ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第百七話 最低何か一つ手に入る物があったら

2026年1月6日

 

ALOの舞台たる妖精郷・アルヴヘイムの中心に聳え立つ世界樹の頂上にある、イグドラシル・シティ。街の中は、年末に成し遂げられたエクスキャリバー獲得クエストの攻略成功から冷めやらぬ興奮による喧騒に満ちていた。そんな中を、クリアしたパーティーのリーダーである黒の忍たるイタチは、ある場所を目指していた。

ちなみに、彼の娘という立場にあるユイは、今日は妹であるリーファとその仲間であるシノン、リズベット、シリカのパーティーに同行しており、イタチのもとにはいなかった。

 

「おっ!イタチ、来てくれたんだね!」

 

「待たせたな」

 

そうしてイタチが一人、足を踏み入れたのは、イグドラシル・シティ最上層にある展望台。入口の階段から姿を見せたイタチに対し、手を振りながら声を掛けたのは、パープルブラックの長髪を靡かせた闇妖精族『インプ』の少女――ユウキである。

相変わらずの屈託の無い笑顔でイタチを迎えるユウキだが、イタチは相変わらずの無表情。しかし、ユウキと顔を合わせることを不快に思っている様子は微塵も無かった。それどころか、少しばかり――イタチと長い付き合いの者でなければ非常に分かり難い違い――だが、和らいでいるようにすら見えた。一方のユウキは、そんなイタチの表情については特にきにした様子は無く、すたすたとイタチのもとへと駆け寄っていた。

 

「あのクエストで散々世話になったお前からの呼び出しだからな。それで、あれ以来音沙汰無かったようだが、報酬として俺に依頼する頼み事は決まったのか?」

 

「うん。今日はそのことを話したくて、来てもらったんだ」

 

エクスキャリバー獲得クエストにイタチと共に参加したパーティーメンバーの一人である彼女は、ALOにおける数少ないOSS使いの強豪剣士でもある。クエスト当時は、その実力を遺憾なく発揮し、スリュムヘイムの階層を守護するボスモンスター戦の決め手となる場面も多かった。その活躍ぶりは、SAOやALOにおいて数多の武勇伝を作ってきた猛者たるほかのパーティーメンバーと比較して遜色の無い程のものだった。

そのような経緯により、エクスキャリバー獲得クエストに関してイタチはユウキに多大な借りがあるのだ。本日、この展望台にてユウキの呼び出しに応じて待ち合わせをした要件についても、件のクエストの報酬として行う頼み事についての相談をするためであると、イタチは予想していたのだが、どうやら当たりだったらしい。

 

「今更どんな内容であろうと断るつもりは無い。それで、依頼内容は決まっているのだろう?詳しく教えてもらえないか」

 

「うん!イタチにお願いすることはもう決まっているんだ!けど、それを話す前に、イタチには会って欲しい人達がいるんだ」

 

「会って欲しい……人達?」

 

「ボクの仲間だよ。とにかく、一緒に来て!」

 

ユウキはそれだけ言うと、その右手をイタチの左手へ伸ばして握る。そして、その髪と同じくパープルブラックの翅を展開して、展望台から飛び立った。対するイタチもまた、やむを得ず翅を広げて飛び立つのだった。

 

「どこに行くんだ?」

 

「イタチもよく知っている、“あそこ”だよ!」

 

半強制的に連れて行かれることになったイタチの質問に対し、その手を引いて空を飛び続けるユウキは、左手で目的地を指し示した。ユウキが指差した方向の、今現在二人で飛行している進路上にあるもの。それは、昨年の五月にこのALOに実装化された、石と鉄でできた巨大な城――――アインクラッドだった。ユウキの言うように、SAO生還者であるイタチもよく知る場所だった。

 

「お前の紹介したい仲間というのは、どの階層にいるんだ?」

 

「二十七階層だよ」

 

「二十七層……確か、今現在の攻略最前線、だったな」

 

「ごめん。ちょっと遠いから、飛ばしていくよ!」

 

自身の質問に対するユウキの答え聞いたイタチは、未だ詳細が明かされていない今回の依頼内容について確信を持ち始める。先程飛び立った展望台で、昨年ユウキと初めて会った時にも思ったことだが、彼女はアインクラッドの階層攻略に何らかの興味を抱いている。そして今回、依頼の話をするために仲間を集めた場所が、アインクラッド攻略最前線の二十七階層である。依頼内容が、アインクラッドの……もっと言えば、フロアボス攻略に関連していることは、疑う余地が無かった。

そんなイタチの思考を余所に、ユウキは急加速してアインクラッド目掛けて飛行する。一般のプレイヤーではそうそう出せない速度に、しかしイタチはしっかり追随していた。そうして飛行することしばらく。二人は目的地たるアインクラッドの踏破領域である二十七層外周部に辿り着いた。しかし、スピードは多少落としたものの、止まることはせず、そのまま苔むした外壁の隙間へと飛び込んでいった。

 

「うわぁ……やっぱりこの階層って、いつ見ても綺麗だよね!」

 

「まあ、確かにそうだな……」

 

アインクラッド第二十七層は、外周部の開口部が他の階層より少なく、日の光がほとんど差さない階層である。外周部の大部分が岩壁で覆われ、地面から生えた巨大水晶が放つ青い薄明りのみが辺りを照らしているその光景には、まるで洞窟の中を飛んでいるかのような錯覚さえ覚えさせられる。太陽と月の光が届かないこの階層においてALOにおける妖精の飛行能力が使用可能なのは、偏にアインクラッドの階層全てがシステム的に飛行可能エリアとして設定されているからなのだろう。

 

「イタチ、見えてきたよ!」

 

「主街区の『ロンバール』か」

 

二十七層へと入ってから、階層内で生息しているモンスターを避けながら飛行を続けることしばらく。ユウキの目的地である街が見えてきた。SAO事件当時、二十七層は特に重要な施設や穴場となるダンジョン、レアドロップを落とすモンスターが出現するスポット等の重要エリアが無かった。そのため、イタチも階層内の細部を覚えているわけではなかったが、迷宮区攻略に際して逗留した主街区『ロンバール』の名前と場所だけは覚えていた。

ここしばらく、ALOにおけるアインクラッドの階層攻略からは離れていたイタチにとって、この階層に足を踏み入れるのはALOへの実装化後初めてのことだった。最後にこの場所を訪れたのは、SAO事件当時の階層攻略時であるため、実に二年以上も久しぶりのことであった。

 

「あそこの街の宿を取っているんだ。皆はそこにいるから、案内するね」

 

「なら、よろしく頼む」

 

ユウキの指差す方向――主街区『ロンバール』目指して飛行し、その中心部にある円形広場へと向かって降下するイタチ。こつんと石畳をブーツが叩く音と共に着地したのも束の間。ユウキは休む間も与えず、そのまま走り出す。

 

「こっちだよ!」

 

そしてそのまま、繋がれたままの手を引かれ、狭い路地へと入り込んでいく。そうしてユウキに引っ張られるまま、複雑に入り組んだ路地を走り抜けて辿り着いたのは、一軒の宿屋。ユウキとその仲間達が宿泊している場所なのだろう。

止まることなく走り続けていたユウキは、宿屋の入口の前で一度立ち止まると、三秒と待たずに宿屋の扉を潜るのだった。入口付近のフロントで居眠りする白髭のNPCをスルーし、奥の酒場兼レストランへと足を踏み入れた。ちなみにここへ至るまでの間、イタチの左手はユウキの右手に繋がれたままである。

 

「皆、ただいま!助っ人連れてきたよ!」

 

「おかえり、ユウキ。それで、その人が七人目なの?」

 

勢いよく扉を開いたユウキを迎えたのは、元気いっぱいで騒がしいユウキとは対照的に、落ち着いた様子の年長者の女性の声だった。声がした方を向けば、そこには種族がバラバラな五人のプレイヤーの姿があった。この五人がユウキの仲間であることは、イタチにもすぐに分かった。

 

「うん。イタチ、悪いけど自己紹介よろしくね」

 

「……イタチだ。ユウキとは、つい最近知り合ったフレンドだ。この間のクエストでは、パーティーメンバーとして多いに助けてもらった」

 

「そうそう!イタチはこの間のエクスキャリバー獲得クエストでは、パーティーリーダーも務めたくらいで、剣の腕も確かだよ!」

 

ユウキの紹介に、五人は「おお」と簡単の声を上げる。イタチの指揮官適性や剣技といった実力について感心していることからして、依頼内容は予想通り戦闘がメインの、それもパーティーで挑むタイプのクエストあたりで間違いなさそうだとイタチは考えていた。

 

「イタチ、この五人がボクのギルド、『スリーピング・ナイツ』の仲間達だよ。さあさあ皆も自己紹介して!」

 

クエストの内容に思考を走らせるイタチを余所に、ユウキは仲間達に自己紹介を促す。その言葉に五人は一斉に椅子から立ち上がり、イタチから見て左側から順に名乗りを上げていった。

 

「僕はジュン!イタチさん、よろしく!」

 

一人目は、サラマンダーの小柄な少年――ジュン。その外見通りの、子供らしい非常に元気な声で挨拶を述べていた。

 

「テッチっていいます。どうぞ、よろしく」

 

ジュンに続いて名乗りを上げたのは、くせっ毛な砂色髪型をしたノームのテッチ。愛嬌のある細められためをしており、イタチとユウキの二人に対してニコニコと微笑みを向けていた。

 

「タルケンといいます。よろしくお願いします」

 

タルケンと名乗った三人目は、痩身で眼鏡をかけたレプラコーンの青年。鉄縁の丸眼鏡に、左右にきちんと横分けされた黄銅色の髪型からは、理知的な雰囲気が漂っている。

 

「アタシはノリ。よろしくね!」

 

四人目は、姉御肌らしいさばさばした口調の女性、ノリ。その種族は、かつてイタチも使っていた、浅黒い肌に黒髪が特徴的なスプリガンだった。しかしこちらは、比較的骨太な体格で、スプリガンの女性にしてはやや逞しいイメージが強い

 

「シウネーと申します。ユウキがお世話になっています」

 

最後に挨拶をしたのシウネーは、アクアブルーの長髪両肩に垂らし、華奢な体つきをしたウンディーネの女性だった。身に纏う穏やかな空気も相まって、回復魔法を得手とするウンディーネとしてのイメージをより強くしていた。

 

「それで、改めてだけど、ボクがこのギルドのリーダーを務めている、ユウキだよ!」

 

ユウキが改めて、この場に居る五人が所属するギルド『スリーピング・ナイツ』のリーダーであることを名乗ったことで、全員の自己紹介が完了する。そして、ユウキは自身より背の高いイタチの両肩に、自身の手を置き……

 

「それじゃあイタチ、これで七人揃ったことだし、皆で一緒に頑張ろうか!!」

 

「…………何を、だ?」

 

真剣な顔でそう呼び掛けたユウキに対してイタチが返したのは、そんな当然のような問い掛けだった。無表情のまま、一体何のことだと言わんとしているイタチの反応に、ユウキはきょとんとした顔で目を点にしていた。そんな二人のやりとりを見ていた五人のギルドメンバー達もまた、固まってしまっていた。

やがて、イタチと顔を合わせたまま硬直することしばらく。イタチの言葉の意味を察したユウキは、イタチの肩から手を放し、ポンと右手で左手を叩くと納得したように口を開いた。

 

「そっか!ボク、まだ何にも説明していなかったんだった!」

 

そんなユウキの気の抜けるような発言に、五人のギルドメンバーは一斉に椅子とテーブルの上へと崩れ落ちた。唯一静止したままのイタチに関しては、てへへと舌を出しながら笑って誤魔化そうとするユウキに対して呆れを含んだ冷ややかな視線を送っていた。

 

「全くもう!ユウキったら、いっつもそそっかしいんだから!」

 

「アハハ!本当にしょうがないよね!」

 

肝心の要件を告げないまま、この場へイタチを連れてきたことに対し、シウネーは呆れた様子でユウキを叱りつけ、ノリはどうしようもないとばかりに苦笑を浮かべるのだった。彼女達の反応を見るに、ユウキの暴走は今に始まったことではないらしいが、ユウキと付き合いの短いイタチにもそれは容易に想像できた。

 

「ハ、ハハハ……まあ、たまにはこんなこともある、かな?」

 

「たまにじゃないだろ!しょっちゅうだろう!」

 

「ギルドリーダーなんですから、もっとしっかりしてくださいよ」

 

「まあまあ。ユウキのコレは、今に始まったことじゃないでしょ」

 

尚も失態を誤魔化そうとするユウキに対し、今度はジュンとタルケンが突っ込みを入れた。テッチはノリと同様に苦笑を浮かべながら二人を宥めていた。

ともあれ、このままでは埒が明かない。そう考えたイタチは、脱線していた話の流れを戻すことにした。

 

「皆、そろそろその辺にしたらどうだ?俺は未だに、依頼の内容を聞いていないんだがな……」

 

「そ、そうでした!すみません、イタチさん」

 

「いや、別に気にしていない。俺も俺で、こいつの無茶苦茶な性格にはそれなりに慣れているつもりだからな」

 

「ちょっとイタチ、それどういうことさ!?」

 

イタチの発言に対し、不本意とばかりにユウキが抗議の声を上げる。しかし、イタチは知ったことではないとばかりにスルーを決め込み、話を進めようとする。

 

「それより、俺を七人目と言っていたが……何かのクエストにパーティーを組んで挑もうとしている、ということで良いのか?」

 

「流したね……まあいいや。強ち、間違ってはいないね」

 

“強ち”間違っていないということは、イタチの予想は当たらずも遠からずという意味なのだろう。パーティーを組むことはまず間違いないとすれば、問題はこの七人で何をするかということになってくる。

イタチの内心を悟ったのか、ユウキは改めてイタチに向き直ると、上目遣いにイタチの赤い瞳を見ながら、――常の自由奔放なユウキからは考えられないような――やや遠慮がちでしおらし気な態度で口を開いた。

 

「あのね、イタチ。ボクたち、この層のボスモンスターを倒したいんだ。それも、ここに居るメンバーだけで!」

 

「…………」

 

ユウキが口にした依頼内容に対するイタチの反応は、沈黙だった。しかし、決して予想外の依頼だったというわけではないらしく、それほど長い間を置かずに再度口を開いた。

 

「一応確認しておくが、ボスモンスターというのは、フロアボスのことで間違いないか?」

 

「うん!」

 

「成程、な……」

 

ユウキに対し、それだけ確認したイタチは、椅子に座って腕を組み、一息吐くのだった。相変わらずの無表情で、傍から見ただけでは何を考えているのか分からない。しかし、話の流れから、ユウキの依頼であるフロアボス攻略の可否について思考を走らせていることは予想ができた。そんなイタチに対し、シウネーが恐る恐る尋ねた。

 

「あの……イタチさん」

 

「何だ?」

 

「イタチさんは、私達の依頼について、出来る筈が無いとは、考えていないんでしょうか?」

 

「結論から言えば、難しいだろうな」

 

イタチから発せられた率直な意見に、ユウキをはじめとした全員が沈んだような表情を浮かべた。フロアボス討伐の難しさは、この場に居る誰もが分かっていたのだ。

 

「新生アインクラッドのフロアボスの強さは、一般的なボスモンスターとは比較にならない程に高い。HPも不可視化されている上、ウィークポイントも変更されている。フルレイドで挑んだとしても攻略は困難だ」

 

ALOに実装化するに当たり、新生アインクラッドの各階層を守護するフロアボスは、SAO時代のものから大幅な強化を施されていた。SAOにおいて一度はクリアされたボスである以上、同仕様で実装化しないのは当然と言えば当然なのだが、その強化の度合いは明らかに桁外れなものだった。

直撃すれば即死も免れない通常攻撃に、パーティー一つを一撃で全滅させる特殊攻撃を繰り出す攻撃力。通常攻撃はおろか、魔法やソードスキルも簡単には通さない鉄壁の防御力。そして、先程イタチが口にしていた、HPゲージが不可視なことにより、行動パターンが変化するタイミングを計れない予測不可能性。止めに大ダメージを与えられるウィークポイントや一部能力、初期の行動パターンまで変更されているのだ。SAO生還者の知識はもはや当てにはできず、プレイヤー達は地道に攻略方法を模索していく必要がある。故に、新生アインクラッドのフロアボス攻略は、ALOの上級者向けのエクストラステージという認識が定着しつつあったのだった。

 

「挑戦したフルレイドが全滅することなど日常茶飯事なボスを相手にするのだから、たった一パーティーの七人で攻略するのは、困難を極めるのは言うまでも無いことだろう」

 

「……やっぱりそう思いますよね。けれど、これまでにフロアボス攻略した方の中には、たった一人でフロアボス攻略を成し遂げたという人がいるという話を聞きました。ですから、私達も、六人でもできるのでは考えて挑戦したのですけど……」

 

「けど、やっぱり現実は甘くなかったんだよね。六人全員、結構頑張ったけど……どうしても駄目だった」

 

ハハハ、と過去の失敗について語りながら苦笑するユウキとシウネー。他の四人も、相当に手痛い損害を被ったことを思い出したのだろう。一様に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

「それにしても、フロアボスをソロで倒したってソイツ、何者なんだろうな?」

 

「確か、ノームの男性プレイヤーで、体術スキルの使い手って聞いているけど……」

 

「しかも、籠手や脛当ての装備無しで、素手と素足で戦っているって噂もあるね」

 

「流石にそれは無いでしょう。フロアボスをソロで倒したというだけでも常識外れだというのに、その上文字通りの丸腰で挑んだなど……いくら何でも、あり得ませんよ」

 

先程までの、一パーティーでフロアボスを攻略するという依頼の話はどこへやら。この場にはいない、フロアボスをソロ攻略した顔も知らないプレイヤーの話で盛り上がり始めるスリーピング・ナイツのメンバー達。

 

「フロアボスを体術スキルだけで倒したことから、絶対無敵の拳技の使い手、略して『絶拳』っていう二つ名が付いたって話もあるぜ」

 

「ノーム領の方では、サラマンダー領のユージーン将軍と対を成す存在として『拳豪将軍』とも呼ばれているみたいだね」

 

「それから、ウンディーネのディアベル将軍と、スプリガンの『スタンダップマジックの貴公子』の二つ名を持つノーブル・ユラマと声がそっくりだとか!」

 

「GGOの有名スコードロンで『亡霊兵士』の異名で知られるタツユキっていうプレイヤーとも声が似ているっていう話も聞いたことがあります」

 

次々と出て来る、フロアボスをソロ攻略したプレイヤーの噂の数々。『絶拳』や『拳豪将軍』等の異名はまだしも、何故かALOはおろかGGOの有名プレイヤーの名前まで、声が似ているという理由だけで出て来るのは、どういうわけなのか。そして、そんなカオスな会話が繰り広げられる中、イタチは……

 

「あれ?どうしたのイタチ、急に黙り込んじゃって」

 

「…………いや、何でもない」

 

皆の会話を聞く中、ただ只管、何故か一人沈黙を貫いていたのだった。「何でもない」と言っていたが、その表情は何故かばつが悪そうにしているようにも見えた。その理由についてユウキは、盛り上がる会話の中で一人孤立してしまったことによる反応なのだろうと考え、話を元に戻すことにした。

 

「話を戻すけど、今は目の前のフロアボスの攻略だよ!それでイタチ。改めて確認するけど、どうにかならないかな?」

 

「前例があるとはいえ……ソロでもクリアできたのだから、パーティーを組めばもっと簡単にクリアできるという考えは、安直過ぎる考えとしか言えないな」

 

「私達も、どれだけ難しいことをやろうとしているかは、分かっているつもりです。しかし、私達はどうしてもそれを、ここにいるメンバーの力だけで成し遂げたいんです。どうか、協力してくれませんでしょうか?」

 

真剣な眼差しを向けながら嘆願するシウネーとユウキ。そのやりとりの行く末を、スリーピング・ナイツのメンバーは皆、固唾を呑んで見守っていた。そして、二人の嘆願に対するイタチの答えは――――――。

 

「承知した」

 

そんな、相変わらず何を考えているかも分からない無表情のままあっさりと告げられたイタチの“了承”という名の返答に、先程までのシウネーの真剣な表情が、きょとんとした表情に変わってしまった。

 

「えっと……本当に、依頼を受けていただけるんでしょうか?」

 

「そちらが持ちかけてきた依頼だろう。俺が受けなければ、困るんじゃないのか?」

 

「で、でも!さっきはやたらと難しい難しいって言ってたじゃないか!?」

 

明らかにその反応はおかしいだろう、と訴えかけるジュンだが、他の五人も似たような反応を示していた。先程までの会話の中で、イタチはALO版アインクラッドにおけるフロアボスの強さについて、これ以上無いと言わんばかりに強調していたのだ。こうも簡単に依頼を了承されるとは、その場にいる誰もが思ってはおらず、戸惑いを浮かべるのは無理からぬ話だった。

 

「確かに困難なことには違いないが、それと依頼を断るのとは別の話だ。依頼を受けた以上は、全力をもってそれを達成するために動くのみだ」

 

「その……お心遣いは嬉しいのですが、しかしそれでは、不可能を承知で私達と共に戦う、ということなのでしょうか?」

 

イタチを見るタルケンをはじめ、スリーピング・ナイツのメンバーの一部の目に不信の色が浮かび始めた。先程までのやりとりの中で、イタチはフロアボスを七人で攻略することは非常に困難であると口にしていた。そのような結論に至りながら、件の依頼を受けると言われれば、そのモチベーションを疑うのは当然のことである。

確かに、スリーピング・ナイツの目標は、傍から聞けば笑われても仕方の無いような、途方も無いものである。しかし、当人達は不可能を承知の上で、それでも真剣に挑もうとしているのだ。義務や義理で、初めから不可能だと内心で諦めているような人間を仲間に加えることには、些か抵抗がある。

 

「あたし達のやろうとしていることは、無理だとか、馬鹿げているとか、今まで散々言われてきたよ。けどさ……それでも、本気でやり遂げたいって思ってんだよ。冷やかしや同情で仲間になるって言うなら、悪いけどこの話は無かったことにしてくれないかな?」

 

「ちょっと、ノリ!」

 

そんなメンバーの内心を、歯に衣着せぬ物言いではっきりと述べたのは、ノリだった。いくら何でも言い過ぎであると、シウネーが言動を咎めるものの、イタチに対する非友好的な視線は変わらない。

そして、一連のやりとりによって、その場には剣呑な空気が満ち始めていた。このままスリーピング・ナイツのメンバーの大部分がイタチを敵視しようものならば、依頼などできる筈もない。イタチを加えたパーティーによるボス攻略は、計画段階で頓挫してしまうのかと、シウネーが不安を覚えていた。だが、そんな中、

 

「皆、落ち着いて」

 

剣呑な空気を纏っていた一同を宥めるために、ユウキが動いた。スリーピング・ナイツのメンバーとイタチとの間に割って入る形となったユウキは、互いに話し合いをするよう促した。

 

「ジュンとタルケン、ノリの言いたいことは尤もだよ。イタチの言葉を聞けば、確かにボク達に対する冷やかしで依頼を受けるって言っているようにも聞こえる」

 

内心は同じ気持ちを抱いているというユウキの言葉によって、ヒートアップを始めていた三人は、が落ち着きを取り戻し始める。それを確認したユウキは、「けどね」と付け足し、再び口を開いた。

 

「イタチは、ボク達がやろうとしていることを無茶だとも馬鹿げているとも言っていないよ。それに、確かに“難しい”とは言っているけど、“不可能”だとは言っていないよ」

 

「ユウキ、それはもしや…………」

 

ユウキが何を言おうとしているのかを察したシウネーは、半ば信じられないといった表情のまま、ユウキの顔を見つめた。対するユウキは、自身に満ちた笑みを浮かべて頷くと、その真意を話し始めた。

 

「イタチは既に、ボク達の依頼を成功させるための作戦を考え付いている。だからこそ、ボク達の覚悟を確認するために、あんなことを言ってきていたんだよ。そうだよね、イタチ?」

 

得意気な表情でそう問い掛けてくるユウキに対し、イタチは静かに首肯した。

 

「確かにフロアボス攻略は多大な困難が付き物で、本来ならば立った七人で挑むようなものではない。だが、やり方次第では七人の一パーティーでも、成し遂げることは不可能というわけではない」

 

感情を顔に出さず、淡々とそう告げたイタチの言葉に対し、それまでの剣呑な空気を纏っていた面々は一転、その表情を驚愕に染めた。

 

「ほ、本当に、フロアボスを攻略……できるの?」

 

「ああ」

 

震えた声で信じられないとばかりに発されたテッチの言葉。対するイタチは、やはり何でもないと言わんばかりの態度で再度頷いた。

 

「理屈から言えば、かなりの極論ではあるが、七人だけでもフロアボス攻略はできる。尤も、アイテムも時間も相当に消費する上、薄氷を渡るような危険で難しい作戦になることは間違いないがな。恐らくお前達が想像している以上に厳しい戦いになるだろう。もう一度聞くが、それを覚悟の上で、挑戦するつもりなんだな?」

 

表情こそ変えずに、しかし真剣さが明確に増した視線と声色をもって投げかけられた、イタチからの再度の問い掛け。それと同時にイタチが発した威圧感によって場の空気は一気に重くなり、先程までのイタチを糾弾していた姿勢はどこへやら。誰もが硬直して動けなくなってしまった。イタチは問い掛けると同時に、試しているのだ。フロアボスを倒すための作戦が、如何に困難で不可能に等しいものだったとしても、付いて来る覚悟があるのかを――――

 

『………………』

 

イタチの言葉に気圧され、内心の覚悟とは無関係に口を開けなくなったスリーピング・ナイツの面々。そんな中で一番先に動き出し、皆の言葉を代弁したのは、他でもない、リーダーのユウキだった。

 

「構わないよ。イタチの実力は、エクスキャリバー攻略クエストに同行していたボクがよく分かってる。だからボクは、イタチの考えた作戦に従う。ボク達の夢を叶えるための道筋は全部、君に任せるよ!」

 

威勢よく放ったユウキのその言葉を皮切りに、他の五人も無言のままながら深く頷いた。初対面で、依頼を受けるに当たって相手のことをこのような形で試そうとする人間を信用しようとするのは、偏にユウキが信頼を置いていることが大きいのだろう。向こう見ずで勢いばかりで突っ走る傾向の強いユウキだが、皆を励まし、動かすための人望と牽引力を兼ね備えた、リーダーに相応しい人間であるのだと、イタチは再認識していた。

 

「とりあえず、攻略をやるにしても、装備やアイテムをはじめ、攻略時の連携等も含めた準備が色々と必要だ。だが、ここ最近は大手攻略ギルドが活発に迷宮区で動いていると聞いている。時間も無い以上、各人の実力の確認や連携に費やす時間は最小限に止め……初見クリアのプランで行く」

 

「初見クリアって……そ、そんなことができるの?」

 

「結論だけ言えば、不可能ではない。どれだけ困難なのかは度外視しての結論だがな。それに、フロアボスを七人で攻略すること自体に多大な困難が伴うのだから、無茶は今更だろう」

 

イタチの口にする、無茶苦茶なようで正論な意見に、ユウキを除くスリーピング・ナイツのメンバー五人は一様に顔を引き攣らせる。七人だけでのフロアボス攻略も大概だが、イタチはさらにその上を行く方針を打ち出してきたのだから、無理も無い。

 

「やっぱり、イタチは考えることが違うなぁ……けど、面白そうだね、それ!」

 

「いやユウキ、面白いってお前……意味分かってるのか?無茶苦茶だぞ?」

 

イタチの作戦を正しく理解しているようには思えないユウキの発言に、ジュンが他のメンバーを代表して突っ込みを入れる。しかしその一方で、ユウキが何故イタチを連れてきたのか、密かに得心していた。

 

「とにかく、攻略の方針はこれで決定だ。作戦立案と指揮は俺が行うということで良いな?」

 

「うん、ボクは問題無いよ!」

 

「私も賛成です」

 

ユウキ、シウネーに続き、スリーピング・ナイツのメンバー全員が賛成の意を示し、イタチがフロアボス攻略の指揮を握ることが決定する。最初に決めるべき指揮権の所在を明らかにしたイタチは、早速攻略へ向けた今後の動きについて切り出す。

 

「フロアボス攻略は、早急に行う。できれば三日後……いや、明後日だ。全員の装備と実力を確認し、必要なアイテムの補給を完了させ次第、すぐに向かう」

 

「ちょっと待ってください!フロアボスを攻略するのですから、もっと綿密な作戦を立てるべきでは!?」

 

「できることならば俺もそうしたいが、今回は時間が無い。それに、アインクラッドのフロアボスは、SAO時代のものとはステータスも行動パターンも異なる。初見でクリアするならば、作戦は戦闘中に適宜立案する他に無い」

 

タルケンの慎重を期して攻略に臨むべきである意見に対し、尤もであると認めつつも、時間の関係からこれを却下するイタチ。

 

「今回、フロアボス攻略前に俺達が優先的にすべきことは、戦力の確認と補給のみだ。作戦については、戦力の確認時に最低限の連携は考案しておく」

 

スリーピング・ナイツより依頼を受け、SAO時代に攻略の鬼として知られた『閃光のアスナ』もかくやというオーラを発しながら、凄まじい速度でみるみる計画を立てていくイタチ。他のメンバーが口を挟む余地すら無いままに、攻略の計画が凄まじい速度で立てられていく。

イタチが口頭で説明した計画は、その場で考えてまとめたものとは思えない程に、非常に繊細な思慮が巡らされていた。補給するアイテム然り、準備すべき装備然り。そして、攻略時に状況に応じて打ち出すとされていた作戦についても、簡単ながらイタチがその場で考えたという大まかな案もいくつか説明された。その全てが、あらゆる状況を想定した繊細さを感じさせるものだった。

性急な攻略方針に不安を覚えていたメンバーが大多数だったが、イタチの説明を聞いている内に、自分達でも可能になるのではと思えてしまう程だった。そして、説明を聞いていく内に、ユウキを除くメンバー全員がイタチに対して僅かながら内心に残していた不信感が、信頼に変わっていくようだった。

 

「以上が俺の立てた作戦だ。異論のある者はいるか?」

 

一通りの攻略に向けた方針説明を終えたイタチから発せられた質問に、しかしパーティーメンバー六人は一様に首を横に振った。どうやら、イタチの立てた計画に反対する者はいないらしい。

 

「では、明日は一時にこの宿屋に集合。フィールドへ出て、各人の実力と連携を確認していく。以上、解散だ」

 

その言葉を皮切りに、イタチを含めたその場に集まったメンバーはそれぞれ別々の行動を取る。ある者はログアウトし、ある者はフィールドに狩りに出かけ、またある者は他の階層へ行くために転移門を目指すのだった。

そしてそんな中…………

 

「全くもう!イタチは何であんな誤解を招くような言い方しかできないのさ!」

 

「悪かったな」

 

イタチとユウキは連れ立って宿の外へ出て、ロンバールの街を歩いていた。

イタチと二人並んで歩くユウキが怒っているのは、先程のメンバーとの顔合わせ兼攻略会議におけるイタチの態度についてだった。

ユウキにとって、イタチが他者とコミュニケーションを取ることに消極的なことは、大きな不安要素だった。そして今回、それが予想通りの形で的中してしまい、一時は一触即発の雰囲気となってしまったのだ。ユウキがイタチの性格をある程度知っていたお陰でその場は収まったが、ユウキとしては文句の一つも言わなければ気が済まなかった。

 

「アスナやリーファが苦労しているのがよく分かったよ。もっと皆と仲良くやっていけるように努力しないと駄目だよ?」

 

「善処する」

 

「ホントに分かってるのかなぁ……」

 

ジト目で睨むユウキに対し、しかしイタチの表情は変化せず、きちんと理解してくれたのかは微妙なところだった。

 

「ハァ……もう良いや。けど、イタチがフロアボス攻略に協力してくれるお陰で、ボク達の念願も、ようやく形になりそうだよ。本当に、ありがとう」

 

「気にするな。約束だからな」

 

ユウキの申し訳なさを含んだ感謝の言葉に、イタチは淡々と返すのみだった。ユウキをはじめとしたスリーピング・ナイツが依頼したクエストは、普通のプレイヤーならば間違いなく匙を投げていたものである。

それを無理だと否定することも、文句すら言わずに引き受けてくれたイタチには、ユウキとしては感謝してもしきれない。それは、他のスリーピング・ナイツのメンバーも同様だろう。

 

「如何に難しいといっても、敵はフロアボス一体のみだ。十体以上のボスを補給無しで続けざまに倒したエクスキャリバー獲得クエストに比べれば、いくらでもやりようはある」

 

「まあ……あのクエストと比べるのもどうかと思うけどね」

 

「それに、自分達が“生きた証”を残したいという気持ちは、俺もある程度理解できるつもりだからな」

 

イタチが何気なく口にしたその言葉に、ぎょっと目を見開くユウキ。『証』と言うならば、アインクラッドのフロアボス攻略を成し遂げたレイドのパーティーリーダーの名前が刻まれる『剣士の碑』が浮かぶ。だが、『“生きた”証』となれば、ユウキ達にとっての意味合いはそれだけに止まらない。

 

「イタチ、もしかして……」

 

「依頼人の事情に深入りするつもりは無い。俺は受けた依頼を全力で完遂するだけだ。何より、ユウキからは既に報酬を受け取っているからな。依頼は必ず果たす」

 

不安そうな声でその言葉の真意を尋ねようとするユウキに対し、しかしイタチは背中に吊ったエクスキャリバーを指差し、依頼を必ず達成することを改めて誓うのみだった。

 

「……うん!イタチと一緒ならきっと、できるよ!」

 

そんな姿に、ユウキは笑顔で答えるのだった。恐らく、イタチはユウキ達の隠された事情をある程度察している。しかし、それを承知しながらも、敢えてその事情に触れようとはしなかった。もしかしたら、今回のクエストを引き受けてくれたもの、それを察していたからなのかもしれない。

 

(イタチ、ありがとう)

 

その隠された内心は、イタチ本人のみぞ知るところだったが、ユウキはイタチに内心で感謝していた。誰にも言えない自分達の事情を知りながらも、蔑むことも、憐れむこともせず、普通に接してくれる、その優しさに…………

 

 

 

 

 

 

七人で行われたフロアボス攻略会議を終わらせ、ユウキと街をしばらく歩いた後で別れ、イタチはALOからログアウトした。そしてその意識は、現実世界の自室のベッドに横たわっている和人の身体へと戻っていた。

ゆっくりと目を開いた和人の視界に入ったのは、一面の暗闇。VRゲームをプレイする間は、省エネルギー化のために部屋の電灯は切っているのだ。暗闇の中、首を動かして棚に置かれたデジタル時計に視線を向け、時刻を確認する。

 

(十一時、か……)

 

ユウキに呼び出され、ALOにダイブしたのは夜中の九時過ぎのことだった。イグドラシル・シティからアインクラッドへ移動し、スリーピング・ナイツとのフロアボス攻略会議を行い、二時間も経過していたらしい。明日も学校がある以上、このまま寝た方が良さそうだ。そう考えた和人は、アミュスフィアを外してウォールラックへと戻した。

そしていざ寝ようとした……その時のことだった。

 

「――――――」

 

「――――!」

 

 

和人の耳が、部屋の外……階下の廊下、もしくは玄関のあたりから響く話し声を捉えた。和人の部屋にまで響いてきたのだから、それなりに大きな声で話しているようだった。

 

(む……騒々しいな。この時間帯に、一体どうしたんだ?)

 

夜中の十一時ともなれば、桐ケ谷家の住人は基本的に全員自室に戻って就寝している時間帯である。和人のように自室でゲームをしていることもあるだろうが、居間や廊下で話をするようなことはまず無い。一先ず、誰が何を話しているのかを確認すべく、聞き耳を立てた。

 

「だから――――です」

 

「あの子が来るなら――――」

 

(……母さんと……聞き慣れない声だな)

 

話をしている人間の一人は、和人と直葉の母親である翠のものだが、もう一人の声に記憶が無い。女性の声であることは間違いないのだが、一体、誰なのだろうと考えを巡らせる和人。話の内容については断片的にしか聞き取れないが、翠と話している相手は若干取り乱して興奮している様子だった。

 

(……少し、様子を見に行くか)

 

話し声が次第に大きくなっており、翠の相手の女性が相当ヒートアップしていることは分かったので、話の内容を把握するよりも先に、階下へ移動することにした。ベッドから起き上がった和人は、部屋の扉を開けて直葉と詩乃が寝ている部屋を通り、階段を目指す。

 

「いや、何度も言いますが……本当にウチには来ていませんから……」

 

「しかし、あの子とあなたの家の子が親しい間柄なのは……」

 

階段へ近づくごとに聞こえる話し声の大きさに比例して、和人は厄介事の気配を強く感じていた。しかしながら、今更後に退くことはできない。心中で溜息を吐きながらも、和人は意を決して階下へ降りることにした。

そして、階段の中心のあたりに差し掛かったところで、階下からすぐそこの場所、桐ケ谷家の母屋の玄関に、件の言い争いをしている人物の一人を確認した。片方は予想通り、母親の翠。そして、玄関に立つもう一人の女性の姿を確認しようと、さらに階段を降りようとしたその時――――

 

「本当に、ウチの子は……明日奈は本当にここに来ていないんですか!?」

 

「!!」

 

思いがけない言葉を聞いた。驚きに若干目を見開いた和人は、先程よりやや速足で残りの階段を降り切った。そして、翠と向かい合う形で玄関に立つ女性の姿を改めて確認する。

 

「あなたっ!」

 

「あなたは――――!」

 

和人とその女性、互いに姿を確認すると同時に交錯する視線。翠を挟んで玄関に立っていた、長身痩躯の体形に、ダークブラウンに染められた髪を肩上まで伸ばした、冷厳な面立ちをその女性に、和人は見覚えがあった。

対する女性は、和人を視認するや、先程まで言い争っていた翠から一転して和人の方へ向き直ると、刺し貫くような鋭い視線と共にこう告げた。

 

「桐ケ谷和人君ね。あなたが明日奈をここに匿っているのは分かっているわ。すぐにあの子を……娘をここに連れてきなさい!」

 

これが、夜遅く桐ケ谷家を訪れた彼女――――明日奈の母親である結城京子と、和人との初めての対面だった。

 


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