乱世を駆ける男   作:黄粋

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第百十二話 一日目の終わり

「くっそ、思っていたよりずっときついぞ……」

 

 馬超が思わず馬上で呟いた声は戦場の喧噪の中に消えて誰の耳にも届かない。

 

 彼女の率いる部隊はだだっ広い平原という騎馬の機動力を最大限活かす事が出来る場所を縦横無尽に走り回っている。

 しかし彼女たちは具体的な戦果をほとんど上げていなかった。

 

 本来の彼女たちなら自分たちの絶対的優位と言えるこの状況であれば、敵対者の一部隊や二部隊は軽々と殲滅出来るだけの力がある。

 だがこの虎牢関での初戦において彼女たちの目的は『敵を倒す事』ではない。

 警戒するべき諸将が『呂布と凌操に集中している間』に、他の勢力を狙って動き続ける事こそが今の彼女たちの役割だ。

 

 故に強敵を相手に真っ向勝負をしていた汜水関での戦いよりも高度な戦いを要求されていた。

 

 今まで『可能な限りの敵部隊とぶつかり合い、両者の被害を抑える』などという巫山戯た戦いをした事がないのだ。

 そんな慣れない戦い方は、馬超たちにただ敵を倒す時よりも大きな負担をかけている。

 

 しかしこの苦労の甲斐あって派手に戦場を動き回りながらも反董卓連合への被害はほとんど出ていないという『少しでも聡い者』が見れば違和感を抱く状況になっていた。

 あくまで今のところの話ではあるが、反董卓連合の狙い通りの展開になっている。

 

 しかしこれは相手側、より正確に言えば『馬超たちが直接、襲撃する勢力』に手心を加えている事を気付かれないようにしなければならない。

 そしてこちらの事情など考慮する必要がない反董卓連合側は全力で自分たちを迎撃してくるのだ。

 

 隊全体の疲労、被害は相当なものになっている。

 思わず愚痴とも弱音とも言える台詞が口から出てしまうのも仕方ない事ではあった。

 同じ事を行っている張遼隊も、同じような状況である。

 

 彼女たちなりにその役割に務めて早数時間が経過し、既に日は傾き始めている。

 馬超隊の隊員に返り血や跳ねた泥、少なからず受けた傷で無事な者は一人としていない。

 その総数もたった一日で減ってしまっていた。

 

「(……すまない)」

 

 西平は常に異民族の襲撃が隣り合わせの土地だ。

 そんな場所で戦いに生きる者たちには、一つの共通した想いがあった。

 

 死ぬのならばせめて精一杯暴れてから死ぬ。

 

 捨て身と言い捨てられるような想いを胸に彼らは武器を取り戦ってきたのだ。

 そんな彼らの想いに蓋をさせて、この戦いに勝つ為に精一杯戦わせる事も出来ず死なせている。

 

「(この戦いの結果、私たちは反董卓連合の連中に侮られるだろう。そうなるように立ち回る事が必要だからだ)」

 

 『攻めあぐねて逃亡する』という事を繰り返す馬超隊、張遼隊。

 襲撃された者たちは汜水関での戦いに比べて、驚くほど被害が少ない結果を見て自分たちの実力を過信するだろう。

 そして董卓連合を、少なくとも直接対峙した馬超隊、張遼隊を見下す。

 

 そうなるように行動しているとはいえ、本懐を遂げる事も出来ず侮られたまま死んでいく仲間たちを見送らなければならない。

 この事実もまた馬超隊の心を蝕んでいた。

 音が出るほどに歯を食いしばり、軋む心身に活を入れる。

 

「(全て話し合って決めた事だろう! 私たち全員が納得したんだ! 私が今やるべきはあいつらの死を無駄にしない事。この役割を全うする事だろうがっ!!)」

 

 自らを叱咤し、次の標的を求めて馬を走らせる。

 さらに時間が経ち、空が赤くなる頃。

 汜水関でも良く聞いた甲高い笛の音が戦場に響き渡った。

 作戦終了の合図だ。

 

「脇目も振らず走れ!!」

「「「「「おうっ!!」」」」」

 

 撤退という言葉を使わなかったのは、これが敗走ではなく作戦なのだという事を自分たちに言い聞かせる為であった。

 

 

 

「……」

 

 今の凌操を指す言葉として『死んだように眠る』という表現がこれほど似合う言葉もないだろう。

 呼吸すらも最小限で鼾もなく、僅かに上下する胸だけが彼が生きている事を外界に教えてくれている。

 日が落ちるまでの間、ずっと反董卓連合の諸将たちを相手取っていた結果が今の彼の状況だった。

 

 撤退の合図の後、凌操は呂布と共に即座に踵を返した。

 勿論、敵は二人を逃がすまいと追いかけてきたのだが虎牢関からの援護と途中で合流した馬超隊、張遼隊の馬に相乗りする事が出来たお蔭で無事に戻ってくる事が出来た。

 

 だが呂布はともかく、あらゆる場面で気を張り巡らせて戦っていた凌操は無事に門を潜り抜けたところで力尽きてしまった。

 今回も相乗りしていた馬岱が上手く受け止めてくれたお蔭で地面と激突するような事態は回避出来た。

 しかし声をかけても何一つ反応が返らないせいで慌てて医務室に運び込まれる事になる。

 

 疲労困憊が極まった失神と判断され、今もこうして眠り続けている。

 医師の診察では命に別状はないが、最低でも一日は目を覚まさないだろうと言われている。

 

 彼の現状は今回の戦いがそれほど厳しい物であった事を示していた。

 なのだが、それは董卓連合の面々にある疑問を抱かせていた。

 

「なぜお主はそんなにぴんぴんしておるんじゃ?」

「? 楽しかったから?」

 

 目の前で倒れた凌操の姿によほど慌てていたのか彼を支えていた馬岱ごと担いで医務室に連れてきたある意味での功労者である呂布は軍議にも出ずにずっと凌操の傍にいる。

 

 今は倒れた凌操と動かない呂布を除いた将たちが明日以降の戦いの為に会議室に集まって話し合いに臨んでいる状況だ。

 

「まぁ呂布ちゃんはこのままあいつの傍で休ませておけばいいだろ」

「どのみち明日はあの子も凌操も出番はない予定だしね」

 

 空気を切り替えるべく張遼が咳払いをする。

 

「うちの隊は今日一日でかなり被害が出とる。馬超隊もやろ?」

「ああ。怪我人は隊の半分以上。十数人は今回の戦でやられてる。出撃出来ないくらいの重傷者もいる」

 

 話の水を向けられた馬超も疲労が濃い顔で隊の状況を説明する。

 相手に気を遣いながら戦って無事で済むわけがないのだ。

 これでも被害は可能な限り抑え込んだとも言える。

 

 決して本意ではないが、それでも最後に勝利する為に飲み込んだ犠牲。

 ここにいる全ての人間が彼らの奮闘に敬意を表している事だけが、馬超と張遼にとって救いだった。

 

「馬超隊、張遼隊も明日は休ませるべきじゃな。薬や包帯、治療に必要なものは気にせず使ってくれ。辛いとは思うがまだまだ先は長い」

 

 馬超と張遼は黄蓋の言葉に神妙に頷く。

 戦いはまだ一日目が終わったばかりなのだ。

 

「明日は俺たち建業が出るぞ」

「皆が今日、頑張ってくれたお蔭でこっちの被害はほとんどありません。大船に乗ったつもりで任せてください」

「だからしっかり治療と休息してちょうだい。あ、あと気が向いたら凌操と呂布の様子を見にいってあげて」

 

 この後、およそ一時間ほど話し合いは続いた。

 その間、凌操は一度として目を覚ます事はなく、深い眠りについたままだった。

 

 彼が目を覚ますのは翌日の戦いが始まった頃の事。

 しかし起床はしたものの身体の至る所が筋肉痛に苛まれた彼は、碌に動く事も出来ないままその日をかつての要介護者のような扱いを受けて過ごす事になる。

 

 

 

 一方その頃。

 一日目の戦が董卓連合の撤退によって終わった後、袁紹は即座に軍議を招集して戦の報告を求めた。

 殿を代表して曹操は全体の軍議に参加。

 しかし時間にして一刻とかからずに自分たちの陣地に戻ってきた。

 そしてすぐに裏同盟である劉備、公孫賛らを招集した。

 

「完全にしてやられたわ」

 

 集まった面々を前に彼女は開口一番こう言った。

 

 呂布を抑える為に自身の勢力の主力部隊を派遣した曹操、公孫賛、劉備。

 その結果は『呂布と凌操の二人を相手に終始圧倒される』という散々なものであった。

 とはいえこの二人を自由に暴れさせた事で発生する被害を考えればまだマシだと言える。

 これだけであれば手の内を探る為の初戦と考えて割り切る事が出来た。

 

 問題は主戦力が釘付けにされた場所以外の戦場。

 彼女ら以外の勢力が馬超と張遼に強襲されながらも大した被害もなく迎撃に成功したという情報が入った事で変わってしまう。

 

「結果だけを見れば私たちは殿の役割を無視して最前戦に割り込んだ挙げ句に大した成果を上げられなかったという事になるわ」

 

 汜水関でさんざん煮え湯を飲まされた二大騎馬隊。

 本来なら相応の勢力でかからなければ為す術なく圧倒される相手だ。

 少なくとも袁紹の腰巾着ではどうにもならないはずで、これは推測ではなく汜水関の戦いを分析した末の結論である。

 それがこの一日の戦いの結果で覆ってしまった。

 

 勿論、聡い彼女の陣営と集まった劉備、公孫賛たちはこの結果が董卓連合側による計略だと気付いている。

 そしてそこから導き出せる答えは一つ。

 

「董卓連合の初戦の狙いは連合内での私たち、いや孟徳殿の発言力を奪うこと、か」

 

 公孫賛の言葉が沈黙する陣地に嫌に大きく響いた。

 この中で袁紹と渡り合えるだけの背景を持つのは曹操のみ。

 その発言力を少しでも削ぎ、動きを制限する事が狙いだと公孫賛は読んでいた。

 

 実際に成果を上げたと舞い上がり増長した者たちは声高に自分たちの手柄を誇った。

 

「馬超、恐るるに足らず」

「張遼、恐るるに足らず」

「董卓連合、恐るるに足らず」

 

 呂布、凌操と直接戦ったわけでもないというのに彼らはこぞって『呂布と凌操を抑え込む事しか出来なかった曹操たち』を見下したのだ。

 それがどれほどの難行であるかも知らずに。

 

 もちろん曹操を相手に表立ってそんな事を言える者はいなかったが、目は口ほどに物を言うものであり彼らの感情の機微を読み取れない彼女ではない。

 曹操ならばその場でそんな者たちを論破する事も出来た。

 あえてそれをしなかったのは『そんなどうでもいい事』に時間を使っている余裕が無かったからだ。

 

「本初は私たちをこのまま最後方の守りに回したわ。明日は絶対に前線に出てくるな、だそうよ」

 

 単純な袁紹は増長した者たちの言葉を見事に鵜呑みにした。

 汜水関から虎牢関までの道中、ずっと袁紹にとって面白くない結果が続いていた事が、今回の都合の良い内容の報告を受け入れる後押しになったのだろう。

 長年の腐れ縁から何を言っても袁紹がこの愚かな決断を覆す事はないと察した曹操は、最低限の返答だけして軍議そのものを切り上げてきたのだ。

 

「貴方たちは今日の戦いをどう思ったのかしら?」

 

 水を向けられた劉備と公孫賛は、伝えるべき内容をまとめるために僅かに沈黙する。

 言いたい事がまとまったのか先に劉備が口を開いた。

 

「私たちは最後尾の輜重(しちょう)部隊の守備をしていました。董卓連合が奇襲してくるかもしれないから、気合いを入れて警戒していたんですけど……こちらにはまったく襲撃はありませんでした。遠目に見ていた前線に比べて不自然だと感じるくらいに平和でした」

 

 劉備が己の所感を語り、隣にいた自分の軍師である孔明、鳳統に目配せする。

 主の意を受けてまず孔明が己の考えを話し始めた。

 

「董卓連合の目的は汜水関の頃から続いている疑心暗鬼の増強だと思われます。恐らく汜水関での戦いの段階であちらにとって厄介な相手として私たちは目を付けられていたのでしょう。私たちが汜水関で温存されていた呂布が投入されると読む事も主戦力を対呂布に振り分ける事も想定していたと思われます」

 

 小柄ながらもその瞳に確かな智を宿した少女の言葉。

 それにとんがり帽子を目深に被っている鳳統が帽子のつばを握りながら続く。

 

「わ、私たちの配置をどこまで読んでいたかまでは分かりません。総大将の命令を無視し、戦線の指揮系統を乱したと言われても反論は出来ません。孟徳殿の仰るとおり、それだけの事をした上で報告すべき戦果もない。お聞きした本陣の方針を合わせればこれからの動きを制限されたのは間違いない、です」

 

 軍師たちの所感が出揃ったところで、公孫賛に視線が集中する。

 彼女は一つ咳払いをすると語り始めた。

 

「前線の事は報告を受けたが、今回の結果には疑問しか沸かない。騎馬隊最大の持ち味は騎馬の速度を利用した突撃だ。それを馬超と張遼は間違いなく理解している。今回のような結果になる事はまずありえない。そりゃ突撃をいなせる奴がいないとは言わない。だが今日あいつらが戦った相手にそれが出来る部隊がいたとはとても思えない」

 

 公孫賛は馬超隊と汜水関で戦っている。

 ぶつかった時の印象と感じ取った武力を考えれば、袁紹にごまをすっている諸侯では太刀打ちできないというのが彼女の評価だ。

 さらに馬超に関しては接触した事である程度の性格も分かっている。

 その上で考えれば今日の戦いは違和感だらけでしかなかった。

 

「言ってはなんだが私たちの白馬陣はその色合いからして戦場ではとても目立つ。だというのに輜重部隊周りを警戒して走っていた私たちに寄ってくる敵はほとんどなく奴らの影を踏む事もなかった。……間違いなく私たちは避けられていた」

 

 公孫賛は言葉を続ける。

 

「諸葛亮の言っていた通り、指折りの武官で呂布を速やかに抑えるというこっちの策は見切られていたんだろう。呂布に戦力が集中した事で少しでも馬超と張遼が動きやすい、いや普通に戦えば負ける事はないだけの状況を作った。その上であいつらは『戦いを挑んで敗走した』かのように振る舞った。口で言うほど簡単な事じゃない。兵の心情としても受ける被害を考えてもな」

 

 集まった面々が息を呑む。

 自分の腕に自信がある武人が、敗北の屈辱をあえて受け入れたという事実。

 その裏にあるだろう彼らの覚悟を感じ取ったのだ。

 曹操は満足げに頷く。

 

「そうね。『自分たちに犠牲を出してでも敗走したかのように振る舞う』だなんていくら計略であっても普通はやりたくはないわ。工程での被害を飲み込めるほどの信頼関係が出来ているという事よ。さらに損害を想定するほどの策である以上、初戦での狙いこそ『私たちの発言力を奪うこと』だとは思うけれど、それだけの為とはとても思えない。おそらく他にも狙いがあるわ。少なくともそう考えて私たちは動かなければならない」

 

 集まった者たち、特に知恵者たちの目は鋭い。

 その脳内ではこの戦いで張られた布石、そして董卓連合の狙いについて考えを巡らせているのだろう。

 

「明日以降の戦略は大幅な変更を余儀なくされたわ。知恵者たちは自分たちのすべてを絞り出して事に当たりなさい。これからの難局、乗り越えなければ未来は無いわ」

 

 曹操の重々しい言葉を噛み締めながら、彼女らの会議は続いた。

 

 

 

 『呂布と凌操と戦った武官』はこの会合から外されている。

 今後戦えないほど怪我をしたわけではない。

 しかし彼女らは勢力問わず示し合わせたかのように自分たちの中で今日の戦いについてまとめる時間が欲しいと言ってこの場を辞退していた。

 

 これが相手に言いようにされた敗北感から来る発言であるならば、公孫賛、劉備はともかく曹操は問答無用でこの場に連れ出しただろう。

 だが自分の配下である夏侯惇たちの目は決して敗北者のものではなかった。

 

「私たちは必ず呂布と、あの方の戦い方の謎を掴んでみせます。記憶が新しい今でなければいけないのです。故にしばしお待ちください」

 

 代表して申し出た夏侯惇の覇気は、『今もまだ戦っているのだ』と言わんばかりの気迫に満ちていた。

 

「(貴方たちは貴方たちの為すべき事を為しなさい)」

 

 声に出さずに可愛い部下たちを激励しながら、曹操は自らが今為すべき事に全力を注ぐべく飛び交う言葉に集中し始めた。

 

 


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