艦娘になろう! 吹雪ごっこ   作:月日星夜(木端妖精)

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『吹雪ですよ、司令官』を読んでいるなら退屈な話になってしまうかな。
ちょこちょこあっちでは描けていなかったものを書いていくけど、内容はほとんど向こうと同じ。
ラストが違う。


第四話 心の距離

 

 数段下を行くお兄ちゃんの頭の位置は、ずっと上にいる私と同じくらいだった。

 ゆっくり揺れるそれを眺めながら、ふと、今の私は……『ユキ』じゃなくて『吹雪』である私は、お兄ちゃんにどれくらい受け入れられているのだろうと気になった。

 だから、足を滑らせてみた。階段の端に立って、わざと踏み外した。急速な浮遊感に全身が包まれて転げ落ちる。その直前、大きな背中にぶつかった。

 

「あっ、あわっ、す、すみませ……!」

「あー、いや、大丈夫だから、落ち着いてな?」

 

 慌ててみせる私にお兄ちゃんは優しい声をかけてくれた。危ない事をして早まっていた鼓動が落ち着いていく。お兄ちゃんの体温に触れているから、すぐ嫌な感じは消えていった。

 ……近い。

 こんなに……どこにも私を避けようとする気持ちが見当たらない。遠慮したり、逃げようとしたりがない。

 それどころかお兄ちゃんもどこか私との接触を嬉しがっているような気がして、顔を上げた。後頭部しか見えないけど、前を向いたまま微動だにせず、私に体勢を立て直すよう促している。

 言われた通りお兄ちゃんの背中と手すりを使ってしっかりと立った。

 そうする事でわかる、お兄ちゃんとの心の距離。

 吹雪ちゃんは最初からすっごく近い。……だから私も凄く近いって事になって、嫌な気持ちや不安が吹き飛んでいく。

 

「ありがとうございました、司令官。ちゃんと、戻れました」

「ああ……それは、良かったな」

「はい!」

 

 ちょっと声が弾んでしまったけど、それに気づいた様子はない。先を行くお兄ちゃんを見送ってから、軽く上げた両手でバランスをとりつつ足取り軽やかに一階へ降りた。心が弾んでいる。吐息がリズムを刻んでいる。うきうきするような暖かい気持ちに包まれて、幸せがすぐそこにあると感じられた。

 もう一度背中に飛びついちゃおうかな、なんて邪な考えが生まれたけど、残念。お兄ちゃんはもう私の前に立って、私を見下ろしている。背中に飛びつくには後ろに回り込んで大きく跳ぶしかないんだけど、そんなはしたない真似は……ちょっと、抵抗あるかな。

 こう至近距離だとぐっと顎を上げて見上げなきゃお兄ちゃんの顔が見えない。だからそうしているのだけど、そろそろ首の後ろとか背中が痛くなってきた。なんでお兄ちゃん、黙って私を見ているんだろう。目を合わせても意図が読めず、首を傾げる。あ、今のに反応した。何事もなかったように玄関側へ腕を伸ばして案内を再開している。……変なの。

 一階の廊下には左右に二つと一つの扉がある。階段側にお手洗いとお風呂場に続く脱衣所。反対側に和室に続く扉。その先がリビングだ。

 扉を開いたりして中を確認しながら進むのだけど、私は(ユキ)の痕跡がお兄ちゃんの目に留まってしまわないかと緊張していた。和室の押し入れには季節の洋服が詰め込まれているし、脱衣所の洗面台の棚には私の使っている物がたくさんある。どれか一つに気がつけば、それをきっかけにばれてしまうかもしれない。

 その心配は杞憂だった。お兄ちゃんは案内より(吹雪)に気を割いているみたいで、頻繁に私を見ている。よくわからない目。感じ取った事のない感情。……お兄ちゃんがどうしてそんなに私を見るのか、考えても思いつかない。吹雪ちゃんが好きだから……にしては、なんだろう、何か違う。そんなに大きいものじゃなくて、普通だけど、普通じゃないような……。

 

 リビングはかなり広々とした空間。アンティーク系の棚や自然身溢れる木製の棚、机、それから薄型テレビに、庭へ続く大きな窓と仕切りのないキッチン。……そういえば、そろそろお野菜もお肉も切れてきた。今日はお魚にする予定だったから問題ないけど、明日にでも買いに行こう。

 

「こっちは庭だ」

 

 お兄ちゃんについて歩く形で、和室側の窓の前に立った。透明なガラスの向こう側は草木が生い茂る無法地帯だ。さすがに私もここをどう手入れすれば良いのかわからず困っている。友達に相談すると、『じゃあ業者でも手配してあげよっか』と提案されてなんとか断ったりした。そこまでしてもらうのは悪い。

 ……朝姫ちゃんは押しが強い。思い通りにならないとむくれるし、何かと私に良い事をしようとしてくれる。悪い子じゃないんだけど……結構困ってしまう事が多いんだよね。

 

「なんか、このままじゃ恥ずかしいな。ここも昔遊んでたんだ」

 

 こくりと頷く。

 それも知ってる。だって一緒に遊んだ事だってある。給食のデザートで出た柿の種を埋めようって話になって、庭の右の右のほうへ埋めたのはお兄ちゃんだ。柿の木はある程度育つと何もしなくても日々の雨風ですくすく成長しているみたいだった。お兄ちゃんは、柿の木を覚えているだろうか?

 ……聞くのが怖い。

 お兄ちゃんが私の事を忘れてしまうのは、慣れて……はないけど、耐えられる。でも、思い出まで壊されたら、私……。

 つんと鼻の奥が痛くなって、じわじわと涙が出てくる。

 いけない、こんなところで泣いたら不審に思われちゃう。

 ……けどっ、抑えられない。だめ、声まで……!

 

「ど、どうしたんだ? 何か気に障るような事を言ったか?」

「い、いえ……ぅく、そ、そういう訳では……」

 

 顔を背けたって声が出てしまったら気付かれるのは当然だ。もう誤魔化す事はできない。

 拭っても拭っても溢れ出てくる熱い水。

 それがまるで私の中からも思い出が流れ出てしまっているようで、必死に留めようと涙を堪えた。

 その甲斐あって泣き止む事はできたけど、泣き顔はばっちり見られてしまった。

 

「違うんです……」

 

 どう誤魔化せば良いかわからないから、ただ緩く首を振って否定する。

 そう、悲しいんじゃない。……この涙は、失われたものにただ嘆くだけのものじゃない。

 これから歩む未来への期待に動かされた感情が勝手に涙を作ってしまっただけだ。

 お庭を綺麗にしたら、またそこで遊べる。思い出を作れる。これから、いくらでも。

 だから、嬉しい。私、嬉しいんだ。

 

「こうして司令官とお話して、この後の事も一緒に決められて、嬉しいんです。本当にあなたの(もと)へ来られたんだって実感して……」

 

 言葉を紡いでいくうちにそれがほんとの気持ちになって、見上げたお兄ちゃんに本心として打ち明けていく。

 

「……司令官! ……吹雪は、ここにいます。これからも、一緒にいて……いいですか?」

 

 それは先程も聞いた言葉。

 お兄ちゃんの体に飛び込んで、服に顔を埋める。打算的な考えや何かは浮かんでなかった。

 ただ、もう一度確認したかった。安心させてほしかった。

 こうして触れ合っていて良いって。私が、お兄ちゃんの妹でいていいんだ、って言ってほしかった。

 大丈夫、お兄ちゃんは疑いはしても否定したりしないし、女の子には優しい。きっと良いって言ってくれる。

 確信に近い言葉を繰り返して自分を安心させようとする。それでも不安は拭い切れなかった。

 

「もちろんだよ」

 

 埋めていた顔を離し、お兄ちゃんを見上げる。私の背中の近くで浮いたままの手の気配がして、そのまま抱きしめてくれても構わないのに、と笑いそうになった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 絞り出すようにそれだけ言う。重く苦しい息を吐けば、胸の中の辛さがだいぶん抜け出ていった。

 目をつぶる。零れ落ちた涙の一筋を最後に、ようやっと悲しい気持ちを抑え込めるようになった。

 これ以上は爆発しないようにしないと。感情のコントロールくらいできなきゃ、この先到底やっていけないだろう。

 

「もう、大丈夫です」

 

 手の付け根辺りで目を拭い、涙を散らす。

 もう大丈夫。いっぱい泣いたから、これ以上はない。

 お兄ちゃんから離れて隣に立てば、慰めるように肩に手を回された。それに縋りつきたくてたまらなかったけど……手も伸ばしてしまったけど。

 甘えてばかりはいられないから、その手をそっと外して、離させた。

 

 それからしばらくの間は、寄り添ったまま窓の外を眺めていた。

 月明かりが照らす庭は昨日までと何も変わりがないのに、私の気持ちが違うとこんなに綺麗に見えるんだ。それが不思議で、心地良かった。

 緊張で固まっていた体が解れているのを感じる。

 この二年の間、ずーっと強張っていた体が脱力する。

 こんな風に穏やかな時間を一緒に過ごすのが私の夢だった。大袈裟な事かもしれないけど、ずっとずっとこうしたいと願っていた。

 それが今、叶っている。まるで昔に戻ったみたいに。

 だから欲が出た。環境と心の距離が戻って来たから、関係も戻ってほしいって。

 

「お兄ちゃん……っ」

 

 呼びかけて、すぐ後悔した。

 馬鹿だ私。自分から全部を壊そうとするなんて。

 壊したい訳じゃない。傷つけたい訳じゃない。ただわかってほしいだけ。思い出して欲しいだけ。

 でも駄目なのだ。今そう呼びかけちゃいけない。だって私は吹雪ちゃん……吹雪なんだから。

 幸い何かに思いを馳せていたお兄ちゃんは私の呼びかけが上手く聞き取れなかったようで、『どうした、吹雪』と問いかけてきた。慌てる事無く、は無理だったけど、なんでもないと誤魔化す。……良かった、ばれてない。私はまだ吹雪でいられるみたいだ。

 変になった空気を(私だけがそう感じてるのかもしれないけど)払拭するため、ステップを踏むようにお兄ちゃんから離れ、くるんと半回転して体を向ける。

 

「司令官、お腹空いてませんか?」

「……ああ、そういや、もうこんな時間か」

 

 夕食のお誘いをかければ、お兄ちゃんはお腹を撫でながら、テレビの上の方にある丸い時計を見上げた。午後六時過ぎ。いつもならもうそろそろご飯が出来上がっている時間だ。

 でもちょっと夕食の時間がずれ込んだだけにしてはお兄ちゃんの空腹具合は大きいみたいで、きっとまたお昼ご飯を抜いたのだろうと察した。どのタイミングで私を忘れたのか知らないけど、ご飯くらいちゃんと食べてほしいな。

 

「それなら、この吹雪にお任せ下さい!」

 

 腕まくりして、自信満々に言う。

 

「いいのかい、いきなりそんな……」

「遠慮はいりません。私、料理は得意ですから!」

 

 覚悟して、お兄ちゃん。私がいる限り変な食生活には絶対させないんだから。

 でも今日限りは、お兄ちゃんに選ばせてあげよう。

 

「何が食べたいですか? なんでも……は無理ですけど、色々作れますよ!」

 

 明るい調子で聞けば、天井を見上げて考えていたお兄ちゃんは、すぐに顔を戻して答えた。

 

「食べたいもの、か。……肉じゃがとか?」

 

 …………。

 どうしてそれを選んだのだろう。

 もしかして、ほんの少しでも私の事を覚えてるの?

 それともお母さんの事を覚えているだけ?

 

「どうした?」

「ぁ、いえ、なんでもないです。なんでも」

 

 じっと見つめていれば不思議がられてしまって、首を振ってうやむやにした。

 

「肉じゃがですね! 得意料理です。他にもいろいろ作りますね! えっと……それで、材料の方は大丈夫でしょうか?」

「材料……あー、足りないものも多いかもしれん」

 

 冷蔵庫の中身は私も把握してる。……でも、変だ。お兄ちゃんまで内容を覚えてるなんて、今までなかった。

 やっぱり、お兄ちゃん……何か覚えてる?

 無意識に記憶を繋ぎとめているなら、冷蔵庫を開けて確認をとってしまったらこの半年間の記憶を取り戻すかもしれない。それは歓迎すべき事じゃない。だから冷蔵庫の前に移動したお兄ちゃんに呼びかけて足を止めさせたのだけど……なぜ止めるのかの説明ができず、理由も思い浮かばなかった。なんでもないですと言うしかない。

 一番上の大きな扉を開け、オレンジ色の光に照らされながら中身を確認するお兄ちゃんの横顔を注意深く観察する。……何かを思い出しているような素振りはない。じゃあなぜ冷蔵庫の中身を覚えていたのか……なんて私にわかるはずもなく、脳の不思議とか、たんになんとなく言っただけだろうと結論付けた。

 

「ちょっと足りないものが多いな。俺、出かけてくるよ」

「お買い物、ですか? ついていきましょうか?」

 

 扉を閉めたお兄ちゃんが足早に出入り口の方へ歩いて行くので後を追いつつ問いかければ、いや、いいよと遠慮された。理由は「夜だから」……って、たしかにお外は真っ暗で、出歩くのは危険かもしれないけど……私、そんなに子供じゃないのに。

 でも、心配してくれるのは嬉しいな。今までだって私がでかけようとすれば「遅くなる前に帰って来るんだよ」くらいは言ってくれてたけど、こんな風に気遣われてるのがわかるくらいだと凄く心地良い。ああ、兄妹だなぁって思えて、ちょっぴり幸せを感じた。

 そんな小さな気持ちに浸りながらお兄ちゃんの部屋に入る。あ、エアコンつけっぱなしだ。部屋から出る時は消してねっていつも言ってるのに。……さっきは私も気付いてなかったから仕方ないか。

 日頃の注意など忘れていると言わんばかりに動いているお兄ちゃんに変わって、扉脇に固定されているリモコンのボタンを押し込み、エアコンの稼働を止める。部屋の中へ顔を向ければ、案の定お兄ちゃんが私を見ていたので、「ご迷惑でしたか」とわざとらしい口調で言った。迷惑な訳ないよね。代わりに消してあげたんだもん。そもそもつけっぱなしにしているお兄ちゃんが悪い……あっ。

 ……そっか、そうだよね。忘れてるよね。私の注意もなかった事になってるよね。なら、またいっぱい注意してあげなくちゃね。

 

「い、いや、迷惑なんてないよ。これから出かけるんだから、消すつもりだったしね」

 

 お兄ちゃんは言い訳をする事もなく素直に感謝してきた。……前もそうだったけど、言われればやめたり認めたりするんだよね。でも何度か繰り返しやるって事はそうしたいからで、注意した時に不平や不満が見え隠れしてもいいはずなのに、それが一欠けらもない。……たぶん、これがお兄ちゃんのお友達の東條さんだったらすっごく不服そうにするんだろうなぁ。反対に私の友達の誰が注意しても、不平不満は見当たらなさそう。要するに、やっぱりお兄ちゃんは女の子に弱い。

 私の言葉を聞いてくれてるんじゃないんだって思うとちょっと悲しくなるけど、これくらいじゃ沈まない。

 お兄ちゃんは次に、自分が外出している間は何をしているか、と聞いてきた。何……と聞かれても、堪えられない事をするぐらいなんだけど……。

 部屋の整理をするという事で納得してもらったけど、嘘は言ってない。私のやる事の中の一つに部屋の整理も入ってるし、ただそれ以外もするってだけだ。

 玄関までお兄ちゃんについて行って、靴を履いて家を出ていくまで、ずーっと話しかけた。足下を見られたら私の靴があるってわかっちゃうから。

 さて……。

 お兄ちゃんがお買い物に行ってるうちに、できる限り私の痕跡を隠しておかなきゃ。


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