乱世を駆ける男   作:黄粋

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前話から試験的に「SIDE 〇〇」と言う語句を入れずに投稿してみました。
誰の視点かがわかればこの語句は必要ないと思うので、とりあえずは数話続けて問題なければ投稿済みの話も修正していきます。

それでは以降もお楽しみください。


第十九話 行軍と訓練と。とある老人の静かな決意

 鬱蒼とした森の中を走る。

 鎧を着込んだ状態で進路に立ちふさがる木々を避けながら、速度を落とさないように意識して。

 

 ただ考え無しに走るだけでは規則性のない生え方をした木々の間をくぐり抜ける事は不可能だ。

 前方を見据え、視界全てに意識を向け、どの位置をどのように進むかを常に考えながら走らなければならない。

 

 無論、口で言う程に簡単な事ではない。

 偉そうに講釈を述べている俺自身が十年以上もこうやって訓練を重ねながら今も尚、試行錯誤を続けているくらいなのだから。

 

 当然、俺よりも経験が乏しい部下たちでは俺に追いつく事は出来ないだろう。

 少なくとも普通に追いかけているだけでは。

 

 一度、立ち止まり背後を見やる。

 およそ十人ばかりの人間が俺の後を追いかけてきているのが見えた。

 しかし予想通り、いずれも俺に追いつく程の速度ではない。

 

 俺は追いかけてくる存在がいる事を確認すると前に向き直ってまた走り出した。

 

「昼飯抜きまであと半刻っ!!!」

 

 森全体に響かせるように、空に向かって叫ぶように告げるのを忘れずに。

 部下たちが今まで以上に必死になって追いかけてくる事を気配で感じ取りながら俺はさらに速度を上げて森の中を突き進んでいった。

 

 

 俺達が遠征に出て早十二日。

 隊全体がそれなりに遠征の空気に慣れてきたので遠出しなければ出来ないような特殊訓練を実施している最中である。

 

 内容は五十人一組の班に別れ、森の中に潜んでいる俺を捕まえると言う物だ。

 

 一つの班の所要時間は半刻(およそ一時間)。

 その限られた時間の間、俺はあらゆる手を尽くして森の中を逃げ続け、班員たちはあらゆる手を尽くして俺を捕まえる為に奔走する。

 

 余談だがこの時代の時刻の計り方が日本は江戸時代の頃から行われていた物だと知った時は驚いた。

 ある程度は知っている方法だったので利用する事に違和感はないが、やはり時代背景を考えると疑問が残る。

 

 それは置いておくとして。

 この鬼ごっこには時間内に俺を捕まえられなければその班は食事抜きと言う罰則がある。

 ただでさえ遠征で食事には一定の制限がかかっていると言うのにここにきて一食抜きと言うのは兵士たちからすれば非常に厳しい物だろう。

 

 人間と言うのは厄介な物で環境に慣れていくと心のどこかで油断や慢心が生まれてしまう。

 その例に漏れる事無く遠征を開始した当初は緊張で心を引き締めていた彼らだが、今は慣れてきた事で気を緩めてしまっていた。

 

 宋謙殿などの俺よりも古株の者たちはそうでもないが、公苗などのこの遠征が初の本格的な軍務になる者たちは目に見えてわかる程に舞い上がっているのがわかる。

 錦帆賊と良好な関係を築く事が出来た事も彼らが舞い上がるのに一役買っているんだろう。

 任務を一部とはいえ考えうる限り最良の形で完遂した形になるのだから興奮するのはわかるし、その喜びや達成感が尾を引くのも仕方のない事だ。

 

 とはいえ仕方が無いで済ませてしまえば、取り返しのつかない失敗を犯す事になるかもしれない。

 なので気を引き締める意味合いを込めて罰則付きの訓練を実施すると言う結論に至ったのである。

 

 宋謙殿も皆に気の緩みや興奮が伝染する事を懸念し、同意してくれた。

 自分も罰則の対象になる事も笑って受け入れてくれる辺り、やはりこの人は優れた軍人であると俺は再確認する。

 

 精神年齢は俺の方が上だが『この時代の現役軍人として』大先輩である彼の存在はこの部隊にとって欠かす事の出来ない物の一つだ。

 

 

 訓練の方は既に三組が実施し、全ての組が罰則の犠牲になり朝飯抜きになっている。

 今やっている面々は朝食後なので罰則は昼食抜きと言う訳だ。

 

 唸り声を上げながら食事をする他の面々を睨みつけて空腹を押さえつけている罰則者たちの様子を見て、『一食くらい大丈夫だ』と楽観視していた最後の組の者たちも考えを改めている。

 当然だが副官である宋謙殿も公苗も班の一員として参加している。

 公苗は意気揚々と一組目として参加し、朝食抜きという無惨な結果になった。

 副官相手でも罰則が変わらない事が他の面々へ緊張感を与えたのは言うまでもない。

 

 ちなみに俺が捕まった場合も罰則として食事抜きになる。

 

 一回捕まれば一回分の食事抜きだ。

 しかし俺の場合は二回捕まれば二食分の食事抜きである。

 森の中での移動に関しては俺の方が慣れている為に、ハンデとして自分に課した罰則だ。

 

 とはいえ二回、ないしそれ以上の回数の食事抜きなんぞ必要に迫られた時以外は絶対に御免である。

 なので俺自身、手を抜いて訓練に当たるような余裕はないのだ。

 

 肉体を全力で使用し、頭を全力で働かせながら俺は四組目になる部下たちを振り切って森を抜けた。

 

 森を抜けた先にあるのは野営と昼食の準備をしている隊の皆の姿がある。

 そして俺が森から抜け出した直後。

 苦笑いを浮かべながら(恐らく四組目の犠牲者たちに同情しているんだろう)部下の一人が時間切れを告げるべく用意していた小型の銅鑼を叩いた。

 

 

 

「うう……おいしいです」

 

 目尻に涙を浮かべながら配給された料理を食べる賀斉。

 じっくり噛みしめるように味わうその様子に宋謙殿は苦笑いし、俺は成果が上々である事を確認してほくそ笑む。

 

「一食抜いた後の食事じゃからな。空腹は最大の調味料と言うしそりゃ美味いじゃろうよ」

 

 ぽんぽんと彼女の肩を叩く宋謙殿。

 公苗は彼の言葉にうんうん肯きながらいつもと変わらない味の食事を実に美味しそうに食べている。

 

「良い機会だ。食事が出来ると言う事のありがたみを知っておくといい。本拠駐屯の部隊と違って遠征軍にとって食糧難などの物資不足は非常に身近な問題だ。毎日食事にありつけるなんて考えだといざと言う時に保たないぞ」

「ご飯が食べられない事がこんなに辛いなんて思いませんでした。骨身に沁みて理解しました」

 

 朝食抜きになった連中が公苗と一緒に頷いている。

 

「その気持ちを忘れるな」

 

 俺はさらに言葉を続ける。

 

「飢えは人の気持ちを不安定にさせ、人の欲というものを剥き出しにする。今、世間を騒がせている大体の賊がそうだ。錦帆賊のように自分たちの意思で賊と呼ばれるようになった者などほとんどいない。日々の食事もままならず飢えを凌ぐ為に他者を襲う。一度、そうなってしまえば二度目への躊躇や良心の呵責は少なくなり、さらに繰り返していけば行為に対する忌避感など麻痺していき、それが当然の事であるように思い込むようになる」

 

 好き好んでなりたかったわけではなく、ならざるをえなかった。

 そんな境遇の人間が、賊として処断されていく。

 彼らはただただ生きるために必死になっただけだと言うのに。

 

「彼ら賊が民を虐げる以上、俺たちにとっては敵だ。しかしそこに止むに止まれぬ事情があるならば、その行為を悪と言い切る事は出来ない。国に仕える俺たちは国の政の犠牲者である彼らを糾弾してはいけない」

 

 黙り込み真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける一同。

 

「ほんの少し境遇が違ったら俺たちも賊として他者を襲う存在になっていたかもしれない。一食抜いて飢餓の恐ろしさを、辛さを一片だけでも感じ取ったお前たちなら理解出来るはずだ。その辛さを年単位で味合わされてしまえば良心などよりも本能が勝ってしまうだろう事がな」

 

 俺の物言いに何人かが険しい表情を浮かべるが反論は出てこなかった。

 そうなっていたかもしれないという可能性を肌で感じ取り、理解したからだろう。

 

「彼らは『もしかしたらの俺たち』だ。だが情けをかけろなどとは言わない。いざと言う時の躊躇いは自分だけではなく部隊全体を危険に晒してしまうかもしれないからだ。だが忘れるな。お前たちは兵士だがその前に一人の人間だ。そして『相手』も人間だ。どんな理由があろうとも相手の立場がどうであろうとも敵対する者を殺せば俺たちは『人殺し』だ」

 

 前世でも今世でも俺は人殺しだ。

 その事に言い訳などしないし、これからも必要とあらば人を殺す。

 敵も味方もない屍の上を歩いて生きていく。

 陽菜や祭、そして俺と共に歩んでくれる者たちと共に。

 

 そしていつか。

 どんな形であれ俺もまたその屍の一部になり、誰かに踏み越えられていくだろう。

 

 そうなる事がこの奇妙な時代に二度目の生を受けた俺が自分に課した覚悟だ。

 

「実戦経験の浅いお前たちには難しい事を言っているかもしれない。だが今伝えた事を忘れないでくれ」

「「「「「「「はい!!!!」」」」」」」

「よし! 午後からは行軍を再開する。食事が終わった者から後片付けを始めろ!!!」

 

 俺の号令に全員が起立し、両足を揃えて右手を額に当てて敬礼する。

 俺もまた彼らと共に起立し、彼らの敬礼に対して返礼する。

 

 場の空気が一拍だけ硬直した後、俺たちは手早く食事を終わらせて移動の準備を始めた。

 

 

 行軍を再開し、長江の流れに沿って歩く途中、宋謙殿に声をかけられた。

 

「なかなか様になった演説でしたな。この年にして考えさせられるお言葉でした」

「現実を知らない若造の戯言です。良い機会だと思いその場の勢いを借りて語ってしまいましたが、下手をすれば兵の士気を下げる事にもなりかねない危険な物だったと今は猛省しています」

 

 首を振って彼の絶賛の言葉を否定する。

 雰囲気に流されてしまうとは俺もまだまだ甘いと自嘲する。

 

「いいえ、隊長殿。貴方の言葉には確かな経験に裏付けされる重みと説得力がありました。それこそ幾多の修羅場を潜ってきたかのような、この老骨をも飲み込んでしまう程の意思を感じましたぞ。確かに弁舌を振るうには時期尚早であったかもしれません。しかしご自身の言葉を戯言と言い切ってしまうのは些か卑下が過ぎましょう」

 

 俺の言葉を諫め窘めるその言葉には強い意志が籠められていた。

 その言葉にもう一度、首を横に振ってしまう事は先の言葉がただ上辺だけの美辞麗句を並べた飾り言と化してしまうと理解出来た。

 

「時期は間違いであったかもしれませぬ。しかし結果を見れば士気は下がるどころか天井知らずに上がっております。その上、彼らの中にあった浮き足だち、不安定だった心は程良い緊張を取り戻している。これ以上の成果を望むのは欲張りと言う物でしょう」

「しかしそれは結果論でしょう?」

「ですが純然たる結果です。よもやそうであったかもしれない可能性に怯えて足を止めるおつもりですか?」

 

 俺の心を射抜くような鋭い視線と言葉。

 しかし俺は間髪入れずに首を振った。

 

「そんなつもりはありません」

「で、あるならば時期を逸していたかもしれぬ事についてはしっかりと反省し、次に活かすようになされるように。間違いを起こさぬ人間などおりません。であるならば過ちを糧により高みを目指されるように。貴方はまだまだこれからの人なのだから」

 

 力強く感じられた言葉が不意に優しくなり、彼の放つ空気が緩められていくのがわかる。

 そして俺は彼の言葉に納得していた。

 

 完璧を求める事はいい。

 しかし万事に置いて完璧な人間などいない。

 誰もがなにかしらの欠点を持ち、失敗を経験し続ける物だ。

 己が得意とする分野ですら失敗の可能性は常に抱えている。

 失敗の可能性に怯えていては何も出来はしない。

 そして既に起こった失敗に対していつまでも『ああすればよかった、こうすればよかった』などと考え続けている事に意味などない。

 無論、反省はしなければいけない、失敗と向き合う努力を怠ってはいけない。

 しかし囚われてはいけないのだ。

 

 わかっていたはずだ。

 精神年齢およそ百十年の人生の中で理解してきた事柄だったはずだ。

 しかし宋謙殿に指摘された事で理解がより深まったと感じる事が出来た。

 

「……ありがとうございます」

 

 ありったけの感謝を込めて言葉にする。

 すると彼は四角く無骨な表情を小さく緩めて笑った。

 

「いえいえ。老骨の戯言でございますよ」

 

 皮肉混じりの言葉に俺も小さく苦笑いを返した。

 

 

 俺はやはりまだまだ未熟なのだろう。

 舞い上がっていたのは彼らだけではなく、俺自身もだったのだから。

 

 なんでも出来るとまではいかないまでも俺が考え抜いた行動ならば上手く行くはずだと何の根拠もない自信を持ってしまっていた。

 

 それは正しく自惚れだった。

 こんな年になってそんな事を考えてしまうとはまったくもって不覚である。

 

 取り返しのつく所でその事を俺に教えてくれた宋謙殿には幾ら感謝してもしたりない。

 

 彼からの言葉を胸に刻み、二度と同じ失敗をしない事を誓った俺はより強く地面を踏みしめながら眼前に広がる広大な大地の先に目を向けた。

 

 

 

 

 

 文台様の旗揚げ―――と言うよりもあれは反乱と言った方が正確じゃな―――に付き合い、家臣として彼女らに仕えるようになって四年と少し。

 

 彼女らよりも長く生きた経験を買われて部隊の育成を任されてきたが、ここ最近は我が隊長殿の補佐を行っている。

 

 非常に充実した日々だ。

 彼が優秀であると言う事も勿論、そうだが彼は見ていて飽きない。

 元農村の出身とは思えない学のある物言い、卓越した武を持ちながらもそれを鼻にかけない謙虚な態度。

 民は勿論、部下にも気を配るその姿勢。

 

 上司としては正に理想と言えるだろう。

 

 しかし彼は時折、その態度と年齢がちぐはぐになる事がある。

 彼の年で知る機会などあるはずのない事柄についての知識を持っていたり、まるで子や孫を見守る老人のような目を公苗や部下たち、果ては雪蓮様や蓮華様たちに向ける事があるのだ。

 

 そして何より。

 見た目はどう考えても二十前後の若造だと言うのに。

 その言葉には何十年もの年月を生きた者のみが出せる説得力があった。

 

 しかし彼の在り様は見方によってはひどく歪な物である。

 加えて何か小さなきっかけで壊れてしまうかもしれないと不安にさせるような脆さを感じさせてもいた。

 

 だから私は彼の副官に志願したのだ。

 もしも彼の心が折れるような事があった時に、彼を支える者である為に。

 

 

 彼の弁舌を反芻しながら思う。

 やはり私の目に狂いはなかった。

 

 我らが隊長、刀厘殿の存在は兵を強くしその結果、国を強くする。

 しかしそれだけの力を有しながらも彼は脆く不安定なのだ。

 確かな決意に裏打ちされた言葉を部下たちに語って聞かせながら、既に過去の事である失敗の可能性に怯えてしまうような小さな心の持ち主なのだ。

 

 

 老骨の身で何が出来るかとずっと考えていた私だが今、ここで改めて決意する。

 この若く輝かしいが未だ昇り立つには至らない未来の光を全身全霊を持って支え続けよう。

 

 例えこの命、朽ち果てようとも。

 


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