最初の接触はあの子です。
楽しんでいただければ幸いです。
涼州の西平。
馬騰寿成(ばとう・じゅせい)が太守をしている名の通り、大陸の西に位置する領地だ。
頻繁に現れる異民族との諍いが絶えない民族戦争の最前線の一つと呼べる場所であり、そうした争いの中で鍛え上げられた勇猛果敢な涼州騎兵は文字通りの意味で一騎当千と謳われている。
なにせ他の領地に比べて実戦をする機会が多い。
その練度はただ訓練をこなしただけの兵士とは比較にならないだろう。
さらに涼州という地域は北は匈奴(きょうど)、俺が生きた時代でいうところのモンゴルがあり、加えてシルクロードが伸びている大陸東西の交易路として流れ者の商人たちがこぞって利用している。
長江にも船を利用して大陸外の商人たちがやってくるが、陸路であるこちらの方が流通の便としては上かもしれない。
つまるところこの場所と縁を持つ事が出来ればそれは建業にとってとても有益な物となるのだ。
まぁ目的地に到着した今、まず考えるのは今後の関係よりも今回の目的である軍馬育成関連のあれこれの達成だが。
「ひとまずは身なりを整えて城へ行き、面会の申し入れをしなければな」
今の世の中において、馬は一つの財産だ。
そんな物を大量に買い付けようとすれば必ず足が付く。
個々の邑で取引をするのならば役人が目くじらを立てる事も少ないだろうが、今回の件は規模の大きな取引になる。
領地の役人に気付かれずに事を済ませる事はほぼ不可能だ。
それに首尾良く馬を手に入れる事が出来たとしても、軍馬として育てる為のノウハウは建業には無い。
育成の為の人員までを求めるとなると馬の買い付けとは別の話であり、土地勘やこの土地での交渉に不慣れな自分たちでは条件を満たせる人員を探すのにすら時間がかかるだろう。
馬の買い付けと育成の人員の確保、可能ならば軍馬育成の知識収集。
これらを満たすにはどうすれば良いか。
顔が利く人間から交渉してもらうのがおそらく最も早いはずだ。
この場合の『顔が利く人間』とは馬騰以下、この西平の役人たちの事を指す。
つまり馬騰たちと顔合わせし、こちらの欲しい物を手に入れる為の交渉をするという事になる。
西平に比べれば現体制になって日が浅い建業は侮られても仕方の無い立場だ。
最悪の場合、門前払いされる可能性もある。
しかし戦力を整える為にもこの交渉は必ず成功させなければならない。
「長期滞在になるかもしれないから宿も取らないとね」
長丁場になる事も俺たちは覚悟している。
軍馬の有無は今後の建業の戦力を大きく左右するほどに大きな問題なのだから。
客引きの威勢の良い声を聞き流しながら、中央へと向かう道の端でひとまず落ち着き、俺たちは今後の予定を話し合っていた。
「まずは私が城に行くわ。流石に玖龍を連れて行くわけにはいかないから駆狼、この子と宿の方をお願いね」
「そうするか。では思春。お前には陽菜の護衛を頼む。建業の双虎の片割れを無下にするなんて事はないと思うが、無体を強いるような輩には容赦するな」
あちらは戦いが大陸東部よりもより身近にある連中だ。
荒事で慣らしているが故にそういう事に向いていないと人目でわかる陽菜では軽んじられる可能性がある。
十代の半ばというまだまだ成長の余地を残す年頃でありながら腕の立つ思春が睨みを利かせる事で陽菜への重圧を少しでも減らせれば交渉を僅かでも優位に進められる、かもしれない。
「はっ! お任せください!」
少々強気というか荒々しい激に、しかし思春は生真面目に頷いた。
心なしかいつもよりも気合が入っているように見える。
涼州に足を踏み入れてからこっち、兵士たちは大陸内部に比べて血気盛んというか粋が良いと表現するのに相応しい者が多いように思えるし、これくらい気合の入った状態の方が相手との釣り合いが取れるだろう。
思春はむやみに挑発するような子ではないしな。
「集合場所はこの先にある広場で良いな」
「ええ。くれぐれも玖龍から目を離さないようにね」
「わかってるよ。手放すつもりも、目を離すつもりもない」
「それでは駆狼様、行って参ります!」
「陽菜を頼むぞ、思春」
最小限の荷物と護身用の武器を持ち城に向かう二人を見送ると、俺は玖龍を背負い直し残った荷物を肩掛けにする。
「さて宿はどこだろうか……」
そうして街の中をぶらぶらする事しばし。
運の良い事に宿はすぐに見つかった。
まぁ取れた部屋は四人部屋が一つだけだったが、野宿で身を寄せ合う事もある俺たちにとって同部屋など今更な事だ。
「さて……どうするか」
予想外に早く宿が取れてしまい、手持ち無沙汰になってしまった。
外に出る事も考えたが、玖龍の負担を考えると休める時に意味もなくぶらぶらするのも憚られる。
陽菜と思春がどれほどかかるかわからないが、指定した広場で待ちぼうけしているというのもな。
「あう、あう~~」
寝台に寝かせていた我が子が俺を見つめて声を上げた。
「どうした、玖龍?」
傍に寄って抱き上げると玖龍は俺の服の裾を強く引っ張りながら窓を指差した。
何度も窓を示し、服を引っ張るその仕草は、まるで外に出たいと意思表示しているように見える。
「……そうか。もっと外が見たいのか、お前は」
子供ながらの我侭が俺の行動を決定した。
元々、待ちぼうけしているつもりもなかったんだ。
玖龍自身が外を見たいと言うなら親の俺はその我侭を叶えつつ、散策をするとしよう。
ついでにこの街の様子を見て、領主である馬騰の人柄や兵士たちの性質を窺わせてもらおう。
「では行くか。玖龍」
「だぁ!」
元気の良い我が子を背に、俺は取ったばかりの宿を後にした。
「まさか散策に出て数分で荒事に巻き込まれるとは思わなかった……」
「おいおい、おっさん。何をぶつぶつ言ってやがる? 弟分をこんな目に合わせやがってただじゃ済まさねぇぞ、おい」
俺の目の前にはいきり立っている推定二十歳程度の青年。
ごくごく一般的な槍を肩に担いでこちらをねめつける姿は俺の知るヤンキーや不良その物だ。
彼の後ろにはうつ伏せになって痙攣している同年か少し下ぐらいの青年。
事の経緯としては簡単だ。
俺が散策していたところ、痙攣している青年がすれ違った。
この時、青年はすれ違い様に俺から金を盗み取ろうとしていたのだが。
懐に手を入れたところを捕まえて足払い。
お仕置きも兼ねて中空で一回転させて受身を取れなくしてから地面に叩き付けてやった。
その光景に町民たちが唖然としていたところに目の前の青年が現れ、因縁をつけてきたというわけだ。
既に野次馬が出来上がり、その中からは「子連れの男の勝ちに賭けるわ」、「じゃあ俺はあの若造が勝つ方に……」、「大穴にも程があんぞ、お前」などという賭け事らしき声もしている。
厄介な事に相当目立ってしまっていた。
もう少し穏便に済ませれば良かったと今は後悔している。
今までどうにか人目に付く事を抑えてきたと言うのに、ここに来ての大失態。
どうやら俺は西平に辿り着いた事で気が緩んでいたらしい。
こうなれば見回りやらの兵がこの場に駆けつける前に片付けて逃げるしかない。
「……人の財布に手を出したそっちの青年が悪い」
「んだと、こら! てめぇ俺が誰だか知らねぇのか!!」
ずいぶん脅し文句を言う姿が板についている様子から見るに、この手の荒事には慣れていると見えるが。
正直に言ってしまえば息巻いている割に実力は大した物ではない。
うちの兵士でも一人で瞬殺出来るだろう程度だ。
よほど運が良かったんだろうな、この男は。
自分よりも強い相手とかち合う事がなかったんだから。
「知らん。誇る武もなく息巻くだけの餓鬼になんぞ興味もない」
「て、めぇ……」
怒りに染まった声を上げる男。
俺は構える事もなく、ただ男を冷めた目で見つめる。
「おっさん、あんた終わったぜ。その舐めた口今すぐ閉じさせてやる」
槍を構える。
割と堂に入っているそれを俺は意外に思ったが、やはり脅威など感じられない。
「っしゃぁ!!」
腰溜めに構えられた槍から放たれる突きは、あまりにも遅く、そして弱々しい。
本人が渾身の一撃だと確信しているその勝ち誇った表情が、この男の滑稽さに拍車をかけていた。
槍の一撃を一歩右に動いて避ける。
左脇腹のすぐ横を通り過ぎる槍の半ばを肘と膝で挟み込みへし折った。
「へっ?」
そして間抜けな顔をする男の脳天に右の拳骨を叩き落とす。
勢いそのままに男は顔面から地面に叩きつけ、ぴくりとも動かなくなった。
「ふむ……」
念の為、首筋に手を当てて脈を取る。
余りにも手応えがなかった為に、手加減しても生きているか不安になってしまった。
「……うん、問題なし」
生存確認を済ませて、俺は何が楽しいのかきゃっきゃと笑っている玖龍を後ろ手で軽く撫でてからその場を後にする。
なるべく自然な流れで、気取られないように。
「さっきの凄かったね。お姉さま!」
「ああ、思わず見惚れるくらいに無駄のない動きだったな、蒲公英!」
聞こえてきた声に妙な胸騒ぎを感じながら。
「ねぇねぇ、おじ様はどこから来たの?」
目をキラキラさせて俺に話しかけてくるのは少し薄い茶色、亜麻色が近いか? の髪をポニーテールにした小柄な少女だった。
この年の少女には不釣合いの長槍を軽々と持ち歩いている姿から、思春や雪蓮嬢たちの同類だと思われる。
あの騒ぎの後、速やかにその場を後にした俺は、真っ直ぐに待ち合わせ場所である広場に向かった。
あまりウロウロしているとまた何か厄介事が起こりそうな気がしたからだ。
そして何事もなく到着した広場で出店の類を見て時間を潰してしばらく。
不安は杞憂だったかと俺が考え始めた頃に、この子が話しかけてきた。
どうやらさっきの騒動を遠くで見ていたらしい。
俺の動きにいたく感激したとの事だ。
さっきまで姉のような人と一緒だったらしいが、その子は家の用事で呼ばれて先に帰ったのだと言う。
どうやら話す事が好きなようで、俺が聞いたわけでもないのにこの子は色々と話してくれている。
「俺は揚州から来たんだ」
「へぇ! 東の方から来たんだ。しかも揚州って中央のほぼ反対側だよね。ここまで大変だったでしょ?」
「ああ、かなりの長旅だったぞ」
どうやらこの子はそちらの州から来た人間と会った事がないようだ。
興味津々と語っていた瞳の輝きが増している。
「私って涼州から出た事がなくて、だから他の州の事って聞かされる話しか知らないんだ。良ければ教えてくれないかな?」
「そういう事か。ああ、構わないぞ。どうも待ち人が来るまでまだ時間がありそうだからな」
人懐っこいと言うか、精神的に隙だらけと言うか。
初対面であるはずの相手にずいぶんと積極的だな、この子は。
ああ、でも雪蓮嬢や小蓮嬢を見ると別に珍しくもないのかもしれない。
「え、誰か来るの? おじ様、背中の子と二人で来たわけじゃないんだ」
「ああ。この子の他に家族二人と一緒に来たんだ。今は用事で別行動中だけどな」
「あ、奥さんいるんだ。ってそりゃそうか。そんなちっちゃい子供がいるんだもんね」
おんぶ紐で背中に抱えていた玖龍を胸に抱き直し、お嬢ちゃんに見せてやる。
「うわぁ、可愛いなぁ~~。えっとちょっと触っても良い、かな?」
「いいぞ。まぁこの子が嫌がらなければだがな」
俺の許しを得て、彼女はそっと人差し指で玖龍の頬を突いた。
恐る恐ると言った手つきで頬を押された息子は、不思議そうな顔でお嬢ちゃんの顔を見つめている。
「はう……可愛い」
なにやら恍惚とした表情を浮かべる少女。
いつだったか深冬が同じような顔をしていた気がする。
「ああ、そう言えば俺たちはまだ名乗りあっていなかったな」
「……へ? あ、ああ! そう言えばそうだった!」
俺の言葉に正気を取り戻したらしいお嬢ちゃんはぱたぱたと慌てながら名乗りを上げた。
「私は馬岱(ばたい)って言うの。おじ様は?」
驚いた事に今まで親しく会話をしていた少女は、俺たちが接触しようとしていた馬氏の一族であったらしい。
それにしても馬岱か。
確か三国志演技や馬超について語られる書物に記述が残っている武将だったはずだ。
印象としては常に馬超の傍にいたという風に描かれていた気がする。
ともあれ相手が馬氏であるならば俺もしっかり名乗らなければならないだろう。
俺たちの仕事の内容を考えるとここで身分を偽れば、後々に禍根を残す事になりかねない。
「俺は凌刀厘だ。西平には仕事で来た。この子は俺と妻の子で凌統と言う。よろしくな、馬岱嬢」
「……え? 凌、刀厘? あの建業の? おじ様が……建業の懐刀? ええっ?」
ぽかんと口を開けて驚きに固まった馬岱嬢が我に返るまでの間、俺は玖龍をあやし続けていた。