この時代の武を志す者は根本的に一人で戦う者である。
隊を率いる武官となれば指示を出す事はあるだろう。
同じ陣営の者、互いの利害の一致から共闘する事もあるだろう。
長い付き合いか、あるいは戦いの相性によって息の合った連携を見せる者もいるだろう。
たとえばそれは実の姉妹であり同じ主を頂く夏侯惇と夏侯淵であったり、義姉妹として旅をしてきた関羽と張飛であったり、幼馴染みである許緒と典韋であったり。
しかし武力で身を立てる者とは、強者と呼ばれる域にいればいるほど、戦いにおいて協力という言葉から遠ざかる。
己の力に自信を持つが故、その心にある武の頂きを目指す者としての矜持が自分の力のみでの勝利を求めるのだ。
同じ標的に対して互いに息を合わせる事は出来る。
しかし誰よりも強くという思いによって、意識的にか無意識的にか連携には僅かながら綻びが生じる。
さらに彼らはそんな状況を当然の事だと受け入れている節があった。
これは私生活でどれだけ仲が良いとしても例外ではない。
長い時間を共にし、同じ職場で働き、主観的にも客観的にも仲が良い孫呉の俺たちであってもだ。
しかしそんな武人の習性、本能といってもいい『それ』を理解し、制御出来るとすればどうなるか。
「はぁっ!!」
呂布の横薙ぎの一撃はとても強力だが大振りなもので、受け止める事はともなく避ける事は難しくない。
ましてや今この場に集まった者たちはそれぞれが一騎当千の兵だ。
その隙を逃すほど甘くはない。
しかしその隙を俺が埋めるのであれば話は別だ。
「くっ!?」
「うわっ!?」
呂布の隙を突こうとした関羽に突撃、腹部目掛けて拳を放つ。
俺の攻撃から義姉を庇おうと動く張飛は棍棒の一つを投げつけて足止めする。
よって関羽は自分で俺に対処しなければならない。
拳が届くよりも早く俺を薙ぎ払おうと青龍偃月刀を振るった。
その攻撃を俺は後方へバク転、いわゆる後方倒立回転する事で避ける。
だが俺の手が掴むのは地面ではなく、俺を壁にして突撃していた呂布の両肩だ。
「なっ!? ぐあっ!!!」
関羽は俺を標的に放った攻撃を彼女に弾かれる。
そして呂布の背後を狙っていた趙雲目掛けて俺はバク転の勢いそのままに上下逆さまで蹴りを放った。
「ふんっ!!」
趙雲は俺の一撃を上手く受け止め、呂布のがら空きに見える背中に突きの一撃。
しかしそれは俺が彼女の両肩を強く握り、持ち上げた事で空振りに終わる。
呂布は俺に持ち上げられるままに身体を回転させ、俺たちを囲い込もうとしていた武官たちの輪の外へと跳ぶ。
投石のように放物線を描いて飛翔した呂布は、その勢いで包囲に参加せず隙を窺っていた夏侯淵に襲いかかった。
「妙才っ!!」
「行かせると思うかっ!!」
思わず妹の方へ意識を向けた夏侯惇に踏み込み、至近からの右拳。
それは受け止められたが、すかさず武器を持つ手を掴んで引き寄せながら逆の手で首を狙う。
「ぐぅっ!!」
首を狙った手は残っている手で弾かれてしまった。
さらに力任せに俺を押しのけようとする夏侯惇。
しかしそれこそ俺の狙いだ。
「な、はぁっ!?」
俺は踏ん張っていた力を抜き、自ら後ろに倒れ込む。
拮抗していた力が無くなった事で前方につんのめり慌てる彼女の腹部に左の足裏を押し当てて勢いを付けて真後ろへと放り投げる。
巴投げだ。
「許緒、避けろぉおおっ!!」
「うわわわっ!?」
吹き飛んだ彼女は今まさに俺を攻撃しようとしていた許緒の真上だ。
仲間が俺への攻撃の直線上に割り込んでしまった為に、許緒は自慢の鉄球を放つ事が出来ずに夏侯惇を受け止める事になる。
それは大きな隙になった。
「うぐっ!?」
立ち上がった俺が投げつけた二本目の棍棒が夏侯惇を受け止める為に無防備になった少女の腹部に突き刺さってその場から吹き飛んだ。
「やああああああっ!!!」
典韋の冗談のように巨大なヨーヨーが周囲に誰もいなくなった俺の元へ地面を削りながら迫る。
その場で受け止める体勢を取った俺に対して左右から挟み込むようにして迫る関羽と張飛。
三方向からの攻撃。
俺は最後の棍棒を腰から引き抜きながら絶対絶命の危機に身構える。
だがそれも一瞬の事。
ヨーヨーが真横からの攻撃によって明後日の方向へ吹き飛んでいったからだ。
「きゃあっ!?」
超重量の武器が吹き飛ぶ勢いがあまりに凄まじく、典韋は引っ張られて姿勢を崩してしまう。
俺は手に持っていた棍棒を容赦なく彼女に向けて投げつけた。
しかしその効果を確認する暇はない。
俺は関羽を迎撃するべく左を向き、逆から迫る張飛に対して背を向ける。
それは張飛を無視したという事ではなく、典韋の攻撃を弾いた呂布が相手をしてくれると確信しての行動だ。
果たして俺の確信通り、呂布が俺と背中合わせになる形で張飛と向かい合うように割り込む。
背後でとんでもなく重く鈍い金属同士の激突音が響いた。
俺も関羽と数合の攻防を繰り広げる。
だが徒手空拳の俺と青龍偃月刀の関羽とではそもそもの射程距離が違いすぎた。
俺の距離まで接近すれば勝ちだが、入り込めなければあちらの勝ち。
相手もその事を理解しているが故に必要以上に踏み込まず距離を取る戦い方をしている。
唯一の投擲武器である繋げる事で長物となる棍棒が手元に残っていない俺に対して関羽は最適の戦い方を選択していた。
しかしそれは俺が一人であった場合の話だ。
「ふんっ!!」
「くっ!?」
対面する俺ばかりを意識していた関羽は味方である俺すらも巻き込むように振るわれる方天画戟によって強制的に距離を取らされてしまう。
俺は背中合わせの呂布にぴったり合わせて動く事で薙ぎ払いから逃れるように移動し、必然的に対面した張飛目掛けて距離を詰めるべく駆け出す。
「うりゃりゃりゃりゃりゃっ!!!!」
張飛の蛇矛の連撃が近付く俺を阻む。
攻撃一つ一つの必殺性に対して俺は怯む事なく勢いのままに張飛の足元へ滑り込んだ。
虚を突かれ、驚きに目を丸くする張飛の足を払い、俺目掛けて倒れ込む無防備な腹に手を添える。
「かはっ……」
掌底により内蔵に直接届いた衝撃で強制的に息を吐き出させられ身体を震わせた彼女の顎を打ち抜いた。
小柄な少女の身体は葉っぱのように宙を舞い、受け身を取る事も出来ずに地面へと落ちる。
すぐ立ち上がり警戒しながら周囲を見回せば関羽を圧倒する呂布の姿が見えた。
離れた場所で息荒く膝を付いている夏侯淵と典韋。
許緒と夏侯惇はその二人を背に庇いながらも戦意に満ちた眼差しを向けている。
俺は劣勢の関羽の加勢に向かおうとする趙雲の前に立ち塞がる。
「いやはや、ここまでとは。……参りましたな」
いつもの調子で声をかけてくる趙雲。
しかし顔に浮かぶ疲労は隠しきれず、声にも恐怖とも畏怖とも取れる感情が読み取れる。
「まだまだこれからだ」
趙雲の背中目掛けて棍棒が飛んでくる。
戦いの最中、拾っていたそれを呂布が投げつけてきたのだ。
間一髪でそれに気付いた趙雲は横に飛び退いてそれを避ける。
真っ直ぐ飛んでくる棍棒を俺は掌底で受け止め、壁にぶつかって跳ね返るボールのように横っ飛びしていた趙雲目掛けて弾き飛ばす。
「次から次へとっ!?」
真っ直ぐ迫る棍棒を彼女は不安定な姿勢のまま武器で弾いた。
その瞬間走り寄っていた俺は趙雲が武器を持つ手を両手で掴み、腕力に任せてハンマー投げの要領で振り回す。
これまでの戦いを見る限り、夏侯淵と趙雲がこの中でも周りを見て行動している。
こっちの消耗を少しでも抑える為に、ここらでいったんこいつには退場してもらおう。
「お前は邪魔だ。しばらく退場していてくれ」
「な、何をぉおおおおおおおおーーーーーっ!?!?」
二回、三回と身体全体を使って振り回し、たっぷりと遠心力を与えてから放り投げた。
先ほど巴投げした夏侯惇の比ではない勢いで吹っ飛んでいく趙雲を見送りながら、俺は呂布に吹き飛ばされてこちらに飛んできた関羽の背中に跳び蹴りを見舞う。
「がはっ!?」
ピンボールの球のように蹴り飛ばされた関羽だったが、当たりが浅かったようで転がりながらもすぐに立ち上がった。
彼女はそこでようやく義妹が倒れている事に気付いたらしい。
「益徳(えきとく)っ!!」
「自分の心配をしろ」
気が逸れた関羽へ走り込む。
真正面から迫る俺に対して関羽は武器を構えるが、咄嗟の判断とはいえ『俺だけ』を警戒してしまったのは悪手だ。
「隙あり……」
「ぐっ!?」
呂布の方天画戟に対して青龍偃月刀を盾に出来ただけでもこいつの超人的な能力の証明と言える。
だが防ぐ事は出来たものの踏ん張る事は出来ず、枯れ葉のように吹き飛んでしまう。
そして身動きが碌に取れない空中にいる彼女を俺は渾身の右拳をもって地面に叩き付けた。
「く、そぉ……」
心底無念だと分かる呻き声を上げながら関羽は意識を失う。
「安心しろ、殺しはしない。まぁ死なない事は別に救いにはならんだろうが、な」
戦で倒されながらも相手に見逃されたとなれば、武人としての誇りは傷つくだろう。
しかしこっちの思惑の為にも名のある武官には可能な限り生きていてもらわなければならない。
誇りを優先して自害するなんて事も十分あり得るが、流石にそこまで面倒は見切れんし、その程度の器だったと切り替えるだけの話だ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……疲れた?」
「ああ。……お前はまだまだ元気そうだな」
「うん」
まだまだ元気そうな呂布に肩を竦めながら同意する。
こちらは今までの攻防でかなり息が上がっているんだが、この子はなんなら楽しそうにすら見える。
本当に規格外だな。
「これ、拾っといた」
「助かる。ありがとう」
その辺に転がっていただろう棍を二本、呂布から受け取り腰に佩く。
一度、深呼吸をして溜まった疲労を抑え込み、この会話の間に体制を立て直したらしい曹操軍の諸将たちを見る。
「まだ日は高い。このまま引き付けるぞ。可能なら死なない程度に叩き潰す」
「うん」
未だ戦意を失わぬ敵に俺たちは同時に襲いかかる。
俺たち二人が現在、彼らを圧倒出来る絡繰りは説明してしまえば簡単な事だ。
俺と呂布。
どちらかに警戒を傾ければ、もう片方に強襲される。
呂布の圧倒的な存在感を無視する事は出来ない。
何をするか分からない俺を無視する事も出来ない。
敵側の認識を利用して頭で考える最適な行動と危険に対して起こる反射的な行動に差が出るように誘導したのだ。
目の前の脅威を無視する事は出来ず、しかし武人としての感覚が迫り来る別の脅威も認識してしまう。
よりわかりやすく言えば頭は目に見えない敵の事も考えるが、身体はまず自分に迫る脅威に反応するという事。
反射を理性で押さえ付ける事は難しい。
長年、力を磨いてきた者であればこそ咄嗟の反応というのは速いのだから。
少なくともこの戦いの中でそれが出来るようになるとは思えない。
なぜなら同じ事を解説した上で訓練として一週間ほどやっている黄蓋や馬超たちですら未だに対応出来ないのだから。
事前情報無しで戦いの中、この絡繰りに気付く事は難しいだろう。
もしもそれが出来るとすれば、戦いを俯瞰的に見た上で冷静に判断出来る者。
今戦っている者の中では射手として周囲を観察する事に長けている夏侯淵と、本人の性質から一歩引いて周りを見る事が出来る趙雲。
俺の中でこの二人は可能な限り早く排除する事になっていた。
現状、俺たちの戦いは全て思惑通りに進んでいると言って良い。
ただこの優位性はいつまでも持つ物ではない事も俺は知っている。
武人と呼ばれる者たちの成長性に限界はない。
本人が諦めさえしなければ無限に伸び続けると言っても過言ではないと俺は考えている。
俺自身も肖っている『それ』を過小評価する事はない。
持って数日、あるいは明日にでも、もしかしたら今日の戦いの最中に。
論理的に理解する事が出来ずとも対応する可能性があるのが武人という生き物だ。
出来る限り長い時間、戦いの流れを握り続ける事。
それが最初の目標だ
その為にも相手には俺たちの方が圧倒的に強いと誤認し続けてもらわなければならない。
戦いはまだ始まったばかり。