DARK SOULS The Encounter World【旧題:呼び出された世界にて】 作:キサラギ職員
夢を見た。
あらゆるものが輪郭線を失った世界。空に太陽も月も無く星さえも見えない暗黒の世界が広がっている。
かすかに輝くものがあった。ソウルだ。世界の始まりと、あるいは世界以前から大気中に満ちていた力がほんのわずかな光となって世界中を包み込んでいたのだ。太陽の恩恵を受けられなくなった動植物の死体があちこちに散らばっていた。木々は枯れ、山は禿山と化していた。鳥たちも地上で骨になっている。きっと、太陽の光を必要としない海の深い領域でのみまともな生物が住んでいるのだろう。あるいは、光を嫌う動植物のみが生きていけるのだろう。
人らしき影があった。ぼんやりとした影が歩いている。両目に相当する部位は妖しい白い光を宿していた。腕も無く、足も無く、それどころか輪郭線さえなかった。周囲より暗いなにかが歩いていたのだ。それも無数に。あたり一面を埋め尽くすが如き数が徘徊していた。今は無き思い出を探し続けているのだ。親、兄弟、友人、恋人、故郷……けれど全ては失われてしまっている。かすかに残されたのは荒涼とした大地と、深海にかすかに生きながらえた動物たちのみだ。もはやそれは姿さえ保っていられないのであろう。地面の凹凸にぶつかっただけであやふやな輪郭全てを失い、闇に溶け込んでいく。
シャナロットは暗闇の中に立っていた。ほんの僅かに視界を照らしてくれるソウルの明かりのみを頼りに何かを探していた。
大地。山。枯れた大樹。足元には灰が降り積もっていた。
世界中全てのものが燃えたかのように、どこまでも灰の大地が広がっていた。
恐怖に駆られることはなかった。静かで、どこか優しく、自らを受け入れてくれる感覚を覚える。闇とは安らぎなのだろうか。それとも、終わらない苦痛のことを指し示すのだろうか。
歩く。ひたすらに。崩れた瓦礫の街を見た。大昔人が住んでいた痕跡こそ残されていても、人はいなかった。
「これが結末か。人が人らしくあり続ける世界……」
静かに語る亡霊がいた。背の高い男であった。
男は祈りを捧げるように胸元で手を合わせていた。
「恐ろしい……あぁ恐ろしい。全てを知ってしまったからこそ……全て幻想に過ぎないのだ……なんてことだ」
シャナロットは男の方を見たが、既に姿は掻き消えていた。
「私は……黄金の時代を待つために……」
言霊だけがどこかへと消えていく。後を追いかけることもできず、シャナロットは歩き続けた。
小高い丘についた。墓標のように剣や槍が突き刺さっている。鎧だけが捨て置かれていた。まるで鎧を着込むものだけを連れ去ってしまったかのように。
さびしい光景であった。
丘の頂上には棒状の物体が突き刺さっており、王冠を被った黒ずんだミイラが胡坐をかいていた。ごくありきたりな剣が腰に下がっている。骨さえ大地には転がっていなかったというのに、人物はいまだ形状を保っているようであった。
人物の体にはかすかに光が宿っていた。風が吹けば飛んでしまいそうなソウルの輝きであった。
シャナロットはソウルを手に取った。
それは世界に唯一残された光であるように思えた。
「あれ……?」
涙が止まらなかった。あふれ出る涙を擦る。
酷く悲しい物語を垣間見た気がしたのだ。輝く温かいソウルを胸に抱いて、闇の世界で一人泣く。
目を覚ますと、デュラの優しげな瞳がこちらを見つめてきている様子があった。
デュラがハンカチでシャナロットの目元を拭った。シャナロットはこそばゆそうに身をよじる。
「大丈夫かね? うなされていたようだが……」
「……」
シャナロットは馬車の中で膝を抱えるように眠っていた。胸に大切に袋を抱きしめて。袋の中身が白い光を放っていることに気がつくと、思い出したかのように手を突っ込んだ。冷たい金属とガラスの感触。何かの生き物の毛を編みこんだような長い綱の結ばれた、不可思議な物体があった。人の頭蓋骨に匹敵しよう面積を占めているにも関わらず、軽く、強く、どこか温かい。
ガラスの内側には絶えずうごめく灰色の霧が封じ込められている。よく目を凝らしてみれば灰色の霧のさらに中心部には透明の液体が浮遊していた。
不思議な物体を取り出したシャナロットに対し、デュラが唸る。
「ネックレスかね。まあもっとも、君の背丈と首周りが巨人ならばの話だが……」
「寝てた?」
「ぐっすりと。眠り姫様は暢気でよろしい。もっとも悲鳴を上げて暴れられるよりマシだがね」
デュラは言いつつも、鉄の筒を傍らに抱えて馬車の外をうかがっていた。聞いたところによると銃という武器らしい。火薬の力で矢を飛ばすとのことだったが、シャナロットにはちんぷんかんぷんだった。
屋根の上で物音がした。破壊された鎧を脱いで仮面を取り去ったキアランがかがんでいた。片手にナイフを握り締めて、片手に黄金の残光をぶら下げていた。敵の襲撃があればすぐさま応戦できるように待ち構えているのだ。
シャナロットは目を擦ると、不思議な球体をじっと見つめた。灰は停滞しているように見えたが、急に早まわしに渦を巻く。かと思えば凍りついたように動かなくなる。悪夢で出会った老人から渡された不思議な球体をお守りかなにかのように抱きしめて、先程の夢について考える。
暗闇ばかりの世界。絶望にうなだれる男と、朽ち果てた誰か。意味などわからなかったが、酷く悲しかったのだ。
デュラがシャナロットの肩に手を置くと、馬車の扉から外に飛び出した。傍らに杭打ち機――パイルハンマーを携えて、左手に散弾銃を握って。馬車の上に屈んであたりを警戒しているキアランに目配せをすると、遠方に霞む影を睨み付ける。
漆黒の影が湾岸地帯に食い込んだ巨大な物体を背景に暴れまわっていた。強固な鱗を備えた翼を持つ怪物。デュラが昔読んだ御伽噺に登場するドラゴンそのものであった。違いといえば目が一つしかないこと。ブレス以外にも、奇妙な閃光を放ち街を劫火に包み込んでいることであるが。
あれは殺せるのだろうか。きっと殺せるだろう。
デュラは、馬車に接近しつつあった正気を失った兵士に散弾銃を向けた。
「退きたまえ。退けば手出しはせん。一度しか言わんぞ」
返答が無かった。デュラが引き金を落とした。次の瞬間散弾が空中にぶちまけられ、一定の範囲を固まって徐々に拡散しつつ兵士の頭部へと殺到した。兜もろとも穿ち貫通するや、頭蓋骨の内側で弾け四方八方に威力を拡散する。
脳漿がぶちまけられる。目玉らしき破片が地面にべちゃりと落下した。
どう、と倒れこむ兵士を尻目に、デュラが銃身を折ると新しい銃弾を装填した。
獣狩りの散弾銃はもちろん人を殺すことができる。本来人を殺すために進歩してきた武器なのだから。
しかし思うのだ。獣と信じ殺してきた怪物共が人の成れの果てであるなどと、誰が意識するだろうかと。意識してしまったからこそ狩人の夢から目覚めたのだろうと。
「すさまじい威力だな……魔術を使っていないとは信じられん」
「もう隠すまい……私は貴公らより未来の人間らしい。未来ではごく一般的な武器だよ。もっとも多くの武器に言えることだが使い手の技量にもよる。過信は禁物だ」
キアランが感心したように音の無い拍手を送る。
クロスボウよりも威力が高く、装填も素早く、弾速も矢の比較にならない武器を他に知らなかったのだ。どれだけ目を凝らしても矢の姿を捉えることもできなかった。なるほど、かわすこともできずに敵は倒れるだろう。
「しかし――」
キアランが言うと片手がぶれた。狂った兵士二人組みの頭部にナイフが生える。
正確無比な投擲であった。
「音が激しすぎる。殺しに使うにしては派手すぎるな」
「あの鎧を着ていた貴公がそれを言うか」
「なあに」
キアランがくすくすと笑った。平素笑うことなどない女が笑っただけに破壊力は甚大である。戦いに高ぶっているのだろうか。
「時に青と金色の影を大衆に知らしめることも必要だ」
「よくはわからんが……」
「下らん戯言と受け取るといい」
言うと会話がふつりと切れる。
派手な鎧には意味がある。王の刃に所属していることを示す証でもあり、恐怖を大衆に刷り込むための材料でもあるのだ。影に隠れて人を殺めることもあれば、大衆に見せ付ける形で敵を始末することもある。故に大衆は青と金色の輝きを恐怖として記憶するのである。
二人が空を仰いだ。轟く雷鳴が大地を揺らしている。次の瞬間視界を白亜に染め上げんばかりの閃光が大地から放たれると、空を疾駆する竜へ衝突した。爆発。黄金色の輝きが竜を基点に空へと拡散していく。
耳を劈く悲鳴があがるや、竜が地面に向けて一目散に降りていった。攻撃するべき対象を見つけたと言わんばかりに。
「アッシュはまだなのか?」
「集合場所は知っているはずだ。信じて待とう」
キアランの焦燥感を隠し切れない声にデュラが応えた。
竜の怒号が響く。何者かと死闘を繰り広げているらしく、着地した地点から無数の瓦礫が空に放り投げられていく。竜が吼える。途端に苦痛に悲鳴を上げた。まるで何者かに酷く殴られたかのように。
次の瞬間、大地から無数の火柱が上がった。竜が発する閃光によるものではなく、高温の流動岩石が突如として地面から生えたのだ。火柱をかわそうと竜が翼を振るも既に遅かった。翼を焼かれ、空中でバランスを崩す。
二人の見ている前で竜が向きを変えると、息絶え絶えに滑空してきたのであった。
「―――……まずい! キアラン」
「承知した」
キアランがデュラの呼びかけに応えると、馬車から降りて駆け出す。竜の進行方向はこちらを目指している。衝突されてはひき肉になるしかない。
デュラは恐怖に身をすくめているシャナロットを抱えると走り出した。竜の進行方向から外れる方角へ足を向けて。
だが非情にも竜はシャナロットを目掛け一目散に滑空してくる。高温に晒され溶けた鱗。焼かれた翼。変形した頭部からは一ツ目が不気味な赤い光を発していた。全てを憎むような形相。竜ではない、別の何かが取り付いたかのような表情をシャナロットは見てしまった。
竜もまたシャナロットを見遣った。
―――血を寄越せ。
シャナロットは確かに竜の声を聞いた。憎しみのあまり残留思念だけとなってもなお戦いを続けようとする神の片割れの声を。
落下。もとい着弾と表現するべき衝撃が走る。つい今しがた三名が乗っていた馬車を馬ごとひき潰して、地面にクレーターを穿ち、なおも止まらずにシャナロット目掛けて地面を滑っていく。
竜が勢い全てを使い果たし静止した。シャナロットと、シャナロットを抱えたデュラとの距離は目と鼻の先に等しい。
「狩らせていただく!」
デュラがシャナロットを降ろすや、右手に握ったパイルハンマーのモードを切り替えた。圧力上昇。蒸気を吐き出しつつ、パイルハンマー本体が激しく振動し始める。狙うは竜の頭部。一撃にて即死させようと構えた。
竜の瞳が開く。鼓膜を破壊せんばかりの高音がかき鳴らされた。ガラスを釘で引っかいたような不快な反響音と共に、デュラの体が宙に浮く。念力とでも言うべき術に捕らわれていた。
デュラが反撃のために銃を向けたが、目論見が外れてしまう。なぜならば左腕が関節から逆の向きにへし折れていたからだ。ごきり。嫌な破壊音を聞いた。遅れて散弾が吐き出される。
「ぐああっ!?」
次の瞬間デュラは建物の壁に激しく投げつけられていた。壁面を破壊する勢いで衝突したせいか、立ち上がることもできずに背中から滑って腰を落とし動かなくなった。
竜が口からエメラルドグリーン交じりの黒い火炎を漏らしていた。
『―――血を寄越せ……やつを殺すためには貴様の血が……』
「あ、あ、あ……」
シャナロットのオッドアイと、竜の一ツ目が交錯する。
恐怖のあまり動けなくなったシャナロットを救出するべく、キアランが走る。人を殺すことに特化した二振りで竜を殺せるなどとは思っていなかったが、攻撃して気をそらすことはできるはずだと。
竜が手を伸ばす。同属のにおいがする娘を食らい、憎むべき片割れに復讐する力をつけようとして。竜を動かしているのは憎悪であった。世界に平和をもたらすようにと自らを引き裂いた神の願いは届かなかったのだ。信仰の対象シースと、憎しみの対象ギーラ。共通しているのは人を駒のように扱い世界を混乱に導いた存在でしかなかったということだ。
霧が引き裂かれる。凡庸な外見の一振りが竜へと疾駆する。
「その子に手を出すな!」
一喝と共に、ロングソードが投擲されていた。放物線を描くこともなく直線で空間を横切る、その力強いこと。
頭部へと切っ先が突き刺さるや、竜が咆哮した。空中にエメラルドグリーンのブレスを噴出する。火山活動かくや吹き荒れる高温に、火の粉を浴びただけの民家が炎上した。
遅れてやってきたのは――騎士甲冑であった。黒騎士の盾をさげたアッシュが全速力で駆け抜けてくる。正気を失った兵士を盾で殴りつけて横に退けると、瓦礫を飛び越えて前転し、駆ける。あっという間に竜の元にたどり着くとロングソードを引き抜き、一閃した。
凡庸な一振りと侮る無かれ。多くの血肉を斬りソウルによって鍛えられた武具である。勇者の一振りにも匹敵する力を宿している。
強固な鱗を返す刃で削り、肉を裂く。びしゃり、と鮮血が散った。
赤い液体がシャナロットの全身へと飛び散った。シャナロットが目をぱちくりさせた。
「………遅かったな」
「酷い有様ではないか!」
デュラが意識を取り戻し首を振る。腕が奇妙な方向に捻じ曲がっていた。
駆け寄らんとするキアランをアッシュが制すると、黒騎士の盾を竜と自らの間の障壁として展開し、ロングソードを短く構えた。
竜が睨む。そうだ。いつだって人間たちが自分の目論見を挫いてきたのだ。憎悪のあまりに一ツ目から体液が涙のように滴っていた。
『強き力を持つものよ……我に全てを捧げよ。全てを……』
竜が言葉を口走った。全てを渇望するかのように。憎悪を込めて。
竜が羽ばたく。形勢が不利と悟ったのか、逃げていく。点々と血液が滴っていた。
霧の中に姿が消えて見えなくなるまでアッシュは武器を下ろさなかった。
「待たせてすまなかった。シャナロット、無事か」
「……ひっく」
シャナロットはしゃべらなかったが、目からぽろぽろ大粒の涙を流していた。
アッシュは彼女の無事を確認するとほっと胸をなでおろし、頭をくしゃくしゃに撫でた。普段のませた彼女ならば怒ることだろうが、反撃の拳が振りかぶられることはなかった。アッシュの胸にシャナロットの頭が押し付けられていたのだ。
「遅いです……怖かった」
「すまなかった」
アッシュは謝罪のためにシャナロットの肩を軽く擦った。
さあ、早く脱出せねば。まずは馬車を探す必要があるだろうと視線をめぐらせて。
王都は炎上していた。大勢の人を飲み込みながら。
広がり続ける霧によって人々は正気を失い殺戮の輪に加わっていった。
脱出できたのは僅かな人数だけであったという。