桂花と月下での語らいをした翌日。
董卓や翠たちとの合同軍議の前に身内だけで集まった席で、俺は彼女の言葉と教えてもらった献帝側の思惑を建業軍の皆に共有した。
「ふむ。あの子が無事であったのは何よりじゃな」
「僕たちが想像出来ないような苦労をしてきたのだろうけど一先ずは安心かな」
あの子が無事でいる事については皆、安心したということで意見は一致している。
「私としてもあの子が思ったよりも元気だったのは嬉しいわよ」
雪蓮嬢もまた彼女と関わった者の一人として喜んでいる。
「でもそれはそれとして、よ。私たちを董卓を都に残すために利用したというのに関してそのままにはしておくわけにはいかないわよ」
しかし意識が切り替わった事で孫家当主としての意見を出し、あの子の無事に安堵して緩んでいた場を引き締めた。
「軍師として言わせていただくなら完全に術中に嵌まった形になりますので、意趣返しはしておきたいですね」
眼鏡の位置を直しながら威圧的な雰囲気を作る冥琳嬢はさながら魔女のようである。
「ま、せいぜいこの戦いであちらが褒美に困るくらいに戦果を上げてやりましょう」
雪蓮嬢が茶目っ気たっぷりに片目を閉じて笑う。
桂花を糾弾するつもりなど端から無かった事がよくわかる物言いだ。
「最初からそのつもりだったんだろうに」
「これは会えなかったのを絶対根に持ってんな。なんなら建業にいた頃、桂花ちゃんに囲碁で全戦全敗してる恨みも入ってるんじゃないか?」
俺と激が小声で囁き合い、やれやれと肩を竦めていると雪蓮嬢が「何か言った!?」と賊も裸足で逃げ出す眼光を向けてくる。
聞こえてないのに自分について良くない事を言われている事には気付くのだから、この一家の直感は本当に高性能だな。
「さて話を戻しましょう」
胸の前でパンと手を鳴らし、冥琳嬢がその場の空気を改めて変えていく。
「この戦の終わり。我々の目指すところと献帝陛下の目指すところは一致しました。董卓もまた陛下の思惑に乗ることに同意している。であれば後顧の憂いはほぼ無いと見てよいでしょう」
そう俺たちは桂花からもたらされた情報によって、献帝側の思惑を把握する事が出来た。
有り体に言えば、寝首をかかれる心配をする必要が無くなったという事になる。
まぁそれでもこれからの情勢によってあちらの方針が変わる事も考えられる以上、最低限の警戒は必要だろう。
それでも最低限で済ませる事が出来るようになったというのは、それだけ労力を他に回せるという事なので僥倖と言えた。
「出撃は三日後に決まりました。既に準備は万全と自負しておりますが、出撃する方々にはそれぞれでも入念なご確認をお願いします」
冥琳嬢の指示に俺、激、慎、塁、祭が頷く。
「建業軍の大将は祭殿にお願いします。汜水関を捨てる時機の見定めと他軍との連携はくれぐれも慎重に」
「承った」
俺たち五人の中で大軍を率いた指揮に最も秀でているのは祭だ。
獲物が弓であるが故の視野の広さ、俯瞰しての戦況分析など俺たちが持っていない物を持っている。
慎と激が祭の補佐を、塁は拠点防衛に注力する事になっている。
そして俺は今まで少数精鋭を率いる事が多かった為に遊撃に回る。
作戦に従って動くつもりではいるが、指揮下を離れた臨機応変な対応が求められる。
むしろ今まで熟してきた仕事を考えれば妥当な采配だろう。
判断を誤れば部隊ごと敵陣で孤立しかねない危険な役割だが不満はない。
戦の果てに必ず目的を果たすという覚悟があるからだ。
それはこの戦場に立つ友軍全てに言える事でもある。
「雪蓮と私は後追いで虎牢関に向かいます。……可能であれば董卓らや陛下も共に」
「帝のお力を借りるどころか戦地へご足労願う以上、失敗は許されない。時機を見誤るなよ?」
俺の言葉に冥琳嬢は自信を持って笑って答える。
「無論です」
作戦内容の確認は続く。
「思春、明命の主要な仕事は反董卓連合への工作や情報収集だ。難しく危険な仕事をしてもらう事になる。無茶は許すが無理はするな」
「「御意」」
隠密として実力が特に高いこの子たちとこの子たちが率いる隊のやることは多岐に渡り、その負担は計り知れない。
しかし当人たちの顔に曇りはなく必ず成し遂げるという気迫に満ちていた。
多少の無茶は致し方ない状況に萎縮した様子もないのは実に頼もしい。
おそらくは身内全員が揃っての軍議はこれが最後になるだろう。
戦が終わったとき、この中の何人かが欠けている事も考えられる。
それを恐ろしいとは思う。
しかし逃げようとは思わない。
俺たちが望む結果を得る為に。
守りたいと願う者たちの為に。
恐怖を見据え、恐怖に打ち勝ち、必ず全員で帰ると誓う。
「必ず勝つわよ、この戦」
軍議を締めくくる雪蓮嬢の言葉は、その場に集まった者たちの総意だ。
最終確認に奔走していれば洛陽を発つ日はすぐに訪れた。
城内に整列する混成軍の姿は壮観の一言だが、これでも反董卓連合と比べればあまりにも少ないのが現実。
勝率が低い、などという事は分かり切っている事だ。
いよいよこの時が来たのだと、場の緊張は最高潮になっている。
出陣の号令を今か今かと待つ俺は、ふとこちらに近付く気配を感じ取りそちらに視線を向けた。
城内に入る為のかつて暮らしていた日本を基準とすればあまりにも横に広い階段。
その先にある玉座の間から『彼女ら』は姿を現した。
静かながら堂々と董卓が歩き、そのすぐ横に侍るように賈駆が。
彼女らの後ろを付き従うように雪蓮嬢と冥琳嬢、恋と陳宮が続く。
自分たちの遙か上の存在が現れた事に気付き、浮き足立つ兵士たちによってざわめきが場に広がっていく。
「皆さん。私は司空、董仲穎です」
だが彼女の静かながらよく通る声によってざわめきは一瞬で消え去り、その場にいる全ての人間が耳を傾ける。
「洛陽を、都を、引いてはこの中華の民を守る為に、恐れ多くも私は陛下に政の全権を任せられております」
まさか董卓が今この場所にいる経緯を本人から聞かされるとは思いもしなかった兵士たちの困惑は察するに余りある。
「私は陛下にこの大陸の安寧を誓いました」
身振り手振りもない、粛々と語られる言葉には並々ならぬ決意が宿っている。
「しかし袁本初を筆頭とした反董卓連合は陛下のご意志をねじ曲げ、あまつさえ自分の利益の為に利用しようとしています。かつての十常侍と変わらぬ愚行です。私たちはこれを止める為に此度の戦いに挑みます」
彼女の必ず勝つという意思が言葉によって兵士たちに伝播していく。
暴君と伝えられた俺の世界の董卓とは違う、為政者として他者を引っ張る力を感じる。
もしも蘭雪様よりも先に彼女と出会っていれば、彼女の下にいたかもしれない。
俺が思わずそんなもしもを想起するほどに、その言葉には引き込まれるものを感じた。
俺などよりも立場がより近い上に立つ者である雪蓮嬢は、彼女の演説に何を感じているのだろう。
「皆さん。この戦いは皇帝陛下に認められたものであり、私たちは帝の意思の代行者であり、この大陸の平和を担う者です。私たちは必ず勝利します。勝利する事が皆さんが大切だと思うモノを守る事に繋がります。ですから、どうか信じて付いてきてください」
一兵卒からすれば、天上人と言っても過言ではない董卓がひたすに丁寧にこの戦いの正当性を語った。
そして勝利を誓い、自分に付いてこいとまで言ったのだ。
これに奮起しない者はいないだろう。
静まり返っていた場は、いつの間にか喝采に包まれていた。
俺たちのように外から来た人間でも、背を押してもらったような安心感があるのだから、これは当然の反応だろう。
「いよいよ、じゃな」
「ああ。彼女の言葉を嘘にしない為にも頑張るとしよう」
必ず勝つという煮えたぎるマグマのような熱い気概を身体の中に抑え込んでいる祭に、同様の気持ちを抑え込みながら目を合わせ、不敵に笑い合う。
歓声を一身に受け止める董卓の脇に控えている雪蓮嬢に視線を向ければ、まるで示し合わせたかのように視線がかち合った。
その目が「勝ってきなさい」と言っている気がして、俺は「お任せを」という意思を込めてしっかりと頷く。
僅かに口元が笑っていた事から俺の言葉はしっかり伝わったのだろう。
「出陣!!」
総司令官である張遼の言葉を受けて、俺たちは整然とした列のまま歩き出す。
背を向けた遙か階上の玉座の間から誰かがこちらを見ている気がした。
都を出るまでの間、洛陽の民たちが不安げにこちらを見ている姿が視界に入った。
混成軍出陣の行進が行われた事によって戦いが始まる事が分かってしまったのだろう。
俺はそんな彼らの中に一刀の姿を見つける。
じっとこちらを見つめ、彼の服を握り締めている子供たちを宥めているようだった。
「(不安がらせてしまってすまない)」
自分だってきっと不安を抱えているだろうに、それでも自分よりも小さな子供を優先する優しさをあの子は持っている。
その事が不謹慎ながらとても嬉しかった。
「民に安寧の日々を取り戻す為に! 我らの手に勝利を!」
俺は少しでも彼らの不安を和らげる事が出来ればと檄を飛ばす。
俺の部下たちが、建業軍の仲間たちが、馬超の軍の気心知れた連中が、「応っ!」と叫ぶ。
「あちらさんに気合いで負けてられん! うちらも気張るんやで!!」
張遼が俺の檄ににんまりと笑って乗り、配下を鼓舞する様子を尻目に周囲を窺う。
俺たちの突然の行動に民はとても驚いたようだ。
もちろん一刀もその口で、最初に声を上げた俺を見ていた。
ばっちりと目が合ったので片目を閉じてしてやったりと笑いかけてやれば、あちらにも伝わったらしく笑ってこちらに頭を下げた。
これで少しは気が楽になっていてくれればいいが、な。
城下街をあっという間に通り抜けていく。
振り返るような事はせず、行軍は淀みなく。
ここから見据えるのは前だけ。
目指すは汜水関。
この戦いの最初の戦場。
首を洗って待っていろ、反董卓連合。
最後に笑うのは俺たちだ。