試行錯誤しましたが変換した漢字も含めて独断です。
子供っぽさが出ていればよいのですが。
それでは本編をどうぞ
船の倉庫らしき場所にその少女はいた。
倉庫の隅で身体を守るように身を丸め、ガチガチと歯を噛み合わせながら震えている。
精一杯、こちらを睨みつける瞳には来訪者である俺への警戒心となにをされるかわからない事への恐怖が浮かんでいた。
見た目は七、八歳と言った所だろうか。
猫の耳があしらわれたフードを被って威嚇するように喉を鳴らす姿は正に猫その物のように見える。
少女は口を開く事なくただ部屋に足を踏み入れた俺を睨んでいた。
俺がこうして直接、海賊に囚われていた彼女の元に来たのには理由がある。
「我々は建業の軍隊の者だ。君を連れ去った海賊は、我々が捕らえた。だからどうか安心してほしい」
出来る限り丁寧に、そしてゆっくり言葉を紡ぎながら一歩ずつ彼女に近づく。
俺と少女の距離が近づいていくにつれて彼女の身体の震えが増していくのがわかった。
「こないで!!!」
幼い子供が出したとは思えない金切り声。
俺はその言葉に従ってその場で足を止めた。
目尻に涙を溜めながら喘ぐように荒い呼吸を繰り返す少女。
苦しそうに、嗚咽を漏らすその様子を見て、俺は彼女に気づかれないように下唇を噛んだ。
彼女はアレルギーもかくやと言う深刻な症状の人間不信に陥っていた。
最初に見つけた部下の報告によれば連れ出そうと手に触れた瞬間、暴れ出したらしい。
幼い少女相手に必要以上に強引な手段に出るわけにもいかず、俺に報告を上げてきたとの事だ。
何人かが彼女をここから出そうと話しかけたが結果は同じ。
そしてそれは俺が出向いても変わらなかった。
仕方のない事だろう。
彼女がどのような仕打ちを受けたのかは想像するしかない。
しかしこんな年齢の少女が誰彼かまわずに反射的に怯えてしまうような、非人道的扱いをされていた事は察する事が出来るから。
「すまない」
俺がこの場で出来るのはただ謝罪する事だけ。
彼女が怯えないで済む出入り口付近まで下がり、俺はその場で土下座した。
「君を守る事が出来なかった。助ける事が出来なかった。本当に、すまない……」
船の床に頭をこすり付けたまま謝罪する。
こんな事しか出来ない自分の力の無さが腹立たしかった。
「食事はここに持ってくる。君はここから出たくなった時にここを出るといい。君の行動を阻む人間はもう誰もいないから」
出来るだけ丁寧な言葉を使う。
脳が沸騰する程に煮えたぎる怒りを彼女に感じ取らせないよう心の内に押し留める為だ。
近づいてくる人間のあらゆる行動に敏感になってしまっている少女をこれ以上、刺激するわけにはいかない。
立ち上がり、彼女と目を合わせる。
少女は変わらず怯えながら俺を睨みつけていた。
「……」
無言の少女にもう一度だけ頭を下げ、静かに部屋を後にした。
部屋の戸の前で俺を待っていた部下たちに戸越しに彼女を刺激しないよう目でここから去るよう伝える。
幼い子供の足で船の外に出るのは難しい。
甘嬢や雪蓮嬢たちのように常日頃から動き回っているなら話は変わるだろうが、ずっとあの倉庫部屋に押し込められていた彼女では船内を動き回る事さえ辛いはずだ。
どの道、甲板に出る為の出入り口は一カ所しかない。
ならばそこに最低限の見張りを付けておけば彼女の動向は把握出来るだろう。
精神的に不安定になっている今の状態で彼女を一人にするのも危険だが、先ほどの態度から判断すると今は他人が近くにいる事こそ危険だ。
『自分の近く』に人がいる事こそ今の彼女にとって害なのだから。
食事などの最低限の接触を除いて近づかない方が良いだろう。
「公苗と何人か女性の兵士に船の見張り、いや彼女の護衛に付くように伝えろ。彼女は人に怯えている。必要以上の接触は彼女にとって悪影響になると言う事を周知するのを忘れるな」
「はっ!」
部下を引き連れて船を下りながら指示を出す。
「荷車部隊は今どうしている?」
「つい先ほど村人たちを護衛しながら村に到着したそうです」
「なら家屋の修繕作業に入るよう伝えろ。逃げられないようにする為とはいえ村の奥まで敵を引きつけたからな。どこなりと壊れているはずだ」
「了解です」
「とりあえず材料には破壊した船を使え。それと死体の回収は終わっているが血痕は残ったままだから、そちらの処理も忘れるな。家屋や道具に血が染み込んでしまっていたら最悪、その部分は剥ぎ取って修繕しろ。住民にはなるべく血を見せないよう配慮しろ」
散会していく部下たちを見送り、俺は生け捕った海賊たちの元に向かう。
あの少女をどこから連れ去って来たのかを聞き出さなければならない。
「本来なら奴らの扱いに関しては村の住人の意見を聞いた上で蘭雪様たちの指示を仰がなければならないんだが……」
正直な所、あんな少女の有り様を見せられた今となっては理性的な対応が出来るかどうかわからなかった。
俺はあんな小さな子供をまるで物のように扱った馬鹿者どもに情けをかけられるような聖人君子じゃないのだから。
戦とあらば最前線に立つ人間である俺が、前世で戦争の悲劇、惨劇を生み出した事もある俺が、こんな事を考える資格などないのかもしれない。
だが奴らを許せないと言う思いはどんどん俺の中から沸き上がっていく。
何より今も尚、苦しんでいるんだろう彼女に何もしてやれない自分への怒りでどうにかなってしまいそうだ。
拳に力が入る。
握り込み過ぎて爪が皮膚を抉り、血が手を濡らしていくのがわかる。
自傷行為で八つ当たりでもしていなければ、海賊たちの姿を視認した瞬間に殴りかかってしまうだろう。
俺は海賊たちを隔離した広場に到着するまでの間、拳の痛みと共に自分の無力さを噛み締めていた。
慈明おばさまにさそわれてちかくの村にあそびに行った。
そこにはおなじくらいのとしの子がたくさんいて、わたしとも友だちになってくれた。
おばさまもおかあさまもわたしが友だちとあそんでいるのを見てとてもよろこんでくれた。
でも。
夕方になるまで村の外であそんで、もうかえろうとしたらきゅうに知らない人にだきしめられて……。
おきたら暗いへやの中にいた。
あたまがいたくてそこをさすってみる。
ずきずきしてたんこぶができてるのがわかった。
へやの中にはわたしだけじゃなくて友だちも一人いた。
あと知らないおねえさんが三人。
「こわいよぉ、ぶんじゃくちゃん」
ぎしさいちゃんがわたしにだきついてふるえている。
よくわからないけど、このへやにいる人はみんなふるえていた。
おねえさんの中には泣いている人もいる。
なんで?
すぐにわかった。
「いやぁあっ!! 離して!!」
「うるせぇ! 売り物は黙って買われていきゃいいんだよ!!」
こわいかおをしたおとこの人におねえさんがつれて行かれるのを見たから。
ひっぱられてつれて行かれるおねえさんはとてもこわがっていた。
わたしもぎしさいちゃんとだきあってふるえながら泣くしかなかった。
夜はぎしさいちゃんとだきあってねむる。
でもこわくてねれなくて泣いてしまうことも多かった。
すごくすくないごはんを分けあって食べる。
もうおねえさんたちはみんなつれて行かれてしまった。
わたしとぎしさいちゃんはずっと引っ付きながらふるえていた。
ごはんをもらうときいがいでこのへやに人がくるときはだれかがつれて行かれるとき。
だから人のあしおとがきこえてくるだけでからだがふるえた。
そして。
とうとうぎしさいちゃんがつれて行かれることになった。
ぎしさいちゃんがつれて行かれるとき、わたしはおとこの人の手にかみついた。
すぐにぶたれて、らんぼうにひっぱられて、気が付いたらへやにはだれもいなくなっていた。
わたしは友だちをたすけられなかった。
ぶたれたほっぺのいたさとだれもいなくなったことでさびしくなってわたしは泣いた。
一人だけのへや。
だれもいない暗いばしょ。
わたしたちをどこかにつれていくこわい人たち。
こわい。
いやだ。
みるな。
くるな。
ぎしさいちゃんがいなくなってながい間、ずっと一人で。
ごはんをたべたらすぐにねるようになった。
一人でできることなんてなにもなかった。
目をさますといつもとなにかがちがう気がした。
ずっとゆれていたへやが止まっていた。
それにいつもなら天井の上からどたどた物音がするのに今日はしずかだ。
わたしもつれて行かれるのかな?
からだがふるえてきた。
足音がきこえる。
いつもくる人とはちがう足音。
でもきっとこわい人の足音。
戸があけられる。
わたしはへやのいちばんおくのかべにひっついてすわりこんだ。
「ここは……倉庫かなんかか?」
きいたことのないおとこの人の声だった。
思わずそちらをみる。
前に家で見た国のぐんたいの人が着ているような服を着たおとこの人が立っていた。
「ん? おいおい、こんなとこに女の子だと?」
わたしを見てびっくりしながらこっちにあるいてくる。
「大丈夫か? どっか痛くないか?」
今までへやに入ってきたこわい人とちがうやさしい人だった。
でも。
その人がわたしの手にさわったら。
おねえさんたちやぎしさいちゃんがつれて行かれたときのことがあたまにうかんできて。
「いやぁあああああああああああああっ!!!!!!」
今まで出したことない大きな声が出た。
「お、おい!? お嬢ちゃん、どうした!?」
「いやぁっ!!! こわぃいいいいい!!!! さわらないでちかづかないでつれていかないでえええええええええええっ!!!!」
「ちょっと、まて暴れるな!?」
おとこの人はわたしの手をはなした。
わたしは座り込んでふるえる。
こわい人につれて行かれるぎしさいちゃんやおねえさんたちののかおがあたまにうかんで、目の前の人のことがこわくなってしまった。
「だ、大丈夫か?」
首をよこに振る。
「……そっか。外に出られるか?」
もう一度、首をよこに振る。
「わかった。悪かった、無理に連れ出そうとして」
やさしい声であやまるとその人はへやを出ていった。
「なん、で?」
今の人はこわくなんてなかったはずなのに。
手にさわられたら、急にこわくなってしまった。
それから何人も人が来てわたしに声をかけてきたけど。
だれにもついていけなかった。
さわられるとなにもかんがえられなくなってあばれてしまう。
それはおとこの人でもおんなの人でもおんなじで。
どうしたらいいかわからなかった。
でもちかづかれるとこわくなる。
さわられるとあばれてしまう。
こんなくるしいきもちになるなら。
だれもわたしにちかづかないで。
またこのへやの戸があいた。
もうこないで。
海賊たちは彼女の事をあっさり話した。
豫州(よしゅう)の潁川(えいせん)群にある村で遊んでいた所を誘拐したらしい。
涼州や幽州、益州ほどではないがそれでも現在の交通手段を考えるとかなり遠い場所だ。
奴ら曰く誘拐する場所と売る場所は遠ざけるのが鉄則なのだと言う。
『商品』の友人知人がいない場所なら逃げられる心配も半減するらしい。
余談だがそんな人に誇れるような事ではない知識を得意げに語った奴については即刻ぶちのめしている。
彼女以外にもその近隣から何人か誘拐し、既に売り払っている事も聞き出した。
買っていった人間については奴らも詳しくは知らないらしい。
連中に取引先の事を黙っているような義理堅さがあるとは思えない。
二、三人締め上げても口を割らなかった事から本当に知らないと見ていいだろう。
船に残っている少女については呉と隣り合っている会稽(かいけい)群で取引を行う事になっていたとの事だ。
彼女だけでも売られる前に助ける事が出来た事を喜ぶべきなのだろうか?
だがあんな状態になるまでに助ける事が出来なかった事実、そして既に売られてしまった少女たちの事を考えるととてもではないが喜ぶ事など出来ない。
駄目だ。
これからの彼女の生活を考えるとどうしても考えが後ろ向きになってしまう。
「凌隊長殿、この村を守っていただきありがとうございます」
「いいえ、民とその暮らしを守る事が私たちの仕事ですから」
深く頭を下げて礼を言う村長に当たり障りのない言葉を返した。
『彼女』の事がなければ素直に礼を受け取れたのだろうが。
守るべき物が守れた事への喜びや達成感も今は薄れてしまっていた。
俺だけではなく部下たちも同じ心境だ。
公苗や女性の部下たちは彼女の事を聞いてすっ飛んでいったし、家屋の修繕や海賊たちの監視に従事している者たちからは戦勝に対する興奮は既に無くなっている。
「……話は宋副隊長殿から聞き及んでおります。今がどれほど酷い時代かと言う事を改めて思い知らされた気分です」
「そう、ですね。こんな愚かな真似が横行する……本当に酷い時代です」
だが時代を嘆く事は出来ても、時代をどうにか出来る力は俺にはない。
自分が知覚出来る範囲を自分が持っている力で守る事しか俺には出来ない。
人間一人の知覚範囲なんてちっぽけなものだ。
現に今回のように知覚した時には既に手遅れになっている事もある。
それが限界であり、現実だ。
前世の頃から体験してきたどれだけ味わっても慣れる事などない無力感。
それを俺は生まれ変わったこの世界でも味わっている。
やり切れない物だ。
別に俺は恵まれた身体能力があるからと言って、全ての人間を守れると思っているわけではない。
だが今回のような事を目の当たりにしてしまうと、もっと力が欲しいと願わずにはいられなかった。
だが闇雲に、我武者羅に強さを求めても駄目だ。
何も考えずに強さを求めるだけでは現実逃避と変わらない。
大切なのは逃げない事。
味わう無力感を心に刻み付けて、死ぬその時までを必死に生きていく事。
何のために強くなるのかを常に考え、その上で強くならなければならない。
「しかし貴方方のお陰で私どもは一人の被害者も出さずに済みました。重ねてお礼を言わせてください。ありがとうございます」
「……お礼の言葉、確かにお受け取りします」
言葉の中にある俺たちへの気遣いを受け取る。
いつまでも今回の事を引きずるわけには行かない。
今回の事を悔いているならば繰り返さないように努力するしかないのだから。
努力し続けてもこぼれ落ちる物は決して無くならないだろう。
だがそれでも限りなく少なくする事は出来るはずだ。
「それでは私は修繕作業に戻ります」
「はい。長々とお引き留めして申し訳ありませんでした」
村長と頭を下げあい、俺はその場を後にした。
日が暮れた頃、俺は再び少女の元に向かった。
倉庫の入り口には彼女の護衛に付いた女性兵士がいる。
あまり近くにいるとそれだけで彼女を刺激してしまうと予測したのだが、同性である事が幸いしたのか今のところ彼女が拒否反応を示すような事態にはなっていない。
だから少女との距離感についてはこいつらの裁量に一任する事にした。
兵と目礼を交わし、中にいるだろう少女が怯えないほどの強さで戸を二回ノックする。
「入らせてもらってもいいだろうか? 食事を持ってきたんだが……」
返事は無い。
しかし人の気配は感じるのでいなくなったと言う事ではない。
警戒して返事をしないだけだろう。
「美味しくないかもしれないが……食べられるなら食べて欲しい」
部屋の奥で座り込む少女に声をかけながら持ってきた汁のお椀と食べやすいように骨を取り除いた焼魚の木皿を置く。
人間不信が食欲にまで影響していなければ食べられない物ではないはずだ。
出来るなら固形物ではなく食べやすいお粥にしたかったが、米の持ち合わせが残っていなかった為に断念している。
「では失礼する。食器は後で取りに来るからそのまま置いておいてくれればいい」
じっとこちらを、いや湯気の出る暖かい食事を見つめる少女。
僅かばかりではあるがその瞳に生気が戻ってきたように見えて、俺は少しだけほっとした。
食事をする意欲があると言う事は生きる気概を無くしたわけではないと言う事だから。
それが確認出来ただけでも来た甲斐はあった。
回復するのにどれだけの時間がかかるかはわからないが傍にいる間くらいは自分に出来る事で彼女を助けて行こう。
そう考えながら俺は倉庫を後にする。
見張り番の兵に頃合いを見て食器の回収を頼むことを忘れずに。
村長の好意で貸してもらった家屋の机で今回の海賊襲撃について報告書をまとめながら考えを巡らせる。
捕えられていた少女については特に詳細に伝える必要があるだろう。
賊は豫州の村で捕まえたと言っていたが村の子供にしては着ている服が上等であったように思う。
賊の言った言葉がどこまで信用できるかわからないが、もしかしたらどこかの貴族の子を誘拐している可能性もある。
この時代の貴族については話に聞くだけで詳しくは知らないが、家柄が一つの才能のように重視される物である事はわかる。
そして家柄によって引き起こされる騒動の被害が馬鹿にならない事を知識で知っている。
その事を鑑みると彼女の存在が呉になんらかの不利益をもたらす事になるかもしれない。
あの子自身は被害者でしかないと言うのに、だ。
「本当に、酷い時代だ」
考えたくもない事を考えなければならず、さらにそれを実行しなければならないのだから。
心の底から出た苛立ちの声は幸か不幸か誰にも聞かれる事はなかった。