乱世を駆ける男   作:黄粋

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第九十五話 戦を前の一悶着。約束の一時

 先日、行われた交流試合。

 あれは良くも悪くもお互いの将の実力を把握するという目的以上の効果を発揮している。

 

 董卓側の兵士からこちらを侮る空気が霧散し、一定の信用が得られた事。

 将に対しては目に見えてわかるほどに敬意を持って接してくるようになった事。

 こちらの実力が自軍の将と拮抗する物であると董卓軍筆頭軍師である賈駆が認めた事により、これからの戦いで取れる戦略の幅が広がった事。

 呂布の専属軍師を名乗る陳宮(ちんきゅう)に目を付けられ、ことあるごとに絡まれるようになった事。

 交流試合の相手となった張遼、華雄から鍛錬やら試合の申し込みが行われるようになった事。

 

 この中では鍛錬やら試合の申し込みとだけが面倒くさいが、状況が状況である事から適当に流してしまえばよいとこの時は思っていた。

 実際、張遼は場を弁えており、こちらの都合にも配慮し、今の切迫した状況も理解しているのでお互いに余裕があればと約束する事で問題は無かった。

 陳宮に絡まれるのも面倒事には違いないが、正直あの子の因縁の付け方がお姉さんを取られると思った妹の嫉妬のようなものにしか見えず微笑ましい気持ちで受け流しているので気にならないのが実状だ。

 

 問題は華雄だった

 奴は呂布と引き分けた俺と自分を一蹴した慎に呆れるほどに執着し始めた。

 俺たちがいる場所がどこだろうとお構いなしにやれ今すぐ勝負しろだのなんだのとやかましく言ってくるようになったのだ。

 あまりにも頻繁に挑んでくるため、俺と慎の方が根負けして勝負を受ける事にしたほどだ。

 

 そして意気揚々と試合の臨む華雄を俺たちは一蹴した。

 他にやらなければならない事が山ほどある状況で、子供の癇癪のように言い募ってくる華雄に苛立って容赦なく対応した俺たちにも悪いところは間違いなくあっただろう。

 

 華雄はあまりにもあっさり自分が負けた事を認めようとしなかった。

 自信があったのだろう自分の武があっさりねじ伏せられた事が信じられなかったんだろう。

 俺たちがもう少し華雄に花を持たせるように戦っていれば話は違っていたかもしれないが後の祭りでしかない。

 

 こんなはずはない、何かの間違いだと言いながら、俺たちに対してさらに執着するようになった。

 酷い時は軍議の真っ最中に大斧片手に恫喝してきたほどだ。

 ここまで事が大きくなると、俺たちと華雄という個人の話では済まなくなった。

 

 慎に負けたのが悔しいというのも、敵無しと謳われている呂布相手に引き分けた俺に興味を持つのもわかる話だ。

 だがそんな一個人の意思を、主人や洛陽の進退がかかっている場にまで持ち込む奴に将の資格などないと俺は思う。

 

 董卓も賈駆も張遼も華雄の暴走に頭を痛め、被害者である俺たちや君主である雪蓮嬢に正式に謝罪した。

 己の愚行で主が下げなくてもよい頭を下げているのを目の前で見た事で、ようやく奴も自分の過ちに気付いたようだがはっきり言ってもう遅い。

 戦士として抜きん出た力を持っているとはいえ、自分の事しか考えられない奴に背中を預ける事など出来ない。

 

 余所の、それもこちらよりも上の立場である董卓らの人事に口出しするのは憚られたが、華雄に関しては放っておくとこちらにも飛び火するだろう事が簡単に予想出来てしまう。

 結局、雪蓮嬢から建業太守として正式な抗議をさせてもらう事になった。

 

 董卓と賈駆はこちらの気持ちに配慮し、華雄を武官から罷免。

 張遼の麾下に部隊丸ごとを吸収する形で配属する事になった。

 張遼には災難な話だが、あれが暴走しないようしっかり手綱を握っていてほしいというのが俺たち建業側の総意だ。

 

「此度の配下の無礼、真に申し訳ありませんでした」

 

 華雄を信じていた董卓の悲しげな視線と俺たちに向けてかけられた謝罪の言葉。

 主君の言葉から自身に向けられる悲しみを感じ取ってか、それまでの猪突猛進ぶりが嘘のように、魂が抜けたかのように力なく沈黙する華雄。

 奴が呂布によって引きずられるように外に連れ出される姿に迷惑をかけられた俺として溜飲が下がる気持ちだったが、俺はそれを顔に出さないように最大限頑張ったつもりだ。

 これ以上、こいつの事で面倒事が起きるのはごめんである。

 

 

 華雄の件が片付いた後。

 諸々の準備に目処が立ち、反董卓連合もまた動きを見せ始めた頃。

 俺は指切りでの約束通り、呂布の邸宅に招待された。

 雪蓮嬢を筆頭に、誰もが特に心配などせずに送り出してくれている。

 

「まぁあれだけ懐いている呂布なら滅多な事はないじゃろうが、これ以上妻を増やすような事にはするなよ~」

 

 祭からはだいぶ軽い言葉を送られていた。

 まぁそれも呂布の俺に対する気持ちが親愛である事に気付いているからだが。

 

 そうして教えられた場所は洛陽の端にある一軒家だった。

 外から見てもそれなりに大きいが、家よりも庭の方が大きい造りのようだ。

 庭で鍛錬することを考えての造りなのかもしれない。

 

 呼び鈴やインターホンなんてものは無いので家の敷地の前から中に向けてそこそこ大きめの声をかけた。

 

「呂奉先殿! 凌刀厘が参りました!」

 

 

 庭にいた複数の気配が俺の声に反応してこちらに向かってきているのがわかる。

 現れたのは大小様々な犬や猫だった。

 

 彼らは見知らぬ人間を前に怯える事無く、まるで何用かと問うようにこちらを静かに見つめる。

 

「騒がせてすまない。この家の主に用があるんだが、呼んでもらえるだろうか?」

 

 一際大きい赤茶色の毛を持った大型犬が、俺の言葉にまるで返事をするかのように一度吼えると庭の奥へと下がっていった。

 しばらく待つと犬と一緒に呂布が出迎えに来てくれた。

 

「来てくれてありがとう。入って。……この子はセキト」

 

 この子と会う度に思うのだが、無表情だというのに感情がわかりやすいな。

 俺が来た事が嬉しいという感情が表情こそ変わらないのに雰囲気で伝わってくる。

 誰が見てもわかるほどだ。

 

「お招きいただきありがとうございます。セキト、ご主人を呼んでくれてありがとう」

 

 気を抜けばほんわかとしてしまいそうになる心を抑え込み、招かれた事に礼を述べる。

 彼女を連れてきてくれた忠犬には礼と共にそっと頭を撫でてやると喜んで尻尾を振ってくれた。

 主人に似て人懐っこいようだ。

 

「こっち……」

 

 俺の手を引いて家の中へ。

 一人で暮らすには大きい家だと感じたが、手入れは行き届いているようだ。

 彼女自身は私生活に気を遣うような性質では無いように思えるため、陳宮辺りが家の管理を手配しているのかもしれない。

 

 案内された居間にてそれなりに大きいテーブルを挟んで椅子に座る。

 招待を受けたのはいいが用件は聞いていないので話を促すように彼女を見つめるも、呂布は俺をじっと見つめるだけで一向に口を開かなかった。

 というよりこの子、何が楽しいのか俺とこうして見つめ合っているだけで楽しいらしく、何もするでもなくただただじっと視線を向けてくるだけだった。

 何をするでもなく向かい合って見つめ合う謎の空間が出来上がるも、不思議と気まずいとは感じない。

 この場所は今だけ、洛陽に来てからの慌ただしい時間から切り離されていた。

 

「手、触りたい」

 

 心地よい静けさの中、請われるままに自分の右手を差し出すと、呂布は俺の手を両手でそっと包み込むように握る。

 その気になれば俺の右手を握り潰す事も出来るだろう手は、ただ無邪気に俺の手に触っている。

 無表情ながらその口元を小さく綻ばせている様子は見ていて微笑ましい。

 

 俺はこの子がただただ俺と一緒にいたい為に自宅に招いたのだという事を理解した。

 であれば今ここにいるのは洛陽の将軍でも、建業の懐刀でもない。

 ただの呂布という少女と凌操という男であるならば、畏まる必要もないだろう。

 

「くすぐったいぞ」

 

 窘めるように言いながら、俺は空いている左手で呂布の頭をそっと撫でる。

 俺の右手を自分の頬に当てながら、撫でられるままに彼女は目を閉じてふにゃりと笑った。

 

「気持ち良い……」

 

 心の底から安心している少女の姿は建業にいる子供たちを思い起こさせる。

 

 呂布についての調査書によれば、武官として名を上げるまでの経歴がはっきりしない事がわかっている。

 その外見から大陸の外から流れてきたという推測があるが、それはつまり俺たちのように邑で平和な暮らしをしていた可能性が低いという事を示していた。

 天賦の才としか言い様がない理不尽な身体能力も加味すれば、福煌と同じように親というモノとは縁の薄い幼少期を過ごしていたのかもしれなかった。

 

 この子は甘えられる相手がいなかったのかもしれない。

 そしてこうも思うのだ。

 この子はずっと無条件で甘えられる相手を探していたのかもしれない。

 

 憶測に憶測を重ねた結論ではあるが、この甘えっぷりを見ればあながち間違っているとも言い切れない。

 俺が甘える相手に選ばれたのは、色んな理由が重なった結果なのだろうけれど。

 

 それでも選んでくれたのだから出来うる限り応えたいと俺は思うのだ。

 だから彼女の気が済むまで、自分の子供にするように甘やかし続けた。

 

 


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