になる。あとは本気で怒らせない程度に愚痴の対象に悪戯をする、とかな。まぁこれは相手の立場や関係によっては難しいとは思うが」

「へぇ~。建業の懐刀なんて呼ばれてる人も悪戯なんてするんだね。なんか意外」

「実力に関しては確固たる自信があるぞ。噂に見劣りするつもりもない。だが私生活でどんな事をしているか、なんて事は噂じゃ読み取れないだろう。武なんて物は所詮、その人間の一部分でしかない。それだけで性格や人間性は測れない」

「ああ、それわかる。叔母様も一騎当千の兵だなんて呼ばれてるけど、割とおっちょこちょいだし。お姉様も錦馬超なんて呼ばれてるけど政務とか頭を使う事が大の苦手だし」

 

 今更だが、内部情報駄々漏れ過ぎるぞこの子。

 俺に気を許してくれたのは嬉しいが、特定できる情報を言い過ぎだ。

 

「んっ?」

 

 ふと視界の端を見知った姿が過ぎった。

 紫色の髪をお団子にした小柄な少女と褐色肌に桃色の長髪の女性。

 間違いなく俺の待ち人たちである。

 あちらも俺たちの事に気づいたのか思春が陽菜に断りを入れてこちらに小走りで近づいてきた。

 

「凌操様。お待たせして申し訳ありません」

 

 馬岱がいるからか、思春は真名ではなく姓名で俺の名を呼ぶ。

 同年代の少女が現れた事に馬岱は愚痴を止めて目をぱちくりさせている。

 

「この子も俺も気にしていないさ。甘卓こそ孫静の護衛、ご苦労だったな」

「いえこの程度の事で苦労など」

 

 労いの言葉に首を振る思春。

 まったくこの子は生真面目過ぎるな。

 

「ふふふ、この程度だなんて謙遜よ。ばっちり私の事を守ってくれたじゃない。ありがとう、甘卓」

 

 歩み寄ってきた陽菜が思春の頭を撫でながら微笑む。

 慈しみ、労うそのゆっくりとした所作に思春は硬直して顔を真っ赤にした。

 

「そ、孫静様! わ、わたしなどにそのような事をされては!」

「もう。頑張ってくれたのだからお礼を言うのなんて当たり前でしょう? そんなに照れなくてもいいじゃない」

「こ、これは別に照れているわけでは……!」

「はいはい。もう、可愛いんだから甘卓は」

 

 陽菜と思春が戯れる様子を微笑ましく見守っていると、服の裾を引かれた。

 話に入れず、所在なさげにしていた馬岱である。

 

「おじ様。この二人が連れの人なの?」

「ああ。妻の孫幼台と家族兼護衛の甘卓だ。見たところ、甘卓はお前と年が近い。機会があれば仲良くしてやってくれ」

「えっ? そ、幼台ってまさか建業の双虎の!? えええええええっ!?」

 

 俺と陽菜とを交互に見比べながら絶叫する。

 その様子に広場にいた人間の視線が集まってしまった。

 おそらく馬岱は立場的にこの街では顔が売れているはず。

 そんな人間の絶叫だ。

 何かあったと勘繰って兵士に報告する人間も出てくるだろう。

 未だに思春を可愛がっている陽菜も含めて、この状況をなんとかしなければならないな。

 俺は騒がしい周囲の喧騒など構わず寝息を立てている我が子を起こさないよう、ベンチから重い腰を上げた。

 

 

 

 あの後。

 どうにかその場を収め、馬岱とは別れた。

 別れ際、元気一杯に手を振っていた彼女の姿は、見ているこちらも元気が出てくるような活力に満ちていた。

 愚痴を吐き出すだけ吐き出して楽になったのであれば嬉しい。

 そして今は取った宿で食事を取り、部屋でくつろいでいる。

 

「それでどうだったんだ?」

「ええ。突然の来訪をあちらは驚いていたようね。外から見ていてもかなりドタバタしていたわ」

 

 自分のベッドに玖龍を寝かせ、ぐずっている息子をあやしながら陽菜はあちらの対応について報告する。

 

「でもそうね。こちらに悪い印象を抱いている風ではなかったわね。応接室、というより待合室みたいなところに通された後、付きっ切りで給仕する人を付けてくれたし。思春ちゃんと同じぐらいの年頃の女の子だったのだけど思春ちゃんとは違う可愛らしさがあったわね」

「ひ、陽菜様。……コホン。どうやら突然、我々の相手をするよう言われてきたらしく、終始おどおどと落ち着きがありませんでした。しかしその所作は武を嗜む者、それもかなりの腕前と感じられました」

「名前は聞いていたか?」

「……馬孟起(ば・もうき)と名乗っていました」

 

 その名を聞いて俺は口元に持っていっていた水を吐き出しかけ、咽る事になった。

 思春が慌てて走り寄り、背を撫でて落ち着かせてくれる。

 

「げほ、げほ! 思春、もう大丈夫だ。……しかし大陸にも名の知れた錦馬超に新参領主の使いの給仕をさせるとは。……何と言っていいか、ずいぶんと破天荒な事をするな、あちらの領主は」

「私もその名を聞いた時は思わず同情してしまいました。武官でありながら重要人物とはいえ他所の領地の人間の給仕を押し付けられるとは、と。何故かあちらは顔を真っ赤にして涙目になっていたのですが何故でしょう?」

「それは……まぁあまり気にするな(同情が堪えたんだろうな。この子は無愛想だが、割と雰囲気で感情が読みやすいから馬超にも嫌というほど伝わったんだろう)」

「? そうですか?」

 

 馬超の顔も見ていないというのに関連するエピソードがどんどん手に入る事に、俺は奇妙な仲間意識を感じずにはいられなかった。

 『誰かに振り回される同士』というあまり増やしたくない仲間ではあるが。

 

「さて話を戻すけれど。正式な顔合わせは三日後という事になったわ。なんでも西平の首脳陣が何人か今遠征に出ているそうで、彼らが戻り次第に行う、との事よ。それまでの間、城に部屋を用意するとも言われたけど。こちらも突然やってきて部屋まで借りるのは図々しいから一先ず辞退させてもらったわ」

「そうか。なら明日、明後日は西平の中を見て回るとしよう。本来の仕事が始まるまでの休息だと思って観光気分で羽根を伸ばすとしよう(俺たちとの会合の場を準備しているあちらには申し訳ないがな)」

「ふふ、そうね。顔合わせの結果如何ではすぐにここを出て行かないといけなくなるだろうしそれくらいはしても罰は当たらないわよね」

「私はお二人にどこまでもついていきます!」

「思春、そこまで気負わなくて良い。お前も休暇だと思って楽しめばいいんだ」

 

 今後の予定を修正しながら、夜は更けていく。

 そして三日後。

 俺たちは馬騰が出した出迎えの人物の案内で、改めて西平を収める者たちが集う城へと向かう事になる。

 


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