陽菜との再会を終えた翌日。
俺は気持ちを新たに祭たちと共に建業城を訪れた。
昨日の段階で話が通っていた為、本人を示す証明として一ヶ月前に君理からもらっていた身分証明書(竹簡だが)を渡すだけですんなりと入城出来た。
今は待合室のような部屋に全員でいる状態だ。
偶にこの部屋にまで誰かを呼ぶ声や駆け足の音が聞こえてきている。
朝から多忙なのか、俺たちと顔を合わせる人間を集めるのに手間取っている様子だ。
窓がガラス張りになっているわけでもないので外の喧噪は筒抜けである。
その様子を耳で聞いているだけでも俺たちがかなりこき使われるだろう事が予想出来てしまう。
「なんぞ外が騒がしいな」
「どうも蘭雪様を探してるみたいだね。大声で呼んでる声がするし」
「他にも真名っぽいのが何人か呼ばれてるぜ。雪蓮様も呼ばれてるな」
「……また公瑾嬢を引っ張り回しているんじゃないだろうな、雪蓮嬢は」
「否定は出来ないわね。蘭雪様と雪蓮様って自由奔放だから」
「これから俺たちはそんな自由奔放な主君に仕えるんだ。他人事でいられるのも恐らく今の内だけだぞ」
「違いない。苦労しそうだな、俺ら」
これからの生活に思いを馳せながら談笑していると戸をノックして君理が部屋に入ってきた。
この時代にノックの習慣なんてなかったと思うが……もしや陽菜の影響か?
「お待たせしました、黄公覆殿、祖大栄殿、程徳謀殿、韓義公殿、凌刀厘殿。孫文台様以下、建業を支える臣下があなた方をお待ちになっております」
一ヶ月前に出会った時とはまるで別人のような君理の雰囲気に俺たちは驚いた。
「えっと……君理、じゃよな?」
不意打ちだった為につい確認してしまったのは祭だ。
しかしその疑問は俺たち全員に共通した疑問でもある。
正直、双子だと言われても信じてしまえるほどの変貌ぶりだ。
公私を完全に切り分ける人間と言うのはどこにでもいる物だが、それにしてもここまで雰囲気が変わる物じゃない。
「? 黄蓋殿、確認されるまでもない事だと思いますが? 一ヶ月前にお会いしましたでしょう?」
怪訝そうな顔で応える君理。
どうやら彼女自身は自分の雰囲気の変化を認識していないようだ。
「いや雰囲気変わり過ぎでしょ……」
「双子とかじゃねぇよな?」
彼女に聞こえないようヒソヒソと小声で話すのは塁と激。
その気持ちはよくわかる。
俺も同じ事を考えたからな。
「もしや気づかぬ内に礼を失するような事をしてしまいましたか?」
「いいえ、お気になさらず。今後の生活に想いを馳せて緊張していただけですので」
「大栄の言う通りです。君理殿にはなんら落ち度はありません」
「そう……ですか? であればよいのですが」
とりあえず俺たちの言葉で納得してくれた君理は居住まいを正し、俺たちに部屋を出るよう促す。
「では改めましてご案内させていただいます。私についてきてください」
「手間をおかけしますが宜しくお願いします。お前たち、行くぞ」
「ふふ、楽しみじゃなぁ」
「はい」
「お、おう」
「緊張するな〜〜」
誰でも緊張して萎縮してしまうだろうこんな時ですら、いつも通りにまとまりがない幼馴染たちの発言に俺はため息をつく。
さらに先頭に立つ君理が苦笑いしたのを感じ取ってもう一つ大きなため息をついた。
「蘭雪様たちに何か粗相をしないか心配になってきたな」
「我が主はご存じの通りの豪気なお方ですので、心配するような事にはならないと思います。貴方方は真名も預けられておりますし、どうかお気を楽に」
君理のフォローは非常にありがたいが一ヶ月前と比べて、彼女自身がこんなに豹変した状態で言われても説得力はない。
ぶっちゃけ俺たちが緊張している原因の半分は無自覚に雰囲気を変えている彼女のせいなのだし。
「そう言ってもらえるとありがたい」
そんな風に考えている事を悟られないように、俺はいつにもましてポーカーフェイスを維持しなが君理の先導に従って玉座の間を目指して歩いた。
村育ちの人間から見れば信じられない大きさの一室。
目測だが高さ三十メートル、奥行き四十メートルと言った所だろうか。
玉座の間と君理が呼んだその場所には、今の建業を支える者たちが俺たちを待ちかまえていた。
君理に目で促され、俺たちはずいぶんと高い場所にある玉座と向き合うように整列する。
左右にはいかにも文官と言った風体の男やら顔以外を鎧に包んだ武官などバラエティに飛んだ格好をした者たちが並んでいる。
彼女自身は俺たちを案内した後、左右に並ぶ者たちの列に混じっていた。
しかし妙な事に。
建業の政(まつりごと)に携わる主だった面々が集まっているだろうこの場に関係者であるはずの幼台……陽菜の姿はなかった。
「よぉ、久しぶりだな。お前たち」
玉座から整列した俺たちに手を振って挨拶する蘭雪様。
……陽菜の事は気になるが、とりあえず今は目の前の事に集中するべきだな。
「文台様もお変わりないようで何よりです」
「相変わらず固いな、駆狼。ここにいる面々は全員、私の真名を知っているぞ? 敬語は仕方ないとしても真名で呼べ」
相変わらず大守という責任ある立場にいるとは思えない気安い態度だ。
これから仕えるとなると少し不安だが、今は馴染みやすい環境にいる事を素直に喜ぶべきだろう。
「文台、お前と言う奴は。……仮にもこれから配下になる人間に対して威厳をもって接しろと言っただろう! 示しが付かないだろうが!!」
蘭雪様に対してこめかみを押さえながら意見するのは玉座の右側に立っていた女性だ。
公瑾嬢を彷彿とさせる雰囲気と蘭雪様に対する気安い態度から推察するに恐らく彼女が周異なのだろう。
彼女の言い分は尤もだ。
だがその配下になる人間の前で太守たる蘭雪様を叱りつける事も十分示しが付いてないと思うのは気のせいだろうか?
話がややこしくなるだろうからわざわざ指摘したりはしないが。
「あ〜、うるさいうるさい。身内に、それも内輪だけの席で固い態度になっても肩が凝るだけだろうが」
「お前なぁ。……もういい。この件については後で幼台と一緒に追求する事にしよう」
「はぁ〜〜、またか。もう何度も話し合ってるだろうに」
「定期的に抗議せんとお前の頭は都合の悪い事を記憶してくれんからな」
げっそりとした顔で玉座にもたれかかる蘭雪様。
そんな姿を晒してしまった時点で威厳も何もないだろう。
「ん、ごほん!」
空気が緩んでいる事を察した女性は、わざとらしい咳払いを一つすると俺たちに真っ直ぐな視線を向けてきた。
「主が失礼な態度で申し訳ない。私は周公共。今は席を外しているが文台の妹である幼台と共に政務、軍事全般を取り仕切らせてもらっている者だ。文台が見つけてきたその腕、大いに期待させてもらうぞ」
「凌刀厘です。ご期待に沿えるよう働かせていただきます」
目の前にいる周異以外に集まった者たちにも聞こえるよう玉座の間に響くよう俺は声を張り上げる。
「黄公覆じゃ。儂の腕、見事使いこなして見せてくだされ」
「祖大栄です。色々と至らない事も多いと思いますが宜しくお願いします」
「韓義公よ。自分で言うのもなんだけど頭を使う仕事って向いてないと思うからそこんところよろしく」
「程徳謀だ。なんでも出来るようにしていくつもりだから頼める事はなんでも振ってくれ」
俺に続いて祭たちも名乗る。
不遜な物言いに集まった人間が不快感を抱かないか不安になったが、俺が見ていた所ではそういう仕草は見られなかった。
俺が見れたのはあくまで表向きだけなので、心中でどう思っているかまでは察せなかったが。
とはいえ蘭雪様があんな気風で配下にも多大な影響を与えているだろう事を考えれば、態度や言葉の裏側を勘繰る必要はあまり無さそうだ。
「ああ、しっかりこき使ってやるからしっかり働いてくれ。ああ、それと真名の扱いは各々に一任する。預けたくなったらその時に預けろ。皆もそれでいいな」
「「「「「「はっ!!」」」」」」
広い室内に俺たちと居並ぶ建業の武官、文官の声が唱和するのを小気味良いと感じ、これからさらに忙しくなる事を意識する。
せいぜい気張って生きていこう。
この混迷としていくだろう戦乱の時代を。
適度に張り詰めたこの空気の中で、俺は改めて決意した。
「よし、それじゃ解散だ。今日もしっかり仕事しろよ、お前たち」
並び立っていた者たちが主の言葉に従って退出していく。
その様子を後目に蘭雪様は俺たちに最初の命令を飛ばした。
「さて……駆狼たちにはまず城の中の案内と仕事の説明をする。適任のヤツがいるんだが、ちょっと遅れていてな。少しここで待っていろ」
「すまんな。仕官して早々、ドタバタとしてしまって」
カラカラと笑いながら言う蘭雪様とため息を付きながら謝罪する公共。
「お気になさらず。人手が足りないと言う話は既に聞いております。それも折り込み済みで俺たちはここに来たのですから」
「そう言ってもらえるとありがたい」
苦労人気質の公共はとりあえず気が楽になったようで年期の入った苦笑いを微笑に変えていた。
「おいおい、早速仲が良くなっているじゃないか。駆狼、お前意外と女ったらしなのか? 駄目だぞ。公共には既に夫も子供もいるんだからな」
「そんなつもりは毛頭ありません。俺には心に決めた人がいますので」
「ほう、そいつは初耳だ」
よっぽど俺の言葉が意外だったのか蘭雪様は目を丸くしている。
横を見れば公共も同じような反応だ。
なぜだろう、失礼な事を考えられた気がしてならない。
そんな風に談笑を始めて大体、五分程度が経った頃。
この部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。
「姉さん、入るわ」
「おお、来たか?」
つい昨日、聞いた声が俺の耳を打つ。
嬉しそうな顔で俺たちが背を向けている出入り口を見る蘭雪様。
「すまんな、幼台。彼らを出迎える為とはいえ仕事を押しつけてしまって」
「ふふ、気にしないで。公共」
近づいてくるその声に鼓動が早くなる。
柄にもなく緊張しているらしい。
昨日、散々話したと言うのに。
もしかしたら再会の時に感じた衝撃の余韻がまだ残っているのかもしれない。
俺もまだまだ修行が足りないようだ。
「貴方たちが新しく入る人達ね? 私は孫幼台。文台の妹よ。よろしくね」
振り返れば笑顔で俺たちに頭を下げる陽菜の姿。
「あ、ああ。こちらこそよろしくお願いします」
「よ、宜しくお願いします」
最初から親しげな態度で接してきた蘭雪様とも異なる、まるで俺たちと自分が対等であるかのような態度を取る陽菜に激と慎が困惑している。
祭と塁は目を丸くして頭を下げた陽菜を見つめている。
「ほら、陽菜。こいつらが混乱してるだろ。お前、私以上に普段は上に立つ人間の雰囲気ないんだからこういう時くらいしゃんとしろ」
「姉さんにだけは言われたくないなぁ」
「まったくだな」
蘭雪様の物言いに苦笑いする陽菜と公共。
穏やかになった空気に当てられて俺まで気が抜けてしまう気がする。
「ほぉ? 駆狼。お前、そんな風に笑うんだな。なかなか良い顔をするじゃないか」
目敏い蘭雪様の言葉を聞いてその場にいた者たちすべての視線が俺に集まる。
幼馴染たち四人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で俺を見ていた。
思わず口元に手をやる。
口の端が釣り上がっているのがわかった。
どうやら無意識に顔を綻ばせていたらしい。
「こういう席でお前が笑うとは、珍しい事もあるもんじゃな」
「村にいた時も仕事の時は笑わなかったのに……」
「言っちゃなんだが不気味だな」
「なんか悪い物でも食べたの、駆狼?」
祭と慎はともかく激と塁の失礼千万な台詞は許容出来んな。
後でぶん殴るとしよう。
「はぁ……偶にはそういう事もある」
「はいはい、下手な誤魔化し方しないの。素直に気が緩んだって白状しなさい」
いつの間にか横合いから近づいていた陽菜に右頬を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られた。
「幼台様、お戯れが過ぎます」
予想外の陽菜の行動に対して素にならずに苦言を呈す事が出来た自分を誉めてやりたい。
「他人行儀禁止よ、駆狼」
しかしそれも儚い抵抗に過ぎなかったようだ。
あまりにもわかりやすく不機嫌な顔をして俺を見つめる陽菜。
公然とした頑固者である所の彼女は自分の意見を通すと決めた時は妙に言葉少なく、自分の要望を口にする癖がある。
「……今は」
そして残念な事に。
こうなった陽菜に俺が勝てた試しは数える程しかない。
「今は私の家族と貴方の家族しかいないでしょ?」
思わずここが玉座の間である事を忘れて陽菜を見つめてしまった。
なぜか蘭雪様たちはおろか祭たちまで水を打ったように静まり返っていて援護は期待できそうにない。
「……わかったよ、陽菜」
「よろしい、駆狼」
してやったりと笑って手を離す陽菜。
俺は眉間に浮かんだ皺をほぐしながら彼女を睨む。
俺の睨みなんてどこ吹く風だろうが、それでも自分の意志は示さないと碌な事にならない。
「「……駆狼」」
もう手遅れだったようだが。
底冷えのする静かな声音と発散される雰囲気に怯えながら恐る恐る後ろを見る。
そこにはこの場が戦場であるかのような気迫を放つ蘭雪様と祭の姿。
いつの間にか玉座から降りてきていた蘭雪様に右肩を、祭に左肩を掴まれる。
どこから出しているのかわからない万力の力で握り締められ俺の両肩は悲鳴を上げた。
「陽菜。お前、刀厘と親交があったのか?」
「ええ。今まで黙っていたのは姉さんが暴走するのがわかってたからなのだけど」
おいそこ。
俺の状況を無視して和やかに談笑してるんじゃない。
そして塁たちも興味津々な顔で耳を傾けるな。
「陽菜、火に油を注がないでくれ」
「いいじゃない。今までずっと会えなかったのだから少しぐらい羽目を外したって」
「その被害が俺に来るからやめてくれと言ってるんだが?」
「大丈夫よ、貴方だから」
その根拠はどこから来るのだろうか?
「ふむ。ちなみに二人はどう言った関係なのだ? ただ真名を預けあっただけの関係と言う訳ではあるまい?」
完全に面白がっている公共は笑みを浮かべながら追求してくる。
心なしか両肩にかかる力がさらに増した気がした。
もちろん気のせいではないわけだが。
「私たちの関係はね……」
そこでわざわざ溜めを作るな。
にっこり笑って俺を見るな。
ああ、まったく。
この時ばかりは七十年の連れ添いである事を恨みたくなった。
何を言いたいかが見つめあうだけで伝わってしまうから。
どうやら観念するしかないらしい。
正直、握り締められている両肩がどうなってしまうかが心配だが、だからと言ってこれから口に出す言葉を言わない訳にはいかない。
何故なら俺たちは共に在る事を誓い合った『夫婦』なのだから。
「生涯を共に在ると誓い合った仲だ」
「生涯を共に在ると誓い合った仲だよ」
俺と陽菜がまるで示し合わせたように紡いだ言葉は、この広い玉座の間に思っていた以上に大きく、鮮明に響き渡った。
こうして俺の仕官初日は。
仕えるべき君主とかれこれ十七年近い付き合いの幼馴染との命がけの鬼ごっこと言う壮絶な始まりで幕を開けた。
余談だがこの鬼ごっこの話は城内はおろか街にも瞬く間に広まってしまい、俺の名は『虎をして仕留められなかった男』として不名誉な形で広まる事になる。