東方忘鏡録   作:雨の日の河童

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背中に背負うは尊き願い

さて、悩んでも仕方ないし行くとするか。

考えることを放棄して行き当たりばったり戦法を使うことにした。

 

だが、出発する前にしなくてはならないことを発見してしまった。

なんというか、凄く気になるのだ。自分でもなぜそんなことが?……と思う。

ええい、まどろっこしい!簡潔にいうと今、現在俺は・・・・・

「よいしょ、どっこっいしょ。ふぅ・・・。こんなもんか?」

墓を掘って骨を埋めている。

なぜ、こんなことをしているのかというと俺の気持ちの問題だ。

せっかくの祝いの旅路なのに骨に見送られるのはなんか置いてきぼりにした様で気分が悪く感じた。そこで、俺はこうして骨を集め土に返しているのだ。しかも、一体、一体の墓を作っていたのでもう既に、夜と朝を通り越し昼になろうとしている。

まあ、その甲斐あってすべての骨を墓に入れてやることが出来たので良しとしよう。

 

さて、次こそは行こう!もう気になることも無いからな!

 

ようやく、付喪神は古びた都を後にして一番高い山を目指して歩き出した。

その背に、感謝している多くの魂を連れているとも知らずに・・・・・・

 

 

 

 

……さて、ここで付喪神について簡単に説明しよう。彼、もしくは彼女等は大まかに良い付喪神と悪い付喪神の二つに別けられる。

一つは人から大事にされていた物が百年という長い年月をかけて意思を持ち、人に富を授け災いや事故を遠ざける良い付喪神。これは、人の形は取らずそのままの姿でなる。勿論、人の形にもなれるが長くは姿を変えられない。

もう一方は、その逆で大事に使われなかった物が人を恨み、何百年もかけて意思を手に入れ妖怪となった悪い付喪神。こちらは、人に害をなすため常に人の形となる。そして、妖力が尽きると元の道具に戻りまた、付喪神になるまで長い間眠る。

さて、このように付喪神は人の使い方によって神にも妖怪にも近い存在になると分かって貰えただろう。

では、今回の鏡の付喪神の場合はどうなるのか…?

恨みを持っていながら傷一つ付かずに大事に保管されていたのだ。先ほどの説明からして

人の形を常に取っているのだから悪い方だろう。いやいや、大事にされていたのだからきっと良い方に違いない。このように、どちらにも捉えることが出来る。

さて、どちらが正解かと言うと……どちらも正解だ。

この鏡の付喪神は限りなく妖怪に近い神に生まれ変わったのだ。だから、野ざらしにされた骨を見て土に埋めようと思ったのは神としての本能がやったことである。

まあ、当の本人は、そのことに気づかずただ気に入らないからやったと思っている。

じゃあ、なぜ彼の背に多くの魂が憑いて行っているのかって?

それはまたのちほど・・・・・

 

 

 

 

 

 

         ・・・・・・・付喪神登山中・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

ふう…大分登ったな……。もう、日が傾き始めている。今のところは襲われてないから今日はこの山で一番大きな木で休もう。

それにしても、山は良い場所だ。空気は澄んでいるし木々も生き生きとしている。

あと、少し先にここら辺の山で一番立派で休むのにはちょうどいい大木にも着く。

あれだけ、大きいのだからもしかしたら木霊もいるかもしれない。もし、そうだったら色々と話を聞いて今後の活動の基盤にしたいな。

そんなことを考えている内に大木までは既に目と鼻の先ほどになっていた。

そして、目的の木に着いた。着いたのだが・・・・

「ん?木の根元に誰かいる様に見えるが…。人か?」

既に、木の根元には先客がいた。まあ、人間なら襲ってこないだろう。

問題は妖怪の場合だ。俺より弱ければいいのだが……。

そして、鏡の付喪神は警戒しながら近づいていった・・・・・・・

 

 

 

さて、人生とは山あり谷あり。良いことばかりが人生ではありません。

鏡の付喪神は何と出会うのか?

 

 


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