乱世を駆ける男   作:黄粋

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第四十四話

 俺たちは涼州目指して旅を続ける。

 行く先々で賊に身を落とした者たちを時にねじ伏せ、時に説き伏せながら。

 

 賊の中には少数ながらもその土地で幅を利かせていた悪名高い者もいた為、それらを叩き潰している『子連れの夫婦狼(つがいおおかみ)』の噂は大陸中に広がっていた。

 

「まぁ噂が広まろうが俺たちが『噂の人物』だと気付く事が出来るわけではないんだがな」

「確かに今まで我々がやっている事を知って声をかけてくる人間はほとんどいませんでしたね」

 

 人が通い詰めていた為に自然と出来た道。

 整地などされていないが、人がその足で踏み締め続けたが故に出来た年月を感じさせるそこを歩きながら話す。

 話題は大陸に広がっている俺たちの事だ。

 

「人が見ているところで大立ち回りをしたわけではないものね」

「噂なんて知らないうちに尾ひれが付いていくからな。そんな不確かな情報から真実だけを導き出せるような人物が果たしてどれほどいるか、そしてそんな人物と遭遇する可能性のどれだけ低い事か」

 

 俺たちは正体を隠して旅をしている。

 中央から離れた場所とはいえ目立つ行動が多い建業の人間が、領土の外を旅しているだなんて知られればいらん厄介事がやってくるのは目に見えているからだ。

 好奇心や警戒心ならまだいい。

 俺たちを疎ましく思う者ならば、それこそ直接的に手を出してくる事も考えられる。

 敵は無法者だけではないのだ。

 

 とはいえ実際に俺たちがやっているのはせいぜいが名を隠し、普段のイメージとかけ離れた服を着ている程度の変装だけだ。

 写真でも出回っていればばれる程度の物だが、この妙な進化を遂げた文明の世の中であっても流石にカメラなんて物は存在しない。

 正体を隠そうとするだけならばこの程度で充分だ。

 

「いくら変装しているからってやり過ぎもまずいと思うわ。噂のせいで私たち、行く先々で奇異の篭った視線に晒されるのよ?」

 

 おんぶ紐で背中に固定した玖龍をあやしながら、俺にじと目を向ける陽菜。

 

「悪いな。俺の我侭に付き合わせて」

 

 本来なら目立つ行動は控えるべきなのだ。

 目立てばそれだけ動きづらくなり、目的を達成しにくくなる。

 

 しかし。

 そんな事情を抱えていても、俺には目に見えている民の危機を放置する事は出来なかった。

 俺は軍人。

 たとえ他所の土地であろうとも民を守るのが仕事だ。

 いくら自国の任務があるとはいえ、本分を疎かに出来るわけがない。

 自国に迷惑をかけるつもりはないが、そうならない範囲で民を助け守るのを躊躇うつもりはなかった。

 

 とはいえ賊はどこにでもいるし、どこからでも生まれるような世の中で、目の前の脅威だけを払ったところで果たしてどれほどの効果が望めるか。

 次の襲撃までの時間に俺たちが助けた邑や街はどれだけの対策を立てられるか。

 直接、邑や街の管理、運営に関わる事が出来ない俺ではどうする事も出来ない部分だ。

 

「ですが駆狼様の行いは正しかったと思います」

 

 きりっと瞳鋭く前を見据えながら思春は俺の行動を肯定してくれる。

 

「私もね。別に人助けするな、なんて言わないわ。けれど、目立たないようにしていても目立ってしまうようになってしまったし。少し大きな街に立ち寄った時、声をかけられる事もあったでしょう?」

 

 陽菜が言っているのは司州を抜けて雍州に入って間もなくの頃の事だ。

 どこから聞きつけたのか滞在した街の町長とでも呼ぶべき立場の人間が、俺たちが泊まっている宿までやってきた。

 用件は街を守る為の戦力として俺たちを雇い入れたいと言う物だった。

 『なぜ俺たちを?』と聞くと、あちらは『俺たちの事を知っている』と言っていた。

 果たして本当なのかどうか、今となってはわからない。

 

 当然、俺たちは断った。

 目的があり、そこに行かねばならないとぼかして伝えた。

 しかしあちらも必死だ。

 こちらが折れるよう街の現状を語り、同情を誘い、落ち着いた語調だったのは最初だけで後半は半ば脅迫じみた物になっていた。

 それでもこちらとしても首を縦に振らず。

 最後には罵声を浴びせながら去っていった。

 

 翌日には街を見捨てた口だけ武芸者という話が広がっており、誰も彼もが俺たちに怒りや侮蔑の篭った視線を向けてきた。

 当然、町長の差し金だろう。

 あちらも必死だったのだから、何を言われてもすげなく断った俺たちを恨むのは当然の流れだったと思う。

 

 思春が態度を急変させた街の人間に怒りを爆発させそうだったのでその街はさっさと出て行ったが。

 

 まぁそんな出来事があってから俺たちは邑や街への滞在を最小限にする事にしていた。

 一日休む事すらせずに食料などを買い込むだけで離れる事も多い。

 

「野宿に不満はないけれど。これからもあの程度で済むかどうかはわからないし、もう少し気をつけないといけないと思うわ。……もう手遅れかもしれないけれど」

「……そうだな」

 

 それからは他愛ない談笑をして歩く。

 元々、鍛え上げていた俺と思春は一日どころか一週間行軍が続こうが変わらず歩いていけるだけの体力がある。

 鍛えていたとはいえ外での訓練はご無沙汰だった陽菜と赤ん坊の玖龍の存在が行軍速度を鈍らせていた。

 とはいえそれも俺が陽菜を、玖龍を思春が背負う事で解決して久しい。

 

「ふふ、なんだかこういうのも楽しいわね」

「やれやれ。思春、玖龍は頼むぞ」

「お任せください!」

 

 気合充分な少女の返答に笑いながら、俺たちは雍州の大地を歩く。

 多少の困難など足を止めるほどの意味を持たなかった。

 

 

 

 そして俺たちは一ヶ月もの時間をかけてようやく涼州は武威の地に足を踏み入れた。

 それまでの道程の中、知らぬ間に未来で名を馳せる人間と出会っていたという事に気がつくのは彼女らが名を上げる事になる今から数年後の事だ。

 

 

 さて涼州という土地についてだがここは総じて『無頼漢の集まりである』と言われている。

 しかしこれは都付近の領地から見た時の偏見であり、正しい見解とは言えない。

 常に異民族との戦いが起こる可能性を持つ、非常に戦いが身近にある州であるが故に、その場所で生きる者たちは良く言えば逞しい、悪く言えば粗暴だ。

 しかし粗暴とは言う物の、人としての矜持は持ち合わせている。

 竹を割ったような真っ直ぐな気質が多い事は、むしろ中央にいる狡猾な宦官どもよりも個人的に好感が持てるくらいだ。

 

 たとえば今、酒場で騒いでいる男たち。

 一部女性も混じっているようだが、お互いの仕事を讃え合う姿は、華美な服装で行われるお堅い宴会よりも俺には数段輝いて見える。

 活力に満ち溢れた姿は、建業の街で見られる物と同じだ。

 

「楽しそうですね、駆狼様」

「ああ。建業と似てる空気が、少し嬉しくてな」

 

 遅い夕食を食べながら談笑する。

 

「ふふ、あっちが恋しくなったの?」

「ふ、そうかもな」

 

 いつも通りの陽菜のからかいに肩を竦めて合いの手を入れておく。

 実際の所、ホームシックにはなっていないが。

 

「あう、あう……」

「ああ、お前もお腹が空いたのか?」

 

 俺の背中にいる玖龍が俺の頬を叩いて何事かを訴えてきた。

 おんぶ紐を外し、息子を手の中に抱きかかえる。

 筋骨隆々な男たちが騒ぐ酒場など、赤ん坊なら泣き叫ぶような場所だろうに。

 この子はとても静かだ。

 

「はい、この子用のご飯よ」

 

 渡された小鉢と小さな木製スプーンを受け取り、小鉢の中身を玖龍の口へ運ぶ。

 小さな口を一杯に開けてスプーンに乗せた磨り潰したサツマイモを食べる。

 雛鳥のように口をパクパクとしながら、俺の手を叩いて次を催促する元気一杯な我が子に苦笑いしながら次の一口を食べさせる。

 玖龍の食事はあっという間に終わった。

 

「今日もよく食べられましたね」

「うふふ、食欲があるのは元気な証拠よ」

 

 げっぷするよう優しく促してしばらくすると玖龍がうとうとし始めたので抱きかかえる役を陽菜へ譲る。

 

「陽菜、頼む」

「ええ、もちろん。寝かしつけてしまうわね」

 

 そっと我が子を胸に抱き、椅子に座ったまま身体を少しだけ揺らす。

 揺りかごのようにゆっくりと。

 

「お二人ともすごいですね」

 

 俺たちの様子を黙って見ていた思春は、感嘆の言葉を漏らす。

 

「何がだ?」

「以前から思っていたのですが。お二人とも玖龍様のお世話をする様子が……なんというかすごく手馴れているというか。父と母が私を育てる時は夜泣きはよくするし好き嫌いが多かったとかで大変だったと……仲間のおじいさんが言っていました」

 

 言葉の後半は自分の恥ずかしい過去を明かす事と、もういない仲間を想ってか尻つぼみになってしまっていた。

 それでも言い切ったのはこの子なりに錦帆賊の事を受け止めたという事でいいんだろうか?

 

「夜泣きも好き嫌いもこの子がしないだけだ。別に大した事じゃない。子供は元気が一番なんだ。むしろ夜泣きなんて元気が良い証拠だろう」

 

 俺はこの子の世話に四苦八苦する深桜を思い浮かべて笑う。

 どれだけ面倒をかけられてもあいつはたぶん笑って喜びながら世話をしたんだろうから。

 

「それに、親にとって子供に面倒をかけられるというのは親冥利に尽きるんだ。迷惑をかけたなんて思って申し訳ないだなんて考える必要はないぞ。少なくとも深桜はお前の事を大切に思っていた。それは断言する」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 嬉しさで緩む顔を隠そうと腕で顔を覆ってしまう思春。

 俺の言葉もくぐもってしまっているが俺も陽菜もそれを無礼だと気にする質ではない。

 

「さて西平まであと少し。今日は久方ぶりの宿なんだ。ゆっくり休んで明日に備えよう」

「そうね。あ、思春ちゃん。今日は一緒に寝ましょうか?」

「ええっ!? あ、いやその……えっと」

 

 突然の言葉にあたふたと慌て出す思春。

 おそらくただの兵士である自分が恐れ多い、だとかそういう事を考えているのだろうが。

 まぁ陽菜だし仕方ないと諦めてもらおう。

 

「たまには人の体温を感じながら寝たいの。駆狼はごつごつしているし、玖龍はまだまだ小さくて抱いて眠ると潰れてしまうから」

「抱き枕扱いするな。ただまぁ、ほどほどにしてやれ」

「と、とめてはくださらないのですか駆狼様!?」

 

 あわあわとしている間に陽菜は思春の手をがっしり掴み、片手で眠っている玖龍を危なげなく支えながら席を立つ。

 俺は勘定を支払うと荷物を全て持ち上げ、出て行く妻の後を追った。

 

 俺と、なぜか思春に向けられた強くもないが弱くもない視線の主と一度だけ視線を合わせてから。

 

 

 

 

「軽く殺気を交えて睨んだんだが……良い目をしていたな」

 

 杯に満ちた酒を一気に飲み干しながら男は呟く。

 人の上に立つ風格を感じさせる男は周りの喧騒から隔絶した奥のテーブル席に一人で座っていた。

 

「何者かはわからんが、相当な手練れだった(おそらく何らかの命を受けた兵(つわもの)。隣にいた女の護衛という線も考えられるか)」

 

 顎に手を当てて思案にくれる。

 その間ももう片方の手で酒を器に注ぎ、一息に飲み干すのはやめなかった。

 

「(護衛にしては、あの場にいた奴らは仲が良いように感じたが。まさか……最近、噂の『子連れの』か?)」

 

 最後の一杯を飲み干し、勘定を支払う。

 

「おい、親父。ここに置いておくぞ」

「へい、いつもありがとうございます!」

 

 気風の良い男の声を背に、店を出る彼に走り寄ってくる小柄な影が一つ。

 

「お父様! また城を抜け出して! 詠(えい)ちゃんがカンカンですよ!」

 

 精一杯、肩をいからせて怒っていると表現する少女。

 まるで似ていないがこの二人は親子のようだ。

 

「おお、月(ゆえ)か。ふふ、俺を追いかけてきたって事はお前も城を抜け出してきたんだろう?」

「あ、えっとそれは……お、お父様が心配だったからです!」

「はっはっは! すまんすまん、少しからかっただけだ、許せ。とはいえさすがに一人で外に出るのはやめておけよ。俺と違ってお前には知はあっても武はまだまだ未熟なのだからな」

「うう、お父様の馬鹿」

 

 夜の帳が下りる街の中を武威太守『董君雅』とその娘である『董卓』が歩く。

 己らが治める街を眺めながら。

 二人はこの後、城門で仁王立ちして二人を待ち受けていた少女に揃って怒鳴られる事になる。

 

「(いずれ機が巡れば面と向かって話す事もあるか)」

 

 娘の親友の説教を聞き流しながら、董君雅は酒場で見かけた男の事を思い出していた。

 


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