乱世を駆ける男   作:黄粋

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番外之一_祖茂

 刀にぃたち遠征部隊の半分が帰還してから既に一週間が過ぎていた。

 三日間の休みを終えた刀にぃは遠征で得た知識を武将に伝えて回り、その後は遠征前と同様の部隊の調練に励んでいる。

 

 遠征での経験が良い刺激になったみたいで、ただの調練であるにも関わらず部隊の人たちの士気はすごく高い。

 毎朝、太陽が真上に上がるまで行っている走り込みの時の声出しは部屋で書類を書いていても聞こえるほどだし、組手は実戦さながらの気迫で見ていて圧倒されるほどだ。

 

 そしてそんな人たちを一手に引き受けて時に叱咤し、時に激励する刀にぃの姿が僕にはとてつもなく大きく見えた。

 

 追いつくべき背中との距離が遠のいたように思えるほど。

 置いていかれそうなくらい遠くに感じてしまった。

 

「……いや、そんな事ない」

 

 くじけそうになる心を励ます為に声を出す。

 

 そうだ。

 刀にぃが凄い事なんて分かり切っていた事だ。

 昔からそうだったんだから。

 だから頼り切りになって、甘えて、そしてその事を一度こっぴどく怒られたんだ。

 

 その時、決めたはずだ。

 刀にぃに頼るんじゃない。

 頼られる男になるって。

 差が開いたくらいで諦めるくらいの気持ちなら、とっくの昔に諦めてる。

 その差を無くす為に毎日政務で忙しくても時間を作って、双剣での戦い方を磨く修練を欠かさなかったんだ。

 

「今日は……もう政務はなかったはず」

 

 何か緊急で対応しなきゃいけない事項が出てこなければ、今日はもう自由にしていいと美命様には言われていた。

 突然、仕事がなくなってしまったから何をしようかと考えていたけど。

 

 ふと今の自分がどこまでいけるのか試したいと思った。

 両腰に一本ずつ帯びた剣。

 昔から愛用しているそれらの柄を握り締める。

 馴染んだ感触に安心感を覚えながら、指示を出している刀にぃを見つめる。

 

「でも……さすがに調練中に割って入るのはまずいよねぇ」

 

 これからやろうとしている事は僕の個人的な都合から来る物だから、真剣に調練を行っている人たちの邪魔をするわけにはいかない。

 

 仕事が終わるまで待とうと思った所でふと調練の指示を出していた刀にぃと目が合った。

 

 僕が目を見開いて驚くと刀にぃはほんの僅かだけ口元を緩めて手招きをする。

 僕は一も二もなく刀にぃの元に走った。

 

 あの目はこう言っていた。

 試合おう、と。

 

 高揚感が全身を巡っていく。

 今の自分がどこまで近づいているのか。

 あの遠いと思った背中にどこまで追いすがれるのか。

 

 それがはっきりわかる絶好の機会。

 激や塁、祭さんには悪いと思ったけどこんな機会を逃すつもりはなかった。

 

 調練場に辿り着くと既に調練は終わり部隊の皆はばらばらに陣取って柔軟運動を始めていた。

 

 そんな中で刀にぃは俺の姿を見つめ、拳を握りしめたままだ。

 

「準備運動は……いらないか?」

「……はい!」

 

 それが合図だった。

 

 まるで虎が獲物目がけて駆け寄るように身体を前に伏せ、前傾姿勢のまま一足飛びで僕の間合いを侵略する刀にぃ。

 僕は左腰の剣の柄を右手で掴み、引き抜くと同時に水平に振るう。

 

 刀にぃは剣が届く一寸前の位置で立ち止まってすぐさま飛び退き、僕の間合いから逃れていった。

 

 逃がさないように追いすがろうと一歩前に踏み込む。

 同時に風を切る僅かな音がして、僕は駆けだそうと前のめりになった身体を無理やり後退させた。

 

 まるで蟷螂(かまきり)の腕のように鋭い何かが眼前を通り過ぎる。

 それが回し蹴りだと気付いたのは無防備な背中を晒しながら右足を軸にその場で回転している刀にぃの姿を見てからだ。

 

「相変わらず蹴りの出が速いね。当たったら首が飛んでたよ、刀にぃ!」

「避けておいて良く言う」

 

 僕が追撃するよりも遥かに早く正面に身体を戻し、僕を見据える。

 

 左足と直線上になるように右足を前に出し、右手の平をまるで剣のように地面に対して垂直にしっかり伸ばし、左手は腰に添える。

 攻撃と防御、どちらも素早くこなせる刀にぃの攻防一体の構えだ。

 

「まさか今ので終わりじゃないだろう?」

「勿論!」

 

 両手に剣を持ち、右を垂直に左を水平に十文字になるように重ねて構える。

 

「ふっ!」

 

 一歩踏み込み、左手に構えていた剣を横一文字に薙ぐ。

 摺り足と言う独特の歩法で無駄なく、ほんの少しだけ後ろに下がる事で僕の攻撃はかわされる。

 

「はぁっ!」

 

 右手の剣を縦に振り下ろすがこれも後ろに下がってかわされてしまう。

 だけど、まだだ!

 

「せっ!」

「むっ!?」

 

 振り下ろした剣を途中で止め、手首を返すようにして突きを放つ。

 さすがにこの距離での突きを避ける事は出来ないようで、刀にぃは構えていた右手の手甲を盾になるように突き出した。

 

 響き渡る金属同士が擦れ合い、弾き合う甲高い音。

 

 でも勢いよく突きを繰り出して当たったっはずなのに。

 

 手応えがほとんどない!?

 

「えっ!?」

 

 むしろ突きを繰り出すために踏み込んだ分、前につんのめって行く。

 まるで刀にぃに引き寄せられているみたいだっ!?

 

 

 この現象が切っ先と手甲がぶつかり合う瞬間にぶつかり合った右手を引き戻す事で突きの衝撃を受け流した結果なのだと言う事を教えてもらったのはこの試合が終わった後の事。

 

 

 あまりの抵抗の少なさで伸び切ってしまった僕の右腕とそれに引きずられるように前のめりになる身体。

 刀にぃにすれば、絶好の勝機。

 

「おおおおっ!」

 

 防御に使った右半身を刀にぃは思い切り後ろに捻る。

 強力な一撃を放つ準備。

 

 けど。

 

「その隙は逃さない!」

 

 左手の剣を横一文字に薙ぎ払う。

 

「甘い」

 

 けどその一撃は刀にぃの左拳とぶつかって止められてしまった。

 

 右上半を捻った勢いで反対に前に出る左上半身から繰り出される左拳。

 振りかぶるより威力は落ちるけれど、僕も咄嗟に左の薙ぎ払いを仕掛けたから威力は五分。

 

「うっわ!?」

 

 でもしっかりとした姿勢で拳を放った刀にぃと無理な体勢で咄嗟に斬りつけた僕とでは一撃の重みに差が出てしまった。

 左手の剣がぶつかりあった衝撃で手から離れる。

 

「しっ!」

 

 一瞬、手の痛みと吹き飛ばされた剣に意識が向いた瞬間。

 背筋に寒気が走った。

 

「がっ!?」

 

 僕の腰にとてつもない衝撃を伴った一撃が突き刺さった。

 

 宙に浮かぶ奇妙な感覚。

 回る視界。

 

 蹴り飛ばされたのだとどこか他人事のように冷静に認識し、僕は地面に叩きつけられた。

 

「ここまで、か?」

 

 身体に奔る衝撃で悲鳴も苦悶も上げられない僕を見下ろしながら刀にぃが告げる。

 

「ま、だ……まだ」

 

 本当に一瞬。

 刀にぃの蹴りが僕に当たる刹那の時。

 衝撃に逆らう為に踏ん張るんじゃなくて、衝撃に逆らわないように後ろに跳ぼうとしたお蔭で僕はまだ戦う事が出来た。

 

 戦闘なら上を取られて隙を晒した時点で僕の負けだ。

 

 だけどこれは試合。

 自分と相手の力量を確かめ合う場。

 

 僕が刀にぃとどれだけ実力の距離を詰められたかを計ろうとしているように。

 刀にぃもまた僕の実力の全てを計ろうとしているんだ。

 

 この程度の事で負けを認めて、『こんなものか』だなんて思われたくない。

 いつまでも届かない背中に手を伸ばし続けるわけにはいかない。

 

 さっき感じた遠のいていく背中がただの錯覚だったんだと証明する為に。

 

 僕にも、意地があるんだから!!!

 

 ふらつく足、揺れる視界を無視して立ち上がる。

 刀にぃは明らかに隙だらけの僕を攻撃しないでおよそ十歩分くらいの距離を取って立っていた。

 

「さっき大げさなくらい右半身を捻ったのはそっちに意識を向ける為の罠だったんだね?」

 

 一本だけになった剣を両手でしっかり握る。

 昔、刀にぃが教えてくれた正眼の構えを取る。

 

 いつも万全の状態で戦えるとは限らないから、その備えとして剣一本でも戦えるように修練してきた。

 万が一に備えて無手でも自分の身が守れるくらいには戦える。

 無手に関しては刀にぃは勿論、祭さんや激、塁の誰にも勝てないけれど。

 

「そうだ。強力な一撃の準備を行っているという素振りをすれば反射的に身体が警戒する。激しく動いていれば動いているほど一瞬の判断は直感頼りになるから尚更だ。そして反射的に警戒したその一瞬の間だけ、警戒した事柄以外の事は置き去りになる」

 

 淡々と語る刀にぃの目は普段、見せている面倒見の良い僕らの兄貴分としての物ではない。

 目の前の敵と言う名の獲物を確実に仕留めるべく機を窺う、真名の通りの狼のようだ。

 

「その瞬間に次の手を講じる。先のやり取りの場合は左半身を使った拳、そしてその拳を振りぬく勢いすらも利用した蹴り」

「全部が囮で全部が本命。……ちなみにだけど、もし僕が蹴りを止めるか避けるか出来ていたらどうしていたの?」

 

 興味本位で聞いてみる。

 あの攻防の先をどこまで考えていたのかを。

 

「止められていたなら逆の足で足払いし倒れた所に関節技、避けられていたなら蹴りの軌道をむりやり変えて爪先を鳩尾に叩きこんで吹き飛ばしていたな。あの一瞬で考えていたのはこの二手だけだ」

「……二手『だけ』? 二手『も』の間違いでしょ?」

 

 あの状況、ほんの少しの間に二手も考えておいてそれで満足していないなんて。

 思わず呆れてしまった。

 

 でも……そうか。

 そういう事を念頭に置いて戦わないといけないんだ。

 相手との実力が伯仲していればしているほど、一手一手に『意味』を持たせないといけない。

 刀にぃは僕にそれを教えてくれている。

 この試合で僕にそれを叩きこもうとしている。

 僕ならば出来ると信じてくれている。

 

「……理解したようだな?」

 

 僕の心を読んだみたいに刀にぃは満足そうに笑いながら言う。

 その顔を見て気付いた。

 

 刀にぃにとってこの試合は力を確認すると同時に僕への指南でもあったんだ。

 

「やっぱり凄いな。刀にぃは……」

「安心しろ。俺の意図をこの程度のやり取りで察する事が出来るお前も十分凄い」

「でもやっぱり悔しいな。まだまだ刀にぃの方が強いってわかっちゃったし」

「簡単に追いつかれるような努力はしていないからな。だが……」

 

 刀にぃは両足で地面を踏みしめ、腰を落とした。

 

「お前に教えられる事はこれで最後だ」

「えっ?」

 

 突然の言葉で僕は試合中である事も忘れて間抜けな声を上げた。

 

 刀にぃは僕が茫然としている間に攻撃の態勢に入っていった。

 右拳を握りしめて腰の位置まで下げ、左半身を前に出し左手を開いた状態で僕の前にかざして告げる。

 

「元々、剣については多少の心得と構え方しか俺に教えられる事はない。そして今、勝つ為に絶対に必要な『考えて戦う』という事も身体に叩き込んだ」

 

 まるで弓を引き絞るかのように全身を捻らせ、右拳を放つ姿勢を取りながら刀にぃはまた満足げに笑った。

 

「あとはお前が考えて『自分の戦い方』を作れ。そして俺と並び、いずれは追い越してみせろ」

「っ!?」

 

 僕は息を呑んだ。

 

 『越えられるその時を待っている』と。

 言外にそう言われたからだ。

 

 刀にぃが僕の事を『自分を越えられる可能性を持っている人間だ』とそこまで見込んでくれていた事に、僕はこの時になってようやく気付いた。

 

「長話はここまでだ。もうじき日も暮れる。次で終いにするぞ」

 

 構えたまま告げられる言葉。

 僕は高揚する気分と気を抜けば溢れそうになる涙を堪えながら大声で応えた。

 

「はい!」

 

 刀にぃにそこまで見込んでもらえていた事への喜びと、追い越すのにはまだまだ時間がかかりそうな自分への不甲斐無さとが頭の中を蹂躙する。

 今の僕に物事を深く考える事が出来ない。

 情けないと思う。

 

 でもだからこそ出来る事がある。

 

 両手でしっかりと剣を握り込み、上段に振りかぶる。

 この高揚感に従って、全力でただ一振り。

 

「小細工無しの真っ向勝負!!!」

 

 僕の言葉を合図に同時に駆け出す。

 十歩分あった距離は一瞬で詰められ、お互いの間合いへ。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

「はぁあああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 一撃に全てを懸ける。

 今まで心に燻っていた煮え切れない気持ちも、嫉妬にも似た恥ずべき感情も、今この時に感じている喜びも。

 何もかもを込めて剣を振るう。

 

 剣の一撃が刀にぃの肩に食い込む。

 刀にぃの右拳が僕の腹を貫かんばかりに叩きこまれる。

 

 そして僕は。

 意識が吹き飛ぶほんの一瞬、遠かった背中と並んで笑っている自分の姿を見た気がした。

 

 

 

 

 これより後、祖茂は『敵の攻撃を防がない』独自の戦い方を編み出して戦場を駆ける事になる。

 敵の攻撃は避けるか、あるいは攻撃が当たるよりも早く己の一撃を叩きこむと言う一歩間違えれば捨て身のような戦法。

 攻撃を避けようとせずに敵を斬り伏せるその戦い方は確かに異質ではあったが、同時に孫呉の兵に不退転の意思を伝播させ士気を天井知らずに向上させたと言う。

 彼は生涯、この戦い方を変える事はなく。

 

 そして彼が戦場で死ぬ事はなかったと言われている。

 

 孫呉にて名を馳せた五人の忠臣の一人『祖茂大栄』。

 彼の本当の意味での飛躍の時は兄と慕った男と肩を並べたこの日から始まっていたのだ。

 


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