DARK SOULS The Encounter World【旧題:呼び出された世界にて】   作:キサラギ職員

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Fall

 姿を見せたのは――顔といわず首も腕も足さえも包帯でグルグル巻きに縛り上げた老体であった。辛うじて垣間見える口元と目元も枯れた木のように水気を失っており、異様に捻じ曲がった背中からは木の枝のような物体が生えている。足に相当する部位でさえ、包帯の隙間から刺々しい黒い組織が垣間見えていた。もはや体重を支えることさえできないのか灰色の杖を付き、おぼつかない足取りでシャナロットの元へと歩いてくる。

 異様な風体。年をとっているのではなく奇形でもない。別の生き物のような姿をした老人が血の匂いの充満する不気味な室内へと入ってくるのだ。嘔吐を必死に堪えていた娘からすれば魂を丸ごと引き抜かれんばかりの衝撃であった。

 腰から力が抜ける。思わずその場にへたり込むと、逃げようと四つんばいで床を這う。途中床に積まれていた本をひっくり返した。

 

 「待ってくれ……どうか……どうか……」

 「いやぁっ! こないでぇっ!」

 

 老人の擦れ声と少女の甲高い悲鳴が交錯する。

 老人が喉奥からガラガラと粘液を吐き出す。動くこともままならないのであろうか。杖を取り落とし、床に倒れる。あるいは動くこと自体を想定していない生き物なのかもしれない。

 シャナロットは必死で床の上で暴れていた。人間の格好をしていながら明らかに違う異形を相手にして、戦うという選択肢は無かった。アッシュやキアランのような戦士ならばすぐさま武器を抜いて応戦したであろうが、年端も行かない女の子には不可能な話だ。

 しかし老人は祈りを捧げるようにシャナロットの傍に屈みこむと、布に包まれた何かを寄越した。床の上に置くと、邪魔にならぬようにと後退していく。

 

 「いつか必要になるときが来る。時も空間も歪んだ我らにとって……」

 「………?」

 

 敵であると思い込んでいたはずの老人は、シャナロットを包帯越しに見つめるばかりであった。

 危害を加えてこないことに不思議に思ったシャナロットは自分の顔を覆っていた手をどけて老人を見遣った。老人は床に屈みこみ、体を前傾させてじっと見つめ返してきていた。理性の輝きを感じさせる瞳――もっとも包帯で見えなかったが――の存在を確かに認めた。

 強く饐えた香りが漂い始める。濃密な血の香り。扉にかかっていた鍵と蝶番が同時にはじけ飛ぶと、木製の扉が悲鳴を上げて倒れる。扉を乗り越えて四つんばいの怪物が姿を見せる。狂気的な赤い月を背景に。

 シャナロットは思わず頭を抱えた。ずるりと頭巾がずり落ちると、深い青系の瞳が露出する。瞳から涙が零れ落ちていく。脳細胞を破壊しつくさんばかりの苦痛が理性を蝕んでいく。

 

 「ぁ……あああッ……!」

 

 あの月はなんだ。おぞましい月はなんだ。冒涜的な光を湛えた月は一体なんなのだ。街を覆いつくさんばかりの冒涜的な輝きを放つ球体は。鼓膜を破壊せんばかりのフルートの音。風の音。鐘の音が鳴り響いている。

 しかし老人は月を直視しても意に介さず、むしろ姿勢を正すのであった。

 つい今しがた扉を破ってきた四つんばいの狼らしき怪物と対峙するために。狼を縦と横に伸ばし黒いペンキをぶちまけたような怪物を殺すために。

 シャナロットの心は恐怖一色に染め上げられていた。必死に記憶を手繰る。育ての親は既に死んだ。母も死んだ。友もいない。誰か助けてくれる人はいないのか。誰か。記憶のページを捲くる手が止まる。凛々しい騎士姿。頼れるのは一人しかいない。

 

 「アッシュ……!」

 「……酷い場所に送られたものだ……。あやつの足掻きの結果か。わしが時間を稼ぐ。その間に……逃げなさい。これを忘れずに……」

 

 老人がシャナロットと怪物の間に盾になるように立ちふさがる。後ろ手にそれを足元に落として。

 褐色と白の古びた鳥の羽だった。思わず拾い上げたシャナロットが呟く。

 

 「羽……?」

 

 老人が腰に携えた剣を引き抜いた。杖が床に転がった。

 剣を正眼に構えると、威嚇するかのように一振り。己の顔半分が隠れるよう構えてみせた。剣を握る指の本数は明らかに人のそれではなかったが、剣の扱いは武人であった。

 獣が飛び掛る。老人が突き出した刃をものともせずに片腕にかじりつくと貪る。老人が雄たけびを上げて剣で獣の頭部を切りつける。次に腹部に噛み付かれる。ドス黒い血液が床に散らばった。

 凄惨な戦闘を見せ付けられシャナロットが怖気づく。

 

 「早く……! 早く逃げなさい!」

 

 老人が喉を噛み切られていた。ゴポゴポと黒い血液が噴出する。人ならば致命傷であろう。獣もそう確信したのか明らかに攻撃の手を緩めた。

 次の瞬間、獣の目玉に向かって老人の片腕が突き出される。頭蓋骨へと入り込んだ手が内臓もろとも全てを掴んでいる。獣があがくも全ては遅かった。脳漿のピンク色が目玉から引き摺りだされると、空中でぐしゃりと音を上げて握りつぶされてしまった。

 獣が痙攣しつつ床の上を転がる。

 老人はその場に蹲り動けない様子であった。片腕は噛み千切られ、喉は完全に破壊されていたからだ。争いの結果として顔を覆い尽くす包帯が全て解けていた。眼球があるべき場所には暗い穴が口を空けて待っていた。鼻も無く、口に相当するであろう部位には歯の一本さえない。

 けれど老人は見た。シャナロットが荷物を大切そうに胸に抱えて外に飛び出していく様子を。

 

 「はっ……はっ……はっ……!」

 

 シャナロットは羽を握り締めて願った。

 夢ならば覚めろと。悪夢ならば覚めるべきであると。

 羽が薄い燐光を纏い始めていた。

 悪夢のような街を駆け抜けていく。

 背骨の突き出た異様な長身の男たちが徘徊している。肥え太った鴉が死肉を啄ばんでいる。

 逃げる逃げる逃げる。逃げて逃げても終わらない。シャナロットの小さい影に反応したのか目の濁った徘徊者達が鼻を鳴らす。よい血のにおいがすると言わんばかりに。

 獣狩りの鐘が鳴った。

 悪夢ならば覚めろと願っても覚めることはない。

 悪夢は巡り、終わらないものなのだろうか?

 足がもつれて転んでしまった。慌てて起き上がろうとするシャナロットの前に端をまるで鳥の羽のように毛羽立たせた独特な帽子を被り顔を隠した男がいた。男はシャナロットを無感情な瞳で見つめていた。

 そうして目の前が真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 「どこに行っていたというのかね」

 「え」

 

 シャナロットは思わず空虚な生返事を発していた。

 ここはどこだろうと辺りを見回す。人人人。人の群れ。人ばかりの壁があたり一面散らばっている。視界を覆い尽くすまでの人の群れの最中に、ゆるりと腕を組みタバコを吹かす紳士が立っていた。灰のように穏やかな目つきをした男、デュラであった。

 彼は杖をポケットに引っ掛けたまま、停まって荷降ろし中の馬車に寄りかかっていた。

 シャナロットは唖然と口を空けたままあたりを見回した。デュラと手を繋いで歩いていた大通りに違いない。夢から覚めたはずなのにベッドの中に居なかった。まだ夢を見ているのだろうかと自分の頬をつねる。手加減抜きで抓る。白いもち肌に赤い花が咲き誇った。

 

 「いたい!」

 

 痛かった。頬を押さえて蹲っていると、デュラが頭を掻きつつ横に屈んで頬の様子を見る。まるで親が子の調子を診断するかのような自然さで。

 傍から見ていれば親子か何かのように見えたであろうか。

 

 「ンム……だろうな。急に頬など抓るから痛くもなろうよ。どれどれ。あぁ、強く抓りすぎだ」

 「あう……だ、だから私は子供じゃありません」

 

 デュラの手から逃れるシャナロットは、自分は無意識に鳥の羽を握り締めていることに気がつかなかった。それは古びてはいたがなお温かく艶を失ってはいなかった。

 デュラがシャナロットが取り落とした布の袋を取り上げる。金属的な構造物が手に触れる。水筒か何かであろうと勝手に見当をつけると、シャナロットの胸元に押し付けた。

 

 「忘れ物だ。さて今度は首輪でも嵌めて引っ張っていこうかね? 手を繋ぐほうがいいかね? おんぶでもかまわんぞ」

 

 シャナロットは皮肉な言い方をされて、落し物とやらを胸に抱いてほほを膨らませた。

 

 「やだ。……あれ?」

 

 そして、押し付けられたものを見て首を傾げた。先程の光景が夢ならば持っていてはいけないはずのものだ。デュラが自分に渡すために準備していたと仮定しても渡す意味がないのだ。

 

 「……夢じゃなかったの?」

 「どうしたシャナロット」

 「なんでもない」

 

 首をかしげるシャナロットの隣を行くデュラが言葉をかけた。見失ったのはたまたまであると自分を納得させることにしたらしい。

 デュラの横を行くシャナロットの手には大切そうに羽が握られていた。

 幸運を運ぶという偉大なる大鳥の羽が。

 

 

 

 

 

 「何も覚えていないのか」

 「先ほども言ったと思うが自分に関することはほとんどわからない。目を覚ましたときは墓場の中だったのでな……おぼろげながら農民だったような記憶があるが……私はソウルを奪いすぎた。誰か名も無き不死の記憶かもしれん」

 「そうか……」

 

 キアランは頭痛をこらえるように眉間を押さえうなり声を上げていた。

 日が徐々に傾き始める時間帯。

 アッシュにあれこれ聞いた結果を元に自分なりに考えをまとめているらしい。

 グウィンの火継ぎ。滅んでいった国。興った国。大衆レベルにまで浸透した火継ぎと巡礼の使命。最初の火を守っていた古い戦士のこと。

 つまり――キアランの静かなる瞳がアッシュの顔を見やった。闇を食い止めようと命を捨てたアルトリウス。アルトリウスの誇りを最期まで守り続けた賢き狼。巨人であることを蔑まれようとも誇りを貫いた射手。そして自分。犠牲は決して無駄ではなかったのだと。

 アッシュは胸元に太陽をかたどった妙な服を着込んでいた。デュラをして売るか捨てるかを考えていたという奇抜なスタイルの衣服である。話の内容が内容だけに浮いていた。曰く、妙な格好をした男から譲り受けたそうである。

 

 「貴公は大王グウィンの後継者なのだな……」

 

 キアランは苦すぎる茶を啜り顔を顰めたが、すぐに真顔に戻った。

 それは哀愁と温かみに満ちた声であった。キアランは王の刃たる地位を退いた身とはいえ、太陽の偉大さを知っている身である。暗殺者という最も薄暗い影が、太陽という明るい光について無知無関心なはずはないのだ。

 だがアッシュは乾いた笑いを浮かべると自分で淹れてきた茶を啜った。酷い味だ。温度管理も茶葉の量も狂っている。

 

 「私はただの不死に過ぎない。哀れな使命という記憶にとらわれた一端の騎士さ」

 

 続けてアッシュは言葉を言いかけて首を振った。

 私は火を継ぐべきではなかったのではないかと。

 火の寿命がつきかけていることなど、目の前の騎士だった女にはとても言うことはできなかった。

 とある男は未来を垣間見たという。全てが終わった後に深海の時代がやってくると。故に苦行であることを知りながら長い年月をかけて神を喰らいはじめたのだ。溢れんばかりの人の淀みによって自らもまた喰われながらも。

 次の言葉をキアランへと投げかけるよりも先に扉が開かれると、シャナロットを姫様抱きしたデュラが現れた。

 シャナロットはデュラの腕の中で布の包みを抱え込んでいた。潰さないように褐色と白の羽をやんわりと握りつつ。表情は硬く悪夢にうなされているかのようで。

 

 「ただいま戻った。姫様はお疲れの模様でね。疲れるような距離でもなかったはずだが」

 

 怪訝そうな表情でシャナロットの顔をうかがっていたデュラが言った。

 ソファーへと小柄な体を壊れ物でも扱うように運んでいくと寝かせる。

 

 「妙な白昼夢でも見たのかもしれん。化け物たちが襲い掛かってくるような夢をな」

 

 言うとデュラは意味深に笑った。

 

 「どうだった。答えは大まかわかるが……」

 「もぬけの殻だった」

 

 アッシュが問いかけると、デュラはシャナロットの隣に腰を下ろし言った。




【古びた鳥の羽】
老人が少女に手渡した鳥の羽。
それは幸運を運ぶ鳥の羽であるという。
膨大な年月に晒されているのか色あせてしまっているが、
なおも温かみを感じさせる。

【月】
「宇宙は空にある」

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